今日は大阪は晴れであった。といっても寒かったが。青森の天気予報を見てみると,雪のマークだ。吹雪いているらしい。丁度いい時に帰ってきた,という感じだ。
明日から,塾のバイトが始まる。そのための予習を昨日と今日とでしていた。小学生のほうは問題ないのだが,中学生の英語は,忘れているところもたくさんある。少し復習をすれば思い出すのだが,教え方がこれはまた難しい。自分の理解しているものをどうやってわかりやすく伝えるかが,一番の問題だ。私は毎回,どんなことを質問されても答えられるように,調べていくのだが,これでも足りないくらいだ。全く関係のないところからも質問してくる。関係ないからと言って,答えないわけにはいかない。生徒が感じている疑問に答えなければならない。なかなか大変なことだが,明日からの4日間,精一杯頑張りたい。
今日はクリスマスイブということで,街はにぎわっているが,私は今日ほとんど,部屋の中にいた。友達に頼まれていた買い物を渡しに行ったくらいだ。昨日は繁華街で遊んでいたので,今日は部屋にいようというlことだった。自転車のタイヤの空気を入れたのだが,パンクしているかもしれない。入れたのに,空気が抜けているような気がする。修理は春休み,大阪に帰ってきてからにしようと思う。
とりあえず今日はここまでとしよう。
日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2010年12月24日金曜日
2010年12月22日水曜日
西日本最大級の書店,オープン
昨日はあいにくの雨となった。本屋さんへ行き,2時間くらい立ち読みをしていた。本屋さんといえば,今日西日本最大級となる本屋が,梅田という繁華街にできるのだ。その立地場所が私がよく通るところなので,気楽に立ち寄ることができる。ない本はない,というくらいのもので,非常に楽しみだ。デジタル化が進み,本離れが進んでいるが,私はなんだかんだ言って,書物のほうが好ましい。しかし,書物とデジタルの相乗効果で多くの人が本と親しんでほしい。
久しぶりに帰ってきたので,新しい店ができていたり,萎ままあった店がつぶれていたりなどと,変化しているところがあるので,面白くもあり,寂しいところもある。ほしいものはたくさんあるのだが,なかなか手が出せない。私はいつもこちらに帰ってきて,買い物をするのだが,今回はそれがあまりできそうにない。来週からアルバイトが始まるので,そこでお金を貯めようと思う。
今感じていることなのだが,大阪でブログを書くとき,なぜかわからないがアイデアが浮かばないのだ。帰ってきてすぐなので,気持ちが緩んでいるせいかもしれないが,文章が続かない。自分が書きたいときに書けないからかもしれない。しかし,今日一日何をしたかだけでも十分だ。もう少ししたら文章が続くかもしれない。
久しぶりに帰ってきたので,新しい店ができていたり,萎ままあった店がつぶれていたりなどと,変化しているところがあるので,面白くもあり,寂しいところもある。ほしいものはたくさんあるのだが,なかなか手が出せない。私はいつもこちらに帰ってきて,買い物をするのだが,今回はそれがあまりできそうにない。来週からアルバイトが始まるので,そこでお金を貯めようと思う。
今感じていることなのだが,大阪でブログを書くとき,なぜかわからないがアイデアが浮かばないのだ。帰ってきてすぐなので,気持ちが緩んでいるせいかもしれないが,文章が続かない。自分が書きたいときに書けないからかもしれない。しかし,今日一日何をしたかだけでも十分だ。もう少ししたら文章が続くかもしれない。
2010年12月21日火曜日
帰ってきた大阪
大阪に帰ってきた。やはり故郷は居心地がいい。しばらく離れると,なおさらそう感じる。「おかえり」という感じだ。
やはり兄がパソコンを独占していたので,なかなかブログを書くことができなかった。申し訳ない。
久しぶりに家族とまともな話ができた。青森にいるときは電話やメールしかできないが,顔を見て話ができるというのはうれしいものだ。9月から帰ってくるまでの期間の話を中心に話が弾んだ。
帰ってきてからもかなり忙しかった。といってもほぼ遊ぶことにだが。帰ってくる途中には東京に寄ったり,神戸に行ったりと,日本を大移動している。移動ばかりしていると,遠く感じていたものが近くに感じられるようになった。東京なんてすぐそこだ。京都,神戸は私の庭みたいなものだ。
青森では衣類などあまり見るところがないので,こちらに帰ってきてからすぐに見に行った。それ以外にも雑貨など,ストレス発散代わりに見まくった。買いはしなかったが見るだけで十分だった。
青森では部屋で暖房をつけているので,部屋の中で寒いと感じることはほとんどないのだが,大阪の私の家では,朝の6時くらいから7時くらいの間しか暖房をつけないので,部屋の中は大阪のほうが寒いのだ。かなりおかしな話だ。寒いと感じる時間の長さは大阪のほうが長い。もちろん気温からいえば青森のほうが寒いが。大阪のほうが風邪をひきそうである。
青森では遊ぶところがあまりないので困っていたが,大阪では困ることはないのでそれだけでもうれしい。冬休みは短いので,存分に楽しみたい。
毎日ブログを書くのは難しいが,できるだけ書くようにしたい。
やはり兄がパソコンを独占していたので,なかなかブログを書くことができなかった。申し訳ない。
久しぶりに家族とまともな話ができた。青森にいるときは電話やメールしかできないが,顔を見て話ができるというのはうれしいものだ。9月から帰ってくるまでの期間の話を中心に話が弾んだ。
帰ってきてからもかなり忙しかった。といってもほぼ遊ぶことにだが。帰ってくる途中には東京に寄ったり,神戸に行ったりと,日本を大移動している。移動ばかりしていると,遠く感じていたものが近くに感じられるようになった。東京なんてすぐそこだ。京都,神戸は私の庭みたいなものだ。
青森では衣類などあまり見るところがないので,こちらに帰ってきてからすぐに見に行った。それ以外にも雑貨など,ストレス発散代わりに見まくった。買いはしなかったが見るだけで十分だった。
青森では部屋で暖房をつけているので,部屋の中で寒いと感じることはほとんどないのだが,大阪の私の家では,朝の6時くらいから7時くらいの間しか暖房をつけないので,部屋の中は大阪のほうが寒いのだ。かなりおかしな話だ。寒いと感じる時間の長さは大阪のほうが長い。もちろん気温からいえば青森のほうが寒いが。大阪のほうが風邪をひきそうである。
青森では遊ぶところがあまりないので困っていたが,大阪では困ることはないのでそれだけでもうれしい。冬休みは短いので,存分に楽しみたい。
毎日ブログを書くのは難しいが,できるだけ書くようにしたい。
2010年12月16日木曜日
明日、大阪に帰る日
とうとう明日、大阪に帰る日となった。つい先ほど、部屋の掃除など、帰る準備をしていたところだ。今日は全国的に、寒い日となったが、大阪は青森ほど寒くないだろう。19日の冬休みとなるが、この前このブログにも書いたように、充実した休みとなるだろう。
しかし、大阪に帰ることによって、問題が生じることがあるのだ。それはこのブログを書けるかどうかということだ。大阪の家にあるおパソコンは、一応家族のものだが、ほとんど私の兄が使っている。兄は今、大学院に通っているのだが、研究やなんやかんやで、毎日パソコンとにらみ合っている。なので私が書きたいときに書けない可能性が高い。これは困った。できるだけ、毎日書くようにしたいが、もしかしたら書けない日が多々あるかもしれない。その時は許していただきたい。
こちらの友人と、しばしの別れとなるので、寂しい気持ちになるが、また来年の1月、元気にここ青森に帰ってきたい。まだ授業が残っている友人もいるので、もう少し頑張ってもらいたい。
お土産に何がいいか、毎回考えるのだが、そろそろネタがつきそうだ。おそらくおなじみのお菓子関係になるような気がするが。
明日もこの前、東京に遊びに行った日と同じように、朝7時32分の新幹線に乗らなければならない。起きるのは5時過ぎだ。明日の用意ももう少しあるので、今日はこの辺にしておきたい。次にこのブログを書くときは大阪から書くことになるが、よろしくお付き合い願いたい。それでは。
しかし、大阪に帰ることによって、問題が生じることがあるのだ。それはこのブログを書けるかどうかということだ。大阪の家にあるおパソコンは、一応家族のものだが、ほとんど私の兄が使っている。兄は今、大学院に通っているのだが、研究やなんやかんやで、毎日パソコンとにらみ合っている。なので私が書きたいときに書けない可能性が高い。これは困った。できるだけ、毎日書くようにしたいが、もしかしたら書けない日が多々あるかもしれない。その時は許していただきたい。
こちらの友人と、しばしの別れとなるので、寂しい気持ちになるが、また来年の1月、元気にここ青森に帰ってきたい。まだ授業が残っている友人もいるので、もう少し頑張ってもらいたい。
お土産に何がいいか、毎回考えるのだが、そろそろネタがつきそうだ。おそらくおなじみのお菓子関係になるような気がするが。
明日もこの前、東京に遊びに行った日と同じように、朝7時32分の新幹線に乗らなければならない。起きるのは5時過ぎだ。明日の用意ももう少しあるので、今日はこの辺にしておきたい。次にこのブログを書くときは大阪から書くことになるが、よろしくお付き合い願いたい。それでは。
2010年12月15日水曜日
「楽」と「楽しい」
匿名さん、コメントありがとうございます。
私は暇な時より、忙しい時の方が好きです。
たくさんしなければならないことがあるのは、体力も使いますし、時には辛い時もあります。
しかしその方が、「充実」しているような気がします。
私は高校生の時、ある生徒が言っていました。「良い大学に行って、素敵な彼氏を見つけて、楽な人生を過ごしたい」と。
おそらくそう思っている人も多いかと思われます。
しかし私の人生観からい言えば、疑問に思います。
私は、「楽」な人生は、決して「楽しい」人生ではないと思っています。
「楽」と「楽しい」、どちらも同じ漢字を使っていますが、意味は正反対だと思っています。
「楽しい」とは、自ら寒風吹きすさぶ嵐の中に飛び込み、雷雨に打ち砕かれても、決してあきらめず、逃げず、立ち向かう。そして、いつしか太陽の光が差し込む。
人は曲がりくねった迷路の中で、「本当の自分」を見つけることができるんだと思います。
「楽」な人生ではそれは難しいことだと思っています。
人生に正解だとか間違いだとか、そういうものは存在しません。
これは私の個人的な意見です。
参考にしていただければ幸いです。
私は、私だけの「楽しい」人生を送りたいです。
昨日は忙しかったので、ブログを書くことができなかった。申し訳ない。
今日起きたら、雪がかなり積もっていた。せめて今週は積もってほしくなかったが、その願いはかなわなかったようだ。しかも寒い。今日の最高気温は0度に達しなかったそうだ。感覚が鈍くなり、鼻水が出ているのかどうかも分からなくなった。しかし、私は金曜日には、ここ青森に住んでいる方々には申し訳ないが、南へと逃亡するので、この寒さから逃げ出せる。そこはうれしい。その前に、逃げるための準備をしなければならない。明日荷物を詰めた段ボールを送らなければならないのだが、まだそれができていない。このブログを書き終わったらそれをしようと思う。急がなければ。もう12月も半分過ぎた。今年もあと少し。最高の年を迎えられるように、1日1日を最高の日になるよう、突っ走りたい。
それでは、荷物を段ボールに詰めよう(笑)。
私は暇な時より、忙しい時の方が好きです。
たくさんしなければならないことがあるのは、体力も使いますし、時には辛い時もあります。
しかしその方が、「充実」しているような気がします。
私は高校生の時、ある生徒が言っていました。「良い大学に行って、素敵な彼氏を見つけて、楽な人生を過ごしたい」と。
おそらくそう思っている人も多いかと思われます。
しかし私の人生観からい言えば、疑問に思います。
私は、「楽」な人生は、決して「楽しい」人生ではないと思っています。
「楽」と「楽しい」、どちらも同じ漢字を使っていますが、意味は正反対だと思っています。
「楽しい」とは、自ら寒風吹きすさぶ嵐の中に飛び込み、雷雨に打ち砕かれても、決してあきらめず、逃げず、立ち向かう。そして、いつしか太陽の光が差し込む。
人は曲がりくねった迷路の中で、「本当の自分」を見つけることができるんだと思います。
「楽」な人生ではそれは難しいことだと思っています。
人生に正解だとか間違いだとか、そういうものは存在しません。
これは私の個人的な意見です。
参考にしていただければ幸いです。
私は、私だけの「楽しい」人生を送りたいです。
昨日は忙しかったので、ブログを書くことができなかった。申し訳ない。
今日起きたら、雪がかなり積もっていた。せめて今週は積もってほしくなかったが、その願いはかなわなかったようだ。しかも寒い。今日の最高気温は0度に達しなかったそうだ。感覚が鈍くなり、鼻水が出ているのかどうかも分からなくなった。しかし、私は金曜日には、ここ青森に住んでいる方々には申し訳ないが、南へと逃亡するので、この寒さから逃げ出せる。そこはうれしい。その前に、逃げるための準備をしなければならない。明日荷物を詰めた段ボールを送らなければならないのだが、まだそれができていない。このブログを書き終わったらそれをしようと思う。急がなければ。もう12月も半分過ぎた。今年もあと少し。最高の年を迎えられるように、1日1日を最高の日になるよう、突っ走りたい。
それでは、荷物を段ボールに詰めよう(笑)。
2010年12月13日月曜日
雑談
今日は一日中曇りで、寒かった。部屋を片付けたが、ものが多すぎて、なかなか整理できない。冬休みが明けたらもう少しきれいにしたいと思っている。
冬休みといっても、かなり忙しい冬休みになりそうだ。バイトが入っているのもそうだが、それ以外にもやることがあsる。もちろん実家の大掃除がある。お墓参りもしなければならない。大阪の友達とも会わなければならない。年が明けたらすぐに青森に行かなければならないので、ほとんどゆっくりしている暇はない。私は暇よりも忙しい方が好きだが。冬休みも充実した休暇になりそうだ。
