2012年10月2日火曜日

SNSが生んだひ弱な人間

 この季節の変わり目になると、私の住んでいるところではカメムシが大量発生するのだ。ちょうど今も網戸に3匹いる(笑)。なぜこんなにも発生するのかがわからないが、退治するのが大変なのだ。一匹くらいなら「ぶち殺すぞ!!」と言って殺虫剤をまきにいくのだが、もうそんな数ではない。網戸の隙間をくぐり抜けて不法侵入してくる。いちいち殺すのではなく、たくさん集まったのを狙い目にし、カメムシ消滅作戦と題して一掃しにかかるのだ。それはそれでいいのだが、数分後にはまたカメムシだ。これの繰り返し。今日は一段と多い。テレビに加え、これもなんとかならないだろうか。



大阪でも東京にしてもそうなのだが、電車や地下鉄に乗ると、しきりに携帯電話やスマートフォンとにらめっこしている人がたくさん見られる。私としたらなぜそこまで気にする必要があるのだろうと不思議に思うのだ。もちろん使うなとも言わない。しかし、電車に乗れば儀式かのように携帯とにらみ合う。
 現代ではSNSが発達し、Facebook、Twitter、mixi、などが代表されるが、今、どこで、誰が、何をしているのかがリアルタイムで更新されていく。そして自分もまた更新し、情報交換が容易な時代である。さらには有名人などの情報も同じように入ってくるため、雲の上の存在だった人が身近に感じられるというメリットがある。そして、災害が起こったときでも、このSNSはものすごい力を発揮した。そう考えればもっと多くの人に推奨されるべきことなのかもしれないが、メリットだけだろうか。
 私はこのSNSは好きではない。この中ではFacebookのアカウントは持っているが、あまり使用していないのだ。時々、写真を共有したりするときには使用するのだが、その他では使用しない。このFacebookの面白さをまだ理解していないのかもしれないし、理解すればもっと使うようになるかもしれないが、現時点ではあまり使用していない。おそらく、Twitter、mixiは自ら使用することはないだろう。
 そして、好きではない決定的な理由が、常に誰かと接点を持つことによって、安心感を得ているようにしか見えないということだ。常に誰かとつながっていたい、自分の苦労を誰かに知ってもらいたい。そうやって自らの口から発することを遠ざけて、なんでも書き込める手段を使い、安易に誰かに今の自分を知ってほしいと思い、使用していると私は感じているのだ。
 対人のコミュニケーションが少なくなってしまった理由の一つがここにあると考える。もちろん、世界中の人とコミュニケーションがとれるようになったことは素晴らしいと思うが、仲のいい友達や家族まで、そのようにつながる必要があるのか。仲のいい友達なら、家族なら、面と向かって話をすればいいじゃないか。
 ネットいじめなんかもそうだろう。現代が生み出した新しい形態のいじめだ。表からは何もわからないが、裏では手が伸びている。卑怯な人間がやることだ。
 時代は便利を求めている。しかし、その便利さを利用しすぎたため、面と向かって話ができなくなる人間が増えってしまった。大切なことは自分の口から言えばいい。勝負すればいい。戦わなければならない時だってある。便利は大切だが、その便利がひ弱な人間を生んではならない。

2 件のコメント:

  1. SNSの抱える問題点について、
    興味深く読ませていただきました。
    とても鋭い指摘だと思います。
    私自身はそのようなシステムを利用していないので
    なかなか核心に迫ることができませんが、
    少なくとも「とにかく書き込めばいい」という安直な発想で
    無機質なコミュニケーションを求める風潮になってしまっていることは確かでしょう。
    ブログ、ホームページ、ツイッター・ミクシィ・フェイスブックと若者の情報伝達手段はその年齢層に応じて変化するようですが、いずれにせよ面と向かって話す、自分の意見を主張するということが疎かにされているような気がしてなりません。
    「便利さ」また「利便性」というものの正体は、
    実は毒仕込みの諸刃の剣であったというわけです。
    真に恐ろしいのは、一度その便利さを知ってしまうと
    もうそれなしでは生きていけなくなってしまうということです。
    機器を“使う”のか、それとも機器に“使われる”のか、
    我々は慎重な判断をするときにきています。

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  2. Die Antwortさん、コメントありがとうございます。
    「便利さ」「利便性」が現代を支配してしまったような気がしますね。
    様々な人とコミュニケーションを取れるようになったことはいいことですが、本来ならば面と向かって話をしなければならないところまで、SNSを使うところに違和感を覚えます。
    無機質なコミュニケーションでことが足りてしまうのは、本来の人間のぬくもりであったり、喜びであったり、そのような感情が薄れていってしまいます。

    もしそのような人から機器がなくなってしまったら、おそらくとてつもない不安や恐怖、孤独感を感じてしまうでしょう。

    現代の人々は、時間に操られてしまっています。
    機器にまでも操られてしまうのであれば、「人間とはなんなのか」、という疑問が浮かび上がってきます。

    私もこのようにブログを書いていますが、「本当は私自身が自らの口で発することを恐れてブログを書いているのでは」という矛盾が起きないように気をつけたいです。

    SNSを使うのはもちろん賛成ですが、「適当」な範囲で使用するように、もう一度私たちは見直す必要があると思います。

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