2011年12月29日木曜日

投稿できない状態

更新できずにに申し訳ない。今日もこのくらいしか書けない状態である。もう少し落ち着いたら書こうと思う。もう少し待っていただきたい。

2011年12月24日土曜日

荷物送る

今年青森からブログを更新するのは今日で最後である。次に更新できるのはおそらく月曜日か火曜日になりそうだ。次は大阪から更新する事になるがぜひと覗いてもらいたい。

 今日朝から荷物整理をして段ボール箱にモノを詰めていた。郵便局に電話をして、荷物を取りに来てもらうようにお願いをしたのだが、14時から17時の間に取りに来るという何とも時間の幅が大きい。14時と17時は大分違うぞと思いながらも、荷物が多いらしく、時間指定ができないのだそうだ。私はできるなら17時近くに来てほしかったのだ。電話をした時にはまだ段ボール箱も作っていなかったからだ。とりあえず昼過ぎには荷物を詰め終わり、忘れ物がないかをチェックしていた。14時にはこないだろうと思っていたので段ボールのふたを閉めないで休憩をしていたら郵便局の人が荷物を取りに来たのだ。早い(笑)。急いで段ボールにガムテープでふたをして持って行ってもらった。後から荷物が出てこないか心配であったがどうやら忘れ物はなさそうである。

 明日、東北新幹線に乗り、東京で時間をつぶし、そして夜行バスで大阪に帰る。初めて東京~大阪間をバスで帰る。大阪には朝7時30分くらいに着く予定だ。これならバイトにも十分間に合う。青森としばしのお別れである。青森は寒いので体調には十分気を付けてほしい。また、来年の1月にみんなの元気な顔が見れるといい。元気が一番。


 今日はクリスマスイブであるが、青森にいるとクリスマスがどうか判断しにくい。というのも、東京や大阪にいると、街がイルミネーションでライトアップされるのだ。それで「クリスマスだな」と実感するのだが、私が住んでいるところは山の上なので、なかなかそういうものはない。山をおりたり、駅前などに行けば少しくらいはあるが、東京、大阪ほど派手ではないので、少しさびしい感じがする。
 母に「クリスマスを過ぎてからしか帰られへん」、というと「あら、残念」という(笑)。クリスマスに何をするわけでもないので。何かしてくれるのかを言えば、何もしないという。残念の意味がわからない(笑)。しかし、年末年始は家族と過ごせるだけいい方だ。あまり気を抜けるような時間は少ないが、オン、オフはきっちり区切りをつけたい。

 では、帰る準備をしよう。次は大阪から更新する。

2011年12月23日金曜日

「動いた」年

今日の青森は風がかなり強かった。天気予報通りである。雪も降ったり止んだりであったが、降れば風と雪ですごいことになっていた。積もった雪が風で舞い、上から横から下からの雪で傘をさす意味がほとんどない。とにかく風が強くて寒い一日であった。

 今日で集中講義も終わり、明日から私の冬休みが始まる。といっても、部屋を片付け、掃除をし、荷物を大阪に送らなければならない。それが終わったら大阪に帰り、そしてバイトが始まる。冬休みはもう少し先になりそうだ。年末近くになったら少しやは休めるだろう。そういえば、大阪に帰ればブログが更新しにくくなる。なんども言っているが、兄のパソコンを使わなければならないため、今兄は卒業研究で忙しいらしい。私が夜にパソコンを使いたい時間は兄が使っているだろう。だいたい大阪に帰れば朝にブログを書いていることが多い。前日の話を書くのだ。最初はなかなか書く気がしなかったのだが、少し慣れたら朝でも書けるようになった。そうはいってもやはりその日の出来事はその日のうちに書きたいものだ。できるだけ更新するようにするので覗いてもらいたい。


 とにかく、今年ももう終わりである。本当に早い一年であった。毎年そういっているような気がするが(笑)。今年は今まで生きてきた中で一番「動いた」年であった。まず3月は東日本大震災が起こり、未曽有の事態となった。それが今でも続いている。そしてその地震の1週間後、私はアメリカ一人旅に出た。ブログでも約1ヶ月半にわたって書いてきたが、この旅で得たものは大きい。大き過ぎるくらいだ。人生が変わるというのはこのことを言うのだろう。アメリカに行こうが、日本の地震のことは常に頭の中にあった。なぜなら出会う人すべてに、私のこと、家族のこと、日本のことを心配してくれるからだ。そしてテレビを付ければ津波、原発のニュース。ニューヨークタイムズの1面も日本のことについてだ。そしてブロードウェイのミュージカルの後の義援金。地球の裏側でさえこれだけ日本のことを思っていてくれるのだなと感動し、このことが私をボランティア活動に行こうと強く思ったきっかけになっていたのかもしれない。そして、5月、8月、11月の現地でのボランティア活動。5月は初めてで、青森でもボランティア団体を立ち上げようと呼びかけを行い、集まったメンバーで8月、11月に活動を行う。大変なことばかりで何度も愚痴をこのブログでも書いてしまったが、今はこれでいいと思っている。集まってきてくれたメンバーには心から感謝している。「ありがとう」と伝えなければならないが、それはもう少しとっておこう。もうしばらくは生意気で頑固な会長をやらせてほしい(笑)。そしてこの活動がこれからも続いて行く。3月の震災は日本が変わり、世界が変わり、そして私自身が変わった。今までの活動、そしてこれからの活動は微力でも被災された方々の助けになっているだろうか。復興までにはまだまだだ。私はどんな形かは分からないが、支援を続けていくつもりだ。「困っている人がいたら助ける」、子供のころに言った言葉を思い出そう。そして始まった就職活動。少しずつ、「学生」の終わりに近づいている。何度も言う。“今できること”をやろう。後になって後悔はしたくない。人間は後悔する生き物。どうせなら後悔は少ない方がいい。さあ、今年もあと少し。最後まで生くぞ!!!

2011年12月22日木曜日

明日で最後

今日の青森は雪が降っていたが、途中から珍しく雨に変わった。少し暖かいということなのか。それほど違いは感じられなかったが。集中講義二日目であったが、明日で最後となる。もう一日頑張るとしよう。しかし、明日はその講義のテストがあるのだ。全く勉強する時間がないではないか。今日はその勉強をしなければならない。申し訳ないがこのくらいで今日は終わりたいと思う。

2011年12月21日水曜日

集中講義開始

 さて、今日から集中講義である。今日の青森は珍しく晴れたのだ。最近はずっと雪が降っていたので、太陽を見ていなかった。青森の冬の期間、太陽を見れるのはなかなか珍しいことである。太陽が出れば寒くてもどこかへ行きたくなる。といっても今日は授業なので大学に行かなければならなかったので少し残念であるが。
 集中講義は教職課程である。去年2年生の時に取るべき科目であったのだが、去年とらなかったのだ。このぶろぐでも書いたことがあると思うが、長渕剛のコンサートが神戸ワールド記念ホールであったのだ。去年は冬休みになった瞬間に新幹線に乗り、本来ならば新大阪でおりるのだが、おりずに新神戸まで行き、直接神戸ワールド記念ホールに向かったのだ。あの時も忙しかった。
 ということであの時のつけが回ってきたのだ。正確にいえば去年は授業をさぼってコンサートを選んだということになる。しかし、それでよかったと思っている。この世で一番の娯楽を楽しめたのだから。
 今日から3日間、面倒だが授業に行かなければならない。同じ授業を連続して受けなければならないというのがこの集中講義の嫌なところである。まあ、仕方のないことなのだが。


 そろそろ荷物を段ボールに詰めて大阪に送る準備をしなければならない。これもまた面倒だが、嬉しいことでもある。実家に帰れるというのは何度経験しても嬉しいものだ。と同時に青森と離れる寂しさもある。嬉しくもあり寂しくもある。
 何かを得るためには何かをあきらめなければならない。何かを失った時に何かを手にする。出会いがあれば別れがある。悲しいことがあれば楽しいこともある。人生とはこの対局しているモノの繰り返しなのかもしれない。できるならば、常にプラスとなるようなモノの繰り返しであってほしい。今私はそう思ったが、それではいけない。悲しいこと、辛いことを経験するかわりに、人は一歩また一歩と強くなっていくのだ。裕福になれば幸福を失う人もいる。便利さを求めるばかりに、今までしてきたことができなくなる人もいる。そう思えば苦しいこと、悲しいこと、辛いこともなんだか誇れるような気がする。
 話がそれてしまったが、大阪に帰る日は近い。そして今年ももう終わろうとしている。“終わりよければすべてよし”、という言葉があるが、私はこの言葉の通りだ、とは思っていないが、そういう言葉があるように最後の締めは良いようにしたい。

2011年12月20日火曜日

雪の道

 今日は授業はなく、昼から買い物に行かなければならなかった。というのも、そろそろ大阪に帰るのだが、今回は東北新幹線で東京まで行き、そこから夜行バスに乗り大阪まで行くというルートで帰ろうと思っている。その夜行バスのお金を払わなければならなかったため、コンビニに行く必要があった。ここで問題がそこまでどうやって行くかである。往復のバス代を考えると700円になってしまう。これは少し高すぎる。片道でもいいのだが、この雪の積もった中を歩いて行くのはかなりしんどいし寒い。悩みに悩んだ挙句、行きは歩いて行くことにした。幸運にも雪はあまり降っていなかった。雪道を歩くので危険なことは歩道がなくなっているところがあるということである。車が行き違いになるところではやはり危ない。踏み固められてあるところはツルンと滑ってしまう。車が来る時に滑ってしまいそうになったので危うく車にあたりそうになった。バスで行けばよかったと思いながら歩き続けた。
 山から下りると歩道は何とか確保されていた。細い一本道になっている。しかし、ここも踏み固められているため、真中は滑ってしまう。そのため、横にある雪の中に滑った足がはまってしまうのだ。歩道もまともに歩けないのだ。何度も滑ってこけそうになった。いやー、危ない危ない。
 何とか目的地にたどり着き、支払いや買い物を済ませ、バスの時間まで本屋で時間を潰していた。久しぶりの本屋である。雪が積もって、自転車に乗れなくなってからはなかなか下に行く機会がなかった。何かのついでに友達の車に乗せてもらう時くらいだが、それも最近はなかった。とにかく用事をすべて済ますことができたのでよかった。帰りはもちろんバスである。



 今年も残すところ2週間を切った。本当に早いものである。9月にこちら青森に戻ってから、12月までは長いなー、といっていたのに気が付けばもう12月も終わるではないか。それくらいあっという間だった。それだけ充実していたというのならそれは良いことだろう。間違いなくこの大学生活3年間の間で一番充実していたと思う。9月から12月といわず、今年は本当に充実していたのではないだろうか。今年の感想はもう少し年末が近づいてからにしようか。とにかくもう少しで大阪に帰る。26日には大阪でいつものバイトが始まる。予定では26日の朝に大阪に到着し、そしてバイトに行かなければならないという少しハードなスケジュールになりそうである。ハードな方が私にはいい。今年もあと少し。悔いの残らないように最後まで突っ走りたい。

2011年12月19日月曜日

明日から冬休み

今日でとりあえずの授業が終了で、明日からは冬休みに入るのだが、私は集中講義という授業をとっているので、23日までは大学に行かなければならない。明日一日休みで、明後日から三日間授業だ。明日は少し買い物に行こうと思う。雪がかなり積もっていて、あまり行きたくないが、いろいろと用事があるので行かなければならない。


 今日もボランティアの集まりがあり、20時30分まで大学のゼミ室で話し合っていた。それでかなり疲れてしまったようだ。今日はこのくらいにしたい。

2011年12月18日日曜日

東京最終日

今日はどこへも行かず、ずっと部屋の中にいた。といっても行きたくても行けないくらい雪が積もっていて、寒いので全く外へは行く気がしなかった。今週は雪が降り続く予報が出ているが、どうにかならないものか。去年はここまで降っていなかったような気がする。今年はすごい。


 東京3日目の話である。月曜日なのだが、本当は授業があるが、それをさぼってもう一日遊んでいるのだ。いけない学生である(笑)。友達が授業があるので、朝10時過ぎに友達と別れ、まず東京駅のコインロッカーに荷物を預けに行った。空いているコインロッカーがなかなか見つからず、それを探すのに時間がかかってしまった。渋谷駅から一番安い切符を買っていたのだが、再び戻って渋谷駅の改札から出られるだろうと思って改札を出たら、出ることができなかった。仕方がないので原宿駅から降りることにした。原宿から表参道にかけて歩き、またまた同じMoMAへ行き、キャットストリートを歩き、再び渋谷へ戻ってきた。そこから代官山へ行き、買い物を済ませ、どこへも行く用事がなく、仕方がないのでまたまた六本木の東京ミッドタウンへ行った。この二日間、歩きっぱなしであったので、すぐに足が痛くなってしまう。ミッドタウンのベンチに座って休憩をしていた。一日目に六本木ヒルズを訪れた時に、目に停まったボディバッグのことが頭から離れられず、やっぱりもう一度見に行こうと思い、六本木ヒルズに向かった。やはり気に入ってしまい、買いたいと思った。ほしいバッグについて尋ねてみるとカラーが5色あると言い、そこの店にあったのはレッドで、他にもブラック、ブラウン、ネイビー、レッド、グレー、があるという。グレーも見てみたいと思い、近くに在庫がある店舗を探してくれ、丸の内の新丸ビルにあるというので、そこに行ってみた。またまた新丸ビルである。そこでレッドかグレーにするかでかなり悩んだ末、レッドにした。現金を持っていなかったので、クレジットカードで買うことに。あまりカードは使いたくないが仕方がない。
 少し新丸ビルの中にあるソファに座って休憩をし、友達のお土産を買おうと思い東京駅の大丸でお菓子を買った。東京に住んでいるもう一人の友達と晩御飯を食べれたら一緒に食べようと約束をしていたのだが、その友達が職場の忘年会があるらしく、それが長引いてしまい、一緒に食べることができなくなってしまった。仕事の関係なので仕方がないが、私もいつか同じ思いをする時が来るのだろう。青森に帰るバスの出発時間は22時であったが、時間はまだまだあったので、新丸ビルの隣にある丸ビルに行くことにした。この丸ビルは初めて訪れる。疲れていたので、まずは椅子に座って休憩。その後、ビル内を散策したが、ここも面白い店がたくさん入っていることが分かった。いつも新丸ビルばかり訪れていたが、今度からはここにも行くことにした。東京を訪れるたびに面白い店が見つかり、面白味も増えてくる。やはり東京は楽しい。行くたびにそう思う。今回も充実した東京の旅ができた。お金を使い果たしてしまったのが問題だが(笑)。