去年、大阪の友達と外でご飯を食べたのだが、忘年会シーズンで、人がたくさんいた。カラオケに行こうと思っても、人がたくさんで、1時間しか歌えなかった。これからのシ-ズンはとりあえず行事が多い。クリスマス、忘年会、新年会、追い出しコンパ、新入生歓迎コンパ、花見コンパなどなど。とりあえずお酒の席ばかりだ。お酒好きにはたまらないだろう。このシーズンのために生きているという感じの人も多いだろう。くれぐれも飲み過ぎには注意してもらいたいものだ。
今週の金曜日に、大阪に帰るのだが、途中にまた東京で遊ぶ予定だ。しかし今回は3時間くらいしか遊べない。この3時間でどこで遊んだらいいか迷っている。ついこの間いったばかりで、同じ所で遊んでもいいのだが、どうせなら違うといころへ行きたいものだ。といっても3時間しかない。東京の主要なところは見てきた。まだまだ見なければならないところはたくさんあるが。あと数日あるので、もう少し考えてみようと思う。
今日は雑談で終わってしまった。許していただきたい。
2010年12月12日日曜日
「約束」の重さ
今日もずっと部屋の中にいた。朝起きたら雪が積もっていた。雪が太陽の光に反射してかなり明るくなる。カーテンをしないで寝ているので、その明るさでいつも起きるのだ。今週はあまり晴れないという予報なので、少し残念だ。しかし今年最後の大学生活なので、頑張りたい。
「約束の本当の姿
約束は、個人間の契約というだけではない。約束として要求される言葉の裏側にあるものが、約束の本当の中身になるのだ。
たとえば、「明日、5時に会いましょう」という日常的な約束の場合でも、それは5時のビジネスライクな待ち合わせだけを意味していない。
二人の親密な関係、いたわりあい、信頼、これからも続く絆の確認、相手の気遣いなど、たくさんのものが約束されている。それは人間的な誓いとも言えるものだ。」
「待たせるのは不道徳
連絡もなしに人を待たせるのはよくない。マナーや約束の次元だけの問題ではない。待っている間にその人は、あれこれと良からぬ想像をめぐらせ、心配し、次には不快になり、だんだんと憤慨してくるものだ。
つまり、人を待たせるのは、何も使わずにその人を人間的に悪くさせてしまう不道徳きわまりない方法なのだ。」
『ニーチェの言葉』より
私は時間に関しては厳しい方だと思う。早め早めの行動を取ろうとする。なので部屋の時計も5分ないし10分早めている。私の様な早めの行動を取ろうとする人と、時間にルーズな人は言うことが全く変わってくるのだ。私は時間にルーズな人には、もっと早く用意、準備しとけよ、と言いたくなる。逆にルーズな人は私に、何でそんなに早く行くん、と言うのだ。私の兄は時間にルーズだ。一緒にどこかへ行くとき、私はいつも待たされる。例えば映画を観に行くとしよう。結果的には早めの人も、ルーズな人もその映画の上映時間に間に合う。しかし、行く途中で何か起きたらどうだろう。電車が何かの影響で遅れたら、バスが遅れたら、忘れものに気が付き取りに帰ってしまったら。これらのどれかに遭遇してしまったら、ルーズな人はその映画に間に合わないだろう。
なぜこのようなことを書いたかというと、最近私が待たされたり、約束の時間になっても待っている人が来ないということが多いように感じられたからだ。もちろん私も人を待たせてしまうことはある。しかしそれはできるだけ避けたいと思って行動している。5時に待ち合わせをする。これはどういうことを意味しているのか。5時にはもうその約束の場所にいなければならないのだ。5時1分でも5時1秒でも遅刻は遅刻だ。約束を破ったことになる。約束が守れないなら、最初からその約束をするべきでない。
上記に記した言葉は私にとって重要な言葉である。ある人は、ちょっとぐらいいいやんか、という人がいるだろう。しかしそれは私にとってはあり得ないことだ。人を裏切る行為だと思っている。小さな約束でも、それだけ重いものがあると信じている。
「約束の本当の姿
約束は、個人間の契約というだけではない。約束として要求される言葉の裏側にあるものが、約束の本当の中身になるのだ。
たとえば、「明日、5時に会いましょう」という日常的な約束の場合でも、それは5時のビジネスライクな待ち合わせだけを意味していない。
二人の親密な関係、いたわりあい、信頼、これからも続く絆の確認、相手の気遣いなど、たくさんのものが約束されている。それは人間的な誓いとも言えるものだ。」
「待たせるのは不道徳
連絡もなしに人を待たせるのはよくない。マナーや約束の次元だけの問題ではない。待っている間にその人は、あれこれと良からぬ想像をめぐらせ、心配し、次には不快になり、だんだんと憤慨してくるものだ。
つまり、人を待たせるのは、何も使わずにその人を人間的に悪くさせてしまう不道徳きわまりない方法なのだ。」
『ニーチェの言葉』より
私は時間に関しては厳しい方だと思う。早め早めの行動を取ろうとする。なので部屋の時計も5分ないし10分早めている。私の様な早めの行動を取ろうとする人と、時間にルーズな人は言うことが全く変わってくるのだ。私は時間にルーズな人には、もっと早く用意、準備しとけよ、と言いたくなる。逆にルーズな人は私に、何でそんなに早く行くん、と言うのだ。私の兄は時間にルーズだ。一緒にどこかへ行くとき、私はいつも待たされる。例えば映画を観に行くとしよう。結果的には早めの人も、ルーズな人もその映画の上映時間に間に合う。しかし、行く途中で何か起きたらどうだろう。電車が何かの影響で遅れたら、バスが遅れたら、忘れものに気が付き取りに帰ってしまったら。これらのどれかに遭遇してしまったら、ルーズな人はその映画に間に合わないだろう。
なぜこのようなことを書いたかというと、最近私が待たされたり、約束の時間になっても待っている人が来ないということが多いように感じられたからだ。もちろん私も人を待たせてしまうことはある。しかしそれはできるだけ避けたいと思って行動している。5時に待ち合わせをする。これはどういうことを意味しているのか。5時にはもうその約束の場所にいなければならないのだ。5時1分でも5時1秒でも遅刻は遅刻だ。約束を破ったことになる。約束が守れないなら、最初からその約束をするべきでない。
上記に記した言葉は私にとって重要な言葉である。ある人は、ちょっとぐらいいいやんか、という人がいるだろう。しかしそれは私にとってはあり得ないことだ。人を裏切る行為だと思っている。小さな約束でも、それだけ重いものがあると信じている。
お酒の味
今日は昨日の式典の疲れが残ってたのか、体があまり動かなかった。というのも昨日の式典ではお酒を飲んでいたのだ。最初は日本酒、その次はビールだ。周りの人からどんどん継いで下さるので、なかなか断れなかった。なかなかのお偉いさんばかりで、緊張のしまくりであった。これも社会勉強だ。
最近気が付いたのが、ビールの味が苦く感じなくなったことだ。子供の頃、少しだけ飲んだことがあったのだが、苦くて飲めたもんじゃなかった。良くもまぁこんな苦いもん飲んでるなぁ、とその時思っていた。大学生になり、酒を飲む機会が多くなったが、ビールが美味しく感じられるようになった。私は普段お酒を飲まないことにしている。サークルの飲み会でも最初に1杯くらいで、あとはウーロン茶だ。これでいつも3千円から3千5百円払っているので、かなり高いと感じているが、まぁ仕方がない。
私はチューハイは飲まないことにしている。安い酒は悪酔いするからだ。味がジュースなので次から次へと手が出てしまうのが怖い。私の母が以前に下宿のおばちゃんの送別の品として、下宿のおばちゃんに1本6800円するシャンパンを送ったのだ。私もそのおばちゃんと一緒にそのシャンパンを飲んでみた。初めてシャンパンを飲んだので、詳しくは語れないが、おいしかった。大阪に帰った時に、安いスパークリングワインを飲んでみたが、あまりおいしくなかった。ワインの果実の味とアルコールの味が分離して感じられるような気がした。やはり値段相応のものがある。またあのシャンパンが飲みたいと思い、大阪の百貨店でワインを探しに行った。同じものがありそれにしたかったが、値段が高い。セールのものにしようと思い、店員さんと相談をした。何本か味見をし、以前に飲んだものに続くようなものを見つけ、それにした。値段は5千円弱だ。それはまだ飲んでなく、私の部屋に置いてある。何かの機会に飲みたい。
明日の天気予報を見てみると、最高気温が2度と出ていた。そういえば昨日の式典から帰る途中、私は自転車でその式典に行ったのだが、水たまりに氷が張っていたのを思い出した。寒い。青森の冬は厳しい。外に出るのがおっくうになる。明日もおそらく部屋にいることになると思う。来週の金曜日に大阪に帰るので、そろそろ部屋を片付け、荷物を整理しなければならないので、明日それをしようかと思う。毎回その荷物を整理するとき、何を持って帰ればいいか迷うのだ。あれもこれもと思い、持って帰るのだが、結局いらないものが多くなってしまっているので、考えて整理したい。
最近気が付いたのが、ビールの味が苦く感じなくなったことだ。子供の頃、少しだけ飲んだことがあったのだが、苦くて飲めたもんじゃなかった。良くもまぁこんな苦いもん飲んでるなぁ、とその時思っていた。大学生になり、酒を飲む機会が多くなったが、ビールが美味しく感じられるようになった。私は普段お酒を飲まないことにしている。サークルの飲み会でも最初に1杯くらいで、あとはウーロン茶だ。これでいつも3千円から3千5百円払っているので、かなり高いと感じているが、まぁ仕方がない。
私はチューハイは飲まないことにしている。安い酒は悪酔いするからだ。味がジュースなので次から次へと手が出てしまうのが怖い。私の母が以前に下宿のおばちゃんの送別の品として、下宿のおばちゃんに1本6800円するシャンパンを送ったのだ。私もそのおばちゃんと一緒にそのシャンパンを飲んでみた。初めてシャンパンを飲んだので、詳しくは語れないが、おいしかった。大阪に帰った時に、安いスパークリングワインを飲んでみたが、あまりおいしくなかった。ワインの果実の味とアルコールの味が分離して感じられるような気がした。やはり値段相応のものがある。またあのシャンパンが飲みたいと思い、大阪の百貨店でワインを探しに行った。同じものがありそれにしたかったが、値段が高い。セールのものにしようと思い、店員さんと相談をした。何本か味見をし、以前に飲んだものに続くようなものを見つけ、それにした。値段は5千円弱だ。それはまだ飲んでなく、私の部屋に置いてある。何かの機会に飲みたい。
明日の天気予報を見てみると、最高気温が2度と出ていた。そういえば昨日の式典から帰る途中、私は自転車でその式典に行ったのだが、水たまりに氷が張っていたのを思い出した。寒い。青森の冬は厳しい。外に出るのがおっくうになる。明日もおそらく部屋にいることになると思う。来週の金曜日に大阪に帰るので、そろそろ部屋を片付け、荷物を整理しなければならないので、明日それをしようかと思う。毎回その荷物を整理するとき、何を持って帰ればいいか迷うのだ。あれもこれもと思い、持って帰るのだが、結局いらないものが多くなってしまっているので、考えて整理したい。
2010年12月10日金曜日
「私の青森駅」出版記念式典
今日はこのブログでも書いたが、私の作文が含まれた本の出版記念式典が開催された日だった。とあるホテルで行われたのだが、私にとってこのような行事は初めてだ。そのホテルに行って早々に、一言あいさつをしてほしいと言われたのだ。それなら前もって言ってくれよと言いたかったが、ちょっとしたあいさつぐらいなら大丈夫だと思い、引き受けた。式典が始まり、乾杯をした。豪華な食事があったが、挨拶をしてから食べようと思い、手をつけなかった。あいさつは無事終了し、他の受賞者の方やその他の方と少し話をし、食事をしようと思ったのだが、もうほとんどなくなっていた。半分も満足できない食事だったので、残念だった。その代わりに、様々な方と話をすることができた。この式典のためにわざわざ長崎から見えた方もいた。戦争中の青森駅の話も聞くことができた。新青森駅駅長とも話をすることができた。市長も来られていたが、話をすることができなかったので残念だったが。若い人が作品を書いてくれるのは、尚更うれしいとのことだった。私の作品を、額縁に入れてくれ、一生残るものを作ってくれた。本という形で、一人でも多くの人に読まれ、共感してくれたらな、と思う。私もまだすべて読んだわけではないが、心温まる作品ばかりだ。たった800字という中に、それぞれの思い出が詰まっている。このブログで、私の作品を載せようとも思ったが、ぜひとも本で読んでほしい。宣伝するわけではないが。この作品を通して、青森の発展に少しでも貢献できたらと思う。
写真に写っているのは市長です。
写真に写っているのは市長です。
派遣社員
もう完璧な冬となってしまったという感じだ。厳しい寒さが続く。しかし雪が降っていないだけましな方だ。去年はどうだっただろうか。私が冬休み、帰るときは積もっていた。去年大阪に帰ったのは、19日くらいだっただろうか、積雪で寝台列車が止まってしまった。どうしても帰らなければならない理由があったので、新幹線は動いていたので、とりあえず東京まで行って、そこで1泊した。あれから1年たったと思うと早いものだ。来週の金曜日までは積もらないでほしい。新幹線まで止まってしまっては困る。
先日、冬休みの大阪のバイト先から電話がかかってき、冬休みの4日間、バイトをすることになった。このブログでも書いたが、塾の講師である。小学生と中学校の英語を頼まれた。やりがいのある仕事なので、本当にうれしい。
私が初めてしたバイトは、派遣社員である。自分の仕事ができる日を教え、その前日に電話をし、仕事があるかどうかを確認するのだ。この仕事は正直、二度としたくない。人をゴミ扱いする。合計3回しかしていないのだが、これが限界だった。
まず1日目は、ある企業が入っていたオフィスの後片付けというものだった。オフィスといってもかなり大きい。簡単に、後片付けと書いたが、想像を超える残骸だらけの部屋なのだ。ガラスが割れていたり、壁がはがれおちていたり、釘がむき出し状態になっていたりしていた。かなりの肉体作業だ。しかも真夏だったので最悪だった。シャベルで残骸を台車みたいなものに乗せ、運んでいく。砂埃が舞い、窓を開けたかったが、オフィス街のど真ん中だったので、開けてはならないということだった。マスクを持っていなかったので、病気になるかと思った。作業をしているとき、地面からむき出しになっていた釘を踏んでしまい、靴を貫通し、足の裏に釘が刺さってしまった。途中で帰りたくなった。危険な作業なので長袖を着なければならなかった。その上から作業着を着ていたが、汗でその作業着までびちょびちょになっていた。そこのリーダーの人は、次から次へと指示を出し、少しは休ませてくれと言いたかった。最後にその残骸をトラックに移す作業をし、無事に終わることができた。
