2013年2月2日土曜日

『ブタがいた教室』

最終的には食べるという約束で飼い始めたブタのPちゃん。1年間育て、卒業の日が近づき、最終決断に迫られた6年2組の子どもたち。食べるのか、食べないのか。命とはなんなのか、命の重さとは。答えなど存在しないこの課題に必死に考え悩み、涙を流しながら議論し合ったこの作品『ブタがいた教室』。素晴らしい映画であった。
 実話をもとにした作品で、実際の映像も少し見たことがある。自分がもしその教室にいたらどういう答えを出すのか、考えてみても難しい問題である。私たち生き物は生きるためには食べなければならない。食べるためには生き物を殺さなければならない。命をいただいているのだ。私たちは毎日何かを食べているが、それはどこから来たものなのか。自分たちが育て、もはやクラスの仲間となったPちゃん。愛着を注いだPちゃんを食べれるのか。それとも一日でも長生きしてもらうのか。ブタはブタでもPちゃんは食べられなくて、どうしてほかのブタは食べられるのか。それは差別ではないのか。生き物の寿命を我々人間が勝手に左右していいものなのか。Pちゃんは食べられるために生まれてきたのか。クラスが責任をもって食肉センターに送るのか。他の学年に飼育を引き継いでもらうのは無責任ではないか。食べるのか、食べないのか、この選択をただ先延ばしにして答えを出すことから逃げているだけではないのか。議論は複雑で平行線をたどるのみ。
 悲しいことも、苦しいことも、辛いことも、いつかは答えを出さなくてはならない。命と向き合うのは簡単なことではない。いろんな答えがある。正解も間違いもない。たとえ残酷で苦しい答えが出たとしても、その答えを受け入れなければならない時もある。悩みに悩み、苦しみ、答えを出す。100人いたら100人が満足のいく答えはないかもしれない。たくさんの答えの中から一つの答えを導き出した。それが正しいのか間違っているのか、そんなことわからなくとも、その答えが一番の答えなんだと信じ、悲しみや苦しみを乗り越えていく。
 自分の考えを本気で意見し、ぶつかり合い、そこからなにか見つかるものがある。答えがなくとも、平行線をたどろうとも、答えのない問題を必死に考え、自分の答え、考えを持つ。「人それぞれだから」とそれを言えば話が終わってしまうこの時代。堅い話から話題をそらそうとするこの時代。たとえ自分の答えが残酷だったとしても、それが一番の答えだと信じ、周りに臆することなく、考えや思いを言う大切さを、私は子供たちから教えられたような気がする。

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