2011年12月17日土曜日

合同企業説明会

 さて、東京の二日目の話である。日曜日だったのだが、その日は就職活動で、幕張メッセの方で合同企業説明会が行われるので、そこに行ったのだ。その前に山手線の有楽町駅で同じ大学の友達と待ち合わせをして東京駅内の喫茶店で軽い朝食をとった。私は普通のトーストにした。しかも一番安かった。その友達は一番高いものにし、何というメニューか忘れてしまったが、かなりまずかったそうだ(笑)。一番高いのにもったいない。その後、乗り換えて幕張メッセの駅で降りたのだが、何とも言えない人の多さで驚いてしまった。リクルートスーツを着た学生が溢れかえっていた。全く進む気配がないので、私たちは一駅前に戻って一駅間歩いて幕張メッセに向かうことにした。
 少し時間がかかったが、無事に到着した。しかし、簡単に会場にはいることができなかった。行列ができていて、あとから聞いた話だが、2時間待たなければならない人もいたらしい。まるでディズニーランドではないか。会場に入ったが、自分の聞きたい企業のブースは人でいっぱいで、後ろの方で立って聞いていたが、あまり聞こえなかった。資料コーナーもあったがほとんどなくなっていた。これはあまり意味がないと思い、しかもかなり疲れてしまったので、出口付近で座っていたのだ。友達に連絡を取ろうと思い、電話をしたがつながらない。どうやらパンクしてしまっているらしい。5万から10万人もの学生がこの幕張メッセに集結していたそうだ。メールもなかなか送信できない。もうこれはどうする事も出来なかった。自分で探すことはまず不可能であった。時計を見たら2時半だったが、3時を過ぎても友達が来なかったらいったん東京駅に向かおうと思っていたが、友達からメールが届き、友達も東京駅に向かっているそうだ。東京駅では普通にエールのやりとりができた。夕方であったが、時間をつぶそうと思い、横浜に行くことになった。横浜に行くのは大学1年生以来だが、その時は横浜の友達の家に泊りに行っただけなので、まともに街を歩くのは中学校の修学旅行以来である。
 横浜駅で降りて、歩いて中華街の方へ向かうことにした。港未来を歩き、ランドマークタワーの中に入ってみたりして中華街にたどり着いた。そこで晩御飯を食べた。友達がその日の22時上野駅発のバスで青森に帰るので、そろそろそちらに向かおうかという話になったが、22時に上野駅にたどり着けるか不安になってきた。JRに乗ったが、快速電車がない。隣のホームが私鉄だったので、そちらの方には快速がありそうだったので、JRの切符で上野駅まで買っていたが、もったいないがいったん改札を出て、私鉄の切符を買い、快速電車に乗ることができた。21時15分くらいに品川駅に到着。山手線に乗り換える。上野駅は東京駅を過ぎるのだが、友達が東京駅でコインロッカーに荷物を預けていたので、東京駅で降りて、荷物を取りに行き、そして再び山手線に乗り、上野駅に向かった。着いたのが、21時50分くらいであったので、ギリギリである。無事にバスに乗ることができたので、一件落着である。
 渋谷の友達が高校生の友達と忘年会をしていたが、もう終わったから帰ってきてもよいというメールが届いたので、ちょうどいいと思い、またまた山手線に乗って渋谷に向かい、二日目が終わった。二日目もハードなスケジュールであった。

2011年12月16日金曜日

久しぶりの東京

しばらく更新できなかった。申し訳ない。
 というのも、火曜日の朝に東京から帰ってきたのだが、その日のうちに大学の方で就職活動関係のキャリア形成講座や体育館で合同企業説明会があったので、荷物を置いてすぐに大学の方へ向かった。それが二日続き、さらにボランティア活動である新聞社から取材をしたいということで、夜まで大学で私が取材に応じていたのだ。ということがあって更新できなかった。
 
 土曜日の朝に東京に到着したのだが、予定より1時間半くらい早く東京についてしまった。朝の6時半過ぎくらいであったが、この時間は友達は起きていないだろうと思い、東京駅から銀座の方へ向かった。銀座をぷらぷらして、そろそろ渋谷の友達のところへ向かおうと思い、有楽町から山手線に乗った。そして渋谷で久しぶりに友達と再会した。11時過ぎになり、私は買い物に、友達はサークル活動があるので、渋谷駅で別れた。
東京ミッドタウン
 私は歩いて神宮前を通り、表参道の方へ向かった。いつもの店だ。そこで自分の買い物やある人のプレゼントを探したりしていた。MoMAなのだが、そこの店員さんと相談していたりして、私がニューヨークのMoMAに行ったという話になり、かなり話が盛り上がり、とても楽しい時間であった。その後、六本木に向かった。まずは東京ミッドタウン。そこで自分の買い物があったのでそれを済ませた。やはり東京ミッドタウンは面白い。今回は六本木ヒルズにも行ってみた。初めてではないが、六本木ヒルズはわかりにくいという印象が残ってしまったため、一度訪れてからは来たことがなかった。しかし、今日は時間があったので、まともに歩いてみようと思った。じっくり歩いてみるとここも面白いことに気がついた。そこで目に泊った品物があった。それはボディバッグなのだが、値段が少し高い。私はさーっと店の中をチェックする。そして目に停まったものはたいてい私がほしいものだ。自分で言うのもなんだが、良い目を持っていると思う。せっかくだったがきょうは考えることにした。いや、六本木ヒルズもなかなか面白いではないか。
 その後日比谷線に乗り、再び銀座へ向かった。伊東屋の本店で買い物があったので、そちらに向かった。東京ミッドタウンにも伊東屋は入っていたが、せっかくなので本店が良い。品ぞろえもいい。その後、歩いて有楽町、丸の内を回った。新丸ビル、oazoにも行ってみた。特に買い物はなかったが、目に保養になった。20時に渋谷の友達と晩御飯を一緒に食べることになっていたので、まだ時間はあったが、とりあえず渋谷に戻った。やはりまだ時間があったので、歩いて代官山に行った。そこでも自分の買い物を済ませ、ちょうど20時に約束の場所に行くことができた。
 晩御飯は友達お勧めのラーメン屋さんに行った。面白いお店であったが、味はなかなかのものであった。久しぶりにまともなラーメンを食べたような気がする。夜に友達の彼女が部屋に来ることになり、私は最初は冗談だろうと思っていたが、どうやら本当に来るらしい。歩きまわっていたので、かなり疲れていた。初対面の人と話をする元気がなかった。しかし、いざ会ってみると、話しやすいいい人であった。その彼女はアコースティックギターをソロで弾いたり、絵を描いたり、お菓子やケーキを作ったり、帰国子女で英語がぺらぺらだったり、ダンスもするそうだ。一言ですごいなと驚いてしまった。世の中には何でもできる人がいるのだなと羨ましく思った。イタリアに留学する計画を立てているそうだ。
 これが東京一日目の話である。

2011年12月8日木曜日

しばらく東京へ

今日の青森はかなり寒い一日であった。道が凍っていてかなり危ない。もう大学に行くのも大変なことになってしまった。

 申し訳ないが今日はレポートをやらなければならなくなったので、ブログは書けそうもない。明日から東京に行くので次に投稿できるのは来週の火曜日になる。また来週の火曜日から覗いていただきたい。それではまた来週。

2011年12月7日水曜日

グループディスカッション練習

今日大学で、就活対策の一つとしてグループディスカッションの講座が開かれた。参加してみたのだが、私のグループは5人で、ディスカッションのお題が就活をうまく進める3つのポイントというものであった。制限時間は25分で意見を出しあった。いざやってみるとなかなか難しいものである。だいたいこのお題が大雑把過ぎるので、どのような答えを期待しているのかわからない。私のグループは変に難しく考えてしまい、結局25分の間に3つのポイントを導き出すことができなかった。他のグループの意見を聞いてみるともっとシンプルに考えていて、「そんなもんでいいんか」という感じであったが、大変面白かった。そのお題がわかりにくかったので、自分たちが理解しやすいようにお題を変えているグループもあった。
 ディスカッションの中で「自分」を出すというのはなかなか難しい。意見を言いやすいグループに当たればいいのだが、意見しづらいグループになれば大変だ。難しいことばかり言ってくると、私は知識が少ないので全くついていけなくなる。そうなれば聞くだけになってしまう。そうならないように自分の意見はしっかり発言したいものだ。これから練習が必要だ。
 書類審査で私という人間を判断されるのは納得いかないものだが、そのディスカッションや面接でも私という人間を判断されるのも困る話だ。22年間生きてきて、様々な経験をし、様々なことを学び、様々なことを積み重ねてきた。それをたったの数分、長くて1時間くらいで判断されてしまうのだ。もっとここを見てほしい、私にはこんな良いところがあるんですとそのディスカッションや面接で出すのは難しい。うまく行けばいいが、うまく行く話ばかりではない。緊張のあまり、半分も実力を出せないときもあるだろう。普段の力を出せていれば受かっていたということもある。しかし、そのたったの数分で今までの自分を出さなければならないのが現実だ。実力をうまく出せるようにとこのような講座があるのだが。私は世間を斜に構えてみてしまうので、なかなかこの現実を受け入れ難い。文句を言っても仕方のないことなので、対策はきっちりしていきたい。

2011年12月6日火曜日

新しいプリンター

 今日の青森は曇り。ということで、髪の毛を切りに行こうと思い、どうやって行けばいいのか考えた。雪は降っていないが、昨日の雪が残っている。私が住んでいる下宿は大学の近くで山の上にあるのだ。山なので雪が多く残っている。しかし、山を降れば雪はそれほど残っていない。しかし、降りるまでが大変だ。それならばバスに乗ろうかと思ったが、やはり往復1000円は高すぎる。迷いに迷った挙句、友達がバイトで自転車で行くというので、私のその友達について行こうと思い、私も自転車で行くことにした。友達と一緒ならば滑ってこけてもそれほど恥ずかしくない(笑)。髪の毛を切り、先ほどの友達が働いている喫茶店へ行こうかと思ったが、今週の金曜日に東京へ行くので得そのバス代を払わなければならないのを思い出し、忘れる前に払っておこうとコンビニへ行った。そして喫茶店へ行き、少し休憩を。私はこの喫茶店には何度か来ているのだが、いつもその友達が相手をしてくれている。しかもそこへ行くのは毎回大阪に帰る時によることがほとんどだ。しばしのお別れをする場所となっているので、そこへ行けば大阪に帰るような気分になってしまう。今日はその友達からチョコレートをもらった。嬉しい。今度何かお返しをしなけらば。
 その後、少し買い物をしてからプリンターが壊れていたので、それを買いに行こうと思い、電気屋さんへ。安いものにしようかとも思ったが、これからずっと使うものなので、少しいいものにしておこうと思った。CANONかEPSONで迷ってしまった。店員さんに聞いても、難しいところという。値段もほとんど変わらない。私はCANONを使っていたので、今回はEPSONにしようかとも思ったが、CANONにした。就活で使うので少し急ぎで買ったのだが、いい買い物ができたのではないか。スマートフォンも買い、プリンターも買い、準備は完了だ。パソコンが壊れないといいが。それこそ致命的である。今実家大阪のパソコンが壊れて修理に出しているらしい。何か嫌な予感が・・・・・。たぶん私のパソコンは大丈夫だろう。明後日に届くそうだ。今まで使っていたプリンターは小学校の時から使っていたものなので、最近のプリンターは性能がかなりアップしている。アナログ人間の私だが、使い得るようになるまでが心配だ。また使い方の練習をしなければならない。

次の計画

今日の青森は吹雪。昨日は嵐並みに風や雨が降ったが、その次は吹雪である。一日でかなり雪が積もり、しかもかなり寒い。私は重ね着をするタイプなので、何枚も重ね着をしていたが、それでも寒かった。繊維の間をすり抜けて寒さが浸透してくる感じである。明日は曇りの予報だ。



 今日ボランティアの話し合いをしたのだが、次にやろうとしている活動は、被災された方が作った品物などをこちら青森で販売しようということを計画している。被災地でボランティア活動したボランティアセンターにその様な被災された方が作ったクッキーやタワシ、みさんがなどが販売されていたので、そこのボランティアセンターに協力してもらってこちらでも販売できないかということを考えていた。こちらで販売するのもいいのだが、ある程度の数が必要である。しかし、すべて手作りということもあってなかなか数を確保できないのだ。そのため、本格的にこちらで販売するのは来年1月からになりそうである。どこで販売するのか、どれくらいの頻度で販売するか、どうやって販売するか、などと考えなければならないことはたくさんある。来年の2月頭でもう春休みになる。そうなればまた大学が始まるのは4月ということになる。おそらくその時には私は会長を交代しているだろう。私も就活や教職の勉強をしなければならず、しかも青森にゆっくりいる時間はないと思う。就活で東京を行ったり来たりしているだろう。そうなればそれまでにある程度続きそうな事業を行いはじめ、次の代へバトンを渡すようにしなければならない。まだ2カ月弱あるので、焦らずゆっくり計画を進めていきたい。
 何かを始めるというのは難しいことである。このブログでも何度も言っていることだが、前例がないのは、お手本にするものがないということで、どうしたらいいのかと問題ばかりが発生してくる。大変なのは大変だが、その目的に向かって試行錯誤しているというのは本当に素晴らしいことである。いろんな案が出ては消えの繰り返しだが、その消えていった案は無駄でも何でもない。話し合って出た結果なのでそうやって少しずつ前に進んでいるということである。大変な作業であるが、どうせやるなら楽しくやっていきたい。楽しくやるというのが一番大切なことだと思っている。まだまだ問題は山積みだが、みんなと話し合って少しずつ前に進んで行けたらいい。

2011年12月4日日曜日

新青森駅開通から1年

昨日は飲み会であったが、なかなか楽しいものであった。私は結局一滴も飲まなかったのだが、それでも楽しむことができたのでよかった。やはりお酒は楽しく飲むのが一番である。昨日はメンバー全員が参加できなかったため、次は全員集まってできるようにしたい。

 今日の青森はかなり強い雨が降っていた。しかも風が強く、台風が来ているかのようであった。明日も雨が降る予定である。


 
 今日は12月4日で、ちょうど去年のこの日、新青森駅が開通した日なのである。その時のブログにも書いたが、私はその開通した日に東北新幹線に乗ったのだ。私は電車マニアではないので、わざとその日を狙って新幹線に乗ったわけではない。たまたま埼玉の方で長渕剛のコンサートがあったので、それを見に行くために新幹線に乗ったのだ。去年の12月4日は報道陣やマスコミ関係で人が大勢集まっていた。今日からスタートなのだという感じであった。しかし、人が大勢いたのはその日だけで、その日以降に何度か新青森駅を訪れているが、ほとんど人がいないのである。私利用する時間帯が朝早いので、人が少ないのかそれはわからないが、とにかく人がいないのである。あの人の多さは何だったんだろうという感じで、寂しい気持ちになってしまう。
 わたしはまだは「はやぶさ」に乗ったことがない。いつも利用している東北新幹線は「はやて」である。「はやぶさ」は新青森駅~東京間を3時間10分で結んでいる。以前は4時間強かかっていたのだが、かなり短縮で便利だが、まだ利用したことがない。冬休みに帰るときに、今回は東北新幹線を利用するかもしれないので、もし利用した場合はぜひとも「はやぶさ」に乗ってみたいものである。

