2012年2月20日月曜日

もっと自由で

今日の大阪は晴れている。というか毎日晴れている。晴れているとどこかへ出かけたくなる。明日は就活でまた東京へ行かなければならないが。説明会2時間のために東京へ行くのももったいない話である。本当にお金がかかる。兵庫県の某M女子大では東京に就活のためのオフィスを構え,パソコンを常備し,化粧や着替えなど待機できるスペースがある。これはありがたい話である。スーツで夜行バスに乗ればしわになってしまうので,翌日の朝などにトイレで着替えをする場合もある。そんなときにこのようなスペースがあれば本当に助かる。私も全国からやってくる就活生や大学受験のために上京してくる受験生を対象としたそういうスペースを提供する事業を始めようかと思いついたのだ。この前は雪を利用した何かであったが,今回は就活生や受験生のための事業だ。さらに格安で宿泊できる場所も確保する。東京駅周辺と新宿あたりの2か所。どうだろうか。このようなことばかり考えて肝心の就活は前に進んでいない(笑)。起業するのもなかなか面白そうだ。一度きりの人生だ。面白いことをやりたい。苦労するのは当然。しかし,何をするにしても何かしらの苦労はする。それならば自分の好きなことをして苦労したいものだ。いや,自分の好きなことなのでそれは苦労と言わないのかもしれない(笑)。





人間は自由である。なんでもできるのが人間だ。フランスの哲学者サルトルの言葉だが,「人間は自由の刑に処せられている」。何をしても自由だが,その責任はすべて自分で負わなければならない,そう言ったのだ。自由とは何だろうか。この国では自由とはお上から与えられるものだと思っている。そしてお上や警察からその自由が守られるものだと思っている。しかし,アメリカでは自由は勝ち取るものなのである。もし政府が私たちの自由を侵害しようとしたとき,銃を持って戦わなければならないというのだ。そう,自由は与えられるものではなく勝ち取るものなのだ。アメリカは自由の国である。アメリカの銃社会がなくならないのはこのためでもある。目から鱗の素晴らしい話である。何度聞いても素晴らしい。この国とはまったく違いすぎる。考え方そのものが違う。
アメリカに行ったとき,なんと素晴らしい国と思ったことか。なんでも挑戦させてくれそうだった。しかし,この国では閉塞感を感じてしまう。生きにくい。この国の自由は何か違う。そもそもこの国の自由は自由というのだろうか。日本を非難しているわけではない。日本は素晴らしい国である。この国より住み心地のいい国はほかにはないだろう。それだけ見ていてはいけない。すべてにおいて良いところと悪いところがある。今はこの自由が気になる。この国で閉塞感を感じているのは私だけではないはずだ。就職でも新規採用を重視するこの国。転職は難しいといわれる。一生その場所でとどまり,定年を迎えるのがこの国では当たり前のことだ。安定とやらを手に入れ,そこから抜け出すことを恐れる。仕事を辞めても求人があふれているこの国。何を恐れるというのだろうか。もっと自由でいいんじゃないか。もっと肩の力を抜いていいんじゃないか。自分の思うことをやっていいんじゃないか。でっかい夢を持っていいんじゃないか。自分のビジョンを描いていいんじゃないか。ティーンエイジのソウルを持ち続けていいんじゃないか。失敗なんて恐れる必要はない。成功するまでやれば必ず成功する。さあ,自由時間だぜ。

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