2013年1月28日月曜日

オバマ大統領とホロコースト記念博物館

 成田空港では8cmの積雪があり、日本各地で大荒れのようだが、ここ青森は快晴であった。先週の金曜日と土曜日も大荒れという予報であったが、私の住んでいる周辺は晴れていた。明日は大学へ行こうと思っているので晴れて欲しい。
 


本日、オバマ大統領がFacebookで、ホロコースト記念博物館での画像をアップしていたので、ついつい「いいね」ボタンを押してしまった。何度もこの博物館は紹介しているが、この博物館はアメリカでは珍しく館内撮影禁止だったのだ。アメリカの博物館の素晴らしいところは撮影できるところだ。しかし、ここはダメだったので、ポストカードを私が撮影して、それをこのブログに添付した。まあ、今回も館内のほんの一部だが載せておきたい。そして、私が見たこの博物館をもう一度思い出したい。
 ここを訪れるためにアメリカに行ったようなものだ。整理券をゲットすべく列に並び、何枚整理券がいるのかかわいいお姉さん尋ねられると、なぜか「4枚ください」と言ってしまった。1枚でよかったのに。厳しい入場チェックのあと、やっとパスポートが手に入る。そのパスポートは、ホロコーストで命を落としたユダヤ人の身分証明書である。今日はその人物と共に回るというわけだ。
 ナチスが、ユダヤ人狩りの際に使った「目の色の判別板」や「鼻の計測器」などは、ここでしか見れないらしい。虐殺の展示階では、貨物列車が行く手を阻むように展示してある。この中を通らなければ次へと進めないのである。収容所へユダヤ人を運んだ貨物列車であることは一目瞭然である。私は霊感が強い方ではないが、館内全てに妖気が漂っているのがわかる。ある扉をくぐった瞬間、ものすごく何かを感じ、全身に悪寒が走ったのを今でも覚えている。鬼太郎なら、妖気アンテナがビンビンであろう。収容所に入る前に没収された、ナイフや眼鏡や入れ歯など様々なものが透明のプラスチックの柱の中に山積みされて展示されている。その数、膨大。アウシュビッツの門をくぐる。虐殺に使われた毒ガス(正確には農薬)の缶。シャワー室から焼却炉までの流れは、真っ白な模型で展示してある。
 SS(親衛隊)による人体実験のビデオなどは、子供にはショックの大きすぎるので、ちょうど井戸の中をのぞき込むように子供の背丈では見れないように展示してある。収容所が解放され、、多くの虐殺された遺体の処理映像など、注視に堪えない。ここに来た誰もが疲れるのであろう、椅子がある。他の人々も虚ろな目をして焦点が定まらない。それほど強烈なショックをこの博物館は我々に与えてくれる。
 最後の出口に繋がる通路の両側には、靴、クツ、くつの山である。すごい数である。ガラスで仕切られているのに凄いにおいである。最後まで我々の良心にショックを与え続ける博物館であった。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