2011年12月3日土曜日

本日飲み会

今日の青森は朝から雨で、今かなりの土砂降りである。どこへも行くことができず、朝は部屋の掃除をしていた。しかし、これからボランティアのメンバーで飲み会があるのだが、これから出えかけなければならない。22時集合という少し遅い時間帯だが、メンバーがバイトなどで集まらなかったため、この時間になったのだ。何時に始まろうと終わる時間は同じなので、22時からでも問題はないのだが。
 ボランティアのメンバーで飲み会をするのは初めてである。というのも私は今会長をしているが、私から飲み会をしようと言わないのだ。今回もメンバーの一人がやろうといったのがきっかけである。 そもそも私は飲み会はあまり好きではないのだ。私がお酒を飲む時は、本当に仲のいい仲間と飲むときくらいである。もちろん、大人の方がいらっしゃる時は飲まなければならないのだが。同じ年同士で飲むのはその時くらいだ。今日もお酒を飲むか迷っているところだ。お酒を飲まなかったら周りの友達から、「何で飲まないのか」と罵声を浴びせられる。まあ、それはそれでいいのだが。楽しめれば何でもいい気もする。飲み過ぎには注意をしたい。
 働き始めたら上司やお客さんと飲み会ばかりの生活になるのだろうか。そう思えば億劫になってくる。どうしてそこまでお酒を飲むのかがわからない。お酒を飲めば楽しくなるのもわかるが、お酒を飲まなければ楽しくないのかと言ったらそうも言えない。お酒を飲まなくとも楽しいはずである。お酒に頼らずとも、本音を言えるようにするのも大切である。私もなかなか本音を言えない性格でもあるが、お酒には頼りたくないものだ。お酒に操られるのはまっぴらごめんである。自分の意思で本音を言えるようにしたい。
 それでは少し早いが、出かける準備でもしようか。

2011年12月2日金曜日

一斉エントリー開始

昨日は就活のエントリーが一斉に開始されたので、昨日それをやっていてブログを更新できなかった。申し訳ない。マイナビやリクナビのホームページを開いてみても回線がパンクしているのかなかなかスムーズに進まなかった。仕方のないことだが。

 さあ、昨日から12月となった。今年もあと1カ月だ。時間よ、止まってくれと言いたいところだが、時間は待ってはくれない。やるべきことを一つずつこなしていこう。焦っても仕方がない。常に楽しく有意義な時間を過ごせるようにしたい。



  私も早速昨日数社エントリーをしたのだが、一体どこの企業にエントリーをすればいいのかわからない。企業研究もほとんどしていなかったため、今頃困るようになってしまった。とりあえず昨日は誰もが知っている大手の企業にエントリーをしておいた。採用校を見てみると難関大学ばかり。これを見るとうんざりしてしまうのだが、そんなことを言っていたらどこへも行けるはずがない。それは気にせずにエントリーをした。
 周りの人も履歴書を書いたり、面接の練習をしていたり、自己分析をしていたり、ともう取り組み始めている。私は全くと言っていいほど何もしていない。やらない私が悪いのだが、周りを見ているとやはり少し焦りを感じてしまう。私もエンジンをかけなければならない。スタートから手遅れてしまってはいけない。

 今思えばもう就活という感じである。時が流れるのは早い。入学時はまだまだ先のこととして考えていた。3年生になった時でも、まだまだ大丈夫という思いであった。しかし、気が付けば12月になっていて、エントリーが開始されている。おそらく気が付けば卒業しているのだろう。人生ってそんなものかもしれない。先は長いように見えて、気が付けばもうその時になっている。振り返ればあっという間。そういう不思議な時間の流れが人生なのかもしれない。先が長いように見えてしまうので、まだ大丈夫、まだやらなくていい、と思ってしまう。それではいけない。今やるべきことが必ずあるはずだ。一日一日を大切にし、やるべきことをきっちりこなし、そういう人がチャンスをものにしていくのだろう。やるなら今しかない。そう、やるなら今しかないんだ。

2011年11月30日水曜日

紅白出場決定

今日で11月も終わりである。明日からは12月か。今年ももう少しで終わろうとしているが、やり残すことがないようにしたい。
 今日の青森は夜から急に寒くなってきて、今は雪が降っている。しばらく寒さが続きそうである。


 嬉しくも長渕剛が紅白出場決定となった。8年ぶり3回目である。私が彼を好きになったのも2003年の紅白で「しあわせになろうよ」を聴いたときからだ。このことは何度かのブログでも紹介しているが。彼と紅白で再会できるのは嬉しいこと限りなし。コンサートには今まで9回参戦しているが、今回はまた違った気持ちで会うことができる。AKB48や嵐もいいが、長渕剛も是非ご覧いただきたい。
 ということで、今日はそれほど書くことがないので、「しあわせになろうよ」の歌詞を紹介しておこう。


  出会った頃の二人に
  も一度戻ってみよう
  そして二人で手をつなぎ
  しあわせになろうよ

  海の広さに負けないように
  輝しい太陽をにらんでみた
  ずぶぬれの僕は魚になり
  あの島まで泳いでいった

  緑の大地で鳥が鳴いた
  君は両手を広げ空を飛んだ
  星空をみあげ夢をかなえた
  月の光で歌をうたった

  初めて出会った場所に
  も一度戻ってみよう
  そして青い空に抱かれ
  しあわせになろうよ

  しあわせになろうよ


 ぜひ聴いていただきたい。

2011年11月29日火曜日

バイト日程決定

今日の青森は雨であったがそれほど寒くはなかった。明日からは寒くなりそうである。


 11月も明日で終りである。ということは今年もあと1カ月ということになる。あっという間に1年がたってしまう。うたうたしている時間はないのだが、なかなか体が動かないのも問題である。
 バイト先から電話がかかってき、冬休みの日程が決まったそうだ。今回は小学生だけで、26日から4日間行われる。23日までこちらで授業があるので、バタバタしながら急いで帰ることになるだろう。忙しい方が私には性にあっている。その方が一日一日を大切にしようとする。なぜかわからないが大阪にいる方が毎日忙しいのだ。バイトもあるが遊ぶのにも忙しいかもしれない(笑)。やはり帰った時は友達と会いたくなるものだ。もちろん時間が合わず会えないときもあるが、友達と会うことも大切なひと時である。
 何度も言っていることだが、大阪に帰る日が近づいてくるにつれてうれしくなる。もちろん青森と離れるのもさびしい気持ちもあるが、帰れるうれしさや安心感がある。3年前、私が大阪を離れるときは夢や希望よりも不安や迷いの方が強かった。おそらくそのせいもあるだろう。遠いので尚更うれしくなるのかもしれない。遠いといっても最近はそこまで遠いとも感じなくなってきたが。何度も行き来していると感覚がマヒしてしまう。本州の最北端から西日本に行くのだから、まあほんの少しの長旅かな。あと1カ月頑張っていきたい。

2011年11月28日月曜日

長渕剛紅白出場か

今日はそれほど寒くはなく、夕方から少し雨が降ってきたが、それまでは過ごしやすい天候であった。
 今昨日購入したiPhoneの練習中である。使いこなせるまでには時間がかかりそうである。今週中には大体は使えるようにしておきたい。


 新しい大阪市長が誕生した。以前は大阪府知事をしていた橋本氏である。大阪都構想をめぐって前市長の平松氏と激戦を繰り広げてきた。今回の市長選挙も平松氏VS橋本氏が注目され、結局橋本氏が勝利した。私としては平松氏を応援していたのだが、その思いは伝わらなかった。そこまで知識がないので、大阪都構想のメリットやデメリットなどあまり分からないが、おおむね期待はしていない。大阪がつぶれてしまうのではないかと心配しているくらいである。以前のブログでも書いたことだが、大阪の教育も橋本氏のおかげで堕落の一途をたどっている。大阪の教育は崩壊していくことだろう。大阪の将来が危うくなってきた。



 嬉しいニュースだ。私の好きな歌手、長渕剛が紅白出場が濃厚になったらしい。ヤフーニュースで出ていたのだが、長渕サイドも前向きだという。今年の紅白は震災がテーマで、長渕剛は約半年にわたってラジオ放送を行い、被災された方々と連絡を取り合ってきた。もちろん私もこのラジオを毎週聞いていた。その前に被災地へラジオ1万台を送っている。そして被災地へ行き、避難所や自衛隊を訪問した。そして2回目の被災地訪問で、復興ソング第一弾「TRY AGAIN for JAPAN」を被災された方々や子供たち、有志のコーラス隊ら約1000人でこの唄を合唱した。そして8月には福島に住む子供たちを長渕の故郷鹿児島に招待し、触れあった。
 一生支援すると掲げた長渕にNHKは共感したのだろう。その他のアーティストも様々な活動を行っているが、長渕ほど活動しているのは見たことがない。もちろん私は長渕が好きだから言っているのだが、「さすが我らが長渕剛!!」という感じである。長渕剛と出会ったのが2003年の紅白歌合戦であった。8年ぶりに紅白で再開するということになる。そう思えばうれしい限りだ。私もファンになって8年が経過したということだ。もうそんなに経つのか。年末が待ち遠しくなってきた。

2011年11月27日日曜日

iPhone4購入までの道のり

昨日の続きとなるが、今日iPhone4を買いに行ったのだ。しかし、それまでの道のりが長かった。天気予報通り、雨であった。バスで行こうと思ったが、交通費がもったいない。電気屋さんがあるところまで行くと350円くらいする。最近バスに乗らないので正確な値段は忘れてしまったが。往復となれば700円する。700円あれば本や雑誌を買うことができる。どうせiPhoneを買っても使い方がわからないので、そのガイドブックみたいなものが必要だろうと思い、その交通費をそちらに回すことにした。昨日見に行った時は、お金を持っていなかったので、郵貯からお金を下ろさなければならなかった。電気屋さんまでの道のりの途中に郵便局があったので、そこで下ろそうと思って向かったのだが、閉っている。いや、休日なので郵便局は閉っているのはわかっていたが、郵貯のATMまでしまっているとは思ってもみなかった。次に郵貯があるのはその電気屋さんを超えてさらに歩かなければならなかった。電気屋さんまで徒歩でだいたい1時間くらいかかる。かなり遠回りをしてやっとのことでお金を下ろすことができた。そしてまた来た道を戻り、電気屋さんへ向かった。
 昨日の話では、iPhone4かiPhone4Sにするかで迷っていたのだが、昨日家に帰って考えているうちに、iPhone4でいいかと思うようになった。どうせ次から次へと新しいのが出る。4と4Sはそれほど変わりないというので、それでは来年新しいのが出ると言われているのを待とうと思い、今回は安い方にすることにした。本体価格は23,520円で、基本使用料やその他の料金を合わせて1カ月に支払うお金は4,725円だ。本体価格は今日一括で支払った。8GBで一番容量の少ないものだ。4Sでは、16GB、32GB、64GBとあるのだが、16GBの本体価格は46,080円する。今はそれほどお金がなかったので、一番安いものにし、次に出た新しいのは良いものにしようと思った。とりあえず今回は安上がりな方にしておいた。
 今まで自分で携帯電話を買ったことがなかった。いつも兄や親に任せっぱなしで、自分の好きな機種を選ぶだけでその他の手続きなどはしたことがなかった。しかし、今回自分でやってみたが、意外と簡単だった(笑)。任せっぱなしはよくないと改めて感じた。
 私の家族は全員ドコモなので、家族への電話やメールはドコモで、インターネットやソフトバンク通しのメールや電話はiPhoneでする。ドコモを貫き通す家族なので、私が勝手にソフトバンクのものを使うことになってしまった。このことは母以外誰も知らない。兄にばれたら怒られるかもしれない(笑)。私が大阪に帰った時は確実にばれるだろう。その前に報告しておいた方がいいのかな。うーん、このことについてももう少し考えよう(笑)。
 帰りももちろん徒歩で、土砂降りの雨の中を約1時間かけて下宿にたどり着いた。靴やズボンがびしょびしょである。長い道のりであった(笑)。

2011年11月26日土曜日

スマートフォンを見に行く

今日の午前中は部屋の掃除をし、午後から買い物に出かけることにした。まだ雪は残っているが、道のなかほどは解けていたので自転車でも大丈夫であった。駅前まで行き、また本屋で1時間ほど時間をつぶした。しかし、本屋に行くのはかなり久しぶりのような気がする。先週の休日は二日とも雨で、部屋にこもっていたからだ。その後はパンを買ったり食品を買ったりお菓子を買ったりした。
 もう少しで就活が始まるので、スマートフォンがほしいと思っているので、それを見に行った。私はドコモを使用しているが、ドコモのスマートフォンはほしいとは思わない。エクスぺリアやギャラクシーなどが代表だが、ギャラクシーは兄が使っていて同じのは持ちたくない。私がほしいのはアイフォーンだ。アイフォーンはソフトバンクかauのどちらか。私はソフトバンクにしようと思っている。スマートフォンを買おうと思う前は、アイパッドを買おうと思ったが、そのアイパッドの位置づけが微妙であった。しかも少し大きいので、少し不便かと。ノートパソコンで持ち運びに便利なものにしようとも考えた。最近はとても薄く、軽いのが出ているので。しかし、これこそ大きいので、いざという時に使うのが不便ではないかと思った。それならば残るはスマートフォンしかない。そしてアイフォーンを見に行ったのだが、入荷待ちで2,3週間しないと入ってこないそうだ。来週から12月に入り、一成エントリーが開始される。それまでにほしい。もっと早く買いに来ておけばよかったと反省した。アイフォーン4Sは入荷待ちだが、アイフォーン4はすぐに手に入ると言う。4は4Sの一つ前の機種なので、値段も安い。しかし、どうせ買うなら最新のものを買いたい。しかし、安いのも見逃せない。4と4Sはあまり変わらないと言うが、最新のが良い。4Sの在庫があればそれにしたのだが、もう少し考えるということで、今日は買うのをやめておいた。どちらにしようか。うーん、迷うところだ。

