2013年12月28日土曜日

母が東京へ

 投稿できるときに投稿しておこう。
 もうすぐ今年も終わりに近づいている。大変な一年であった。いいことなんんてほとんどなかった。まあ苦しむことはいいことなのであまり気にしていないが。今年の投稿数がかなり少なかったので、来年はもう少し投稿できるようにしたい。

 12月中旬、母が大阪から遊びに来たのだ。私はそのために無理を言って連休をもらったのだ。普段の休みは一日しかないので自分のために時間を使いたいと思い、派手な遊びはあまりしないが、今回のこの休みは大いに遊びまくった。
 土、日、月と休みをもらい、金曜日の夜に母が東京にやって来た。私は仕事が終わってからすぐに横浜から品川に向かった。そして家に帰って明日の計画を立てた。話がたくさんあったので、夜中の3時半くらいまで話をしてしまった。だいたい街が目覚めるのが11時くらいなので、それまで映画館で映画を観ようということになり、早く起きて渋谷の映画館に向かった。そのあとはいつもの私の散歩道を母と歩く。原宿、表山道に向かい、ちょくちょく買い物をしながら。そして歩いて六本木へ。ミッドタウンをプラプラして赤坂を歩いた。そのあと電車に乗って、母が東京タワーに入ったことがないというので、浜松町へ。増上寺を突き抜けて東京タワー。ちょうど夕方から夜にかけてであった。そのあと劇団四季のマンマ・ミーアを観る予定があったので、ここではゆっくり景色を楽しむことができなかったし、もう一つ上の展望台は閉鎖されていていけなかったが残念である。急いで四季劇場へ。この四季劇場も浜松町にあった。東京タワーと反対側だったので少し遠かったが。私が劇団四季のマンマ・ミーアを観かたったのは、ブロードウェイのマンマ・ミーアとどれほど違うのか比較したかったのだ。内容は同じだが、ABBAの歌はこちらは日本語で歌っているのでちょっと残念である。そして一番気になったのが四季の会員のことである。私は2階席だったのだが、1階の前の方の席はおそらく会員席だろう。ミュージカルの展開がわかっているのか、ここで拍手をしろという決まりごとか申し合わせがあるのか知らないが、普通は次の展開がわからないのでアクションが起きてから数秒あとに反応が起きるものだが、とあるアクションが起きた時に一斉に会員のお客さんたちが拍手し出すところがあった。上からその様子がよく見たのだが、それが気になってあまりいい気分はしなかった。母もそれが気になっていたらしく、「あれはアカンな」と言っていた。まあそれがわかっただけでも良しとしよう。その後は丸の内でご飯を食べて家に帰った。
2日目は、朝浅草を歩いた。有名な天丼の店に行き、浅草寺に行った。そして東京駅に行き、丸の内を歩いて三菱一号館でお茶をしようと計画していたが、人がいっぱいで諦めることに。有楽町のメンズ館をプラプラした。その後再びミッドタウンに向かった。理由は私が以前ここでコップの取り寄せをしていたので、それができたという電話を浅草の天丼屋にいるときにもらったので、予定を変更して早速取りに行ったのだ。そのあとは今回の休日のメインイベントに当たる矢沢永吉のコンサートに行ったのだ。場所は日本武道館。矢沢永吉のコンサートは初めてである。私の母の友人が永ちゃんおコアなファンらしく、それこそ全国と飛び回るような人らしい。その人の勧めもあって、今回たまたまチケットが当たったので参加することができた。永ちゃんのファンも剛と同じでイカつい人ばかりである。聞いていたようにコアなファンは白いスーツを着ていた。開演前は永ちゃんコールにウェーブ。このウェーブは最近始まったらしい。そして開演。約2時間のライブはあっという間であった。だいたい永ちゃんは2時間程度のライブらしい。剛のライブに慣れている私は少し物足りない気持ちであった。しかし、永ちゃんや剛のライブがこのレベルなのであれば、他のアーティストのライブに行っても満足はできないんだろうと感じた。やっぱり彼らのライブはすごいと思う。彼らもすごいし、彼らを支えているファンもすごい。このために生きている、というのがはっきりわかる。
 3日目は、1日目に母が気になっていた買いたいものを再び見に行くことにした。渋谷、原宿、表参道に。そして東京駅に行き、新丸ビルで少し買い物を。早めに夕食を大丸の上で食べた。「あの店の接客アカンな」と文句を言いながら(笑)。楽しい休みはあっという間に過ぎてしまった。東京駅で母を見送った。今度はいつ会えるのか。うーん、2月くらいかな。2月大阪に戻ろうかな。いろいろ考える。見送ったり、見送られたりするのは何度経験しても慣れることはない。やっぱり悲しいし寂しい。今度会えるのを楽しみにして、また日常を過ごしていこう。

「倍返しだ!!」

 久しぶりの投稿である。なかなか投稿できずに申し訳ない気持ちである。
 
今、私の働いている百貨店では繁忙期でかなり忙しい。先日、クリスマスシーズンということで期間限定の惣菜を並べたりしていた。オードブルのセットやローストビーフなど色々と新しい商品であった。まあ、いつものことだがこの期間もかなりの労働であった。22、23、24日がその期間であったのだが、22日、23日の夜は近くのホテルに泊まったのだ。というか泊まらなければならなかった。前日に次の日の準備をしなければならないのだが、その準備が終わるのが日をまたいで夜中の1時半であったり。そしてその日のうちに出勤しなければならないのだが、やはりいつもよりも早く行かなければならないので、もう朝の6時には仕事をしている。睡眠時間は2時間程度。そしてその日も同じように。朝の6時から夜中の1時過ぎまでの仕事で、休憩時間は30分。これがこの3日のスケジュールであった。もちろんタイムカードは早めに切らされていた。二日目なんか22時で切らされた。
 私のお店は、横並びに二つの店舗である。店の名前や扱っている商品が違うだけで、もともとの会社は同じである。最近その二つの店舗を一つのして両方のお店で販売できるようにしようとなっいて、レジのデータも一つになり、レジ閉めも一人でできるようになったのだ。今まではそれぞれのお店の一人がやらなければならなかったので、二人必要だったが今は一人でよくなった。しかし、レジが一つになってから入金金額と書類に記載する現金の数字が合わない日がかなり増加してしまったのだ。私は金額が合わなければもう一度合うようにお店と入金部屋を往復しても合わせていた(本当はダメだが合わせろとの上司の命令)。その理由はすぐにわかった。私の店長二人がお金も数えずに適当な数字を書いて入金していたからである。そりゃ合わない日が出てきて当然である。何千円単位になっている。もともと二つのレジだと余計に経費がかかるから一つにしてくれと私の会社から百貨店側に要請があって、百貨店はそれに対応してくれたのだ。しかし、金額が合わないことが続いて百貨店側からレジを二つに戻すと言われたのだ。当然のことだろう。しかし、レジを一つから二つにするときにももちろん経費がかかってしまう。何のために一つにしたか、全くわからなくなってしまった。
 何度もこのブログで書いているが、よく上司から怒られる。この前は惣菜の中に入れるタコがあるのだが、少し大きく切りすぎてしまい、店長から「ふざけてやってんじゃねーよ!!」と叫びながらその切ったタコを投げつけられた。そして「頭おかしいんじゃね?」、「お前みたいなやついらねーんだよ」の連呼。そしてもう一人の店長から、私の惣菜の盛り方がきたなかったとき、「精神がおかしいんだよ」と言われた。まあ、私は自分で頭がおかしいとわかっているので今まで一度も否定したことがないが。そう言っている本人たちは自分はまともだと思っているに違いない。しかし、お金も数えずに入金するのもなんら変わりない。厨房で使っている器具やお皿を壊してしまったときは弁済したこともあるし、自分で買いに行ったこともあるし、売れ残った商品を買わされることなんてしょっちゅうである。今回のレジを二つに戻すときの経費は誰が出すのか。おそらく会社が負担するんだろう。私に言わせれば適当に計算していた、というか計算してなかったために起きたことなんだからお前らが払えよ、という気持ちである。彼らが私にしているように。
 私は会社から雇われ、お金をいただいている立場なので、言われたことは守らなければならないし、それに答えようと努力しなければならない。しかし、私の周りにいる上司はなんか違うんだな。殴り倒したいときなんてほぼ毎日である。今は我慢しているが、「その時」がきたら今までやられたことをやり返してやろうと思う。もちろん法律に従ってだ。流行語にもなったように、「やられたらやり返す。倍返しだ!!」

2013年11月13日水曜日

忙しくなる時期

 しばらく更新できなかった。申し訳ない気持ちである。今月、私が入社してから一番お世話になった先輩が仕事をやめるといううことでお店としても、そして一番私自身が大変なのである。まだまだ一人でできないこともたくさんあるし、先輩なしではかなり厳しい状態である。あと1週間しかいないということで、教えてもらわなければならないことはすべて伝授してもらわなければならない。年末が近づいてきて、クリスマスや正月などと世間は楽しい雰囲気だが、私が働いている百貨店は一年で一番忙しい時期になるので、全く嬉しくない。大晦日、そして元旦から仕事があるので年末年始などそんなものは私には関係ないということである。大晦日、元旦を忙しくするのは、浪人時代以来である。浪人時代、大晦日は冬期講習で京都駅の近くにある私が通っていた予備校の系列校があり、私の好きな講師がそこで授業をするということでわざわざそこまで行っていたのだ。そして元旦は模試である。どうやら今年も大変になりそうである。


 
気が付けばもう11月である。今日の朝は一番の冷え込みということでもう冬である。一カ月に休みを8日頂いているが、連休はほとんどない。一日だと家でゆっくりしたい気持ちもあればちょっと外に出かけたいという気持ちが両方で、いつもどうするか迷うのである。雨が降ってくれれば迷わず家にいるのだが、晴れていると家にいてはもったいないと思い、思わず出掛けてしまうときもある。
 一番疲れをいやすのは何だろうか。好きな音楽を聞くことだろうか、スポーツをすることだろうか、ショッピングをすることだろうか。それよりも「寝る」のが一番いいと思う。なんやかんや言ったって一番寝るのが良い。
 調べてみると日本において、過労死ラインがあって健康障害リスクが高まるとする時間外労働時間を指す言葉で、月80時間。1か月の労働日を20日とすると、1日4時間の時間外労働が続く状態をいう。私は10月、正規で認めてもらえた残業時間は56時間であった。しかし、闇に葬り去られたサービス残業がある。ほぼ毎日1時間はやっているし、多いときは2時間やっているときもある。それを入れれば確実に80時間は超える。過労死ラインを超えてしまう域である。まあ、私は今は何とも思っていないのだが。無理やりタイムカード切らされたり、タイムカードを書きかえられたりするのは無性に腹が立ってしまうが。若いから大丈夫なんだろう、今は。もし私が50代でこの生活をしていたら確実に倒れているだろう。なので、自分の健康状態には細心の注意を払っている。食事は野菜中心である。肉はほとんど食べない。しかし、量はたくさんとっている。睡眠不足が続いているので、やっぱり休日は睡眠に時間をとりたい。そうなってしまう。

 今日は買い物が少しあったので、私のお気に入りの散歩道があるので、歩きながら買い物をした。東京駅から、丸の内、有楽町、新橋、虎ノ門、赤坂、六本木、西麻布、表参道、原宿、渋谷までを歩いた。これがいつものコースである。出発地が東京駅か渋谷かだけの違いだ。私はこの道を歩くのが大好きである。私にとっては寝る以外にこれが一番の気分転換である。気分転換にもなるし、ちょっとした運動にもなる。やはり自分が気に入っていることが一番いいし、落ち着くのだと改めて思う。新しいことをしたり、慣れないことをしたりするのは、今の私にはあまり気が進まない。仕事にまだ慣れていないからだろう。いつ余裕が出るのか知らないが、今年度中はまだ無理だろう。まあ、ぼちぼちやっていこうと思う。

2013年9月26日木曜日

“法律家”とスカイツリーへ

 久しぶりの投稿である。先日台風が来て以来、夏も吹き飛ばしたのか、かなり涼しくなった。朝と夜は寒いくらいになっている。夏があっという間に過ぎてしまい、結局“夏”を楽しむようなことは何もできなかった。まあ、全く気にしていないのでいいのだが。

 先日、大学時代に災害ボランティアで知り合った東京の友達が法科大学院の試験に合格したので、久しぶりに会ってきた。彼は将来検察官になるという夢がり、しばらく勉強に集中していたので私からの連絡は控えていたのだ。彼から電話がかかってきて一つ合格して、残りは結果待ちなのだが試験はすべて終了して一段落したので久しぶりに会おうということになった。
 話を聞いているとかなり勉強していたに違いない。すさまじいくらいである。そこまで勉強しても上には上がいるということらしい。法律の勉強をしているのでかなり役に立つこともたくさん教えてもらった。こうやって遊べるのも今だけで、すぐにまた勉強を始めるらしい。というか始めないといけないらしい。昼過ぎからあったのだが、午前中は図書館で勉強していたらしい。カバンの中は六法全書や資料、試験問題などと重い荷物を背負っていた。
 新宿で集合をし、とりあえず渋谷に行って昼ご飯を食べ、彼が浅草に行きたいということで浅草に向かった。渋谷から銀座線に乗って浅草へ。私も様々なところへ行っているが浅草、上野方面はなかなか行かない。何年ぶりということで浅草に行った。浅草寺に行き、揚げまんじゅうを食べ歩きしながら浅草を歩いた。スカイツリーが見え、行ったことある?と聞かれ、私でもまだスカイツリーは未開の地であった。「まだ行ったことないねん」と言うと、近くまで行ってみようかということになり、歩いてスカイツリーに向かった。近ずくにつれてその高さに圧倒されてしまった。展望台にはいくらかかるのかわからなかったし、彼のゼミの教授がそこにある水族館がおススメだそうで、値段の安い方へ行くことにした。しかし、値段はどちらも2000円と同じでかなり迷った。水族館の評価を見てみるとあまりよくなかったので展望台にのぼることにした。20分くらい並んでチケットを手に入れ、私たちは未開の地へと足を踏み入れた。やはりその高さから見る景色はすばらしかった。調度晴れていたのでそれもよかったかもしれない。せっかく来たのでもう1000円払ってさらに上の展望デッキへ。ちょうど日が暮れてきて、夜の景色へと変わっていった。明るいときも素晴らしいし、夜の街の明かりが輝いているのもまた美しい。グッドタイミングでスカイツリーを訪れることができた。
 晩御飯は渋谷で焼き肉である。彼の合格祝いということで久しぶりにお酒を飲んだ。また彼は勉強漬けの、そして私は仕事の日々へと戻っていく。彼が入学する前にもう一度会おうという約束をした。入学後はもっと勉強しなければならないので、俗世と断つために携帯を解約しようと考えているらしい。やるらなそこまでやらないといけないのだな。彼は本物である。だから私は彼を尊敬する。彼が法律家として活躍する日を楽しみにしている。そして私も彼に助けてほしい場面も出てくるだろう。数年後が待ち遠しい。
 互いに辛い時期だ。別れ際に握手をして、「がんばろうぜ」の一言。そして私たちは日常へ戻っていった。

2013年9月7日土曜日

それが仕事

 今日は早めに仕事が終わり、といっても朝の7時からシフトインなので早いのか普通なのかわからないが、明るいうちに家に戻ってきた。電車に乗っていたのだが、ついつい一駅寝過ごしてしまった。めったにないことだったが気が付いたら降りなければならない駅を出発していた。あーあ、と思いながら次の駅で降りてその駅の前にスーパーがあったのでそこで少し買い物をした。そしてまた一駅電車に乗って戻ってきた。普段なら一駅くらい歩いて行くのだが、今日はかなり眠かったので電車に乗ってしまった。

