2012年10月2日火曜日

我が大学の見直し

 私はテレビをノートパソコンで見ていたのだが、少し前から調子が悪く、テレビを見ることができないのだ。パソコンが壊れたのではなく、その他の機能は正常に作動するので、テレビだけが起動しない。なんどやってもエラーが出て、再起動せよとの表示が出るのだが、再起動してトライしても無理なのである。いつもなら3回くらい起動すれば(これでもおかしいが)見ることができていたのだが、起動不可能になる寸前では何度起動したかは覚えていないが、約1時間以上もかけて起動した挙句、やっとのことでテレビを見ることができたのだが、肝心の見たい番組が終わっていた(笑)。もうその日以来、テレビが見れなくなってしまったのである。もしかすると、また1時間もかけて起動し続ければ見ることができるかもしれないが、そんな気力はない。テレビが見れないのは致命的で、情報が入ってこない。いま日本で、世界で何が起こっているのかわからないので、恐ろしくて落ち着かない。ネットのヤフーニュースでは情報を得るようにしているが、どうでもいい情報も入っているので、そこがうっとうしい。それにしてもテレビ、どうにかならないだろうか。



先日、就職活動で必要な健康診断証明書や卒業見込み証明書、成績・単位修得証明書を申請するために、大学に行ったのだが、健康診断証明書以外は事務局で申請できるが、健康診断の方は保健室に行かなければならなかった。そして保健室に行って、申請書に個人情報を書いていた。保健室にいた先生は中年の女性でとても愛想が良く、就職活動の話になったのだが、私も面白おかしく話をするので、話が盛り上がっていた。そこで、偶然就職支援の先生もお見えになり、その方も中年の女性の方で、その保健室の先生と仲がいいらしく、こりゃまた話が盛り上がった。二人のおばさん?(笑)を相手に1時間ほど話をしていた。この二方は私のことをとても気に入っていただけたらしく、私も話をしていてとても居心地が良かった。居心地が良かったのは話をしている内容である。
 その就職支援の先生は、私が通っている大学の欠点をいくつも指摘し、どうにかならないのかという話であった。そして、先生がおっしゃっていたことは私も以前から思っていたことで、これは地方特有のものがあるという。まず、人と触れ合う機会が圧倒的に少ないということだ。私の大学は単科大学で学部が一つしかない。学生数も少なすぎる。大学、学生がおとなしすぎるのだ。刺激的なことなどひとつもない。これでは精神が現状に慣れてしまい、どんどん衰退してしまう。若い精神というのは、もっと刺激的なものに触れ、様々な人と出会い、そして自ら考え、行動していくのが若い精神だ。私がここに来て一番居心地が良くなかったことは、「刺激」がなかったことだ。今までいくつかの総合大学に足を運んだことがある。同志社大学、関西大学、関西学院大学、近畿大学、明治大学、早稲田大学、日本大学、青山学院大学、島根大学、金沢大学などなど。私が通っている小さな大学ではなく、広大なキャンパスを生かし、それぞれの大学のブランドを生かした校風が漂っている。学生の掲示板にしても、同じチラシを100枚以上同じ場所に貼っている。私の大学ではひとつの掲示板に1枚貼るくらいだ。そして自ら企画したイベントや、政治家の講演会などが開催される。大学祭にしても規模が違いすぎる。東京大学の大学祭のゲストにE.YAZAWAが来るくらいなのだから。
 そして、他国、他県から来ている学生と触れ合うためのドミトリーを設置すべきだともおっしゃっていた。私はそれはいい考えだと思った。様々な文化や考えに触れることは重要なことである。そして、この大学には国際的な交流がないということだ。全くとは言わないが、ないに等しい。英語の授業にしてもレベルが低すぎる。あれこそ中学レベルの英語だ。そもそも第二外国語が必修でない時点で終わっていると思うが。今の時代、英語が話せないのは論外である。私は例えば、就職活動で英語が必要だから英語の授業を充実させるというのは、あまり好きではない。そもそも英語というのは手段であって、英語が話せることによって、世界中の人とコミュニケーションがとれるようになり、さらに深い考えを討論し合い、自らの見解を広げていくのが好ましいと考える。今思えば、私の高校では生徒数を10人にし、ALTと英語の先生の監督の下、日本語一切禁止で英語でディベートする授業はかなりレベルが高かった。当時先生は「大学レベルですよ」と言っていたが、私の大学ではそれ以下である。扱っていた内容も高度であった。国際結婚について、人工中絶について、嘘はつくべきかつかないべきかなどである。
 何もかもが閉鎖的になっているこの大学を改革するのは時間と労力がかかるだろう。そもそも私の大学は青森の活性化につなげるために造られた大学と聞いているが、そんな時代遅れの理念などさっさと捨ててしまうべきだ。青森の活性化につなげようとしているのか、主に青森のことについて勉強ばかりしているが、そんなことをやっていては進歩につながらないだろう。そんなことしているから偏った知識しかない人間が形成されてしまうのだ。世界中の街を見てみるといい。そこに必ずヒントがある。木ばかり見るのではなく、少し離れて森も見るようにすればいい。外に出てみれば自分の住んでいる街の良さであったり、改善しなければならないところを発見するものだ。「若いうちは都会に出ていろんなもの吸収しないとね」と先生方はおっしゃっていた。
 とにもかくにも、日ごろ溜まっていた鬱憤をおばさん相手に晴らすことができたのだ。様々なことで議論できたのはとても充実した時間だった。「いつでも来てね」と言われたが、またそんな話ができるのならいつでも行きたいところだ。卒業するときに大学への提案を書く用紙があるらしく、それに書いたらとその先生方に教えてもらったのだが、書くよりも直接学長にかちこんでやろうかと思った(笑)。

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