2012年12月17日月曜日

Heavenはそう遠くはなかった

私の部屋は当たり前だが寝るときにはカーテンをしている。そして朝起きた時、カーテンの隙間から光が差し込んでくるのだが、その光の強さでだいたい天気がわかる。今日は光が強かった。つまり・・・・・、晴れだ!!久しぶりの晴れである。雪や雨が続いていたが、今日は太陽だ。何かいいことがありそう、というカンは当たった。以前内定をひとつもらったのだが、今日はもうひとつもらった。嬉しい。嬉しすぎる。もうそれしかない。
 今年は今までで一番辛い年だったかもしれない。何もかもがうまくいかない。死んでしまいたくなる程苦しくて悲しい時もあった。人間とはこんなにも薄っぺらいモノなのかと嘆く時もあった。己の人間力が試される瞬間だった。それがずっと続いていた。自分でも言いたい。「よくがんばった」と。
 私はあまり自分のことを褒めることは少ないが、今年はよく頑張ったと思う。よく耐えたと思う。頑張り抜いたと思う。よく戦ったと思う。よく最後まで諦めなかった。振り返れば涙が出てくる。今年で私は何倍も何倍も成長したと思う。自分で自分を褒めてやりたい。
 就活は今週で終わると思う。今残っているところは最後までやり遂げたい。大学のキャリアセンターの方とも約束をしている。自分でもその方に「今受けているところから全て内定もらいますよ」と。長かった就活ももう終わる。本当に長かった。人よりもうんと社会勉強をした。私は強くなった。
 今週末大阪に帰るが、やっと胸を張って帰れる。家族にいい報告ができそうだ。1年以上をかけた就職活動も改めて話をしよう。常に頭の中にあった「就職活動」という文字の鎖を断ち切ることができる。本当に心からゆっくりできそうだ。
 今残っている企業はあと二つ。ここからも内定がもらえるように最後までやり遂げよう。“Heavenはそう遠くない。日々近づいていっている。”本当にそうだった。それほど遠くはなかった。日々近づいて行っていた。

2012年12月16日日曜日

アメリカ銃乱射事件

先日起きた、アメリカでの銃乱射事件について少し書きたい。私の恩師もこの銃乱射事件のことを書いており、それも参考にさせていただきたい。
 コネチカット州という州で起きたのだが、日本ではそんなに衝撃的に伝えられてはいないが、この州は全米でも有数の豊かな(おそらく全米No.1の所得を誇る)らしいのだ。古くから産業革命が進んだ工業州で、軍需産業も盛んという。原子力潜水艦ノーチラスが進水した州でもある。また、NYCのすぐ西側にあり、富裕層が郊外感覚で住むところなのだ。州都ハートフォードは保険会社が集まる保険の首都と呼ばれる街。だから治安が圧倒的にいいのだ。こういう事件とはほとんど無縁の州だったわけである。
 犯人の精神的な問題が少しずつ報道されている。その動機云々はともかく、日本では依然として銃規制についての報道が目立つ。いいかげん、ちゃんとアメリカの銃社会の本質というか、自由と民主主義にかかわるアメリカの基本的な姿勢について語ってもいいのではないか。
 民主主義の根幹は、自分の自由を守るためにあり、権力に対抗するために銃を保持するというアメリカの姿勢は、日本のマスコミでは、なかなか語られることがない。だからいつまでたっても日本人は、本当のアメリカを理解することができないのではないか。
 私もアメリカ社会における銃規制はある程度必要だと思うのだが、同時にこう思う。自由や民主主義という概念は、日本のマスコミが謳いあげるような安っぽいヒューマニズムではない。

 こういう事件が起こるたびに、「アメリカは怖い国だ」、「危険な国だ」と声を発する者がいるが、聞いていて腹が立つ。どこの国にいたって、殺されるときは殺される。日本も例外ではない。人間味の温かさから言えば圧倒的に日本よりもアメリカの人々のほうがいい。人生と楽しむ天才のアメリカ人。それにはついつい憧れてしまう。現代は昔よりも世界は近くなった。しかし、「見えない壁」はまだまだ立ちはだかっているの明らか。この島国である以上、それは仕方のないことかもしれないが、その「自分自分」の考えはもう通用しないことを認めたほうがいいだろう。世界からもっといろんなものを学ぼうという意識さえもこの国では起こりにくいのかもしれない。まずは意識的な改革が必要だと思う。

道具ではない

 前の投稿で政治のことについて書いたのだが、今回もその続きを少し書きたい。つい先程、とある人から電話があったのだ。「○○党に一票入れてほしい」とのこと。この電話の主はあるところで知り合ったのだが、もう1年半以上も連絡を取り合っていなかった。正直、それきりの友達であった。いや、友達というよりもただの知り合いだ。私としてはもう二度と会うことはないし、会いたいとも思わない人だった。しかし、急に電話でそのようなことを告げられた。何を言っているんだこいつは、と思った。私はその人のことは好きではないし、多分その人も私のことは好きではない。それなのにどうして選挙があるから一票入れて欲しいというなんとも厚かましい意味のわからないお願いをしてくるのだろうか。そもそも、選挙は自分で考えてどの政党がいいのか決めて、自分の意志で一票を投じる。どうして人のお願いに従わなければならないのだろうか。選挙前になると、○○の政党に入れて欲しいというお願いをよくされる。大阪にいても、わざわざ自宅まで来て、「よろしくお願いします」と。
 今回、私が意見したいのはこの選挙に関してもそうなのだが、人を選挙の道具に使わないでくれということだ。仲がいい友人であれば、選挙でどの政党に入れるのかの話はするが、仲がいいとも言わない、お互い会う気も話す気もない間柄で、どうしてこんな時に電話ができようか。「久しぶり」とあたかも機嫌を伺うような話し方で、なおさら腹が立つ。適当に受け答えして電話を切ったが、腹が立ってしょうがない。人間を舐めている。向こうも会う気がないのに、こっちに来たら連絡をしてくれ、だと。今まで一回も連絡ととっていないくせによくそんなこと言える。いいかげんにしてくれ。まあ、これが「付き合い」というものかもしれない。社会に出たら、この「付き合い」で行きたくもないところや話したくない人とも話をしなくてはならなくなるのだろう。


 月曜日の夜、また就活で東京に行く。そしてそのまま大阪に戻る予定だ。10月下旬以来の大阪だ。なんだかかなり時間が経ったように感じる。アルバイトも入れてもらえそうだ。年末年始はどう過ごそうか。毎年恒例のバーゲンセールに年始から走ろうか。去年はそうであった。最近、ただ見るだけのウィンドウショッピングばかりで何か欲しい。交通費ですべてが消えてしまっているので、こんな贅沢はできないが。結局生まれ育った場所が一番落ち着くのは、誰でもそうなのかもしれない。私は間違いなく、都会の人だ。大都会の方が自分に合っている。というか都会を求めている。年をとったら田舎の生活に憧れるのかもしれないが、私はもっともっと都会でいろんなものを吸収した。人にもまれて大きくなりたい。疲れたって、ストレス溜まったって、それ以上の刺激を与えてくれる都会がいい。だって若いんだから。と、大阪に帰る日が近づいてきて、つくづくそう感じるのである。

2012年12月15日土曜日

どう見る、この国を

地鳴りのような轟音を上げ煙を発しうごめく巨大な船影。1953年、ペリー提督率いるアメリカ艦隊が浦賀湾沖に姿を現した。世に言う“黒船来航”である。いきなり目の前に現れた圧倒的な力。あるおのは武器を手に、あるものは知恵を絞り異国へ立ち向かった。
 近代日本の礎を築いた“坂本龍馬”もその一人だ。「世に生を得るは事を成すにあり」(司馬遼太郎著『竜馬が行く』より)。当時19歳の若者この時を境に「日本国」のため自らの一生を捧げることを決意。諸藩が力を合わせる必要性を説き、薩長同盟を実現させ大政奉還を成し遂げた。
 黒船来航から約150年。当時2週間あまりかかった京都東京間新幹線でわずか2時間半。その気になれば、日本中どこの情報だろうと一瞬で手に入る。一方で続いている未曾有の経済危機。年々強大になる経済力を背景に干渉を繰り返す隣国。この現在の日本が龍馬の生きた時代、幕末と重なる。では、今の日本に志を持ち、国難に立ち向かった龍馬のような若者はいるのか。
 36.0%ー。2007年7月29日に行われた参議院議員選挙での20代の投票率だ。他の先進国と比べても、極端に低いこの数字。若者の政治離れは、低下する学力同様、危機的状況と言える。確かにグローバル化社会の進展で国際状況が複雑化する時代。選挙で一人が投じる一票が国を劇的に変えることはできないかもしれない。しかし、だからと言って、「国民」としての義務を放棄してよいはずがない。
 33歳で暗殺されるまで「日本国」のために命をかけた龍馬。短い生涯を閉じた若者は霊山護国神社で幕末の志士たちとともに、ひっそりと眠る。京都市内を一望できる東山で世界を、そして私たちをどのように見ているのだろうか。

バタフライ効果

 今年ももうすぐ終わりに近づいている。今年も早かったかな。今年は就活三昧の年であった(笑)。数億倍成長した年である。これでまた話のネタが増えた。実に素晴らしい社会経験をさせてもらった。大変で辛い年ではあったが、これで私も少しは強くなった。もしかしたら青森よりも東京で過ごした日にちの方が長いかもしれない。改めて移動距離を調べてみようと思う。



 青森に戻ってきた日、大学に行ったのだ。またキャリアセンターに現状報告しに行くためにだ。キャリアセンターの教室に行く途中に、最近かなりご無沙汰していたが、私の好きな教授のひとりであるH教授にあったのだ。この先生とすれ違うたびに毎度毎度立ち話をしてしまう。私のことを気にかけてくれているみたいなので、本当に嬉しい限りだ。久しぶりという話になり、私がまだ就職活動をしています、と言うと驚いた顔で、「君だったらすぐに決まると思っていたのにね。企業も見る目がないね」とおっしゃっていた。さすがH先生、わかっていらっしゃる(笑)。もうすぐ卒業ということで、今お世話になっている教授とはお別れになる。出会いがあれば別れがあるが、寂しいものは寂しいものだ。今度は立ち話ではなく、ゆっくり話をさせていただきたい。
 キャリアセンターに行ったのはいいものの、またまたいつもお世話になっている人と2時間以上も話し込んでしまった。内容は世間話であったり、東京の話であったり、アメリカの話であったり。私としてはそれが楽しくてしょうがない。その方も「今日も楽しかったわ」とおっしゃってくださるので、いつも来てよかったと思う。人生の先輩からも学ぶものは多い。


先日、東京で泊めてもらっている友人から「バタフライエフェクト」という映画を紹介してもらった。この映画は実に興味深かった。このバタフライエフェクトというのはバタフライ効果という意味である。バタフライ効果というのは、蝶が羽ばたいた時、地球の裏側で竜巻が起こるというものだ。つまり、どんな些細なことでも多大な影響を及ぼしているかもしれないということだ。
 映画の詳しい内容には触れないが、主人公は大人になって、子供の時に書いていた日記を読むと過去に戻れるというものだ。いつに戻ってやり直しても、必ず誰かが悲しい思いをしているという結果になる。そして最後に主人公が選ぶ道があるのだが、これがなんとも切ない。
 この映画を見終わった時、いま自分がしてることについて考えてしまう。いま自分がしていることが、未来に大きな影響を及ぼしているかもしれない。どんな些細なことでも未来は大きく変わってしまう。そう考えれば、いま自分がしていることが未来にどのような影響を及ぼしているのか、恐ろしくらいに気になってしまう。うかうかなんてしていられないとも思うし、ついつい先々のことを考えてしまい、行動に移せなくなってしまうかもしれない。複雑な気持ちになってしまう。
 しかし、現実に存在するのは「今」だけだ。過去も未来もない。未来は「今」の積み重ねなのだ。先々のことを考えるのはいいことかもしれないが、未来が保証されていなかったら行動に移さないのはただの敗者だ。未来が保証されていなかったら何もしてはいけない人生など、何が面白いのだ。私たちはこの映画の主人公とは違い、過去に戻ってやり直すことはできない。人生には練習もリハーサルもない。常に本番なのだ。未来にどんな影響を及ぼすのか。そんなことわからなくとも、必ず何かしらの影響を及ぼすことは分かっている。それならば、今、教養を身に付けよう、友情・絆を深め合おう、自分の認識・価値観を広げよう、社会勉強をしよう、・・・。やるなら今。今、やることがある。蝶が羽ばたいた時、地球の裏側では竜巻が起こっていることを信じて。

2012年12月14日金曜日

お互い頑張ろうか

 昨日青森に戻ってきた。やはりこちらは雪が積もっていて、かなり寒い。夜行バスで朝青森に着き、母から根昆布を買っておいてくれと頼まれていたので、駅前に市場があるのだが、いつものところで根昆布を買った。そういえばもうここに来るのも数えるくらい。大阪まで配達できるか尋ねると、もちろんとのことであった。


 
今回は1週間ほど東京にいた。土日以外は全て就活で埋まっていた。こちらに帰ってきてからはホッととしたのかかなり疲れていることがわかった。水曜日の夜にバスに乗ることになっていたが、就活が終わった後、最初のボランティアで知り合った友達と会う約束になっていた。明治大学の学生で、御茶ノ水にキャンパスがあるのだが、私が就活が終わってからそちらに向かった。2014年度卒の就活が始まっていて、明治大学にもたくさんのリクルートスーツを着た学生がたくさんいた。なんでも、毎日企業説明会が大学であるのだとか。しかも有名企業ばかり。さすがブランドのある大学は違う。
 その友達は今3年生なのだが、就活はしていない。将来、司法試験を目指していて、大学院へ行くために今猛勉強中なのだ。毎日夜中の2時3時まで勉強しているそうだ。彼も私が尊敬する友達の一人だ。勉強が忙しく、今回もゆっくりする時間はなかったが、楽しい時間を過ごすことができた。
 彼とは似ているところがある。その似ているところの話をしたりして、どう思っているのか、聞いてみたりした。今回話しをしたのはいくつかあるが、「人付き合い」について話をした。彼も私と同じで、好き嫌いがはっきりしている。彼に自分で人付き合いが苦手だと思うかと聞いていると、そうは思わないと。私も同感だ。その他にも、「約束」についての話もした。彼ほどの人格のある人と話をしていると話をしていて楽しいし、学ぶものも多い。
 ご飯を食べたあと、彼が文房具屋に行きたいと言い、お茶の水駅前の文房具屋へ行ったが、彼の欲しいものはなく、新宿の文房具屋に行った。膨大な資料があるらしく、それを整理するために必要らしい。資料の一部を見せてもらったが、意味不明だった(笑)。司法試験となれば生半可な気持ちでは太刀打ちできないことがわかる。
 焼肉食いたいな、という話をしながら別れた。落ち着いたらまたゆっくりご飯でも行こうか。来年の夏から秋にかけて大学院の試験が始まるらしい。今はそれに向けて猛勉強。彼も頑張っている。私も頑張らなければ。別れてからメールを送り、彼からの返信メールが面白かった。「お互いギリギリ死なない程度にはがんばろうか」(笑)。そうだな。死ぬ気でやろうな、死なないから。
 彼は小さなノートに自分を奮い立たせるための名言をメモっている。そして自分でも言葉を作っている。今感じたこと、思ったことを言葉として文字化している。この文字にするところは素晴らしいことだと思う。文字にすることにより、それは確実に現実とかする。彼も自分に厳しい人だと思う。見習わなければ。
 彼に一つ名言を贈ろう。

 “行く価値のある場所には、近道などひとつもない。” ~ビヴァリー・シルズ(オペラ歌手/アメリカ)~

2012年12月4日火曜日

教職最後の授業

 明日の夜、東京に向けて出発する。12月になった。次の新卒採用が始まったということだ。焦りはないと言ったらうそになるだろうが、勝負の月になりそうだ。今受けている企業からすべて内定をもらうつもりだ。迷う時間はない。
 今日は大学へ行き、キャリアセンターにお邪魔した。最近お世話になっているのだが、就活状況を報告しに行ったのだ。「もっと早くこればよかったのに」、と以前言われたが、前にも言ったように私は反キャリア側だったので、利用しなかった。しかし、キャリアセンターの方が非常に私と話が合うので、それを楽しみに行くようになっている。今日は2時間半くらい話をしてしまった。内容はもちろん就活のこととプラスαだ。今日の話で大分私のことを理解してくれたらしく、私もその方の話が非常に面白いので、すべてが終わったらゆっくり話がしたい。いやー、実に楽しい時間であった。



明日、教職の授業が最後なのだが、教育実習に関しての発表をしなければならないのだ。20分以内でという話で、その様子をDVDに撮るのだ。DVDに残すほどの者ではないと思うが、私の代が教職課程のパイオニアなので、教授たちも張り切っているのだろう。それはそれとして、何を発表するのか話をまともていたところだ。自分が担当していた現代社会の範囲もすっかり忘れてしまっていたので、復習していた。といっても20分くらいしかないので、感想を言えば終わりのような気もするが。
 そういえば、教育実習中に生徒から、大学では何を学んでいるのか、という質問を受け、経済を学んでいると答える。そもそも経済とは何なのか。経済を学んだとは言え、詳しく語れるくらいのレベルではないが、「経済」という意味くらいなら説明できる。経済の意味は、「経世済民」である。文字通り、「世をおさめ、民をすくう」である。何と素晴らしい学問なのだ。これを聞いた時はそう思ったのだが。
 この経済という訳語の作者は福沢諭吉だ。福沢諭吉と聞くと私はどうもいい感じがしないのだ。この国の最高紙幣となっており、偉大な人物の一人となっているが、私は好きではない。何故なら福沢諭吉は戦争を擁護しているからである。前期の福沢諭吉は偉大なのだが、後期の福沢諭吉がだめなのだ。西洋は文明的でアジアは野蛮であり、日本は半野蛮だから、他のアジアの国を発達させるために植民地化することは正しいといったのだ。このことを日本は隠そうとしている。『脱亜論』だ。韓国の方々はこのことをかなり不満に思っているそうだ。だいたいなぜこの人が最高紙幣となっているのだろうか。紙幣とは国の象徴である。しかも最高紙幣である。この国はこういう方針で行きますよ、と言っているようなものだ。
 話がこのようにずれてきてしまったのだが、身の回りのことでももう少し興味を持った方がいい。「これはなぜこうなのか」、「どうしてなんだろう」、「なぜだろう」。そこから勉強が始まる。まあ、どうでもいいが明日の発表どうしようか。

2012年12月1日土曜日

東京大学駒場祭

 今日の朝青森に戻ってきた。朝は雪が積もっていなかったのだが、夜になるまでに雪が積もった。去年は雪が多かったが、今年はどうなることやら。
 いつもバスに乗って朝青森駅に到着し、そこからうまく行けば下宿行きのバスに乗れるが、うまくいかない場合は2時間も3時間も待たなければならないときがある。休日のバスの便数は極端に少ないのだ。平日も少ないが休日はもっと少なくなる。青森に住んでいるとバスの時間を気にしながら生活しなければならないのが一番嫌なことだ。大阪や東京で生活するとその様なことはまず心配しない。行ってしまってもすぐにまた次の電車が来る。青森ではバスが行ってしまうと次に来るのが数時間も後になることもしょっちゅうだ。ただでさえ人間は時間に縛られて生きているので、交通機関を利用するときくらいは時間を気にしなくてもいいようにしたいものだ。


先月の11月25日(日)、就活もなく夜に青森に戻る日だったのだが、特にやることもなかった。ちょうどその日に東京大学の大学祭がおこなわれている日で、東京の友人も行けるということで少しだけだったが、東京大学の駒場キャンパスに行ってきたのだ。東大の大学祭は五月祭と駒場祭があるのだ。駒場祭は教養学部前期課程のみで構成される駒場祭委員会により開催されている。
 人がたくさんいて私の大学の大学祭とは大違いであった。400を超える企画が参加するこの駒場祭。企画されているイベントなども高度でさすがは日本一の大学という貫禄であった。この駒場祭にな毎年テーマというのが掲げられている。今年のテーマは、“Festaholic”だ。Festival(お祭り)+holic(~中毒)でこのテーマとなり、駒場祭に思いっきり打ちこんでほしいという思いと、駒場祭に来てくださるお客さんにその思いをしっかり伝えようという誓いが込められているそうだ。このテーマはもちろんだが毎年違う。私は過去のテーマを見てすごく感動したのだ。これぞ日本一の大学!!というのがまざまざと伝わってきた。日本を動かすにはこれほどの知恵と力が必要なのだということが分かる。私が一番気にいったのは、32回のテーマ「時代の奔流に世界が眠りこむ今 真理を叫べ 警笛を鳴らせ 世紀末の暗雲を突き破り 飛翔しよう!」だ。そのテーマによって時代背景が見えてくる。最近のテーマは短くまとまっているのが多くなってきているが、私は昔の方が好きである。どれもふつふつと力がみなぎってくる美しいテーマで、これはもはや名言の域に達する。まあ、今回大学祭に足を運んだのは、東京大学をいろいろ調べている時に、この大学祭のテーマを見つけたので、興味を持ったのだ。実にすばらしいテーマである。

2012年11月27日火曜日

“アルカディアの道を急げ!!”