 私の働いているところでは、今新しいアルバイトの方が入ってきて、今トレーニング中である。といってもここの職場のアルバイトの入れ替わりが激しい。この前のアルバイトの方は一日でやめてしまった。そして昨日は3カ月でやめてしまった。私はアルバイトの方がやめる話を一切聞かないで事が進んでいることがほとんどである。なぜ上の人は教えてくれないのか不思議である。これも重要な話であるのになぜ教えてくれないのか。そのくせ私が何か伝え忘れると怒るというのに・・・。話がそれてしまったが、やはりアルバイトでもきつい作業なのかもしれない。手を止めることが許されず、異常に時間にせかされて作業をする。店頭では常に上の人の目があり、売り上げをとらなければならないプレッシャー。裏の厨房では内線の電話がひっきりなしに鳴り、現状報告、追加調理、をしなければならない。のびのびと仕事ができる環境がないことは確かである。プレッシャーのあまり勘違いやあり得ないミス、作業の遅れを生んでいる。言い訳だと言われればそれまでであるし、それを言い訳にもしたくない。仕事ってうのはそういうものかもしれない。この世界では結果がすべて。とにかく売り上げを取れ、1秒でも早く作業しろ、ミスをするな、結果を出せ、・・・。営利目的なのだからそれは当然の話である。仕事ができるか、結果が出せるか、見ているのはそれだけである。
 私は上司からのきつい言動やきつい作業には、小さいころから様々なことで免疫が付いていて、今のところは余裕がある。自分の仕事のできなささにはが自分でもあきれてしまうが・・・。しかし、耐えることができない人もいる。10耐えることができる人もいれば、5しか耐えられない人もいる。5しか耐えられない人はその人が悪いのか。それは違う。この人はどういう人で、どういう力を持っているのか正しく認識し、その人に合ったやり方で成長に導いていくのがリーダーの役目である。これを育成っていうのではないのか。すべての人に同じやり方で教えても無理がある。ロボットじゃないんだから。
 “若者社員の使い捨て”が目立っているらしい。今の私が世間から見てどのような位置づけになるのかわからないが、現場からの意見としては許せない気持ちでいっぱいである。「最近の若い奴は・・・・・」とやっぱり言われるんだろうか。確かにモラルの低下などはあると思う。しかし、皆が皆そうではないし、時代が変化していっているのは誰しもが感じていることだろう。この時代の流れの中で失われてはいけないものと、対応してうまくやっていかなければならないところがある。上司と若手社員がうまく“潮目”はないんだろうか。

2013年9月6日金曜日

7月大阪帰還

 
7月の話になるのだが、中旬に連休を使って大阪に戻ったのだ。連休といっても二日なのだが。ゴールデンウィークは仕事で帰ることができなかったし、お盆も帰ることができないだろうし、ここでいったん戻ろうと思ったのだ。19時に仕事が終わり、急いで横浜から新横浜駅に向かい、新幹線の切符を手に入れて新幹線に乗った。大阪に着いたのは23時くらいであった。新大阪まで兄が車で迎えに来てくれて非常に助かった。
 日曜日に帰り、月曜日が一日大阪にいて、次の日には帰らなければならなかった。かなりタイトなスケジュールであったが、やりたいことは決まっていた。月曜日は今年の5月にオープンしたグランフロント大阪に母と一緒に行ってみた。梅田ほどの商業施設が集中しているのは東京にもないだろう。午後だけでは回りきれない広さだったので急ぎ足で施設内を歩いた。日本初出店のニューヨークに本店がある店、シティベーカリーに行ってみた。母が言うには、いつも行列ができていて入られへんねんで、と。しかしその日は入ることができてラッキーであった。しかし、定番のクロワッサンが売り切れになっていた。うーん、残念・・・。他の菓子パンを買ったが、家に戻って食べてみたのだが、これはうまい。ぜひともクロワッサンを食べてみたいものだ。エシレのクロワッサンが今までで一番おいしかったが、それを超えるものがあるのか。シティベーカリーに期待しよう。値段はエシレの方が高い。しかし、ニューヨークに本店があると聞くとこちらの方に好意を寄せてしまう。今度ニューヨークに行った時は本店を覗いてみよう。


 次の日は京都の祇園祭に行った。祇園祭は初めてであった。これで私は日本の三大祭りを制覇することとなった。大阪の天神祭、青森のねぶた祭り、そして京都の祇園祭。今まで祇園祭だけが残っていたので、これですっきりした。やはり京都は趣がある。そしてそれに合った祇園祭。静かな祭りというのもこれもまたいいものである。母は天神祭よりも祇園祭の方が好きらしい。私はどれも特徴があってどれも素晴らしいと思う。まあ、天神祭は地元ということもあって、まともに祭りを楽しんだことがあまりないのだが。一つ天神祭で気になっていたことがあるのだが、天神祭の期間、天満橋の真ん中ほどに大きな木の板を立てて景色をふさいでいるのだが、私は今までてっきり船渡御を見るために立ち止まるのを防ぐためのものだと思っていたが、そうではなかった。船渡御は神様なので神様を真上から見てはいけないということで、それを防ぐために木の板を置いているのだ。なるほど、そういうことか。
 本当は大阪でもっとやりたいことがあったが、二日しかないとなるとやることは限られてしまう。次に大阪に戻ったときにできなかたことをしよう。

高尾山へ

 9月に入った。今月最初で最後の2連休を過ごしている。1日休みでは休んだ感じがしない。昼まで寝てご飯を食べて掃除をしていたらもう夕方になってしまう。そしたら次の日の準備をしなければならない。連休はありがたいものである。
 今日は午前中に美容院に行き、そこから山手線に乗って原宿駅で降りた。雨が降ったりやんだりであったが、結局晴れてきたので今日も歩いていろいろ回ってみた。原宿から表参道、六本木、赤坂、霞が関、新橋、銀座、有楽町、東京駅、とすべて歩いて移動した。歩くというのはいい気分転換になる。仕事で立ちっぱなし、移動しっぱなしで疲労がたまっている足だが、この散歩は疲労がたまっていても軽く感じる。朝の6時くらいは雷で目が覚めた。光ったのと同時くらいに音が鳴っていたので、これは危険だと思い心配であったが、晴れてくれたのが何よりもよかったことである。


 その気分転換ということで、先日一日休みの時に友人と高尾山を登りに行ったのだ。以前から行こう行こうを言っていたがなかなか実現せず、そしてついに登ることができたのだ。結論を言うととても景色がよく、登る時間もちょうど良いくらいの山であった。子供からお年寄りまで楽しむことができる山である。普段はなかなかこういう場所へはいけないので、たまにはこういうのもいいかなと思う次第である。
 夏も終わってしまうが、夏らしいことは何もしていないことに気が付く。お盆中もすべて仕事であったし、横浜の花火大会がある日でも、その日は早上がりで見ようと思えば見ることができたのだが、疲れにより、花火を見るよりも休憩と睡眠を優先したかったので迷わずに電車に乗って家に向かった。朝始発の電車に乗り、、帰るのは終電もしくは終電近く。こんな生活をしていればそりゃ休みたくなる。花火よりも自分の体を優先してしまう。若いからできる生活である。まあ、そういう中で高尾山に上ってきたのだが、暑かったが秋の気配も感じる瞬間があった。季節を感じれるというのは嬉しいものである。百貨店の中にいれば空調の利いた中でいるので、季節なんて関係ない。たまには一日中外に出て季節を感じるのもいいものである。だから連休がほしい(笑)。

2013年8月30日金曜日

父が横浜へ

 なかなか投稿できない日が続いている。やはり仕事が忙しい。ワークスケジュールが分かった時点で早速残業が40時間近くはある。そしてその影に隠れたサービス残業が加算されると一体どれだけ働いているのやらとなる。一緒に働いている先輩が先日、朝の7時から21時のシフトが4日連続だった時があったが、3日目にしてダウンしてしまった。21時といっても店を出るのは22時を過ぎる。在庫チェックをしていたら23時になることも。私はもっとかかってしまう。ただ段取りが悪いとか、仕事ができていないと言われればそれまでの話だが。まあ、仕事ができていないのは否定はしない。かなりきついシフトになっていて、大変であるのは確かであるが、仕事をいただいているので現時点では体調を崩すくらいのレベルではないので、文句は言わない。体調を崩すくらいであればこれは問題だが。

気が付けば8月ももう終わりである。早いものだ。最近朝が涼しくなってきている。夏ももう終わりか。秋がもうすぐそこまできている。秋が来るとすぐに冬がやってくる。寒いのもまた大変だな。
 昨日28日水曜日、私の父が出張で東京に来ていて、そのついでに私が働いている横浜まで足を運んでくれたのだ。前日に連絡をとっていたが、私もその日のスケジュールがわからなかったので、何時に来てくれたらいいのか伝えることができなかった。その日は朝6時から厨房に入って仕事をしていた。どうやら昼まで厨房のようだった。朝の調理は戦争状態で2人で開店までに惣菜を出さなければならない。ポケットに入っている携帯電話がなっていることに気付いていたが、その日は店長と一緒だったので電話に出ることができない。手を止める時間なんて一瞬たりともない状態なので、申し訳ないと思いながら作業をしていた。そして開店10時にちょうど惣菜を持って店頭に行き、開店の音楽が鳴っている数分は動くことができないので店頭に立っていた。まだ作らなければならない惣菜があったので音楽が終わったらすぐに厨房に戻らなければならなかった。父が何時に来るのかもわからなかったので、会えないかもしれないとも思ったが、父の姿が見えた。かなりのグッドタイミングであった。「久しぶりやな」と話しかけてくれた。父と会うのは7月中旬ぶりである。7月に一瞬大阪に戻った日以来である。父と話をしたのは1分くらいであっただろうか、父も仕事があるのだろうか、すぐに帰っていった。しかし、たった1分でよかったと思う。互いの元気な顔を見ることができて。その一瞬のためにわざわざ足を運んできてくれたのだ。これほどうれしいことはないだろう。中途半端な時間で話をするよりも、顔を見れたらそれで満足である。
 父はよく「仕事は大変なんやぞ」と口をすっぱくして言っていた。その時は学生だった私だが、その言葉を頭の中ではわかっているつもりであったがそれは曖昧な感じであった。しかし、今実際に仕事をしていて、父の言葉の意味が今更ながらわかる。お金を稼ぐのに楽なことはない。大変で当然である。その言葉の意味を今はかみしめながら日々仕事をしている。
 結局、父と話をした後すぐに厨房に戻った。昼休みに入ったのは1時くらいであった。今度はいつ会えるのかわからないが、私も連休が取れたら大阪に戻ろうと思う。また会える日を楽しみにしている。

2013年7月30日火曜日

終電で帰って始発で出勤

 気が付けば前回の投稿からかなりの時間がたっている。本当に申し訳ないが、なかなか投稿することができない。終電で帰って始発で出勤する日が多々あるのだ。睡眠時間は3時間取れればいいときもある。もちろん休日はあるが、その前日は終電で帰っているので、家に戻るのは夜中の12時半。そこからお風呂に入って晩御飯だ。そうすると寝るのは3時くらい。起きるのは昼前になる。掃除をしたり片付けをしたりしてちょっと休憩をするともう夕方。ご飯を食べて次の日の仕事の準備をしたらもう寝る時間だ。シフトが早いときは朝4時に起きている。5時45分にはもう仕事を時始めている。なかなか大変なものである。体調を崩していないだけマシである。体調はめったに崩さない方だが、いつ崩してもおかしくない環境にいるのは確かかもしれない。睡眠と食事はきっちりととっておかなければならない。
 この投稿していなかった期間もいくつか紹介したいことがあるので、それはまた追々投稿していこうと思う。明日も4時起きである。うーん、大変だ。

2013年6月1日土曜日

世界の首都

 6月に入った。5月は長く感じられたが、6月はどんな月になるのやらといった感じだ。梅雨の時期が近づいているが、それが終わったら夏になる。だんだんと過ごしにくくなる季節となるが、風邪をひかないように注意したい。



 
先日大阪の阪急で行われたニューヨークフェアのチラシを母が荷物と一緒に送ってくれたのだが、それを見ていた。向こうで有名なブラウニーやベーグル、カップケーキが来ていたらしい。ニューヨークの街を歩いているとファーストフードの店以外にもこれらの店もたくさんあったのを思い出す。結局向こうでは口にできなかった。食べていたのはほとんどホットドッグとコーラ。今回もいろいろと問題があり食費を削らなければならなかったので、こうなってしまった。旅のお供のコーラは日本で飲むのとは味が全然違う。やっぱり本場で飲むとうまい。先ほど述べた店の他にも、スターバックスの店がやたらと多かった。そしてどこの店も人がいっぱい。いやー、素晴らしい。
 アメリカはサラダボウルなので、様々な人が共生している。そしてどんな人でも働ける環境があるのだと思う。アメリカでは履歴書に誕生日と性別を書かないし、写真も添付しない。誕生日や性別を聞くことは違法になるし、写真を見て外見で判断するのも違法になるからである。つまりどんな人にも働けるチャンスがあるということだ。アメリカでは転職は当たり前。10年同じところで働いていれば、それだけですごいと言われる国である。
 アメリカンドリームという言葉があるが、アメリカ合衆国における成功の概念である。均等に与えられる機会を活かし、勤勉と努力によって勝ち取ることのできるものとされる。アメリカは実力があれば一気に一番に上り詰めることができる。トップもコロコロ変わる。つまり、誰にだって成功できるチャンスがあるということだ。年配の人でも新しい仕事を始められる環境が整っているので、終身雇用という考えはない。日本とは全然違う。
 アメリカの首都はワシントンD.C.である。しかし、世界の首都はニューヨークだと思う。ここは一生安定した穏やかな生活をする目的で来る人はまずいないだろう。世界中からたくさんの人がお金を稼ぐ目的やデカイ夢を叶えに来る。そしてみんなそれぞれの場所へ戻っていく。つまりビジネスエイジの集まりなのだ。そんな人の集まりだからここには瞬間的な集中力が集まって、ものすごいエネルギーを出しているんだと思う。トップランナーのエネルギー。魅力的な街、“ニューヨーク”。だからあの街に行けば元気がもらえる。楽しくなる。東京とは比べものにならないほどのパワーがある。やっぱりいいところである。今日もニューヨークは眠らないんだろう。

2013年5月27日月曜日

それぞれの生き方

 一日の休みというのは本当にあっという間に終わってしまう。起きて部屋を掃除して休憩をしたらもう夕方である。まあ起きるのが遅いだけなのだが。休日になる前日の夜が一番いい。ついつい遅くまで起きてしまう。休日になれば次の日はまた仕事に行かなければならないので、休日の前日がいいのかもしれない。



今の仕事をして一ヶ月が過ぎた。大変なことばかりだが、学ぶことも多い。学生の期間は20年弱。それを過ぎれば社会人。社会人は無制限の期間だろう。学生が終わって、社会に出て、自分が何をするのか自由に決めることができる。何をするのか、何がしたいのか、自分で決めることができる。一つの場所にとどまることもよし。様々なところに転々とするのもよし。自分で何かを始めるのもよし。一つの組織に属して骨を埋めるのもよし。どれも正解である。自分のやりたいようにやればいい。しかし、自分の決めたことには責任を持たなければならない。それが“自由”というものである。“自由”とは“責任”である。
 私にはやりたいことが山ほどある。それが全部できるかはさて置き、それらが夢であることには違いはない。人は、「それは難しいだろう」と言うがそれは正しいかもしれない。しかし、やるかやらないかは自分が決めることである。難しいかもしれないが、不可能ではない。人よりも苦労をしなければならないし、努力も必要だし、覚悟も必要である。誰にでもチャンスはある。そのチャンスを逃すか逃さないか。それはその人次第である。一生このままでいいという人はそのままでいい。このままでは嫌だという人は何かを変えなければならない。周りを変えたければまず、自分から変わらなければならない。
 生き方に正解も間違いもない。70億人の人がいれば70億通りの生き方がある。私は私の生き方があり、やり方がある。人の生き方に文句も言わない。しかし、「こうはなりたくないよな」と思う瞬間がある。人は誰にでもチャンスはある。そのチャンスを逃したら私は一生後悔するんだろう。誰のせいでもない。チャンスを逃した自分が悪いだけだ。それはそれでいいかもしれない。それも人生なんだから。だが、勝負はしたい。敗者とは負けた人をいうのではない。スタートラインに立たなかった人をいうのだ。リングに上がらなかった人をいうのだ。人ひとりの命を救う者は、世界をも救う。人ひとりの人生を変える人は、世界をも変える。生きる上で信念がなければやっていくのは厳しいものだ。そして己の信念を貫くのも簡単なようでなんとも難しいことだ。その信念を貫けない者は、惨めなものだろう。戦いもせずに偉そうなことを吠える負け犬にだけはなりたくないものである。