2日目、3日目は自動販売機を取り付けたり、交換したり、回収したりするものだった。この仕事は、トラックの助手席に乗り、あっちこっち回るものだった。これはあまり体力は使わないが、精神的にかなりきつかった。言い方がひどすぎる。初めてなのでわかるはずもないのに、指示を出す。21日で何度謝ったことか。殴りたくもなったが、そこは我慢した。トラックの運転中、タバコを吸うのでかなり不愉快だった。そのドライバーのトラックなので、何も言うことはできなかったが。地図を見ながら運転するので怖かった。仕事が終わったときは、いつもぐったりとなった。
二度としたくない仕事だったが、経験としては、かなりいいことをした。私の兄も一度、派遣社員をしたことがあった。兄はたった1日でやめたが。かなりきついとは兄から教えてもらっていた。それを聞いたら、たいていの人は違う仕事を探すかもしれないが、どれほどのものなのか、自分で体験してみたかった。自分がやらないとわからないからだ。やはりきつかったが(笑)。しかし今思えば楽しかったかもしれない。あれほどの仕事ができたのだから、たいていのことは我慢できるようになったはずだ。
先日、冬休みの大阪のバイト先から電話がかかってき、冬休みの4日間、バイトをすることになった。このブログでも書いたが、塾の講師である。小学生と中学校の英語を頼まれた。やりがいのある仕事なので、本当にうれしい。
私が初めてしたバイトは、派遣社員である。自分の仕事ができる日を教え、その前日に電話をし、仕事があるかどうかを確認するのだ。この仕事は正直、二度としたくない。人をゴミ扱いする。合計3回しかしていないのだが、これが限界だった。
まず1日目は、ある企業が入っていたオフィスの後片付けというものだった。オフィスといってもかなり大きい。簡単に、後片付けと書いたが、想像を超える残骸だらけの部屋なのだ。ガラスが割れていたり、壁がはがれおちていたり、釘がむき出し状態になっていたりしていた。かなりの肉体作業だ。しかも真夏だったので最悪だった。シャベルで残骸を台車みたいなものに乗せ、運んでいく。砂埃が舞い、窓を開けたかったが、オフィス街のど真ん中だったので、開けてはならないということだった。マスクを持っていなかったので、病気になるかと思った。作業をしているとき、地面からむき出しになっていた釘を踏んでしまい、靴を貫通し、足の裏に釘が刺さってしまった。途中で帰りたくなった。危険な作業なので長袖を着なければならなかった。その上から作業着を着ていたが、汗でその作業着までびちょびちょになっていた。そこのリーダーの人は、次から次へと指示を出し、少しは休ませてくれと言いたかった。最後にその残骸をトラックに移す作業をし、無事に終わることができた。
2日目、3日目は自動販売機を取り付けたり、交換したり、回収したりするものだった。この仕事は、トラックの助手席に乗り、あっちこっち回るものだった。これはあまり体力は使わないが、精神的にかなりきつかった。言い方がひどすぎる。初めてなのでわかるはずもないのに、指示を出す。21日で何度謝ったことか。殴りたくもなったが、そこは我慢した。トラックの運転中、タバコを吸うのでかなり不愉快だった。そのドライバーのトラックなので、何も言うことはできなかったが。地図を見ながら運転するので怖かった。仕事が終わったときは、いつもぐったりとなった。
二度としたくない仕事だったが、経験としては、かなりいいことをした。私の兄も一度、派遣社員をしたことがあった。兄はたった1日でやめたが。かなりきついとは兄から教えてもらっていた。それを聞いたら、たいていの人は違う仕事を探すかもしれないが、どれほどのものなのか、自分で体験してみたかった。自分がやらないとわからないからだ。やはりきつかったが(笑)。しかし今思えば楽しかったかもしれない。あれほどの仕事ができたのだから、たいていのことは我慢できるようになったはずだ。
2010年12月8日水曜日
市川海老蔵さん事件
今日も昨日に引き続き、寒い一日となった。12月も1週間過ぎ、あと10日で冬休みだ。集中講義というのがあるのだが、私は取っていないので、17日から冬休みだ。取っている人はもう少し先になるのだが。とりあえず冬休みまでカウントダウン開始だ。
今世間を騒がせている市川海老蔵さんについてだ。昨日の夜に、緊急記者会見に臨んだが、彼の左目が痛々しい限りであった。彼の反省の弁を聞いていると、あらゆる人に多大な迷惑をかけていて、申し訳ないという気持ちが伝わってくる。
今回の件で一番問題になっているのが、海老蔵さんが暴力団のリーダーと飲み、喧嘩になり、海老蔵さんがその暴力団のリーダーを殴ったかどうかということだ。今回の記者会見では、殴っていないと述べていたがこれには様々な意見がある。暴力団のリーダーによると、灰皿で二発殴られたと言っているうらしい。そのリーダーを診察した医者の写真まで新聞に載っていた。これを聞くと、海老蔵さんが述べていることとは正反対ということになる。真実が明かされるのは時間の問題であろう。
それにしても今回の事件で、私が疑問に思っていることは、なぜ暴力団のリーダーと酒を飲んでいたかということだ。この暴力団関係は芸能界には多い話だ。芸能界以外でも、まだ記憶に新しい、相撲界の野球賭博問題もそうだ。こういう話を聞くといつも思うことだ。暴力団とつながる理由とは一体何なのだろうか。金が絡んでくるのはおそらくあたっているだろう。しかし暴力団とつながっている、と聞くと誰もが距離を置いてしまうのは当然だろう。イメージダウンしてしまう。なのにどうして関わろうとするのか私には理解できない。そこまでしてお金がほしいのだろうか。
もう一つ聞いていて気分が悪くなるのが、酒の話だ。海老蔵さんもかなり酔っていて、その店に入るときはもう千鳥足になっていたという。この世で一番醜い、情けない人は「酔っ払い」だと思っている。酔っぱらうことが悪いと言っているわけではない。酒を飲むというのは楽しいことだ。話が弾み、気分が良くなる。しかし私が言いたいのは、限度というのを知るべきだと言いたいのだ。酔っぱらってもいい、どれだけ酒を飲んでもいい、しかし他人には絶対に迷惑をかけるな、と言いたい。一人で帰れなくなる、次の日は言ったことを忘れている、暴力をふるう、などと全く持って理解できない行動だ。それを大人がするのだから勘弁してほしい。酒を飲まないと本当のことが言えない人もいる。もちろん酒を飲んで、腹を割って話をすることも必要だ。しかし酒に頼り過ぎるのもどうかと思う。どうせ酒を飲むなら、楽しく酒を飲みたいものだ。私はまだ学生なので、今言っていることが通用するかもしれないが、社会に出ると、そうはいかなくなるかもしれないが私はこの気持ちを常に持ち続けたい。
海老蔵さんも人々に、感動を与える仕事をしている。今回の件で謹慎処分を受けたが、また舞台に戻って来て欲しい。そして生まれ変わった「市川海老蔵」を見せてほしい。
今世間を騒がせている市川海老蔵さんについてだ。昨日の夜に、緊急記者会見に臨んだが、彼の左目が痛々しい限りであった。彼の反省の弁を聞いていると、あらゆる人に多大な迷惑をかけていて、申し訳ないという気持ちが伝わってくる。
今回の件で一番問題になっているのが、海老蔵さんが暴力団のリーダーと飲み、喧嘩になり、海老蔵さんがその暴力団のリーダーを殴ったかどうかということだ。今回の記者会見では、殴っていないと述べていたがこれには様々な意見がある。暴力団のリーダーによると、灰皿で二発殴られたと言っているうらしい。そのリーダーを診察した医者の写真まで新聞に載っていた。これを聞くと、海老蔵さんが述べていることとは正反対ということになる。真実が明かされるのは時間の問題であろう。
それにしても今回の事件で、私が疑問に思っていることは、なぜ暴力団のリーダーと酒を飲んでいたかということだ。この暴力団関係は芸能界には多い話だ。芸能界以外でも、まだ記憶に新しい、相撲界の野球賭博問題もそうだ。こういう話を聞くといつも思うことだ。暴力団とつながる理由とは一体何なのだろうか。金が絡んでくるのはおそらくあたっているだろう。しかし暴力団とつながっている、と聞くと誰もが距離を置いてしまうのは当然だろう。イメージダウンしてしまう。なのにどうして関わろうとするのか私には理解できない。そこまでしてお金がほしいのだろうか。
もう一つ聞いていて気分が悪くなるのが、酒の話だ。海老蔵さんもかなり酔っていて、その店に入るときはもう千鳥足になっていたという。この世で一番醜い、情けない人は「酔っ払い」だと思っている。酔っぱらうことが悪いと言っているわけではない。酒を飲むというのは楽しいことだ。話が弾み、気分が良くなる。しかし私が言いたいのは、限度というのを知るべきだと言いたいのだ。酔っぱらってもいい、どれだけ酒を飲んでもいい、しかし他人には絶対に迷惑をかけるな、と言いたい。一人で帰れなくなる、次の日は言ったことを忘れている、暴力をふるう、などと全く持って理解できない行動だ。それを大人がするのだから勘弁してほしい。酒を飲まないと本当のことが言えない人もいる。もちろん酒を飲んで、腹を割って話をすることも必要だ。しかし酒に頼り過ぎるのもどうかと思う。どうせ酒を飲むなら、楽しく酒を飲みたいものだ。私はまだ学生なので、今言っていることが通用するかもしれないが、社会に出ると、そうはいかなくなるかもしれないが私はこの気持ちを常に持ち続けたい。
海老蔵さんも人々に、感動を与える仕事をしている。今回の件で謹慎処分を受けたが、また舞台に戻って来て欲しい。そして生まれ変わった「市川海老蔵」を見せてほしい。
東京の旅(2)
今日は雨となり、かなり寒い一日となった。最高気温が4度だったそうだ。明日は晴れるらしい。
今日は東京の旅の二日目のことを書きたい。ということは日曜日のことだ。土曜日に4時までゲームをし、起きたのが8時30分だ。準備をし、朝食を食べ、9時30分過ぎに出発した。どこに遊びに行くか、迷っていたが、どうせ行くんだったら言ったことがないところへ行こうと思い、まずは浅草に行くことにした。友達の家がある豊田から浅草まで約1時間で行くことができた。その間に何度も乗り換えをしたが。日曜日ということもあって多くの人でにぎわっていた。浅草はテレビで何度も見たことがあったが、生で見るのは初めてだ。浅草のトレードマークの雷門も見ることができた。浅草は下町ということで、他の街とはかなり違うところがあった。商店街も独特の雰囲気があり、面白かった。その商店街で、有名な天丼を食べ、次に秋葉原へ行くことにした。
16時の新幹線で青森に帰らなければならなかったので、その二つの街しか行くことができなかった。秋葉原も初めて訪ねるところだ。まずは友達がゲームソフトを買いたいと言い、ヨドバシカメラに入ろうとしたが、入口のところで「売り切れ」の紙が張り出されていて、「店にも入らしてくれへんのか」と残念そうな顔をしていた。その他の店にも回って見たが、どこもかしこも売り切れ状態であった。私は買い物などはなく、ただ単にその秋葉原という街を歩いて見たかった。やはりオタク文化が根付いている街だと感じた。ここも独特の風が吹いている。私はここを一人で歩くのは厳しいと感じた。もう一つ、ここ秋葉原を訪ねた理由が、このブログでも書いたが、以前起きた無差別殺傷事件の跡地を見たかったのだ。友達にどこで起きたか尋ね、この交差点で起きた、と教えてくれた。私はテレビでしかその現場を見ていなかったが、あの時の映像が流れた。歩行者天国は地獄となった。あの事件以来、秋葉原の歩行者天国は姿を見せていない。また復活する日が来るのだろうか。もしその日が来たら、本当の意味で、歩行者天国になってほしい。
そろそろ東京駅の方へ向かおうと、東京駅まで二駅だったので、歩いて向かうことにした。すぐに着くと思っていたが、結構時間がかかり、かなり疲れた。駅前の百貨店の喫茶店に入り、お茶を飲んだ。その後、お土産を買い、駅のホームに向かった。そこに向かうまでにまた時間がかかり、ギリギリであったが、無事新幹線に乗ることができた。
これが今回の東京の旅だ。かなり忙しい旅だったが、充実した旅だった。時間を惜しみなく使ったので、典型的な日本人の旅となってしまったが、本当に楽しかった。今回の旅に付き添ってくれた友達のF君に感謝の意を表したい。
今日は東京の旅の二日目のことを書きたい。ということは日曜日のことだ。土曜日に4時までゲームをし、起きたのが8時30分だ。準備をし、朝食を食べ、9時30分過ぎに出発した。どこに遊びに行くか、迷っていたが、どうせ行くんだったら言ったことがないところへ行こうと思い、まずは浅草に行くことにした。友達の家がある豊田から浅草まで約1時間で行くことができた。その間に何度も乗り換えをしたが。日曜日ということもあって多くの人でにぎわっていた。浅草はテレビで何度も見たことがあったが、生で見るのは初めてだ。浅草のトレードマークの雷門も見ることができた。浅草は下町ということで、他の街とはかなり違うところがあった。商店街も独特の雰囲気があり、面白かった。その商店街で、有名な天丼を食べ、次に秋葉原へ行くことにした。
16時の新幹線で青森に帰らなければならなかったので、その二つの街しか行くことができなかった。秋葉原も初めて訪ねるところだ。まずは友達がゲームソフトを買いたいと言い、ヨドバシカメラに入ろうとしたが、入口のところで「売り切れ」の紙が張り出されていて、「店にも入らしてくれへんのか」と残念そうな顔をしていた。その他の店にも回って見たが、どこもかしこも売り切れ状態であった。私は買い物などはなく、ただ単にその秋葉原という街を歩いて見たかった。やはりオタク文化が根付いている街だと感じた。ここも独特の風が吹いている。私はここを一人で歩くのは厳しいと感じた。もう一つ、ここ秋葉原を訪ねた理由が、このブログでも書いたが、以前起きた無差別殺傷事件の跡地を見たかったのだ。友達にどこで起きたか尋ね、この交差点で起きた、と教えてくれた。私はテレビでしかその現場を見ていなかったが、あの時の映像が流れた。歩行者天国は地獄となった。あの事件以来、秋葉原の歩行者天国は姿を見せていない。また復活する日が来るのだろうか。もしその日が来たら、本当の意味で、歩行者天国になってほしい。