 月曜日の朝青森に戻ってきたが、今日また東京に行く。もう行ったり来たりで大変大変。青森はもう雪が積もっている。かなり寒い。もう冬が来てしまったのだ。うんざりするところではあるが、雪をも溶かすくらいの勢いでやるしかない。気合を入れていこう。“Heavenはそう遠くない。日々近づいている”のだから。

 就活生の中ではかなりの移動距離だと思う。この前までは、おそらく10本の指に入るだろうと言っていたが、今は5本の指に入るだろう。それくらい移動している。すべてが終わったら、どれくらい移動したのかを計算してみよう。
 東京にいるときに、NHKの番組で「しあわせな就活」という番組を夜中にしていたので、それを観たのだ。東京の大学生で女性なのだが、秋になっても内定が決まらないという話だ。結果的には決まってめでたしめでたしという内容だったが、確かに苦労していた。その気持ちは痛いほどわかる。靴は3足目らしい。私の靴もかかとがかなりすり減っていて、そろそろ修理に出さないといけない。
 働く気がなかった企業から内定をもらったが、罪悪感を感じて内定を断り、やっぱり自分が進みたい仕事を探し続けてやっともらえた内定だった。本当にうれしそうな顔をしていて、私もそれを見て嬉しくなる。内定をもらう前のインタビューでは、「もう地獄ですよ」、「内定ほしいんですよ」、「頭がぐちゃぐちゃ」と言っていた。まさに今の私。でも内定が決まった時の言葉は、「春に決まった人には絶対に負けません」だった。
 私の理想郷への道はまだまだ遠い。周りが自分の時間を楽しんでいる中で、私はひたすら理想郷を探している。この理想郷は就活に限ったことではない。私は探し続けるだろう。自分に問い続けるだろう。悩むのが人間。悩んで悩んで、強くなる。笑われて笑われて、強くなる。
 そういえばこの前のブログで受験生に送った言葉があったが、あれは私が浪人生の時にお世話になった倫理の先生の言葉である。この先生は倫理だけではなく、世界史も担当していた。世界史の受験生には違う言葉を送っていた。それを今度はもう一度私自身に送りたい。

“アルカディアの道を急げ!!”

2012年11月19日月曜日

世界史チーム招集

 明日からまた東京に行く。毎週火曜日に教職課程の授業があるため、それに出席しなければならない。その一つの授業のために青森まで戻っている。周りの人はもうほとんど就活が終わっているため、自分のことに時間を費やしているだろう。うらやましい限りだ。まあ、人は人、自分は自分だ。私は東京、大阪を何度も行っているので、周りの人からしてみれば私は羨ましがられているのかもしれない。もう東京に行っても新鮮さもないし、どこどこで遊ぼうという気も起らない。大阪は生まれ育った場所なので、行きたいとかそういう次元じゃない。大阪の周りの京都や神戸ももう何度も行っている。というかいつでも行ける。おっと、そんなこと考える前に就職活動をしよう。

 12月1日に私が浪人していたときの世界史の先生が、今までの教え子たちを招集するというのを知った。場所は京都、北野天満宮。きた!きたきたきた!と思ったのだが、私はおそらく就職活動だろう。この招集は4年に1回ある。今回は生徒から提案したらしく、それではやろうということになったらしい。参加条件は一度でもこの先生の授業を受けたことのある人だ。
 この前はフランスのパリ、ルーブル美術館集合であった。もちろん行ける人だけだが。その前はカンボジアのアンコールワットに集合であった。なんてスケールのでかい夢の詰まった企画なのだろう。私も行きたかったのだが予定が合わず、残念であった。時間があれば個人的に会いに行こうと思っている。先生も私のことは忘れてしまっているかもしれないが(笑)。


 
アメリカ一人旅でニューヨークとワシントンD.C.を訪れたが、まだ行かなければならないところ、やりたいことがたくさんある。連邦準備銀行の金塊を見なければならない。ミュージカルのスパイダーマンを見なければならない。ハーレムのゴスペルツアーに参加しなければならない・・・・・。いろいろあるが、そしてもう一度ホロコースト記念博物館に行きたいのだ。
 この世で最も非人道的な出来事として歴史に残っているホロコースト。前にも述べたが、この博物館に行くためだけにアメリカに行く価値はある。広島の原爆ドームよりもはるかに恐ろしい博物館である。会話すらできない場所だ。このような歴史があったというのは、なかなか信じることができない。しかし、その悲惨な歴史を直視しなければならないのがここを訪れた者の義務だ。
 なぜ歴史を学ぶのか。それは様々な理由がある。過去のことなんてどうでもいいという人もいる。科学の発展を優先する人もいるだろう。歴史は何のために学ぶのか。それは同じ過去を繰り返さないためである。歴史が教訓として教えてくれている。先日のアメリカ大統領選挙で負けたロムニー氏は戦争擁護であった。もちろん最終手段としてだが。戦争という言葉を聞くとあのホロコーストのシーンがよみがえるのだ。あれを見れば誰もが戦争の悲惨さを理解できる。歴史は決して繰り返してはならないのだ。
 この歴史を学ぶ大切さを浪人時代の世界史の先生に教わったことだ。浪人時代にこのホロコースト記念博物館のことを先生に知っているか尋ねたら知らないというので、今度お会いできた時には私が先生に話をしたいと思う。
 

これからも続くであろう友達

 このブログではいろいろなことを書いてきた。まあ、ほとんど自分のことだが(笑)。同じことを何度も書くこともあるし、あの時はこう言ったが今はこう考えるといった考えの変化もある。背骨であったり、軸となるところは変えていないつもりだ。あくまで自分の考えであり、自分の考えを押しつけるつもりなど毛頭ない。周りの人とは違った考えや変わった考えをしているかもしれない。「頭おかしいンとちゃう」と言われても仕方がないかもしれない。自分自身のことについて自問自答し、葛藤している。死ぬまで自分に問い続けるだろう。それがいい。それが私なのだから。

私は好き嫌いが激しい方かもしれない。好きなことはとことん好きになるし、嫌いなことははじめっからやらないし、興味のないことは続かない。初めは興味がなかったが、人に紹介されて好きになることはあるが。これは人付き合いにも表れている。世の中、好きな人や嫌いな人、合う人や合わない人、面白い人や面白くない人、挙げたらキリがないがいろいろな人がいる。世の中すべてのひとを好きになればこれは素晴らしいことだが、人間関係はそうはいかないだろう。中には嫌いな人なんて一人も存在しないという人がいるかもしれない。それは私も見習いたい。しかし、それは私にはできそうもない。中には、言葉は悪いが嫌われたくないから「いい人ぶる」人もいるだろう。それはそれで結構だ。周りから好かれようと努力しているのだから。
 あまり使っていないのだが、FaceBookをやっている。友達になろうと私に申請してくれる人がいる。なんて嬉しい話なんだ。私と友達になってくれるのか、ありがとう。とそこから親交が深まればいいのだが、私の場合、そうはならない。今まであまり話をしたことがない人から友達申請が来ることがある。嬉しいことはうれしいのだが、なぜ友達になる必要があるのかがわからない。自分が今何をしているのか、今日はこんなことがあったなどと、投稿するが、今まで話をしたことがない人のことなど興味を示すだろうか。私がこんなことをしました、と投稿してもその人は全く興味がないだろう。だから何なんだよっていう感じだろう。友達が何百人という人がいるが、私はそこまで増えることはないと思う。増えたとしても、本当に興味を持って投稿を見るのは数十人くらいだろう。
 中学校の友達でいまだに親交があるのは一人、高校でも一人だ。たまに連絡するのはいるが、仲が良いレベルではない。当時はこれからも続くであろう一生の友達と思えていた人も、自然と離れていくことがある。それは仕方のないことなのかもしれない。これは悲しいことなのかもしれない。しかし、私はそれでいいと思う。自然に残る友達がいるから。自然とこれからも親交が続いて行く友達がいるから。まあ、中学校で一人といったが、新たに連絡を取り合って一生の友達になるかもしれないから現時点での話だ。
 私にメールをくれたり電話をくれたりするのはめちゃくちゃうれしい。「就活はどう。また東京に来た時は一緒にメシでも行こう」と言ってくれた友達がいた。「来週大阪に行くが、大阪いるか」と尋ねてくれた友達がいた。私がこのブログで紹介した本を買ってくれてそれを報告してくれた友達がいた。今日はそんな友達からの連絡があり、こんな私にもこんなにも素晴らしい友達がいるのだなと嬉しかった。
 大学を卒業した後、大学で出会った友達は何人もいるが、どれくらいの友達がこれからも続いて行くのか。先ほども述べたが、それは自然に決まるものだ。しかし、できるだけ多くの友達がこれからも続いていくであろう友達になってほしいと今は願うばかりである。

2012年11月18日日曜日

核なき世界の実現困難

 今日の朝、東京から戻ってきた。青森駅前に夜行バスが到着し、バスを降りた時は寒くてびっくりするくらいであった。そして、さらにバスに乗り、下宿に戻ると今度は雪が降ってきた。もう雪が降る季節となってしまった。勘弁してほしい。といっても11月も後半に入る。また厳しい冬がやってくるのか。

 先週の金曜日、就活で東京にいたが、昼から新宿で2社回らなければならなかった。2社目が夜の7時から9時までの予定であったが、終わったのは10時半だった。そして泊まっている友達の家に着いたのは12時半であった。もうくたくたである。文句を言える立場ではないが・・・。


 先日のブログで、オバマ大統領の「核なき世界」に期待することを述べた。しかし先週の土曜日、
日本維新の会の橋本氏が核なき世界実現不可能、もっと現実的な政策を、というスピーチを広島で行っていた。私はこれを聞いて、怒りを覚えたかというとそうでもない。ある意味納得する自分がいる。核の傘下により平和が保たれているのが現状である。核なき世界を望むのはおそらく誰しもが望んでいるだろう。だが、願うのと実行するのとは話が違う。願望だけでは達成されないのが現実だ。アメリカが率先して核を減らしていったとしても、アメリカを敵視する国は核を減らすことはないのではないか。
 橋本氏が語っていたが、日本は平和ボケし過ぎていると。確かに日本は平和な国である。単一民族国家を気取っているが、異文化を理解するのには取り除かなければならない課題だ。島国根性などそんなくだらないプライドは捨てたほうがいい。昔に比べ世界は身近な存在になったが、まだまだ日本はこの感覚に鈍い。もちろん私もそうだ。ハーバード白熱教室を知っているだろうか。マイケル・サンデル教授の授業だ。この授業では哲学を学ぶのだが、学生間同士の議論の中で、しばしば差別問題が出てくる。この前見た時は黒人差別の話が出てきていたが、日本ではまずあり得ない。日本でも差別はあるにはある。アイヌ民族であったり、琉球であったり。しかし、潜在意識としてアメリカには存在しているから、これは敏感に反応する問題だろう。
 核なき世界を実現してほしいが、核がないのも心配ということだ。必ずどこかの国が隠し持っている。核で攻めてきたとき、対抗手段がなくなるのは心配な気もする。どちらがいいのかはそれぞれの考えがあるが、答えが出ない問題を考えるのは自分の考えをしっかりと持っておく必要がある。

2012年11月13日火曜日

退屈なのは、世界か、自分か

 またまた日付が変わってしまったが、今日からまた東京に行ってくる。日曜日に帰ってくる予定だ。今日はその履歴書を書きまくっていた。いったい何枚書いてきたであろうか。一枚書くのもなかなか大変な作業である。
 今日から教職の授業が始まる。これで落としてしまえば今までの4年間の教職課程の苦労がパーになってしまう。4回しかないので、欠席してしまうと危ない。できるだけ火曜日には就活を入れないようにしなければ。ゼミの卒論もまだまだこれからというところなのだが、私のゼミは最低レポート用紙50枚は書かないといけない。友人が言っている他のゼミは20枚程度でいいらしいが、それの倍以上だ。教授によって基準はバラバラなので文句はあまり言えないが、早くそれにも重点を置いて取り掛かりたいところだが、そう簡単にはいかないようだ。



『僕が旅に出る理由』という本があるのだが、これは東京に友人に紹介をしてもらった本なのだが、これはかなりオススメの本である。この国を飛び出した100人の学生のそれぞれの旅の話だ。これから旅をしようとしている人、そして迷っている人には是非とも読んでいただきたい一冊である。
 彼らたちが旅に出た理由がいい。いくつか紹介しよう。「できないと決め付けてしまう自分から抜け出すため」、「誰も自分のことを知らない場所で、自分を試してみたかったから」、「残りの学生の時間を授業なんかで失いたくなかった」、「毎日、なんだか惰性で生きている感じがしていたから」、「それまで頑張ってきた部活も学業も、狭い社会の中でのこと。そんな自分のことを青っちょろいと感じていた」、などなど。そしてどんな旅だったのか、旅とはなんなのかも記されている。自分としてはこの本をあまり読みたくない。なぜなら猛烈に旅に行きたくなるからだ。
 女性の一人旅もたくさんいた。「いい女になりたかったから」というのを読んだとき、そう思った瞬間からこの人は「いい女」だと思う。「行きたい」と「行く」のは全く違う。なかなかその壁は厚いかもしれない。いくと決心した時、もうそこから旅は始まっている。どこに行くのか、何を持っていくのか、準備するものは・・・。
 私の場合、初めて海外に行った時は一人であった。楽しみという気持ちよりも不安な方がはるかに大きかった。旅立つ前、母もそれを察していたのか、母の言葉は「頑張ってきいや」であった。それは今でも鮮明に覚えている。そして空港到着前、飛行機からアメリカの大陸が見えた時、「来てしまった」という感情だった。ただ全てに身を任せるだけだった。右も左もわからない、いや、右でも左でもいいんだ。自分の進みたい道に行けばいいんだ。なぜなら一人だから。
 おそらくまた旅に行くだろう。旅立つ前の気持ちはやはり不安なんだろう。私が旅に出た理由はいくつかある。「自分の居場所が見つけられなかったから」、「Made in Japanのこの脳みそをぶち壊したかったから」、「かっこいいと言われたかったから」、そんな理由だ。
 この本が言っている。退屈なのは世界なのか。それとも自分自身なのか。その答えは旅に出たらわかるのだろう。学生でもう一度、どこか行ってみたい。

「退屈な時間の中で
 満足しないままの自分でいるより、
 世界へ、一歩飛び出して
 いい方向になるのか、悪い方向になるのか、わからなくても
 変われた方がきっと、マシだ。」

2012年11月12日月曜日

一般入試が「美しい」

 日付が変わってしまったが、日曜日の青森は久しぶりに晴れた。火曜日の夜にまた東京に行かなければならないので、そのバスのお金を払いに行かなくてはならず、その幼児のためだけに山を下りた。コンビニで支払うのだが、コンビニに行くのに10分もかからないが、帰るのが面倒であった。風が強かったがそれほど寒くもなかったので、気持ちよかった。



 
今の受験のシーズンや流れ、ピークといったものが私が受験生だった頃とどれほど変わったかわからないが、受験は始まっているらしい。この時期だと公募かAOか推薦かのどれかであろう。教育実習で受験生を持った私としては、この「受験」というのがどうも気になるというかこだわってしまうというか特別な思いになるのだ。浪人を経験しているかなおさらその思いが強いのだろう。
 私は今まで、高校受験、大学受験は一般入試で通ってきた。これは結果であって、推薦や公募を受けた経験はある。結果は全て落ちたが。だが、私はどうしても一般入試にこだわってしまうのだ。
 「大学は入ったモン勝ち」、という考えがある。その通りかもしれない。一般で入ろうが、推薦で入ろうが、AOで入ろうが、結果は同じである。一般以外は決まる時期が早く、年内に結果が出る。一般以外の試験は論文であったり、面接であったり、詳しくはわからないが、それはそれの対策をしなければならない。一般とそれ以外とでは学力的に差が出るという話があるが、それは今回は置いておこう。推薦で合格する人は、その大学が自分の大学に入学するのにふさわしいと認めたのであるから、それから考えれば学力的には差はないのであろう。年内に決まる推薦とは違って一般は年が明けてから3月まで受験が続く。私としては「受験戦争」というのを体験して欲しいと考えている。この受験戦争というのは一般入試のことを述べている。
 9月に教育実習に行った母校の文化祭があったのだが、そこで私が受け持ったクラスの一人の生徒の保護者の方と会った。その方とは教育実習中の体育祭で私に話をかけて下さり、その時以来であったが、私のことを覚えていてくださった。そこで受験の話になった。生徒は悩んでいて私も相談にのったことがある。その保護者の方は一般で受けて欲しいとのことで、「先生からもビシッと言ってやってください(笑)」と言われ、私もそのほうがいいのではないかと考えている。
 私が高校時代の時に担任ではないが、隣のクラスの先生なのだが(かなりお世話になった)、その先生も一般入試をすすめていた。その方が「美しい」というのだ。その先生のこの表現はまさに私が言いたいことピッタリである。最後の最後まで戦い続ける約3ヶ月間の一般入試の方が、人生においても貴重な経験となるからである。戦い抜く力が養われるのではないか。

 そういえば私が浪人していた時、大好きだった先生は3人いるが、そのうちの一人で倫理を教えてもらっていたのだが、センター試験前の最後の授業のあと、先生のところへ行った。この先生の授業は今までで一番興味がそそられる大変面白い授業であったので、私は毎回一番前の席に座って先生が話をすることすべてをメモに取るくらい熱心に聞いていたのを覚えている。その先生から最後に一言書いてもらおうと思い、ノートを持っていったのだ。そして書いてもらった言葉がこれだ。この言葉は倫理を学んだ人にはわかるだろう。そして私も今の受験生に同じ言葉を送りたい。

