2013年1月9日水曜日

「人のため」の前に

 内定が決まり、いつも東京で泊めてもらっている友人に連絡をした時、すぐに電話をくれたのだ。ちょうどその日の夜行バスで東京に行くことになっていたので、それじゃあ明日お祝いをしようと言ってくれたのだ。本当は私がいつも彼に迷惑をかけてしまっていたので、私が恩返しをしなければならないのだが、彼は「気にすんな」と快くお祝いをしてくれたのだ。本当に心から感謝である。
 行ったのは、水道橋駅にある東京ドームシティだ。そこで温泉に入り、ご飯を食べ、そしてもう一度温泉に入った。一年以上をかけた就活の疲れを癒すには最高であった。ちょうどクリスマスシーズンだったので、美しいイルミネーションを見ながらご飯を食べた。就職が決まって、こんなにも早くお祝いをしてくれるのは最高に嬉しい。素晴らしい友人を持ったと心から思う。今度は私が何か彼に恩返しをしようと考えている。今度東京に行くのは1月末か2月の初めになるだろう。内定が決まった企業の研修があるので、そこで何かしよう。


 今日は久しぶりに大学へ行き、ゼミの授業に出た。私のゼミで卒業論文を提出する学生は私を含めて2人である。そのもう一人の学生と図書館であったので、卒論はどうしたと聞くと、一応完成したのこと。そしてその論文を見せてもらった。さすがにレポート用紙50枚となると資料が分厚くなる。かなりの本を読み、資料をたくさん集めたという。私にとっては全く興味がない分野を研究していたので、書いていた内容はさっぱりわからなかった。まあ当たり前だが、かなり時間がかかるというので、それを聞いて少し焦りを感じた。私はまだ一文字も書いていない(笑)。いや、笑い事ではない!!全体の構想を練って、肉付け作業をしていくことにしよう。
 ゼミの授業では毎度お馴染みの教授の話をひたすら聞くというものであった。相変わらずだなー、と思いながら一応聞くふりだけはしていた。しかし、授業の後半で教授はなかなかいい話をする。もう卒業ということで、社会のことについて話をしていた。いつも教授は、「生き残らなければならない」と口を酸っぱくして言っている。あらゆる環境に臨機応変に対応していかなければならないのだと。世のため、人のために何かしたかったらその前にまずは自分、そして家族をしっかり支えなければならない。自分を犠牲にして世のため、人のためというのはそれは間違っているんだ、と教授は言う。なかなかいいことを言うではないか。私もそう思う。
 世のため、人のために生きるのが一番だと思う。しかし、自分を犠牲にしてまでやろうとは思わない。私はナイチンゲールではない。そんなすごい人はほとんどいないと思う。自分を犠牲にしてまで、人のために何かしてあげたい、というのはそれは私も間違っていると思う。それはただ、自分がやらなければならないこと、戦わなければならないこと、勝負しないといけないこと、から逃げているようにしか聞こえない。言い訳にしか聞こえない。
 人のために何かしたいのであれば、まずは自分の足元をしっかりと固めておく必要がある。自分のことはしっかりと自分で面倒を見なければならない。自分でたくさんのしあわせを掴まなければならない。たくさんのしあわせを掴んだら、初めてそのしあわせを分けてあげられる。だから、人生には戦わなければならない時がある。勝負しなければならない時がある。そこから逃げている人が、「人のため」というのは、ちょっと甘過ぎるんじゃないか。

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