そろそろ東京駅の方へ向かおうと、東京駅まで二駅だったので、歩いて向かうことにした。すぐに着くと思っていたが、結構時間がかかり、かなり疲れた。駅前の百貨店の喫茶店に入り、お茶を飲んだ。その後、お土産を買い、駅のホームに向かった。そこに向かうまでにまた時間がかかり、ギリギリであったが、無事新幹線に乗ることができた。
これが今回の東京の旅だ。かなり忙しい旅だったが、充実した旅だった。時間を惜しみなく使ったので、典型的な日本人の旅となってしまったが、本当に楽しかった。今回の旅に付き添ってくれた友達のF君に感謝の意を表したい。
2010年12月6日月曜日
東京の旅(1)
東京に行ってきた。昨日帰ってきたのだが、疲れて書けなかった。今日はこの二日間の旅について書きたい。
新青森駅に着いたのが、朝の7時過ぎであった。あいにくの雨だったが、予想通り多くの人でにぎわっていた。私はカメラに映ろうと、遠回りしたりなどと余計な事をしたが、映っていたかは疑問だ。しかしこの記念すべき日に、偶然入れたことが何よりもラッキーだ。
新幹線に乗り、東京に着いたのが11時15分くらいだった。強風のため、10分くらい遅れたが問題なかった。まずは自由が丘へ行った。青森は雨だったが、東京は晴天だった。自由が丘で買い物をし、次は代官山へ。そこでは私の趣味の一つのメガネを見に行った。そこで予想外のかなりの時間を食ってしまい、急いで次の店で買い物を済ませ、徒歩で渋谷へ戻り、地下鉄に乗って表参道へ行った。そこでも買い物をし、友達と会うために新橋へと向かった。4時に待ち合わせをしていたが余裕を持って到着する事が出来た。歩き回ったので脚のあちこちが痛かった。そして友達と合流し、一緒に遊んだ。友達の家に着いたのは23時30分くらいであった。友達の家は、豊田というところにある。風呂に入ったりして、御飯を食べたのが0時だ。御飯はその友達の手作りだ。シーフードカレーとスープとスパゲティだ。かなり豪華なメニューだ。友達はカレーは失敗だったと言っていたが、かなりおいしかった。スープも文句なしの出来栄えだった。私が今作れと言われたら何一つ作れない。そう思うとこれはかなりすごいことだと思った。私も何か作れるようにしなければ、と痛切に感じた。食事の後、ゲームをし、寝たのが4時であった。かなり充実した1日であった。
一番うれしかったことは友達の手料理を食べれたことだ。外食するという手もあったが、わざわざ前日に用意をしてくれていた。私も一人暮らしをしているが、食事は下宿のおばちゃんが作ってくれるので食事の心配をすることはない。だからご飯を作る苦労がわからない。その友達が言うには、一人になって初めて母親の偉大さがわかった、毎日ご飯を作るのを簡単そうに見えていたが、本当はかなり難しいことだった、と。私も経験する時が来るだろう。その時には、またこの友達と話が盛り上がるかもしれない。
明日は、東京の旅、二日目を書こうと思う。
新青森駅に着いたのが、朝の7時過ぎであった。あいにくの雨だったが、予想通り多くの人でにぎわっていた。私はカメラに映ろうと、遠回りしたりなどと余計な事をしたが、映っていたかは疑問だ。しかしこの記念すべき日に、偶然入れたことが何よりもラッキーだ。
新幹線に乗り、東京に着いたのが11時15分くらいだった。強風のため、10分くらい遅れたが問題なかった。まずは自由が丘へ行った。青森は雨だったが、東京は晴天だった。自由が丘で買い物をし、次は代官山へ。そこでは私の趣味の一つのメガネを見に行った。そこで予想外のかなりの時間を食ってしまい、急いで次の店で買い物を済ませ、徒歩で渋谷へ戻り、地下鉄に乗って表参道へ行った。そこでも買い物をし、友達と会うために新橋へと向かった。4時に待ち合わせをしていたが余裕を持って到着する事が出来た。歩き回ったので脚のあちこちが痛かった。そして友達と合流し、一緒に遊んだ。友達の家に着いたのは23時30分くらいであった。友達の家は、豊田というところにある。風呂に入ったりして、御飯を食べたのが0時だ。御飯はその友達の手作りだ。シーフードカレーとスープとスパゲティだ。かなり豪華なメニューだ。友達はカレーは失敗だったと言っていたが、かなりおいしかった。スープも文句なしの出来栄えだった。私が今作れと言われたら何一つ作れない。そう思うとこれはかなりすごいことだと思った。私も何か作れるようにしなければ、と痛切に感じた。食事の後、ゲームをし、寝たのが4時であった。かなり充実した1日であった。
一番うれしかったことは友達の手料理を食べれたことだ。外食するという手もあったが、わざわざ前日に用意をしてくれていた。私も一人暮らしをしているが、食事は下宿のおばちゃんが作ってくれるので食事の心配をすることはない。だからご飯を作る苦労がわからない。その友達が言うには、一人になって初めて母親の偉大さがわかった、毎日ご飯を作るのを簡単そうに見えていたが、本当はかなり難しいことだった、と。私も経験する時が来るだろう。その時には、またこの友達と話が盛り上がるかもしれない。
明日は、東京の旅、二日目を書こうと思う。
2010年12月3日金曜日
いよいよ明日は東京
久しぶりにコメントを書いていただいた。そのコメントの返事を書こうと思い、コメントのところに続いて書こうとしたが、なぜか書けないのだ。今までに何度かしてきたことが急にできなくなった。これはおかしい。少しパソコンが変になってしまった。なのでその返事はここで書きたいと思うが、許していただきたい。
Sさん、コメントありがとうございました。
何もしないより、何かをして傷跡を残した方がいいと私は思います。
生きた証しとして残ります。
そうですね。
私も探さなければなりません。
傷跡を残しましょう。
匿名さん、コメントありがとうございました。
先は長いように見えて、振り返ってみると、あっという間に時は過ぎています。
あの時、こうしておけばよかった、と後悔する前に、今できること、今しておきたいですね。
私も偉そうに言っていますが、なかなかできることではありません。
でもやろうという気持ちが大切です。
楽しく、頑張っていきましょう。
きょうはやはり、あいにくの雨であった。しかし、太陽が顔をのぞかせることもあった。晴れたり雨だったりと、忙しい天気であった。しかもかなり暖かかった。明日も雨で、寒くなるそうだ。
いよいよ明日は東京に行く日だ。やっとこの日がきた、という感じで居ても立っても居られない。青森は雨だが、東京は晴れということで、嬉しいこと限りなし。一泊二日という短い旅だが、思いっきり楽しみたい。やはり遊ぶ時には徹底的に遊ばなければ、時間がもったいない。中途半端はやらないに等しい。ということで明日、明後日はこの身が滅びるまで遊びたい。
明日は新青森駅開通ということで、カメラマンたちがたくさんいることだろう。もしかすると私もカメラ、テレビに映るかもしれない。いや、無理矢理でも映ってやろう(笑)。7時32分発の新幹線に乗る予定だ。そして東京に着く予定が11時8分だ。
私の姿を探してください。わからないと思いますが(笑)。
明日は早いのでここまでとしておこう。
Sさん、コメントありがとうございました。
何もしないより、何かをして傷跡を残した方がいいと私は思います。
生きた証しとして残ります。
そうですね。
私も探さなければなりません。
傷跡を残しましょう。
匿名さん、コメントありがとうございました。
先は長いように見えて、振り返ってみると、あっという間に時は過ぎています。
あの時、こうしておけばよかった、と後悔する前に、今できること、今しておきたいですね。
私も偉そうに言っていますが、なかなかできることではありません。
でもやろうという気持ちが大切です。
楽しく、頑張っていきましょう。
きょうはやはり、あいにくの雨であった。しかし、太陽が顔をのぞかせることもあった。晴れたり雨だったりと、忙しい天気であった。しかもかなり暖かかった。明日も雨で、寒くなるそうだ。
いよいよ明日は東京に行く日だ。やっとこの日がきた、という感じで居ても立っても居られない。青森は雨だが、東京は晴れということで、嬉しいこと限りなし。一泊二日という短い旅だが、思いっきり楽しみたい。やはり遊ぶ時には徹底的に遊ばなければ、時間がもったいない。中途半端はやらないに等しい。ということで明日、明後日はこの身が滅びるまで遊びたい。
明日は新青森駅開通ということで、カメラマンたちがたくさんいることだろう。もしかすると私もカメラ、テレビに映るかもしれない。いや、無理矢理でも映ってやろう(笑)。7時32分発の新幹線に乗る予定だ。そして東京に着く予定が11時8分だ。
私の姿を探してください。わからないと思いますが(笑)。
明日は早いのでここまでとしておこう。
2010年12月2日木曜日
iPadの魅力
今日も晴れて、しかも暖かな日となった。しかしこの天気も今日まで。明日は雨だそうだ。嫌だねー、嫌だねー。
今日は、東京に行ったときに、友達の家に泊めてもらうので、お菓子でも持って行ってあげようと思い、駅前で買い物をした。もともと箱に入ってあるものもあったのだが、自分で好きなのを選ぶことにした。選んだのはいいが、なかなかそれらに合う箱が無い。仕方がないので、少しお菓子の量を減らし、うまく入るようにした。今は東京に行くことで頭がいっぱいだ。
その帰りにある電気屋により、様々な品物を見ていたが、急にiPadのことを思い出し、一度手に取って見てみたいと思った。触って見ると、驚きの連発。すごい、としか言いようがない。まるでパソコンみたいだ。画面もきれい、持ち運びに便利、となかなかの優れものだ。私の周りで使っている人は見たことないが、これを持てば人気者になるだろう。画面に触れば反応するものが増えている。携帯でも最近それになっている。
ノートパソコンでは、厚さが何と2センチもないくらいのものまであった。すごいものばかりだ。時代は変わる、とよく言うが本当にその言葉通りだろう。こんなにコロコロと新製品が出てくるので、どのタイミングで手に入れたらよいのか分からなくなってくる。もう少し待てば、また新しいのが出るだろうと。いやそれにしても、iPadの魅力にやられてしまった。
最後にマッサージ機に座り、約30分間、マッサージしてもらった。久しぶりに体をほぐしてもらった。おそらく私の前を通った人は、「若いのに…」と心の中で笑っていたであろう。私も年をとってしまった(笑)。
今日は、東京に行ったときに、友達の家に泊めてもらうので、お菓子でも持って行ってあげようと思い、駅前で買い物をした。もともと箱に入ってあるものもあったのだが、自分で好きなのを選ぶことにした。選んだのはいいが、なかなかそれらに合う箱が無い。仕方がないので、少しお菓子の量を減らし、うまく入るようにした。今は東京に行くことで頭がいっぱいだ。
その帰りにある電気屋により、様々な品物を見ていたが、急にiPadのことを思い出し、一度手に取って見てみたいと思った。触って見ると、驚きの連発。すごい、としか言いようがない。まるでパソコンみたいだ。画面もきれい、持ち運びに便利、となかなかの優れものだ。私の周りで使っている人は見たことないが、これを持てば人気者になるだろう。画面に触れば反応するものが増えている。携帯でも最近それになっている。
ノートパソコンでは、厚さが何と2センチもないくらいのものまであった。すごいものばかりだ。時代は変わる、とよく言うが本当にその言葉通りだろう。こんなにコロコロと新製品が出てくるので、どのタイミングで手に入れたらよいのか分からなくなってくる。もう少し待てば、また新しいのが出るだろうと。いやそれにしても、iPadの魅力にやられてしまった。
最後にマッサージ機に座り、約30分間、マッサージしてもらった。久しぶりに体をほぐしてもらった。おそらく私の前を通った人は、「若いのに…」と心の中で笑っていたであろう。私も年をとってしまった(笑)。
何か残してみよう、傷跡として
今日から12月の始まりだ。天気が良くなり、青い空が広がった。寒かったが、気持ちよかった。今年最後の月だ。今年やらなければならないこと、きっちりとけじめをつけたい。
「こっちはめっちゃ楽しいで。」以前、浪人時代の友達に、久しぶりにメールをするとこんな返事が返ってきた。この言葉に私はなぜか、羨ましい、と心のどこかで感じていることに気が付いた。私は今の生活に満足していないのか。
大学に入る前には、あれもしたい、これもしたい、こんなことに挑戦してみよう、などと自分のあこがれのキャンパスライフを描いて、大学に入学した。しかしその時の気持ちと今の気持ちとでは、大きくかけ離れていた。気が付けば、毎日をなんとなく過ごしている。楽しくない、というわけじゃない。楽しいと言ったら楽しいのかもしれない。しかし何かが違う。何が違うというのだ。
私の理想のキャンパスライフは、自分というものの傷跡を残すということだ。それはどこでもいい。とにかく傷跡を残したい。今までの大学生活で、何か一つでも傷跡を残しているか。かすり傷一つない。つまり、私はここへきて何もしていないということだ。これはよう頑張った、自分でもほめてやりたい、そんなことはどれだけ探しても見当たらない。あの時の自分に申し訳なく思う。
自分でもこうなるとは思っていなかった。なぜこんな自分になったのか。第一志望校に入れなかったからか。それとも何かに不満を感じているのか。何かに不自由を感じているのか。はっきりとした答えは自分でもわからない。しかし友達のメールで目が覚めたような気がする。「いつまでそうやって過ごすつもりなんや」と。私の古い友達は今、世界へと飛び立ち、自分を大きくさせるために、理想の自分に近づくために、活躍している。時々、メールが入る。「アメリカへ留学します」「ベトナムに行ってきます」「フランスへ留学します」彼らがうらやましい。自分のやるべきことを見つけ、実行していく。私にはそれほど大きなことはできないかもしれない。しかし私にしかできないこともある。ほんの小さなことでもいい。それを見つけてみよう。この地に傷跡を残そう。生きている証として。それは今からでも遅くはないはずだ。
2010年11月30日火曜日
土方歳三
今日は昨日降った雪が残っていた。太陽の光が雪で反射してまぶしく見える。今日で11月も終わりとなる。明日からは12月。今年もあと1カ月だ。今年、最後まで楽しまなければ。