『「目的の王国」の扉は、開いたといえ!!』

2012年11月11日日曜日

前厄

今年、私は前厄なのだ。いつか忘れたが、ある神社でそれを目にしたのだ。私は占いとかそういうものはあまり信じないタイプだ。占いに人生左右されたくないという思いから、あまり信じないようにしている。しかし、人間というのはおかしなもので、そういうものを一度目にしてしまうと、それが頭から離れなくなってしまうものだ。「前厄」という文字が頭の中で回っている。
 どうも今年は何もかもがうまくいかないような気がしてならない。最近の話で言うと、時計のベルトの部品がどこかで取れてしまったのか、突然付けていた時計が落ちてしまうし、夜行バスに携帯電話を忘れてしまうし、自転車が撤去されてしまうし、・・・etc。夜行バスに忘れた携帯電話はすぐにバス会社に電話してなんとかなった。最近は公衆電話がなかなかないので、携帯電話を二つ持っていてよかったと思う次第だ。自転車が撤去されたのは、15分ほど止めていたあいだに綺麗あっさり持って行かれてしまった。そのへんを探してみたが悪あがき。もうボロ自転車だったので、保管料2500円取られるなら新しいのを買おうかなとも思ったが、今は新しい自転車を買う余裕もない。撤去された自転車は中学生の頃から乗っていて、7000円ほどで手に入れたものだ。ここまできたら愛着がある。走行距離もかなりものだ。そして就職活動だ。これはいつも書いていることなので今回は省かせてもらう。
 さすがの私もここまで来たらその「前厄」とやらが気になってくる。今年が前厄ということは来年は厄年。これが前厄なら来年は一体どんなことが起きるのだろうか。恐ろしい。恐ろしいではないか。年が明けて最初に言う言葉は、“Happy New Year!!”ではなく、“UNhappy new year!!”だ。来年私は生きているだろうか。そこが一番心配だ。あずきをたいて皆に配ろうか、お祓いをしてもらおうか。まあなんでもいいが、とにかく今私はビビっている。
 前厄だと言ってそのせいにはしたくないものだ。すべて自分次第で防げるものばかりである。自分が少し気をつければいい話だ。もしかしたら来年の厄まで今に来ているのかもしれない。嬉しいような悲しいような。辛いものばかりでもない。悲しいことばかりでもない。苦しいことばかりでもない。今は苦しい章もしれないが、次の章は最高に楽しい章に違いない。そう考えれば、今のこの章も悪くない。

2012年11月10日土曜日

学生とは

 最近の青森は雨ばっかりでどこへも行けない。今日は少し太陽が出たが、また雨が降っていた。どこへも行けないというが、晴れたとしてもどこにも行かないだろう。行くところもないし、今はあまり外へは行く気がしない。気分的にすっきりしないというのが今の気分だ。まあ、それはさて置き。


昨日は『桐島、部活やめるってよ』の感想を書いたのだが、今日もその続きと行きたい。この作品の感想ではなく、次の『学生時代にやらなくてもいい20のこと』だ。これはエッセイで、『桐島・・・』とは全く違う雰囲気で、同じ著者が書いたとは思えないくらいの差がある。なんといってもこれは笑いっぱなしの最高に面白い作品であった。本でここまで笑ったのは生まれて初めてだったかもしれない。
 昨日も述べたが、若い作者らしい文章表現で、それが読者の心に入って来やすい。題名は、学生がやらなくてもいいこと、とあるが、学生にしかできないことが綴られてあった。学生だからできること、それは時間があることだ。やろうと思えばいつでもできる。気持ちさえあれば。私もこの4年間でいろいろなことをしてきたが、この本を読むと「私もまだまだだな」と感じる。
 人生を二つに分けるとしたらどこで区切られるだろうか。いろいろな区切り方があるが、今回は学生と社会人に分けてみよう。学生の期間は大体の人が20過ぎくらいである。そしてそのあとは社会人だ。そう考えてみれば人生のほとんどが社会人ということになる。
 東京でお世話になっている友人は社会人である。お酒を飲みながら一緒に話をしていて、いつも議論が白熱するのだが、私は学生の立場で話をしていて、彼は社会人の立場で話をしているので、どうも噛み合わないところが出てくるのだ。それは当然の話で、立場が違うのだから言うことも違う。私は社会人を経験したことがないので、社会人の考えや立場はわからない。彼いわく、「そんな簡単に言わんといてくれ」と。学生は責任においても甘い環境である。私がその甘ちゃんの意見を言っているから彼は気に食わないのだろう。もし逆の立場であったら私も彼と同じことを言うと思う。
 社会人になれば全く自分の思い通りにいかないとは言わないが、学生に比べてある程度縛りが出てくるのは確かだろう。そんな簡単に思うようにはいかなくなる。やりたいことも我慢しなければならないことはしょっちゅうだろう。ということは、社会人になってはできないことがあるということだ。そのできないことを学生のうちしたほうがいいのでは。
 人生において学生というのは貴重な期間である。教養を広め深め、見識を広げていく。様々な経験をする。とんでもなく馬鹿なことだってできる。それが若さ、学生の特権と言える。学生は甘いというが、限りなく貴重な時間であり、人間形成において最も重要な期間であり、自分の世界を広げられる時間なのだ。もちろんこれはすべて個々人、自分次第である。その東京の友人は高卒で社会人となったため、私が唯一彼に対抗した意見を言えるとしたらここで述べてきたことだろう。



 
 大学の私の友人の一人が来年の1月にオーストラリアのケアンズに1週間ほどホームステイしに行くことになったらしい。「おー、ケアンズか。いいねー。」と私は言ったのだが、最初ケアンズがどこにあるのか全くわからなかった(笑)。オーストラリア大陸の北東岸にある。私がずっと前に話をしたときはアメリカという話であったが、最終的に決まったのがここケアンズだ。パスポートも、クレジットカードも用意できていて、あとは行くだけと準備万端であった。1月は向こうは夏だ。オーストラリアといえばグレートバリアリーフだ。是非とも美しい海を見てきてほしい。私としてはエアーズロックも見たいところだが、ケアンズからかなり遠いから行くことは難しいだろう。日本で考えれば青森から鹿児島に行くくらいかな。わからないが・・・(笑)。ホームステイということでホストファミリーがいろんなところに連れて行ってくれるはずだ。地元の人にしかわからない通なところにも。羨ましい(笑)。
 オーストラリアは国旗を見てもわかるようにユニオンジャックが描かれている。イギリスの植民地であったため、話されているのは英語だが、詳しく言えばイギリス英語、ブリティッシュイングリッシュだ。アメリカ英語とどこが違うのか。私が知っている限りでは、一部の発音が違う。例えば“can”は、アメリカ英語だと「キャン」と発音するが、イギリス英語は「カン」と発音する。あと、建物の階の表現の仕方が違う。ここは忘れたので詳しくは書けない。あと、イギリス英語は丁寧な言葉で、アメリカ英語は少しおおらかなところがあるとされ、イギリス英語を話す人はアメリカ英語を少し嫌うところがあるらしい。これは聞いた話なので実際にどうなっているかはわからないが。
 とにかく楽しんできて欲しい。一番大切なのはあいさつで、それも握手は重要なコミュニケーションの一つだ。それと、笑顔。

2012年11月9日金曜日

これが人間関係

先日も書いたが、私は大阪で読書をしていた。朝井リョウ氏の本を2冊読んだのだが、『桐島、部活やめるってよ』、『学生がやらなくてもいい20のこと』である。まず、母が『桐島、部活やめるってよ』を読んでいたのだ。映画にもなった作品だが、最初はあまり読む気がしなかった。自分の好きな作家や、興味のある本は迷わず読むのだが、面白いのか、そうではないのか、そこで迷ってしまう。当たりならいいのだが、ハズレの場合もある。しかし、今話題の本は読んでおいたほうがいいだろうと思い、半分母にも勧められながら読んでみた。若い作者ということもあり、今までにない構造で、なかなか面白いではないか。桐島君が部活をやめることにより、周りの生徒に直接的にも間接的にも影響が及んでいく。数名の生徒の視点からストーリーが描かれているのだが、ここで一番すごいと思ったのが、桐島君の視点からはストーリーは全く描かれていないということだ。そこが私としては「やるねー」とついつい笑みがこぼれてしまうところであった。
 様々なタイプの高校生が、それぞれの視点で周りを見つめているのだが、これが高校生なのか、そして私もこのような時を過ごしていた、いや、今も過ごしている、そう思った。人のことを羨ましく思ったり、嫉妬したり。時には腹が立ったり。周りは周り、自分は自分と線引きしたつもりでも、それはできないことである。自分にとってはどうでもいい人もいるだろう。今まで全く自分には関係ない人と思っていた人を見ていて、ふと気がつくこともあるだろう。人間社会ではなぜかわからないが、上と下ができる。これは年上と年下という意味ではなく、わかりやすく言えばイケてるやつとイケてないやつだ。イケてるやつが目立ち、イケてないやつは目立たない。イケてるやつが勝者で、イケてないやつが敗者・・・・・。ちょっと待て。これは違うだろ。
 世の中にはいろんな人がいる。70億人の人がいれば70億通りの行き方があり、それぞれの人生があり、それぞれの物語があり、それぞれのストーリーがあり、それぞれのドラマがある。それは一人一人に必ずあるもの。テレビに出ている有名人がいい人生なのか。イケてるやつがいい人生を歩んでいるのか。以前このブログでも書いたが、筋書きのないドラマはどこにだって存在している。イケてるやつにも、イケてないやつにも、そして私自身にも。
 周りにいろんな人がいて、そしてお互いに何らかの影響を及ぼしながら生きている。たった一人の何気ない行動が水面のように及んでいく。それはイケてるやつにもイケてないやつにも何かを感じさせる。複雑化する人間関係の中に、勝者だの敗者だの、イケてるだのイケてないだの、黒だの白だの、そんなふうに考えるのは少し脇に置いておいたらどうだろうか。

 結論として、今回は何が言いたいのかは自分にもわからない(笑)。ただ、生きていくにおいて、単純に考えなければならないところと、そうではなく非常に複雑に入り組んでいるところがあるということである。

2012年11月8日木曜日

きっと人間だって

 私は映画が大好きである。小学生の時から好きになり、今まで洋画を中心に多くの映画を見てきた。その映画が好きになったきっかけの映画がある。それは『ターミネーター2』である。なんだよターミネーターかよ、という人もいるかもしれないが、私は単なるアクション映画ではなく、ヒューマンドラマ、そして人類にとっても必要な映画だと感じているからだ。小学生の時はそこまで深くは考えていなかったが、今改めて見てみると本当に素晴らしい映画だとつくづく思うのだ。
 近未来で人類と機械との戦争が起きるのだ。人類抵抗軍のリーダーであるジョン・コナー。そのジョンを抹殺すべく、敵のスカイネットは過去にターミネーターを送り込む。そして少年時代のジョンを守るために人類抵抗軍もターミネーターを送り込む。そしてジョンをめぐる死闘が過去で行われるのだ。ここから先はまだこの映画を見ていない方は読まないほうがいいと思います。少しネタバレになってしまいますから。

ジョンをターミネーターが助けるのだが、これは人間と機械だ。全くの別物といっていい。しかし、人間であるジョンと触れ合っていくうちにこの機械であるターミネーターは徐々に変化していくのだ。人殺しが仕事であるというターミネーター。それは絶対にしてはいけないというジョン。日常生活では使わない言葉をターミネーターは使っていたが、ジョンが言葉を教えていく。そしてジョンと遊ぶターミネーター。少しづつだが機械は人間に近づいている。映画の後半に入るくらいにターミネーターはジョンに質問する。「なぜ人間は泣くのだ」と。心が傷つくってわかる、とジョンはターミネーターに聞くが、わからないと言う。触れ合っていくうちにもはや人間と機械ではなく、この世で最も信頼できる父親の存在となっていた。死闘を終え、ターミネーターは自分も抹殺しなければならないと自分を溶鉱炉に沈めるように言う。しかし、ジョンは泣き叫びながらそれを阻止しようとする。その時ターミネーターは理解したのだ。なぜ人間が泣くのかを。
 この混沌とした今の時代。最も難しいのが人間関係かもしれない。自分の思うようにはいかないことのほうが多いかもしれない。誰もが、優しい人間になれたら、強い人間になれたら、そう願うだろう。苦しみや腹立たしさに耐えられず、人を殺す。人間は自分を中心に考え、利益のためなら、そして勝利のためなら人を殺してしまう。人と人が殺し合う戦争。最近のニュースを見ていても、この日本で子供が子供を殺すという事件もある。腹が立ったから人を殺すという何とも軽い気持ちで、それを聞いては苛立ちを覚えてしまう。命の重さとはどれほどのものなのだろうか。この映画はそれを教えてくれるのだ。機械のターミネーターですら、命の尊さを理解できたのだから。きっと人間だって。

「ジョンと遊んでいるサイボーグを見て、突然理解した。
 ターミネーターは片時も休まず、いつもジョンのそばにいる。
 決してジョンを傷つけたり、怒鳴ったり、酔って彼を殴ることなく、こうして見守ってくれる。
 そしていざとなれば、命を捨ててジョンを守るのだ。
 今まで父親代わりの男はたくさんいたが、父親の役が果たせるのはこのマシーンだけなのだ。
 この異常な世の中で、それだけが確かなことなのだ。」―作品中より

アメリカ大統領選挙

アメリカの大統領が決まった。オバマ氏が再選を決め、ロムニー氏との接戦を勝ち抜き、アメリカ国民は再びリーダーをオバマ氏に決めたのだ。私も朝からこのことが気になってしょうがなかった。今テレビが壊れているので、インターネットで接戦の様子を見ていた。午前中は中部地方が開票結果が早く、ロムニー氏が勝利を収めていた。西海岸や、フロリダ州、そして最重要の州オハイオ州はまだ結果が出ていなかった。午前中はロムニー氏がリードしており、オバマ氏を応援していた私は少し不安になってしまっていた。しかし、予想では西海岸はオバマ氏が優勢と出ていたので、そこはあまり心配していなかったが、気になっていた州がフロリダ州とアメリカの縮図と言われるオハイオ州だ。オハイオを落として大統領になることはできないと言われているほど最重要の州。午後になり、予想通り西海岸を勝利に収めたオバマ氏が一気に逆転した。今日はゼミがあったので、それに出席していたのだが、気になって授業に集中できず、こっそりスマートフォンを使ってチェックしていた。14時を過ぎたくらいであったか、オバマ氏がオハイオ州の勝利を確定し、ロムニー氏が敗戦の宣言をした。そしてその後、オバマ氏が勝利宣言したのだ。よかったと思い、深い息が漏れた。
アメリカ大統領選挙は夏季オリンピックが行われる年の11月に行われるのだが、4年前の大統領選挙は素晴らしいものだった。民主党のオバマ氏と共和党のジョン・マケイン氏。誰もが口ずさんだ“YES, WE CAN!!!”。あのオバマ氏の演説は歴史に残るものだろう。オバマ氏の前大統領ブッシュ氏が創り上げたアメリカはいかがなものであっただろうか。「強いアメリカ」であったのは本当かもしれない。9.11の同時多発テロによるイラク戦争。これは完全に泥沼化し、今もその苦しみ続いている。ブッシュ氏に変わりオバマ氏が大統領になったが、この4年の間でその「強いアメリカ」は薄れていったかもしれない。経済危機にも見舞われ、アメリカ国民はもう一度「強いアメリカ」を再建したいと思っていた人もいるだろう。今回一番の論点であった経済政策。それでもアメリカ国民はオバマ氏を選んだ。成果が見られるのはこれからだというオバマ氏。それを期待するアメリカ国民。
 
 私がオバマ氏が好きな一番の理由は、プラハ演説によるオバマ氏が語った言葉。「我々は核を使った国として道義的責任がある」。核なき世界への大きな大きな一歩となった。実績がないのもかかわらず、オバマ氏はノーベル平和賞を受賞。それほど人類にとって大きなことであったのだろう。私も、この人なら核なき世界を実現できるのではないか、そう思ったのだ。さらにもう一歩踏み出して欲しい。再選を決めたオバマ氏に、今回はそのことは論点には含まれていなかったが、私はそれを期待している。
 世界のリーダーとしてアメリカが引っ張ってきたが、今は本当にそうかという疑問がある。急発展を遂げている中国がアメリカに変わる世界のリーダーとなるのかと言われれば、そうではないだろう。私はオバマ氏には世界のリーダーとして、この世界を引っ張って欲しいのだ。軍事力によって世界を支配するのではなく、核なき世界による本当の平和に向けてこれからの4年、尽くして欲しいものだ。

2012年11月6日火曜日

大阪で読書

 11月となった。早いものである。
 10月中旬くらいからしばらく大阪にいた。今は青森に戻っているのだが、戻ってくる前に東京で就活をしてからこちら青森に戻ってきた。やはり生まれ育った故郷というのは居心地がいいものだ。落ち着くというのはそういうことを言うのだろう。大変な時期ではあるが、常に走り回っていては体がもたない。オンオフの切り替えが大切だ。適度な休息は精神にも体にも必要である。

大阪にいる間、主に読書をしていた。就活があるため、落ち着い読書ができないのだが、大阪に帰った時、無性に本が読みたくなったのだ。1週間半くらいしかいなかったが、4冊ほど読んだ。『ロングロングアゴー』重松清著、『桐島、部活やめるってよ』朝井リョウ著、『学生時代にやらなくてもいい20のこと』朝井リョウ著、『シックスティーン』石田衣良著、を読んだ。本を読むたびにつくづく本はいいなと感じる。
 私は漫画は基本的に読まない。今まで一回も漫画を買ったことがない。友人に勧められて読んだことがあるが、自分からは読むことはない。いろんな人と話をしていて、私は漫画は読まないというと、人生損してるなとよく言われる。そして私はこう言う、「人生損してると思ったことは一度もない」と。
 漫画には漫画の面白さがあるし、本には本の面白さがある。それは全くの別ものだと思っている。そしてどちらの面白さの方が好きかと言われたら、私は迷わず本のほうが好きだと答える。本のほうが奥深い感じがする。登場人物の姿や表情をすべて自分で自由に想像ができる。しかし、漫画は既に顔が描かれているため、想像する範囲が狭い。ほとんど時だけの本は好きなように想像できるところがいい。だからテレビよりもラジオ、ラジオよりも本で、自分の頭を使っているのは間違いなくテレビよりも本だ。まあ、テレビはテレビで面白いし、映画は本では描くことができないものがあるので一概には言えないが。
 就職活動が終わればおんを読みまくるのだが、物事には順番があるので、優先順位をつければ先にやらなければならないことがある。とにかく目の前にあることに全力を傾けていこう。

2012年10月16日火曜日

伝えたいこと

 明日大阪に向かって東京行きのバスに乗らなければならない。大阪までとなると二日連続車中泊だ。もう慣れたが、一日バスで移動するのも疲れるので、二日連続となるとなおさらだ。ずっと座っている状態なので、足がパンパンにむくんでしまう。エコノミー症候群にならないように気をつけなければならない。



