2012年10月16日火曜日

伝えたいこと

 明日大阪に向かって東京行きのバスに乗らなければならない。大阪までとなると二日連続車中泊だ。もう慣れたが、一日バスで移動するのも疲れるので、二日連続となるとなおさらだ。ずっと座っている状態なので、足がパンパンにむくんでしまう。エコノミー症候群にならないように気をつけなければならない。



日本が落ちていくのを受け止めようとしている長渕剛
昨日とその前の投稿でもそうだが、歌詞を書くと“詩”みたいで歌で聞くのと少し違った印象が残る。これもまた素晴らしいことに気がついた。音楽で伝わらなかったものが、ゆっくり歌詞を読むと「なるほど」と納得するときがある。そしてまた歌が好きになる。
 知ってのとおり、私は長渕剛が好きであるが、この前「長渕剛は“右”寄りではないか」という指摘を受けた。この印象はおそらく彼をあまり知らない人だったら大半の人はそう思うだろう。しかし、私の意見として、そうではないことをここで記しておきたい。
 彼がいう、音楽とは社会と密接な関係を持っておかなければならないという。反社会的なメッセージや反戦のメッセージ、時代時代で起こるその時の事件などを伝えるメッセージなどだ。彼は、この国は一体どこへ向かっているのか、なぜ私たちの声を聞いてくれないのかを歌に、歌詞に込めて私たち、そしてこの国に向けて発しているのだ。
 最近流行りの歌は全くそういうものはない。なぜか。そのような歌を歌うことを恐れているからだ。人気がなくなってしまう、嫌われたくない。自分を守ることを優先し、本当に伝えなければならないことを避けている。周りから嫌われるようなことを彼が代表しているようなものだ。反社会的なメッセージで我々にインパクトを与えているのは、長渕剛の他に私が知っている限りでは、井上陽水、忌野清志郎、泉谷しげるが挙げられる。若いアーティストは考えても浮かび上がってこない。政治離れしている現代の私達若者だが、アーティストがそのような歌で私たちにメッセージを伝え、そこから世の中に対して、政治に対して、この国に対して、そして今の自分に対して、考える機会が与えられるならば私はそれは大いに歓迎する。
 国家や日の丸といった国を代表するものを高らかに上げることを日本人は避ける傾向にある。私も少し抵抗がある。日の丸を振るのは、オリンピックであったり、天皇の式典くらいではないか。しかし、アメリカは違う。どこに行っても星条旗が瞬いている。これがなんとも美しいのだ。そして、アメリカ人は鼻歌で国家を歌うくらいに身近な存在だ。そして、政となれば「USA!USA!USA!」と声を上げて踊るのだ。日本で日の丸があふれると異様な光景になってしまう。そこがアメリカと日本の違いだろう。日本は歴史が深い国だが、アメリカは歴史が浅い。共通の歴史がないため、共通の未来を創ろうという結束力がある。そこがアメリカの強い理由の一つだろう。
 長渕剛が伝えたいのは、困難な時こそ、「私は私は、僕は僕は」、ではなく、みんなで手をつないで一緒に立ち向かっていこう、というのを伝えたいのだ。心の奥に潜んでいる怒りや悔しさ、やるせない気持ちに彼が着火しようとしているのだ。そして、私たちが住んでいるこの日本、生まれ育った日本、その事実は変わらない。私たちは日本人だ。私たちは責任をもってこの日本を支えていかなければならない。それを彼は伝えようとしている。

2 件のコメント:

  1. 大和の国から 烽火を挙げて
    今俺たちは 北へ向かう
    大和の国から 烽火を挙げて
    今俺たちは 北へ向かう

    いよいよ今週!
    考えるだけで楽しみ!
    気をつけて帰っておいで。

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  2. Kosetsu Minamiさん、コメントありがとう。
    今から下宿を出発します。
    大阪まで長い長い道のりですが、私も楽しみです。

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