2024年2月24日土曜日

ポスター発見

 このブログで何回も紹介したことがあるのだが、私は映画のポスターが好きで何枚か購入していたのである。しかし、いつも購入していたポスターのサイトがなくなってしまい、購入先を悩んでいたのである。というか、常にいろいろ探していたのであるが、なかなかいいサイトが見つからなかったのだが、海外のサイトではあるが、まともなサイトを見つけ、送料はやはり高いのだが、一度購入してモノを確認してみようと思い、購入してみたのである。私は購入しているポスターというのはオリジナルポスターといって、映画館に配られるポスターなのである。つまり販売用ではないのだが、そのポスターを扱っているところがあるのだ。いわばポスターの原本といったところだろうか。かなり貴重なポスターであれば数十万円するものもある。さすがにそこまで高いものは買えないのだが、私が購入しているのはだいたい6000円~2万円くらいだろうか。一番高かったものはもっと高かったが(笑)。海外のサイトは本物かどうかがやはりわからない。でもそのサイトはオリジナルであればオリジナルと、リプリントであればリプリントと書いてある。かなり親切に詳細が記載してあったので、これは信用度が高いと思い、購入してみたのである。対応も早く、思っているよりも早く届いたので、早速モノを確認して観たら素人目ではあるが本物であった。いやー、よかったよかった。私が今まで購入していたサイトでは取り扱いがなかったポスターもたくさんあり、もう少し早くこのサイトを見つけていればなーと思った。先週少しの間ではあるが、実家の大阪に戻っていたのである。年末年始は基本的には仕事があるので、なかなか帰ることができないので、少しずらしていつも帰省しているのである。社会人になってからは一度も年末年始は実家で過ごしたことがないのだ。仕事柄しょうがないし、こういう時期は新幹線のチケットも取り辛くなるので、ちょうどいいといったらちょうどいいのだが。その帰省中に、これもポスターのサイトを探していた時に見つけたのだが、大阪の心斎橋に映画のポスターを扱っているお店を見つけたのである。ここに行ってみようと思い、雨であったが散歩がてら難波からいろいろお店を回りながら心斎橋の方へ向かったのである。想像以上に数が多く、言葉は悪いがまともなお店であった。いや、すばらしいお店であった。実際に目で確認して購入できるのはすばらしい。早速どんなポスターが置いてあるのか、隅々まで確認したのである。オリジナルポスターも取り扱いをしていたが、数としてはリプリントポスターの方が多かったように思う。そこまで細かくチェックはできなかったのだが。リプリントでもすばらしいポスターであることには違いない。私は映画のポスターを一枚一枚サイトですべてチェックしているので、見たことがないポスターというのはない。今まで購入していたサイトもそうだし、今回新しく見つけた海外のサイトもそうだし、全てのポスターをチェックしておるので、そこには掲載されていないポスターであればすぐにわかる。なので探すのも我ながら早いと思ったのである(笑)。ちょうどそのお店に友達同士で来ていたお客さんが4人いたのだが、ポスターを見ながら映画の話で盛り上がっていた。そこで私はめちゃくちゃ驚いたのだが、『クローン・ウォーズ シーズン7』と『バッド・バッチ』のリプリントポスターが置いてあるではないか。画像ではいくらでも見たことはあるが、ポスター媒体で観たことがなかったからである。当然オリジナルではないし、そもそもオリジナルが存在するのかもわからない。これらはディズニープラスの配信のドラマであって映画館では公開されていないからである。しかし、私はそんなことなど全く気にせず、迷わずこのポスターを買おうと即決したのである。リプリントなので一枚2000円であった。安い安い。5千円でも安いと思ったのである。私がずっとあれば絶対に買おうと思っていたからである。いやー、わざわざ足を運んでよかった。次に帰省したときも行ってみようと思う。つい最近、ディズニープラスで『バッド・バッチ』のシーズン3が配信され始めたのだ。これがファイナルシーズンになる。この話は詳しくは書かないが、クローン・フォース99というクローンの中でも特別な能力を持った者たちのチームで、オーダー66により、共和国が滅び銀河帝国となった時代に、クローンはいらない存在となり、その中で自分たちの存在価値を見出そうとしているのである。帝国時代の始まりの話で、もはやジェダイやクローンは間違いなく滅びに向かっている時代である。まさに時代が大きく変わった瞬間の話なのだ。『クローン・ウォーズ』のシーズン7や『バッド・バッチ』は明るい話ではない。『バッド・バッチ』はまだわからないが、暗黒の時代に突入していくのである。なので観ているのがめちゃくちゃ苦しくなるのである。『バッド・バッチ』のシーズン2の最終話は号泣。まさかそんなことがあるのかと、テレビの画面に向かって叫んでしまうほどであった。シーズン3がどんな結末を迎えるのか。正直1話1話観るのが怖くてしょうがない。予告ではあのアサージ・ヴェントレス若き姿で登場する。一体どうなっていくのか皆目見当がつかないが、私はバッド・バッチの生き様をこの目で直視しなければならない。たとえそれが悲しい結末を向かえようとも。週一のペースで1話ずつ新しく配信されるので、最終話は5月の頭である。それまで気が気じゃないが、なんとか見届けようと思う。とりあえず、ポスター見つかってよかったなーという話であった(笑)。