2013年5月21日火曜日

狭い街、日本

 休日は早く過ぎてしまう。また明日から始まる。体調に気をつけてやっていこう。


3月末こちら東京に来て、3日間だけ母が部屋の片付けをしに来てくれた時がある。そのついでに東京を案内してあげたのだ。私は東京に住んでいる人よりも東京を知っているような気がする。なので私が気に入っている場所を少しだけだが母と一緒に歩いた。六本木一丁目から赤坂まで歩いていこうと思い、適当に歩いているとある女性が話しかけてきたのだ。「赤坂サカスはどこですか」と聞いてきた。見た目は日本人だが、少しカタコトのようだった。私は「僕たちも今赤坂サカスに向かうところなので、一緒に行きましょう」と一緒に行くことにした。その女性と話をしていると帰国子女らしい。今はアメリカのロサンゼルスに住んでいて、実家は東京にあり、3週間ほど日本に戻ってきたという。ロサンゼルスで飲食店を経営していて、メールアドレスを教えてもらい、もしロサンゼルスに遊びに来た時はぜひ連絡してくださいとのこと。これはうれしいことである。その経営しているお店をあとで調べてみると、ちょっとすごそうな感じ。どうやらすごい人と出会ったのだ。出会いというのは大切にしなければならない。
 その話はさて置き、その女性は道に迷っていたということなのだが、タクシーに乗ろうともしたらしいのだが、一回京都で乗車拒否されたらしい。その時も道に迷っていたらしく、タクシーで行こうとしたらその行き先が近かったようで乗せてもらえなかったらしい。今回も乗車拒否されたらどうしようと思ったらしく、そこでたまたま私たちと遭遇したということだ。私は人に道などを聞かれたら快く教える。もし時間があり、行き先が近くならば一緒に行く。見知らぬ場所で、ほんの少しでも助けがあればどれほどありがたいか私も痛いほどよく分かる。
 外国人はこの日本の街でよく道に迷うのではないかと思う。その女性も日本の道はよくわからないという。私もそう思う。なんせ道が狭いし入り組んでいる。ニューヨークもそうが、ロサンゼルスも碁盤の目になっているらしい。そして道路面積が広い。昨日のブログで、「3ブロックを走った」と表現したが、この表現は日本にはない。ニューヨークで自分が今どこにいるのかと迷うことはほとんどない。わかりやすい街なのである。そして道が広いことにより、開放的な気分になる。そこがいい。日本のように狭い道が入り組み、蜘蛛の巣状になっている。確かに道に迷うのもしょうがない気がする。もちろん狭い道になっているのは日本だけではない。イタリアのベネチアも迷路のようになっているが、それはベネチアの名物の一つになっている。それは美しい。しかし、日本はただひたすら雑居ビルが立ち並んでいるだけという、風情の欠片もない状態である。ニューヨークの街に憧れる要因の一つとして街の景観がある。今更街の景観よくしようとしてもそれは不可能に近いことだが、外国人にしてみたら狭い街なのだと思う。

2013年5月20日月曜日

ハーレムのゴスペル

 今日は休日で、今月唯一の連休である。昨日は朝の6時30分から夜の10時30分まで働いた。朝から夜はさすがに疲れる。まだまだ慣れないことばかりなので余計に神経を使い、疲れてしまう。今の場所に配属されてから約1ヶ月だが、仕事に慣れてきたという実感はない。もちろん最初の方に比べればマシなのだが、覚える仕事はまだ山ほど残っている。先輩方の足を引っ張ってばかりである。ノートを作って勉強しているが、まだダメである。一日でも早く慣れるようにしたい。


 先日、大阪の阪急百貨店でニューヨークフェアがあると書いたが、母が行ってきたらしい。しかし、それほど良くなかったという。まあそりゃそうだろう。ニューヨークのお店をいくつかもってきても、所詮それだけの話である。ゴスペルも聞けなかったらしい。うーん、これはもったいないと思うが。

アビシニアン・バプティスト教会
ここで私のニューヨークでのゴスペルの話をしよう。旅の3日目、日曜日の朝ホテル(ユースホステルだったが、私はシングルの部屋だった)を出発した。行き先はハーレム。セントラルパーク以北は行ったことがなかったので楽しみであった。朝9時からのゴスペルに参加しようと思っていたので、8時過ぎに出発し、地下鉄に乗った。初めての地下鉄である。135丁目駅に行きたかったのだが、この地下鉄は96丁目から2方向に分かれていた。次にくる地下鉄が私の行きたい方向に行くのかわからなかったので、近くにいた女性に聞いてみた。その女性は、「うん、行くよ」と言う。その言葉を信じて乗ったのだが、やはり心配になってきた。私は街を歩いていてもガイドブックは絶対に見ないようにしている。観光客と周りに悟られないためだ。観光客を狙ってくる人もいる。そのためガイドブックは誰も見ていないところでこっそり見るようにしていたが、今回はそう言っていられなくなったので、カバンからガイドブックを取り出し確認してみると、135丁目駅には行かないではないか。急いで96丁目駅で降りた。次の地下鉄も先ほどの地下鉄と同じ行き先だ。ここからの行き方がわからなかったので、男性に聞いてみた。どうやら私の行きたい方向の地下鉄は出ていないらしい。この96丁目駅から無料のバスが出ているというので、男性が教えてくれたところに行くと、無料の切符を配っていたのでそれをゲットした。地上に出たが、バスがどこから出ているのか周りをキョロキョロしていると黒人の女性が「バスはあそこだよ」と教えてくれた。バスも初めて乗る。バスの運転手に135丁目駅に着いたら教えてくださいと頼んだ。やっとのことで135丁目にたどり着いたのだが、8時50分であと10分で始まるではないか。私が行こうとしていた教会が138丁目だったので3ブロックを走った。到着したのだが、観光客は並ばないといけないらしく、観光客の列に並んだ。予想以上に観光客がたくさんいた。しかし、予定の9時を過ぎても中に入れてくれる気配がない。寒い中をひらすら待った。ここの教会に行く黒人の方々は実にすごかった。何がすごいかというと女性も男性も子供も頭から足先までビシッとキメていたのだ。いかにも高級そうな。あれほどパンチのきいた人の集団を見たのは生まれて初めてである。白色人種でも黄色人種でもあれほどのインパクトは残せないだろう。
 ここの教会はアビシニアン・バプティスト教会というニューヨーク最古の黒人教会である。日本に帰って調べてみたのだが、ヒラリー・クリントンさんも演説に来ていたらしい。寒い中をひたすら待ち、中には入れたのは11時半。約2時間半外で待たされるということになった。待っている間に何度もこの教会の説明などをしていたが、私はほとんど聞き取れなかった。何時に中には入れるかわからないとは言っていた。あと今日はWomen's Dayという日で、ゴスペルはあまりやらないといっていた。水曜日はゴスペル中心なので、そっちのほうがいい人は水曜日に来てくれという話であた。水曜日には私はワシントンにいるので、今日なんとしてもゴスペルを聞かなければならなかった。
 観光客は2階の席に案内された。教壇の上の席にゴスペルシンガーが約30名ほどいて、マイクで歌うシンガーが一人いた。ゴスペルは宗教行事なので、落ち着いた感じなのかと思いきや、あれはまさにライブであった。ものすごい迫力である。見ている人も手拍子。そして会場全員が立って手拍子し、拍手を送る。感動である。これがブラックカルチャーなのか。すごい。すごすぎる。私も立って泣きながら拍手を送った。説教もあり、女性が演説していたがこれも力強いすごい演説であった。ここでも立って拍手を送る。日本との大きな違いを見せつけられた。この力強さは日本には存在しないものだ。教会を出るときに、観光客を案内していた黒人の方と握手をした。その握手も力強かった。
 約2時間半寒い外で待ったのだが、待ってよかった。ディズニーランドのアトラクションで2時間半待つのとでは格段に話のレベルが違う。どっちかを選べと言われたら、迷わずゴスペルを選ぶ。今回のこのゴスペルの経験は私に強烈なインパクトを与えた。これからニューヨークを訪れた時は必ずゴスペルを聞きに行こうと思う。

 余談だが、この138丁目はダイハード3で、敵役のサイモンがマクレーン刑事に最初の命令で行かせたところであった。ダイハード3はニューヨークが舞台の映画なので、大好きな映画の一つである。

2013年5月9日木曜日

食生活に気をつける

今働いているところはシフト制なので、規則正しい生活は難しい。夜帰ってくる時間が12時を過ぎる場合もある。寄り道をしなくてもこの時間になる。また、来週からは朝7時には出勤していなければならず、朝起きるのは午前4時過ぎになりそうだ。朝早かったり、夜遅かったり、もしくは両方だったり。シフト制なのでこれは仕方のないことだが。健康管理は徹底したい。
 食事にも気を使っている。幸運なことに、食品会社なので食に関しての知識は少し勉強している。お昼ご飯は基本自分の会社のお弁当を食べている。何種類かあるのだが、半日分の野菜を摂取できる弁当を主に食べている。また、この会社は有機食材を扱っていて、さらに添加物も使用していない会社なのだ。添加物はかなり恐ろしいものだというのは勉強したし、自らの健康管理をする上では重要なことである。まあこの時代、添加物から版画れられないのだが。しかし、昼ご飯だけでも添加物を取らないでいると、一日摂取する添加物を今までの3分の2に抑えられる。これは長い目で見れば大きい。そして自宅では4人前の生野菜を必ず食べている。主に野菜が食事のメインだ。ファーストフードは自分から食べることはないし、最近はカップラーメンも食べない。それだったら生野菜を食べている方がいい。
 学生時代は不規則な食生活をしていたが、今働いているとちゃんとご飯を食べなければを思う。学生は体調を崩してもなんとかなるが、社会人になって体調を崩すと多大な迷惑や影響がある。そうならないためにも食生活にはかなり気を使うようになった。食費を削ろうとして、ろくなものも食べず、体調を崩してしまうような人もいるが、言語道断である。もちろん高い良いおのを食べろという意味ではない。まともなご飯を食べないとという意味である。自分の健康管理もできない人は仕事する資格はない。仕事をする前にまず自分の健康管理ができるようにならなければならない。自分の面倒は自分で見ること。これは当たり前であり、最低条件である。

2013年5月8日水曜日

ケチくさい人

新聞を配達してもらおうと考えている。現在テレビがない状態が続いているので、情報が入ってこない。これはなんとも恐ろしいことだ。情報社会で情報が入ってこないのは恐怖である。本当はテレビも欲しいのだが、そこまで手が回らない。それよりも新聞が欲しい。
 私はテレビをあまり見ない。現にテレビがない生活を送っている。なくても困らないことがわかる。テレビが好きな人は、いくつもの番組を録画しておいて、休日はその録画しておいた番組を見るという生活をしている人もいるが、私にはそれはありえない。とりあえず今世界で何が起こっているのかが知りたいのだ。
 働き始めて、お金のことを考える機会が多くなった。給料はいくらで、そのうちいくらが引かれて、手取りはいくらで、家賃はこれだけで、生活費はこれだけで、光熱費かこれだけで、食費がこれだけで、・・・・・などなど。自分の手元に残るお金はほとんどないことがわかる。一人暮らしをしているとそれはなおさらである。
 私の友人で東京に住んでいるのだが、この友人はこのブログで何度も登場している。就活で家に泊めてくれていた友人である。この友人とは何度も飲みに行ったり、遊んだりしている。彼も一人暮らしで、高卒で東京に出てきている。彼もやっぱりお金がたまらないらしい。
 お金がたまらないといっても、その友人はお金の使い方をよく知っていると思う。彼と飲みに行ったりすると必ず彼が多く出してくれる。「学生やからええよ」といつも言ってくれる。しかし、今私が社会人になって、お金のことについて考えてみると、彼のやっていることはなかなかできるものではない。
 私はおごってもらうのが好きではない。なんといったらいいのかわからないが、おごってもらった人の下になる気がするのだ。今日はおごるから、と言ってくれるときはその言葉に甘えるのだが、基本おごってもらうのは好きではない。しかし、おごるのは好きである。先ほど述べたことの逆になるし、何かしらの形でいつか自分に返ってくるのがわかるから好きである。中には私が多めに出そうとすると、断りはするが明らかに嬉しそうな様子を浮かべる奴がいるが、そういう奴には二度とおごったり多めに出したりはしない。というかそんな奴はさっさと縁を切る。
 ケチな奴も私は嫌いである。一円単位まできっちり計算しようとする人がいるが、あれは鬱陶しい。ちょっとくらい多く出したって大したことはない。これはお金を大切にいていないというわけではない。もちろん全額出せといっているわけでもない。お金の使い方が間違っているとは言えないが、よろしくないと思う。見ていてかっこわるいし、「ケチくさいやっちゃなー」と思う。何でもかんでもケチろうとする人は、結局お金がたまらない人だと思う。その場(人との交流の場での話)しのぎでお金を使わずに済んだだけであって、長い目で見れば逆効果ではないかと考える。まあ私もケチくさい人間にはなりたくないものだな。

2013年5月7日火曜日

阪急でニューヨークフェア

ソーホー
先日、大阪のグランフロント大阪という商業施設がオープンした。ゴールデンウィークはそのニュースが多かったという。大阪梅田のヨドバシカメラのすぐ近くにあるのだが、梅田は商業施設や百貨店の激戦区である。大きな施設ができると人の流れが一気に変わってしまうのだが、これほどの激戦区は東京でもないだろう。銀座も激戦区ではあるが、今回この施設がオープンして大阪梅田が日本一の激戦区になったのではないだろうか。書店の激戦区も大阪梅田が日本一である。大阪もなかなかやるではないか。東京は、銀座、渋谷、新宿、池袋、六本木、などなど多くの繁華街があるが、大阪はキタかミナミだ。東京を圧縮したみたいなのが大阪だ。とはいっても東京と大阪は全然違うのだが。それにしてもこのグランフロント大阪に行ってみたい。帰ったら真っ先に行こう。
 そして5月15日から21日まで、阪急本館でニューヨークフェア2013があることを母から聞いた。なんと!!それには行きたい。でも無理である。うーん、どうにかならんのか。ニューヨークはおもしろい。地図を見ているだけで気分が高揚する。やっぱりあの街には引き寄せられる。だって世界一の街なんだからな。そりゃすごいわ。
 ニューヨークで気がついたことなのだが、日本と同じように様々なレストランやカフェ、バーなどの飲食店がある。日本では人がたくさんいる店、その反対にほとんど人がいない店がある。しかし、ニューヨークではどの店も人で賑わっているのだ。これはすごいと思った。少し静かなソーホーを歩いていても、そういう店があると覗いてみるのだが、やっぱり人がいる。人で賑わっているのを見ると、全く関係ない私も嬉しい気分になる。どこの店にも人がいるのはどうしてなんだろうか。裏通りが存在しないからだろうか。それともマンハッタンに住んでいる人がたくさんいるからだろうか。
 あとイベントもやるらしく、その中でゴスペルを歌うシンガーがいらっしゃるそうだ。これはやばい。これは必見である。3月に一人旅したが、今回ハーレムに行って本場のゴスペルを聞いてきたのだ。これぞブラックカルチャー!!私は泣きながら拍手を送った。感動した。これからニューヨークを訪れるときは、必ずハーレムに行ってゴスペルを聞こうと思う。詳しいことはまた改めて投稿しよう。とにかくあのゴスペルは素晴らしい。なので今回阪急でゴスペルを聞けるチャンスだったのだが、残念で仕方がない。これはまた次の機会に、やな。

2013年5月4日土曜日

一筆男子。

 東京では桜が散って、今は過ごしやすい季節となっている。暑くもなく寒くもなくといったところだ。もうすぐすると梅雨の時期がやってきて、そしたら夏がやってくる。こちらに引っ越してきたのは3月下旬だったが、あれからまる一ヶ月と少したった。早いものである。年を取るスピードは車のスピードと一緒だという。車は10キロよりも20キロ、20キロよりも50キロのほうがスピードが速い。年を取れば取るにつれて、過ぎるスピードは速くなる。よく学生に戻りたいという声を聞くが、私は全く思わない。今の方が格段に充実しているし、楽しい。もちろんしんどいことばっかりだが、その先に目指しているものがあるので、ただ今はそれに向かって走っている状態だ。そうはいっても仕事へ行く朝はやっぱり苦しいものだが(笑)。楽してお金なんて稼げるわけがない。お金を稼ぐというのは大変で当然である。


 先日、掃除をして部屋を整理していたら、新聞の気に入った記事を切り取って保管しているのだが、それが出てきてすこし読み返していた。これはとある百貨店のステーショナリーの宣伝の記事だ。海外へ一人で出た私にはこの気持ちがわかるような気がする。それをちょっと載せてみたい。