ついこの間の日曜日、大河ドラマ『龍馬伝』が最終回となった。私は見ていないが。坂本龍馬は日本を変えた重要な人物の一人だ。彼にしかできない仕事であった。私も彼のしたことには脱帽だ。しかしその坂本龍馬に敵対視していたのが、幕府側だ。
私は新鮮組に興味があり、以前から資料集を読んでみたり、司馬遼太郎著『燃えよ剣』を読んでみたりなどと自ら進んでよく新選組について調べたものだった。新選組と言ったらどのような印象を持つだろうか。おそらく今回の『龍馬伝』を見ていた人なら、なんてひどい奴らだ、龍馬に何をするんだ、などと良い印象を持たなかったはずだ。それもそのはずだ。当時最強の人斬り集団として、京都を巡回していた。有名なのは「池田屋事件」がそうだろう。当時、幕府に反するものは斬って斬って斬りまくっていた。
土方は局長の近藤勇が処刑されてから、死に場所を求めていた。鳥羽伏見の戦いから敗戦を続けて、最終的には榎本武揚とともに、函館新政府をつくった。最後は孤軍となった新選組を助けに向かっている途中で、敵の流れ弾に当たり戦死した。なぜ彼がそこまで戦うのか。おそらく、悪名としてまかり通っている新選組隊士の汚名返上のためだ。死んでいった彼らのためにも戦わなければならなかった。そして何よりも近藤勇の名誉挽回するためだ。自ら正しいと思った道を選び、そこに命を懸ける。たとえ時代が彼を選ばなかったとしても。
ついこの間の日曜日、大河ドラマ『龍馬伝』が最終回となった。私は見ていないが。坂本龍馬は日本を変えた重要な人物の一人だ。彼にしかできない仕事であった。私も彼のしたことには脱帽だ。しかしその坂本龍馬に敵対視していたのが、幕府側だ。
私は新鮮組に興味があり、以前から資料集を読んでみたり、司馬遼太郎著『燃えよ剣』を読んでみたりなどと自ら進んでよく新選組について調べたものだった。新選組と言ったらどのような印象を持つだろうか。おそらく今回の『龍馬伝』を見ていた人なら、なんてひどい奴らだ、龍馬に何をするんだ、などと良い印象を持たなかったはずだ。それもそのはずだ。当時最強の人斬り集団として、京都を巡回していた。有名なのは「池田屋事件」がそうだろう。当時、幕府に反するものは斬って斬って斬りまくっていた。
土方は局長の近藤勇が処刑されてから、死に場所を求めていた。鳥羽伏見の戦いから敗戦を続けて、最終的には榎本武揚とともに、函館新政府をつくった。最後は孤軍となった新選組を助けに向かっている途中で、敵の流れ弾に当たり戦死した。なぜ彼がそこまで戦うのか。おそらく、悪名としてまかり通っている新選組隊士の汚名返上のためだ。死んでいった彼らのためにも戦わなければならなかった。そして何よりも近藤勇の名誉挽回するためだ。自ら正しいと思った道を選び、そこに命を懸ける。たとえ時代が彼を選ばなかったとしても。
2010年11月29日月曜日
至上の幸福の元へと
今日は何と雪が積もってしまった。すぐに止むだろうと思っていたのだが、降り続き、10センチくらい積もってしまった。しかも11月というのにとんでもないくらい寒かった。今の気温は氷点下になっている。急に本格的な冬となってしまった。体調を崩さないようにしたい。
江戸城を舞台として繰り広げられる、壮絶な人間模様と愛憎劇描いたドラマ―「大奥」。徳川幕府の繁栄と波乱を、将軍の妻たちを通して描いた物語だ。豪華絢爛な着物を身にまとった奥方たち。彼女たちは殿の訪れを今か今かと待ちわび、同時に、ライバルの側室らと恋の火花を散らす。そんな彼女らにとっての“幸せ”。それは将軍から受ける寵愛だった。だが極端に言ってしまえば、「ただそれだけ」である。
ひとつ打ち明けよう。現代を生きる私がかつて、大奥の彼女らにひそかに同情心を寄せていたことを。「彼女たちは“カゴの中に入れられた鳥”でしかない」。「自由を失い、身を置く世界がすべてだと思い込んでいる」、というふうに。
大政奉還から140余年の歳月が経過した。女性が感じる幸せの形は今や、当時よりも確実に多様化の一途を辿っていると言える。恋愛、結婚、妊娠、そして趣味や仕事…。時代の変遷とともに獲得したものも数多く、挙げればキリがない。では選択肢が増えた現在、私たちは幸せを勝ち取っただろうか。満たされているだろうか。
私の答えは、はっきりと「ノー」だ。むしろ幸せの幅が広まったことで、何を得ても絶対的確信で「これが至上のもの」だと言えなくなった。空を掴むように、「物足りない、まだ欲しい」、そう感じるのである。大奥の彼女たちの方が、「よっぽど確実な幸せを手にしている」。そう気付いた。「それだけ」ではない。「それだけですでに十分」なのだ。
カゴの中に閉じ込められていたのは私自身だった。幸福とは無常だ。また世間のしがらみに縛られ、脆い。個々の感じる幸せは、他者によって見下されるべきではない。今こそ、目に見えない篭城から自らを解放する時がきた。大きく羽ばたけるだろうか。時代の潮流に呑まれず、私が求める至上の幸福の元へと。
江戸城を舞台として繰り広げられる、壮絶な人間模様と愛憎劇描いたドラマ―「大奥」。徳川幕府の繁栄と波乱を、将軍の妻たちを通して描いた物語だ。豪華絢爛な着物を身にまとった奥方たち。彼女たちは殿の訪れを今か今かと待ちわび、同時に、ライバルの側室らと恋の火花を散らす。そんな彼女らにとっての“幸せ”。それは将軍から受ける寵愛だった。だが極端に言ってしまえば、「ただそれだけ」である。
ひとつ打ち明けよう。現代を生きる私がかつて、大奥の彼女らにひそかに同情心を寄せていたことを。「彼女たちは“カゴの中に入れられた鳥”でしかない」。「自由を失い、身を置く世界がすべてだと思い込んでいる」、というふうに。
大政奉還から140余年の歳月が経過した。女性が感じる幸せの形は今や、当時よりも確実に多様化の一途を辿っていると言える。恋愛、結婚、妊娠、そして趣味や仕事…。時代の変遷とともに獲得したものも数多く、挙げればキリがない。では選択肢が増えた現在、私たちは幸せを勝ち取っただろうか。満たされているだろうか。
私の答えは、はっきりと「ノー」だ。むしろ幸せの幅が広まったことで、何を得ても絶対的確信で「これが至上のもの」だと言えなくなった。空を掴むように、「物足りない、まだ欲しい」、そう感じるのである。大奥の彼女たちの方が、「よっぽど確実な幸せを手にしている」。そう気付いた。「それだけ」ではない。「それだけですでに十分」なのだ。
カゴの中に閉じ込められていたのは私自身だった。幸福とは無常だ。また世間のしがらみに縛られ、脆い。個々の感じる幸せは、他者によって見下されるべきではない。今こそ、目に見えない篭城から自らを解放する時がきた。大きく羽ばたけるだろうか。時代の潮流に呑まれず、私が求める至上の幸福の元へと。
日記
今日はやはり朝から雨となり、どこへも行けなかった。朝9時に起き、毎週日曜日見ているニュース番組を見て、二度寝した。ちょうど12時くらいに配達に来た人のノックで目を覚ました。そこから行動を開始した。最近の休日の過ごし方というのは、このようなだらしない感じとなっているので何とかしたいものだ。
さて今週の水曜日から12月となる。もう11月も終わりである。本当に1年というのは早いものだ。ということは2年生もあと2カ月を切ったということになる。12月中旬に冬休となり、後は1月いっぱいで春休みとなる。うかうかしている暇などない、と焦りが出てくる。もっと1日1日を大切にしなければならない。
今週の土曜日には新青森駅が開通するという青森にとっては大きなイベントがある。私にも関係していることだが。やっとこの日が来たという感じだ。これで故郷大阪との距離が近くなる。
今日は申し訳ないがこの辺で休みたいと思う。このような日記みたいなものを書いても仕方が無いという気持ちもするが、書かないよりはいい。それでは明日、書こうと思う。
2010年11月28日日曜日
北朝鮮、砲撃
今日は午前中に掃除を済ませ、昼から買い物に出かけた。もうすぐ冬休みなので、大阪に帰るための切符も買った。本屋に行き、一時間半くらい時間をつぶした。ほしい本がまたまた見つからなかったので少し残念であった。雑誌を3冊買い、旅行に本など見たりした。晴れていたが寒かった。明日は雨なので、部屋にいるようになりそうだ。
今週、北朝鮮が韓国にミサイルを撃ち込んだニュースで持ちきりとなった。今北朝鮮と韓国は休戦状態である。つまりまだ朝鮮戦争は続いているのだ。この事実を知ったのは正確な時期は覚えていないが(小学校中学年くらいだったか)、かなり驚いたことは覚えている。中東問題などで紛争が起こっていることは何となくわかっていたが、まさかこんな近いところでまだ戦争が続いているとは思ってもいなかった。
いきなりの出来事で、最初このニュースを聞いたときは、本当に怖くなった。戦争が起こるんじゃないかと。もちろん戦争になれば韓国についているアメリカも介入し、日本も協力しなければならなくなる。民間人2人を含む計4人が犠牲となった。韓国国内では北朝鮮に対する批判であふれている。砲撃されたときに、韓国側も北朝鮮に対して反撃したのだが、その反撃は北朝鮮の半分以下だった。韓国政府に国民は、情けないと批判を浴びせている。これを見ているといつ戦争が起こっても不思議ではない状態だ。つい最近イラク戦争が終わったところで、今度は朝鮮戦争なのか。
韓国側としては怒るのは当然だ。しかし戦争をしてもよいのか。戦争に道などありはしない。罪のない人を何百人、何千人、何万人と殺すことにより、この問題が解決されるというのか。今まで戦争を繰り返してきたが、何かいいこと一つでもあったのか。あるのは悲しみだけだ。この緊張の中、注意して見守りたい。最悪の事態にならないことを祈るばかりだ。歴史は繰り返されるのか。
今週、北朝鮮が韓国にミサイルを撃ち込んだニュースで持ちきりとなった。今北朝鮮と韓国は休戦状態である。つまりまだ朝鮮戦争は続いているのだ。この事実を知ったのは正確な時期は覚えていないが(小学校中学年くらいだったか)、かなり驚いたことは覚えている。中東問題などで紛争が起こっていることは何となくわかっていたが、まさかこんな近いところでまだ戦争が続いているとは思ってもいなかった。
いきなりの出来事で、最初このニュースを聞いたときは、本当に怖くなった。戦争が起こるんじゃないかと。もちろん戦争になれば韓国についているアメリカも介入し、日本も協力しなければならなくなる。民間人2人を含む計4人が犠牲となった。韓国国内では北朝鮮に対する批判であふれている。砲撃されたときに、韓国側も北朝鮮に対して反撃したのだが、その反撃は北朝鮮の半分以下だった。韓国政府に国民は、情けないと批判を浴びせている。これを見ているといつ戦争が起こっても不思議ではない状態だ。つい最近イラク戦争が終わったところで、今度は朝鮮戦争なのか。
韓国側としては怒るのは当然だ。しかし戦争をしてもよいのか。戦争に道などありはしない。罪のない人を何百人、何千人、何万人と殺すことにより、この問題が解決されるというのか。今まで戦争を繰り返してきたが、何かいいこと一つでもあったのか。あるのは悲しみだけだ。この緊張の中、注意して見守りたい。最悪の事態にならないことを祈るばかりだ。歴史は繰り返されるのか。
2010年11月26日金曜日
生き続けるもの
テスト後も、いろいろレポートとか何とかで忙しくてブログが書けなかった。今日は久しぶりに書ける。
忙しかったから書けなかった、と言えば嘘になる。というのも、書こうと思えば書けたのだが、他のことが頭にあり、ろくなものが書けないと思い、書かなかったのだ。あまりに低レベルな文章で、低レベルな内容だったら書く意味が無い。こういう理由で書かなかった。申し訳ない。
もう早いもので11月も終わりに近づいてきた。そう思えば冬休み、クリスマス、お正月、と楽しい行事が連続する。やはりクリスマスは恋人と過ごすという人が多いのではないだろうか。残念ながら私は一人で過ごすことになるだろうが…。しかし私にはそれよりも?楽しいことがあるので、なんとか大丈夫だ(笑)。
ブログが書けなかった間で、冬が進み、かなり寒くなった。来週は雪が続きそうな予報が出ていた。寒いのはあまり好きではない。雪が積もればなおさらだ。私は昼食を食べるために、いちいち下宿に戻っているのだが、今は自転車ですぐなので何の問題もないのだが、雪が積もれば徒歩になり、時間もかかるし寒いというのが難題だ。雪が積もらないことを祈るしかない。無理だが…。
忙しかったから書けなかった、と言えば嘘になる。というのも、書こうと思えば書けたのだが、他のことが頭にあり、ろくなものが書けないと思い、書かなかったのだ。あまりに低レベルな文章で、低レベルな内容だったら書く意味が無い。こういう理由で書かなかった。申し訳ない。
もう早いもので11月も終わりに近づいてきた。そう思えば冬休み、クリスマス、お正月、と楽しい行事が連続する。やはりクリスマスは恋人と過ごすという人が多いのではないだろうか。残念ながら私は一人で過ごすことになるだろうが…。しかし私にはそれよりも?楽しいことがあるので、なんとか大丈夫だ(笑)。
ブログが書けなかった間で、冬が進み、かなり寒くなった。来週は雪が続きそうな予報が出ていた。寒いのはあまり好きではない。雪が積もればなおさらだ。私は昼食を食べるために、いちいち下宿に戻っているのだが、今は自転車ですぐなので何の問題もないのだが、雪が積もれば徒歩になり、時間もかかるし寒いというのが難題だ。雪が積もらないことを祈るしかない。無理だが…。
今日は久しぶりに時間が取れたので、映画を観ることにした。ちょうどテレビで金曜ロードショウが入っていたのでそれを観た。今日は『ゴースト ニューヨークの幻』という少し昔の映画だった。私はこの映画が大好きで、何回も観たことがある。内容は簡単に言うと、主人公が殺され、その恋人に危険が迫り、その恋人を守るためにこの世に残った、という話である。一番心打たれるのは、死んでも自分の愛しい人を守り続ける主人公の優しさ、強さ、であろう。
以前にもこのブログで書いたが、死んだ後のことは死んだ人にしかわからない。生まれ変わるのか、神の元へと帰っていくのか、天国か地獄に行くのかなど、私にはわからない。今まで生きてきた中で何度か、家族や親しい友人との永久の別れをしてきた。死別というのは言葉では言い表せないほどの悲しみ、辛さがある。親しければ親しいほど辛くなる。生あるものは死から逃れられない。いつか死ぬ。私も死ぬ。しかし私がここで言っている死は肉体が滅びることであって、魂が滅びることではない。人間は二度死ぬ。一度目は肉体が滅びること。二度目は魂が滅びること。魂が滅びることと言ったどういうことなのか。それは人々の心の中から、自分に対する思い出が消えたときである。その時初めて人は死ぬのだ。つまり人々の心から自分の思い出が消えなければ、自分は生き続けられる。愛は消えない。永久に生き続ける。愛は何よりも強い。この映画は私にそう教えてくれた。2010年11月21日日曜日