2024年2月12日月曜日

ありがとう“DCエクステンデッド・ユニバース”

 アメコミ映画が苦戦を強いられている。つい最近までは公開すれば大ヒットを飛ばしていたMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)であるが、それも終焉を迎えつつある。昨年公開した作品は3本(ドラマは除く)なのだが、『アントマン&ワスプ クアントマニア』(4.75億ドル)、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVol.3』(8.45億ドル)、『マーベルズ』(2.06億ドル)と特に『マーベルズ』はMCU史上歴史的大敗となってしまった。インフィニティー・サーガ時代は10億ドル突破と連発していたが、最近だと『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』(19.21億ドル)が最後である。よく言われるヒーロー映画疲れであるが、ただ単にそれだけの理由ではなく、MCUがどこに向かっているのかが全く分からないのもあるし、ディズニープラスにてドラマも配信され始めたということもあり、ハードルが一気に上がったというのもあるだろう。当然インフィニティー・サーガで燃え尽きたファンもたくさんいるだろう。これか先にヒーローたちがアッセンブルする『アベンジャーズ』関連のストーリーで公開されることがわかっているが、果たしてかつての勢いは取り戻せるのだろうか。不安要素はたくさんあるが見守っていきたい。そしてその対となるのがDCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)である。さてこちらは結構グダグダであった(笑)。出だしの『マン・オブ・スティール』から外してしまっていたので、そのあとがなかなか波に乗ることができなかった。ノーラン絡みだったので、やはりそこはシリアス路線に走っていたので、これはMCUに対抗してだったのだろうが、観客は全乗っかりできなかった。とあまりおもしろくなさそうに聞こえるかもしれないが、私はMCUよりもDCEUの方が好きな作品は多いのだ。このブログでも紹介したことがあると思うが、『ザ・スーサイド・スクワッド』、『ワンダ―ウーマン』、『ブラックアダム』、『ザ・フラッシュ』そして『ブルービートル』である。この5作品はめちゃくちゃおもしろい。まだ未見のもあるので、増える作品もあると思う。ついこの間まで映画館にて『アクアマン2』が上映されていたが、その一つ前の作品『ブルービートル』だが、なんとDVDスルーとなってしまったのだ。なぜなんだろう。ここまでデカい作品がまさかの劇場未公開になるなんて。ヒットが見込めないので、この結果になったのだろう。私は実際に見るまで、このようなイメージでそこまで期待しないでBlu-rayで観たのである。ところがめちゃくちゃおもしろいではないか(笑)。なんで公開しないんだよ。意味がわからん。おもしろすぎたのでそのノリでオリジナル・ポスターまで買ってしまったではないか(笑)。私は正直、MCUやDCEUのようにシリーズ化するのもそれはそれでいいのだが、単体で公開してくれた方がいいのかなーと思う。可能ならばシリーズモノと単体モノの両方公開してくれたらうれしいが・・・。単体でなくても3部作であるとか、そんな感じでいいのである。シリーズは観るのが大変である(笑)。『ブルービートル』の何がいいのかというと、スーパーヒーローっぽいバカみたいなキメポーズであるとか、バカみたいな乗り物が出てきたりとか、家族で団結して闘うとか、“誰が観ても楽しめる”一番重要で忘れがちになっているものが詰まっている作品なのだ。最近はこういうスーパーヒーロー映画ですら2時間越えのものが多くなってきているが、この作品って誰が見るんだと言ったら当然我々大人も観るが一番大事なのは子供たちに観てもらうことだろう。子どもたちが一番楽しみにしているのではないか。子供が2時間以上椅子に座り続けるのは大変である。やはり限界は2時間だろう。そこは私は重要であると思う。制作側はもう一度そこは考えてもらいた。最近のDCEUは打率がものすごくいいのに、残念ながら『アクアマン2』でDCEUは終わりとなってしまうのである。せっかく良さが出てきたというところだったのにもったいない。この後はジェームズ・ガンが責任者として一旦リセットする形となり、また新しいシリーズが作られていくという。いいキャラクターがたくさんいるのに彼らに会えなくなるのは寂しい。引き続き登場するキャラクターもいるみたいだが、このDCEUとは関係ないストリートなるので、今まで行われてきたイベントはなかったことになる。ガン体制となって再出発ということだが、うまくいくかはそれは誰にも分らない。当然おもしろい作品が世に放たれることを期待している。とりあえず終わりを告げたDCEUに感謝と拍手を送りたい。