 一筆男子。
ジェファソン記念館

 学生時代、一人で初めて海外に出た。
 無計画な旅に出発する前夜、母は丁寧におった紙幣を押し付けながら小さく言った。
 「時々は便りをなさい」
 心配をひた隠したその目が焼きついて、バンコクに到着するなり一通目を送った。「無事。暑い。」露店で買った絵葉書の埃を払いながら、短い言葉を並べた。二通目はデリーから。宿のクーラーは唸るだけで、汗でインクが滲んだ。涙と勘違いされないか気がかりだった。
 その後は行く先々で好奇心に翻弄され、文字にできない日々が続いたが、欧州に辿り着くと急にペンが軽くなった。次第に小銭が惜しくなり、籍を置いた語学学校の食堂のナプキンに“フランス語は簡単”などと怪しい綴りで書いては、事務局で使い古しの封筒をもらって投函した。授業をさぼると、美術館の半券や秋色のマロニエの葉を同封した。
 とうに予定を過ぎて家に戻ると、母は送ったものすべてを居間の壁にピンナップしていた。数はそれなりだが、文面はどれもおそまつ。なかには。「○」ひとつだけ、というものもある。息災を知らせたつもりだったのだが。
 印刷のずれた絵葉書、お国柄漂う切手、謎めいた同封物が並んだ様子は、語学学校の水色の封筒が海のようでもあり、どこか世界地図のように見えた。母は心配の消え去った目を細めて、気ままな息子と見比べていた。
 遥か年月が経った今頃になって、出る先々でまた一筆したためるようになった。ふとよぎるものを綴り、旨い店との遭遇をレポートする。その土地限定の切手を探しながら。
 青春解雇が理由ではない。一方的な土産を面白がってくれる友が増えたのである。そして、どこにいてもペンを走らせたくなる、なんともいい道具を見つけてしまったからである。
 とはいえ、二通に一通は手渡しにしようと思う。旧友の一人、母宛だけは。

母校の卒業式で恩師と再会

 ゴールデンウィークだが私は今日も出勤していた。お客さんの一人から、「ゴールデンウィークなのに大変だね」と言われた。これが仕事なのだから仕方がない。社会人となって3連休以上とるのは難しくなる。私の仕事では2連休取ることも難しい。まあ、そんなことはどうでもいいのだが、お客さんを見ていても大きな荷物を持っている人が多かった。実家に帰るのか、遊びに行くのかはわからないが、日本全国おもしろいようにこの休みには動き出す。新幹線の切符も早めに予約しておかなければなくなってしまう。この連休を楽しみにしていた人も多いはずだ。
 今私にゴールデンウィークがあったとしても、実家には帰らなかっただろう。今実家に戻る気がないというか、余裕がないというか、足が重たいというか・・・。それよりもやらなければならないことがアホほどある。今は気を休めている暇はない。もう少し余裕が出てきたら大阪に少し戻ろうという気が出てくるかもしれないが、今はない。大阪と東京は近いので、その気になればいつでも行き来できるので気分的にはどうってことないが。


多摩川沿い
3月5日に教育実習に行った高校の卒業式があり、私も時間を見つけ、とりあえずの最後ということで少しだけ伺ったのだ。式には卒業生、在校生、保護者、教員しか入れないため、私は式が終わるまで食堂で待とうと思い、椅子に座って新聞を読んでいた。「ここに来るのもこれが最後かもしれないな」と誰もいない食堂で思いを巡らしていた。しばらくすると、誰かが「おーい」と私に呼びかけた。ふと出入り口の方を見ると、なんと私が高校時代にお世話になった恩師、担任のT先生がいるではないか。このT先生は今は違う高校で教員をされている。1年か2年ほど前、T先生に会いにその高校へ行ったりしたし、私の教育実習最終日に高校まで来てくれてお疲れ様パーティーまでしてくれた。最近はしばらくご無沙汰していたので、会いに行かなければな、と思っていたところであった。あまりの突然さにうれしくなり、お互いに自然と抱擁。先生がこの高校で教えていた最後の教え子が今回卒業する生徒なので今回この高校生来たのだ。
 「茶でもしばきに行くか」とこの高校の近くにある喫茶店に向かった。そこでもいろいろな話をさせてもらたった。主にお互いの旅の話。先生は去年の夏にエルサレム周辺を旅したのだ。そして私は数日後に出発することを伝えた。また先生はアメリカのことに関してもかなり詳しいので、通なところを教えてくれた。高校を卒業してからも未だに交流があり、これほどいい先生はなかなかいないだろう。
 私はその卒業式にはそれほどゆっくりいれなかった。ほかにも予定が詰まっていたし、やらなければならないこともたくさんあったので、ゆっくりすることができなかった。生徒たち、先生方とちょっとした挨拶をしてお暇させてもらった。まあ、部外者の私がたらたら長くいるのはあまり美しくない。こういうのは風のように来て、風のように去っていくのがいい。自分の卒業式には行かず、他人の卒業式に参加するというのはなかなか面白い。T先生に言われたのだが、「お前やったら来ると思ったわ」と。私は、「なんでわかったんですか?」。T先生、「ん、勘」。

2013年4月29日月曜日

大学でお世話になった方からのメール

 世間はゴールデンウィークとお楽しみモードに入っているが、私にはゴールデンウィークはない。百貨店ということで、休日こそ稼ぎ時ということだ。まあ、今の私には販売を向上させるようなテクニックはまったくもっていないので、ひたすら勉強ということである。それにしても大変なことばかりである。社会人として働くのとアルバイトでは天と地ほどの差があるのを痛感する。いつしか誰か、アルバイトでも社会勉強できる、と言っていた人がいるが、所詮アルバイトはアルバイトだ。その差は歴然である。

エンパイアステートビルディング
先日、大学時代にお世話になったキャリアセンターの方にメールを送っていたのだが、その返信が届いた。2週間ほど前に送っていたので私もすっかり忘れていたのだ。内容を見てみるとその方もかなり忙しく大変だったそうだ。そのため、自宅に戻ってもメールチェックできなかったらしい。しかし、元気そうでなによりであった。
 今年の1月末で大学の授業は終わり、春休みに入ったのだが、前回のブログでも触れたように、大学生活でお世話になった方々に挨拶回りをしていたのだが、もちろんこちらの方にも挨拶しに行った。とは言ってもこの方とは暇があったら話をしに行っていたので、この挨拶といってもまた話をしに行ったものなのだが。この方もアメリカに何度も足を運んでいて、特にお気に入りの街はニューヨークだという。社会人になる前にもう一度アメリカ行きたいな、という話をしていたのだ。その時は行きたいという希望で、その方とはお別れしたのだ。
 しかし、3月になって突然「行かなければ」という気持ちになった。卒業式には行かないだろうと思っていたし、自分なりのお別れの仕方で、足早に4年間お世話になった青森をあとにした。足早といってもそれは行動であって、4年間を振り返らなかったわけではない。4年間あっという間に過ぎ去ったが、いろいろなことがあったのを思い出していた。そこで区切りの何かが欲しかった。学生時代は学生時代でひとくくりにしたかった。学生としてのけじめをつけ、心を一新する何かが欲しかったのだ。卒業式で一新できるとは思わなかった。それでアメリカに行こうと決めたのだ。
 1週間後の航空券をゲットし、ホテルを予約し、アメリカドルに両替した。2年前は約2ヶ月かけて準備をしていたが、今回は1週間で準備した。どこに行こうかとかはほとんど考えなかった。2年前に行けなかったところには行こうとだけ考えていた。学生最後の一人旅でニューヨーク、ワシントンD.C.へ。。そしてこれが私の“卒業式”。誰かと一緒に卒業旅行とは考えもしなかった。これは遊びではないからだ。“けじめ”だから。
 今回の旅でもいろいろ大変なことがあったが、やっぱり最高だった。今度青森へ行った時に、大学のキャリアセンターの方とお会いしたら今回の旅のことを報告する。メールでもそう約束している。そのようなメールが届いたので、こんなことを考えたのであった。

2013年4月21日日曜日

新しい生活

 久しぶりの投稿である。前回の投稿は2月で研修前であった。今は4月で季節は春となり、私は社会人となり、東京に住んでいる。この2ヶ月の間、様々なことがあったが、それはおいおい投稿していこうと思う。
 3月の最終週から2週間、社内研修があり、そして1週間店舗研修、そして1週間工場研修、そして明日月曜日からはとりあえずの本配属となり、私は横浜のとある百貨店で働くこととなった。慣れないことばかりなのでかなり大変であった。大変なのは仕事であり、生活面ではなんの心配もない。なのでそれは助かっている。大阪とも距離が近いので、気持ちとしては楽である。人が多いことにも戸惑うこともない。至って普通。電車の時間を気にしながら動くこともない。数分後にはまた次の電車が来る。やはり都会はいい。新たな生活が始まり、そう思うのである。


大学へ向かった最後の日の道
さて、2月からこの2ヶ月間は激動の2ヶ月であった。東京で研修を2週間ほどやり、一旦大阪へ戻り、そしてまた青森へ戻り、引越しをし東京で引越しの荷物を受け取り、、大阪へ戻り、教育実習で担当をした学年が卒業式であったのでそれに参加し、そのあとすぐにアメリカへ行き、大阪に戻ってきてすぐに東京にきた。そして社内研修が3月最終週から始まったということである。移動しまくりの2ヶ月であった。
 青森とお別れをしたのは3月3日である。青森の友人ともお別れの挨拶をし、青森をあとにした。ゆっくりと物思いにふけって4年間を振り返るのも良かったのだが、私はせわしなくあとにしたのだ。振り返ることよりも次のステージに向かいたかったのかもしれない。学生の最後の儀式として卒業式があったが、それにも参加していない。日程を合わせれば行けなくもなかったが、優先順位として卒業式は高くなかった。結果的に卒業式は日程には組まれなかった。しかし、大学でお世話になった教授の方々、事務局の方々、そして友人たちにはきちっと最後の挨拶をした。卒業式ではゆっくりと話ができないので。だから卒業式には出る必要がなかった。ある意味、これが私のやり方なのかもしれない。そして私らしいのかもしれない。
 卒業式は友人と会うのが最後かもしれないというが、そんなことはない。会いたいのであればどこにいようともいつでも会える。その気さえあれば。おそらく大学で出会った人ほとんどはもう2度と会わない人が多いだろう。それは中学を卒業しようとも、高校を卒業しようとも、大学を卒業しようとも同じことだ。それ以降も続く友人は数える程。悲しいことかもしれないが、そういうものだ。携帯電話に保存されている友人などのアドレスは多いが、使用されるアドレスは少ない。続く友人はお互いに尊敬し合い、刺激し合い、助け合い、笑い合えるからだ。気の合う奴とはこういうことをいうんじゃないか。
 
 

 とにもかくにも、まだ部屋が片付いていないので、それを早く片付けることにしよう。大学の時みたいに頻繁に投稿することは難しいかもしれないが、できるだけ投稿しようと思う。新たなスタートを切ったので、ブログ名も変えようかなと思う。今考え中。

2013年2月3日日曜日

研修で東京へ

 東京に研修に行かなければならないので、しばらく更新できなくなる。2月と3月はかなり忙しくなりそうで、大阪、東京、青森を行ったり来たりになる。気がついたら4月になっていそうだ。忙しいのは仕方がないが、できるだけ更新できたらと思っている。
 とりあえず、16日まで東京にいて、そのまま一旦大阪に戻る。健康診断や入社前に揃えなければならない様々な書類を準備し、それを会社に送らなければならない。そして青森に戻り、引越しの準備をしなければならない。研修と合わせて東京での住む場所を決める。そっこから引越しの日など決まると思うが、ことがスムーズに流れることを願う。

 再び忙しい生活に戻る。しばらく休憩時間だったがそれは終わる。私はどちらかといえば忙しい方がいい。何もない日だと時間がたくさんあると思って、結局なにもしない日が多い。忙しかったら時間を効率的に使おうと工夫するので、いろんなことができる。まあ、これからに2ヶ月は慣れないことばかりなので、ストレスが溜まったり、疲労が溜まらないように気をつけたい。

2013年2月2日土曜日

『ブタがいた教室』

最終的には食べるという約束で飼い始めたブタのPちゃん。1年間育て、卒業の日が近づき、最終決断に迫られた6年2組の子どもたち。食べるのか、食べないのか。命とはなんなのか、命の重さとは。答えなど存在しないこの課題に必死に考え悩み、涙を流しながら議論し合ったこの作品『ブタがいた教室』。素晴らしい映画であった。
 実話をもとにした作品で、実際の映像も少し見たことがある。自分がもしその教室にいたらどういう答えを出すのか、考えてみても難しい問題である。私たち生き物は生きるためには食べなければならない。食べるためには生き物を殺さなければならない。命をいただいているのだ。私たちは毎日何かを食べているが、それはどこから来たものなのか。自分たちが育て、もはやクラスの仲間となったPちゃん。愛着を注いだPちゃんを食べれるのか。それとも一日でも長生きしてもらうのか。ブタはブタでもPちゃんは食べられなくて、どうしてほかのブタは食べられるのか。それは差別ではないのか。生き物の寿命を我々人間が勝手に左右していいものなのか。Pちゃんは食べられるために生まれてきたのか。クラスが責任をもって食肉センターに送るのか。他の学年に飼育を引き継いでもらうのは無責任ではないか。食べるのか、食べないのか、この選択をただ先延ばしにして答えを出すことから逃げているだけではないのか。議論は複雑で平行線をたどるのみ。
 悲しいことも、苦しいことも、辛いことも、いつかは答えを出さなくてはならない。命と向き合うのは簡単なことではない。いろんな答えがある。正解も間違いもない。たとえ残酷で苦しい答えが出たとしても、その答えを受け入れなければならない時もある。悩みに悩み、苦しみ、答えを出す。100人いたら100人が満足のいく答えはないかもしれない。たくさんの答えの中から一つの答えを導き出した。それが正しいのか間違っているのか、そんなことわからなくとも、その答えが一番の答えなんだと信じ、悲しみや苦しみを乗り越えていく。
 自分の考えを本気で意見し、ぶつかり合い、そこからなにか見つかるものがある。答えがなくとも、平行線をたどろうとも、答えのない問題を必死に考え、自分の答え、考えを持つ。「人それぞれだから」とそれを言えば話が終わってしまうこの時代。堅い話から話題をそらそうとするこの時代。たとえ自分の答えが残酷だったとしても、それが一番の答えだと信じ、周りに臆することなく、考えや思いを言う大切さを、私は子供たちから教えられたような気がする。

2013年2月1日金曜日

アイドル騒動

昨日から騒がれているが、某アイドルグループの一人が騒動を起こし、頭を丸め謝罪したニュースが大きく取り上げられている。もっと他に取り上げるニュースはないのかと、この国はアイドルグループに振り回されるようになってしまった。まあ、それは置いといて。
 今回のこの騒ぎで、様々な意見があるだろうが、私はこのメンバーが頭を丸めたことについては好意的に見ている。「髪は女の命」というほど、女性にとって髪は大切なものである。そしてアイドルグループとして活躍し、メディアの露出も多いことから、ここまでやればなかなかのものである。ここまでする必要はあるのかという意見もあるが、自分の意思でやったことなので、否定も肯定もしない。
 恋愛なんて生活の一部である。誰かを好きになり、誰かから好かれるというのは当たり前の話であって、禁止というのもあまり理解できない。恋愛してはいけないのに恋愛の歌を歌っていても、全く心に響かない。恋愛をして当たり前の世の中だが、今回のように恋愛できない世界も存在する。このメンバーは罪悪感を感じているだろうが、罪でも悪でもなんでもない。ひとりの人間としての当たり前の感情である。しかし、恋愛が許されない世界で生きているとなればそれは許されることではない。恋愛をしたければその世界から出ていけばいい。簡単なことだ。出ていかないというのであれば、まだその世界でやりたいことがあるのか、その世界にしがみついていたいだけなのか。恋愛できない世界で恋愛するなんて、自分が置かれている立場を分かっていない。人前に出るのであれば、それだけの覚悟を持って人前に出てきてほしい。
 メンバーによって処分が違うのはこれもまた問題。謝ればすむ場合もあるし、辞めさせられる場合もあるし、今回のように頭を丸める場合もある。次にまた違うメンバーがこういう騒動を起こした時、運営側としてはどういう処分を下すのだろうか。一人が頭を丸めてしまうと、次の対応が難しくなる。まあ、そうなる前にメンバー一人ひとりが今置かれてる自分の立場をしっかり認識してればすむ話である。
 この騒動に振り回されている日本だが、今韓国を訪問中のアウンサンスーチーさんの日本の歴史認識に関しての、「誰でも過ちを犯すことはあるが、過ちを認めることをためらうことこそ本当の過ち」という言葉、そして今近畿地方に中国からの大気汚染物質「硫酸塩エアロゾル」が流れ込んでいることの方がよっぽど重要である。