空
今日もいい天気となったが、部屋でレポート作成をしていた。あまり寒くなかったので、夕方まで窓を開けていた。虫が入らないように注意しながら。
昨日もそうだが、空がとてもきれいだ。私の好きなことに、空を眺めたり、海を見たり、美しい景色を見たり、などと自然を満喫するのがある。おそらく時間が許す限り、何時間でも見ていられるくらいである。その中でも空を見るのが好きだ。これはいつから好きになったであろうか、小学生高学年のときにはいつしか空を見上げていた。夜の星空よりも明るい空がいい。朝焼けの空、真っ青な空、白い雲が浮かんでいる空、そして夕方。このブログでも写真を載せているが、空の写真が多いと思われている方もいるだろう。その通り。空が多い。空は毎日違う顔を見せてくれる。同じ顔は二度と見せてくれない。それがいい。どれも美しい。何か悔やんでいたり、悲しいことがあったり、悩んでいたりする時に、ふと空を見上げてみると、それらの悩みや悲しさがちっぽけに見えてくる。おそらく関心を持って空を見ているのは私だけかもしれない。何歳やねん、とつっこまれそうだ。これはある意味私にとってのストレス解消法だ。なかなか自然に触れる機会が無いので、空はいつでもどこでも触れられる自然だ。ここ青森はまだ空が広い方だと思うが、大阪は空が狭い。高層ビルばかりなので空が見えない。それでも大阪に帰った時は、ビルの隙間から空を見上げているが。
この私のストレス解消法をすすめる気はないが、もし悩んでいたり悔やんでいる人がいれば空を見てほしい。空を見れば心が空っぽになる。悩んでいる自分がちっぽけに見えてくる。数分でもいい、数秒でもいい。空が何か教えてくれるはずだ。目を下し、前を見てみると、また新たな一歩が踏み出せるかもしれない。
昨日もそうだが、空がとてもきれいだ。私の好きなことに、空を眺めたり、海を見たり、美しい景色を見たり、などと自然を満喫するのがある。おそらく時間が許す限り、何時間でも見ていられるくらいである。その中でも空を見るのが好きだ。これはいつから好きになったであろうか、小学生高学年のときにはいつしか空を見上げていた。夜の星空よりも明るい空がいい。朝焼けの空、真っ青な空、白い雲が浮かんでいる空、そして夕方。このブログでも写真を載せているが、空の写真が多いと思われている方もいるだろう。その通り。空が多い。空は毎日違う顔を見せてくれる。同じ顔は二度と見せてくれない。それがいい。どれも美しい。何か悔やんでいたり、悲しいことがあったり、悩んでいたりする時に、ふと空を見上げてみると、それらの悩みや悲しさがちっぽけに見えてくる。おそらく関心を持って空を見ているのは私だけかもしれない。何歳やねん、とつっこまれそうだ。これはある意味私にとってのストレス解消法だ。なかなか自然に触れる機会が無いので、空はいつでもどこでも触れられる自然だ。ここ青森はまだ空が広い方だと思うが、大阪は空が狭い。高層ビルばかりなので空が見えない。それでも大阪に帰った時は、ビルの隙間から空を見上げているが。
この私のストレス解消法をすすめる気はないが、もし悩んでいたり悔やんでいる人がいれば空を見てほしい。空を見れば心が空っぽになる。悩んでいる自分がちっぽけに見えてくる。数分でもいい、数秒でもいい。空が何か教えてくれるはずだ。目を下し、前を見てみると、また新たな一歩が踏み出せるかもしれない。
夢
テストが終わったところだが、今度はレポートをしなければならない。それも3つもあるのだ。なかなか大変だ。休んでいる暇はない。
今日は本を買いに行きたいと思い、出かけたのだが売っていなかったので残念であった。昼過ぎに出発したのだがその時は晴れていたが、雨が少しぱらついた。しかし虹が出ていて、と綺麗であった。久しぶりに見た虹であった。ところがそんな時に限って、デジカメを持っていなかった。本当に残念。めったに出会えないチャンスを逃してしまった。チャンスはどこに転がっているかわからない。常に準備万端でなければ。
その買いたかった本というのが、大学の図書館に置いてあったものをたまたま開いてみたものなのだが、大学生たちが自分の夢を描いたものである。学生たちがそれぞれの夢を直筆であったりなどと個性が出ている大変興味深いものだ。私もほんの少ししか読んでいないので何とも言えないのだが、この本に登場している学生たちの夢はとても大きい。同じ学生なのにここまで違うのか、と本を読んでいる自分が恥ずかしくなった。
夢、と一言で言うが何を夢と言うのだろうか。将来なりたい職業を言うのだろうか、それとも実現できるかどうかわからないような果てしないものを言うのだろうか。私はどうせ描くならとんでもなく大きいことを描く。その夢を語ればバカにされるかもしれない。そんなことよりも現実を見ろ、と軽くあしらわれてしまいそうだ。大きな夢を描いて、何が悪いのだ。すばらしいことだ。私が今まで数多くの人と出会ってきたが、心を動かされたのは夢を持っている人だ。もちろん若い人だけでなく、中年の方もいる。しかしその人たちには夢がある。ある恩師から頂いた言葉がある。それは「理想に生きることをやめたとき、青春は終わる」である。夢を持っている人は、輝いている人だ。それは大きければ大きいほど輝きは増す。かなえられない夢はない。沈んでいくなら追いかけるのが当たり前だ。夢があるから走れる。頑張れる。夢があるから楽しいんだ。
今日は本を買いに行きたいと思い、出かけたのだが売っていなかったので残念であった。昼過ぎに出発したのだがその時は晴れていたが、雨が少しぱらついた。しかし虹が出ていて、と綺麗であった。久しぶりに見た虹であった。ところがそんな時に限って、デジカメを持っていなかった。本当に残念。めったに出会えないチャンスを逃してしまった。チャンスはどこに転がっているかわからない。常に準備万端でなければ。
その買いたかった本というのが、大学の図書館に置いてあったものをたまたま開いてみたものなのだが、大学生たちが自分の夢を描いたものである。学生たちがそれぞれの夢を直筆であったりなどと個性が出ている大変興味深いものだ。私もほんの少ししか読んでいないので何とも言えないのだが、この本に登場している学生たちの夢はとても大きい。同じ学生なのにここまで違うのか、と本を読んでいる自分が恥ずかしくなった。
夢、と一言で言うが何を夢と言うのだろうか。将来なりたい職業を言うのだろうか、それとも実現できるかどうかわからないような果てしないものを言うのだろうか。私はどうせ描くならとんでもなく大きいことを描く。その夢を語ればバカにされるかもしれない。そんなことよりも現実を見ろ、と軽くあしらわれてしまいそうだ。大きな夢を描いて、何が悪いのだ。すばらしいことだ。私が今まで数多くの人と出会ってきたが、心を動かされたのは夢を持っている人だ。もちろん若い人だけでなく、中年の方もいる。しかしその人たちには夢がある。ある恩師から頂いた言葉がある。それは「理想に生きることをやめたとき、青春は終わる」である。夢を持っている人は、輝いている人だ。それは大きければ大きいほど輝きは増す。かなえられない夢はない。沈んでいくなら追いかけるのが当たり前だ。夢があるから走れる。頑張れる。夢があるから楽しいんだ。
2010年11月19日金曜日
竹岡先生の言葉
昨日で中間テストが終了した。今はほっと一息ついているところだ。昨日はかなり天気が良く、少し寒かったが気持ちの良い一日となった。今日は雲の多い日だったが、それほど寒くはなかった。
一応テストが終わったということで、前からずっと見ようと思っていたDVDを見ることにした。大学の図書館に置いてあるものなのだが、私がこのブログでも紹介したNHKの番組『プロフェッショナル・仕事の流儀』の過去に放送したものだ。今日見たものは、マンガ『ドラゴン桜』のイメージキャラクターとなった竹岡広信という人気予備校教師の話だ。私も浪人時代、この先生に教わったことがある。もちろんこの竹岡先生が出版した参考書も持っている。竹岡先生に教わった生徒たちは、人生をたたきこまれた、と言う人が多い。私の場合は、夏期講習、冬期講習くらいでしかお世話にならなかったのでそこまで詳しいというわけではない。予備校なのに、人生をたたきこまれた、というのはどういうことなのだろうか。
番組内で竹岡先生が言っていた言葉にいくつも共感できるところがあった。
「遠回りこそ近道」
「困難から逃げるな」
今頃になって、もしかするとあの頃逃げていたところがあったかもしれない、と反省してしまいそうだ。近道をしよう、楽に点数を取れるようにしよう、などと誰もが考えることだ。しかしそんなものはこの世には存在しない。近道しようとしてもそれは無駄に終わる。点数にはつながらない。近道は最初から存在しないのだから。
「一つのことを深く考える」
「一問一問を大切にする」
これも先ほど述べたことを意味している。ただ単に問題を解き、答え合わせをし、正解したら次の問題へ、間違えればそこに書いてあることだけを復習する、これは頭の悪い人がやることだ。頭のいい人は、一つの問題から、百も千もの事を学ぼうとするのだ。これが決定的な差だ。
「きっかけをつかめば自ら伸びる」
「好きだから身につく」
好きなことに関しては誰もが素直に心の中に入ってくる。もちろん私も実感している。好きになればいいのだ。そのきっかけを与えるのがここで言う竹岡先生だ。ある日突然あるものに衝撃を受け、のめり込んでいったという人もいるだろう。ある人との出会いで、人生が変わった、というのもきっかけだ。このきっかけを与えれば、人は自ら進んで行動していくのだ。
そして竹岡先生の言うプロフェッショナルとは
「失敗に失敗を重ねても、それを絶対に忘れないで、次につなげていく人」
だ。なるほど。失敗が確実に成功に近づいて行くのだ。失敗を次に生かすこと、たやすいことではない。しかし努力は絶対に報われる。無駄だと思っていることが成功への道を切り開く。無駄ではない。何故なら人生に、近道など存在しないのだから。
一応テストが終わったということで、前からずっと見ようと思っていたDVDを見ることにした。大学の図書館に置いてあるものなのだが、私がこのブログでも紹介したNHKの番組『プロフェッショナル・仕事の流儀』の過去に放送したものだ。今日見たものは、マンガ『ドラゴン桜』のイメージキャラクターとなった竹岡広信という人気予備校教師の話だ。私も浪人時代、この先生に教わったことがある。もちろんこの竹岡先生が出版した参考書も持っている。竹岡先生に教わった生徒たちは、人生をたたきこまれた、と言う人が多い。私の場合は、夏期講習、冬期講習くらいでしかお世話にならなかったのでそこまで詳しいというわけではない。予備校なのに、人生をたたきこまれた、というのはどういうことなのだろうか。
番組内で竹岡先生が言っていた言葉にいくつも共感できるところがあった。
「遠回りこそ近道」
「困難から逃げるな」
今頃になって、もしかするとあの頃逃げていたところがあったかもしれない、と反省してしまいそうだ。近道をしよう、楽に点数を取れるようにしよう、などと誰もが考えることだ。しかしそんなものはこの世には存在しない。近道しようとしてもそれは無駄に終わる。点数にはつながらない。近道は最初から存在しないのだから。
「一つのことを深く考える」
「一問一問を大切にする」
これも先ほど述べたことを意味している。ただ単に問題を解き、答え合わせをし、正解したら次の問題へ、間違えればそこに書いてあることだけを復習する、これは頭の悪い人がやることだ。頭のいい人は、一つの問題から、百も千もの事を学ぼうとするのだ。これが決定的な差だ。
「きっかけをつかめば自ら伸びる」
「好きだから身につく」
好きなことに関しては誰もが素直に心の中に入ってくる。もちろん私も実感している。好きになればいいのだ。そのきっかけを与えるのがここで言う竹岡先生だ。ある日突然あるものに衝撃を受け、のめり込んでいったという人もいるだろう。ある人との出会いで、人生が変わった、というのもきっかけだ。このきっかけを与えれば、人は自ら進んで行動していくのだ。
そして竹岡先生の言うプロフェッショナルとは
「失敗に失敗を重ねても、それを絶対に忘れないで、次につなげていく人」
だ。なるほど。失敗が確実に成功に近づいて行くのだ。失敗を次に生かすこと、たやすいことではない。しかし努力は絶対に報われる。無駄だと思っていることが成功への道を切り開く。無駄ではない。何故なら人生に、近道など存在しないのだから。
2010年11月17日水曜日
目標
今日は久しぶりに、ブログが書ける。今はテスト期間なのだ。今日で山場は過ぎたので、ちょっと一息入れることができる。ブログが書けなかった数日の間で、一気に寒くなった。雪も降るようになった。今日買い物に行ったのだが、温度計を見ると3度だった。手袋なしでは自転車に乗れない。今年もこの季節がやってきたかという感じである。
今日は今回のテストのことでも書こうと思う。今までの私の成績ははっきり言って悪い。理解せず、丸覚えして試験に臨もうとしているのだ。これでは点数が取れるわけがない。しかし私はこれを続けてきたのだが。今回も難しい教科がいくつかあった。とりあえず一通り目を通して、わからないところを見つけ出し、友達に質問しようと思い、質問しに行った。ところがその友達もまだ勉強していないということで、一緒に勉強していくこととなった。その友達は成績がいい。一までもその友達の教えてもらっていたのだ。今回もそうだが問題を解いて、わからないところは解説してもらい、理解できるまでになった。理解すると、今まで難しくて手がつけられないものも簡単に見えてくる。その日は22時くらいから3時まで勉強した。次の日は、11時から12時、13時30分から18時、19時から5時30分まで勉強した。正に勉強合宿である。このおかげでおそらく点数は取れているだろう。久しぶりに達成感を味わえた。しかしまだ試験が残っているので油断は禁物だ。
