先日、掃除をして部屋を整理していたら、新聞の気に入った記事を切り取って保管しているのだが、それが出てきてすこし読み返していた。これはとある百貨店のステーショナリーの宣伝の記事だ。海外へ一人で出た私にはこの気持ちがわかるような気がする。それをちょっと載せてみたい。
一筆男子。
ジェファソン記念館 |
学生時代、一人で初めて海外に出た。
無計画な旅に出発する前夜、母は丁寧におった紙幣を押し付けながら小さく言った。
「時々は便りをなさい」
心配をひた隠したその目が焼きついて、バンコクに到着するなり一通目を送った。「無事。暑い。」露店で買った絵葉書の埃を払いながら、短い言葉を並べた。二通目はデリーから。宿のクーラーは唸るだけで、汗でインクが滲んだ。涙と勘違いされないか気がかりだった。
その後は行く先々で好奇心に翻弄され、文字にできない日々が続いたが、欧州に辿り着くと急にペンが軽くなった。次第に小銭が惜しくなり、籍を置いた語学学校の食堂のナプキンに“フランス語は簡単”などと怪しい綴りで書いては、事務局で使い古しの封筒をもらって投函した。授業をさぼると、美術館の半券や秋色のマロニエの葉を同封した。
とうに予定を過ぎて家に戻ると、母は送ったものすべてを居間の壁にピンナップしていた。数はそれなりだが、文面はどれもおそまつ。なかには。「○」ひとつだけ、というものもある。息災を知らせたつもりだったのだが。
印刷のずれた絵葉書、お国柄漂う切手、謎めいた同封物が並んだ様子は、語学学校の水色の封筒が海のようでもあり、どこか世界地図のように見えた。母は心配の消え去った目を細めて、気ままな息子と見比べていた。
遥か年月が経った今頃になって、出る先々でまた一筆したためるようになった。ふとよぎるものを綴り、旨い店との遭遇をレポートする。その土地限定の切手を探しながら。
青春解雇が理由ではない。一方的な土産を面白がってくれる友が増えたのである。そして、どこにいてもペンを走らせたくなる、なんともいい道具を見つけてしまったからである。
とはいえ、二通に一通は手渡しにしようと思う。旧友の一人、母宛だけは。
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