最近のブログで、私の力不足ということについて書いたが、その日以降やっぱり悩んでいる。その日は、自分を責めていて、それは今も続いているのだが、怒りにもなったりしている。自分の弱さに思わず下を向いてしまう。
「強い人間」とは一体どういう人のことを言うのだろうか。私が思っている強い人はたくさんいる。長渕剛であったり、映画の007だったり、オバマ大統領だったり、尊敬する友人であったり、そして母であったり。みんな眩しく見えてしょうがない。私が理想とするものを持っている。
京都にとある店の壁 |
「強い人間」の定義はなかなか難しい。うまく言葉では説明できないが、それぞれ思っている「強い人間」がいると思う。なれるならその人になりたいと思う時もあるが、それは不可能だ。なる必要もないし、自分なりの「強い人間」を思い描き、なれるように努力すればいい。しかし、私にはどうも思い描くことすら難しいようだ。ことの進め方もやり方も、決断しなければならないときはいつも曖昧な返事しかできない、メンバーには迷惑をかけ・・・。リーダー失格だ。逃げて逃げて、一体どこまで逃げ続けるのだろうか。一体いつ勝負するのだろうか。
どれほど強い人間でも、悩みや苦しみ、迷いはある。人間は誰もが弱虫、寂しさを背負って生きている。そんなモノをぶち壊す力がほしい。破り捨てる力がほしい。前に突き進む力がほしい。もう逃げるのはやめにしたい。そろそろ腰を据えて受けとめてもいいんじゃないか。それで負けたらそれくらいの人間だったと、これもまた自分を発見できる。下を向いている目線を少しだけ上げてみようか。景色がよく見えるかもしれない。何か見えるかもしれない。勝負は始まったばかりだ。
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