2024年2月9日金曜日

バカにされていることが歴史を変える

日本語に「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という言葉があるが、この言葉を正に体現したような話がある。ゲーム『グランツーリスモ』をやりまくってめちゃくちゃうまくなったので、本物のレーサーになっちゃったという夢しかない話である。これは実話がもとに製作された昨年公開映画『グランツーリスモ』である。主人公ヤンは4人家族で、弟がいるのだが弟はサッカープレーヤーでお父さんからもお気に入りで将来を期待されている。ヤンは大学を中退してバイトをしながらグランツーリスモのゲームをプレイしている。家族からは大学や専門学校に行けと言われてはいるが、ヤンはレーサーになることをただ夢見ていたのだ。そんな中、日産がアカデミーを立ち上げてゲーマーをプロのレーサーにするというとんでもない話が出てきて、その話が通ってしまう。最初は乗る気がなかった鬼教官がいるのだが、鬼教官がその話に乗ることになった。その鬼教官は集まったメンバーは当然全員ゲーマーということで見下し、バカにし、ほとんど相手にもしていなかった。どうせ誰もプロのレーサーになんかなれないと。候補生が次々と落第していく中、ヤンは鬼教官を助手席に乗せて走ったのだが、クラッシュさせてしまい、鬼教官はヤンを落第にさせる。ブレーキを踏めといったら踏むんだよとヤンに怒鳴ったが、ヤンはフェードしたんだという。何がフェードだ、お前が間違っているんだとまるでヤンを相手にしない。しかし、実際にヤンが走行してみせるとフェードだったことが判明。鬼教官はヤンを最終選考レース合格したことを告げる。そしてヤンは最終選考レースに見事優勝し、プロになるべく次のレースに挑む。いくつかある大会の中で1度でいいから4位に入賞すれば日産と契約できるようになる。その中でも4位に入賞し、日産との契約を結ぶ。順風満帆に思われるが、レース中に風にあおられ、車がひっくり返り、コースから大きく外れ観客を巻き込み死亡事故を起こしてしまう。ヤンは大きなショックを受けるが、鬼教官はなぜ自分がレーサーから教官になったのかを教える。ヤンはレーサーをやめることも考えていたが、鬼教官の話で再起を図ることを決意。しかし事故を起こしてしまったということで、シムレーサーは危険だという認識が高まり、レーサーとしての資格をはく奪するようにレーサー間から声が上がっていた。そこで全てにおいての信頼を取り戻すためにはル・マン24時間耐久レースに3位以内に入らなければならなかった。3名での参加になるが、まだアカデミーで修業を積んでいたもう2名の仲間と合流し、ル・マンに挑むのだ。と簡単にあらすじを書いたが、これはもう誰が見ても本当に夢のある話で、一般的に見て、ゲームばかりしていたらゲームなんかやめて勉強しろ、外で遊べ、などなど、なかなかもっとゲームしろという人はほとんどいないだろう。ゲームとは本物でも何でもないし、バーチャル世界の話だし、まさかそれが現実の世界に通用するなんて誰も思っていない。ゲームなんてはっきり言ってみんなバカにしているだろう。でも主人公ヤンのように極めるまでいけばそれが本物のレースに通用してしまうのだ。グランツーリスモのゲームはかなり忠実に再現しているみたいで、車本体であるとか、コースの再現度はめちゃくちゃ高いらしい。つまり、本物のレーサーよりもレースに参加しているし、コースも熟知しているのだ。でもみんなそれを言うと、それはゲームの話だろ!!とまるで相手にしないが、でも当の本人らは大マジメなのだ。そこが観ていておもしろいところなのだ。ヤンがゲームをしているときにお父さんが後ろから「ラインを読めよ」とお父さんなりのアドバイスというか声掛けをして、ヤンは「みんなこうするから俺はこうだな」と自信ありげに言う。それがル・マンのレース中にもそのシーンがフラッシュバックする。ゲーム中は当然だが、ヤンは本物のレース中にも彼の頭の中ではラインが見えているのだ。彼は本物のレースですらゲーム感覚でレースをしているのである。最後の最後まで彼の中ではゲームなのだ。みんなバカにしていることがここまで通用し、シムレーサーではなく、本物のレーサーにまでなったのだ。コンマ1秒の勝負、世界、感覚を彼はゲームで培ってきたのだ。こんな夢のある話があるだろうか。映画みたいな話だなと思うかもしれないが実話なのだ。その人が自信をもってやっていること、めちゃく好きでやっていること、そういう人がいたら優しく見守ることにしよう。もしかしたらその人は歴史を変える偉大な人になるかもしれないのだから。  補足なのだが、この映画の監督はニール・ブロムガンプという人で、私の大好きな『第9地区』でお馴染みの監督である。ここ最近なかなか評価を得ることができず苦しんでいたのだ。かなりオタク要素が強く、『第9地区』を観たときはなんてすごいんだと思ったが、その後の作品を観ると、引き出しの数が少ないように感じたのだ。だが今回、王道といったら王道のエンターテイメント見せてくれ、彼の評価は爆上がりしたのではないだろうか。そういっても私は大好きな監督なので今後も応援していきたい。