2013年1月31日木曜日

東京の人になる

 昨日と今日、ここ青森は暖かい日が続いている。日曜日に東京に向かうが、それまでこの天気が続いて欲しい。
 研修の為に東京に行くが、それと一緒に春から住む家も探す予定だ。企業側が紹介してくださる不動産屋さんがあるので、それを利用する。どのような物件を紹介してくれるのかはまだ全くわからないが、楽しみである。私もついに「東京の人」になる日が近づいてくる。もちろん私は死ぬまで大阪人でいるつもりだが。一応の「東京の人」になる。大阪、青森、そして花の都東京。やっとたどり着いたという感じだ。そこで一つ、唄を紹介したい。またもや長渕剛の唄だが、今まではこの唄を唄える日はいつになるのだろうかと思っていたが、この唄が現実とかする日が近づいている。


東京青春朝焼物語


 両足が鉄の棒のように痛かった
 お前と二人で不動産屋を廻った
 はり紙を何度も何度もなぞりながら
 井の頭線で五つめの駅で降りた
 愛想の悪い酒屋で俺は缶ビールを買った
 植木鉢の下に鍵を置くことに決めた
 荷ほどきできないダンボール箱を背中にして
 俺たちはえびのように丸くなった

 二人でおんぼろの自転車にのり、
 野良猫の“チロ”をお前は拾ってきた
 不釣合いな花柄のカーテンには困ったけど
 南向きの窓がたまらなくよかった
 豆腐屋のばあさんはゴムのエプロンに長靴で
 いつもそこら中に水をまいていた
 「ごめんよ」がこのばあさんのいつもの挨拶で
 そこを通るたびに笑ってた

 カンカンと遠くで踏切が鳴いてた
 夕暮れ時の雨は嫌だった
 つっかけを履いたまんま女ものの傘をさし
 角のバイク屋へ空気入れを借りに行く
 鉄柵の向こうからは空が見えなかったけど
 暮らすのに何の理屈もいらなかった
 ただ初めてお前の台所に立った背中を
 抱きしめたのはささやかな俺の覚悟だった

 今日から俺 東京の人になる
 のこのこと来ちまったけど
 今日からお前 東京の人になる
 せっせせっせと東京に人になる

2013年1月29日火曜日

ここからがスタート

タイムズスクエア
今日はあいにくの雪で、その中を歩いて大学へ行った。今は期末テスト期間らしく、学生たちが慌ただし様子であった。キャリアセンターに提出しなければならない書類があったので、キャリアセンターを訪れた。テスト期間にもかかわらず、今の3年生がエントリーシートの添削をしてもらいに数名来ていたし、相談しに来ている学生もいた。私が3年生の今頃はキャリアセンターは利用していなかったので、自分で勝手にやっていた。就活の参考書を見ても、そのエントリーシートや履歴書の書き方は載っているが、あくまで例だ。その通りしなければならないということはない。相手が見やすいものを作成すればいい。最低限の言葉遣いは知っておく必要があるが。
 今日来た3年生の学生が、「自分が何をしたいのかわからない」という学生がいた。これは就活する以前の問題である。キャリアの方もおっしゃっていたことだが、「どこどこの企業を受けなさい」とは言えないのである。どこの企業に就職したいのか、どんな仕事をしたいのかは自分で決めなければならない。自分の人生は自分で決める。最低限自分のことは自分で面倒みないと。
 今日は13時から17時まで話をしてしまった。近況報告といったらいいのか様々ことについて話をした。話をしていても飽きないというのはそれだけその方に魅力があるということだ。日曜日に研修で2、3週間東京に行くが、また戻ってきますと伝えた。
 日曜日あら東京に行くので、そこから忙しくなりそうだ。研修のあとは一旦大阪に戻って、健康診断やいろいろややこしいものを整理して企業に送らなければならない。そのあとは引越しの準備などでこちら青森の部屋も片付けなければならない。ややこしくなりそうだが一つ一つヌケがないようにしたい。あと青森でお世話になった方々への挨拶回りもしなければならない。まだ数人しか挨拶できていないので、そこはきっちりしなければならない。
 卒業は近づいているが、どちらかというと悲しい寂しいよりかは楽しみの方が強い。次の人生が始まるという待ち遠しい気分だ。人生はある意味ここからがスタートだと思う。ここから始まるんだ。社会人になってもいろんなことを勉強していきたい。社会人になってからでも勉強は遅くない。英語も勉強しよう。歴史も勉強しよう。法律も勉強しよう。マーケティングも勉強しよう。そして社会人を勉強しよう。私はやりたいことがたくさんある。人生は二者択一ではない。AかBか、答えを迫られた時、Cという答えはないか、それともAとB両方選択できないか、そうやって物事をみていきたい。やりたいことすべてを叶えるつもりだ。何歳まで生きられるか知らないが、私は役を与えられたんだ。“私”という役を。

2013年1月28日月曜日

オバマ大統領とホロコースト記念博物館

 成田空港では8cmの積雪があり、日本各地で大荒れのようだが、ここ青森は快晴であった。先週の金曜日と土曜日も大荒れという予報であったが、私の住んでいる周辺は晴れていた。明日は大学へ行こうと思っているので晴れて欲しい。
 


本日、オバマ大統領がFacebookで、ホロコースト記念博物館での画像をアップしていたので、ついつい「いいね」ボタンを押してしまった。何度もこの博物館は紹介しているが、この博物館はアメリカでは珍しく館内撮影禁止だったのだ。アメリカの博物館の素晴らしいところは撮影できるところだ。しかし、ここはダメだったので、ポストカードを私が撮影して、それをこのブログに添付した。まあ、今回も館内のほんの一部だが載せておきたい。そして、私が見たこの博物館をもう一度思い出したい。
 ここを訪れるためにアメリカに行ったようなものだ。整理券をゲットすべく列に並び、何枚整理券がいるのかかわいいお姉さん尋ねられると、なぜか「4枚ください」と言ってしまった。1枚でよかったのに。厳しい入場チェックのあと、やっとパスポートが手に入る。そのパスポートは、ホロコーストで命を落としたユダヤ人の身分証明書である。今日はその人物と共に回るというわけだ。
 ナチスが、ユダヤ人狩りの際に使った「目の色の判別板」や「鼻の計測器」などは、ここでしか見れないらしい。虐殺の展示階では、貨物列車が行く手を阻むように展示してある。この中を通らなければ次へと進めないのである。収容所へユダヤ人を運んだ貨物列車であることは一目瞭然である。私は霊感が強い方ではないが、館内全てに妖気が漂っているのがわかる。ある扉をくぐった瞬間、ものすごく何かを感じ、全身に悪寒が走ったのを今でも覚えている。鬼太郎なら、妖気アンテナがビンビンであろう。収容所に入る前に没収された、ナイフや眼鏡や入れ歯など様々なものが透明のプラスチックの柱の中に山積みされて展示されている。その数、膨大。アウシュビッツの門をくぐる。虐殺に使われた毒ガス(正確には農薬)の缶。シャワー室から焼却炉までの流れは、真っ白な模型で展示してある。
 SS(親衛隊)による人体実験のビデオなどは、子供にはショックの大きすぎるので、ちょうど井戸の中をのぞき込むように子供の背丈では見れないように展示してある。収容所が解放され、、多くの虐殺された遺体の処理映像など、注視に堪えない。ここに来た誰もが疲れるのであろう、椅子がある。他の人々も虚ろな目をして焦点が定まらない。それほど強烈なショックをこの博物館は我々に与えてくれる。
 最後の出口に繋がる通路の両側には、靴、クツ、くつの山である。すごい数である。ガラスで仕切られているのに凄いにおいである。最後まで我々の良心にショックを与え続ける博物館であった。
 

2013年1月27日日曜日

財産を守れ

大学のキャリアセンターの方とよく話をしていることは、このブログでも何度か話をしている。様々な話をしているが、よく学生の話をする。先日、私が自分の夢についてベラベラ語っていると、「今の若い人は将来自分が何がしたいのか、よくわからない人が多い」とその方は言う。その理由の一つは環境の問題が大きいと考える。そしてその方もその通りだという。ここは刺激がない。周りと競う必要もない。個性を主張しなくても認めてくれる。ここはまさに日本人らしい資質、謙虚さ、があるところだ。おとなしい学生が多過ぎるという話だ。この話はこの方だけではなく、様々な教授とも同じ話をしているが、みんな同じことを言う。“自己”の薄い学生が多い。謙虚というのは素晴らしいことだ。しかし、その謙虚はもっと他に使うところはたくさんある。
 自分は何がやりたいのか、自分は何が欲しいのか、そこは忘れてはならない。私は自分のことを最高だと思っている。自分を大切にしたいと思っている。自分が一番可愛いと思っている。この可愛いは保守的な可愛いではない。私は自分を愛している。もっと自分の財産を守れと私は思う。この財産とは、お金、銭のことではない。自分のプライドも財産だろう。自分の精神も財産だろう。自己の主張をちゃんと持つということも自分の財産だろう。
 群を抜いた個性、自己を持った学生が少ない。互いに刺激し合うことはない。だから自分が何がしたいのか、将来どうしていたいのかわからない学生が多いのではないだろうか。学生は互いに刺激し合って、様々なことに興味が湧き、様々なことに挑戦し、様々な人と出会い、様々な場所へ行き、様々な経験をして、夢を見つけていくものではないだろうか。
 「変わってるね」と言われるのは私はとてつもなく嬉しい。これは私にとって最大の褒め言葉だ。これは周りの人とは違うってことだろう。人と違う人生、道を歩んでいきたいと私は思う。人と違うことをするとき、一番大切なことは自己の主張を持ち続け、それを貫き通すこと。人と違うことをするのは険しい道かもしれない。しかし、自己の主張をやめてしまうと、自分が自分ではなくなってしまう。私は私であるために、自己の主張をし続ける。自分の財産は自分で守る。私が言いたいのは、“自分の財産を守れ”ということ。

時間、空間を超えて

先日、友人とご飯を食べに行き、これからのことや学生生活のことを振り返っていた。この友人は北海道の札幌出身で、卒業後は札幌にある百貨店で務めることになっている。この友人とも話が合うところが多いので、気軽に話ができる。私は2月から東京で研修があるが、彼は4月までは何もないらしい。4月までどうするのか尋ねると、まずは彼の友人数人で函館に日帰りで遊びに行くらしい。そして山陰とか行こうかなとも言っていた。彼はちょくちょく関西方面に遊びに行っていた。神戸に彼の兄が住んでいるので、そこを拠点にして大阪、神戸、広島など回っているそうだ。一人で回るというのは素晴らしい。
 私もよく一人でどこかへ行く。趣味の一つに一人旅があるが、その良さはこのブログでも何度か紹介している。外国ともなれば絶対に一人で行きたい。同じ所へ行くなら友人や家族といってもいいが、初めてのところは出来るなら一人で行きたいものだ。
 私は2年前、一人旅としてアメリカのニューヨークとワシントンD.C.に行ったが、何をしたのかや面白かったこと、学んだことは必ず周りの人に話をしている。日本も広いが、世界はとてつもなく広い。アメリカのほんの一部しか見ることができなかったが、人生が変わる刺激的な経験だった。
 アメリカでは必ず美術館や博物館は絶対行くことにしていた。日本とは全く違うスケールで、アメリカらしい展示の仕方で興味がなくても楽しむことができる。絶対に行くべき場所はやっぱりD.C.にあるスミソニアン協会、そしてホロコースト記念博物館だ。誰かと一緒に行って、こういう場所を回るのもいい。それも楽しみ方の一つである。私もいつか家族を連れて行きたい。しかし、私は友人とは話をするときは、「一緒に行こう」とは絶対に言わない。もちろん一緒に行きたい気持ちはあるが、そこはあえて抑えている。思いを共有する、というのは一緒に行かなくても出来ることだと思っている。私が周りの人に伝えて、誰かが私の話に興味を持ってくれ、その人がいつか私が行った場所と同じ所に行く。そこで初めて私と共有ができる。一緒に回るのもいいけれど、こうして時間や空間を超えてつながるのも、私は大好きである。この方がある意味、“夢”がある感じがする。

2013年1月25日金曜日

See You Tomorrow

ひとつ前のブログの続きである。そのボランティアの相談のあと、時間がったので教授への挨拶回りをした。もしかしたら最後になるかもしれないので、とりあえず挨拶をしに行ったのだ。ゼミの先生のところへ行き、少し話をした。この先生とは話が合い、聞いていても面白い。先生の家族の写真などを見せてもらった。先生の家族は今アメリカのシアトルにいる。「俺、日本人にはモテないけど、外国人にはモテるんだよ」と自慢話なのかよくわからないことを言っていた(笑)。そこへ宗教学の先生が入ってきて、その先生も加えて3人で色々な話をした。そして宗教学の先生が本を渡したいというので、少し待っていた。そして持ってきた本なのだが、その先生が書いた本で、宗教学の授業をとった時にもその先生が書いた本を購入して授業をしたが、今回の本はその続編である。しかも、先生のメッセージ付きでめちゃくちゃ嬉しかった。わざわざ書いてくださったのだ。もう一度ゆっくり話がしたいのだが、先のことはわからない。もしかしたら今日が最後の日になるかもしれない。二人の先生と握手をしていただいた。もう4年が経ってしまったんだな。握手をしていただいた時、そう思った。出会いがあれば別れがある。これは仕方のないことだが、悲しいものは悲しい。この二方の教授は、私のことを気に入って下さり、すれ違うたびに話をしていただいていた。もちろん今日が最後の日になるかはわからない。1ヶ月後、また時間があって伺うかもしれない。何年後か先、また青森に来る機会があるかもしれない。もちろん、また会いたい。また会いに来る。絶対に会いに来る。そう思っている。しかし、人生は何が起こるかわからない。もう二度と会えないかもしれない。今日が本当に最後になるかもしれない。今日は教授と今生の別れをしてきた。また連絡しますと伝えた。
 別れの時期である。「さようなら」、「ありがとうございました」、この言葉が多くなる時期。“See You Again.”。「また会おうね」。いい言葉だ。しかし、私はこっちの言葉の方が好きだ。“See You Tomorrow.”。「また」はいつかわからない。「明日」となれば、明確な期限があるので直ぐに会える気がする。だからこういう今生の別れをしなければならない時でも、“See You Tomorrow.”、と言いたい。どんなに離れても、直ぐに会えるから。絶対に会えるから。明日会おうね。明日も会えるね。明日も会えるの楽しみにしてるね。

ボランティア団体の相談

昨日の青森
昨日から続いていた天気は崩れてしまい、かなり寒い一日であった。そんな日に限って大学へ行かなければならない用事が入ったのだ。私が設立したボランティア団体の現代表から呼び出されたのだが、今の団体を大学のサークルにしたいのだがどうしたいいかという内容であった。その相談をまず、青森県の社会福祉協議会の方から説明を受けたらしい。外部団体のメリットデメリット、そして大学のサークルとしてのメリットデメリットの説明をしていただいたらしく、その方が言うには、今の団体を大学のサークルにしてしまうと本来の良さがなくなってしまうのではないか、というものであった。そこでこの団体を立ち上げた私に一度相談してみてはいかがだろうか、ということで今日代表から呼び出されたのだ。私の答えはどっちでもいいということである。私が設立したときは震災直後で、ボランティアに参加したいという意識が高かった。自分の大学だけではもったいないし、他の大学にも呼びかけを行ってみんなで一緒にやればいいという思いで立ち上げた。サークルにすると外部から見てサークルという「壁」になって参加しにくくなるのではないだろうかと思い、ただの団体という形にしたのである。しかし、今の代表やメンバーはサークルにしたいという思いがあるらしく、私の意見がほしかったようだ。「みんなの好きなようにやればいい」、そう言った。そもそも私が代表を降りたという時点で、この団体への口出しは一切できない。中途半端に口出しすると残ったメンバーもやりにくいだろうし、メンバーのためにもならない。なので、代表を降りてからは私は一切口出ししなかった。というか就活で口出ししたくてもできなかったのだが(笑)。周りの大学への宣伝や情報交換もしていないらしい。私の時はイベントなどがあるときは市内の大学すべてを周り、宣伝の紙やポスターを貼らせてもらっていた。今は自分の大学ですらこの団体を認知している学生は少ないという。それならばまずは足元を固める必要がある。サークルにした方が認知する学生も増えるだろうというのがメンバーの意見でった。そうかもしれないが、イベントをやるときには宣伝もやっていなかったという。組織としてあまり機能していないのだろう。私も少し意見を言ったが、最終的に決めるのは今のメンバーである。今の代表は3代目である。私は次の代表にバトンを渡してから全て託したのである。私が代表の時は、私のやりたいようにやらせてもらたった。だから今度はメンバーがやりたいようにやればいい。次の若き者たちへバトンがつながればそれでいい。


