2013年5月8日水曜日

ケチくさい人

新聞を配達してもらおうと考えている。現在テレビがない状態が続いているので、情報が入ってこない。これはなんとも恐ろしいことだ。情報社会で情報が入ってこないのは恐怖である。本当はテレビも欲しいのだが、そこまで手が回らない。それよりも新聞が欲しい。
 私はテレビをあまり見ない。現にテレビがない生活を送っている。なくても困らないことがわかる。テレビが好きな人は、いくつもの番組を録画しておいて、休日はその録画しておいた番組を見るという生活をしている人もいるが、私にはそれはありえない。とりあえず今世界で何が起こっているのかが知りたいのだ。
 働き始めて、お金のことを考える機会が多くなった。給料はいくらで、そのうちいくらが引かれて、手取りはいくらで、家賃はこれだけで、生活費はこれだけで、光熱費かこれだけで、食費がこれだけで、・・・・・などなど。自分の手元に残るお金はほとんどないことがわかる。一人暮らしをしているとそれはなおさらである。
 私の友人で東京に住んでいるのだが、この友人はこのブログで何度も登場している。就活で家に泊めてくれていた友人である。この友人とは何度も飲みに行ったり、遊んだりしている。彼も一人暮らしで、高卒で東京に出てきている。彼もやっぱりお金がたまらないらしい。
 お金がたまらないといっても、その友人はお金の使い方をよく知っていると思う。彼と飲みに行ったりすると必ず彼が多く出してくれる。「学生やからええよ」といつも言ってくれる。しかし、今私が社会人になって、お金のことについて考えてみると、彼のやっていることはなかなかできるものではない。
 私はおごってもらうのが好きではない。なんといったらいいのかわからないが、おごってもらった人の下になる気がするのだ。今日はおごるから、と言ってくれるときはその言葉に甘えるのだが、基本おごってもらうのは好きではない。しかし、おごるのは好きである。先ほど述べたことの逆になるし、何かしらの形でいつか自分に返ってくるのがわかるから好きである。中には私が多めに出そうとすると、断りはするが明らかに嬉しそうな様子を浮かべる奴がいるが、そういう奴には二度とおごったり多めに出したりはしない。というかそんな奴はさっさと縁を切る。
 ケチな奴も私は嫌いである。一円単位まできっちり計算しようとする人がいるが、あれは鬱陶しい。ちょっとくらい多く出したって大したことはない。これはお金を大切にいていないというわけではない。もちろん全額出せといっているわけでもない。お金の使い方が間違っているとは言えないが、よろしくないと思う。見ていてかっこわるいし、「ケチくさいやっちゃなー」と思う。何でもかんでもケチろうとする人は、結局お金がたまらない人だと思う。その場(人との交流の場での話)しのぎでお金を使わずに済んだだけであって、長い目で見れば逆効果ではないかと考える。まあ私もケチくさい人間にはなりたくないものだな。

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