2024年2月7日水曜日

矛盾した感覚が映画体験である

 昨日の午後から今日の明け方くらいまで、こちら東京では雪が降っていて、思ってた以上に積もったのだ。天気予報では注意を促していて、それは知っていたのだが、いざそうなったらやはり大変である。雪国は当たり前だが備えはしてあるが、東京はやはり雪に弱い。交通機関はすぐに止まってしまう。高速道路も通行止めになるし、個人の車自体雪用タイヤにしている人がほとんどいない。東京で雪が積もるといったら年に1,2回、多くても3回くらいだろう。確かにその回数で冬用タイヤを用意して、それを維持するのは大変だ。といっても、例えばこういう雪が1週間続いたらどうなるのだろうか。1日くらいだったら会社を休んでも大丈夫だろうが、それが1週間雪が続いたら1週間ずっと休まないといけなくなってしまう。そうならないような対策を考えていても無駄にはならないだろう。毎年この時期に思うことなのである。
 今日は昨年観た韓国映画の超おススメ映画を2本紹介したい。まず1本目は『パーフェクト・ドライバー/成功確率100%の女』である。この映画は2023年に初めて映画館で観た作品で、私の中ではめちゃくちゃお気に入りの作品なのである。この映画は正直な話、なにか新しいことや挑戦していること、斬新なことは全くやっていない。でも、今までに存在しているエンターテイメントの全てをぶち込んできている非常にクオリティの高い作品である。主人公のパク・ソダムは『パラサイト/半地下の家族』の長女役で出演していた女優である。初めての主演映画ということだが、すばらしい演技を発揮している。『ドライヴ』と『レオン』の映画は足したような映画で、上映時間も2時間以内で、テンポがよく、一瞬で観終わってしまう。コメディ色が多くみられるが、バイオレンス描写もなかなかであるが、誰でも見られるレイティングになっている。私がこの映画を映画館で観ているときに感じたことは、ここまでのクオリティの作品は絶対に日本は作ることができないなーと素直に感じたことだ。もし作れたとしても何十年も先の話だろう。完全に打ちのめされたのである。もう一つの作品が、こちらはNETFLIXの配信でしか観られない作品だが、『バレリーナ』という作品である。こちらも女性が主人公で、親友が自殺してしまい、その原因であった犯人に復讐するどころかその犯人がいる組織を壊滅させるというすばらしい内容の作品である。組織的な性暴力事件を描いているため、ファミリー向けではないが、シリアスな展開がメインではあるが時折見せる爆笑シーンがあるのがすばらしい。タランティーノ作品の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の火炎放射器同様にこちらも火炎放射器が登場し、ちゃんと伏線の回収&爆笑という感じなのでやっぱりやってくれるかー!!と大満足作品である。親友との過去の思い出がフラッシュバックしながら物語が進んでいくのだが、非常に美しいシーンが続く。復讐劇と真反対のシーンが交互に繰り返され、いったい自分は何を観ているのだろうかと、不思議な感覚に陥る。そういう様々な面からも美しい作品なのである。『パーフェクト・ドライバー』も『バレリーナ』も女性主人公で、そして敵をバンバンなぎ倒していくという作品はどれも観ていて気持ちのいいものである。敵はたいていクズなので。私はどちらも観ていて涙してしまったのだが、普通に考えて女性一人が単身悪の組織に立ち向かっていくというのは、どう考えても無茶だろう。勝ち目などあるはずがない。たとえ殺人術などそういった特殊な能力を身に着けていたとしても数的に無理だろう。だが主人公はそんなこと考えていないのだ。『パーフェクト・ドライバー』なら家族でも友人でもない不思議な関係の子供を守るために、『バレリーナ』は死んだ親友のために、ただその一心なのだ。その主人公たちの異常な感情と異常な行動が見ている私を奮い立たせるのだ。そう覚悟を決めた者たちの表情、行動はただただ美しい、カッコいい。客観的に観て主人公は悪いことをしている奴らを殺しにいくという、法律的にもやってはいけないことをやっていて、冷静に見ればダメだろこれ、となる。でも観ている我々はその行動を雄姿として観て、心の中で応援し、やってくれと主人公たちに思いを託すのである。やってはいけないことをでもやってくれとこの矛盾した感覚がこれこそが映画体験の一つなのである。映画の中だから許されるこれが映画のエンターテイメントなのだ。