夏休みと春休みに毎回成績表が送られてくるのだが、いつも恐れている。当然成績が悪いからだ。なぜ成績が悪いか。勉強していないからであろう。自分でも勉強しなければ、と成績表を見るたびに思うのだが、なかなか勉強に本腰が入らない。単位を落とさなかったらいいだろう、という気持ちがある。私には1番になってやろうというハングリー精神が足りない。好きなことに関しては別だが。今の私に1番大切なことは学業だ。それで1番になろうとしない私はただの怠け者だ。中には公務員になるから大学の勉強は必要ない、と言う人もいる。確かにその通りかもしれない。だがそれはただの言い訳だと思う。何故なら私もそう言って言い訳したいところがあるからだ。そういう人は両方できない人だ。やる人はそんなこと関係ない。いつだって全力で取り組み、1番を勝ち取ってくる。しかし全力で取り組んだが、1番を取れなかったということもある。しかしそれは1番に向かって全力を尽くしたということが大切なことだ。ただの怠け者とは天と地の差がある。結果が出ないのなら意味が無い、それも言い訳だ、と言う人がいるかもしれない。もちろん結果は大切だ。だが結果論ではない。その結果にたどり着くまでの過程も大切なのだ。
なぜ怠けてしまうのか。それは目標が無いからだ。目指すもの無しに、行動に移すことは極めて難しい。霧の中を走るようなものだ。しかし目標を立てればそこを目指し、走ることができる。目標があれば、人は頑張れるんだ。まずは目標を立ててみよう。どんな小さなことでもいい。そこら始まる。
今日は今回のテストのことでも書こうと思う。今までの私の成績ははっきり言って悪い。理解せず、丸覚えして試験に臨もうとしているのだ。これでは点数が取れるわけがない。しかし私はこれを続けてきたのだが。今回も難しい教科がいくつかあった。とりあえず一通り目を通して、わからないところを見つけ出し、友達に質問しようと思い、質問しに行った。ところがその友達もまだ勉強していないということで、一緒に勉強していくこととなった。その友達は成績がいい。一までもその友達の教えてもらっていたのだ。今回もそうだが問題を解いて、わからないところは解説してもらい、理解できるまでになった。理解すると、今まで難しくて手がつけられないものも簡単に見えてくる。その日は22時くらいから3時まで勉強した。次の日は、11時から12時、13時30分から18時、19時から5時30分まで勉強した。正に勉強合宿である。このおかげでおそらく点数は取れているだろう。久しぶりに達成感を味わえた。しかしまだ試験が残っているので油断は禁物だ。
夏休みと春休みに毎回成績表が送られてくるのだが、いつも恐れている。当然成績が悪いからだ。なぜ成績が悪いか。勉強していないからであろう。自分でも勉強しなければ、と成績表を見るたびに思うのだが、なかなか勉強に本腰が入らない。単位を落とさなかったらいいだろう、という気持ちがある。私には1番になってやろうというハングリー精神が足りない。好きなことに関しては別だが。今の私に1番大切なことは学業だ。それで1番になろうとしない私はただの怠け者だ。中には公務員になるから大学の勉強は必要ない、と言う人もいる。確かにその通りかもしれない。だがそれはただの言い訳だと思う。何故なら私もそう言って言い訳したいところがあるからだ。そういう人は両方できない人だ。やる人はそんなこと関係ない。いつだって全力で取り組み、1番を勝ち取ってくる。しかし全力で取り組んだが、1番を取れなかったということもある。しかしそれは1番に向かって全力を尽くしたということが大切なことだ。ただの怠け者とは天と地の差がある。結果が出ないのなら意味が無い、それも言い訳だ、と言う人がいるかもしれない。もちろん結果は大切だ。だが結果論ではない。その結果にたどり着くまでの過程も大切なのだ。
なぜ怠けてしまうのか。それは目標が無いからだ。目指すもの無しに、行動に移すことは極めて難しい。霧の中を走るようなものだ。しかし目標を立てればそこを目指し、走ることができる。目標があれば、人は頑張れるんだ。まずは目標を立ててみよう。どんな小さなことでもいい。そこら始まる。
2010年11月11日木曜日
故郷
昨日は英語のレポートをしなければならず、ブログが書けなかった。それにテストも近づいてきているので、書けない日があるが許してもらいたい。今日もテスト勉強があるので短めに。
今日はとても寒い日となった。吐く息が真白である。明日は雨だそうだ。
この前は長渕剛のことについて書いたが、今日も少しだけ書きたいと思う。一昨日買ったアルバムの中に、『俺たちのニライカナイ』という唄がある。これは沖縄をテーマにしたものだ。今沖縄はアメリカ軍基地の問題で揺れている。そういう時こそ、みんなで手をつないで走って行こう、というメッセージが込められている。この唄には社会的メッセージはない。優しい唄だ。この唄の中に、心にしみる歌詞がある。
どうか忘れないで
心が傷ついたら
いつでも帰っておいで
この島へ
あなたを抱きしめるのが
この島さ
もちろん私は大阪出身で沖縄とは何の関わりもない。しかしこれを自分に関係するものとして置き換えている。大阪の家を出て、一人暮らしだ。その中で辛い経験もした。何度も帰りたいと思った。しかしそれは自分でも許せない。自分で選んだ道だからだ。しかしそれでも辛い時はある。そんな時に、歌詞ではないが、心が傷ついたら、いつでも帰っておいで、と言ってくれるとどれほどうれしいことか。それだけで十分だ。もちろん帰ることはない。しかしそれだけで頑張ろう、という気持にさしてくれる。私には帰る場所があるのだ。それは故郷だ。何年たっても故郷は、優しく迎え入れてくれる。忘れないでほしい。いつでも故郷は必ず、あなたを抱きしめてくれることを。
今日はとても寒い日となった。吐く息が真白である。明日は雨だそうだ。
この前は長渕剛のことについて書いたが、今日も少しだけ書きたいと思う。一昨日買ったアルバムの中に、『俺たちのニライカナイ』という唄がある。これは沖縄をテーマにしたものだ。今沖縄はアメリカ軍基地の問題で揺れている。そういう時こそ、みんなで手をつないで走って行こう、というメッセージが込められている。この唄には社会的メッセージはない。優しい唄だ。この唄の中に、心にしみる歌詞がある。
どうか忘れないで
心が傷ついたら
いつでも帰っておいで
この島へ
あなたを抱きしめるのが
この島さ
もちろん私は大阪出身で沖縄とは何の関わりもない。しかしこれを自分に関係するものとして置き換えている。大阪の家を出て、一人暮らしだ。その中で辛い経験もした。何度も帰りたいと思った。しかしそれは自分でも許せない。自分で選んだ道だからだ。しかしそれでも辛い時はある。そんな時に、歌詞ではないが、心が傷ついたら、いつでも帰っておいで、と言ってくれるとどれほどうれしいことか。それだけで十分だ。もちろん帰ることはない。しかしそれだけで頑張ろう、という気持にさしてくれる。私には帰る場所があるのだ。それは故郷だ。何年たっても故郷は、優しく迎え入れてくれる。忘れないでほしい。いつでも故郷は必ず、あなたを抱きしめてくれることを。
2010年11月9日火曜日
『TRY AGAIN』
今日は雨であった。少しだけ太陽が顔をのぞかせたが、ほぼずっと雨が降っていた。暗くなるとかなり寒くなった。明日も雨だそうだ。
今日は私の好きなアーティスト、長渕剛のニューアルバム『TRY AGAIN』の発売日で、早速買いに行った。授業の合間を縫って買いに行ったのですぐ聴くというわけにはいかなかった。授業が終わり、家に帰って聴いてみた。さらに進化=深化したような感じであった。今年からバンドメンバーがすべて変わり、新たな道を歩みだしたのだ。変わり続けることが彼のテーマである。1年3カ月ぶりとなるアルバムだが、彼にとっては早いペースで次のアルバムを出した。
彼の唄の魅力は真っ直ぐな言葉である。どのアーティストも言わないようなことを言うのだ。おそらく彼にしかできないであろう。言うなら社会的メッセージだ。個人名もたくさん出てくる。何年か前にNHK紅白歌合戦に出場し、その社会的メッセージの唄を歌い、NHK出入り禁止となっている。しかし某有名作家からは、よくぞやった、と伝えられたそうだが。みんなが嫌がることを彼がやったまでだ。中学校や高校の時もいたと思うが、生活指導の先生である。朝から制服が乱れている生徒には怒鳴り散らかす。朝からうるせーよ、と言いたくなるくらいだ。しかしその先生も好きでやっているわけではないと思う。嫌われる仕事をその先生がたまたましているだけだ。それと同じである。誰かがやらなければいけないことを、彼がしているだけだ。今回のアルバムでは『知らんふり』がそれである。秋葉原の無差別殺傷事件のことについて歌っている。先ほどそれを聴いたが、背中に寒気が走った。私でも恐くなった。
長渕剛のファンはかなり熱烈である。中途半端はない。しかしアンチもかなり多い。両極端である。彼は私たちファンに命を懸けてくれている。私も彼に命を懸けている。もう少ししたらコンサートが始まる。彼のコンサートはただのコンサートではない。決起集会だ。絆を確かめ合う場所だ。喜怒哀楽の感情がすべて存在している。そしてファンと共に作り上げるコンサートだ。まさに「戦争」である。おそらく世界一の迫力である。よかったら聴いてもらいたい。
今日は私の好きなアーティスト、長渕剛のニューアルバム『TRY AGAIN』の発売日で、早速買いに行った。授業の合間を縫って買いに行ったのですぐ聴くというわけにはいかなかった。授業が終わり、家に帰って聴いてみた。さらに進化=深化したような感じであった。今年からバンドメンバーがすべて変わり、新たな道を歩みだしたのだ。変わり続けることが彼のテーマである。1年3カ月ぶりとなるアルバムだが、彼にとっては早いペースで次のアルバムを出した。
彼の唄の魅力は真っ直ぐな言葉である。どのアーティストも言わないようなことを言うのだ。おそらく彼にしかできないであろう。言うなら社会的メッセージだ。個人名もたくさん出てくる。何年か前にNHK紅白歌合戦に出場し、その社会的メッセージの唄を歌い、NHK出入り禁止となっている。しかし某有名作家からは、よくぞやった、と伝えられたそうだが。みんなが嫌がることを彼がやったまでだ。中学校や高校の時もいたと思うが、生活指導の先生である。朝から制服が乱れている生徒には怒鳴り散らかす。朝からうるせーよ、と言いたくなるくらいだ。しかしその先生も好きでやっているわけではないと思う。嫌われる仕事をその先生がたまたましているだけだ。それと同じである。誰かがやらなければいけないことを、彼がしているだけだ。今回のアルバムでは『知らんふり』がそれである。秋葉原の無差別殺傷事件のことについて歌っている。先ほどそれを聴いたが、背中に寒気が走った。私でも恐くなった。
長渕剛のファンはかなり熱烈である。中途半端はない。しかしアンチもかなり多い。両極端である。彼は私たちファンに命を懸けてくれている。私も彼に命を懸けている。もう少ししたらコンサートが始まる。彼のコンサートはただのコンサートではない。決起集会だ。絆を確かめ合う場所だ。喜怒哀楽の感情がすべて存在している。そしてファンと共に作り上げるコンサートだ。まさに「戦争」である。おそらく世界一の迫力である。よかったら聴いてもらいたい。
自分を好きになることから始めようか
朝は晴れていたが、午後から曇ってきて雨と変わった。寒さはそれほどでもなかったが。
年末へと近づいてきた。もう1年も終わりかと思うと、焦る気持ちもあるのが正直なところだ。もう2年生も終わりになる。ということは大学生活の半分が終わるということになる。本当に早いものだ。冬休みまで1日1日を大切にしたい。
そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。
それは自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。」
これは『ニーチェの言葉』の中にあるうちの一つだ。哲学書を読むのはなかなか難しいことだが、この作品ならすぐに読むことができる。なるほど、と思うような言葉がたくさん集約されている。これもその一つだ。自分を尊敬するようなことなどほとんどない。それは良くないと言っている。私は今まで悪いこともたくさんしてきた。その理由がここにあった。それは自分を尊敬していなかったからということだ。他人から、自分を尊敬していますかと聞かれたら、おそらく、いいえと答えるだろう。もし、はい、と答えたらナルシストだとか、言われてしまうかもしれない。しかし間違っているのはその反論した人かもしれない。自分を尊敬する、自分を好きになるということは、理想の自分になるための第一歩なのだ。難しことかもしれない。だがまず、自分に嘘をつかないようにすればいい。まずは自分に素直になってみよう。こそこそせず、堂々としていよう。いつしか理想に自分に出会えるはずだ。生まれ変わるのは死んでから、と言う人がいる。それは違う。人は何度でも生まれ変われる。ならば生きているうちに生まれ変わった方がよさそうだ。それじゃあまず、自分を好きになることから始めようか。
年末へと近づいてきた。もう1年も終わりかと思うと、焦る気持ちもあるのが正直なところだ。もう2年生も終わりになる。ということは大学生活の半分が終わるということになる。本当に早いものだ。冬休みまで1日1日を大切にしたい。
「自分はたいしたことが無い人間なんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。
そうではなく、最初に自分を尊敬する事から始めよう。まだ何もしていない自分を、まだ実績のない自分を、人間として尊敬するんだ。
自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。
それは自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。」
これは『ニーチェの言葉』の中にあるうちの一つだ。哲学書を読むのはなかなか難しいことだが、この作品ならすぐに読むことができる。なるほど、と思うような言葉がたくさん集約されている。これもその一つだ。自分を尊敬するようなことなどほとんどない。それは良くないと言っている。私は今まで悪いこともたくさんしてきた。その理由がここにあった。それは自分を尊敬していなかったからということだ。他人から、自分を尊敬していますかと聞かれたら、おそらく、いいえと答えるだろう。もし、はい、と答えたらナルシストだとか、言われてしまうかもしれない。しかし間違っているのはその反論した人かもしれない。自分を尊敬する、自分を好きになるということは、理想の自分になるための第一歩なのだ。難しことかもしれない。だがまず、自分に嘘をつかないようにすればいい。まずは自分に素直になってみよう。こそこそせず、堂々としていよう。いつしか理想に自分に出会えるはずだ。生まれ変わるのは死んでから、と言う人がいる。それは違う。人は何度でも生まれ変われる。ならば生きているうちに生まれ変わった方がよさそうだ。それじゃあまず、自分を好きになることから始めようか。