やっと画像添付が復活した。

2013年1月24日木曜日

そういうもんじゃないの

 二日連続で晴れた青森。このまま続いて欲しい気持ちである。



 人間は誰にでも裏と面がある。もちろん私にもある。だいたい人に見せるのは表の自分で、人に見せないのが裏の自分だろう。つまり人間は外に出たら演技をしているということだ。仮面をかぶり、キャラを作り、自分に好都合になるように、嫌われないように立ち振舞う。そして、自分にとって嫌なこと、面倒くさいこと、不利になることはできるだけやりたくないし、回避する方法を考える。
 人間は汚いと言ったら誤りがあるかもしれないが、人間ってそういう生き物だと思う。自分にとって好きか嫌いか、良いか悪いか、やりたいかやりたくないか・・・・・、そうやって生きていると思う。他人の「表」と「裏」とのギャップに驚かされることもたくさんあるだろう。俗に“いい人”と言われる人は、「裏」と「表」の差が激しいのではないだろうか。ある殺人事件で犯人が捕まったとき、その知人は、「そんなことする人ではない」、とか「意外すぎてびっくりした」という答えが返ってくるのは、その典型だろう。私も今までそういう人間を見てきた。ボランティアでもそうだ。「青森の人は災害に対する意識が低い」などとグダグダ語たくを並べて、結局その人は何もしていなかったという鬱陶しい奴もいた。きれいごとばかりを言う奴に比べて、「単位がもらえるから」や「自分の経験値としてのスキルアップのために」、「就活で有利になるから」と言いながらボランティアしている人の方がよっぽど心は美しいと思う。
 人間は自分勝手な生き物だ。それが人間である。気に入らなくなったから捨てて次へ行く。好きではなくなったから捨てて次へ行く。好かれたいから好かれるように演技をする。“いい人”と言われたいからやりたくないこともやらなければならない。面倒なこともやらなければならない。嫌われたくないもんな。そりゃ疲れるな。人間て大変だな。演技するのも、「裏」の自分を隠すのも。そう思うのは私だけではないはず。誰しも葛藤しながら生きている。人間て、そういうもんじゃないの。

2013年1月23日水曜日

これからも続けていこう

 今日は大学のキャリアセンターに用事があって少しだが大学に行った。提出しなければならない書類があったので、それを提出しに行ったのだが、やはりもう少し詳しく書きたいと思い、また書き直すことにした。そこでまたキャリアの方と1時間ほど話をした。話をしている途中に、今の3年生の学生が面接練習をしに来たというので、そのキャリアの方は私との話に夢中になっていたので、すっかり忘れてしまっていたようだ。またゆっくり話をしようということで今回はそれで終わった。まだまだ話をしたいことがたくさんあるので、またゆっくり話をしに行こう。というか最近はこの方と話をするために大学に行っているようなものだ。しかし、それもあと数える程だ。「お別れ」というのは日々近づいている。今日というこの日を大切にしなければならない。


 大学2年生の9月からこのブログを始めた。2年と4ヶ月ほど続いている。昨年は就職活動で大阪、東京、青森を行ったり来たりしていたので、なかなか投稿することはできなかったがなんとか投稿できる日には投稿してきた。もうすぐ卒業ということで、一応の節目の時期になる。一個人としての意見や考え、悩みを書き綴ってきた。社会人になったらこのブログをどうしようかと一瞬考えた時もあったが、やっぱりこれからも続けていこうと思う。毎日は難しいかもしれないが、投稿できる日は少しでも投稿していきたい。こうやって自分の気持ちや意見、そして感じたこと思うことを文字として表現することはとても大切なことだと感じるし、その方が自分のためになる。心の中で思いとどめていたり口に出さないことはやっぱり現実しない。 文字にするのを面倒臭がったり、そんなことしてもしなくても一緒だと言う人と比べれば、文字にする人の方がはるかに考えが深くなるし、反省もするし、頭の整理ができる。だからこれからもこれを続けていこうと思う。昨日も意外な方から私のブログを拝見しているという声を聞き、かなり驚いたが、「楽しみにしている」と言っていただいたので、つたない文章ではあるができるところまでやってみようと思う。いい文章は書けないが、気が向いた時でも、時間があるときでいいのでまた覗いていただけると嬉しい。

2013年1月21日月曜日

宣伝のメモ

 今日は珍しく晴れた。これで少しは雪が溶けたんじゃないか。ここ青森にいるのもあと数えるくらい。この景色を頭に刻んでおこう。



 某企業の宣伝が新聞に記載されていて、その言葉に感銘を受け、メモを取っていたのだ。それを今回はここに記載したい。


 何もしなければ何も起きない。

 行かなければそれはやってこない。

 飛び出さなければ世界は変わらない。

 すべてのひとの心に翼はある。

 使うか、使わないか。

 世界は待っている。

 飛ぶか、飛ばないか。

 海をこえよう。

 言葉をこえよう。

 昨日をこえよう。

 空を飛ぼう。

2013年1月20日日曜日

「上」を目指して

 今日でセンター試験が終わったが、受験生はいかがであっただろうか。出来不出来はあっただろうが結果は結果。ここは気持ちを切り替えて、私立試験に向けて勉強して欲しい。


 1月も後半に入った。もう大学に行くのも5回もないだろう。1月が終われば、研修や引越しやあれやこれやで動き回らなければならない。長かったと思われていた4年間は、やっぱりあっという間に過ぎていった。時間というのは残酷なもので、待ってもくれないし、戻ってもくれない。良いことも悪いことも、すべて自分の中に積もっていく。
 4年前の春の大阪駅。私は今はなき夜行列車「日本海」を待っていた。初めての一人暮らし、そして東北の彼方へ。後ろ髪を引かれる思い。私が見えなくなるまで家族は手を振ってくれた。そして家族が見えなくなり、私は一人、泣いた。それは今でも鮮明に覚えている。あれが私のスタートであった。
 都会で生まれ育ち、地方での生活が始まる。やはり、「都会」と「地方」の違いは明らかであった。人間性の違いや会話の少なさ、刺激のなさは私にとっては耐え難いものであった。長期休暇が近づけば私は早く大阪に帰りたいという気持ちになる。帰ってきた時、バスを降りた瞬間に聞こえてくる都会の騒音が私に落ち着きを与えてくれるのだ。
 大阪に帰ってきた時、いろいろな人に会う。そして私が青森の大学に通っているというと、「向こうの人はみんな優しいよね」と言う。私はどこの人も優しいと思う。大阪の人は冷たいとも思わない。むしろ大阪の人は活気があって元気がある。そして、「ご飯も美味しいでしょ」と言う。それぞれの特徴はあるが、大阪のご飯も美味しいと思う。
 大学は自由な時間がたくさんある。私は勉強とバイトで終わらせる大学生活はしたくないと常に思っていた。ぬるい環境に苛立ちを覚える時もあったし、それにどっぷり浸かっている自分にも嫌気がさした時もある。剣道4段取得を終え、一つの目標が達成され、何も目指すものがないときに、海外に一人旅に出た。今思えばちょうどいい時期に行ったのかもしれない。そこから私は何か変わったし、やらなければならないことも見つかった。
 いつもお世話になっている高校の友達によく言われる。「あんたは東京の方が向いてると思うで」。私は今まで20数年生きてきたが、何を大切にして、何をモットーにして、何を心に秘めて今まで生きてきたか。私は「上」にいきたい。人の上に立ちたいのだ。人には負けたくないんだ。そう思って今まで生きてきた。「上」とは社会的地位ではない。もっと違う意味だ。東京は勝負させてくれる場所だ。青森ではなかなか勝負させてくれる場所ではなかったし、張り合う相手もいなかった。だからボランティアでもなんでも出来たと思う。東京だったら他の誰かがやっていたに決まっている。私はこの「上」を目指し続けようと思う。これが私の生き方だからだ。もちろんそういう生き方は敵が増えるのは分かっている。10の成功を得ようと思えば、-10というリスクを背負わなければならない。リスクが嫌ならば、マイナスのない0を選べばいい。しかし、得られるものもない。私の恩師が言っていた。真ん中は通るな、と。1番になれ。2番はダメだ。2番になるんだったら最下位になれ、と。真ん中はいいかもしれない。批判も中傷されることもない。安全圏といわれる場所だ。そういう生き方もありだ。しかし、私は嫌だ。1番を目指す。これを死ぬまで貫き通す。なぜそういう生き方をするのかと尋ねられたらこう答えよう。「かっこいいから」。

2013年1月18日金曜日

受験シーズン

 明日からの連休はセンター試験である。受験生の今の心境はいかがだろうか。「準備万端いつでもきやがれ」、という受験生もいれば、「ヤバイヤバイヤバすぎる」という受験生もいるかもしれない。とにもかくにも、ここまでくるとあとは自分を信じるだけだ。
 1月中旬過ぎから本格的な受験シーズンとなる。地方の大学へ受けに行く人は、宿泊場所を確保したりと勉強以外にも気を使うのが面倒だ。しかし、勉強以外にもこういうところもしなければならない。私の浪人時代の友人も、2週間ほど東京のホテルの滞在していたのを思い出す。
 センター試験は、受験の中で大きな壁の一つである。国公立大学を受験する人は、このセンター試験の結果次第で大きな影響を及ぼす。足切があるところは結果が悪ければ、受験することさえも許されない。また、私立大学のセンター利用にも影響が出る。だいたい私立のセンター利用は教科が少ないので、みんな高得点を取ってくる。早慶上智、MARCH、関関同立ならば、9割前後は必要になるのではないか。うーん、難しい。
 センター試験を受験したあと、次の日の新聞に問題と答えが掲載されるので、それで答え合わせをする。私も答え合わせをした。一問一問に重みがあるのがわかる。私はため息ばかりであったが。
 うまくいく人もいれば、うまくいかない人もいる。うまくいった人はそれだけ努力をしたということだろう。それではうまくいかなかった人はそれだけ努力をしていなかったということだろうか。そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。私不合格になった場合、こう考えるようにしている。“落ちたということは行くなということ”。今回の就職活動でもそうだが、結果収まるところに収まった。私は就職活動中はいつもこう自分に言い聞かせていた。“嵐の中でビッグウェーブを待て”と。
 受験もそうだが人生において、実力や才能だけでは勝ち進めないところもある。何かしらの運も必要だと思う。しかし、それは実力や才能があってのこと。奇跡を起こせるのも実力があってのこと。困ったときの神頼みは通用しない。ひたむきに日々努力を積み重ね、ひたすら合格を夢見た人にそれはやってくる。
 ついに明日は決戦の時。私が実習に行った高校の生徒たちも受験すると思う。「とける↑とける↑うかる↑うかる↑できる↑できる↑」と自分に言い聞かせて、わからない問題があればこっそり隣の人の答えを見て(笑)、試験官が「やめ」というまであきらめないで。絶対にあきらめないで。そして受験シーズンはまだまだ続く。最後の最後までやり抜いて欲しい。遠くから見守ることしかできないが、応援している。

すべての“自分”を正当化する力

 就職内定率大卒75%、2年連続上昇とニュースで出ているのを見た。しかし、まだ内定を得ていない学生は10万5500人いると推計される。少しずつ状況が良くなっているとはいえ、脱「氷河期」はなお遠い。就活生が失敗により、自殺したのが4年連続で増加している。2011年の10~20代の自殺者は3926人で、そのうち就活による自殺者は150人である。
 何度かこのブログでも書いているが、2008年6月、秋葉原の路上で無差別殺人事件が起こったのを覚えているだろうか。逮捕された容疑者は20代の派遣社員の男性。彼が語った動機は、「社会への絶望と怒り」。それを象徴するかのように、犯行前に彼はインターネット掲示板に身勝手な感情を書き連ねていた。
 そんな悲惨な事件から数年たったころ、私はとある何の変哲もない恋愛ドラマを見ていた。その主人公に対し、ある人が言った、「後悔する人間はどんな答えを選んでも後悔する」というセリフに私は衝撃を受けた。
 ここ最近まで、激動の環境の中に身をおいていた。その環境の不満と後悔に押しつぶされそうになっていた。大学選択から始まり、部活やその他の活動、そして自分自身に対して。だが、この言葉は驚くほどに心のわだかまり消し去り、前を向かせてくれた。
 “自己肯定力”。私がそのセリフを通して考えた言葉だ。もちろん自分におごるという意味ではない。最も大切なのは、身体的な問題や自身ががこれまで行ってきた選択を全てポジティブな形で肯定すること。そして何より、そこに自信を見いだすことだ。小さな自信の積み重ねが、後の大きな成功への原動力となる。
 秋葉原の事件を引き起こしたのは、「勝ち組はみんな死んでしまえ」という非常に強い社会への劣等感。未曾有の金融危機に伴った景気悪化によって、第二のロストジェネレーション世代が生まれるのは間違いない。そんな状況の中、彼のような感情を持つ人が増えるのは必然とも言える。だが、そんな時代だからこそ自分を正当化しよう。過去の自分の全てを受け入れ、“今”を本気で突っ走ることができる人間になるために。なぜなら、これからの世界を回すのは、周囲があきれるほどの、“アホなくらいプラス思考な人間”なのかもしれないのだから。

2013年1月17日木曜日

もっと先へ

 昨日大学のゼミの授業に行き、その後部室に置物をしていたので、それを取りに行ったのだ。その置物は竹刀だけと思っていたのだが、防具も置いてあった。持って帰ったつもりになっていたのだ。危ない危ない。その日は荷物を持っていたので、また来週出直すことにする。



 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」(徳川家康)。どんなに辛く、くじけそうでも、先に広がる景色を求めて一歩ずつ進んでいく。荷物が重ければ重いほど、先に持つ景色の美しさは格別になるのかもしれない。
 大学に入学し、就職活動を終え、卒業を間近に控えた今、ふとそんなことを考えていた。読めば読むほど当然なこと。しかし、今の私にとってはとても大切な言葉になる。
 剣道サークルの部長、ボランティア団体設立、教育実習、就職活動などと、今思えば素晴らしい思い出となっているが、圧し掛かる責任から何度逃げ出したくなったことだろう。それでも、ただがむしゃらに目の前の壁を乗り越えようとしてきた。しかし、周りの人達は失敗ばかりの自分を尻目に難なく仕事をこなしたり、結果を出したりしていく。「なんで自分だけが・・・・・」。うまくいかない現実に卑屈になったこともある。
 「お前の頑張りはよくわかっているよ」。困難な時、毎度毎度友人の言葉にハッとさせられた。今まで我慢してきた想いが一筋、頬を伝うのを感じた。今の私を必要としてくれたのはいつもそばにいた仲間たち。立ち止まりそうになった時、諦めそうになった時、常に手を差し伸べてくれた。自分ひとりでここまで歩き続けることはとてもできなかっただろう。一つ一つの出会いに支えられてきた大学生活だったと今更ながら思える。
 今まで私を導いてくれた仲間たち一人ひとりにたった一言「ありがとう」と。心の底から思えた時、視野が開けた気がする。これから先、圧し掛かる荷物の重さに耐えられなくなったとしても一人じゃない。遠き道の向こうに待つ景色を求め続ける限り、支えてくれる仲間がいる。彼らへの感謝の気持ちを胸に。もっと先へ歩いていこう。

