2012年11月18日日曜日

核なき世界の実現困難

 今日の朝、東京から戻ってきた。青森駅前に夜行バスが到着し、バスを降りた時は寒くてびっくりするくらいであった。そして、さらにバスに乗り、下宿に戻ると今度は雪が降ってきた。もう雪が降る季節となってしまった。勘弁してほしい。といっても11月も後半に入る。また厳しい冬がやってくるのか。

 先週の金曜日、就活で東京にいたが、昼から新宿で2社回らなければならなかった。2社目が夜の7時から9時までの予定であったが、終わったのは10時半だった。そして泊まっている友達の家に着いたのは12時半であった。もうくたくたである。文句を言える立場ではないが・・・。


 先日のブログで、オバマ大統領の「核なき世界」に期待することを述べた。しかし先週の土曜日、
日本維新の会の橋本氏が核なき世界実現不可能、もっと現実的な政策を、というスピーチを広島で行っていた。私はこれを聞いて、怒りを覚えたかというとそうでもない。ある意味納得する自分がいる。核の傘下により平和が保たれているのが現状である。核なき世界を望むのはおそらく誰しもが望んでいるだろう。だが、願うのと実行するのとは話が違う。願望だけでは達成されないのが現実だ。アメリカが率先して核を減らしていったとしても、アメリカを敵視する国は核を減らすことはないのではないか。
 橋本氏が語っていたが、日本は平和ボケし過ぎていると。確かに日本は平和な国である。単一民族国家を気取っているが、異文化を理解するのには取り除かなければならない課題だ。島国根性などそんなくだらないプライドは捨てたほうがいい。昔に比べ世界は身近な存在になったが、まだまだ日本はこの感覚に鈍い。もちろん私もそうだ。ハーバード白熱教室を知っているだろうか。マイケル・サンデル教授の授業だ。この授業では哲学を学ぶのだが、学生間同士の議論の中で、しばしば差別問題が出てくる。この前見た時は黒人差別の話が出てきていたが、日本ではまずあり得ない。日本でも差別はあるにはある。アイヌ民族であったり、琉球であったり。しかし、潜在意識としてアメリカには存在しているから、これは敏感に反応する問題だろう。
 核なき世界を実現してほしいが、核がないのも心配ということだ。必ずどこかの国が隠し持っている。核で攻めてきたとき、対抗手段がなくなるのは心配な気もする。どちらがいいのかはそれぞれの考えがあるが、答えが出ない問題を考えるのは自分の考えをしっかりと持っておく必要がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