2012年9月30日日曜日

精一杯の自分の人生

 先ほど、今年の投稿件数を見てみたが、昨年に比べて極端に少ない。最近述べているように、就職活動により、大阪、東京、青森を行き来しているので、なかなか落ち着いて投稿できないのだ。投稿しようと思えばできるのだが、「就職活動」という文字が頭から離れず、書くことも限られてきてしまい、他のことに目がいかなくなっているのだ。なので、投稿があまりできなくなっている。読んでいただいている方には申し訳ないのだが、私の気持ちを理解していただきたい。できるだけ投稿していこうと思う。文章が短くなってしまう日が増えるかもしれないが、書いていこうと思う。これが私の活動記録でもあり、日々何を思っているか、精神状態はいかほどか、などの生存確認ができる(笑)。時間があるときには、今う私がどこにいるかくらいでも書いていこう。



最近の精神状態は、昨日も書いたことなのだが、辛い日々が続いている。就職活動もそうなのだが、他にも辛いことがあった。人間は生きていく上で、大変なことや厳しいことの方が多いだろう。それを乗り越えていかなくてはならない。人生の経験を積んだ私たちの先輩がその苦労を知っている。私のような若いものは先輩方の意見を参考にして、それをヒントにしながら、自分なりの論理を構築してかなくてはならない。
 信頼していた人から裏切られたとき、そのショックはどれほどのものだろうか。周りが見えなくなる。奈落のどん底にたたき落とされる。もう人を信用できなくなる。今までのは何だったのだ。そんなことになるだろう。その時、いろんな人に相談しても、耳にはなかなか入ってこないだろう。悲しみと腹立たしさしか頭にないのだから。
 人生には、こういう瞬間がたくさんある。思っていたのとは全く違う現実。学校でも、会社でも、友達でも、家族でも、恋愛でも。人はみな、自分の都合のいい現実を想定する。そしてある日突然、それがただの勘違いだったと気づかされる。己の人間力が試されるのはこういう瞬間だ。
 もし、こういう瞬間に出くわしたとき、道は二つしかない。一つ、その場に及んでも、幻想の中に逃げ込み、今までのはなかったことにして忘れる。二つ、辛くても現実を認め、そしてもう一度、歯を食いしばってゼロからやり直す。私はどっちだ。自分の人生は自分で決めなければならない。
 私は今まで人間的魅力とは何かを研究してきた。少しでも魅力ある人間になろうと様々なことに自ら取り組んできたし、厳しいことにも耐えてきた。いろんなことにも挑戦してきたし、自ら壁を用意し、それを乗り越えられるかを試してきた。百聞は一見に如かず、百見は一行に如かず、自分の目で確かめて、行動してきた。やはり、自分よりもすごいことをしてきた人には感動するし、尊敬もする。

 私はボランティアは正直あまり好きではない。今まで取り組んできたのだが、最近は「人のため」というのが何だかあまり心地よく聞こえてこないのだ。今までは散々、「人のため」と声を上げていたが、そう思えなくなってきた。私は23歳だ。両親の支えがある。ということは、自分のケツも満足に拭けないガキなのだ。誰かのために何かをやってあげるというのは、最初は気持ちがいいものだ。優越感も味わえるし、他人のために何かをしてあげるというのは、ある種の陶酔感も味わえる。「人のため」と思えるのは、最初の方だけである。私にとって、「人のため」というのは50万年早い。人間なんて、自分の人生を必死に生きていたら、それだけで手いっぱいで他人の心配なんかしている暇はないはずだ。もしそうでない人がいるとしたら、そいつはよっぽどの愚か者か、自分自身では夢が追えない弱虫か、あるいは、優しい人間って言われるだけが生きがいの偽善者野郎だ。自分の人生を精一杯の力で生きていく。そして、自分でたくさんのしあわせを掴む。たくさんのしあわせを掴んだら、はじめてそのしあわせを分け与えられるのだ。だから今までしてきたボランティアはすべて自分のためであったように思える。「人のため」は、もう少し先ではないだろうか。

 自分にとって魅力ある人間とは何かを追求してきた。しかし、まだまだ足りないようだ。苦労を重ねた分だけ、私は強くなれるし、優しくなれるし、人の痛みを分かって上げられると思っている。そうやって自分の人生を全うしていきたいのだ。自分の人生を精一杯生きていこうと思う。たとえどんな裏切りがあろうとも、どんな苦しみがあろうとも。苦しみや悲しみなんて、あとになれば笑い話になる。今は辛くても。
 それでいいじゃないか。

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