2024年2月4日日曜日

運命を受け入れるという選択

 前回の投稿でも触れてきた内容なのだが、ここ最近「マルチバース」関連の作品が多く描かれている。最近のMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)もそうだし、昨年アカデミー賞作品賞を受賞した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』もそうだし、今回紹介するDCエクステンデッド・ユニバースの作品の一つの『ザ・フラッシュ』もそうである。マルチバースは他に多元宇宙、並行世界と言ったりもする。自分が今どういう選択をするのかで未来は大きく変わる。バタフライ効果ではないが、その可能性が無限にあるのだ。私が今パソコンに向かってキーボードをたたいているが、今すぐやめて荷物をカバンに詰め込んで外国行きのチケットを買って海外に飛んでしまうことも可能だし、仕事を辞職するための電話を一本入れることも可能だし、何か勉強を始めることも可能だし、何もせず寝ることだってできるし、そういった様々なことが起こりうる、そしてそれが今の私ではなく別の私がそういう行動をとっていて、それが別世界の私なのである。もしかしたら人間ではないこともあるだろう。そういう意味では無限ということばすら足りなく聞こえてくるのだ。そう考えたら別世界の私はどういった人間なのだろうか、どういう存在なのだろうかと、あれこれ想像してしまうだろう。もちろん自分だけではない。周りにはどういった人がいるんだろう、今いる環境はどういったものだろう、そう永遠に考えれてしまう。『ザ・フラッシュ』の主人公バリーは小さいころに何者かにお母さんを殺されてしまったのだ。しかし、お母さんを殺した犯人が第一発見者のお父さんになってしまい、お父さんが犯人として刑務所に入ってしまったのだ。バリーは新犯人を捜すために日々奮闘しているわけだがうまくは行かない。パスタを食べるのにトマト缶を買うのを忘れてしまってお母さんから買ってきてーとバリーとお父さんは言われ、買いに行っている間に殺されてしまったのだ。バリーはスーパーヒーローで光の早さで走ることができる超能力を持っている。悲しみのあまりに彼は高速で走っていると過去に戻れる能力に気が付くのだ。バットマンンのブルース・ウェインに相談しても、危険だから何もするなと言われたが、影響が出ない方法を考え、そこでバリーはあのトマト缶さえ買っておけば外出することなく、家にいられたはずだと考え、過去に戻ってトマト缶をそっとお母さんの買い物かごに入れて現代に戻ろうとしたら何者かにより時空からはじき出されてしまい、2013年に出てきてしまったのである。その世界ではお母さんは生きている世界であった。あとは省略するが、簡単に言うとゾッド将軍が現れ、世界が滅ぼされそうになっているので、この世界ではスーパーマンは存在せずにスーパーガールがいて、バットマンは今のバットマンではなく、別のバットマンがいて、あともう一人の自分がいて、このメンバーで世界を救おうとする話なのである。しかし、スーパーガールもバットマンも敵に殺されてしまったので、もう一人の自分は過去に戻ってなんとか死なない方法はないか探し始めたのである。