2013年1月10日木曜日

どんな仕事にも

 私は就職活動では様々なことを学ぶことができたが、その中で一つ書いておきたいことがある。
 私たちは小さい時から、「君たちには無限の可能性があるんだよ」と大人たちから教えられてきた。そして、みんなそれを信じて成長してきた。この“無限の可能性”って何だろう。就職活動をする場合、当たり前だが自分の興味のある企業を受ける。やってみたいこと、面白そうなところ、その他に自分の希望する条件を満たしてくれるところを選択する。しかし、活動を続けていくうちに気がつくのだ。進みたい道と、進む道は違うということを。
 就活でいくつもの企業から内定をもらう学生もいれば、一つももらえない学生もいる。いくつも内定をもらえる学生は自分が一番行きたい企業を選択する。しかし、内定をもらえない学生、またはやっとのことで内定をもらえた学生は選択肢が限られてくる。第一希望の企業、職種に進める学生というのは私は決して多くはないと思う。どうしても行きたくても、乗り越えられなかった壁が存在する。
 夏が終わり、秋からの就活は後半戦に入る。夏までに決まらなかった学生が残っているということだ。そして、私もその中の一人であった。説明会の会場や部屋にいると、周りを見渡してみる。中には暗そうな雰囲気が出ている学生であったり、集団面接の時には、面接官の質問にうまく答えることができず、「すみません」ばかり言う学生もいる。もちろんわざとではない。一生懸命に答えようとしているのは隣にいてもそれは伝わってくる。職種の中には外見で判断させられるところもあるかもしれない。自分ではどんなことをしても乗り越えられない、どうしようもない問題もある。受ける側としての意見は、こんなにも頑張っているんだよ、ここで一生懸命働きたいんだよ、ここで夢を叶えたいんだよ、だからここで働かせてください、だ。採用する側は、もちろんそれに答えたいとは思うが、どこかで何かしらの線引きをして合格者と不合格者を出さなければならない。こんなにも一生懸命にやっていても、不合格が突きつけられるのだ。
 今の社会にどんな人々がいるのかはわからないが、自分の働きたい場所で、自分のやりたい仕事をやっている人はどれくらいいるのだろうか。自分が思っていなかった場所で、やりたくない仕事を、辛い仕事をやっている人はどれくらいいるのだろうか。世の中に「勝ち組」と「負け組」がいるのだろうか。いたとしたら、負け組は負けたくて負けたわけではないと思う。勝ちたくても勝てなかった、乗り越えたたくても乗り越えられなかった、自分ではどうすることもできなかった問題があったんじゃないか。私たちは、「無限の可能性がある」という何の根拠もないことを教えられてきた。だが、今のこの世の中は、そんな風にはできていないのかもしれない。「無限の可能性」など存在しないと気付かされたとき、大人たちから聞いてきたことが嘘のように聞こえる。裏切られた気持ちになる。
 世の中、そんなに甘くないというのはこういうことなのかもしれない。世の中には表と裏がある。仕事にも表と裏がある。人間で言うならば動脈があれば静脈がある。表の仕事というのは見た目は華やかで、直接人と関わり、直接感謝の言葉をもらえる。しかし、それだけでは世の中はなり立たない。表からは見えないところで、一生懸命に汗水を垂らしている方々がいる。なかなか人から感謝の言葉をもらうことができないが、それでも懸命に働いている方がいる。
 みなさんは、新幹線の掃除をしている方々を知っているだろうか。最近話題になっている。話題になる以前、掃除をしている方々は自分たちがやっていることに自信がなかったという。「汚い人」という目で周りから見られていると感じていたのだという。しかしある日、一人のお客さんから「いつもありがとうございます」という言葉をもらったとき、ハッとしたそうだ。もっと自信を持っていいんだと。  
 もし、今、自分がやっていることに対して、楽しいと思えない、面白いと思えなかったら。それは本当に辛いことかもしれない。だが、ほんの少しだけ、視点を変えて見ることができたら。自分のやっていることに自信が持てるかもしれない。どんな人にだって筋書きのないドラマは存在している。言葉は不適切かもしれないが、「裏」と呼ばれている仕事にもっとスポットを当てるべきだと思う。もっともっと光を当てるべきだと思う。くだらないバラエティーの番組ばかりを放送するのではなく、ある人が、ある仕事が、どれほど美しいものなのかを。仕事に「裏」も「表」ない、「良い」も「悪い」もないということを。「勝ち組」も「負け組」もないということを。華のある仕事だけがやってみたい仕事であるのは悲しすぎる。今までスポットが当てられていなかった仕事にも、自信を持ってここで働きたい、と言える世の中になって欲しい。どんな仕事にも「夢」を見い出せたとき、大人たちが言っていた、「無限の可能性」が初めて存在するときではないだろうか。私はこの「無限の可能性」を信じている。

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