2011年11月25日金曜日

はみ出してみる勇気

今日も寒い一日となった。吹雪くとは言っていたが、それほどでもなかった。でも寒かった。

 明日、明後日の休日はレポート課題をやらなければならない。3つほどあり、期限はもう少し先なのだが、いつもギリギリなので早めに終わらせておきたい。



東京、銀座
 『出る杭は打たれる』。ちょっと他人と違う行動をとる者。異色の才を持った者。彼らを異端とみなし、頭を押さえつけおしなべて他者と同様の世界を強要する。単一民族国家を気取るこの国では、とりわけその傾向が強いようだ。それは私が日本しか知らないだけなのかもしれないが、私はそう感じる。
 幼いころに通っていた塾でのことだ。皆に一枚の紙が配られ、この紙のどこかに自分の名前を記入しろとのこと。塾講師は回収した紙を批評する。左下に立てで記入してあれば「習字っぽくて可憐さを感じる」。右上に横で記入してあれば「手紙っぽくて落ち着いた雰囲気がある」。といった具合に次々と饒舌に評価を下していく。しかし、私の番になると態度が変わった。紙を頭上に掲げ、指をさし、「いいか、こういうのがバカっていうんだ」。と笑い者にした。私は用紙全体に極太マジックで、はみ出さんばかりに大きく、名前を書き込んでいたのだ。
 周囲とは多少違うだけで異端であると判断される。いや、実際そうだったのだろう。多少自覚もあった。あれから10余年。「自分らしく生きろ」という大人たちから「もっと落ち着きなさい」と論されて、すっかり常識とやらに支配されてしまった。全く彼らは個性を持たせたいのか、潰したいのか。
 常識にかぶれ、異端を嫌うもの。彼らもまた周囲とは違う他者である矛盾に滑稽さを感じる。アインシュタインによると、常識とは「18歳までに身につけた偏見」らしい。個々の常識ですら偏見の塊だと言うのだ。偏見の塊が常識なのであれば、『出る杭を打つ』行為は己の偏見を他者に押し付けることと同義である。
 もし、今の世界に閉塞感を覚えるならば、他者が押しつけてくる偏見を拒絶すればいい。かつて大人たちから聞いた「自分らしく」ではないが、己の偏見を信じてはみ出してみるのも一興だ。嫌々他者の偏見を受け入れ、ちょっと出た杭が一番しんどい。

2011年11月24日木曜日

次の活動へ

今日の青森は朝は雨が降っていたが、昼から夕方にかけては晴れて、夜になると急に寒くなり、雪が降り出した。明日は吹雪くらしい。また寒くなりそうだ。
 そういえば、水曜日の朝5時くらいに自転車で長い坂を上っていたら、ペダルだけが回り、タイヤが前に進まない現象が起きたのだ。壊れてしまったかな、と思ったが、そうでもないのだ。道路が凍ってしまって、タイヤがスリップしていたのだ。初めての体験だったので驚いてしまった。今思えばかなり危ない行為であった。その数十分前には、またどおろが凍っていて自転車に乗っていたのだが、滑ってこけてしまったのだ。恥ずかしい、というか危ない。こけた時に周りを見渡して、誰もいないことを確認した(笑)。路面が凍結して運転するのは危ないので、注意して運転してもらいたい。


 先日、広島などで強い地震が起きたが、今日は北海道でまた強い地震が起きた。今年は地震が多い年である。再び大震災が起きないことを願う。


 ボランティアの件だが、これからの活動についてメンバーで話し合った。それぞれこれから何をしていくか考えてきてくれた。良い意見がたくさん出たのだが私がやりたいと思ったのは、この団体だからこそできることである。それらの意見の中にも既存の活動が多々あった。もちろんそれらの活動を我々の団体が推奨していくのも大切である。しかし、私たちは貴重な時間を割いて活動をしている。私はいつもこう考えてしまう。「せっかくやるのだから」と。
 我々だからこそできることは何かを考えるのは難しい。というか私がこの団体を立ち上げた時から前例のない中を歩んできた。そしてこれからも新しい道を切り拓いて行くことだろう。既存のものより、何か新しいことを生み出すのはとてつもなく労力を要するが、やりがいがあり有意義である。成功するか失敗するかそれはわからない。しかし、「挑戦」したことに違いはない。社会に出て失敗はなかなか許されることではないが、学生ならまだ許せるところも多いだろう。失敗を恐れずにどんどん挑戦していけたらと思う。
 私が実質活動できるのは限られている。就職活動も始まる。次へバトンを渡す日は近い。立派な城を建てる前に、石垣だけはしっかりと崩れないように積んでおきたい。私の最低限の役目はそれだ。自分で言うのもなんだが、私たちは今何かに挑戦し、立ち向かおうとしている。あることが終わればまた次を考えなくてはならない。これの繰り返しだ。次の活動に向けて歩き出した。

2011年11月23日水曜日

大阪弁

今日の青森は晴れて、少し暖かかった。雪が少しずつ解け始めたのだが、結構積もっていたのですべて解けるには時間がかかるだろう。しかし、明日はまた寒くなり雨や雪が降るそうだ。来週には晴れそうだが。



  ボランティアの報告会を午後から2回行う予定だったので、その準備をしていたが、2回とも誰も来なかった。この前と同じである。来ないかもしれないということは覚悟していたが、その通りになってしまった。もう少し宣伝の仕方を考えることにしよう。この前は模造紙でボランティアに参加する学生がたくさんいて、今回も模造紙を使ったのだが駄目であった。さあ、次はどうやって宣伝しようか。


 今日友達が大阪に遊びに行った。日曜日に帰って来るらしい。昨日大阪の観光スポットをいろいろと教えていたのだが、あまり理解できていないらしく、どこがどこだかわからないと言っていた(笑)。それもそうだろう。知らない場所のことをあれやこれや言われてもわかるはずがない。最終的にはとりあえず楽しんでこいという話で終わった。大阪で遊ぶところと言えば、梅田か難波かUSJくらいであろう。私は大阪で生まれ育ったので、その風景が当たり前なので、面白いという感覚はない。それが当たり前という感じだ。大阪に遊びに行く人にはどう映っているのだろうか。その友達は高校の時に修学旅行で大阪に行ったことがあるそうだが、大阪弁が苦手だったらしい、怒られているように聞こえるのだそうだ。言いかえればきついということなのだろう。決して怒っているわけではないのだが。他の友達によれば、大阪弁は言い方が悪いという。もっと他に言い方があるだろうと感じるのだそうだ。本音をズバズバと言っているのだろう。遠まわしに言わず、中途半端な言い方をしないのが大阪弁かもしれない。わかるような気もするが。しかし、これが大阪の文化である。こういう一面があるのだなということを楽しんでもらいたい。大阪は癖のある街かもしれないが、楽しいこともたくさんあるはずである。

2011年11月22日火曜日

3年前の手紙

今日の青森は晴れたのだが、雪が積もったままである。昨日急いで冬用の靴をクローゼットから出したのだ。去年はこれほど積もっただろうか。全く記憶にないが、とにかく冬が来てしまったようだ。寒い寒い(笑)。



青森観光物産店アスパムから見た景色
 昨日引き出しの整理をしていたら懐かしい置手紙が出てきた。それ母からのである。私が初めてここ青森に来た時に、入学式で母もいて、その次の日くらいに母が大阪に戻ったのだが、私はオリエンテーションで学校に行かなければならなかったので、見送りには行けなかったのだ。私の部屋に母を残して私は学校へ行ってしまった。そして帰ってきたときにその手紙が置いてあったのだ。手紙と言っても私が計算用紙として使っている紙を4枚ほど書いていた。その内容というのは、トイレのことや、水道水のこと、風呂の掃除の仕方、自転車のこと、転出届のことなど、当時何をしたらいいのか全く分からなかった私だったので、その手紙がどれほどありがたかったことか。そして一万円もその手紙と一緒に置いてあった。教科書用、食品、日用品に使って下さいと書いてあった。昔の手紙というのに涙が流れてしまった。そして私へのメッセージ。あの時の気持ちがよみがえってくる。母が来てくれるまでは、部屋が散らかっていて辛うじて寝るところだけは確保していた状態である。全く知らない場所へ来て、友達も一人もいない、何をしたらいいのかもわからない。初めて来た時は3日間は夜一人で泣いていた。あの時のことは今でも鮮明に覚えている。寂しかった。あれほど寂しかったのは生まれて初めてであった。本当に懐かしい。3年近く前の話である。そういえば私が学校から帰ってきたときにこの手紙を見つけて読んだ時も泣いていたような気がする。そして昨日も改めて読んで泣いた。泣いてばかりで、ちっとも成長していない。まったくあの時のままだ。でも、あの時に気持は何年たっても忘れることはないだろう。不安しかなかった時に、やはり助けてくれたのは私の母であった。母の存在はとてつもなく偉大である。そして母の愛が何よりも優しく強いものなのだ。その手紙を読みながら改めてそう感じた。もう少し成長しなければ(笑)。

2011年11月21日月曜日

雪の中を3往復

  今日の青森は雪。それも吹雪である。11月なのにもう吹雪いている。今日の青森の最高気温は3℃である。雪は積もるは、寒いは、で大変な一日であった。さらによりによって今日は下宿大学間を3往復もした。1往復目は授業が終わって昼ご飯を食べるために下宿へ戻り、再び授業で大学へ。本当はその時にパソコンを持って行く予定だったのだが、私のパソコンのパワーポインターが使えなくなってしまったのだ。プロダクトキーがわからないとかで。後でわかったことだが、パソコンを購入時にこのプロダクトキーを入力しておかなければならなかったのだが、ずっとほったらかしにしていたので、そのつけが今日回ってきたのだ。今週の水曜日にボランティアの報告会があるので、そのためのパワーポインターを作ろうと思ったのだが、使えなかったのだ。焦ったが、友人に助けを求めた。私は授業があったので、友人に解決しておいてほしいと頼み、私は大学へ。帰ってきたときはまだ奮闘中であった。購入時に私のパソコンが入っていた箱の中にそのプロダクトキーが書いてあったので、それを入力したら問題は解決した。友人に感謝である。そしてそのパソコンを持って再び大学へ。大学でパワーポインターのチェックをしてもらった。雪の中を3往復するのはかなりきつい。寒過ぎる。大変な一日であった。



 今週大阪に行く友達と図書館でばったり会ったので、大阪の地下鉄と私鉄やJRの路線が載ってある小さな紙を渡した。メモ帳とかについているあれだ。地下鉄は必ず乗っているのだが、私鉄も載っているのはそれほどない。ちゃんと返してくれよ、と催促しておいた(笑)。東京の人は大阪の地下鉄はわかりにくいという。反対に私は東京の地下鉄はわかりにくい。東京は都営地下鉄とメトロがある。その違いがわからなかった時は、都営の切符でメトロに乗ろうとして改札のブザーが鳴ったのを思い出す。大阪は市営地下鉄だけだ。大阪の市営地下鉄は東京の地下鉄に比べて運賃が高い。大阪で一番安い切符は200円だが、東京では120円だ。この差は大きい。大阪も安くなる日を待ち望んでいる。その話は置いといて、その友達には大阪の旅を楽しんでほしい。電車に乗って乗り過ごしたりするのもまたおもしろいかもしれない。後で笑い話になる。その時はどうしようと必死だと思うが(笑)。とりあえず、「大阪」を楽しんでほしい。大阪の良いところ、悪いところを教えてもらおう。

2011年11月20日日曜日

スポーツの本質

予報通り、青森は朝から雨が降った。少し止んだ時間があったがほぼ一日中雨であった。今日もどこへも行かなかった。二日とも部屋の中にいるというのは何とも息が詰まってしまう。仕方がないが。高い交通費を払って外に出ようとは思わない。雪が積もればますますどこへも行けなくなるだろう。嫌な季節がやってきた。


 
広島にて
 スポーツの語源は、ラテン語の動詞“deportare” であるとされている。これは「気晴らしする、遊ぶ、楽しむ」という意味にあたる。現在でも英語の“sport” の動詞形には「遊ぶ」という意味が含まれているが、これはその名残なのだろう。スポーツとはつまり、真剣勝負の遊びだと言えるのではないだろうか。
 印象に残っている場面がある。シドニーオリンピック女子マラソン、高橋尚子選手が一位でゴールした場面だ。過酷なレースを終えた直後にはとても見えない。「とても楽しい42.195キロでした。」満面の笑顔で語る高橋選手は、本当に楽しそうに見えた。心からは知ることを楽しんでいるのだと感じさせられる場面だった。
 人はなぜスポーツに興じるのか。スポーツは、決して必要不可欠なものではない。その始まりは、単なる遊びに過ぎないのだ。苦しい練習も、辛い敗戦も、時にはあるだろう。それでもなお人がスポーツに打ち込むのはなぜか。それは、その先にある楽しみを味わうためではないだろうか。競技に向きあい、自分なりに考え、徹底的に打ち込む。己の心身に磨きをかけ、ベストを尽くす。その努力が報われたとき、そこには大いなる達成感、喜びが待ち受けているはずだ。
 勝利を目指すことは、スポーツの目的の一つである。しかし、勝つことがすべてではない。競技を好きだと、楽しいと思える気持。ベストを尽くそうと努力する姿。そこにスポーツの本質があるのではないか。

2011年11月19日土曜日

平等な出席点を

今日の青森は予報通り、雨となった。授業があったので、傘をさして大学へ行くのは面倒であった。しかし、それほど寒くなかったのでそれだけでも救いである。土曜日は買い物などをする日なのだが、この天気では行けそうもなかった。明日も雨の予報なので、この連休は部屋でじっとしていることになるだろう。仕方がないが。用事を思い出したときに、どこへも行けないのだが残念である。
 今日の授業もほとんど寝てしまったが、遺跡の授業なのだが、世界遺産を見るために海外へ行く予定はありますか、という質問に対して、40%の人が行く予定があると答えているそうだ。私もそのうちの一人である。もちろん世界遺産を見たいところはたくさんある。アメリカのグランドキャニオン、エジプトのピラミッド、イタリアのコロセウム、・・・などなど。死ぬまでにすべては回りきれないだろう。なんともったいない。どうせならすべてを見て死にたいものだ。今日の授業で聞いたところといえばこれくらいだ。いかんいかん。

 授業でカードを機械に通して出席を取っているのだが、いつもなら授業の終わりにカードを通すのだが、今日は授業の始まりと終わりにカードを通すように指示された。カードを通して帰る学生がいるからそのためであろう。授業の初めにカードを通す機械を置いたら、カードを通して帰ってしまう。授業の終わりに機械を置いたらカードを通すだけために学生が教室に来る。それを防ぐためであろう。確かにちゃんと授業に出席して授業を聞いている学生と、カードだけを通して帰る学生の出席点が同じなのは不公平である。もう少し正確な出席をカウントする方法はないのだろうか。今日みたいに授業の初めと終わりにカードを通すというにはなかなかいいアイデアだ。出席を確認する教授が大変だろうが。学生が不公平にならないような方法が一番いい。

2011年11月18日金曜日

友達が大阪へ

昨日は外出していて、更新できなかった。申し訳ない。


 今日の青森は晴れて、寒かったが、気持ちのいい日となった。しかし、授業やサークル代表委員会の集まりがあったりして、外に行くことができなかったのが残念である。休日は雨の予報である。そこまで寒くはならないそうだが、雨はうっとうしい。


