2011年10月25日火曜日

challenged

 今日の青森はあいにくの雨であった。最近雨が多い。晴れてほしいものである。まだあまり寒くないのが救いだ。


 来週教職課程の一環として、特別支援学校を訪れることになっている。普通高校の見学か、特別支援の学校かどちらか行きたい方を選べる希望制だったのだが、私は特別支援を希望した。特別支援の学校を見る機会がこれからもそうないと思ったからだ。来週お邪魔させてもらうので、今日は行く前の研修ということで、特別支援とは何なのか、その歴史、来週訪れる学校はどのような教育を行っているのかを少し調べて、みんなと意見交換をしたのだった。
 「障害者」と「健常者」という言葉があるが、私はこの言葉をあまりよく思っていない。明らかに区別しているからだ。例えば、車いすの方がいるとする。階段を上り下りする事ができない。そのとき、この方は「障害者」になるのかもしれない。しかし、そこにエレベーターがあれば、そこにスロープがあればこの方は誰の手も借りずに違う階へ移動する事ができる。目の不自由な方がいれば点字ブロックを。耳の不自由な方がいれば音声解説などを。このように単純にはいかないかもしれないが、それらの配慮があれば「障害者」は障害者でなくなる。「障害者」と「健常者」というふうに区別しているのは紛れもない我々「健常者」である。私はいつの日かこの「障害者」、「健常者」という言葉がこの世からなくなることを願っている。私たちは同じ人間である。区別する理由がどこにあるのか。
 私は今まで体に障害を持った方と生活を共にしたことがない。右半身体がマヒしてしまっている方なら私は長期休暇でいつも会いに行っているのだが。その方はこのブログでも何度か出てきているが、私の恩師である。小学校、中学校の時に主にお世話になったのだが、今もお世話になっている。右半身がマヒしているといっても、生活にはほとんど支障はない。今はご高齢ということもあって、歩くことが困難になってきているのだが、元気いっぱいである。ホームヘルパーの方がご飯を作ってくださっているのだそうだ。
 「障害者」は英語で何と言うか知っているだろうか。私もあるドラマを見て知ったのだが。「障害者」を英語で“challenged” という。この人ならこの壁を越えられるという神様から与えられた試練だ。何と素晴らしい言葉なのだろう。私たちが見習わなければならない。困難を乗り越える人、乗り越えようとする人は、本当に強い人間である。困難から逃げようとするのは我々「健常者」なのかもしれない。



 明日は授業はない日なのだが、市役所の方まで行かなければならなくなった。助成金の話なのだが、明日はよりによって寒くなる。面倒だが、行かなければならない。

0 件のコメント:

コメントを投稿