日本が落ちていくのを受け止めようとしている長渕剛
昨日とその前の投稿でもそうだが、歌詞を書くと“詩”みたいで歌で聞くのと少し違った印象が残る。これもまた素晴らしいことに気がついた。音楽で伝わらなかったものが、ゆっくり歌詞を読むと「なるほど」と納得するときがある。そしてまた歌が好きになる。
 知ってのとおり、私は長渕剛が好きであるが、この前「長渕剛は“右”寄りではないか」という指摘を受けた。この印象はおそらく彼をあまり知らない人だったら大半の人はそう思うだろう。しかし、私の意見として、そうではないことをここで記しておきたい。
 彼がいう、音楽とは社会と密接な関係を持っておかなければならないという。反社会的なメッセージや反戦のメッセージ、時代時代で起こるその時の事件などを伝えるメッセージなどだ。彼は、この国は一体どこへ向かっているのか、なぜ私たちの声を聞いてくれないのかを歌に、歌詞に込めて私たち、そしてこの国に向けて発しているのだ。
 最近流行りの歌は全くそういうものはない。なぜか。そのような歌を歌うことを恐れているからだ。人気がなくなってしまう、嫌われたくない。自分を守ることを優先し、本当に伝えなければならないことを避けている。周りから嫌われるようなことを彼が代表しているようなものだ。反社会的なメッセージで我々にインパクトを与えているのは、長渕剛の他に私が知っている限りでは、井上陽水、忌野清志郎、泉谷しげるが挙げられる。若いアーティストは考えても浮かび上がってこない。政治離れしている現代の私達若者だが、アーティストがそのような歌で私たちにメッセージを伝え、そこから世の中に対して、政治に対して、この国に対して、そして今の自分に対して、考える機会が与えられるならば私はそれは大いに歓迎する。
 国家や日の丸といった国を代表するものを高らかに上げることを日本人は避ける傾向にある。私も少し抵抗がある。日の丸を振るのは、オリンピックであったり、天皇の式典くらいではないか。しかし、アメリカは違う。どこに行っても星条旗が瞬いている。これがなんとも美しいのだ。そして、アメリカ人は鼻歌で国家を歌うくらいに身近な存在だ。そして、政となれば「USA!USA!USA!」と声を上げて踊るのだ。日本で日の丸があふれると異様な光景になってしまう。そこがアメリカと日本の違いだろう。日本は歴史が深い国だが、アメリカは歴史が浅い。共通の歴史がないため、共通の未来を創ろうという結束力がある。そこがアメリカの強い理由の一つだろう。
 長渕剛が伝えたいのは、困難な時こそ、「私は私は、僕は僕は」、ではなく、みんなで手をつないで一緒に立ち向かっていこう、というのを伝えたいのだ。心の奥に潜んでいる怒りや悔しさ、やるせない気持ちに彼が着火しようとしているのだ。そして、私たちが住んでいるこの日本、生まれ育った日本、その事実は変わらない。私たちは日本人だ。私たちは責任をもってこの日本を支えていかなければならない。それを彼は伝えようとしている。

2012年10月15日月曜日

青森に戻る

今日の朝、青森に戻ってきた。東京と比べるとやっぱり寒い。今週末、少しだけだが大阪に戻らなければならない。東京で就活をしたついでに、大阪に戻ろうとも考えたが、ゼミがあるので出席しないとと思い、青森に戻ってきたのだ。何のために青森にいるのかだんだんわからなくなってきた。
 今回の就活は今までで一番腹の立つ面接だった。腹が立っても、顔には出さないようにしていたが、終わってから言いたいことがたくさん出てくるのだ。こんなことを今更言っても仕方がないのだが、あれほど腹が立ったのは初めてだ。そのせいか、かなり疲れてしまった。疲れがたまってきているのは確かなようだ。


STAY  DREAM


死んじまいたいほどの苦しみ悲しみ
そんなものの 一つや二つ
誰もがここあそこに しょい込んでるもの
腰を下ろし ふさぎ込んでも 答えはNothing
ぶっ飛ばしたいほどの 怒りや悔しさ
そんなものの 一つや二つ
殴られた痛みは TRYへのワンステップ
尽きせぬ自由は がんじがらめの不自由さの中にある

ひねくれかけた瞳の ずっとずっと奥に
もがいてる もうひとりの俺がいる
一番怖いものは 勇気だと知ったとき
自分の弱さに 思わず鼻をつまんだ
もうこれ以上 先へは進めない
たとえば 挫折が目の前に立ちはだかる
そんな夜は 心で命の音を聞け
たかがこんな自分は!と 一度だけからかってみなよ

くよくよするなよ あきらめないでJust Like a Boy
その痩せこけた頬のままで
果てしない迷路の中を
人はみんな手探りしてでも
Stay Stay Dream
そう Stay Stay Dream
Stay Stay Dream

2012年10月8日月曜日

Heaven

 明日からまた東京へ行かなければならない。今回は4日連続就活がある。しばらくここ青森で滞在し、休養が取れたのでよかった。ここ1年弱は東京へ行くのは就活のためなので、休むという感じや遊ぶという感じが全くない。東京へ行けばなんとなく疲れてしまうのだ。来週の月曜日の朝にまた青森に戻ってくる。頑張っていこう。
 だんだん涼しくなってきて、青森ではもう半袖では歩けない。秋なんてほんの少ししかなく、あっという間に冬となる。またあの恐怖の冬がやってくるのだ。といっても、年内に卒論を提出すれば、1月は授業はないのだろうか。もしなければ1月は大学に行かなくても良くなるため、2月、3月はもう休みとなるでで、一番寒い時期は大阪にいるのだろうか。そうなってくれればありがたい。去年は青森駅前から下宿まで3時間かけて歩いたが、死ぬほど寒かった。手袋についた雪が凍ってしまい、手と手を合わせるとくっついてしまう。今年は歩くのはやめておとなしくバスに乗ろうと思うのだが。あの冬も今年最後となると、これもまた寂しい気持ちになる。でも、寒いのは好きではない。



ついこの間、東京で青森行きの夜行バスにを待つのに、何時間も時間を潰さなければならなかった時、映画館に行こうと思ったのだ。その時に観た映画がトム・クルーズ主演の「ロック・オブ・エイジズ」という映画を観た。ミュージカル映画なのだが、今の私にとっては元気になる必要な映画だった。そこで気に入った歌があるので一曲の一部を紹介しよう。ここで登場する歌は80年代のロックばかり。原曲を聞いたが、映画の方が印象に残っているし、これらの歌は映画の中で出会ったので、一番最初に聴いた歌が一番いい。
 この一部だけ見てみると、いろんなところで当てはまる。今の私にも。そしてこれからの私にも。苦労していても、それは必ずヘヴンに近づいている。周りがなんと言おうと、私は私の道を歩んでいく。私にしかない人生を生きていく。何百回、何千回、何万回、同じ人生を繰り返してもいい、繰り返したい人生を送れるように。苦労したぶんだけ、人は強くなれる。そして、苦労した分だけ、たどり着いた時に見える景色は、“Heaven”のように美しく見えるだろう。

Heaven

Heaven isn't too far away
Closer to it everyday
No matter what your friens might say
I know we're gonna find a way
More than words is all you have to do to make it real
Then you wouldn't have to say

ヘヴンはそれほど遠くない
日々近づいていってる
君の友達がなんと言おうと
僕らはやってみせる
言葉以上のことをすればいいんだ それで本物になれる
そしたら言わなくてもいい

2012年10月7日日曜日

最後の大学祭

 昨日と今日は私の大学で大学祭があった。はじめは行こうと考えていなかったが、友人がESSサークルに入っているのだが、大学祭の出し物としてシュークリームを作ると言っていたので、時間もあったのでお手伝いをしに行くことになった。毎年シュークリームを作っていて、2年前に一回手伝ったことがあった。
 大学から少し離れたところでシュークリームを作ったのだが、私は料理をしないので手際が悪かった。生地を作る人とクリームを作る人に分かれて作業した。私も含めて二人の助っ人がいたのだが、ESSサークルのみの人数だとかなり大変だっただろう。作っては車に乗せて大学まで運び、そして販売する人は大学に残り販売する。そして作る人は引き続きひたすらシュークリームを作る。一日目の最後の片付けは助っ人二人が残って最後の後片付けをしていた。これが一番大変だった。失敗したり、クリームを作りすぎて余ってしまったりといろいろ問題があったが、これは仕方のないことだった。
 二日目の今日は、昨日の反省点を生かし、出来るだけ早めに作るようにした。私はずっと作る係であったが、とても楽しかった。手伝わなければずっと部屋にいただろうし、ESSサークルのメンバーとたくさん交流ができてよかった。今日は昨日よりも段取りが良く、昨日の片付けが終わった時間は17時くらいであったが、今日は15時であった。そのあと私も大学に駆けつけ、売る作業を手伝った。
今思えばこれが最後の大学祭だった。あまり行く気ではなかったが、行ってよかった。行事が終わるたびに、「学生最後」という文字がついてくる。それは仕方のないことだが、やはり寂しい気持ちもある。高校を卒業して、みんなそれぞれの道に進んでいく。そして、ひきつけられるかのように、私たちは大学という場で集まって生活をした。そして4年が経てば、またそれぞれの道を歩んでいく。生涯、それの繰り返しだろう。それは1年のサイクルか、3年のサイクルか、10年のサイクルか、それは分からない。出会いがあれば必ず別れがある。何かが終われば何かが始まる。その中で出会っていく人は数多い。その中で自分にとって大切な人は誰なのか。100人のそれっきりの友達を作るより、たった一人一生の友達を作りたい。探したい。一人でいい。たった一人、いてくれれば、信じてくれる人がいれば、一人では立ち向かえなかったことでも、一人で立ち向かえる気がする。友達は大切にしなければならない。


 二日間早起きをしたので、今はかなり眠たい。いつも夜遅くに寝てしまっているので今日は早めに寝ることにしよう。

2012年10月5日金曜日

好きなことに自信を持って

人が他人の第一印象を判断する時間は0.5秒だそうだ。同じように一目惚れするのも0.5秒。第一印象も一目惚れも、一度インプットされると改変は難しい。よく話しにくそうとか、とか近寄りがたいなどの印象を持たれる私にとってこの0.5秒は何よりも厄介だ。本当は面白いことが好きで、じっとしていられない性格なのだが。誰しもはじめから自分をさらけ出すのは不可能だろう。勝手な印象をつけるのはやめてくれ!と言いたいが、実際私も人を一瞬で判断してしまっている。悲しいが、それが人間の性だ。
 知人に第一印象について尋ねてみた。「お前は今の自分に自信がなさそうや」。その通りだった。私は自分に自信がない。周りからは自信があるように見えているかもしれないが、本当は自信がない。それが表情に表れているのか。ズバリと言い当てられ、返す言葉を失った。
 そもそも自信とはどうやって生まれるのだろう。今まで私が出会って尊敬している人はみな、多くの才能を持ち、自信に溢れ輝いていた。文章の上手い人や感動的な写真を撮る人。いつも人を爆笑させる人・・・。彼らは私の憧れだった。同じ瞬間(とき)を共有したい。そうすれば、自分も輝けると思った。だが、現実は違った。まぶしいものの近くに行くと、自分の暗さに気付かされた。自信は才能に裏付けされるもの。何の才能もないのに自信を持てるわけがない。いつしかそんなふうに考えるようになっていた。
 部活動、サークル活動、勉強、就職活動、遊びで、毎日が足早に過ぎていく。苦しい時、周りが見えずに大切なことを忘れそうになる。そんな時、原点に立ち戻って考えてみる。「好きこそものの上手なれ」。こうやって文章を書くのが好き、人を笑わせるのが好き、・・・。全部「好き」だからここまでやってくることができたのだ。自分に自信がなくても、好きだという思いに自信があるのなら、それでいい。これからも好きなことに胸を張って生きていこう。

2012年10月4日木曜日

感受性豊かであるこの時期

 もう10月に入り、今考えればあと学生生活ももう少しである。ついこの間入学したばっかりという気もするが、あれはもう3年以上も前の話なのだな。この4年間は様々なことに挑戦しようとしてきた。剣道四段を取得、ボランティア活動、アメリカ一人旅、教育実習、などが特に印象的だ。そしてこのブログを始めたのは2年前の9月。最初はタイピングの練習にもなるだろうという気持ちと、一学生が感じることについて書いていこうと思った。しかし、学生生活もあと数えるくらいになってきた。
 学生が終われば社会人となる。何年生きるかわからないが人生のスパンを考えると、「学生」というのはほんのわずかな期間であることがわかる。小学生、中学生、高校生、大学生。20年にも満たないこの期間は、次の一歩を踏み出すにおいて、とても重要な期間である。なぜ重要な期間なのか。それは、感受性が豊かだということだ。大人になったら何も思わないことについても、若いから感じることや考えることがある。今だから思うことがある。この感受性が豊かな時に、様々なことを経験し、様々なものに触れ、考え、悩み、自分に吸収していく。そして自分の意見を確立させていくのだ。
若い頃というのは、何をやっても満足できない。いつも何かが足りないと思ってしまう。本当にこれでいいのか、このままでいいのか、何か忘れていることはないか、やらなけれなばならないことは、そう感じながら生きている。それが若者っていう感じだ。若者には満腹感ではなく、飢餓感が必要なのだ。考え、悩み、考え、悩む。それでいい。
 周りの環境が違えば、同じ人間でも全く違う人間になるのはわかるだろう。人間形成において、周りの環境といのは極めて重要になってくる。私がこのような人間になってしまったのは、環境が作ったと言っても過言ではない。アメリカに行きたいと思ったのも、様々な人との出会いが私をそうさせたのだ。そしてそこから学んだことが新たな私を作る。もしそのような人と出会わなかったら、外国にも興味を持たなかっただろうし、一生「日本は最高」と、この小さな島国だけで満足していたことだろう。ましてや大阪さえも出て行かなかったかもしれない。
 まざまなことを若いうちに経験しなければ、という考え自体も周りの環境がそうさせた。なんでも吸収できるこの期間というのは、財産だ。社会人になれば、学生とは全く違う世界でまた考え方が変わってくるのかもしれない。だが、それはそれだ。今のこの時期に思えることが重要である。このブログに書き続けていることは、一学生の、そして私自身の考えの財産である。何年五日先に、このブログを読み返し、「あの時と変わってしまったな」でもいい、「もう一度あの頃のような気持ちでやりなおしてみよう」でもいい。忘れかけていたあの感情を奮い立たせられたら、この足跡も役に立つのではないだろうか。
 卒業までまだ5ヶ月もある。今できることを、学生だから考えることを、これからの人生を左右するような、人生が変わるような、そんなことをやってみたい。それが若者の力だ。

2012年10月3日水曜日

情報は力

 昨日、カメムシのことについて書いたが、私の部屋のベランダは「カメムシの墓場」となってしまった。今日は昨日ほどでもなかったが、朝起きて、一枚目のドアを開けるとカメムシが入ってきていた。不法侵入である。すかさず退治したのだが、もう勘弁して欲しい。様々な生物が生きている中に我々人間は住ませてもらっているので、文句はあまり言えないが、朝は清々しく目覚めたいものである。

 今日は大学のゼミがある日で、先週や2週間前は就活で東京に行っていたため参加できなかったが、今日は久しぶりに参加することができた。学生は私を含めて4人であった。本当はもう少しいるそうなのだが、全員で何人いるかは私は知らない(笑)。その授業の後、卒業論文のための授業があったのだが、その授業をとっている人は私を含めてもたった2人であった。それにはかなり驚いてしまったが、変更できないので頑張るしかない。卒業論文が必修ではないのがおかしい話である。今年中に提出とのことであったが、何を書くのか考えて、そろそろ書き始めてくださいということで、その授業は終わった。レポート用紙40~50枚程度と指示があった。そんなにたくさん書けるか心配だ。




就職活動をするにおいて、おそらくほとんどの就活生が利用しているだろう「みんなの就職活動日記」、いわゆる「みん就」というのがある。結果通知が来たかどうか、面接はどのようであったか、面接内容は、などというふうに就活の情報交換を行うサイトである。最初はこのサイトの存在を知らなかったのだが、ある人から教えてもらい知るようになった。
 面接内容を知りたいという気持ちや、どのような雰囲気か、面接する人は何人なのか、そのようなことを事前にしておけば、当日ある程度の心構えができて、気持ちにゆとりができたりする。だが、このシステムに反対する人もいるのではないだろうか。面接する学生が多い時は、面接の日にちが何日かあり、自分の都合にいい日を選択する。つまり、このような面接の情報を知りたければ、初日は避けなければならない。ということは、初日に面接をする人はなんの情報もないまま戦わなければならないということだ。そして、初日に面接をした人はその「みん就」を使って情報提供をする。その情報提供はこれから面接を受ける人に対してやるので、自分にはなんの利益もない。ならば情報提供する必要はないのでは、という気持ちにもなってしまう。
 私はこの「みん就」を知っているが、利用はしていない。それは、初日に受けた人に申し訳ないというのではない。ただ、自分の力でやりたいだけなのだ。しかし、これは私のくだらないこだわりであって、本当はいいことではないと思っている。現に私は就活中でもあるし。
 ここで言いたいことは、情報は力だということだ。これは就職活動においても言えるし、受験においても言えるし、世の中においても言えることだ。知るか知らないか、たったこれだけの違いで有利か不利かの差ができる。つまり、知らないというのは実に恐ろしいことだ。このようなことが毎日のように起こっている。人は生まれてくるとき、己の環境を選べない。周りを取り巻く環境によって、有利か不利かの差は歴然である。テレビもなく、学校にも行けず、正しい情報が全く入ってこない世界の貧しい生活を強いられている国の人たちに比べ、私たちはどれほど有利な立場に立っているか。それを無駄にしてはいけない。
 情報を集めて有利に戦う。出たとこ勝負をしていては必ず負ける。そう考えれば受験というのは初めて経験する「社会」なのではないか。そうなれば、受験というのは世の中の縮図といえる。今の私にも言えよう。自分の力を試したいのはわかるが、情報を利用しない手はない。これは生きていく中で常に起きていることだ。何をするにしても、情報を集めて有利に戦わなければならない。情報は力なのだ。

2012年10月2日火曜日

SNSが生んだひ弱な人間

 この季節の変わり目になると、私の住んでいるところではカメムシが大量発生するのだ。ちょうど今も網戸に3匹いる(笑)。なぜこんなにも発生するのかがわからないが、退治するのが大変なのだ。一匹くらいなら「ぶち殺すぞ!!」と言って殺虫剤をまきにいくのだが、もうそんな数ではない。網戸の隙間をくぐり抜けて不法侵入してくる。いちいち殺すのではなく、たくさん集まったのを狙い目にし、カメムシ消滅作戦と題して一掃しにかかるのだ。それはそれでいいのだが、数分後にはまたカメムシだ。これの繰り返し。今日は一段と多い。テレビに加え、これもなんとかならないだろうか。



大阪でも東京にしてもそうなのだが、電車や地下鉄に乗ると、しきりに携帯電話やスマートフォンとにらめっこしている人がたくさん見られる。私としたらなぜそこまで気にする必要があるのだろうと不思議に思うのだ。もちろん使うなとも言わない。しかし、電車に乗れば儀式かのように携帯とにらみ合う。
 現代ではSNSが発達し、Facebook、Twitter、mixi、などが代表されるが、今、どこで、誰が、何をしているのかがリアルタイムで更新されていく。そして自分もまた更新し、情報交換が容易な時代である。さらには有名人などの情報も同じように入ってくるため、雲の上の存在だった人が身近に感じられるというメリットがある。そして、災害が起こったときでも、このSNSはものすごい力を発揮した。そう考えればもっと多くの人に推奨されるべきことなのかもしれないが、メリットだけだろうか。
 私はこのSNSは好きではない。この中ではFacebookのアカウントは持っているが、あまり使用していないのだ。時々、写真を共有したりするときには使用するのだが、その他では使用しない。このFacebookの面白さをまだ理解していないのかもしれないし、理解すればもっと使うようになるかもしれないが、現時点ではあまり使用していない。おそらく、Twitter、mixiは自ら使用することはないだろう。
 そして、好きではない決定的な理由が、常に誰かと接点を持つことによって、安心感を得ているようにしか見えないということだ。常に誰かとつながっていたい、自分の苦労を誰かに知ってもらいたい。そうやって自らの口から発することを遠ざけて、なんでも書き込める手段を使い、安易に誰かに今の自分を知ってほしいと思い、使用していると私は感じているのだ。
 対人のコミュニケーションが少なくなってしまった理由の一つがここにあると考える。もちろん、世界中の人とコミュニケーションがとれるようになったことは素晴らしいと思うが、仲のいい友達や家族まで、そのようにつながる必要があるのか。仲のいい友達なら、家族なら、面と向かって話をすればいいじゃないか。
 ネットいじめなんかもそうだろう。現代が生み出した新しい形態のいじめだ。表からは何もわからないが、裏では手が伸びている。卑怯な人間がやることだ。
 時代は便利を求めている。しかし、その便利さを利用しすぎたため、面と向かって話ができなくなる人間が増えってしまった。大切なことは自分の口から言えばいい。勝負すればいい。戦わなければならない時だってある。便利は大切だが、その便利がひ弱な人間を生んではならない。

