私の実習授業が始まるまでは、ホームルームを担当していたのが主であった。連絡であったり、小テストであったり、と1週間はそれで過ぎていった。昼休みに一度みんなとコミュニケーションを取りに行こうと思い、教室に行ったのだがみんなご飯を食べながら勉強していた(笑)。それはその日にある小テストの勉強であった。私の高校時代と比べてこの小テストが厳しくなっており、合格点を下回ると別紙に英作文や単語を書いて再提出しなければならなくなっていた。私の時はそのような再提出はなかったのだが。その勉強しているのを邪魔してはいけないと思い、昼休みはあまり教室には行かないようにしていた。その分放課後できる限り教室に残るようにし、生徒と様々な話をした。今思えば3年生がよかったのかもしれない。進学について、将来について、みんな悩んでいたのだ。私も高校3年生の時はここにいるみんなと同じように悩んでいたのだな、と懐かしく思えた。みんなにアドバイスできるような人間ではないが、一個人としての意見をみんなに話をした。今考えるとあの受験というのは、まだ低い壁なのかもしれない。受験よりももっと苦しい厳しい壁がある。受験生には、「そんなに悩まなくても」と言ってしまいそうになるが、今のみんなにとってはおそらく、今まで生きてきた中で最高の壁であろう。今でもあの頃のことは覚えている。それを思い出し、みんなに話をした。先生でもない。生徒でもない。教育実習生だ。みんなは先生には言えない悩みごともあるだろう。それを気軽に相談役になれるのはもしかすると教育実習生なのかもしれない。私のアドバイスは役に立つかな(笑)。
さまざまな教室を回り、さまざまな学年やクラスを見学したのだが、やはりその学年やクラスによって個性があるのが改めてわかる。私は主に3年生を担当していたので、3年生を中心にして述べると、落ち着きがあるのが一番の感想である。大人、と言った方がいいのだろうか、1年生と比べるとそれは一目瞭然である。積極的に発言するクラスもあれば、なかなか反応が返ってこないクラスもある。その個性というのはひとつにクラス担任が大きく影響しているのではないだろうか。そのクラスをつくりあげていくのはもちろん生徒自身であるが、そこに担任の支えがあって成り立っている。もし私がクラス担任になったらどのようなクラスになるのだろうかと考えてしまい、とんでもないクラスになっているのではないだろうかと一瞬頭をよぎった(笑)。
日に日に「教師」という仕事が見えてくる。想像していたのよりもはるかに大変である。生徒が知らないところで先生方が汗水垂らして動いてくれている。高校時代の時には考えもしなかったことが今わかる。「そうだったのか」と納得するのだ。私がしあわせだったことが、素晴らしい先生方とたくさん出会えたことだ。それが今でも財産となっている。もちろん今でもお世話になっている。たった2週間で生徒みんなに何が伝わるであろうか。みんなの記憶に残る教育実習生になれるのだろうか。そんなことを考えながら実習時間が過ぎていく。
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