2011年11月16日水曜日

信じること

今日は授業がなかったので一日部屋で待機した。というのも今日も青森は雪であったからだ。しかもかなり寒そうである。下宿の廊下を歩くだけでも寒い。どこへも行く気がしなかったのだ。木曜日、金曜日、土曜日は授業なので、雪は勘弁してほしい。降らないことを祈ろう。
 部屋を片付けていたら、ここもやろう、ここもやろうと思ってしまい、一体どこまで片付ければいいのかわからなくなってしまった。いったんは終了したのだが、やっぱりここもと思って始めてしまったのだ。一体どこまでやればいいのだろう(笑)。区切りをつけなければい一生かかりそうだ。最近は片付けしかしていない。他のこともやらなければならない。


 
 最近、人と人との“出会い”について考えることがある。今まで当たり前のように学校へ通い、友達と話をしたり、遊んだり。そして家族との会話。小学校、中学校、高校、そして大学では、当然のように大勢の人が集まり、自然と知り合いや友達になっていく。今考えてみると、これがどれほどすごいことなのか。この世界には70億人もの人が存在している。そして数百の国がある。私は大阪から来た。ここは青森。一年浪人している。今通っている大学に教職課程があるのだが、私が入学した時に開設された。つまり私たちの学年が教職課程第1期生だ。教職課程がなかったら私はここ青森には来ていない。間違いなく教職課程のある大学に進学していた。はるばる大阪からここまでやってきた。そして、この地で多くの出会いがあった。これが当たり前と思ってしまうが、これが一体どれほどの確立なのか。
 “奇跡”という言葉があるが、まさにその言葉通りだと思っている。たまたま日本国に生まれ、たまたま平成元年に生まれ、たまたまこの大学にやってきて・・・・・。そう考えてしまえば、すべてが偶然なのだ。これは“奇跡”としか言いようがないではないか。もしかすると、この世で最も奇跡的なことは、人と人との“出会い”なのかもしれない。
 今までたくさんの出会いがあり、そしてこれからもたくさんの出会いがあるだろう。良い出会いも悪い出会いもあった。嫌いな奴もたくさんいる。もちろん好きな人もたくさんいる。良い出会いであろうが、悪い出会いであろうが、それは何かの縁があったから。
 好きな人から裏切られたこともある。それは悲しくて、切なくて、辛くて、苦しくて。今まで信じていたのに、ころっと手のひらを返すように。何がいけなかったのか、どうしてこんなことになってしまったのか・・・。答えはわからない。人を信じるということは裏切られることより辛いことなのかもしれない。人を信じるということは難しいことだ。なぜならその向こうに“裏切り”が潜んでいるかもしれないからだ。それならば人を信じるふりをしながら人と接しようか。それならば裏切られた時はショックも何もない。悲しみも何も。でも、それは決して楽しいものではないような気がする。なんてつまらない人生だろうか。そう思ってしまう。
 本当に大切な人と出会ったとき、この人なら信じれる、そう思う時がある。でもそんな時の裏切りがとてつもなく悲しみにひれ伏してしまう。奈落のどん底にたたき落とされる。しかし、本当に大切な人と出会ったら、私はいとまず信じてみたい。すべてを信じてみたい。何故なら本当に大切な人と思えるからだ。家族や親友、恋人、恩師などと“出会い”の中でも特別な出会いがある。その特別な“出会い”ならば私は何も迷わない。裏切られるのは怖い。怖くて怖くてたまらない。でも、疑いながらその特別な人と接するのは、それは決して特別な人ではないのではないか。特別な人だからこそ、すべてを信じ、すべてをささげる。「信頼」という言葉に虫唾が走るときもあった。でも信じることは本当に素晴らしいことだと思う。一人じゃない。信じることのできる人がたった一人でもいい。そばにいてくれたらどれほどうれしく、どれほど頼もしいことか。この人さえいてくれれば、と。
 “出会い”とは奇跡だ。さらに特別な“出会い”は生きてる間に何度もない。そんな“出会い”を私は大切にしたい。そして信じてみたい。どんなに辛くて悲しいことが待ち受けていようとも、私は信じる。もう一度言おう。なぜならば、それは大切な人だからだ。信じるというのは本当に素晴らしいことである。

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