でもバリー本人は過去を少しでも変えることが危険だということはわかっていたので止めようとするが、もう一人の自分は他に方法があるはずだと何回も何回も過去に戻ってやり直そうとするのだ。バリーは諦めようともう一人の自分に諭すのだが、もう一人の自分は諦めようとしなかった。バリー自身の世界で自分のお母さんが死んでしまうことも知っていたので、そんなことは絶対に嫌だともう一人の自分は諦めようとしなかった。バリーは過去現代に行き来する間の時空に何者かによってはじき出されたが、またその何ものかが現れ襲ってくるのだ。よく見たらそれはその時空のはざまから出られなくなってしまったもう一人の自分だったのだ。一体ここにどれだけいたのか。過去を変えすぎたせいであらゆる多元宇宙が崩壊しそうになっていた。そして、もう一人の自分はその自分を自らが犠牲になって倒し、バリー本人も自らの運命を受け入れ、あのトマト缶を元に戻すことを決めたのだ。その時に少しだけ過去のお母さんと話をして、その場を去っていくのだ。と結局内容を書いてしまったが、そういう話で、2時間半弱ある映画だが、その2時間15分くらいの話がなかったことになったので、ビックリしたのだ(笑)。といってもこの映画も号泣した(笑)。前回投稿した『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』と真逆のストーリーになっている。どちらもすばらしい話で、その運命を自ら変えてみせるという主人公と、自らの運命を受け入れるという主人公なのだ。同じマルチバース、多元宇宙、並行世界を扱った作品なのに、こうも違う作品ができるのだなーと。この2作品はほぼ同じ時期に公開されていたので、中には一日にこの2作品を映画館で観て、頭がおかしくなりそうだったという人もいたようだ(笑)。私は別日だったので、それはなかったが、最近ではスーパーヒーロー疲れプラスマルチバース疲れもあるようだが、この2作品を観たらいやいやまだまだいけるなーと思ってしまう。このDCエクステンデッド・ユニバースは今劇場公開されている『アクアマン2』でいったん終了し、また新しいシリーズがこれから始まるのである。せっかくだんだん良くなってきたシリーズだったのになんかもったいないなーと思ってしまったのだ。タイムマシンがなぜできないのか、その一つの理由に納得したものがあるのだが、タイムマシンは存在していて、みんな過去を変えたりしまくっていたら多元宇宙、並行世界が崩壊してしまって、唯一タイムマシンが存在しない世界だけが残ったという理論である。なるほど!!と感心したが、本当のところはどうかわからない。周りは年上の人ばかりで、私はまだ若い?方みたいだが、よく聞くのが「私もその年に戻りたい」と。どうやら過去をやり直したいみたいだ。今というのは過去の積み重ねに過ぎない。今のこの瞬間が未来につながるのだ。今、自分がどういう行動をとるのか、どういう選択をするのかで、未来は当然変わるのだ。未来は変えられるんだ。この瞬間を大切にしろとよく聞くが、それは未来を変えるためなんだ。この瞬間をどう選択していくのか、この小さな選択の連続が未来なんだ。未来の自分が今の私に、未来を変えてみろよとそう言っているような気がする。だから私は今からとりあえずお風呂に入ってこよう。