我が大学の見直し

 私はテレビをノートパソコンで見ていたのだが、少し前から調子が悪く、テレビを見ることができないのだ。パソコンが壊れたのではなく、その他の機能は正常に作動するので、テレビだけが起動しない。なんどやってもエラーが出て、再起動せよとの表示が出るのだが、再起動してトライしても無理なのである。いつもなら3回くらい起動すれば(これでもおかしいが)見ることができていたのだが、起動不可能になる寸前では何度起動したかは覚えていないが、約1時間以上もかけて起動した挙句、やっとのことでテレビを見ることができたのだが、肝心の見たい番組が終わっていた(笑)。もうその日以来、テレビが見れなくなってしまったのである。もしかすると、また1時間もかけて起動し続ければ見ることができるかもしれないが、そんな気力はない。テレビが見れないのは致命的で、情報が入ってこない。いま日本で、世界で何が起こっているのかわからないので、恐ろしくて落ち着かない。ネットのヤフーニュースでは情報を得るようにしているが、どうでもいい情報も入っているので、そこがうっとうしい。それにしてもテレビ、どうにかならないだろうか。



先日、就職活動で必要な健康診断証明書や卒業見込み証明書、成績・単位修得証明書を申請するために、大学に行ったのだが、健康診断証明書以外は事務局で申請できるが、健康診断の方は保健室に行かなければならなかった。そして保健室に行って、申請書に個人情報を書いていた。保健室にいた先生は中年の女性でとても愛想が良く、就職活動の話になったのだが、私も面白おかしく話をするので、話が盛り上がっていた。そこで、偶然就職支援の先生もお見えになり、その方も中年の女性の方で、その保健室の先生と仲がいいらしく、こりゃまた話が盛り上がった。二人のおばさん?(笑)を相手に1時間ほど話をしていた。この二方は私のことをとても気に入っていただけたらしく、私も話をしていてとても居心地が良かった。居心地が良かったのは話をしている内容である。
 その就職支援の先生は、私が通っている大学の欠点をいくつも指摘し、どうにかならないのかという話であった。そして、先生がおっしゃっていたことは私も以前から思っていたことで、これは地方特有のものがあるという。まず、人と触れ合う機会が圧倒的に少ないということだ。私の大学は単科大学で学部が一つしかない。学生数も少なすぎる。大学、学生がおとなしすぎるのだ。刺激的なことなどひとつもない。これでは精神が現状に慣れてしまい、どんどん衰退してしまう。若い精神というのは、もっと刺激的なものに触れ、様々な人と出会い、そして自ら考え、行動していくのが若い精神だ。私がここに来て一番居心地が良くなかったことは、「刺激」がなかったことだ。今までいくつかの総合大学に足を運んだことがある。同志社大学、関西大学、関西学院大学、近畿大学、明治大学、早稲田大学、日本大学、青山学院大学、島根大学、金沢大学などなど。私が通っている小さな大学ではなく、広大なキャンパスを生かし、それぞれの大学のブランドを生かした校風が漂っている。学生の掲示板にしても、同じチラシを100枚以上同じ場所に貼っている。私の大学ではひとつの掲示板に1枚貼るくらいだ。そして自ら企画したイベントや、政治家の講演会などが開催される。大学祭にしても規模が違いすぎる。東京大学の大学祭のゲストにE.YAZAWAが来るくらいなのだから。
 そして、他国、他県から来ている学生と触れ合うためのドミトリーを設置すべきだともおっしゃっていた。私はそれはいい考えだと思った。様々な文化や考えに触れることは重要なことである。そして、この大学には国際的な交流がないということだ。全くとは言わないが、ないに等しい。英語の授業にしてもレベルが低すぎる。あれこそ中学レベルの英語だ。そもそも第二外国語が必修でない時点で終わっていると思うが。今の時代、英語が話せないのは論外である。私は例えば、就職活動で英語が必要だから英語の授業を充実させるというのは、あまり好きではない。そもそも英語というのは手段であって、英語が話せることによって、世界中の人とコミュニケーションがとれるようになり、さらに深い考えを討論し合い、自らの見解を広げていくのが好ましいと考える。今思えば、私の高校では生徒数を10人にし、ALTと英語の先生の監督の下、日本語一切禁止で英語でディベートする授業はかなりレベルが高かった。当時先生は「大学レベルですよ」と言っていたが、私の大学ではそれ以下である。扱っていた内容も高度であった。国際結婚について、人工中絶について、嘘はつくべきかつかないべきかなどである。
 何もかもが閉鎖的になっているこの大学を改革するのは時間と労力がかかるだろう。そもそも私の大学は青森の活性化につなげるために造られた大学と聞いているが、そんな時代遅れの理念などさっさと捨ててしまうべきだ。青森の活性化につなげようとしているのか、主に青森のことについて勉強ばかりしているが、そんなことをやっていては進歩につながらないだろう。そんなことしているから偏った知識しかない人間が形成されてしまうのだ。世界中の街を見てみるといい。そこに必ずヒントがある。木ばかり見るのではなく、少し離れて森も見るようにすればいい。外に出てみれば自分の住んでいる街の良さであったり、改善しなければならないところを発見するものだ。「若いうちは都会に出ていろんなもの吸収しないとね」と先生方はおっしゃっていた。
 とにもかくにも、日ごろ溜まっていた鬱憤をおばさん相手に晴らすことができたのだ。様々なことで議論できたのはとても充実した時間だった。「いつでも来てね」と言われたが、またそんな話ができるのならいつでも行きたいところだ。卒業するときに大学への提案を書く用紙があるらしく、それに書いたらとその先生方に教えてもらったのだが、書くよりも直接学長にかちこんでやろうかと思った(笑)。

2012年10月1日月曜日

東京とマンハッタンの比較

新宿
一つ前の投稿で東京のことについて書いたが、今日もそれに少し関係したことを書きたい。そろそろ卒業論文も書いていかなければならないので、それに向けた初歩的な調査を書こうと思う。だいたい卒論のテーマも決まっていないこと自体が致命的なのだが、少し前なら開発経済を中心として、先進国と開発途上国のあり方や、グローバル時代が生み出した問題点や解決策、各国の役割について書きたいと考えていたのだが、就職活動もあってそこまで研究している時間がなさそうだ。その研究しようとしていたことは私の趣味であるため、苦労はなんともない。しかし、研究したくないテーマでやると苦痛で仕方がないため、できるだけ自分の趣味の範囲で研究したいことを考えていたのだ。そしてひとつ思い浮かんだのが、都市比較論だ。
 昨年の3月にニューヨークに行ってから、その印象が強烈過ぎて、常に頭の中でニューヨークシティがくるくる回っているのだ。東京や大阪も同じ都市には変わりなく、数字を調べてみると人口の多さから見ても東京の方が多い。しかし、私が行ったのはマンハッタンだ。それではマンハッタンと東京を比較してみよう。
 山手線内の面積とほぼ同規模なのが東京都心4区の千代田区、中央区、港区、新宿区を合わせたものである。東京4区の昼間の人口密度は1ha辺り520人で、マンハッタンは552人だ。これはあまり差がないが、夜間の人口密度を見てみる。東京4区は1ha辺り92人でマンハッタンは250人である。つまり、東京の都心に移住している人はごく僅かで、東京23区の中で最も高密度の中野区が1ha辺り195人であるが、マンハッタンの最も高密度のアッパーイーストサイドでは411人である。マンハッタンは都市居住が進んでいる都市であるといえる。
 次に都市景観を見てみよう。ここでは東京の新宿にある高層ビル群を見てみる。代表する新宿ビル群・中心部のビル数は29棟であるのに対し、マンハッタンのミッドタウンというエリアにある高層ビル群のビル数は285棟である。新宿の高層ビル数はミッドタウンの約10%しかない。ロウアーマンハッタンのエリアを見ただけでも高層ビル数は103棟だ。マンハッタンの高層ビル群も東京の比較の対象にはならないということがわかる。
 世界都市ランキング(2012年)を見てみると、第1位がニューヨーク、2位がロンドン、3位がシンガポール、4位が香港、5位がパリ、そして6位が東京である。ちなみに大阪は47位であった。ランキングの調査項目は、経済力、物的資本、金融成熟、制度の有効性、社会・文化特性、人的資本、環境・自然災害、グローバルアピールだ。上記で述べてきたが、1位と6位とではかなり差がある。東京が発展していくにはどうしたらいいのかを考えていかなければならない。そんなことを卒論のテーマにしようかなと考えているところだ。どうなるかわからないが(笑)。

マンハッタン

生まれ変わる東京駅

 そういえば、本日10月1日より、修復工事をしていた東京駅が新しく生まれ変わる日である。先日東京に行った時は、外から見た感じではもう工事が終わっていた。中ではまだ少し行われていたが。1日はセレモニーか何か行われるのか詳しいことはわからないが、大きなテントが張っていたり、テレビ局のカメラがたくさん来ていたのを見たのだ。就活の日が重なったら行っていたのだが、残念ながら行けなかった。歴史的瞬間を見逃してしまった感じがする。しかし、台風の影響で式は中止になったそうだ。
 私は東京を訪れるとき、夜行バスを利用しているが、必ずといっていいほど東京駅で乗り降りしている。大阪―東京、東京―青森の夜行バスを利用してもだいたい停まる場所は、東京駅、新宿駅、東京ディズニーランドだ。大阪―東京なら横浜にも停まるし、東京―青森ならば大宮に停まる場合もある。就活で新宿の方が近いときもあるが、私は東京駅を利用する。その理由はいくつかある。まず、東京駅周辺は圧倒的にきれいだということだ。それに、朝早く、そして夜遅くまで屋内で滞在できる場所があるのだ。それは喫茶店などではない。自由に利用できる場所だ。oazoという場所なのだが、地下から東京駅に直結し、丸善の本屋もあるので快適快適なのである。もちろん新宿にもそのような場所があるのかはよく知らないのだが、快適面を考えればここが一番である。二つ目に、個人的に私は新宿はあまり好きではないということだ。時間をつぶすのには苦労する。東京駅にいて、ちょっと座って休憩したいと思えば、いくつかすぐに候補が頭の中で浮かぶのだが、新宿は思い浮かばないのだ。つまり私にとって新宿は近寄り難い場所である。
 oazoのoo広場というところで時間をつぶしているのだが、本当にお世話になっている場所である。朝早くバスが到着するので、就活が昼からの日は5時間もここにいるときもある。着替える場所(トイレ)もここにはあるので、ここがなければ私はどうなっていただろうというくらいである。夜、バスを待つ時はここでコンビニで買ってきたご飯を一人で食べている。
 話は変わるが、一行上で、“コンビニで買ってきたご飯を一人で食べている”と書いたが、なぜ喫茶店やレストランに行かないのだろうという人がいるかもしれない。私は一人でその様な場所に入ったことがない。それはお金がかかるという理由ではない。一人でその様な場所に入る勇気がないといえばいいのか、一人で行こうとすら思わないのだ。韓国では、一人でその様な場所に行くと、「おかしな人」と思われて、笑い者にされるというのを聞いた。もともと行く気がなかったが、それを聞いてなおさら行く気がしなくなったのだ。
 話を戻そう。東京駅のあの煉瓦の建物を見ると「東京に来たな」という実感がわくのだ。今は夜になるとライトアップされるのでそれもまた美しい。工事に入る前、工事が始まって煉瓦の建物に防音のためのシートがかけられていた期間、そして今は新たな姿を見せてくれた。ずっと東京駅の移り変わりを見てきているので、新しくなった時は私も、「やっと姿を見せてくれたのだな」と嬉しくなったのだ。ライトアップされているのも美しかったが、その東京駅をビジネスマンたちがカメラ、携帯電話、スマートフォンを手に抱えて写真に収めている姿を見るのもまた美しい。みんなこの瞬間を待っていたに違いない。「新たな時代が始まった」。そう大げさに感じているのは私だけではないはずだ。

2012年9月30日日曜日

母校の文化祭へ

 ここ数日、台風の影響かは分からないが、天気があまりよくない。昨日も天気がよくなく、雨は降っていなかったが、買い物したいものがあったが出掛けなかった。しかし、今日も天気が悪かったが、買い物しなければならなかったので、午前中は雨が降っていたが、昼にやんだので、急いで買い物に出かけたのだ。12時15分くらいに出発して、帰ってきたのが13時30分だ。我ながら早いと感じた。結局今も雨が降っていないので急ぐ必要もなかったのだが、とりあえず安心した。



9月の中旬、私が6月に教育実習で訪れた母校で文化祭があったのだ。6月の最終日に生徒達から、「文化祭絶対来てな」と言われ、「もちろん」と約束をしていたのだ。約束は守らなければならないので、スケジュールを合わせ、文化祭に行ってきたのだ。二日間行われるのだが、1日目は行内の生徒だけで行われる。イベント広場というのがあって、次の日も出場できるかどうかの予選が行われるのだ。音楽とダンスがある。2日目は外部の人も参加できるのだ。
 文化祭の日が近づいたとき、生徒から一日目のダンスに出場するから見に来てと言われ、特に他の予定はなかったので、そのダンスを見に行くことにした。久しぶりに母校に行く。先生方にあいさつをし、生徒達の教室へ行く。行く途中に、生徒と再会。突然だったのでびっくりしたが、そこは自然とハイタッチ(笑)。「みんなイベント広場に行ってるから一緒に行こや」と言われた。窓からイベント広場は真下なので、広場にいる生徒が私に気がついたらしく、広場にいるみんなが私に手を振ったのだ。それも大声で(笑)。もう、嬉しくて仕方がない。私も手を振る。ちょっとしたアイドル気分を味わえたのだった。
 そういえば6月の教育実習中にも、もう文化祭に向けて活動が始まっていたのだ。ダンスに出場するのは有志で集まったメンバーで、ちょうどその時はダンスをどうするかを決めるところだった。それを思い出したので、とても楽しみになった。途中雨が降ってきたが、生徒達のダンスは最高だった。段ボールで作ったかぶり物をしていたのだが、それが何ともユニークだった。誰が踊っているのかわからなくしようということだった。ダンスを終えて生徒が言ったのだが、「暑くて酸欠状態やったわ」と言っていた。そりゃそうだろう(笑)。
 その日に放送で結果発表があるのだが、落選。それを聞いてみんなは泣き始める。2日目には違うダンスを用意していたそうだ。それは悔しい。まあ、こればっかりは仕方がない。ところが放課後、「悔しいからみんなで踊ろや」と一人の生徒が言ったので、再びイベント広場へ行って、メンバーでない生徒も踊りだした。それを見ていて、「本当に素晴らしい生徒たちと出会えたな」と改めて実感したのだ。
私が担当したクラスは、ラスクを作ることになっていた。作るのは2日目だけなのだが、私は1日目に差し入れでラスクを買って持って行ったのだ。なぜラスクにラスクなのかというと、文化祭に行く数日前、ラスクを作るいうことは知っていたのだが、何か差し入れを持って行かなくてはならないと思い、百貨店でその差し入れは何がいいかと探していたのだが、すっかりみんながラスクを作るということを忘れていたのだ。ラスクは値段的にお手頃なのでそれに決めたのだが、後になって「しまった」と思ったが、いざその差し入れを1日目に持って行くとみんな大喜びしてくれた。みんな差し入れはなんでもよかったのかな(笑)。「これよりもおいしいの作ってや」と言っておいた(笑)。
 実際生徒たちが作ったラスクを食べてみると、それがかなりおいしい。こんなに上手に作れるのかと感心したのだ。一人の生徒にどうやって作るのか聞いてみたが、教えてくれなかった。そして、何で教えてくれないのかと口論になった(笑)。もう何から何まで楽しい文化祭であった。
 そして、壁の装飾にもみんな力を入れていて、よくこれほどのものが作れたなと驚くほどだ。生徒一人一人の顔の写真を切って、壁に貼ってあるのだが、よく見るとそこに私の顔もあるではないか。もう、感謝感謝である。みんな、ありがとう!!!
 久しぶりにみんなの元気な姿を見ることができて、私も元気になった。やっぱりみんなは受験生なので、文化祭中にも受験のことが頭から離れないらしい。そういうもんだ。それが受験生だ。夏休みも終わって、みんな焦ってくる。「もう9月ではなく、まだ9月やで」と言っておいた。そう、まだ9月だ。これは受験日が近づいてくるにつれてこう思わなくてはならない。まだ1カ月もある、まだ1週間もある、そんなふうに。さあ、受験勉強の日々に戻ったが、まだまだこれからだ。

精一杯の自分の人生

 先ほど、今年の投稿件数を見てみたが、昨年に比べて極端に少ない。最近述べているように、就職活動により、大阪、東京、青森を行き来しているので、なかなか落ち着いて投稿できないのだ。投稿しようと思えばできるのだが、「就職活動」という文字が頭から離れず、書くことも限られてきてしまい、他のことに目がいかなくなっているのだ。なので、投稿があまりできなくなっている。読んでいただいている方には申し訳ないのだが、私の気持ちを理解していただきたい。できるだけ投稿していこうと思う。文章が短くなってしまう日が増えるかもしれないが、書いていこうと思う。これが私の活動記録でもあり、日々何を思っているか、精神状態はいかほどか、などの生存確認ができる(笑)。時間があるときには、今う私がどこにいるかくらいでも書いていこう。



最近の精神状態は、昨日も書いたことなのだが、辛い日々が続いている。就職活動もそうなのだが、他にも辛いことがあった。人間は生きていく上で、大変なことや厳しいことの方が多いだろう。それを乗り越えていかなくてはならない。人生の経験を積んだ私たちの先輩がその苦労を知っている。私のような若いものは先輩方の意見を参考にして、それをヒントにしながら、自分なりの論理を構築してかなくてはならない。
 信頼していた人から裏切られたとき、そのショックはどれほどのものだろうか。周りが見えなくなる。奈落のどん底にたたき落とされる。もう人を信用できなくなる。今までのは何だったのだ。そんなことになるだろう。その時、いろんな人に相談しても、耳にはなかなか入ってこないだろう。悲しみと腹立たしさしか頭にないのだから。
 人生には、こういう瞬間がたくさんある。思っていたのとは全く違う現実。学校でも、会社でも、友達でも、家族でも、恋愛でも。人はみな、自分の都合のいい現実を想定する。そしてある日突然、それがただの勘違いだったと気づかされる。己の人間力が試されるのはこういう瞬間だ。
 もし、こういう瞬間に出くわしたとき、道は二つしかない。一つ、その場に及んでも、幻想の中に逃げ込み、今までのはなかったことにして忘れる。二つ、辛くても現実を認め、そしてもう一度、歯を食いしばってゼロからやり直す。私はどっちだ。自分の人生は自分で決めなければならない。
 私は今まで人間的魅力とは何かを研究してきた。少しでも魅力ある人間になろうと様々なことに自ら取り組んできたし、厳しいことにも耐えてきた。いろんなことにも挑戦してきたし、自ら壁を用意し、それを乗り越えられるかを試してきた。百聞は一見に如かず、百見は一行に如かず、自分の目で確かめて、行動してきた。やはり、自分よりもすごいことをしてきた人には感動するし、尊敬もする。

