さあ、私の実習授業が始まる。この前のブログでも書いたが、現代社会の戦後日本経済からバブル崩壊までだ。毎日教材研究に追われ、一つの物事に対して、さらに過去の出来事や周りの出来事に波及していき、無限ループにはまってしまうのだ。一体自分がどこを教えたらいいのかわからなくなってしまう。とにかく内容からできるだけ離れないように、要点を絞り、流れや原因と結果を明確にすることを心がけた。なにしろ初めて聞くような言葉もたくさん出てきたので、なかなか前に進まなかった。みんなに配布するプリントは手書きでと決めていたので、そのプリントもわかりやすくするためにかなり工夫した。私が手書きにこだわったのは、みんなの記憶に残ってほしかったからだ。自分で書く字は思いが詰まっている。私が配布したプリントを見て、「ここは実習生が教えてくれたんだな」とほんの少しでも思い出してくれたらいい。そう願いながらプリントを作成した。
実際に授業してみると、授業する前は自分で納得して臨んだつもりなのだが、迷っている自分がいることに気が付く。黒板に字を書きながら自分で「何でこうなるんやろ」と思っている。みんなにその迷いが伝わってしまったらいけないので、できるだけ堂々としていたつもりだったが(笑)。やはり授業では失敗は当たり前であった。もちろん配布プリントのミスもあった。無神経な発言もしてしまったこともある。当時の自分としてはできるだけわかりやすく伝えようとしたつもりであったが、今思えばとんでもない発言であった。毎回の授業で反省反省である。一言の重さ、教えることの難しさをこれほど感じたことがない。受験生にとっては貴重な1時間だ。もうその1時間は二度と返ってこない。その二度と返ってこない1時間を準備不足、研究不足などあってはならない。というかあり得ない。その責任の重さには震えるくらいに恐ろしくなってしまう。全力で取り組んだのだが、なかなかうまい授業はできなかった。特に毎回初めての単元となっていたC組には申し訳ない。
2週間はあっという間に過ぎていった。終わるころになって、みんなともっと話がしたいという気持ちになった。私がみんなに話ができるのは自分の経験から学んだことしかない。勉強の方はちょっと勘弁してほしいが。体育祭や文化祭の決めごとで、なかなかみんなにゆっくり話ができなかったのが残念であるが、受験とは、大学とは、そんなことを自分の意見としてみんなに伝えた。その話を聞いて、全く大学とか興味なかった生徒が「行ってみたい」という気持ちになったと話を後から聞いたのだが、それを聞くと嬉しい。たった4年くらいしか年がかわらない。しかし、その4年というのがどれほど大きいのか、自分が話をしていて気がついた。みんなに伝えることが一つでもあるのなら、それだけ私は生きてきたのだなと実感する。まさか私が教壇に立って話をする時が来るとは思っていなかった。あっという間に年をとった(笑)。ちょっとした相談相手になれただけでも私は満足だ。話を聞いてくれる生徒の目は何かを学び取ろうという目であった。自分の経験から話をすることは自信を持って話ができる。みんな、私の思いは伝わったかな。
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