大阪、天満橋
 友人が来週大阪に遊びに行くそうだ。大阪か。私のホームタウンではないか。一緒に行って、街を案内したいのだが、そうもいきそうにない。12月に東京で合同企業説明会があるので、それに参加しようと思っているので、お金を貯めておかなければならない、残念である。
 大阪はとても楽しい場所だと思う。幸福度ランキングでは最下位であったが(笑)。私は最下位だと思っていない。むしろ素晴らしい街だ。しかし、その裏側で犯罪が多いのは確かである。ここ青森にいる感覚で大阪を歩くのは危険である。すりやひったくり、置き引きなど日常茶飯事である。電車内では痴漢の危険もある。あと変な人に絡まれることだ。声をかけてきたらきっぱり断らなければ執拗に迫ってくる。大阪で楽しむには犯罪に注意して街を歩くことが大切である。
 大阪のことを書いていると帰りたくなってきたではないか。青森は寒いし、今すぐにでも大阪に行きたい気分である。ここにずっといると、やはりここの空気に流されてしまいそうなのが私には嫌で仕方がない。あの大阪の活気を忘れてはならない。ガツガツ行かなければ。遠慮なんかしてられない。その友達には大阪の旅を楽しんできてもらいたい。

2011年11月16日水曜日

信じること

今日は授業がなかったので一日部屋で待機した。というのも今日も青森は雪であったからだ。しかもかなり寒そうである。下宿の廊下を歩くだけでも寒い。どこへも行く気がしなかったのだ。木曜日、金曜日、土曜日は授業なので、雪は勘弁してほしい。降らないことを祈ろう。
 部屋を片付けていたら、ここもやろう、ここもやろうと思ってしまい、一体どこまで片付ければいいのかわからなくなってしまった。いったんは終了したのだが、やっぱりここもと思って始めてしまったのだ。一体どこまでやればいいのだろう(笑)。区切りをつけなければい一生かかりそうだ。最近は片付けしかしていない。他のこともやらなければならない。


 
 最近、人と人との“出会い”について考えることがある。今まで当たり前のように学校へ通い、友達と話をしたり、遊んだり。そして家族との会話。小学校、中学校、高校、そして大学では、当然のように大勢の人が集まり、自然と知り合いや友達になっていく。今考えてみると、これがどれほどすごいことなのか。この世界には70億人もの人が存在している。そして数百の国がある。私は大阪から来た。ここは青森。一年浪人している。今通っている大学に教職課程があるのだが、私が入学した時に開設された。つまり私たちの学年が教職課程第1期生だ。教職課程がなかったら私はここ青森には来ていない。間違いなく教職課程のある大学に進学していた。はるばる大阪からここまでやってきた。そして、この地で多くの出会いがあった。これが当たり前と思ってしまうが、これが一体どれほどの確立なのか。
 “奇跡”という言葉があるが、まさにその言葉通りだと思っている。たまたま日本国に生まれ、たまたま平成元年に生まれ、たまたまこの大学にやってきて・・・・・。そう考えてしまえば、すべてが偶然なのだ。これは“奇跡”としか言いようがないではないか。もしかすると、この世で最も奇跡的なことは、人と人との“出会い”なのかもしれない。
 今までたくさんの出会いがあり、そしてこれからもたくさんの出会いがあるだろう。良い出会いも悪い出会いもあった。嫌いな奴もたくさんいる。もちろん好きな人もたくさんいる。良い出会いであろうが、悪い出会いであろうが、それは何かの縁があったから。
 好きな人から裏切られたこともある。それは悲しくて、切なくて、辛くて、苦しくて。今まで信じていたのに、ころっと手のひらを返すように。何がいけなかったのか、どうしてこんなことになってしまったのか・・・。答えはわからない。人を信じるということは裏切られることより辛いことなのかもしれない。人を信じるということは難しいことだ。なぜならその向こうに“裏切り”が潜んでいるかもしれないからだ。それならば人を信じるふりをしながら人と接しようか。それならば裏切られた時はショックも何もない。悲しみも何も。でも、それは決して楽しいものではないような気がする。なんてつまらない人生だろうか。そう思ってしまう。
 本当に大切な人と出会ったとき、この人なら信じれる、そう思う時がある。でもそんな時の裏切りがとてつもなく悲しみにひれ伏してしまう。奈落のどん底にたたき落とされる。しかし、本当に大切な人と出会ったら、私はいとまず信じてみたい。すべてを信じてみたい。何故なら本当に大切な人と思えるからだ。家族や親友、恋人、恩師などと“出会い”の中でも特別な出会いがある。その特別な“出会い”ならば私は何も迷わない。裏切られるのは怖い。怖くて怖くてたまらない。でも、疑いながらその特別な人と接するのは、それは決して特別な人ではないのではないか。特別な人だからこそ、すべてを信じ、すべてをささげる。「信頼」という言葉に虫唾が走るときもあった。でも信じることは本当に素晴らしいことだと思う。一人じゃない。信じることのできる人がたった一人でもいい。そばにいてくれたらどれほどうれしく、どれほど頼もしいことか。この人さえいてくれれば、と。
 “出会い”とは奇跡だ。さらに特別な“出会い”は生きてる間に何度もない。そんな“出会い”を私は大切にしたい。そして信じてみたい。どんなに辛くて悲しいことが待ち受けていようとも、私は信じる。もう一度言おう。なぜならば、それは大切な人だからだ。信じるというのは本当に素晴らしいことである。

2011年11月15日火曜日

雪降る青森

昨日体調を崩したが、今日8割がた治っていた。やや頭痛とお腹の調子が少し悪いくらいで、体のだるさは全くない。お腹の調子が悪いといってもほとんど何もない。やはり病気は気持ち次第だ。気持ちだけでも元気でいれば病気も吹っ飛んでくれる。よかったよかった。明日は完璧に治っているだろう。

 今日青森では雪が降った。少し積もるくらい降っている。しかもかなり寒くなった。本当に冬がやってきてしまった。勘弁してほしいものだ。まだ11月ではないか。そんなに急がなくてもと言いたいところだが、誰に言ったらいいのかわからない。とにかく今日は寒い一日だった。風邪をひいている人も多そうだ。私は辛うじて回避したが。再び体調を崩さないようにしたい。



 就職ガイダンスがあったのだが、最近は就職就職とそればかりが耳に入ってくる。12月まであと2週間である。もう就職という言葉は聞きたくない。この現実から逃げてしまいたいだけなのだが。日本では新卒採用がほとんどだ。転職するのはなかなか難しい。海外はそれほど難しいことではないのだが。大学を卒業をして、就職しなければすべてがだめになってしまうみたいだ。この日本にまかり通っているこの考え方が大嫌いである。ユーラシアタイル区を横断したノンフィクション作家の沢木耕太郎氏も言っていたことだ。日本の制度が変わるのを待っているわけにはいかないので、就活は真剣にやる。当たり前だが。日本は少し硬過ぎるのではないか。これでないといけない、こうでなければだめだ、と。もう少し海外の制度も参考にしてほしいものだ。

2011年11月14日月曜日

体調崩す

青森駅前にあるAファクトリー
 体調を崩してしまったかもしれない。昨日の23時ごろ、急に体がだるくなってきて、頭痛がして、悪寒がするようになった。大変だと思い、すぐに寝る準備を。本当に急に具合が悪くなった。これほど急にきたのは初めてかもしれない。昨日はふるえながら布団にくるまって眠った。夜中に起きることはめったにないのに、昨日は3回も起きてしまった。起きるたびに水分補給をしようと思い、お茶を飲んだ。今も体がだるいし、お腹の調子が悪い。明日中に完治してみせる。気持ちで負けてしまったら風がひどくなってしまう。気持ちだけでも元気いっぱいでいたい。体調を崩している時間はない。早く治そう。


 先日ボランティアに行ってきたが、その報告会を行おうと思い、行ってきたメンバーで集まって、いつ報告会をするか、どのように進めるかなど簡単に決めてきた。また集まらなければならないのだが、どうにかなりそうだ。やはり今の被災地の状況を伝えるのは大切である。少しでも震災のことを考えてもらいたい。被災していない私が言うのもおかしな話だが、復興にはまだまだ時間がかかる。それを一人でも多くの人に知ってもらいたい。この前の報告会は一人も来てくれなかったので、今回は少しでも多くの人に来てもらいたい。



 明日は青森では雪が降る予報が出ている。もう雪が降るのかという感じだ。雪が降れば自転車にも乗れなくなる。どこへも行けなくなるではないか。バスはあるのだが、交通費が高いのだ。駅前まで行くと片道500円もする。なぜそんなに高いのか。大阪から京都まで私鉄を利用しても400円で行けるのに。往復1000円は高すぎる。1000円交通費に出すなら他のことに使いたいものだ。雪はもう少し待ってくれないだろうか。青森でこの要求は不可能だろう。

2011年11月13日日曜日

本の紹介

京都、平安神宮
 今日起きたのが12時を過ぎていた。友達が起こしに来たのだが、この時間にびっくりした。一昨日寝ていなかったからか、目覚まし時計が鳴ったのさえ覚えていない。今日は仕方がないか。授業がなくてよかった。
 どこへも行く予定がなかったので、昼から部屋の掃除をした。大分部屋がきれいになった。よかったよかった。とりあえず、誰が来ても大丈夫だ。しばらくするとまた散らかってくるのだが。



 金曜日に、東京の友達から電話がかかってきたのだが、どんな本を読んだか教えてほしいとのことだったので、最近というか今年読んだ本をとりあえずここに書いておきたい。過去のブログで紹介したのももう一度紹介する。

『深夜特急1~6』 沢木耕太郎
『旅する力 -深夜特急ノート-』 沢木耕太郎
『明日のマーチ』 石田衣良
『約束』 石田衣良
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』 岩崎夏海
『私にできることは何だろう』 地球市民村
『17歳のための世界と日本の見方』 松岡正剛
『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』 リリー・フランキー
『卒業』 重松清
『人間失格』 太宰治

 とりあえずこのくらいにしておく。今読んでいる本が、太宰治の『津軽』だ。ここ青森にいるので、これだけは読んでおこうと思った。本はたくさん読まなければならない。まだまだ少ない。高校の担任の先生に言われたことだが、「学生時代に1トンの本を読め」と。まだまだ500キロも読んでいない。やることたくさんだ。遊びも勉強もすべてやる必要がある。この学生時代にすべてをやっておこう。

2011年11月12日土曜日

「過去のもの」ではない震災

昨日は更新できなかった。申し訳ない。


 日本はついにTPP参加を表明した。一日遅らせての決定であったが、そうきたかという感じである。発表を一日遅らせると聞いた時は、もしかすると参加しない可能性もあると思ったが、そのまま参加ということになった。日本がこれを機に、良い方向へ向かってくれればいい。



 今日は授業美であった。昨日はほとんど寝なかったので、今日の授業は完全に沈没していた。今日はしょうがない。いつも寝ているような気がするが。
 今日の青森は快晴であった。しかも暖かで、気持ちのいい一日であった。午後からは何も予定はなかったので、せっかく晴れているのだからどこか行こうと思い、自転車で駅前まで走って行った。自転車だと最近は寒いくらいであったが、今日は少し暑いくらいであった。もう少しすれば雪が積もり、自転車で走れなくなるので今のうちに走っておこう。また本屋で時間をつぶし、買い物をした。今日は散歩みたいな感じであったが、とても気分転換になったのでよかった。

 

 昨日はボランティア関係のホープシェアリングというのを行っていた。後輩たちが中心となって企画されたこの集まりは、震災のことをもう一度振り返り、そしてこれから私たちはどうして行くべきなのかというのを話し合うものであった。今回の震災が「過去のもの」として意識されてしまっているのではないかという話もあったが、もしかするとそうなかもしれない。私は5月、8月、11月と被災地へ入っているので、それほど過去のものとしてはとらえていないが、世の中がそうとらえているかもしれない。震災のこともあまりテレビでは報道されなくなったし、義援金集めをしている人も見なくなったし、計画停電もやっていなし、復興は進んでいるととらえられてもおかしくない環境である。私は被災地へ行くたびにまだまだだなというのを感じる。直接行かないとわからないことが多い。確かにこの震災を「過去のもの」としてとらえるのには早すぎる。もう一度あの時のことを思い出し、復興に近付けるようにしなければならないということを再確信した昨日であった。

2011年11月10日木曜日

TPP、どうなる

 以前のブログでも書いたが、ゼミの時間が眠たくて眠たくてしょうがないのだ。今日ゼミの授業があったのだが、頑張って起きて先生の話を聞いていたが、いつの間にか眠ってしまっていた。そして、先生の怒られた(笑)。怒られて当然である。先生のすぐ横で寝ていたのだから。今度からは体調を整えてからゼミの授業に臨みたい。


 今、TPPに参加するかどうかで日本が荒れている。私は正直参加すべきかしないべきかどちらが良いのかわからない。少なくとも野田首相は参加に前向きである。参加すると日本の農業関係の人が困難を強いられる。その対策として何かないのだろうか。その解決策がわからないままである。それを誰か説明してほしい。野田首相はその解決策があるのだろうか。もう少し説明をしてほしいものである。自分で調べようとしない私も悪いが。どうなるのか注目したい。



 今部屋の片づけをしているのだが、モノが多過ぎて片付けられなくて困っている。どこにどうやってしまえばいいのか。片付けてもまた散らかすのはわかっているのだが、とりあえずはきれいにしたい。整理するのは嫌いではないが、とにかくモノが多い。捨てるモノもない。どうしたらいいのか。なかなか前に進まないでいる。今日もこれを書き終わったら片付け作業に入るとしよう。一体いつまで片づけをしなければいけないのか(笑)。

2011年11月9日水曜日

次の旅へ

 今日は授業が休みの日だったので、午後から少し買い物に出かけた。駅前まで行き、本屋で時間をつぶしたりしていた。行くところいえば本屋くらいしかない。その他の買い物を済ませ、下宿に戻った。いつもの見慣れたところばかりしか行くところがないので、もっと他に違うところへ行ってみたいという気分になる。しかし、自転車しかない私には他のところに行くのは不可能に近い。面白いところが見つかるといいのだが。


