2011年10月20日木曜日

ことばの力

 今日の青森は快晴。寒いのだが、とても気持ちの良い日であった。明日も晴れてくれるだろうか。



 今日新聞を読んでいて、たまたま見つけた記事があり、その文章がとても気に入ったので、それを少し書かせていただきたい。


   そのとき
   ことばは なすすべもなく立ちつくしていた。
   ことばは じぶんの無力を感じていた。

   ことばは がれきをかたづけることができない。
   ことばは おなかをみたすことができない。
   ことばは 電気をつくることができない。
   ことばは 病気をなおすことができない。
   ことばは 寒さをしのぐことができない。
   ことばは なにができるだろう。

   ことばは はなればなれの家族をさがした。
   ことばは ご近所のきずなをつないだ。
   ことばは やりきれない怒りをつたえた。
   ことばは 満開の桜の下でかわされた。
   ことばは 日々のくらしをとりもどそうとした。
   ことばは それでも忘れることはない。

   ことばは ひとびとの数だけある。
   ことばは ひとびとの日々の数だけある。
   ことばは 日々の気持ちの数だけある。
   ことばは この国のいたるところにある。
   ことばは ひととひとをつながなければならない。
   ことばは 過去を忘れずに伝えなければならない。
   ことばは 未来について語らなければならない。

   ことばは 語ることをやめない。


 毎日新聞創刊140年と書いてあった。今日は「新聞広告の日」らしい。言葉の持つ力を改めて感じる文章であった。言葉ができることとできないことがある。一体この言葉で何ができるのだろうか。日々何気なく話をしている。「以心伝心」という四字熟語があるが、言葉なしでもお互いの気持ちがわかり合える。それはそれで素晴らしいことである。しかし、やはり大切な言葉は言語化して相手に伝えなければならないと私は思う。ときには言わなければならないことを、押しとどめてしまう時もあるだろう。相手の反応を恐れてしまう。しかし、それでも言わなければならないときがある。たとえ傷ついてしまっても。言葉は時として人の命をも奪ってしまう凶器となることがある。反対に、人の命を救う力も持っている。私は言葉の力を信じている。もしかすると、私の言葉で救われる人がいるかもしれない。一歩踏み出してみようと思う人がいるかもしれない。何故なら私も言葉に救われてきたからだ。普段何気なく使っている言葉。もう少し、言葉について考えながら使ってみようと思う。

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