 私はボランティアは正直あまり好きではない。今まで取り組んできたのだが、最近は「人のため」というのが何だかあまり心地よく聞こえてこないのだ。今までは散々、「人のため」と声を上げていたが、そう思えなくなってきた。私は23歳だ。両親の支えがある。ということは、自分のケツも満足に拭けないガキなのだ。誰かのために何かをやってあげるというのは、最初は気持ちがいいものだ。優越感も味わえるし、他人のために何かをしてあげるというのは、ある種の陶酔感も味わえる。「人のため」と思えるのは、最初の方だけである。私にとって、「人のため」というのは50万年早い。人間なんて、自分の人生を必死に生きていたら、それだけで手いっぱいで他人の心配なんかしている暇はないはずだ。もしそうでない人がいるとしたら、そいつはよっぽどの愚か者か、自分自身では夢が追えない弱虫か、あるいは、優しい人間って言われるだけが生きがいの偽善者野郎だ。自分の人生を精一杯の力で生きていく。そして、自分でたくさんのしあわせを掴む。たくさんのしあわせを掴んだら、はじめてそのしあわせを分け与えられるのだ。だから今までしてきたボランティアはすべて自分のためであったように思える。「人のため」は、もう少し先ではないだろうか。

 自分にとって魅力ある人間とは何かを追求してきた。しかし、まだまだ足りないようだ。苦労を重ねた分だけ、私は強くなれるし、優しくなれるし、人の痛みを分かって上げられると思っている。そうやって自分の人生を全うしていきたいのだ。自分の人生を精一杯生きていこうと思う。たとえどんな裏切りがあろうとも、どんな苦しみがあろうとも。苦しみや悲しみなんて、あとになれば笑い話になる。今は辛くても。
 それでいいじゃないか。

2012年9月29日土曜日

続く就職活動

久しぶりに投稿する。今は青森にいるのだが、まだ就活が続いている。もう周りの人のほとんどは終わっているのだが、全国では約6割の就活生が内定をもらっているという。それを聞いて焦る気持ちがないといえばうそになってしまうが、まだまだこれからだという気持ちである。さすがに疲れてしまうときもあるし、ふさぎこんでしまうときもあるし、泣きたくなるときもある。夏休みに大阪に戻っていたのだが、新聞で、ある大学院生が就活で苦労し、自殺をしたというニュースを読んだ。彼も苦労をしていたろう。その気持ちは今もなお就活を続けている者なら分かる。もちろん私にもわかる。灼熱の太陽の下、汗をかきながらスーツを着て街を歩かなければならない。歩く距離が長ければ、途中見つけたコンビニに入り、少し涼んでから、また歩き出す。説明会、書類審査、SPI2、グループディスカッション、集団面接、一次面接、二次面接、役員面接、など企業により進め方は違うが、一企業につき、複数回試験や面接を受けていかなければならない。一つ、また一つと試験をクリアしていくと、その先にある「内定」という文字が現実と化してくるのだ。期待も高まり、もしかすると、という気持ちになる。最終面接ともなればなおさらだ。私は今まで3回最終面接に進んだことがあるが、こういう気持ちになる。だが、書類選考で落ちようが、一次面接で落ちようが、最終面接で落ちようが、結果は同じということだ。合格か不合格か。がんばったとかがんばってないとか、そんなものには何の意味もない。ただ、落ちるたびにふりだしに戻る。落ちるたびに少なからずショックを受ける。そのダメージか蓄積されていく。自殺した学生も、限界に来ていたに違いない。4年大学を卒業し、両親の期待も背負い、そして周りを取り巻く環境が一人の学生を押しつぶしてしまったのだ。そんな彼の気持ちを、誰が理解してくれようか。誰のせいだ。この社会なのか、この時代なのか、自分自身なのか。就活というのは、命を捨てなくてはならないほどのものなのだろうか。彼の声が私の頭の中でこだましている。しかし、彼の声は人ごみに紛れ、かき消されるだろう。これが現実だ。
 先日、東京駅前で就活生が歩いていた。疲れているように感じた。私も周りからは疲れているように見えているのだろうか。昨年12月から始めた就職活動。そして10月になる。季節は秋。春夏秋冬をめぐり、活動が続いて行く。周りに心配かけないように、明るくふるまっているが、それがいつまで続くだろうか。気が付けばまた、東京行きの夜行バスに乗っていることだろう。この苦労が報われる日が来ると信じ、また一歩、踏み出していく。

2012年8月1日水曜日

「1番というのは好きです」

今大阪に帰ってきている。やはり大阪は暑い。毎日35℃を超える猛暑日が続いている。1時間も外にいたら倒れてしまうだろう。私も熱中症にならないようにしたい。
 7月末から8月の10日くらいまで,アルバイトがある。青森ではバイトをしていないので,1年を通じて唯一の稼ぎ時なので,しっかりと働きたい。



 今ロンドンオリンピックで世界中が沸いている。私もその一人なのだが,いつ見てもオリンピックはいいものだと感じる。このために選手たちは4年間,死に物狂いで練習を積み重ねてきた。金メダルを取るために。
 日本選手は銀メダルと銅メダルは取っていたのだが,なかなか金メダルをとる選手はいなかった。しかし,昨日の柔道女子57キロ級の松本薫選手が見事金メダルを獲得した。私はこの試合をずっと見ていたのだが,金メダルが決まった瞬間,私も思わずガッツポーズをしてしまった。相手の反則により,勝利をおさめたが,私はそれでも素晴らしい試合をしていたと感じている。
 松本選手のつけられたあだ名は“オオカミ”。試合前でもあの鋭い眼はだれも寄せ付けないほどの集中力である。もちろん試合にしても攻めに攻めを貫き,相手をねじ伏せている。決勝戦が始まる前の様子を見ていたのだが,なぜだか「この選手は金メダルを取だろうな」という安心感があった。私は久しぶりにこれほどの「勝負師」の顔をしている人を見た。
 勝負というのは厳しいが必ず勝ち負けが決まる。そして勝ちに徹底的にこだわる。我々が試合を見て,金メダルだろうが,銀メダルだろうが,5位だろうが,予選敗退だろうが,「よく頑張った」,「感動をありがとう」と声をかけるが,選手たちにとってはそうはいかないだろう。4年間,“世界一”になるためにすべてを犠牲にして練習してきたのだ。「勝たないと意味がない」,そう松本選手は言っていた。
 松本選手のような勝ちにこだわる人は私は大好きである。試合後のインタビューで印象に残った言葉がある。金メダル第一号ですがという質問に対して,「1番というのは好きです」というものだった。わたしはこの言葉を聞いて,やはりそうかと思った。私もだいぶ前にオンリー1よりもナンバー1を目指したいという風に書いたことがある。私はオンリー1という言葉はあまり好きではないし,そのような言葉に頼らないようにしてきた。自分らしさ自分らしさというが,心配しなくても自分らしさはちゃんと存在している。どんなに小さなことでも,何か一つ,「ナンバー1」になってみたい。松本選手はオリンピックという大舞台で世界一に輝いた。人一倍思いが強かったようだ。「1番」になることによって,松本選手は「オンリー1」を手に入れた。勝負師の“鋭いオオカミの眼光”は,見事獲物をとらえたのであった。

2012年7月21日土曜日

海を見に

ここ最近青森は快晴に恵まれて毎日気持ちがいい天気である。しかし、昨日まで一歩も外に出ず、ただ部屋に閉じこまったままだったので、さすがに今日は外へ出たくなった。自転車に乗って海を見に行ったのだ。最近正直あまり良いことはない。うれしいこともない。すべてにおいてお先真っ暗の雲が立ちこめていた。海を見に行ったのはただの気分転換だ。嫌なことを少しでも忘れられたらと思い、1時間ほど海が見えるベンチに座って海を眺めていた。今日は風が強く、太陽の光は暑いのだが、風は少し冷たかった。やっぱり部屋の中にいてはいけないなと思った。青い空、白い雲、青い海。そして真っ赤な太陽。うーん、きれいだ。久しぶりに時間がゆっくり進むように感じられた。
 駅前や、その周辺はねぶた祭りに向けて工事が進んでいた。もうねぶた祭りの時期である。しかし、来週大阪に帰らなければならないので、今年は祭りを見ることができないのが残念である。せめて最後の夏は見たかったのだが、しょうがない。大阪でやることがある。その前に東京で就活があるのだが。
 海を見た後、本屋さんで時間をつぶし、買い物をして下宿に戻った。あまり変わったことをしていないが、今の私にはとても有意義な時間であった。海を見て、気持ちが入れ替わった。TRY AGAIN、もう一度、やってみよう。

2012年7月17日火曜日

受験生の夏

この連休、青森は激しい雨であった。今日は晴れているのだが、雨が降るとどこへも行けなくなる。九州では今までに経験したことがない雨、らしい。私もこの前、自転車に乗っているときに大雨にあい、前が見えなくなるほどのすごい大雨であった。もちろん服はびしょぬれで、濡れてないところはなく、寒かった。風邪をひくのではないかと心配したが、それは大丈夫であった。久しぶりの太陽に感謝したい。
7月も後半になった。もう少しで夏休みである。夏休みになればまた大阪へ帰ることになるだろう。これが大学生活最後の夏休みだ。もう今年は「最後」ばかりになるだろう。悔いの残らないようにしていきたい。

夏といえば、この前教育実習に行ったが、受験生が夏を控えている。受験生の夏は誰もが言うが重要な時期である。ガッツリ勉強できる時間を確保できる時期であり、また夏の誘惑に惑わされる時期でもある。夏は楽しい、遊びたい、そんな思いになる。全く遊ぶなとは言わない。適度な休みも必要だからだ。そういえば私が浪人していたときに、夏休み明けの最初の倫理の授業で先生が生徒の数が減っていることに対して、「夏の誘惑に負けたか」と笑いながら言っていたのを思い出す。
夏休みに入る前は、この夏休みにしっかり勉強しようと気合を入れるのだが、終わってしまうと「終わってしまった、どうしよう」と不安になるのだ。夏休みが終わればもう9月。センター試験は1月なので、焦る気持ちは誰にでもある。しかし、ここは気持ちの持ちようだ。「あと4カ月しかない」と思うか、「あと4カ月もある」と思うか。
教育実習最後の日、私はみんなが受験生だったので受験に関するメッセージを送った。何と言ったかはっきりとは覚えていないが、「この前先生が言っていたように、残念やけど受験は厳しい。受験戦争って言うやろ。戦争やで戦争。殺しあうねん。今みんなはチームとして協力しあって勉強頑張ってるけど、試験当日はみんな敵やねん。今まで一緒に頑張ってきた友達をも蹴落としてでも自分は生き残らなあかんねん。受験って厳しい。受験前のみんなに言うのは早すぎるけど、もしかしたら今まで一生懸命努力してきたことが報われないことがあるかもしれん。でもな、受験が、大学入学がゴールちゃうねん。大学で何をするかやねん。勉強するのもよし、サークル活動に打ち込むのもよし、バイト頑張るのもよし、世界を旅するのもよし、遊びまくるのもよし。とにかく大学で何か一つ、人に負けないもの、打ち込めるものを見つけてほしい。それがみんなのこれからの人生を切り拓いてくれるから。」そう言ったような・・・・・。
大学入試試験では、解答は一つしかない。それに回答できなければ不合格。本当に厳しい。しかし、人生には答えはたくさんある。だから、自分も含め、生きることに臆病になってはならない。自分の可能性を否定してはならない。だから、第一志望に受かろうが落ちようが、大学に行くまいが、堂々と胸を張って生きてほしい。でもまぁ、今の受験生はとことん第一志望を目指してほしい。そして、第一志望に受かった時に見えた景色を私に教えてほしい。夏休みは、もうすぐそこまできている。

2012年7月15日日曜日

プラス思考、α波でいこう

昨日の朝、青森に帰ってきた。1週間ほど東京で就活をしていた。まともに青森に滞在することができない。ゼミがあるので、それにできるだけ出席しなければならないので、帰ってくるようにしているのだが、正直疲れが出てきているような気がする。この季節でスーツを着て就活をするのは大変だ。暑いし、雨が降るし・・・・・。言いたいことはい山ほどあるが、それを言ったところで仕方がない。東京では相変わらず友人の家に泊めてもらっているのだが、本当に申し訳なく、ありがたい。皿洗いや洗濯はできるだけやるようにしている。それだけでは恩返しはできないが、就活が終わったらちゃんとした恩返しをしよう。
 昨年の12月から就職活動が始まったが、私ほどこの国を移動している学生はいないのではないかというくらいあちこちを移動している。主に大阪、東京、青森なのだが、しかも夜行バスなので移動が大変である。できるだけ一番安いバスに乗っているが、利用者が増える週末は値段が高くなる。夜行バスを使い始めたころは5,000円は安く感じられたが今は高いと感じる。私が今まで利用した中では青森ー東京間は3,800円が一番安い。一番かかるのは交通費なので、そこをできるだけ抑えておきたいところだ。

 最近はなかなかブログを更新できないが、忙しいというのは言い訳の中の言い訳なので、ここでは書くくらい余裕がないという表現をしておこう。今、焦りがある。自分は自分と行動しているが、周りが目に入って、それが何とも言えない。先日、東京でその友人がマクドで買い物をしているとき、店内が混雑していたので私は炎天下の中外で待っていたのだが、年配の男性が話しかけてきたのだが、「会社はどうだ」といきなり聞いてくるので、私をサラリーマンと勘違いしたらしく、「今就活中です」と答えた。大変だろう、というので、その言葉通り大変なので元気よく「はい!」と答えた。その人いわく、大変なのは君らのせいではなく、企業側に問題があるというのだが、それは私にはわからない。たとえそうだったとしても私はそのせいにしたくはない。やはり自分に問題があると考える。そう考えなければ先には進めない。人のせい、社会のせい、その様に考えるのは自分が逃げ道をつくっているだけにしか聞こえない。そうやってどんどんどんどん一歩踏み出さなくなる。そういう生き方だけはしたくないものだな。

苦労に苦労を重ねているが、正直私はうれしく感じている部分がある。人の苦労をわかってやるには、自分が苦労を経験して初めてわかることである。以前にも書いたが、私はこのような節目の時期には必ず苦労している。自分に甘いところがあるかもしれないが、人よりかは苦労を経験してきたつもりだ。まあ、病気も含めて。先日の教育実習で、生徒達にいろいろ話をしたが、もしあの生徒たちの中で浪人する生徒がいたら、私はぜひとも話がしたい。私はまず、「よかったな」というかもしれない。何故なら浪人を通じて様々な出会いがあり、さらに現役よりも苦しいことがあり、たった一年がおそらく人生で最も濃い一年になる。なぜそれがわかるのか。私は経験したから。
 ロッククライマーというのがあるが、なぜ命をかけて高い山を登るのか。命をかけて、苦労をして、頂上まで登った時のそこからの景色が見たいからだ。誰かが登った山より、たとえそれがエベレストであっても、それよりも低い山でもいい、誰も登ったことがない山に登る。誰かが登ったことがある山でも、誰も登っていない壁がある。北の壁は誰かが登っているから南東の壁から登ろう、そんな風にだ。なぜそこまでこだわるのか。誰も見たことがない景色を見たいからだ。同じ高さでも、低くても、その人にしか見えない景色がある。それを見たいのだ。
 話がそれてしまったが、私はやはり苦労は経験すべきであると考えている。運がいいのか悪いのか、私はこの苦労を多くとは言わないが、少しは経験してきているのではないか。今回もそうだが、自分が経験していないことで人にアドバイスするのは難しい。アドバイスしたところで「お前に何がわかるねん」とケンカを売るようなことになってしまう。夏にかかってしまった就活だが、そのようにプラス思考、α波でいこう。

2012年6月26日火曜日

教えることの難しさ

さあ、私の実習授業が始まる。この前のブログでも書いたが、現代社会の戦後日本経済からバブル崩壊までだ。毎日教材研究に追われ、一つの物事に対して、さらに過去の出来事や周りの出来事に波及していき、無限ループにはまってしまうのだ。一体自分がどこを教えたらいいのかわからなくなってしまう。とにかく内容からできるだけ離れないように、要点を絞り、流れや原因と結果を明確にすることを心がけた。なにしろ初めて聞くような言葉もたくさん出てきたので、なかなか前に進まなかった。みんなに配布するプリントは手書きでと決めていたので、そのプリントもわかりやすくするためにかなり工夫した。私が手書きにこだわったのは、みんなの記憶に残ってほしかったからだ。自分で書く字は思いが詰まっている。私が配布したプリントを見て、「ここは実習生が教えてくれたんだな」とほんの少しでも思い出してくれたらいい。そう願いながらプリントを作成した。
 実際に授業してみると、授業する前は自分で納得して臨んだつもりなのだが、迷っている自分がいることに気が付く。黒板に字を書きながら自分で「何でこうなるんやろ」と思っている。みんなにその迷いが伝わってしまったらいけないので、できるだけ堂々としていたつもりだったが(笑)。やはり授業では失敗は当たり前であった。もちろん配布プリントのミスもあった。無神経な発言もしてしまったこともある。当時の自分としてはできるだけわかりやすく伝えようとしたつもりであったが、今思えばとんでもない発言であった。毎回の授業で反省反省である。一言の重さ、教えることの難しさをこれほど感じたことがない。受験生にとっては貴重な1時間だ。もうその1時間は二度と返ってこない。その二度と返ってこない1時間を準備不足、研究不足などあってはならない。というかあり得ない。その責任の重さには震えるくらいに恐ろしくなってしまう。全力で取り組んだのだが、なかなかうまい授業はできなかった。特に毎回初めての単元となっていたC組には申し訳ない。
 2週間はあっという間に過ぎていった。終わるころになって、みんなともっと話がしたいという気持ちになった。私がみんなに話ができるのは自分の経験から学んだことしかない。勉強の方はちょっと勘弁してほしいが。体育祭や文化祭の決めごとで、なかなかみんなにゆっくり話ができなかったのが残念であるが、受験とは、大学とは、そんなことを自分の意見としてみんなに伝えた。その話を聞いて、全く大学とか興味なかった生徒が「行ってみたい」という気持ちになったと話を後から聞いたのだが、それを聞くと嬉しい。たった4年くらいしか年がかわらない。しかし、その4年というのがどれほど大きいのか、自分が話をしていて気がついた。みんなに伝えることが一つでもあるのなら、それだけ私は生きてきたのだなと実感する。まさか私が教壇に立って話をする時が来るとは思っていなかった。あっという間に年をとった(笑)。ちょっとした相談相手になれただけでも私は満足だ。話を聞いてくれる生徒の目は何かを学び取ろうという目であった。自分の経験から話をすることは自信を持って話ができる。みんな、私の思いは伝わったかな。