ニューヨーク近代美術館(MoMA)にて
  本屋へ行くと最近は旅行の本ばかり見ている。1週間で人生が変わる旅であったり、初めての世界一周の旅であったりそんなモノばかりだ。日本では東京の本ばかりを見ている。そういえばこの前ボランティアに行ったときに、東京のO女子大学の物理を教えている先生と出会った。その先生も世界のあらゆるところに行っていて、話がとても面白かった。35歳という若さなのに、どうしたらそこまで経験ができるのか不思議なくらいであった。生きている間にアフリカには絶対行った方が良い、と言っていた。私も行きたいと思っているし、友達も今頃アフリカを旅している頃だ。今どこら辺にいるのだろうか。“長生きをするものは多くを知る。旅をするものはさらに多くを知る。”ということわざか言い伝えか忘れたが、その様な言葉があったのを思い出す。“日本”という狭い国の中でいつまでも居続けるのは息が詰まってしまう。海の向こうにはとてつもなく「大きなモノ」が待ちかまえている。自分のくだらない価値観をぶち壊すのにはちょうどいい。私もアメリカへ行ったが、世界の大きさに圧倒されてしまった。今までどれだけ小さな枠の中で物事を判断していたのだろうか。今最近、よくあんな遠いところへ行ったものだと思ってしまう。距離感がまた大きく感じるようになってしまった。何度も行けば近くに感じるようになる。大阪、青森間は近く感じるようになった。東京、青森間など近過ぎるくらいだ。日帰りでも十分。そんなことはどうでもいいのだが、世界を知ることはどれほど素晴らしいことか。そしてこの国がどれほど小さいか。どれほどつまらない固定観念にとらわれているか。やることがすべて終わったらどこか旅をしに行こう。就職が決まれば日本にいる必要もない。この若い時分に世界を見ておこう。必ず将来につながってくるから。次はどこへ行こうか。

2011年11月8日火曜日

片付け

 ボランティアに行っていたため、休日がなかったので、今日は火曜日だがもう疲れてしまった(笑)。ボランティアに行っている期間はテレビも音楽も読書もパソコンもできなかったので、授業が午前中で終わったので、午後から夕方までパソコンをしたり音楽を聴いたりして時間をつぶした。これで少しすっきりした。部屋が散らかっているので、少し片づけをし、このブログを書き終わったら続きをする。ボランティアでは自分の家ではやったことがないくらいにきれいにしようと思って掃除をしたが、自分の部屋はそこまで片付けようと思わないのはなぜだろうか。力になりたい、あの人のために、そう思えば体が動くのだろうか。自分の部屋もそれくらいきれいにしてみようと思う。いつまでも散らかしたままでは、落ち着きたくても落ち着くことができない。今日と明日できれいにしよう。


 もう11月である。今年もあと2カ月ということになった。信じられない。12月からは就職活動だ。逃げたくても逃げることはできない。就職EXPOが12月から全国で始まるそうだが、それにも参加してみようと思う。正直何から始めたらいいのかわからない。実際に参加してみて、周りの人は今こういうことをしている、というのを肌で感じてみたい。私はお気楽な性格なため、何かに刺激されなければ動かない。この性格も直さなければ。とにもかくにも、戦いは刻一刻と迫っている。
 

大阪城
 先日、大阪の友達からギターが送られてきた。その友達が使っていたギターである。新しいのを買ったのだろうか、ありがたいことにいただいてしまった。私は中学生の時にギターをしていた。音楽の授業でもギターの練習もあったし、中学生の時に長渕剛と出会ったし、ギターの教本と長渕剛のギター弾き語り全曲集の本も買った。家にもギターがあり、練習していたが、いつの間にか練習しなくなていた。受験とかで忙しかったのだろう。久しぶりにギターを触った。懐かしいという感じである。練習しなければギターがもったいない。またギターを始めてみようか。1曲でも弾けるようになればいい。またやることが増えてしまった(笑)。歌を歌うのが下手なので、歌も練習しなければ。

2011年11月7日月曜日

ボランティアとは・・・

 11月2日から6日にかけて宮城県登米市でボランティア活動をしてきた。2日の17時30分に大学を出発し、現地に到着したのが22時少し前くらいであった。その日は説明を受けただけで、そのまま消灯時間。3日は地域の交流会ということで、全員登米市のボランティアセンターで活動した。私の仕事は駐車場の整備ということで、車で来賓される方の車の誘導を行う予定だったのだが、仕事があまりなく、ほとんど何もしなかった。その他にもたこ焼きを焼いたり、バームクーヘンを作ったり、調理をしたり、受付だったり、様々な仕事があった。午前中はキッチンで調理の仕事を手伝った。そして駐車場の整理の仕事はなく、たこ焼きの手伝いをした。一体何個作ったかわからないくらい作り続けていた。本当は地域の方と交流したかったのだが、その日はそういう気分ではなかった。本当にもったいない時間であった。自分でも珍しいと思うくらいである。いつもならいろんな話を聞こうとするのだが、全く体が動かなかった。反省している。
 4日、5日は南三陸町にある中瀬町というところで、ある個人宅の家の掃除を手伝った。この家は1階が津波によって被害を受け、今リフォームしているという。リフォームといっても以前に戻すということだ。薬品を付けた雑巾で壁や天井、柱を拭いたり、家具をきれいにしたり、窓枠をきれいにしたり、掃除機でほこりを吸ったりした。私は窓枠をきれいにすることにした。しかし、これが思ったよりも大変な作業であった。刷毛でごみを払い、洗剤が入った霧吹きをかけてはブラシで磨いて雑巾で拭きとる作業だ。隙間のゴミをとるのが難しい。私は今回窓枠をきれいにすることしかできなかった。しかも二日かけて、ほんの一部の窓枠だけである。それでもそこに住んでおられるおばあちゃんが私に「ありがとう。助かった。」と笑顔で言って下さった。これだけしかできなかったという悔しさとおばあちゃんの笑顔が見られたうれしさが混じった複雑な気持であった。
 人一人を笑顔にすることがどれほど大変で、どれほどうれしいか、改めて実感させられた。ボランティア活動をするたびに、「ボランティアって何だろう」と考える。もちろん被災された方々の力になりたいと思って活動している。しかし、本当にそれだけであろうか。活動をして被災された方々の笑顔を見る。それを見た私も笑顔になり、嬉しい気持ちになる。そこでふと気が付くのだ。ボランティアは人のためでもあり、自分の為でもあるということを。自分のためにやるのはおかしい、間違っているといわれるかもしれない。しかし、ボランティア活動をして、被災された方々から勇気をもらっている紛れもない私がいる。もしかすると自己満足かもしれない。勘違いかもしれない。でも私はボランティアをするたびにそう感じている。ボランティアとは何だろうか。答えは私にもわからない。だからこれからも自分に問い続けていこう。

2011年11月6日日曜日

ボランティアを終えて

 ボランティアから帰ってきた。今回も素晴らしい経験をさせていただいた。しかしその反面、反省しなければならないこともあった。今回の活動については明日書きたいと思う。今は疲れていて休みたい気分だ。申し訳ないが今日はこれくらいにしておきたい。また明日から更新していきたい。

2011年11月1日火曜日

明日からボランティア活動

 そういえば、明日から日曜日までボランティアに行ってくる。なので日曜日までは更新できなくなる。申し訳ない。また帰ってきたらその報告をしたいので覗いてほしい。それでは明日、行ってくる。

特別支援学校見学

 さあ、今日から11月である。もう11月か。本当に早いものだ。年賀状の販売も始まった。クリスマス、年末年始と楽しい季節になるが、今年はどうだろうか。それほど楽しめるほど余裕はないと思うが。でも、楽しめる心の余裕はあるようにしたい。



 今日教職課程の一環で、前にも話をしたが特別支援教育の高校を訪れた。昼からバスに乗り、20分くらいで到着。まずはその高校の紹介をしてもらった。その後、実際に中を案内してもらった。やはり特別支援教育は通常の高校とは違う。クリーニング、家政、工業、農業、窯業、流通・サービスという授業がある。クリーニングは各種のクリーニング機械を使用してシーツやシャツ類などの洗濯やアイロン実習を行う。家政は、ミシンがけによる被服、こぎん刺しによる小物作りなどの実習。工業は、各種電動工具を使用し、木べらやコースターなどの制作実習。農業は、畑や温室を活用し、草花・きのこ・野菜栽培などの実習。窯業は、土粘土を使って、皿や茶碗、置物などを作る実習。流通・サービスは、販売・事務・清掃などの技能を身につける。どの授業もそうなのだが、みんなとても器用に作業をしていた。私がいきなりやってみろと言われたら、絶対にできないものばかりであった。私がたまにやっているアイロンがけでさえ、シャツをきれいにアイロンがけをしていく。私のアイロンがけがどれほど下手かがわかった。
 私が一番驚いたことは、特別支援といっているが、度の生徒も普通の生徒と変わらないことである。みんな楽しそうに勉強や作業をしていたり、挨拶をしてくれたりと何ら変わりない。どうしてこの子たちが特別支援という扱いを受けているのかが不思議なくらいであった。おそらくもっと彼らに接してみないとわからないことがたくさんあるのだろう。でも、私が今日見学させてもらった範囲ではそう感じた。
 その学校の寄宿舎も見せてもらった。基本は4人一部屋らしい。洗濯、掃除、貴重品の管理などすべて自分でやらなければならないという。すべて就職につながってくるのだそうだ。お風呂に関しても銭湯ほどではないが、大きな共同風呂があり、最初入学時で一人で入れる生徒は1割に満たないらしい。指導員が一緒に入ってお風呂に入り方を教えるのだそうだ。そうやって一つ一つ学んでいく。3年後、卒業した時に、保護者の方から「子供が変わりました」とよく言われるのだそうだ。
 普段なかなか見ることのできないところを見学させていただいた。「特殊教育は教育の原点」と言っておられた。その通りかもしれない。子供たちがやりたいことを引き出してあげるのが教員の役目である。目の前に子供に何ができるのか。“教育”とは何か。改めて考えさせられる一日であった。

2011年10月31日月曜日

ラジオ出演

 今日は11月2日~6日にかけて行われるボランティア活動の事前研修を行った。今回参加するのは全員で13名で、そのうち私の大学は11名である。2名はほかの大学から。そして初めてボランティア活動をするのが10名である。リピートも大切だが、初めて参加するのはもっと大切である。1歩踏み出すのだから。これほど集まるとは予想していなかった。本当にうれしい。今回も新たな発見ができたらと思っている。今被災された方々は何を思い、何を望んでいるのか。私たちの次の活動のヒントとなればいい。


8月下旬の宮城県気仙沼市
 先日、大学の事務局に行ったときに、事務局にいた女性の職員の方から、「ラジオ聞いたよ」と声をかけられた。私はその1週間前に、FM青森から取材を受けていたのだ。もちろん内容はボランティア活動についてだ。そのFM青森の方は、“ネットワークを図る”ということに興味を覚えたらしく、まず初めて文化祭の展示の時にご挨拶に来て頂いた。その文化祭の日に、また改めて取材に来ますという約束をしたのだ。ゼミ室を借りて、マイクと録音機が出されて、インタビューされる内容の紙が渡された。この紙をあらかじめ渡してくれていればよかったのにと思った。ラジオに出るのは初めてではない。夏休み前に、大学のサークルか何かの催しにださせていただいた。それは微弱な電波を利用するというもので、何やら法律上決まりがあるらしく、詳しいことはわからないがそれが初めてのラジオであった。その時も、行った岩田足の声をどれほどの人が聞いているのだろうと思った。さらに今回は、FM青森ということでより多くの人が聞いている。そのラジオ内容を作り上げるのは、インタビューする人と私の立った二人であるが、その先には何百人何千人という人が耳を傾けている。そう考えれば、声が出なくなってしまうほどの緊張感に見舞われる。話すないような何かを評論するわけでもなく、ただ私が今までやってきたこと、思いを語ればよかったので、批判されることはそれほどないはずである。取材は40分くらいで終了した。あっという間に終わったので何を話したかはほとんど覚えていない。とりあえず最後にラジオを聴いている人に向けてのメッセージをお願いしますと言われた。これは難しい。何と言えばいいのだろう。とにかく今ボランティアが不足している、まだまだやらなければならないことがたくさんある、是非ボランティアの参加をお願いします、というようなことを言ったような気がする。
 新聞でも私の名前が3回載った。そして今回はラジオだ。次は何かはわからないが、このボランティアを通じて本当にたくさんの経験をさせていただいている。新聞に私の記事が載った時も信じられなかったし、ラジオに出たことも信じられない。立ち上げ当初はそのようなことは思いもしていなかった。私が願っていることは、新聞を読んでいる人、ラジオを聴いている人が、私の声を通して、「よし、参加してみよう」「私もたやってみよう」、そう思ってくれる人が一人でもいてくれることだ。復興はまだまだ先である。一日でも早く、復興できることをひたすら願う。継続的な支援ができるようにしていきたい。
 私は自分が出ていたラジオを聞いていない(笑)。

2011年10月30日日曜日

最後の被災地へ

 今日は午後から買い物に出かけた。雨の予報であったが、曇りで降らなさそうだったので出掛けることにした。駅前まで生き本屋で時間をつぶした。久しぶりに本屋へ行ったような気がする。毎日でも行きたいのだが、私の下宿の近くに本屋がないのだ。1週間に1度くらいしか行くことができないのが残念である。その後買い物をして下宿に戻ってきた。


 11月2日~6日にかけて、私もふたたび宮城県登米市へ行き、ボランティア活動をすることになった。様々な学生が集まり、私がその学生方とコンタクトを取っていたので、私が行かないとなるとなんだか変な感じがしたので、やっぱり行くことにした。バスの定員ギリギリだが、どうにか行けそうである。もう少ししたら就活が始まるので、就活前に被災地へ行くのはおそらくこれが最後になるだろう。就活が始まれば、ここ青森でできることにも取り組んでいこうと思う。次の活動として11月に活動しようと決めたのは、文化祭前であったような気がする。その時はまだまだ先だな、と思っていたが、もう今週である。本当に早いものだ。うかうかしていられない。


 最近悩んでいたことは少し収まり、大分ましになった。よかったよかった。これで今週も張り切って生活ができそうである。人間は悩む生き物だ。悩まなければ答えが出ないときもある。悩んで悩んで悩みぬいて答えを出す。辛い時もあるだろう。しかし、そうやって人間は成長していくのではないだろうか。人生そう簡単にうまく行かない。苦しい、悲しい方が多いかもしれない。しかし、その苦しみ悲しみを乗り越えた先に掴む喜びやうれしさは、その苦しみ悲しみ以上のモノを感じることができるから人間はひたすらそのために走っているのではないだろうか。悩んで何も手に付かないときもある。しなければならないことがあるのに何もできない。やろうと思わない。それでいいのかは分からないが、それは仕方のないことだと思う。ときにはそんな時間も必要だ。悩んだ先にどんな答えが待っているのかは誰もわからないが、悩む時間も大切な時間である。

2011年10月29日土曜日

許して

 今日は土曜日であったが授業美であった。相変わらず眠かった(笑)。今日も青森は晴れて寒さもそれほどではなかった。これが続いてくれるといいのだが。



 1週間は早いものだ。あっという間に過ぎてしまった。何もしない1週間だったような気がするが。やるべきことをしっかりやらねばならない。
 今日は授業は午前中で終わったので、昼からは少し休憩をして部屋の掃除に取り掛かった。散らかっているので整理しなければならないのだが、なかなか気が進まない。あることを考えているので、集中できないのだ。これは参った。昨日も書いたがその悩みのことで、頭がいっぱいでこのブログもまともに書くことができない。申し訳ない。今まで子供のころから散々悪いことをしてきて、その罪滅ぼしとして様々な人に恩返しやその人のために何かを犠牲にして生きてきたし、自分磨きも欠かさず行ってきた。今回ばかりは神様に許して下さいとお願いしている。困った時の神頼み。まあ、そう言われたら仕方がないが。本当に今回だけは許してほしい。頼むから・・・・・。
 何を書いているのかさっぱり分からないかもしれないが、許してほしい。

