2013年1月14日月曜日

成人式

 今日は成人の日である。成人の人はこの日を境に大人になる日である。もちろん私もこの日を通過してきた。しかし、私は成人の日は何もしなかった。成人式には参加していない。3年前、私は青森の部屋で寝ていた。住民票が青森にあったので、成人式に参加するのであれば青森での参加になる。たとえ大阪に住民票があったとしても私は行かなかっただろう。わざわざ青森から大阪に帰るのも面倒であったし、この成人式をそこまで重要視していない。
 以前にもこのブログで成人式について書いたことがある。重複してしまうこともあるが許していただきたい。成人式というのは一種の通過儀礼だ。この日を境に子供から大人になるのだ。日本ではこの通過儀礼が成人式になる。外国では様々なやり方で成人式を迎えている。中には命を掛けなければならないほどのところもある。ここまでいけば強制的なところも出てくるかもしれないが、気持ちが子供から大人になればいいと私は考えている。
 私は成人式には参加してないが、一大人としての心は持っているつもりだ。その日を境に、という具体的な日にちはないが、大人としての自覚はある。成人式に参加したか参加していないかでみてみても、なんら変わりはない。つまり私にって成人式はどうでもいい存在である。私が思うに、通過儀礼というよりも、旧友との再会、飲み会を楽しみ、晴れ着姿を様々な人に見てもらいたいというところに重点が置かれているように思う。もちろんそれも成人式の醍醐味の一つなので、そういうところも楽しんでほしいと思うが。日本では、大人になるかならないかというのは気持ちの問題ということである。
 一体どれだけの人がしあわせになれるのだろうか。ある意味、二十というのは人生で一番いい時期かもしれない。二十というのはなんでもできそうな気がする。自分だけは年をとらないような気がする。自分だけは怪我しないような気がする。自分だけは長生きするような気がする。一番面白い時期、だから魅力がある。男性も女性も、人生はこの二十から始まるような気がする。この時期に何をするかで、向こう十年はっきり差がつくと考えている。だから私はこの時期にしかできないことがある、今やっといたほうがいいことがあると何回も言うのだ。やった奴とやらなかった奴の人間的魅力の差はっきりするだろう。毎年毎年テレビで成人式の様子を見る。美しい衣装に身を包んだ女性たち、そしてかっこいい男性たちが並ぶ。いったいこの中で何人の人がしあわせになれるのだろう。みんなしあわせになれたらいいね。テレビの前に座っている私は毎年そう思っている。

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