2013年1月16日水曜日

友人が無地に帰国

 オーストラリアのケアンズにホームステイをしに行っていた友人が帰国した。何よりもうれしいのは無事に日本に帰ってきたことである。最近、飛行機の不祥事が多発しているので余計に敏感に気にしていた。まだ詳しい話は聞いていないので、今度会った時に詳しく話を聞きたい。
 一人で知らないところに行く時、心境としては複雑な気持ちになる。友達と一緒のどこかへ行くのであれば、その心境は「楽しみ」が大部分であろう。しかし、一人となればそうはいかない。もちろん楽しみの気持ちはある。しかし、そこに恐怖心であったり、不安、緊張が含まれてくる。おそらく楽しみよりもそちらの方が大きいだろう。それが一人旅の醍醐味であり、重要なところだ。行ってみて初めてわかることがほとんどだ。今の自分に何ができて何ができないのか。それがはっきりわかる。そして、現地の人との出会いもたくさんある。誰かと一緒に行けばついついその人との話に夢中になってしまい、現地の人との出会いも少なくなってしまう。英語がほとんど話せなくても、なんとかなる。どうにか工夫して伝えようとする。私の恩師の言葉を借りれば、サバイバルイングリッシュだ。どうにかして単語と単語を繋ぎ繋いで伝える。それもまたおもしろい。言語なんてその土地、地域で使われているものなので、そこから抜け出せば何の役にも立たない。もしそういう状況に置かれた時、何とかしてコミュニケーションを取ろうとする。それで心が通じ合えたら。その時は最高に嬉しいだろう。
 異国では、日本の常識は全く通用しない。日本では電車に乗れば、寝ている人を沢山見ることができる。しかし、異国ではそうはいかない。モノを全部取られてしまうところもある。命を落とす場合もあるかもしれない。日本の電車で寝ている人がいるということは、それだけ日本の治安がいいということだ。私もアメリカに行った時、ワシントンD.C.からニューヨークへ、そしてニューヨークからワシントンD.C.に移動するとき、アムトラックという鉄道を利用したが、DCからNYに行く時はアメリカに到着したばかりで時差ボケもあったかもしれないが眠たくなり、ついつい眠ってしまった。そしてNYからDCに戻るとき、朝4時に起きたのだが睡眠時間が4時間ほどしかなく、アムトラックのチケットを買うのにも時間がかかり、私が乗ろうとしていたアムトラックが発車寸前で、チケットを売っていた人が、「急げ!!」と言ったので、走って、ギリギリ滑り込みセーフであった。そして睡眠時間が少なかったので、また車内で眠ってしまったのだ。今思うとゾッとする。
 今回旅に出た友人は本当に色々なことを経験できたと思う。今まで生きてきた中で最も充実した1週間だっただろう。「世界は広い」ことを実感したのではないだろうか。そして様々な人と出会い、異文化を経験し、あらゆるものが刺激となって楽しめただろう。助けてくれた場面もあったであろう。日本人とは違う感覚だなと感じたこともあっただろう。結局その友人も、遊びに行ったのではなく、英語の勉強をしに行ったのでもなく、オーストラリアの「人」を見に行ったのである。

2013年1月15日火曜日

東京に勝る大阪を発見

 青森も相変わらず雪だが、今全国的に天気が悪いみたいだ。先程ニュースで東京の様子が映っていたが、東京も雪が積もっている。怪我をした人は600人を超えるらしい。雪でスリップしている車であったり、立ち往生している車があった。東京も雪があまり降らないので、雪用のタイヤではないので、積もった雪の中を走るのは少々無理がある。危ない。大きな事故がないことを願う。

 卒業論文を作成している最中なのだが、資料が膨大で、現時点でレポート用紙が45枚である。このままいけば確実に50枚を超えてしまう。とりあえず全てを完成させてから、不要なところを削っていくことにする。
 その論文を作成しているのが都市に関係することを調べているのだが、主に東京とニューヨークである。そしてついでに大阪などもついでに調べてもたのだが、これもなかなかおもしろい。人口の多さからいえばダントツ東京なのだが、繁華街面積からいえば大阪のミナミ(難波)が日本一広い繁華街のだ。そしてその次が大阪のキタ(梅田)である。これを聞くと嬉しい。大阪でも東京に勝るところがあるのだ。そして高層ビル数も日本一多いエリアは大阪のキタである。東京はさまざまなエリアに繁華街が存在する。丸の内、銀座、渋谷、新宿、池袋、表参道、六本木、秋葉原、浅草、お台場、品川、汐留などなど。行く場所がたくさんあるので、「今日はどこへ行こうか」となればいくつか選択肢はあるが、大阪はキタかミナミかになってしまう。もちろんほかにもあるのだが。どうでもいい話だが、大阪にも東京に勝っているところがあるということが言いたかったのである(笑)。もちろんニューヨークには東京も大阪も遠く及ばないのだが。


 ブログを続けているのだが、過去に同じようなことを投稿したことがある場合があると思う。もちろん覚えているときはその都度了承を得るようにはしているが、時には初めての内容だと思って投稿したのが、過去のブログでもうすでに投稿していたということもあるかもしれない。そのときは、「また同じ内容かよ」ということになってしまうが、許していただきたい。ちゃんとブログ内を整理しないといけないのだが、ただひたすら書き綴っているので・・・。一度読み返す必要がある。人から聞いた話は覚えているが、自分が話をしたことは忘れてしまうという悪い癖を直さなければ。

2013年1月14日月曜日

成人式

 今日は成人の日である。成人の人はこの日を境に大人になる日である。もちろん私もこの日を通過してきた。しかし、私は成人の日は何もしなかった。成人式には参加していない。3年前、私は青森の部屋で寝ていた。住民票が青森にあったので、成人式に参加するのであれば青森での参加になる。たとえ大阪に住民票があったとしても私は行かなかっただろう。わざわざ青森から大阪に帰るのも面倒であったし、この成人式をそこまで重要視していない。
 以前にもこのブログで成人式について書いたことがある。重複してしまうこともあるが許していただきたい。成人式というのは一種の通過儀礼だ。この日を境に子供から大人になるのだ。日本ではこの通過儀礼が成人式になる。外国では様々なやり方で成人式を迎えている。中には命を掛けなければならないほどのところもある。ここまでいけば強制的なところも出てくるかもしれないが、気持ちが子供から大人になればいいと私は考えている。
 私は成人式には参加してないが、一大人としての心は持っているつもりだ。その日を境に、という具体的な日にちはないが、大人としての自覚はある。成人式に参加したか参加していないかでみてみても、なんら変わりはない。つまり私にって成人式はどうでもいい存在である。私が思うに、通過儀礼というよりも、旧友との再会、飲み会を楽しみ、晴れ着姿を様々な人に見てもらいたいというところに重点が置かれているように思う。もちろんそれも成人式の醍醐味の一つなので、そういうところも楽しんでほしいと思うが。日本では、大人になるかならないかというのは気持ちの問題ということである。
 一体どれだけの人がしあわせになれるのだろうか。ある意味、二十というのは人生で一番いい時期かもしれない。二十というのはなんでもできそうな気がする。自分だけは年をとらないような気がする。自分だけは怪我しないような気がする。自分だけは長生きするような気がする。一番面白い時期、だから魅力がある。男性も女性も、人生はこの二十から始まるような気がする。この時期に何をするかで、向こう十年はっきり差がつくと考えている。だから私はこの時期にしかできないことがある、今やっといたほうがいいことがあると何回も言うのだ。やった奴とやらなかった奴の人間的魅力の差はっきりするだろう。毎年毎年テレビで成人式の様子を見る。美しい衣装に身を包んだ女性たち、そしてかっこいい男性たちが並ぶ。いったいこの中で何人の人がしあわせになれるのだろう。みんなしあわせになれたらいいね。テレビの前に座っている私は毎年そう思っている。

2013年1月12日土曜日

子供に対するマナー

 青森はすごい雪である。やんだと思ったらまたすぐに降ってくる。これの繰り返しだ。外に行きたくても行く気が失せてしまう。しかし、そろそろ買い物に行かなくては。



 今まで何回かあるのだが、夜行バスに小さな子供を連れてバスに乗る親がいる。私はこれは良くないと考える。ある親はその小さな子供を、椅子では横になって寝れないので、足元に横になって寝かせているのを見た。床に子供を寝かせているのである。もし事故や急ブレーキを踏んだときにどうなるのかこの親は考えたことはないのだろうかと心配になってしまう。どうしてそんな危ないことができようか。
 また違うケースでは、バスが走行中に子供が泣き出してしまうのだ。しかも永遠と泣き続けるのである。その子供にしたら何か不満があったのか、何か怖かったのかはわからない。しかし、あれだけ泣くと寝るに寝れないのだ。周りの乗客に迷惑がかかってしまう。子供はいつ何が起こるかわからない。急にトイレに行きたくなる場合もある。気分が悪くなる場合もある。私が乗っていた夜行バスにはトイレはついていない。そう考えれば小さな子供をバスに乗せようとは思わない。子供が一番かわいそうである。
 これは夜行バスではないのだが、居酒屋に子供を連れてくる家族がいる。居酒屋というのは文字通りお酒を飲むところである。なぜこんなところに子供を連れてくるのだろうか。ご飯を食べるだけの人もいるし、子供のために早く帰るからこの場合は悪くないという人がいる。そしてお店側は、子供たちが来た時に何かプレゼントや贈り物を用意しているのでお店側の人たちのことも考えろという人もいる。私はどの意見も断固として反対だ。私は子供の頃、家族でそんなところに一度も連れて行ってもらったことがない。これが当たり前だ。先日、大阪に帰った時に高校の友人と会った時もこの話をした。その友人も私と同意見である。居酒屋は子供が来るところではないのである。店側としても、「子供連れの方はご遠慮下さい」と表に張り紙してもいいくらいだ。ご飯を食べるだけならファミリーレストランを利用すればいい。子供がいるから早く帰るとか、それは次元が違い過ぎる。親は自分のことばかりを考える。それに振り回される子供がかわいそうだ。時代が進むにつれて、何でもかんでも考え方が甘くなる傾向が見られる。親が子供にしてきたことは、その子供が大人になったとき同じことをする。もっと真剣に自分の子供のことを考えるべきではないだろうか。

2013年1月11日金曜日

振り返る就職活動

 先程、一年を費やした就職活動を振り返っていたので、その報告をしておきたい。
 まず受験した企業の数だが、約50社で説明会のみの参加となれば60社を超える。そして移動にかかった交通費は約40万円弱くらいだ。50万円を超えるかもしれないと思っていたが、そこまではいかなかったのでとりあえず一安心である。移動距離も調べてみた。青森から東京は約700kmなので、それに行った回数をかけてみると、46,900kmとなり、地球1周はだいたい4万kmなので、軽く地球を1周している。地球もそんなに広くはないな、と感じた瞬間であった(笑)。いやいや、地球はもっと広いぞ!!とにかくこれが私の就活の足跡である。

 就活では様々な試験をこなしてきた。エントリーシート、SPI2、一般常識問題、適性検査、グループディスカッション、集団面接、個人面接、などなど。最終的には面接で決めるところが多いが、面接でも様々な面接官がいて、様々な質問がある。
 10月中旬、ある企業の最終面接でのこと。面接官が4人いて私一人。最初の方から威圧的な態度をとってきて、私はこれに呆れ果ててしまった。今までどんな企業、職種を受けてきたかと質問してくるので、私は様々な企業、職種を受けてきていたのでそれを正直に伝えると、「受かればどこでもいいって感じだなー」。私(そんなわけねーだろ!!っていうか、この時期になっていろんな企業受けてないやつとかおらんし!!)。また、私は履歴書の趣味の欄に、「剣道」、「読書」、「一人旅」と書いていたのだが、そのことについて質問された。というかイチャもんだった。「君は読書とか一人旅とか一人でいるのが好きみたいだな。働くっていうのはいろんな人と関わりやコミュニケーションを取らないといけないのだが、それはわかっているか」。私、(そんなこと誰だってわかっとるわい!!一人でする仕事なんてあるか!!しかも何で「読書」「一人旅」で一人でいるのが好きって決めつけられなあかんねん!!それはお前の勝手な思い込みやんけ!!)。と思ったが、私はこう答えた。「剣道もあります」。すると面接官は、「いや、剣道は置いといてさ」。私、(なんでやねん(笑)!!ちゃんと考慮に入れろや!!)。この企業はこっちから願い下げだと思った。まあ、そんなことをしなくても予想通り不合格だったのだが(笑)。
 また、違う企業でのこと。私がある部屋で待たされているとき、もう一人選考に来る方がいらっしゃるみたいで、その人を待っていたのだ。しばらくするとその人が来て女性だった。私は癖なのかいつも相手が誰であろうと服装、身だしなみをチェックしてしまうのだ。上から順に見ていくと至って普通のパンツスーツであったが足元を見てみると、何と白い靴下ではないか!!私、(なんで(笑)!!)。なぜあえて白い靴下を履いてくるのだろうか。黒でいいじゃないか黒で!!
 違う企業でのこと。ここは物流の企業で、選考は幾つか進んで、その日は先行の一つで一日体験ツアーというものであった。ドライバーの横に乗り、東京都内をぐるぐる回りながら重い荷物を運んだり、持って行ったりする内容であった。私はその日、朝4時半に起きて準備をし、その日のためにゴム手袋の用意もしたのだ。朝から夕方まで働かされた。交通費も食費も一切なし。その選考の結果、不合格!!私、(ふざけんなよ!!なんで朝から夕方まで働かせといて不合格やねん!それやったらただのタダ働きやんけ!!人の労力をただで使うなや!!交通費くらい出してくれてもええんちゃうんかボケ!!)。またその日、ドライバーに「ここは駐禁厳しいところなのでトラックに残ってください。僕が運んできますので」と言って私は助手席に残った。しばらくすると目の前の建物から中年の女性が現れ、いやおばさんが現れ、「ここに停めるなって何回言ったらわかるのよ!」。私、(いや知らんし!!というか、なんで怒られなあかんねん!!)。もう散々な一日であった(笑)。
 ここで述べたのはほんの一部である。まあ、今回述べたことが印象に残っていることなのだが、いろんな企業があるなとしみじみ思うのである。

2013年1月10日木曜日

私たちの高校時代

 年末、高校時代の友人(K)と久しぶりに会った。この友人とは長期休暇で大阪に戻った時に毎回会っている。彼は今、進路のことについて悩んでいて、私がアルバイトしている塾の先生と話がしたいというので、その日に私とその友人とでその先生に会いに行ったのだ。友人とその先生は一度面識があり、友人の弟がその先生にお世話になったことがあり、弟の保護者面談の時に話をしたことがあるという。なので会う数日前に先生に時間をとっていただけるか聞いてみると、「あー、K君か。いいよ。弟はあかんけど(笑)」と言ってくださったのだ。
 彼は高校教員を志望しており、去年大阪の教員採用試験を受験し、一次は通ったのだが、二次でだめだったらしい。今大学に通いながら地元の個人塾でアルバイトしていいる。今進路が決まっておらず、今年卒業するのか、もう一年留年するのか、または他にどこか働ける場所はないかをその先生に相談したのだ。今年、もう一度教員採用試験を受けると言っていた。私の意見としては彼に是非とも教員になって欲しいと思っている。彼は教師になるために生まれてきたといっても過言ではない。それくらい教師に向いていると思う。だが、教員採用試験の壁は厚い。そう簡単に乗り越えられる壁ではない。しかも高校教員である。難関中の難関だ。去年一次試験だけ通っただけでもすごいと思う。私は東京の一次でダメだったが(笑)。今年は一次試験免除ということで、二次試験を集中して勉強しなければならない。結局もう一年留年して、今年教員採用試験に合格できるようにする、という結論になった。「人間所属がなくなるとしんどいからな」と相談してくれた先生が言っていた。
 その日は主に高校時代の話になった。私は英語科で、彼は国語科で違う学科だったのだ。しかし、部活で一緒になり、そこから交流が始まった。剣道部だったのだが、指導者はおらず、一番経験豊富だったのが私で、私が指導する形であった。格技室で活動していて、しこに倉庫があり、そこを部室代わりに使っていた。格技室は私たちがやりたい放題に使っていた(笑)。私が家から使わななくなったラジカセを持ってきて、格技室のドアを開け、しかもほかの部活の生徒も格技室で活動しているのにも関わらず、大音量でガンガンに音楽を流していた。しかも長渕剛(笑)。誰も聞いてない!(笑)。というか迷惑!(笑)。そのラジカセは去年私が教育実習に行った時、まだ格技室の部室の中に大切に置かれていた(笑)。また、ダンボールが何個も置いてあり、その側面にいろいろ落書きをしたのだ。当時、U先生というのがいらっしゃり、私たちはその先生に敬意を評し、私たちの中で勝手にU組というのを結成した。そしてそのダンボールの「U組」と書いたのだ。全く意味がわからん(笑)。なんやねん、U組て!(笑)そしてそのダンボールも、U組も大切に保管されていた(笑)。私たちの足跡はまだ残っている!!もっと違うことで足跡残せや!!(笑)
 実に楽しい一日だった。