2011年10月28日金曜日

悩み

 今日も一段と寒い一日であった。風邪をひかないようにしたい。



 今日はなんだかとても疲れている。あることに悩んでいるためである。「あること」な何かはここでは言えないが、とりあえず悩んでいる。この悩みを聞いてほしく、ボランティアで知り合った東京の友達I君に電話して、I君はどうしているのかを聞いてみた。羨ましい答えが返ってくる。人間関係悩みは付き物だが、私は今悩んでいることには大分苦手らしい。私の過剰な思いこみなのかもしれないが、かなり心配している。なるようにしかならないのが人生かもしれない。それならば仕方がない。人間関係、難しい。自分の思い通りにはいかない。そんなこと当たり前なのだが。もう少し様子を見てみようと思う。私の思いこみだと思うが。あーしんどい。

2011年10月27日木曜日

睡魔と闘うゼミ

 今日も寒い一日となった。天気が良かったのでまだ許せるのだが。明日も天気がよさそうである。



 ボランティアの件で今日も話し合っていた。思ったよりも人数が集まり、今のところ7人だ。後私たちのメンバーで行きたい人もいるんおで、それを合わせれば10人前後になる。夏休みに参加した時と同じくらいの人数である。何とか今回もうまくいきそうな感じである。最初は報告会に参加してくれる学生がいなかったので、心配していたのだが、模造紙作戦で乗り切れそうだ。他大学からも参加して下さり、本当にうれしい限りだ。来週出発である。そろそろ準備に取り掛からければならない。
 今日の5限(16時20分~17時50分)ゼミの授業だったが、少し眠ってしまった(笑)。しかも教授のすぐ横でである。ばれないように寝ていたのだが、やっぱりばれていた。最後らへんに何度も質問されて、全く聞いていなかったので、答えることができなかった。あいまいなことばかり言って乗り切っていた。しかし、今日は特に眠かった。毎回眠いのだが(笑)。私のゼミはほとんど教授の話を聞いて終わる。たまにあてられるくらいだ。この前は、アダムスミスの『国富論』を教授が朗読していたが、全く理解できない。教授が読むより、自分で読んだ方がまだよいのではないだろうかと思っていた。そのときも睡魔に襲われ、話を聞くどころではなかった。睡魔に勝てる方法を私はまだ見出していない。睡魔に連敗続きだ。どうしたらいいのだろうか。この答えはなさそうに思えるのだが。誰か教えていただきたいものである。高校の時、英語の時間に眠っていたら、頭を叩かれてびっくりしたことがある。その先生のあだ名は「術師」だ。その先生の話をまともに聞いて起きていられるのが不思議なくらいである。よくもまあこんなつまらない話を聞いていられるな、と当時の私は思っていただろう。本当は睡魔もぶっ飛ぶくらいに集中して話を聞かなければならないのだが。到底私には出来そうもなかった。今もそれが続いているようだ。いかんいかん、このままでは。授業を大切にしなければならない。

2011年10月26日水曜日

他大学からボランティア参加申し込み

 今日は一段と冷え込んで寒い一日となった。もう冬が来たという感じだ。またあの厳しい冬がやってくる。もう少し待ってはくれないものだろうか。


 今日は夕方に市役所の方まで出かけていた。私は横で話を聞いているだけだったので、ほとんど何もせずに終わった。助成金で少し問題になっていることを、私がお世話になっている方に今日市役所の方まで直接説明をしてくださったのだが、本当に様々な方にお世話になっていることを改めて感じた。私一人ではここまでやってくることができなかった。そしてこれからもそうだろう。様々な方にお世話になり、ご迷惑をかけ、そして応援して下さる。感謝しなければならない。それ以外何もない。本当にありがとうございます、と伝えたい。そして、これからもよろしくお願い致します。
 今、ボランティア募集しているのだが、また新たにメールをくださった方がいる。そのうち2名が他大学からのメールであった。本当にありがたいことだ。メールでもその感謝の気持ちを伝えたが、やっと他大学から来てくださったのだ。これを契機に、ネットワークが広がっていけばと思っている。頑張らなければ。


 
 また東京へ遊びに行こうと思っているのだが、なかなか行けそうにない。もう少しで就活が始まるので、そのためにお金を貯めておかなければならないし、プリンターが故障したため、それを買わなければならないし、私は今携帯電話なのだが、スマートフォンも欲しいと思い、そのためにお金がなければならないし、その他にもお金を貯めておかなければならない。東京の友達からは、いつ来る、と聞かれていたので、まだ分からないのが現状だ。まあ、冬休みになれば東京へは必ず行くのだが。といってもそれは12月。就活戦争が始まっている。その時どうなっているかわからない。ましてや大阪に帰れるかどうかもわからない。どうしようと考えるばかりだ。そんなに遊んでいる暇はない。少しは勉強したらどうだと自分に喝を入れなければ。今日はレポートをやらなければならない。遊んでばかりもいられないのが現状だが、ついつい遊んでしまう。自分に甘い証拠だ。後になって後悔しないようにしたい。

2011年10月25日火曜日

challenged

 今日の青森はあいにくの雨であった。最近雨が多い。晴れてほしいものである。まだあまり寒くないのが救いだ。


 来週教職課程の一環として、特別支援学校を訪れることになっている。普通高校の見学か、特別支援の学校かどちらか行きたい方を選べる希望制だったのだが、私は特別支援を希望した。特別支援の学校を見る機会がこれからもそうないと思ったからだ。来週お邪魔させてもらうので、今日は行く前の研修ということで、特別支援とは何なのか、その歴史、来週訪れる学校はどのような教育を行っているのかを少し調べて、みんなと意見交換をしたのだった。
 「障害者」と「健常者」という言葉があるが、私はこの言葉をあまりよく思っていない。明らかに区別しているからだ。例えば、車いすの方がいるとする。階段を上り下りする事ができない。そのとき、この方は「障害者」になるのかもしれない。しかし、そこにエレベーターがあれば、そこにスロープがあればこの方は誰の手も借りずに違う階へ移動する事ができる。目の不自由な方がいれば点字ブロックを。耳の不自由な方がいれば音声解説などを。このように単純にはいかないかもしれないが、それらの配慮があれば「障害者」は障害者でなくなる。「障害者」と「健常者」というふうに区別しているのは紛れもない我々「健常者」である。私はいつの日かこの「障害者」、「健常者」という言葉がこの世からなくなることを願っている。私たちは同じ人間である。区別する理由がどこにあるのか。
 私は今まで体に障害を持った方と生活を共にしたことがない。右半身体がマヒしてしまっている方なら私は長期休暇でいつも会いに行っているのだが。その方はこのブログでも何度か出てきているが、私の恩師である。小学校、中学校の時に主にお世話になったのだが、今もお世話になっている。右半身がマヒしているといっても、生活にはほとんど支障はない。今はご高齢ということもあって、歩くことが困難になってきているのだが、元気いっぱいである。ホームヘルパーの方がご飯を作ってくださっているのだそうだ。
 「障害者」は英語で何と言うか知っているだろうか。私もあるドラマを見て知ったのだが。「障害者」を英語で“challenged” という。この人ならこの壁を越えられるという神様から与えられた試練だ。何と素晴らしい言葉なのだろう。私たちが見習わなければならない。困難を乗り越える人、乗り越えようとする人は、本当に強い人間である。困難から逃げようとするのは我々「健常者」なのかもしれない。



 明日は授業はない日なのだが、市役所の方まで行かなければならなくなった。助成金の話なのだが、明日はよりによって寒くなる。面倒だが、行かなければならない。

2011年10月24日月曜日

浅虫水族館

 昨日は急きょ遊びに行くことになったので、更新できなった。申し訳ない。
 昨日と一昨日は雨だったので、どこへも行かないと思っていたが、出掛けることができて本当によかった。昨日は、浅虫を訪れていた。浅虫は駅は何度か通ったことはあるが、歩いたのは初めてである。新青森駅が開通する前は、特急電車で八戸まで行かなければならなかったので、その時に通るくらいであった。今回は車で浅虫まで行った。
 浅虫という町はあまり人がいなかった。少し寂しい感じである。浅虫水族館に行ったのだが、そこはかなりの人でにぎわっていた。水族館に行ったのは本当に久しぶりのことである。小さい時にしか行かなかったので、今は違う意味で楽しむことができた。魚やクラゲ、ラッコ、ペンギン、アザラシなどがいたが、どれもみんなかわいらしく、本当に「癒し」であった。イルカのショーも見た。6匹のいるかがいたが、素晴らしいパフォーマンスであった。何種類ものトレーナーの手振りを見分けている。イルカは頭が良い。私よりもイルカの方が頭が良いかもしれない(笑)。
 帰りに海沿いを歩こうと思ったが、雨が降っていて、風も強かったので歩くことができなかった。他にどこか行くところはないかといろいろ探したのだが、見つからなかった。仕方なく青森市に戻ってきた。青森にいられるのはあと1年半である。今のうちに訪れたことのないところに行っておかなければ、わざわざ青森まで来るのはなかなか難しい。今度はまた違うところへ行ってみたい。


 今日はボランティアの事後研修として、青森県の社会福祉協議会の方をお招きして、私たちの団体にアドバイスなどをくれたりした。夏休みに行ってきたときのことをもう一度振り返り、その時に感じたこと、そしてこれからどう活動していきたいかなどの提案をみんなで意見し合った。なかなかおもしろい提案があり、私もやってみたいと思った。私たちのメンバーが何度も被災地へ行くのは難しい。ボランティアも大切だが、授業も大切である。どちらが大切かと比べるわけではない。両方大切である。被災地へはまだ一度も行ったことがない学生に行ってもらい、行ったことがある学生はここ青森でできることをやるのが良い。もちろん被災地へ行くのに越したことはないが、なかなか難しい。ここでもできることはあるはずだ、と今日少し話しあった。11月の頭にもう一度被災地で活動をするが、その後はどうするのかということで、ここでもできることを探してみようということである。確かに、被災地で活動するだけがボランティアではない。身近でできることが必ずある。それを見つけていきたい。

2011年10月22日土曜日

寝てばかりの一日

 今日の青森は朝から雨となった。昨日から予想が付いていたので、どこへも行かなかった。明日も雨らしいので、おそらく明日もどこにも行かないだろう。うーん、息が詰まってしまいそうだ。やはり雨はうっとうしい。
 今日は午前中は部屋の掃除をいつもより時間をかけて行った。普段はきれいにしないところもきれいにした。本当は普段からきれいにしておかなければならないのだが。その後はゆっくりしていて夕方まで昼寝をしてしまった。先ほど起きたのである。疲れていたのかな。疲れるようなことはやっていないが(笑)。とりあえず洗濯をしなければならない。これを書き終わったら洗濯しよう。

 寝てばかりの一日だったので、あまり書くことがない。今日はこのくらいにしておこう。

2011年10月21日金曜日

オリオン座流星群

 

今晩はオリオン座流星群が見ごろらしい。今日は行くことができないが、昨日見てきた。5回くらい流れ星を見ることができた。流れ星は何度見てもロマンチックである。美しい。私も願い事をした。何をお願いしたかは秘密だが(笑)。本当にかなってほしい。仕事で疲れている人、嫌なことがあって悩んでいる人、忙しくてなかなか自分の時間が見つけられない人、今日は夜空を見上げてみてはいかがだろうか。きっと疲れている自分、悩んでいる自分がちっぽけに見えてくるだろう。もしかすると願いがかなうかもしれない。たまには夜空を見るのもいいかもしれない。
 私の実家大阪ではほとんど星を見ることができない。初めてこの青森に来た時に、星空を見た時は感動してしまった。なんてきれいなんだろう、と。オリオン座くらいしかわからないが、本当にプラネタリウムである。特に冬の星空は空気が澄んでいてさらにきれいに見える。昨日見た星空や流れ星を忘れないようにしたい。



 ボランティアの模造紙を張ったところ、それを見て連絡を取ってくれた学生が4人いたのだ。本当にありがたいことである。参加したいなー、ということであった。ぜひとも参加してもらいたい。案外模造紙にしたのが良かったのかもしれない。写真も貼ってあり、メンバーの写真があるので、それを見てきてくれたのかもしれない。一人4年生の方もいて、就活が終わったのであろうか、メールをいただいた。なかなかボランティアに参加するのも難しい。私が最初に参加した、東京の学生が立ち上げたボランティア団体なのだが、私が参加したプログラムで、補助金が打ち切られたらしく、現地までの交通費は各自で出さなければならなくなったらしい。そのため、そのプログラムに参加する学生が減ってしまったという。やはりお金がかかるとなると、どうしてもしり込みをしてしまうのだろう。私の団体もできるだけハードルを下げれるようにしたい。

2011年10月20日木曜日

ことばの力

 今日の青森は快晴。寒いのだが、とても気持ちの良い日であった。明日も晴れてくれるだろうか。



 今日新聞を読んでいて、たまたま見つけた記事があり、その文章がとても気に入ったので、それを少し書かせていただきたい。


   そのとき
   ことばは なすすべもなく立ちつくしていた。
   ことばは じぶんの無力を感じていた。

   ことばは がれきをかたづけることができない。
   ことばは おなかをみたすことができない。
   ことばは 電気をつくることができない。
   ことばは 病気をなおすことができない。
   ことばは 寒さをしのぐことができない。
   ことばは なにができるだろう。

   ことばは はなればなれの家族をさがした。
   ことばは ご近所のきずなをつないだ。
   ことばは やりきれない怒りをつたえた。
   ことばは 満開の桜の下でかわされた。
   ことばは 日々のくらしをとりもどそうとした。
   ことばは それでも忘れることはない。

   ことばは ひとびとの数だけある。
   ことばは ひとびとの日々の数だけある。
   ことばは 日々の気持ちの数だけある。
   ことばは この国のいたるところにある。
   ことばは ひととひとをつながなければならない。
   ことばは 過去を忘れずに伝えなければならない。
   ことばは 未来について語らなければならない。

