2012年12月16日日曜日

アメリカ銃乱射事件

先日起きた、アメリカでの銃乱射事件について少し書きたい。私の恩師もこの銃乱射事件のことを書いており、それも参考にさせていただきたい。
 コネチカット州という州で起きたのだが、日本ではそんなに衝撃的に伝えられてはいないが、この州は全米でも有数の豊かな(おそらく全米No.1の所得を誇る)らしいのだ。古くから産業革命が進んだ工業州で、軍需産業も盛んという。原子力潜水艦ノーチラスが進水した州でもある。また、NYCのすぐ西側にあり、富裕層が郊外感覚で住むところなのだ。州都ハートフォードは保険会社が集まる保険の首都と呼ばれる街。だから治安が圧倒的にいいのだ。こういう事件とはほとんど無縁の州だったわけである。
 犯人の精神的な問題が少しずつ報道されている。その動機云々はともかく、日本では依然として銃規制についての報道が目立つ。いいかげん、ちゃんとアメリカの銃社会の本質というか、自由と民主主義にかかわるアメリカの基本的な姿勢について語ってもいいのではないか。
 民主主義の根幹は、自分の自由を守るためにあり、権力に対抗するために銃を保持するというアメリカの姿勢は、日本のマスコミでは、なかなか語られることがない。だからいつまでたっても日本人は、本当のアメリカを理解することができないのではないか。
 私もアメリカ社会における銃規制はある程度必要だと思うのだが、同時にこう思う。自由や民主主義という概念は、日本のマスコミが謳いあげるような安っぽいヒューマニズムではない。

 こういう事件が起こるたびに、「アメリカは怖い国だ」、「危険な国だ」と声を発する者がいるが、聞いていて腹が立つ。どこの国にいたって、殺されるときは殺される。日本も例外ではない。人間味の温かさから言えば圧倒的に日本よりもアメリカの人々のほうがいい。人生と楽しむ天才のアメリカ人。それにはついつい憧れてしまう。現代は昔よりも世界は近くなった。しかし、「見えない壁」はまだまだ立ちはだかっているの明らか。この島国である以上、それは仕方のないことかもしれないが、その「自分自分」の考えはもう通用しないことを認めたほうがいいだろう。世界からもっといろんなものを学ぼうという意識さえもこの国では起こりにくいのかもしれない。まずは意識的な改革が必要だと思う。

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