どんな仕事にも

 私は就職活動では様々なことを学ぶことができたが、その中で一つ書いておきたいことがある。
 私たちは小さい時から、「君たちには無限の可能性があるんだよ」と大人たちから教えられてきた。そして、みんなそれを信じて成長してきた。この“無限の可能性”って何だろう。就職活動をする場合、当たり前だが自分の興味のある企業を受ける。やってみたいこと、面白そうなところ、その他に自分の希望する条件を満たしてくれるところを選択する。しかし、活動を続けていくうちに気がつくのだ。進みたい道と、進む道は違うということを。
 就活でいくつもの企業から内定をもらう学生もいれば、一つももらえない学生もいる。いくつも内定をもらえる学生は自分が一番行きたい企業を選択する。しかし、内定をもらえない学生、またはやっとのことで内定をもらえた学生は選択肢が限られてくる。第一希望の企業、職種に進める学生というのは私は決して多くはないと思う。どうしても行きたくても、乗り越えられなかった壁が存在する。
 夏が終わり、秋からの就活は後半戦に入る。夏までに決まらなかった学生が残っているということだ。そして、私もその中の一人であった。説明会の会場や部屋にいると、周りを見渡してみる。中には暗そうな雰囲気が出ている学生であったり、集団面接の時には、面接官の質問にうまく答えることができず、「すみません」ばかり言う学生もいる。もちろんわざとではない。一生懸命に答えようとしているのは隣にいてもそれは伝わってくる。職種の中には外見で判断させられるところもあるかもしれない。自分ではどんなことをしても乗り越えられない、どうしようもない問題もある。受ける側としての意見は、こんなにも頑張っているんだよ、ここで一生懸命働きたいんだよ、ここで夢を叶えたいんだよ、だからここで働かせてください、だ。採用する側は、もちろんそれに答えたいとは思うが、どこかで何かしらの線引きをして合格者と不合格者を出さなければならない。こんなにも一生懸命にやっていても、不合格が突きつけられるのだ。
 今の社会にどんな人々がいるのかはわからないが、自分の働きたい場所で、自分のやりたい仕事をやっている人はどれくらいいるのだろうか。自分が思っていなかった場所で、やりたくない仕事を、辛い仕事をやっている人はどれくらいいるのだろうか。世の中に「勝ち組」と「負け組」がいるのだろうか。いたとしたら、負け組は負けたくて負けたわけではないと思う。勝ちたくても勝てなかった、乗り越えたたくても乗り越えられなかった、自分ではどうすることもできなかった問題があったんじゃないか。私たちは、「無限の可能性がある」という何の根拠もないことを教えられてきた。だが、今のこの世の中は、そんな風にはできていないのかもしれない。「無限の可能性」など存在しないと気付かされたとき、大人たちから聞いてきたことが嘘のように聞こえる。裏切られた気持ちになる。
 世の中、そんなに甘くないというのはこういうことなのかもしれない。世の中には表と裏がある。仕事にも表と裏がある。人間で言うならば動脈があれば静脈がある。表の仕事というのは見た目は華やかで、直接人と関わり、直接感謝の言葉をもらえる。しかし、それだけでは世の中はなり立たない。表からは見えないところで、一生懸命に汗水を垂らしている方々がいる。なかなか人から感謝の言葉をもらうことができないが、それでも懸命に働いている方がいる。
 みなさんは、新幹線の掃除をしている方々を知っているだろうか。最近話題になっている。話題になる以前、掃除をしている方々は自分たちがやっていることに自信がなかったという。「汚い人」という目で周りから見られていると感じていたのだという。しかしある日、一人のお客さんから「いつもありがとうございます」という言葉をもらったとき、ハッとしたそうだ。もっと自信を持っていいんだと。  
 もし、今、自分がやっていることに対して、楽しいと思えない、面白いと思えなかったら。それは本当に辛いことかもしれない。だが、ほんの少しだけ、視点を変えて見ることができたら。自分のやっていることに自信が持てるかもしれない。どんな人にだって筋書きのないドラマは存在している。言葉は不適切かもしれないが、「裏」と呼ばれている仕事にもっとスポットを当てるべきだと思う。もっともっと光を当てるべきだと思う。くだらないバラエティーの番組ばかりを放送するのではなく、ある人が、ある仕事が、どれほど美しいものなのかを。仕事に「裏」も「表」ない、「良い」も「悪い」もないということを。「勝ち組」も「負け組」もないということを。華のある仕事だけがやってみたい仕事であるのは悲しすぎる。今までスポットが当てられていなかった仕事にも、自信を持ってここで働きたい、と言える世の中になって欲しい。どんな仕事にも「夢」を見い出せたとき、大人たちが言っていた、「無限の可能性」が初めて存在するときではないだろうか。私はこの「無限の可能性」を信じている。

2013年1月9日水曜日

長渕剛から20歳前後の若者たちへ

 昨年10月下旬に、長渕剛の故郷・鹿児島で、地元FM局・エフエム鹿児島の開局20周年記念イベント「Tsuyoshi Nagabuchi Talk&Acoustic Live Real Voice 20」が、ライブハウスで行われた。400人の20歳前後の若者たちとトークをしたのだ。長渕剛から彼らに向けて発した言葉があるので、ここに記しておきたい。



 今しかない、今しかないと生きていくのが一番だと思う。
 一度っきゃない。
 人生もこの瞬間も一度しかない、やがて全てが終わってしまう。
 ただ、それだけのことだよ。
 そう思うと、この今を、思いっきり燃えかすになるぐらいまで、
 それこそ桜島の火山灰の如く灰になって、一日を灰になって終えてしまおう、
 そういう生き方を俺は選ぼうと思う。

 人生は永久じゃないよ、永遠に続かないよ。
 楽しいことも、そして悲しいことも永遠に続かない。
 若いって思っている今も、永遠に続かないよね。
 だからこそ、今、今、今、やるなら今しかねえって、
 そんな風に自分を鼓舞しながら、俺たちは生きていけたらいいと思う。

 若さの特権とは、いいか、裏付けのない自信、
 根拠のない自信こそが若さの特権だよ。

 負けても泣いても挫いても関係ない。
 自分が信じた道、何も迷わずに、ただただひた走ることで
 覚えることの方が大切だよ。
 勉強それもいい、体を鍛えること、それもいい。

 若さの特権とは裏付けのない自信、これを大事にすること。

 借りは返せ、受けた屈辱も返せ、
 殴られた痛みは、もっと返してやれ。
 一発殴られたら二発返してやれ。
 何が悪い。
 虐めれたら虐め返してやれ。
 何が悪い。

 自分にとって、自尊を傷つけられるようなことをされたら返してやればいい。
 腕力のない奴は違う方法で、無言の抵抗をしてやればいい。

 そして大事な人は、本当に心から愛し抜く。

 一番大事なのは覚悟。
 決めたら覚悟だよ。
 覚悟を決めて、そのまま生き抜いていくっていう覚悟。

 俺も、君たちがこれから出てくる社会にいるから追いかけてこいよ。
 今は、まだまだ現役で先頭を走るつもりでるけど、
 時としては力を貸して欲しい。

 だけどもいつか儚い命というものがくる。
 そしたら今度はお前達が先頭を走って手を差し伸べてくれ。

 迷わず俺はお前の手を握る、迷わず君の手を握る。
 そんなもんだろ?
 人間っていうのは。

「人のため」の前に

 内定が決まり、いつも東京で泊めてもらっている友人に連絡をした時、すぐに電話をくれたのだ。ちょうどその日の夜行バスで東京に行くことになっていたので、それじゃあ明日お祝いをしようと言ってくれたのだ。本当は私がいつも彼に迷惑をかけてしまっていたので、私が恩返しをしなければならないのだが、彼は「気にすんな」と快くお祝いをしてくれたのだ。本当に心から感謝である。
 行ったのは、水道橋駅にある東京ドームシティだ。そこで温泉に入り、ご飯を食べ、そしてもう一度温泉に入った。一年以上をかけた就活の疲れを癒すには最高であった。ちょうどクリスマスシーズンだったので、美しいイルミネーションを見ながらご飯を食べた。就職が決まって、こんなにも早くお祝いをしてくれるのは最高に嬉しい。素晴らしい友人を持ったと心から思う。今度は私が何か彼に恩返しをしようと考えている。今度東京に行くのは1月末か2月の初めになるだろう。内定が決まった企業の研修があるので、そこで何かしよう。


 今日は久しぶりに大学へ行き、ゼミの授業に出た。私のゼミで卒業論文を提出する学生は私を含めて2人である。そのもう一人の学生と図書館であったので、卒論はどうしたと聞くと、一応完成したのこと。そしてその論文を見せてもらった。さすがにレポート用紙50枚となると資料が分厚くなる。かなりの本を読み、資料をたくさん集めたという。私にとっては全く興味がない分野を研究していたので、書いていた内容はさっぱりわからなかった。まあ当たり前だが、かなり時間がかかるというので、それを聞いて少し焦りを感じた。私はまだ一文字も書いていない(笑)。いや、笑い事ではない!!全体の構想を練って、肉付け作業をしていくことにしよう。
 ゼミの授業では毎度お馴染みの教授の話をひたすら聞くというものであった。相変わらずだなー、と思いながら一応聞くふりだけはしていた。しかし、授業の後半で教授はなかなかいい話をする。もう卒業ということで、社会のことについて話をしていた。いつも教授は、「生き残らなければならない」と口を酸っぱくして言っている。あらゆる環境に臨機応変に対応していかなければならないのだと。世のため、人のために何かしたかったらその前にまずは自分、そして家族をしっかり支えなければならない。自分を犠牲にして世のため、人のためというのはそれは間違っているんだ、と教授は言う。なかなかいいことを言うではないか。私もそう思う。
 世のため、人のために生きるのが一番だと思う。しかし、自分を犠牲にしてまでやろうとは思わない。私はナイチンゲールではない。そんなすごい人はほとんどいないと思う。自分を犠牲にしてまで、人のために何かしてあげたい、というのはそれは私も間違っていると思う。それはただ、自分がやらなければならないこと、戦わなければならないこと、勝負しないといけないこと、から逃げているようにしか聞こえない。言い訳にしか聞こえない。
 人のために何かしたいのであれば、まずは自分の足元をしっかりと固めておく必要がある。自分のことはしっかりと自分で面倒を見なければならない。自分でたくさんのしあわせを掴まなければならない。たくさんのしあわせを掴んだら、初めてそのしあわせを分けてあげられる。だから、人生には戦わなければならない時がある。勝負しなければならない時がある。そこから逃げている人が、「人のため」というのは、ちょっと甘過ぎるんじゃないか。

2013年1月8日火曜日

合格祈願

 年始に初詣に行った。家の近所に大阪天満宮があり、さすがに三が日は人、ヒト、ひと、であった。帰りにおみくじを引いたのだが、私は「吉」であった。兄も「吉」。しかし、母は「凶」だった。母は悔しそうな顔をしていた(笑)。
 4日、母と京都に行った。京阪三条駅から歩いて平安神宮へ。お参りをし、そこでも母はおみくじを引きたいといい、「リベンジや!」と意気込んでいたのだが、引いたのはまたしても「凶」。私もこれにはビビった(笑)。その後、歩いて八坂神社へ。そこでも母はおみくじを引きたいと言う。何回も引いて意味があるのかと思ったが。しかし、「また凶が出たらどうしよう」と母が言うのだが、まあその時はその時だろう。引いたのは「末吉」だった。かろうじて3連続「凶」にはならなかった(笑)。


 大阪天満宮は学問の神様が祀られていて、受験などを控えている人はよくここを訪れる。去年、教育実習で担当したクラス、授業をしたクラスはみんな受験生だったので、受験がうまくいくようにとお願いをした。もう受験を終えている生徒もいるが、まだまだこれから本番の生徒も多い。1月中旬にはセンター試験もある。私立大学の一般入試もこれからがピークを迎える。私ができることはこれくらいしかない。勉強を教えることもできない。こうやって遠くからエールを送ることしかできないが、全員が第一志望の道に進んで欲しい。
 私は受験を2回経験しているので、この季節になるとあの頃のことをよく思い出す。試験日が近づけば、クラスの誰かが合格祈願のお菓子を配っていたり、物を落とすことにも敏感に反応していた。「今落としておけば、本番では落ない」と誰かが言っていたような。
 私は第一志望の道に今まで進んだことがない。区切りの春を迎える時、後ろめたい気持ちはあった。だが、いつもそんな自分に嫌気がさす。「せっかくここまで来たのだから」、「せっかくここに来たのだから」。このままではいけない自分を何度も殺してきた。だから今は胸を張って言える。「ここに来てよかった」、と。もし違う大学に進んでいたら、もっと違う人生を歩んでいたかもしれない。しかし、人生に「もし」など存在しない。
 涙で目の前が見えなくなり、大きな穴に叩き落とされてきた。今回の就職活動でもそう。いつも落とされて落とされて落とされた。悔しい、悲しい、苦しい、辛い、・・・・・。しかし、私は負けることはない。どんなことでも立ち向かおう。

「人間はなぜ落ちるのだ。」
「這い上がるため、だよ。」

友人が日本を出国

 私の大学の友人が、本日8日、オーストラリアのケアンズに向かって出国をした。私が大阪を出発する前日に、行ってくるとのメールが入った。もうそんな時期になったかと思った。この前話をしたときは確か11月であっただろうか。もうそんなに時間が経ったのか。準備をするのにはかなりの時間がかかった。しかし、やっとたどり着いた日だ。
 何度か私と話をしていたが、彼はホームステイを選んだ。私はホームステイはしたことがないのでわからないが、現地の方との生活ができるのがいい。私もやってみたい。オーストラリアは今は夏だ。荷物も少なくて済んだのではないだろうか。心おきなく楽しんできて欲しい。
 私もこの休みの間に、パスポートを申請しに行ってきた。今度は10年のものだ。春休みに大阪に帰った時に取りに行こうと思う。就職が決まり、研修が何度かあるので、学生時代の最後にもう一度海外一人旅をしたいのだが、行けるかまだわからない。研修や引越しなどとやらなければならないことが山ほどある。まだ、どこの配属になったかは決まっていないのだが。しかし、どうしても行きたい。行かないと気がすまない。
 もし行けたとしたらどこに行こうか。もう一度アメリカに行きたいと思っている。今回もこの前と同じ場所に行きたい。どうせなら違うところに行ったほうがいいのではとも考えたが、とうもその気にならない。去年の7月末に映画館に行ったのだが、本編が始まる前に宣伝が入るのはご存知だろう。そこで、“Discover America”のCMが入ったのだが、そのCMで流れている唄が最高によかったのだ。あとで調べてみたら、“Land of Dreams”という唄だ。アメリカの様々な場所や人々が映し出されるのだが、これを見るたびになんと素晴らしい国なのだと感動する。そのCM、唄と出会ってからアメリカが私を呼んでいるような気がするのだ。だからどうしても行きたい。

 友人のメールに対し、返信をしたのだが、最後にこう伝えた。私は旅に出る人にはこう言うようにしている。この一言がすべてを伝えていると思う。
 「恐れずに。でも、気をつけて。」

2013年、始まる

 遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年も何卒宜しくお願い致します。

 早くも2013年になった。今日青森に戻ってきたのだが、予想通り、雪がかなり積もっていた。スーツケースだったのだが、雪の上では転がらず、持ち上げて移動しなければならなかった。二日連続の夜行バスだったので疲れた。
 昨日の朝、東京に到着し、9時から11時までoazoにある丸善の本屋で時間をつぶした。そしてそこからこれもまた時間をつぶすために六本木ヒルズの映画館に行った。「007 スカイフォール」を観た。007シリーズは私が好きな映画の一つで、今回はかなり面白かった。6代目ボンド、ダニエル・クレイグになってからは0
07っぽくないと感じていたが、今回の作品で007になってきた。私が馴染みのある007といえば、5代目ボンド、ピアース・ブロスナンだ。これは任天堂64のゲームにも登場したから007といえば、このピアース・ブロスナンを思い浮かべる。しかし、今のボンドもかなりいい。私は気に入っている。もうす少しQの兵器が出て欲しいと思っている。
 その後、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンを歩き、東京駅に戻った。15時間も時間をつぶさなければならないのは一苦労である。映画を観るのはかなり時間をつぶせるのでこれはありがたい。青森行きのバスでは、乗客が私を入れて2人しかいなかった今までで最小記録である。これほど快適な車内はほかにないだろう。あまり眠れなかったのが残念だが。
 
 

 2013年が始まったが、大学生も数ヶ月で終わる。春からは社会人となる。大きな区切りの年となりそうだ。目標は、と聞かれたらスパッと答えられないが、今目の前にあることを一生懸命やるしかないだろう。新たな環境になれば慣れるまでに時間はかかるだろうし、様々なことに気を使ってしまうので、疲労、ストレスが溜まってしまうかもしれないが、体調管理はきちっととしておきたい。とにかく楽しい充実した一年になって欲しい。


画像の添付ができなくなっている。どうしたのだろうか。