   ことばは 語ることをやめない。


 毎日新聞創刊140年と書いてあった。今日は「新聞広告の日」らしい。言葉の持つ力を改めて感じる文章であった。言葉ができることとできないことがある。一体この言葉で何ができるのだろうか。日々何気なく話をしている。「以心伝心」という四字熟語があるが、言葉なしでもお互いの気持ちがわかり合える。それはそれで素晴らしいことである。しかし、やはり大切な言葉は言語化して相手に伝えなければならないと私は思う。ときには言わなければならないことを、押しとどめてしまう時もあるだろう。相手の反応を恐れてしまう。しかし、それでも言わなければならないときがある。たとえ傷ついてしまっても。言葉は時として人の命をも奪ってしまう凶器となることがある。反対に、人の命を救う力も持っている。私は言葉の力を信じている。もしかすると、私の言葉で救われる人がいるかもしれない。一歩踏み出してみようと思う人がいるかもしれない。何故なら私も言葉に救われてきたからだ。普段何気なく使っている言葉。もう少し、言葉について考えながら使ってみようと思う。

2011年10月19日水曜日

プリンター故障

 昨日は用事があって、授業が終わった後自転車で駅前まで行かなければならなかったので、帰ってきたのは1時くらいであった。そのため更新できなかった。


内容とは関係ない、広島の宮島にいたシカ
 最近私が使っているプリンターの調子が悪い。黒のインクの出が悪い。紙いっぱいを黒にして印刷してみると、しましまになってしまうのだ。レポートを印刷しようと思って、印刷してみるが、読めないほどである。このプリンターは大阪から持ってきたもので、私が小学6年生のころから使っているものである。そう考えればそろそろ買いなおしてもいい時期ではないかと思うのだが、最近様々なことにお金を使っているし、これから使わなければならないようになるので、少し貯めておこうと思っているので、プリンターまではなかなかお金が回らない。しかし、プリンターがなければ不便だ。今週電気屋さんに見に行こうと思っている。やはりあった方がいい。仕方がないが、今は買うつもりでいる。
 
 明日から私の好きだったNHKの番組、「ブラタモリ」が再び放送する事になった。第3弾ということで私もかなり楽しみにしている。この番組はタモリさんが東京の歴史や地形を探っていくという大変興味深いものである。タモリさんが訪れた場所を私も歩いてみようと思い、同じ所を今まで何度も歩いている。
 やはり自分が行ったことがあるところがテレビに映ったりすると親しみがわいてくる。興味が倍増する。行ったことがある場所ならば、後からそういう歴史や地形があったんだと思うし、行ったことがないところならば今度そこを訪れてみようということになる。ただ行くだけではつまらない。体で感じながら歩くのが良い。
 第3弾が始まるということで、約半年くらいやるらしいので、かかさずにチェックしたい。

2011年10月17日月曜日

レポート作成のため

 大学に行こうと思ったら、急に雨が降り出してきたので、折り畳み傘を置いてビニール傘で行くことにした。先ほどまで太陽が出ていたというのに、何だこの雨はという感じであった。大学まで歩いて10分くらいだが靴がびしょびしょになった。授業中は靴下を脱いで乾かしていた(笑)。
 

 今教職課程の授業で、「いじめ」について調べているところだ。今日その資料を作成しなければならない。さらにこの前の教職課程の発表をレポートのしなければならない。今日はやることがたくさんある。前もってやっておかない私が悪いのだが。「いじめ」については信じられないような事例がたくさん出てくる。その社会的背景や、心理状態、子、親、先生、第三者からの視点からも考える。明日その発表だ。ということで今からそれを調べなければならないので今日はこのくらいで終わらしていただきたい。またこの「いじめ」についても書いてみたい。

2011年10月16日日曜日

元気の出る唄を

 今日は雨という予報であったが、晴れたではないか。何だと思いながら、今日はどこへも行く予定がなかったので、部屋の片づけをしていた。衣替えが文化祭とかでなかなかできなかったので、今日やることにした。季節の移り変わりを感じる。もう少ししたらあの厳しい冬がやってくる。ここへ来て3度目の冬。おそらくここ青森で生活するのは4年。最初は「4年かー、長いなー」、と思っていたが、今は「あと1年半しかない」という気持ちになってきた。4回しか味わえないここの厳しい冬。今年の冬はどんな冬になるだろうか。



 先日、友達からCDを借りたのだが、アヴリル・ラヴィーンの「What The Hell」という唄がほしかったのだ。友達はうれしいことに4枚ほどアヴリルのCDを持ってきてくれた。なぜこの唄がほしいのかというと、この唄を飛行機の中で聴いたからだ。私が3月のアメリカ旅行から帰ってくるときに、たまたまこの唄と出会った。帰りの飛行機の中は、、緊張もなく、もう幸福のひと時で、映画「バーレスク」を3回観た。おそらくDVD発売前に3回も見たのは私くらいであろう(笑)。そして、飛行機が日本に近づき、音楽を聴こうと適当にチャンネルを回していた。ちょうど北海道の上空を飛んでいるときにこの唄が流れた。何とも元気の出る唄であった。20回ほど繰り返して聴いていた。あまり女性歌手の唄は聞かないのだが、この唄は気に入った。この唄を聞くと、その旅のことが思い出され、飛行機の中の至福のひと時がよみがえってくるのだ。洋楽もなかなかいい。自分にとって元気になる唄があればそれは素晴らしいことだ。自分の気持ちを代弁してくれて、苦しみや悲しみを歌ってくれていたらそれもまた素晴らしい。“Song is power” 「唄は力なり」と長渕剛は言っているが、その通りだ。元気の出る唄を、勇気の出る唄をこれからも歌ってほしい。
 そいえば今年の紅白歌合戦に長渕剛が出場するかもしれないという噂があるそうだ。ヤフーニュースで出ていた。今年の紅白のテーマは復興だろう。この復興に全力で力を注いでいる一人が長渕剛だ。復興ソング第一弾として「TRY AGAIN for JAPAN」を発表。この唄を被災地で被災された方1000人と大合唱。感動的であった。個人的にはあまり出場してほしくないのだが。あまりテレビに出ないので、出ない良さというものがある。もちろん出てくれればそれはかなりうれしいが。もし出場すれば2003年以来8年ぶりとなる。今後のニュースが楽しみだ。

2011年10月15日土曜日

眠たい授業

 昨日も書いたが、今日は土曜日なのだが授業がある日であった。2週間に1度のペースで午前中に行われる。この授業が何とも言えない授業なのだ。遺跡の授業なのだが、どうも起きてられないのだ。必ずと言っていいほど眠っている。寝に来ているようなものだ。これはいけないと思いつつも、あの授業を起きて聞いていろ、という方が難しいのではないだろうか。私は本を読んだり、寝たり、の繰り返しであった。パワーポインターを使うので、教室の電気を消してしまうので、余計に眠くなるのだろう。眠りやすい環境を提供してくれている(笑)。これはジョーダンとしても、しっかり授業を聞かなければならない。そういって再来週も寝ているような気がするのは気のせいだろうか。

 文化祭からもう1週間がたった。本当に早いものである。10月ももう半分が終わろうとしている。もう少しゆっくりと月日が流れてほしいと思う時がある。時間は待ってはくれない。今やるべきことをやっておかなければ。

 私とは全く関係ない話だが、母が私の高校の同級生だったOさんのお母さんとランチに行くと今日の朝メールが来た。このOさんのお母さんと私の母は仲が良いらしく、時々遊びに行っている。会うたびにわが子の話になるらしい。OさんはK大学に推薦か何かで授業料無料で大学に通っているらしい。何と親孝行なOさんだ。この前はエジプトのピラミッドを掃除しに行っていたという。次にどこかは知らないが、かなり危ないところに行き、紛争が起こっているところで死にかけたという話も聞いた。羨ましいほど世界を飛び回っている。それに引き換え私の息子はと私の母は言っているだろう(笑)。
 心斎橋の東急ハンズの前に集合らしく、どう行けばいいのか私に確認を取ってきた。「心斎橋でおりたらいいんやっけ」、と聞くのでその通りなのだが、それだと電車賃が230円かかる。その一駅手前の長堀橋でおりれば200円で行けるということを母に伝えた。一駅手前でもそれほど遠くはない。歩いて5分もしないうちに東急ハンズに到着できる。できるだけ安く行く方が良いだろう。結局どうしたのかは分からないが。
 心斎橋は繁華街なので、かなりの人だ。商店街は尚更すごい。心斎橋からその商店街を真っ直ぐ歩いて行くと、道頓堀に着く。えびす橋(通称ひっかけ橋)やグリコがお待ちかねだ。難波と言われる地域だが、私はあまり難波へはこない。どちらかと言えば梅田派だ。難波も楽しいのだが、アメリカ村など危険なエリアがある。ここへは私も立ち入らない。今まで1度しか行ったことがない。
 大阪の話をすると帰りたくなって来るので、このくらいにしておこう。

2011年10月14日金曜日

初心者に剣道を指導

 今日最後の報告会がある日であったが、今回も誰も来なかった。やはり宣伝の仕方が悪いのだろうか。すぐに次の対策を考え、文化祭で使った模造紙を1枚の半分を使って、私たちの活動をしてもらおうと考えた。その模造紙は来週からはってもらおうと思い、効果はあるかどうかわからないが、やってみようと思う。

文化祭で展示した模造紙
 サークルに新しい学生が入部し、その子は初心者である。初心者を教えるのは高校生以来である。高校生の時は私以外がほとんど初心者であったし、指導してくれる先生もいなかったので、私がみんなに教えていたのだ。今までは自分が教わる側だったので、教えるのはこれはまた難しい。どうしたら上達するのか、どういえばわかりやすいのか、など試行錯誤しながら教えていた。あれから教えたことがなかったので、今回久しぶりに教えたのだ。礼の仕方や、立ち方、座り方、構え方、足さばきの練習など、剣道で一番基本のことを指導した。これを教えるたびに私が幼稚園の時に剣道を始めたころのことを思い出す。いやいや練習に行っていたときもあった。休む言い訳ばかりを考えていたこともあった。本当にあの時は子供であった。あ、今も子供かもしれない(笑)。とにかく、少しでも早く上達できるようにこれからも指導していきたい。


 明日は土曜日だが、授業がある日だ。せっかくの休みと思いきや。しかも明日から天気が崩れる予報である。とりあえず笑顔で過ごせるようにしたい。

2011年10月13日木曜日

私の力、器

 最近青森では快晴が続いている。とても気持ちがいい天気である。夜になると寒くなる。風邪をひいたかもしれないといったが、それはもう治りそうである。よかったよかった。
 ボランティア募集の宣伝を他大学にしているのだが、今日でとりあえず青森市内はすべて回った。すべての大学でその宣伝をしておきますとのことで、宣伝は完了した。明日は私の大学で最後の報告会を行うのだが、誰か来てくれるだろうか。誰も来ないとなるとこれもまた大変なことになる。祈るしかないようだ。



 「しあわせ」とはどういうことを言うのだろうか。今日そのことについて考えていた。皆さんはこの「しあわせ」をどういう時に感じるだろうか。家族といるときだろうか、テストで100点を取ったときだろうか、空腹を腹いっぱいに満たしたときだろうか、あったかい布団にくるまっているときだろうか。人それぞれあるだろうが、私がこの「しあわせ」を感じるときはどういうときだろうかと考えた。私にとっての「しあわせ」は、他人をしあわせにしたとき、他人がしあわせになったとき、私は「しあわせ」を感じるのではないかと思っている。
 今まで私は誰かをしあわせにしたことがあるだろうか。それは自分ではわからない。私と関わった人に聞かなければならない。家族はもちろん、友達や先生、その他にも私と出会った人には、しあわせにはできなくても、「私」という人間に出会えてよかった、そう思ってくれるだけでもいい。そういえばこういう人いたな、と何年後かに思い出してくれるだけでもいい。そう思ってくれるように今まで生きてきている。
 できるならばアーティストのように、何千人、何万人もの人間をしあわせにできるのならこれほどうれしいことはない。私の好きな長渕剛も何万人もの人間をしあわせにしてくれている。私もそのうちの一人だ。彼がいるから生きようと思う。彼がいるから頑張ろうと思う。彼がいるから恐れずに前に踏み出せる。彼が生きる力を与えてくれている。それならば私も・・・・・。
 私は何万人もの人間をしあわせにできる力も器もない。それならば一人の人間でもいい。たった一人、たった一人の人間を私はしあわせにできるだろうか。たった一人の人間をしあわせにできる強さ、優しさを私は持っているだろうか。その答えはもちろんわからない。もしかしたらそれすらも私にはないのかもしれない。それが答えなら、これほど恐ろしく、怖いことはない。しかし、弱い私にも、一人の人間をしあわせにはできなくても、この両手で強く守ることぐらいはできるはず。そう信じている。そう信じなければ前に進めない。そうだ。私にもできる。

2011年10月12日水曜日

誰も来ない報告会

 はやり少し風邪をひいているようだ。悪寒がする。食欲はあるので、そこまで重症ではない。早く寝て早く治るようにしたい。


 今日ボランティアの報告会と、次の活動の募集を行ったのだが、誰もその会に参加してくれなかった。今日2回行ったのだが、どちらとも誰も来ない。これにショックを受けた。せめて2,3人くらいは来るだろうと思っていたが、それはあまかった。まさかゼロだとは。宣伝の仕方が悪かったのだろうか。文化祭の時も宣伝したし、掲示板のところにもチラシをはってあるし、1年生の教養の授業の始まる前に、その教授が特別に時間を取ってくれ、その報告会の宣伝をさせてもらった。しかし、誰も来なかったのだ。これは予想外のことが起きてしまった。まだ金曜日の報告会が残っているが、どうなるだろうか。他大学にも募集のチラシを持っていたところだ。どれだけの人数が集まるだろうか。

 

2011年10月11日火曜日

文化祭成功

 更新できずに申し訳ない。文化祭後も何かと忙しかった。


 文化祭2日目も1日目と同じで、私が一日中当番をしていた。2日目もたくさんの人に来て頂き、かなり嬉しかった。二日合わせて100人は来たのではないだろうか。これで私の団体のことを少しでも多くの人に知っていただく機会となった。次の活動につながることを祈る。
 しかしながら、私は今年の文化祭をほとんど楽しむことが出いなかった。何故なら二日とも当番をしていたからである。友達が出場するイベントもあり、見に行くから、と言っていたのだが行けずにかなり申し訳ないことをしてしまった。ほんの少しだけ、ESSサークルの友達の手伝いをしたくらいである。ESSサークルは今年もシュークリームとスウィートポテトであった。
 文化祭が終わったと思ったらもう次の活動に取りかかっている。学内の報告会だ。他大学の報告会は私たちの日程自体が合わないので、報告会はできないことになったが、私たちの活動の宣伝はしに行こうと思っている。直接話をしたいので、今日そのアポを電話で取ったのだ。明日うかがうことになっている。午前中に伺うのだが、午後からは報告会が2回行われる。メンバーが報告をするのだが、私も参加する。ここはやってほしいと頼まれたところがあるからだ。それがなくてもどのような報告をするのか見てみたかったので、全く問題はないのだが。
 忙しい忙しい。少し体調がよくないみたいである。風邪引きかもしれない。こんな時に風邪なんて引いていられない。早く治るようにしたい。