2012年6月25日月曜日

受験生の相談役

私の実習授業が始まるまでは、ホームルームを担当していたのが主であった。連絡であったり、小テストであったり、と1週間はそれで過ぎていった。昼休みに一度みんなとコミュニケーションを取りに行こうと思い、教室に行ったのだがみんなご飯を食べながら勉強していた(笑)。それはその日にある小テストの勉強であった。私の高校時代と比べてこの小テストが厳しくなっており、合格点を下回ると別紙に英作文や単語を書いて再提出しなければならなくなっていた。私の時はそのような再提出はなかったのだが。その勉強しているのを邪魔してはいけないと思い、昼休みはあまり教室には行かないようにしていた。その分放課後できる限り教室に残るようにし、生徒と様々な話をした。今思えば3年生がよかったのかもしれない。進学について、将来について、みんな悩んでいたのだ。私も高校3年生の時はここにいるみんなと同じように悩んでいたのだな、と懐かしく思えた。みんなにアドバイスできるような人間ではないが、一個人としての意見をみんなに話をした。今考えるとあの受験というのは、まだ低い壁なのかもしれない。受験よりももっと苦しい厳しい壁がある。受験生には、「そんなに悩まなくても」と言ってしまいそうになるが、今のみんなにとってはおそらく、今まで生きてきた中で最高の壁であろう。今でもあの頃のことは覚えている。それを思い出し、みんなに話をした。先生でもない。生徒でもない。教育実習生だ。みんなは先生には言えない悩みごともあるだろう。それを気軽に相談役になれるのはもしかすると教育実習生なのかもしれない。私のアドバイスは役に立つかな(笑)。
さまざまな教室を回り、さまざまな学年やクラスを見学したのだが、やはりその学年やクラスによって個性があるのが改めてわかる。私は主に3年生を担当していたので、3年生を中心にして述べると、落ち着きがあるのが一番の感想である。大人、と言った方がいいのだろうか、1年生と比べるとそれは一目瞭然である。積極的に発言するクラスもあれば、なかなか反応が返ってこないクラスもある。その個性というのはひとつにクラス担任が大きく影響しているのではないだろうか。そのクラスをつくりあげていくのはもちろん生徒自身であるが、そこに担任の支えがあって成り立っている。もし私がクラス担任になったらどのようなクラスになるのだろうかと考えてしまい、とんでもないクラスになっているのではないだろうかと一瞬頭をよぎった(笑)。
日に日に「教師」という仕事が見えてくる。想像していたのよりもはるかに大変である。生徒が知らないところで先生方が汗水垂らして動いてくれている。高校時代の時には考えもしなかったことが今わかる。「そうだったのか」と納得するのだ。私がしあわせだったことが、素晴らしい先生方とたくさん出会えたことだ。それが今でも財産となっている。もちろん今でもお世話になっている。たった2週間で生徒みんなに何が伝わるであろうか。みんなの記憶に残る教育実習生になれるのだろうか。そんなことを考えながら実習時間が過ぎていく。

2012年6月24日日曜日

教育実習開始

久しぶりの投稿である。今青森にいる。5月下旬から6月中旬過ぎまで大阪にいた。以前のブログでも書いたのだが、教育実習に行っていた。今日はそのことについて書きたいと思う。

 6月1日から15日の2週間、母校であるM高校に教育実習に行っていた。行ってきた感想を一言で表すならば、最高だった。そう、これは今だからこそ言えることだ。実習中はかなり大変であった。睡眠時間は毎日3時間。主に教材研究に追われていた。私が担当したのは現代社会で、戦後日本経済からバブルの崩壊まで。私は高校時代は倫理を学んでいたので現代社会は初めてであった。しかも世界史だったので、この単元は全く初めてで、それを教えるというのだから大変に決まっている。参考書など10冊集め、教材研究に走った。これほど勉強したのは生まれて初めて!?であった(笑)。とにかく勉強した。私のホームルームは3年C組で、現代社会を教えるのは、そのC組ともう一クラスは3年D組であった。受験生を教えるということもあり、かなりの責任を感じた。
 1日から実習が始まった。1日から15日、起きるのは6時で7時に家を出発し、7時30分には学校に着いているという生活であった。1日は緊張に緊張をして、自分のホームルームへ担任の先生と共に教室に入ったのだが、3年生なので大人なのかみんな静かである。朝のショートホームルームは短いので挨拶も1分もないくらいで、あっという間に教室から出て行ってしまった。仲良くなれるだろうか、と心配になってしまった。
 私が授業するのは8日からだったので、それまでは教材研究と他の教科の見学であった。様々な教科のところでどのような教え方をしているのかなどといいところをどんどん盗みとらなければならなかった。高校時代は椅子に座って授業を聞く立場であったので、今回は違う立場で授業を聞く。
 その日の終わりのホームルームから私が担当することになったので、連絡事項などを伝える。緊張していたので声を出しているつもりであったが、少し小さかったようだ。掃除を一緒にしたりした。そこで最初に話しかけてくれた生徒がいた。「先生体育祭来るん?」。体育祭は15日で、私の実習期間は14日までだったので、期間が過ぎている。しかし、来れる実習生はぜひお手伝いに来て下さいということだったので、私は行くことにしていた。「うん、行くよ」と返事をした。この生徒は、その体育祭のC組の団長であった。体育祭や文化祭の時は「組」が「団」という呼び方に変わるのだ。一番最初に話しかけてくれたのでかなり嬉しかった。その生徒からどんどん話をするようになり、一人また一人と話をする生徒が増えていった。最初に心配していた仲良くなれるかどうか、は大丈夫であった。

2012年5月16日水曜日

もうすぐ教育実習

久しぶりの投稿である。東京や青森を行ったり来たりの連続で、忙しいの一言だ。教職課程の授業があり、それに出席しなければならず、ずっと東京にいるのは難しい。気が付けば5月も中旬ではないか。カレンダーも見る暇もないくらいに忙しい。6月からは大阪の母校で教育実習が始まる。大学1年生のころから教職課程の授業をとり続けてきた。途中でやめる人もたくさんいたが、私は最後までやり続けてきた。私の夢の一つに「教師」というのがあるからだ。教職の授業をとっていると大変だろう、という人がいるが、夢の為なら大変でも何でもない。とって当然だ。教育実習が最後ではないが、とにかく最後まできちんとやろう。ここでやめればすべては水の泡となってしまう。忙しいがやろう。

 明日は大阪に戻る日である。今回は朝青森を出発して夜に東京に着き、すぐに大阪行きの夜行バスに乗る予定だ。やっぱり今はバスに乗るしかない。
 今日の朝東京から戻ってきたのだ。一昨日の夜に東京へ向かい、そしてそのまま帰ってきた。二日連続車中泊だ。もうこれにも慣れた。交通費は一体いくらかかっているのだろうか。終わったら計算してみよう。計算するのが怖いが、すべてバスを使っているだけでも大分安くついているはずだ。
 21日に母校の高校で教育実習の会議があるのだが、その夜にまた東京へ行かなければならない。休んでいる暇はない。自分なりに息抜きをしているので問題はないが、体調を崩してしまわないか自分でも心配だ。「健康第一」これに勝るものはない。

2012年5月6日日曜日

青森では桜

今青森に戻っている。今日の朝青森に到着した。駅から下宿までバスに乗って帰ってきたのだが、桜が咲いていてきれいであった。まだ青森では桜が咲いている。もうそろそろ散り始めているだろうが、桜を見ることができてよかった。
 昨日東京に朝到着し、昼過ぎまで友達の家で休憩し、東京駅でコインロッカーに荷物を預け、渋谷に向かった。夜の青森行きのバスまで時間があった。久しぶりに就活ではなく、ただぷらぷらしたかった。いつもの道を目的もなくただ歩いた。友達の家で休憩しているときに、雷が鳴って激しい雨が降っていたが、家を出るときは曇りになっていたので助かった。
 ついこの間オープンした渋谷ヒカリエにも行ってみた。かなりの人が来ていたのでゆっくりと見る気分ではなかったが、訪れることができてよかった。
夜にご飯を食べたいと思い、いつもの場所に行ったのだが、何かのイベントのためにテーブルや椅子が片付けられていたので、ご飯を食べるスペースがなくなっていたのだ。どうしようかと思い、私は一人でレストランやカフェに入るのは絶対にしないタイプなので、コンビニでいつも買っている。今回もコンビニで買ったのだが食べるところがなかったので、仕方なく立って食べた。ご飯くらい座って食べたいと思ったのだが、まあ仕方がない。
 22時30分鍛冶橋発だったので、それに間に合うように出発地へ。ちょうど雨が降り出してきたのでギリギリセーフであった。そしてバスの席なのだが隣の人がいなかったのでさらにラッキー。久しぶりに車内で眠ることができた。

 また来週東京に行かなければならない。就活だ。まだまだこれからだ。気合を入れていこう。

2012年4月25日水曜日

今から準備

今日の夜東京へ向けて出発する。今日の青森は晴れて気持ちのいい天気だ。今年初めて窓を開けて過ごしているが、少し寒い。先ほど履歴書を書いていたのだが、字を何度も間違ってしまい、訂正ばかりしていたので書くのが嫌になってしまった。でも一応完成したのでよかったよかった。今から出かける準備をしなければならない。忘れ物がないようにしなければ。明日は13時から15時30分まで説明会と試験があるのだが、それが終わったらいつもの友達のところへ行き、夜の大阪行きのバスの時間まで時間をつぶそうと思っている。23時55分八王子発だ。なんて中途半端な時間であろう。カバンにしようかスーツケースにしようか迷っているところだ。まぁ、どっちにしろ早く準備をしよう。明後日は大阪だ。約1か月ぶりだ。ゴールデンウィークに大阪にいるのは大学生活で初めてだ。ゆっくりできないかもしれないが、久しぶりに家族の顔を見よう。

2012年4月24日火曜日

遠くからエールを

26日に東京で就活が入り、27日に大阪で就活が入ったため、明日からまた東京へ行かなければならない。そのまま大阪に帰ることになるがゴールデンウィークなのでちょうどよかったという感じである。今回も夜行バスであるが、青森から東京までは4000円、東京から大阪までは2500円なので、青森から大阪まで6500円で帰ることになる。安い安い。二日連続バスで寝ることになるが、それは仕方がない。大阪はもう半袖の人がいるとこの前母が言っていた。ゆっくりしたいところだが、そうはいっていられないだろう。やることがたくさんある。就活もそうだが、もうすぐ教育実習が始まるのでその準備もしなければならない。1週間いれるかいれないかくらいだ。少し大阪に帰れるだけでもましと思おう。

そういえば明日は一昨日のブログでも少し登場したが、私の身近な人が最終の面接がある日である。どうしても受かってほしい気持ちだ。直接言葉をかけることはできないが、遠くからエールを送ろう。自分の夢を追いかけてたどり着いた。だから頑張ってほしい。
 「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。」という言葉を読んだことがある。その通りだろう。長渕剛も「夢は絶対に叶うもの」と言っていた。夢を追いかける姿は何よりも美しい。苦しみと挫折が何度も何度も押し寄せてくる。それを乗り越えていく。
 悩んでいるときに、私はアドバイスにもならない言葉ばかりをかけ続けてきたが、支えになっているだろうか。
 
 東京の山手線の恵比寿駅にこのような言葉の看板がぶら下がっていた。
『夢はひとりじゃ叶わない。
 あなたの夢を支えてくれる人。
 応援してくれる人。
 喜んでくれる人。
 そんな誰かがひとりでもいるから、夢は叶えることができる。
 たくさんの壁ものりこえることができる。
 世界にあなたひとりだったら、夢はたぶんカタチにできない。
 人間はそんなに強くない。
 それってとても、すてきなことだと思う。』

 私もこの一人になっているだろうか。応援している声は届いているだろうか。自分のことも大切だが、自分のこと以上に応援したくなる。だって夢を追いかけているのだから。

 「がんばってね!!」

2012年4月23日月曜日

友達がアメリカ一人旅の計画を

今日の青森は雨である。雨というよりは一日中霧が出ていたのが印象的であった。私は山に住んでいるのだが、霧が出るのは当たり前のことである。だいたい朝方が多いが、今日はずっと霧が出ていたのだ。かなり霧が濃かったので、車が来ているのかもわからないくらいで少し危険であった。それと少し肌寒かった。
剣道サークルの代表が代わるということで、朝から次の代表になる学生と銀行へ行き、口座の名義人の変更をしてきた。そして去年度や新年度に関しての書類を一緒に作成し、大学の事務局に提出をしてきた。とりあえず剣道サークルの方はひと段落となりそうである。ボランティアの方はまだ名義人の変更をしていないので、これも忘れずにしなければならない。


同じ学年で剣道サークルに所属している友達がいるのだが、彼も今年度中にアメリカの一人旅に行きたいと言ってきたのである。一人旅という単語を聞くと私もついうきうきしてしまう。パスポートはどうやって作るのかという話からになった。どうしてアメリカなのかと聞くと彼はバスケットボールが大好きらしく、NBAを本場で見てみたいのだそうだ。やはり本物に触れるというのは素晴らしいことである。そこに至るまでの過程からもすでに旅が始まる。行きたい場所がフロリダとシカゴらしい。フロリダは私はあまり分からないが、シカゴは私が高校の時の研修旅行の行き先がシカゴであったので、シカゴと聞くと高校時代を思い出す。私の代わりにシカゴへ行って来て欲しいと伝えておいた。私の恩師から聞いた話によると、アメリカで交通が発達しているのはニューヨーク、ワシントンD.C.、サンフランシスコらしい。ここには地下鉄やケーブルカーがあるからである。ロサンゼルスやシカゴなどの大都会でもここにはその様な交通機関はない。バスはあるだろうが、移動に少し不便になるのではないだろうか。ある映画で、「ここはロスだ。まずは車を買った方がいい。」というセリフを聞いたことがある。しかし、それはそれである。行きたいところに行けばいい。私もニューヨークでは地下鉄を一度も利用していないのだから(笑)。イエローキャブと何といっても徒歩(笑)。
金銭面であまりお金をかけられないという話であったが、もちろんそうだろう。一番かかってしまうのは航空券だ。そこでどれだけ安い航空券を見つけるか。私もネットで探しに探し、残席1席でしかも日本から直通便という最高の航空券を見つけた。ANA便で約8万7千円。私の恩師は5万円でニューヨークまで行ったぞ、という話であったが、ANA便で直通となればこれ程安いのはあまりないだろう。とにかくそこでどれだけ安いのを見つけられるかだ。次にホテル代だろう。ここはそれぞれのサービス、立地場所をチェックし、値段と相談する。私は地下鉄の駅の近くを選ぶことを大前提としていた。サービスは必ずチェックしておいた方がいい。私もここが甘かったので、ニューヨークでは大失敗のホテルになってしまった(笑)。後抑えられるのか食費くらいであろう。ここは私はアドバイスできるところではない。食べたいものを食べたい時に食べてほしい。もっとおいしいものを食べておけばよかったと今頃になって思う。
とにもかくにも、何度も言っていることだが一人旅は良い。私の影響かは分からないが、彼の口からそのようなことを聞けてうれしく思う。人生が変わる経験をどんどんしてほしい。彼も世界が変わるであろう。まだ行く日程は先だが、行くときには一言声をかけてあげたい。

2012年4月22日日曜日

久しぶりの投稿

更新できずに申し訳ない。今忙しいの真っただ中であるが、今は少しだけ時間があるので更新したい。
今は青森にいる。東京へ行ったりするのが多く、大変な日々が続いている。ついこの間までは東京は春で青森は冬であったので、春、冬、春、冬と季節をまたいでいたのだが、最近青森も春になった。まだ雪が積もっているところがあるが、もう季節は春である。自転車にも乗れるようになり、少し不便は解消された。まだ桜は咲いていないのだが、もう少ししたらこちら青森でも桜が見ごろになるであろう。青森では弘前の桜祭りが有名であるが、私はここ青森に来てから一度もその桜祭りへ行ったことがないので、今年こそは行ってみたいものである。就職活動中なので時間がとれるかわからないが、是非行ってみたい。
桜といえばこの前東京で就職活動をしている合間に新宿御苑へ行った。その日は午前中で就活が終わり、夜のバスまで時間をつぶさなければならなかったので、調度桜が見ごろだと母から聞いていたので一度行ってみるかということで入場料200円を払って行ってみたのだ。その日は結構寒かったのでゆっくり見れるくらいの気温ではなかった。しかし、土曜日ということもあってかなりの人が来ていた。新宿の高層ビル群を背景に咲く桜は美しかった。大都会の中にこのような自然があるというのもいいものだ。しかし、一人で桜を見るのは少しさびしい気持ちもあり、しかもリクルートスーツを着ていたので場に似合わない格好をしていた。まぁ、楽しめたので何も言うことはないが。よかったよかった。
バスが東京駅発だったので新宿から電車で東京駅まで行こうかと思ったがまだまだ時間はある。歩いて東京駅まで行こうという気になり、歩いて行くことにした。ただひたすら新宿通りをまっすぐに進むだけであったので迷うことはない。歩くことによりその土地を感じることができる。車は電車では気が付かないものばかりを発見できる。歩くのは良い。心配していた靴ずれもならなかった。かなりの距離を歩いたが歩いてよかった。いつもここは夜行バスが新宿から東京駅に移動するときに通るところである。
就活が続いているがなかなか進まないのが現状である。周りの人は内定が決まったり、最終選考に進んだりとその様な声ばかりが聞こえる。その様な声しか聞こえないのだろうか。自分のペースというものがあるのかは分からないが、やはりそれを聞くと焦る気持ちになる。選考に進んでいかないのはやはり自分が悪いだけである。私の身近な人で最終選考に進んだという知らせを聞いた時、本当はうれしくてうれしくて仕方なかったのだが、その裏腹には焦ってしまう自分がいた。それで素直に喜ぶことができなかった。努力をしていたのはずっと見てきていたので、もっと喜んであげればよかったのだが、自分の心の狭さ、弱さにただただ恥ずかしくなるだけである。おそらく自分のことしか見えていないのだろう。これが自分の器なのだから仕方がない。頑張ろうね、という言葉はもう言えないのかもしれない。周りはどんどん終わり、就職戦線から離れていく。頑張らなければならないのは紛れもない私自身である。決まらずに就活を続けていたら、いつか周りから頑張ってねという言葉ばかりをかけられるであろう。それを聞いて嬉しくなるときもあればときには腹が立つこともあるだろう。せめて自分の身近な人から言われてときには素直に「ありがとう」と心の底から言える私でいたい。
今まで私はこのような節目の時は苦労ばかりをしてきたような気がする。最初思っていたようなスムーズに進んだことは今まで一度もなかった。それが人生であるが、あまりにもという気持ちがある。自分の努力不足なのはわかっているが周りをねたむこともあった。せめて今回だけはと思ったが、そんなに甘くはない。しかし、今まで思うようにいかなかったが決して後悔したことはない。苦労に苦労を重ねてたどり着いたところはいつも「ここに来てよかった」と心から言える。だから今回もそのようになることを信じている。だからそのために今は苦しいが、思うようにいかないが、私は私のやり方がある。私は「これでいい」ではなく、「これがいい」という人生を歩んでいく。

2012年3月24日土曜日

ただいま大阪に

今大阪に帰っている。来週からバイトがはじまるのだが、バイトが終わったらすぐに青森に帰らなければならない。4月2日から大学が始まるのだ。やっぱり春休みもあっという間であった。まだ青森は雪だろうか。今日の大阪は雨である。出かけたいところだが、やらなければならないことがあるし、雨が降っているということもあり、どこへも行けないだろう。実家に帰るとついついゆっくりしてしまい、何もしなくなってしまう。これではいけないので、あまり実家にいられないのもちょうどいいのではないだろうか。今回は青森から大阪まで夜行バスで帰ってきたが、青森へ戻るときもバスで帰らなければならないだろう。金銭的にこれが一番安い交通手段である。一万円以下で行けるのは安い。しかし、疲れるというデメリットがあるが、これは仕方がない。若いときしかこのようなことはできない。若いときは若いことをしよう。


