明日、明後日の休日はレポート課題をやらなければならない。3つほどあり、期限はもう少し先なのだが、いつもギリギリなので早めに終わらせておきたい。
東京、銀座 |
幼いころに通っていた塾でのことだ。皆に一枚の紙が配られ、この紙のどこかに自分の名前を記入しろとのこと。塾講師は回収した紙を批評する。左下に立てで記入してあれば「習字っぽくて可憐さを感じる」。右上に横で記入してあれば「手紙っぽくて落ち着いた雰囲気がある」。といった具合に次々と饒舌に評価を下していく。しかし、私の番になると態度が変わった。紙を頭上に掲げ、指をさし、「いいか、こういうのがバカっていうんだ」。と笑い者にした。私は用紙全体に極太マジックで、はみ出さんばかりに大きく、名前を書き込んでいたのだ。
周囲とは多少違うだけで異端であると判断される。いや、実際そうだったのだろう。多少自覚もあった。あれから10余年。「自分らしく生きろ」という大人たちから「もっと落ち着きなさい」と論されて、すっかり常識とやらに支配されてしまった。全く彼らは個性を持たせたいのか、潰したいのか。
常識にかぶれ、異端を嫌うもの。彼らもまた周囲とは違う他者である矛盾に滑稽さを感じる。アインシュタインによると、常識とは「18歳までに身につけた偏見」らしい。個々の常識ですら偏見の塊だと言うのだ。偏見の塊が常識なのであれば、『出る杭を打つ』行為は己の偏見を他者に押し付けることと同義である。
もし、今の世界に閉塞感を覚えるならば、他者が押しつけてくる偏見を拒絶すればいい。かつて大人たちから聞いた「自分らしく」ではないが、己の偏見を信じてはみ出してみるのも一興だ。嫌々他者の偏見を受け入れ、ちょっと出た杭が一番しんどい。
今日のブログを読んであるテレビ番組を思い出しました。それは、確か2008年の27時間テレビの中のビートたけしがさんまの愛車にイタズラするというコーナーです。たしかに少し過激なイタズラだったのですが、その時の周りにいる若手芸人はただ、危ないだのサイテーだのえらく常識的な事ばかりをほざいていて、当時見ていた僕は彼らの反応に興ざめしました。笑いをとることが至上目的で常識にとらわれるべきではない芸人でさえこの体たらくです。もっともっと個性のある(常識にとらわれない)人物がでてきてほしいものです。
返信削除ただ、常識をはみ出すために何かをするのではなく自分がやろうと思ったことが結果的に常識からはみ出ていた。そのやりたい事をやるための勇気を僕は持ちたいです。
four-starさん、コメントありがとうございます。
返信削除周りと違うことをするというのは勇気が必要です。
しかし、常識とやらに支配されて生きていくのは私はとてもつまらなく感じます。
周りと同じようなことをし、周りと同じような道をたどり、などと自ら個性を埋没させています。
私が思うに、歴史に名を残すような人たちは、周りと違うことをしていたので、とんでもない発見や世界を変えるようなことができたのではないでしょうか。
最初は周りの人に、全く相手にされなかったり、バカだと罵られたりしていたかもしれません。
しかし、彼らはそれを決して恐れずにひたすら前に突き進んできたのだと思います。
常識など面白くありませんね。
一度だけの人生、とんでもなくバカなことをやってみたいですね。