2011年10月2日日曜日

「強い人間」とは

 今日の青森は雨で寒い。なのでどこへも行く気がしないので、部屋でゆっくりしている。いや、ゆっくりしているほど余裕はないのだが、教職の課題やレポート、ボランティアの件についてもやっていかなければならない。今週、今月は忙しくなりそうだ。


 最近のブログで、私の力不足ということについて書いたが、その日以降やっぱり悩んでいる。その日は、自分を責めていて、それは今も続いているのだが、怒りにもなったりしている。自分の弱さに思わず下を向いてしまう。
 「強い人間」とは一体どういう人のことを言うのだろうか。私が思っている強い人はたくさんいる。長渕剛であったり、映画の007だったり、オバマ大統領だったり、尊敬する友人であったり、そして母であったり。みんな眩しく見えてしょうがない。私が理想とするものを持っている。
京都にとある店の壁
 重大な決断をするときには、どれほど迷っても苦しんでも周りから何と言われようとも、決断して前に突き進んでいかなければならない。そして責任である。例えば長渕剛ならば、すべてを自らが監督をする。照明であったり音響であったり舞台設計であったり何から何までだ。スタッフがミスをしても、それはスタッフが責められるわけではない。すべては長渕剛の責任だ。そうならないために彼は圧倒的なリーダーシップを発揮する。007もそうだ。どんな困難があろうとも、任務遂行のために命懸けで戦う。オバマ大統領もそうだ。国を背負って生きている。自分がこうだと言えばそうなってしまう。どれほど重い責任があるのか。
 「強い人間」の定義はなかなか難しい。うまく言葉では説明できないが、それぞれ思っている「強い人間」がいると思う。なれるならその人になりたいと思う時もあるが、それは不可能だ。なる必要もないし、自分なりの「強い人間」を思い描き、なれるように努力すればいい。しかし、私にはどうも思い描くことすら難しいようだ。ことの進め方もやり方も、決断しなければならないときはいつも曖昧な返事しかできない、メンバーには迷惑をかけ・・・。リーダー失格だ。逃げて逃げて、一体どこまで逃げ続けるのだろうか。一体いつ勝負するのだろうか。
 どれほど強い人間でも、悩みや苦しみ、迷いはある。人間は誰もが弱虫、寂しさを背負って生きている。そんなモノをぶち壊す力がほしい。破り捨てる力がほしい。前に突き進む力がほしい。もう逃げるのはやめにしたい。そろそろ腰を据えて受けとめてもいいんじゃないか。それで負けたらそれくらいの人間だったと、これもまた自分を発見できる。下を向いている目線を少しだけ上げてみようか。景色がよく見えるかもしれない。何か見えるかもしれない。勝負は始まったばかりだ。

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