最近東京によく就活で行く。今までもよく遊びに行っていたのだが、今思えばよく遊んでおいてよかった。いろんな場所を見てきているので、どこで時間をつぶせばいいのか、とかどこか座れる場所はないだろうかなど、そういう場所を今までに見つけていたので、探すことなくその場所へ行き、時間をつぶしている。カフェや喫茶店に入るとお金がかかってしまう。できるだけお金がかからないようにしている。
さらに、よく遊んでいたため、東京が珍しいとも思わなくなっていたので、遊びたいという気持ちにならないので、就活に専念できる。それほど東京に行っていないときは新鮮さがあり、遊びたいという気持ちになっていたが、今は新鮮さはない。もちろん今も遊びたいという気持ちはあるが、いつでも行けるので遊ぶのは後でもいい。今まで遊んでおいてよかった。
泊まるところも友達が協力してくれている。本当にありがたい。心から感謝している。合鍵まで作らせてもらっている。そこまでしてくれる友達はそういないだろう。私は多くの友達と関わりを持ち続けることはあまりむいていないのか、昔からの友達はそれほど多くない。その代わり深く関わりも持っている。今までそのような関係を築いてきたのでそこまでしてくれていると思っている。好き嫌いがはっきりしているといったほうがいいかもしれない。一生の友達というのは生きている間に一体何人作れるだろうか。私は5人いればかなり多いと思っている。毎日会うことができない関係になり、3年後、5年後に関係が続いているか。続いていればそれは一生ものだ。友達を手段として扱うのはしてはいけない。すべては信頼関係の上で成り立っている。それっきりの友達を100人つくるよりも、一生の友達を一人見つけよう。私は今までそうしてきたし、これからもそうしていくだろう。私はそういう友達を見つけることができてしあわせである。感謝の気持ちを忘れないようにしなければ。

今回初めてiPhoneから投稿してみた。少しやりにくいが、iPhoneからも投稿できるときは投稿しよう。

2012年3月18日日曜日

1週間半東京で就活

投稿できずに申し訳ない。1週間半くらい東京にいたのだ。もちろん就職活動だ。友達の家にずっと泊めてもらっていた。本当に助かった。ホテルに泊まれば宿泊費でかなり高くつく。私は友達の家から説明会のある会場までの交通費と食費くらいである。まだまだ就職活動はこれからである。次もまた友達に頼らなければならない。必ずお返しをしよう。
そして来週はまた就活で東京へ行き、また大阪へ帰ろうと思う。大阪ではゆっくりとできないだろうが、一度帰って少しでも家族の顔が見たい。もう少しで関西の方は桜が咲くのだろうか。青森はもう少しかかりそうだが、関西で一度桜を見て、青森でも桜を見て、2回サクラを見たい。




東日本大震災から1年が経過した。去年のことは鮮明に覚えている。アメリカに行く1週間前であった。地震が起こり、津波が来る様子をリアルタイムで見ていた。まるでパニック映画を見ているかのようであった。もう1年もたつのか。本当に早い。今、被災地はどうなっているだろうか。復興は少しでも進んでいるだろうか。去年の5月中旬に初めて被災地を見た時は驚愕してしまったが、少しずつ復興していく様子は見ることができたが、今はどうだろうか。一日でも早い復興を心から祈っている。

そしてアメリカから1年だが、私の携帯の待ち受け画面はニューヨークの街並なのだが、これを見るたびにあの日のことを思い出す。また行きたい。あれほど面白いことはなかった。異国は新しい発見と心揺さぶる刺激で満ち溢れている。それらに触れることにより、人生は変わる。人生が広くなり、大きくなる。英語なんて喋れなくても十分だ。簡単なあいさつで十分。英語がしゃべれないから、という人は本当に中学英語からやり直した方がいい。中学英語ができれば十分過ぎるくらいだ。あとは笑顔。自分の居場所はここだと決めつけないでほしい。ここが一番だと決めつけないでほしい。それをすることにより、自分で個性というものを潰してしまっている。これがどれほど人生をつまらなくしていることか。もっと様々なモノに触れ、人々と触れ合い、自分の可能性を見出していく。世界は広い。とてつもなく広い。世界をすべて知ることは100年あっても200年あっても無理だろう。それくらい広く、楽しみが溢れているということだ。次は違うところへ行きたい。しかし、同じニューヨークとワシントンD.C.へも必ず訪れる。今度はもう少しゆっくり旅をしたい。

2012年3月4日日曜日

明日からまた東京へ

今日は朝早く起きて、といっても8時であったが(笑)、少し上等の印刷用紙を買いに行ったのだ。というのも、企業の説明会に参加するときに起業していの履歴書やエントリーシートを提出することがあるのだが、パソコン上でその履歴書などをダウンロードし、印刷して持って行かなければならないのだが、私は普通用紙しか持っていなかったため、少し上等の紙を買いに行ったのだ。休日ということもあり、バスの便数がかなり少なく、往復で3時間弱かけて歩いて買いに行ったのだ。まあ、交通費節約のためもあったのだが。この為だけに山をおりるのはもったいないと思ったが、やることがあるので仕方がない。帰りにコンビニでRed Bullを買った(笑)。
明日の夜に東京へ行くのだが、数日に分けて説明会が入っているため、いちいち戻ってくるのは交通費がかかってしまうため、東京の友達の家にしばらく居させてもらおうかと思っている。もちろんその友達の許可は取っている。どこかのホテルに泊まるとなるとかなりお金がかかってしまうので本当にありがたいことである。いつか必ずお返しをしたい。


朝行くときは少し雪が降ったが、今は晴れている。もっともっと晴れてくれという感じだ。悩んでいるときも辛いときも悲しいときも、少し顔を上げて空を見てみると太陽が照り、青い空と白い雲が見えたときに、「あー、きれいだな」、「気持ちいいな」とほんの一瞬でも忘れられるだろう。誰にでも悩みや辛いことがある。自然に触れた時に、その悩んでいることがちっぽけに見えることもある。そしたら気持ちが楽になるだろう。聞こえていなかった風の音が聞こえるかもしれない。見えていなかったものが見えるかもしれない。悩んでいるときや辛いとき、忙しいときに自分と会話してみよう。現実からは逃げられないかもしれないが、どうせやるなら前向きに行こうじゃないか。どうせやるなら楽しくやろうじゃないか。そんなことを思いながら太陽と青い空と白い雲を見ている。

2012年3月3日土曜日

少しずつ春に

更新できずに申し訳ない。今青森にいるのだが、やることがたくさんある。明後日も午前中に駅前で説明会があり、そのあとグループディスカッションもやると言う。そして助成金の書類を市役所に提出しなければならない。この助成金の書類はメンバーの一人が手伝ってくれ、本当に助かった。私一人では決してできなかった。本当にありがとう。そしてその夜には夜行バスで東京へ行かなければならない。説明会があるからだ。移動ばかりで自分がどこにいるのかわからなくなってくる。エントリーシートや履歴書も書かなければならない。忙しい。




青森の寒さは大分ましになった感じである。まだまだ寒いのは寒いのだが、晴れる日も少し多くなったような気がする。積もっていた雪も少しとけてきている感じだ。この時期に青森にいるのは初めてであるが、長い冬から春が来るのを感じられるのはうれしい気持ちになる。少しずつだが、春はやってきている。



東京へ行ったり大阪へ行ったり青森に行ったりと移動ばかりで落ち着く時間もないのでブログを更新するのは難しいかもしれないが、できるだけ更新しようと思うのでまた覗いてもらいたい。

2012年2月20日月曜日

もっと自由で

今日の大阪は晴れている。というか毎日晴れている。晴れているとどこかへ出かけたくなる。明日は就活でまた東京へ行かなければならないが。説明会2時間のために東京へ行くのももったいない話である。本当にお金がかかる。兵庫県の某M女子大では東京に就活のためのオフィスを構え,パソコンを常備し,化粧や着替えなど待機できるスペースがある。これはありがたい話である。スーツで夜行バスに乗ればしわになってしまうので,翌日の朝などにトイレで着替えをする場合もある。そんなときにこのようなスペースがあれば本当に助かる。私も全国からやってくる就活生や大学受験のために上京してくる受験生を対象としたそういうスペースを提供する事業を始めようかと思いついたのだ。この前は雪を利用した何かであったが,今回は就活生や受験生のための事業だ。さらに格安で宿泊できる場所も確保する。東京駅周辺と新宿あたりの2か所。どうだろうか。このようなことばかり考えて肝心の就活は前に進んでいない(笑)。起業するのもなかなか面白そうだ。一度きりの人生だ。面白いことをやりたい。苦労するのは当然。しかし,何をするにしても何かしらの苦労はする。それならば自分の好きなことをして苦労したいものだ。いや,自分の好きなことなのでそれは苦労と言わないのかもしれない(笑)。





人間は自由である。なんでもできるのが人間だ。フランスの哲学者サルトルの言葉だが,「人間は自由の刑に処せられている」。何をしても自由だが,その責任はすべて自分で負わなければならない,そう言ったのだ。自由とは何だろうか。この国では自由とはお上から与えられるものだと思っている。そしてお上や警察からその自由が守られるものだと思っている。しかし,アメリカでは自由は勝ち取るものなのである。もし政府が私たちの自由を侵害しようとしたとき,銃を持って戦わなければならないというのだ。そう,自由は与えられるものではなく勝ち取るものなのだ。アメリカは自由の国である。アメリカの銃社会がなくならないのはこのためでもある。目から鱗の素晴らしい話である。何度聞いても素晴らしい。この国とはまったく違いすぎる。考え方そのものが違う。
アメリカに行ったとき,なんと素晴らしい国と思ったことか。なんでも挑戦させてくれそうだった。しかし,この国では閉塞感を感じてしまう。生きにくい。この国の自由は何か違う。そもそもこの国の自由は自由というのだろうか。日本を非難しているわけではない。日本は素晴らしい国である。この国より住み心地のいい国はほかにはないだろう。それだけ見ていてはいけない。すべてにおいて良いところと悪いところがある。今はこの自由が気になる。この国で閉塞感を感じているのは私だけではないはずだ。就職でも新規採用を重視するこの国。転職は難しいといわれる。一生その場所でとどまり,定年を迎えるのがこの国では当たり前のことだ。安定とやらを手に入れ,そこから抜け出すことを恐れる。仕事を辞めても求人があふれているこの国。何を恐れるというのだろうか。もっと自由でいいんじゃないか。もっと肩の力を抜いていいんじゃないか。自分の思うことをやっていいんじゃないか。でっかい夢を持っていいんじゃないか。自分のビジョンを描いていいんじゃないか。ティーンエイジのソウルを持ち続けていいんじゃないか。失敗なんて恐れる必要はない。成功するまでやれば必ず成功する。さあ,自由時間だぜ。

2012年2月19日日曜日

私の性格

今日も午前中,大阪ビジネスパークで企業説明会に参加していた。企業によって説明会の仕方が全く違うので,これもなかなか見ていて面白い。今日の企業はたくさんの現職で働いている方が参加して話を聞くことができた。
午後からは少し買い物に行こうと思い,梅田の繁華街を歩いた。就活生がたくさん歩いていた。急いでいるのか,走っている就活生もいた。私はここで何をしているのだろうかと自分のことをイヤになりながら歩いていた。
本屋さんへ行き,私の好きな作家のところで立ち読みをしていた。気がつけばかなりの時間がたっていた。彼の言葉に励まされているのか,それとも怒られているのか,同情されているのか,早く目を覚ませと言われているのか,今の私にはわからない。ここにいればなんだか安心というか,集中することができない。青森にいるときのほうが緊張があるのだろうか,やることはギリギリでもやっていた。青森に戻りたいという気持ちが強くなっている。今は安堵している暇はない。来週には青森に戻らなければならないのだが,今のこの時期は青森にいるほうがある意味安心するのではないだろうか。また3月下旬にはもう一度大阪に戻る気もあるが今はまだ分からない。その時の気分で決めよう。また大阪で試験や説明会が入るかもしれない。




自分の気持ちを相手に分かってもらうというのは難しいことだ。100%理解するというのは不可能なことだ。家族でさえ不可能なことだ。しかし,一番大切なことは分かろうとする気持ちを持ち続けることだ。その気持ちは決して忘れてはいけない。今この時間が当たり前のことだと思ってはいけない。人と会うとき,接するとき,遊ぶとき,時間を共有するとき,もうこの人と会うのもこれが最後だと思って毎日を過ごそう。そうすれば無駄だと思うことなど何一つなくなる。その人と時間を共有することに感謝する。私は人から「余計なお世話だ」,「子供扱いするな」,「重い奴だ」と言われているかもしれない。しかし,可能な限り,時間が許す限り,私は時間を共有したいと思っている。なぜなら失ったときに後悔するからだ。絶対に後悔はしたくない。人間は後悔する生き物だと私は思っているが,どんなことをしても人間は後悔するだろう。あのとき最後まで一緒にいればよかったと思いたくない。私は頑固で自分勝手で不器用な人間である。この性格をなおしたいと思うときもあるが,なおることはないだろう。嫌われるのは嫌いではない。自分から嫌われることをしているときもある。私はすべての人から愛されるようなことはできない。それは優しさが足りないのか,気配りができないのか,人間としてのレベルが低いのか。自分磨きをしてきたつもりだが,結局は「つもり」だったのか。嫌われるのは一向に構わないが,身近な人や大切な人からは嫌われたくない。これも自分勝手な意見だ。都合のいいことばかりを言っている。

最近疲れているのだろうか,なかなか元気の出ることを書けない。その日の気分だが,最近はこんな気分だ(笑)。元気出していこう。

2012年2月18日土曜日

どうする

更新できなくて申し訳ない。今大阪に戻っている。就職活動で,先日も午前中に大阪ビジネスパークで説明会があり,夕方からはWEBで説明会があった。今思えばすべてWEBで説明会をしてくれればわざわざ東京へ行ったりしなくてもいいようになる。交通費が少しでも減るので,これほどありがたい話はない。将来的にはそうなりそうだが,私のときにはまだ少ないだろう。面接ならもちろんでこへでも行くが,説明会ならWEBで事足りるだろう。企業側ももう少し考えてほしいものだ。しかし,そのWEBで行われた説明会なのだが,何やら問題が発生したらしく,ログインできなかった学生が多かったらしい。その代わりとして改めて後日行われるという。私は聞くことができたので,またあの眠たい説明会を聞かなければならないのかと思うと,面倒なので次に行われるのはキャンセルしようと思っている。
来週も東京へ説明会に参加しなければならない。東京国際フォーラムで行われるというので,私にとっては知っている場所なので下見する必要もない。しかも駅から近いのでありがたい。そのときにまた東京の友達に会えそうなので,また会いたいと思う。
私の身の回りの人は面接だったりエントリーシートを書いたりなどとどんどん就活を進めている。それを見ていて焦りを感じることもあるが,なぜかそこまで焦りを感じていない。というかこれでいいのかと思っている。「自分が何をしたいのか」,が全く分からない。教師になるとういう夢がある。しかし,このまま教師になっていいのかとも思っている。私にはまだまだ知らないことがたくさんある。今まで自分探しをしてきたつもりだが,まだまだ足りないようだ。自分が見えていない。自分というただの得体の知らない生き物だ。もう少しこの世間,世界を知っておくべきである。そして何よりももっと自分を理解すべきだ。自己PRとあるが,自分のいいところなんて何一つ見えてこない。アピールするところなんてあるだろうか。書いたところで何万と就活生が同じことを書いているだろう。嫌になるばかりだ。私という人間は一体どういう人間なのか,誰か教えてくれないだろうか。就活が嫌なわけではない。試験や面接で落とされるのが怖いわけではない。ただ自分は何なのかを知りたいだけだ。今まで様々なことに挑戦したり,様々な場所を訪れたりしてきた。社会勉強も人並みにはしてきたつもりだが,まだまだだ。さあ,これからどうしようか。いつの日かこのうやむやが晴れる時は来るだろうか。そんなことを考えている時点で私は逃げているのかもしれない。

2012年2月11日土曜日

最終報告会

1週間更新できなかった。申し訳ない。市役所に行かなければならなかったり、教員採用試験の対策講座やボランティア報告会、就職活動などやらなければならないことがたくさんあったので、なかなかブログまでには手が回らなかった。なかなか落ち着いて書くことができない。

 
 今日はボランティア報告会が駅前で行われた。とりあえずの最後の活動である。私が通っている大学の理事長や教授、その他お世話になっている方々が参加していただき、決して多い人数ではなかったが、有意義な報告会となった。まずは私たちの団体の去年6月からの活動報告である。改めて私たちが活動してきたことを振り返ることができた。そしてその後、ホープシェアリングというものを行い、少人数に分かれて話し合いをする時間であった。4つのグループに分かれて話し合い、その後どのような意見が出たか発表してもらった。参加して下さった方々からコメントをいただき、無事に報告会を終えることができた。予想よりも充実していたので本当に素晴らしい報告会となった。後は助成金のことを片付けるだけである。

2012年2月4日土曜日

迎える最後の日

テストやなんやかんやで更新できなかった。申し訳ない。

 昨日で無事に期末テストが終了した。難しい教職課程の試験も何とかクリアできた。よかったよかった。こうして3年生も終了したことになる。早かった。本当に早かった。楽しいことも大変なこともいろんなことがあったが、間違いなく大学3年間では一番充実した学年であった。本当に素晴らしい一年であった。春休みもまだまだ忙しいので気は抜けないが、とりあえずの3年生は終了した。




 昨日テスト終了後、ボランティアの集まりがあり、最後の報告会をどうするのかという話になった。ボランティアもとりあえずは最後の行事である。11日に駅前で行うことになった。なぜ11日になったかというと、1年生が中心となって毎月11日にホープシェアリングという震災を忘れないようにするための活動を行っていたので、それと合わせて報告会をしようということになった。これもメンバーからの意見である。それは良いと思い、日にちはすぐに決まった。内容も1年間の活動報告とホープシェアリングで時間も丁度いいくらいになる予定である。報告会が来週なので、すぐに報告する事を考えなければならないので、役割分担をやってしまい、何とか11日に合わせられるようにした。最後の活動である。しっかりとやりたい。
 3年生が中心のこの団体である。みんな就職活動や色々とやることがたくさんある。みんな忙しい。みんな時間がないのは同じである。頑張りましょうとみんなに呼び掛けた。6月から活動してきたが、前途多難なことばかりであった。もちろんすべてが初めての経験だったので、困難ばかりなのは当たり前なのだが。しかし、活動してくるうちにまとまりができてきて、活動もスムーズに流れるようになった。集まってきてくれたメンバーはみんな素晴らしい人で、みんな頼りになる存在である。リーダーを務めさせてもらっているが、改めてメンバーを見渡してみると、「個性」がはっきり見えてきて、やっぱり十人十色である。議論していれば本当に面白い。いろんな意見が出てくる。リーダーとなってみんなの様子を見ることができて本当に貴重な経験をさせてもらった。素晴らしいメンバーに巡り会うことができて、本当に私はしあわせである。

 去年の6月、自ら選んだ道であるが、自分の置かれる立場が大きく変わった。団体を立ち上げ、リーダーとなり、みんなを災害ボランティアのために被災地へ連れて行く。しかし、そのあまりに大きく変わった環境についていけなかった。「できてないし、やってない」。周囲から感じるプレッシャーや追いつかない自分の能力。力の出し惜しみなどしていないのに・・・・・。必死に追いつこうとしても追いつくことのできない自分の理想の姿。一方、責任が生じるにつれてさらけ出される自分自身のあまりに頼りなく情けない姿。それは私が理想としていた自分とは遠く遠く離れたものであった。行き詰った状況に手を差し伸べてくれたのはメンバーであった。過ちを犯しても「いいよ」と笑顔で言ってくれ、「何かあったらいつでも言ってね」と言ってくれたメンバーたち。どんなに大変でも前に進もうとする姿は笑顔をくれた。肩の力を抜いて目の前のことに上手にぶつかる方法を教えてくれた。仲間たちのおかげで少しずつ自分の位置を見つけることができた。
 走り抜けた半年間、そして迎える交代のとき。メンバーたち、そして周りの人たちを感動させる活躍はできなかった。そんなことはわかっている。でも、自己満足かもしれないが、最後に泣けるかも、そんな思いが頭をよぎる。支えてくれた人たちがいたからすべてを出し切ることができた。こんなわがままな俺に関わってくれたすべての人へ―本当にありがとう。