2013年4月21日日曜日

新しい生活

 久しぶりの投稿である。前回の投稿は2月で研修前であった。今は4月で季節は春となり、私は社会人となり、東京に住んでいる。この2ヶ月の間、様々なことがあったが、それはおいおい投稿していこうと思う。
 3月の最終週から2週間、社内研修があり、そして1週間店舗研修、そして1週間工場研修、そして明日月曜日からはとりあえずの本配属となり、私は横浜のとある百貨店で働くこととなった。慣れないことばかりなのでかなり大変であった。大変なのは仕事であり、生活面ではなんの心配もない。なのでそれは助かっている。大阪とも距離が近いので、気持ちとしては楽である。人が多いことにも戸惑うこともない。至って普通。電車の時間を気にしながら動くこともない。数分後にはまた次の電車が来る。やはり都会はいい。新たな生活が始まり、そう思うのである。


大学へ向かった最後の日の道
さて、2月からこの2ヶ月間は激動の2ヶ月であった。東京で研修を2週間ほどやり、一旦大阪へ戻り、そしてまた青森へ戻り、引越しをし東京で引越しの荷物を受け取り、、大阪へ戻り、教育実習で担当をした学年が卒業式であったのでそれに参加し、そのあとすぐにアメリカへ行き、大阪に戻ってきてすぐに東京にきた。そして社内研修が3月最終週から始まったということである。移動しまくりの2ヶ月であった。
 青森とお別れをしたのは3月3日である。青森の友人ともお別れの挨拶をし、青森をあとにした。ゆっくりと物思いにふけって4年間を振り返るのも良かったのだが、私はせわしなくあとにしたのだ。振り返ることよりも次のステージに向かいたかったのかもしれない。学生の最後の儀式として卒業式があったが、それにも参加していない。日程を合わせれば行けなくもなかったが、優先順位として卒業式は高くなかった。結果的に卒業式は日程には組まれなかった。しかし、大学でお世話になった教授の方々、事務局の方々、そして友人たちにはきちっと最後の挨拶をした。卒業式ではゆっくりと話ができないので。だから卒業式には出る必要がなかった。ある意味、これが私のやり方なのかもしれない。そして私らしいのかもしれない。
 卒業式は友人と会うのが最後かもしれないというが、そんなことはない。会いたいのであればどこにいようともいつでも会える。その気さえあれば。おそらく大学で出会った人ほとんどはもう2度と会わない人が多いだろう。それは中学を卒業しようとも、高校を卒業しようとも、大学を卒業しようとも同じことだ。それ以降も続く友人は数える程。悲しいことかもしれないが、そういうものだ。携帯電話に保存されている友人などのアドレスは多いが、使用されるアドレスは少ない。続く友人はお互いに尊敬し合い、刺激し合い、助け合い、笑い合えるからだ。気の合う奴とはこういうことをいうんじゃないか。
 
 

 とにもかくにも、まだ部屋が片付いていないので、それを早く片付けることにしよう。大学の時みたいに頻繁に投稿することは難しいかもしれないが、できるだけ投稿しようと思う。新たなスタートを切ったので、ブログ名も変えようかなと思う。今考え中。

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