2010年11月7日日曜日
勉強
今日もいい天気となり、過ごしやすい一日となった。今日も外には行かず部屋で過ごした。天気は良かったのだが、少し困っていることがある。それはテントウムシが大量発生していることだ。私のベランダから見える景色は木しかない。きれいと言えばきれいなのだが、春、夏、秋、は様々な昆虫に悩まされるのだ。カメムシ、クモ、そしてテントウムシだ。1匹や2匹くらいならまだ可愛いものだ。しかし10匹以上いるので気持ち悪いくらいだ。死骸もたくさんある。勝手に死なないでほしい。掃除するのは誰だ。私だ。知らないうちに部屋に侵入している。困ったものだ。網戸の意味をなしていない。もっと寒くなればいなくなるのでそれまでの我慢だ。
昆虫と言って思い出したのだが、私は昔、カマキリを飼っていたのだ。昆虫が好きでしょっちゅう虫かごをしょって出かけたものだ。特にカマキリは大好きだ。バッタを捕まえる瞬間は最高である。まさに瞬殺。一瞬の出来事である。飼っているときはいつも観察ばかりしていた。餌のバッタは兄が捕まえるのを手伝ってくれた。家の中でそのバッタが逃げ出して飛び回ったこともあった。
今思えば貴重な体験だった。現代では昆虫と触れ合う機会は激減していると思う。外で遊ぶことすら減ってきている。これはあくまで私個人としての意見であるが、子供の仕事は遊ぶことである。遊ぶとは部屋にこもってゲームをすることではない。外で走りまわることだ。人と触れ合い、動植物と触れ合い、風を感じるのだ。五感をすべて使うことによって成長していくのだ。今はそれが無い。昔は社会問題にならなかった、いじめなんかもそうである。遊んだり喧嘩したりしていく中で、限度というものを学んでいくのである。今は殺してしまうという始末だ。一体どうなっているのか。受験の早期化や習い事などで「ヒマ」がなくなっている。こういう時代にしてきた最大の犠牲者は私たちだ。机の上の勉強も大切だ。しかしそれだけでは良くない。外で遊ぶことも勉強だ。
これからの時代、どうなっていくのだろうか。心配しすぎなのは私だけなのだろうか。
昆虫と言って思い出したのだが、私は昔、カマキリを飼っていたのだ。昆虫が好きでしょっちゅう虫かごをしょって出かけたものだ。特にカマキリは大好きだ。バッタを捕まえる瞬間は最高である。まさに瞬殺。一瞬の出来事である。飼っているときはいつも観察ばかりしていた。餌のバッタは兄が捕まえるのを手伝ってくれた。家の中でそのバッタが逃げ出して飛び回ったこともあった。
今思えば貴重な体験だった。現代では昆虫と触れ合う機会は激減していると思う。外で遊ぶことすら減ってきている。これはあくまで私個人としての意見であるが、子供の仕事は遊ぶことである。遊ぶとは部屋にこもってゲームをすることではない。外で走りまわることだ。人と触れ合い、動植物と触れ合い、風を感じるのだ。五感をすべて使うことによって成長していくのだ。今はそれが無い。昔は社会問題にならなかった、いじめなんかもそうである。遊んだり喧嘩したりしていく中で、限度というものを学んでいくのである。今は殺してしまうという始末だ。一体どうなっているのか。受験の早期化や習い事などで「ヒマ」がなくなっている。こういう時代にしてきた最大の犠牲者は私たちだ。机の上の勉強も大切だ。しかしそれだけでは良くない。外で遊ぶことも勉強だ。
これからの時代、どうなっていくのだろうか。心配しすぎなのは私だけなのだろうか。
2010年11月6日土曜日
新幹線
今日は小春日和となり、気持ちのいい一日となった。出かけようか、と思ったが、掃除や何とかで出かけなかった。夕方くらいまで少し寒かったが、窓を開けて過ごした。新鮮な空気を入れようと思った。空気の入れ替えは重要である。寒いからと言ってそのままでいるのは良くない。菌が繁殖してしまう。これからもっと寒くなり、窓を開ける機会が少なくなると思うが、できるだけ空気の入れ替えは心掛けたい。
昨日、12月4日、東京行きの切符を購入した。12月4日と言えば新青森駅が開通する日である。一昨日のニュースでは、12月4日東京行き始発の切符がわずか30秒で完売したというニュースを聞いた。これには驚いた。私はとある理由で東京に行かなければならないのだが、切符が取れなかったら大問題になるのだ。開通初日だから乗る、という鉄道マニアが言うような理由ではない。本当に必要としているのだ。そのニュースを聞いた時、かなり動揺した。
そして昨日、以前に一応予約と言うのだろうか、その様なものをしていたのだが、5日に確認に行かなければならなかったのだ。第3希望まで予約しておいた。取れなかったら午前中に電話しますということだったので、電話がかかってこなかった。少し安心して青森駅に行ったのだ。きっちり取れていた。往復で予約し、どちらも取れていた。心配事が吹き飛んだ。
新青森駅が開通すると初めて聞いたのは去年の春だったような気がする。その当時はあと1年以上もあるやんけ、とまだまだ先のことだなと思っていたが、もう1カ月を切った。早いものだ。現在は八戸駅まで特急電車に乗り、そこで乗り換えをしなければならなかったのだが、新青森駅が開通すると、乗り換えなしで東京まで行くことができる。4時間以上かかっていたのが、3時間15分くらいで行けるようになるのだ。こう思うと今まで遠いと思っていた東京も近くなった。
私が青森まで来るのに、まず利用した交通手段は寝台列車である。大阪駅発青森行きである。約15時間ほど乗り続ける。大阪を夕方、出発するので、青森に到着するのは次の日の朝である。走っているときは、夜なので景色も見ることができない。消灯時間になると廊下の電気が消える。ベッドの電気が付いてあるのだが、あまりにも暗すぎるので本も読めない。寝るしかないのだ。良く揺れるので寝るといっても、ぐっすりとはいかない。目が覚めると、だいたい秋田か青森に入ったくらいである。弘前に着くと降りる用意をする。初めて青森に来た時は雪景色であった。
あれから1年以上経つ。もうおそらく寝台列車は利用しなくなるであろう。次からは新幹線にお世話になる。遠かった故郷も少しは近くなるだろう。うれしい。
しかし開通当日にたまたま乗れるというのはラッキーだ。もしかしたらカメラマンたちがたくさんいるかもしれない。テレビに出たらさらにラッキーだ。
昨日、12月4日、東京行きの切符を購入した。12月4日と言えば新青森駅が開通する日である。一昨日のニュースでは、12月4日東京行き始発の切符がわずか30秒で完売したというニュースを聞いた。これには驚いた。私はとある理由で東京に行かなければならないのだが、切符が取れなかったら大問題になるのだ。開通初日だから乗る、という鉄道マニアが言うような理由ではない。本当に必要としているのだ。そのニュースを聞いた時、かなり動揺した。
そして昨日、以前に一応予約と言うのだろうか、その様なものをしていたのだが、5日に確認に行かなければならなかったのだ。第3希望まで予約しておいた。取れなかったら午前中に電話しますということだったので、電話がかかってこなかった。少し安心して青森駅に行ったのだ。きっちり取れていた。往復で予約し、どちらも取れていた。心配事が吹き飛んだ。
新青森駅が開通すると初めて聞いたのは去年の春だったような気がする。その当時はあと1年以上もあるやんけ、とまだまだ先のことだなと思っていたが、もう1カ月を切った。早いものだ。現在は八戸駅まで特急電車に乗り、そこで乗り換えをしなければならなかったのだが、新青森駅が開通すると、乗り換えなしで東京まで行くことができる。4時間以上かかっていたのが、3時間15分くらいで行けるようになるのだ。こう思うと今まで遠いと思っていた東京も近くなった。
私が青森まで来るのに、まず利用した交通手段は寝台列車である。大阪駅発青森行きである。約15時間ほど乗り続ける。大阪を夕方、出発するので、青森に到着するのは次の日の朝である。走っているときは、夜なので景色も見ることができない。消灯時間になると廊下の電気が消える。ベッドの電気が付いてあるのだが、あまりにも暗すぎるので本も読めない。寝るしかないのだ。良く揺れるので寝るといっても、ぐっすりとはいかない。目が覚めると、だいたい秋田か青森に入ったくらいである。弘前に着くと降りる用意をする。初めて青森に来た時は雪景色であった。
あれから1年以上経つ。もうおそらく寝台列車は利用しなくなるであろう。次からは新幹線にお世話になる。遠かった故郷も少しは近くなるだろう。うれしい。
しかし開通当日にたまたま乗れるというのはラッキーだ。もしかしたらカメラマンたちがたくさんいるかもしれない。テレビに出たらさらにラッキーだ。
2010年11月5日金曜日
揺るぎないアイデンティティ
今日は昨日に引き続き、大学でキャリア形成講座が行われた。就活の進め方や、しゃべり方、電話、メールの仕方など具体的に説明してもらい、かなり参考になった。
高校に進学するとき、私は何も考えず、ただ兄と同じ高校へ行きたいと思っていた。しかし不合格になってしまった。気が付けば、いつしか私はいつも兄と比べられるようになっていた。今までは何の違和感もなく、話を聞いてきたが、その不合格になった日以来、兄と比べられることをたまらなく嫌になった。違う人間なのに、どうして同じ道へと進まなければならないのか。兄は兄の進むべき道がある。それはあくまで兄の進む道である。私の道ではない。私の道は自分で切り拓くべきだ。
兄は成績が良く、理系である。私は頭が悪く、文系である。兄は理系の高校、大学へと進学した。私は文系の道に進むと決めた。私の父は兄と同じ道に行かせようとした。私は断固として拒否した。兄がこちらの道に進むのなら、私はあちらの道に進もう。全く別の道に進もう、そう心に誓った。劣等感におびえ、兄がいない世界へ逃げたかった。一人の私として存在できる場所を求めていた。
しかし私は突然気がついた。物事を同じ角度から見ているだけだということを。もっと違う角度から見ればいいのだ。それに気付いたとき、今まで背負っていた劣等感から一気に解放された。私は私。見方や見る人によって全く違うように映る。同じ角度から常に兄と自分を比較していたのは、誰でもない私自身だったのだ。
私が守らなければならないのは、揺るぎないアイデンティティ。私は私らしく、劣等感におびえることなく生きていこう。この世で私は一人しかいないのだから。
私は来年から本格的に就職活動が始まるのだが、私の兄は今就職活動の真っただ中である。兄は大学院1回生である。
私と兄は中学校まで同じ学校に通っていた。小学校では同じ委員会に入り、同じクラブ活動に入るなどと兄と同じように過ごしていた。中学校でも同じクラブ活動(剣道部)に入り、ともに汗を流した。兄とは二つ違いなので兄が中学3年生になった時に、私が中学1年生になった。なので一緒に過ごしたのはたったの1年だったが最高の1年でもあった。試合の時では兄が大将、私が先鋒という黄金時代?を築き上げることができた。おそらく、我が中学校歴代最強のチームの様な気がする。兄が卒業してからは部員も少なくなり、衰退していったが。高校に進学するとき、私は何も考えず、ただ兄と同じ高校へ行きたいと思っていた。しかし不合格になってしまった。気が付けば、いつしか私はいつも兄と比べられるようになっていた。今までは何の違和感もなく、話を聞いてきたが、その不合格になった日以来、兄と比べられることをたまらなく嫌になった。違う人間なのに、どうして同じ道へと進まなければならないのか。兄は兄の進むべき道がある。それはあくまで兄の進む道である。私の道ではない。私の道は自分で切り拓くべきだ。
兄は成績が良く、理系である。私は頭が悪く、文系である。兄は理系の高校、大学へと進学した。私は文系の道に進むと決めた。私の父は兄と同じ道に行かせようとした。私は断固として拒否した。兄がこちらの道に進むのなら、私はあちらの道に進もう。全く別の道に進もう、そう心に誓った。劣等感におびえ、兄がいない世界へ逃げたかった。一人の私として存在できる場所を求めていた。
しかし私は突然気がついた。物事を同じ角度から見ているだけだということを。もっと違う角度から見ればいいのだ。それに気付いたとき、今まで背負っていた劣等感から一気に解放された。私は私。見方や見る人によって全く違うように映る。同じ角度から常に兄と自分を比較していたのは、誰でもない私自身だったのだ。
私が守らなければならないのは、揺るぎないアイデンティティ。私は私らしく、劣等感におびえることなく生きていこう。この世で私は一人しかいないのだから。
あこがれの「ナンバー1」
今日は晴れたが、夕方くらいに少し雨が降った。寒さもそれほどではなく、過ごしやすかった。
授業はなく、その代わりにキャリア形成がいダンスという就職のための説明会があった。これは主に3年生が対象なのだが、もうそろそろ就職の準備を始めようと思い、参加してみた。就職のためには何をしたらいいかなどは具体的にはわからない。しかし雰囲気を味わうことができた。4人の就職内定者が体験談などを詳しく話してくれた。生の声を聞くのは大切なことである。だんだんと就職が目の前に近づいてきた。
振り返ると、ケガをした私は幸せだったかもしれない。中学生の私は、まだ見ぬ「1番」に向かって勝負していた。ならば今の自分はどうだろうか。今のこの生活に満足しているのか、胸を張って勝負したと言えるのだろうか。本当なら、大きなことで「1番」になってみたいが、こんな自分の器なら小さな事でもいいだろう。だから残りの大学生活、そして社会に出ても何か勝負してやろう。私にとっては「オンリー1」より「もっともっと特別なナンバー1」にあこがれて。
授業はなく、その代わりにキャリア形成がいダンスという就職のための説明会があった。これは主に3年生が対象なのだが、もうそろそろ就職の準備を始めようと思い、参加してみた。就職のためには何をしたらいいかなどは具体的にはわからない。しかし雰囲気を味わうことができた。4人の就職内定者が体験談などを詳しく話してくれた。生の声を聞くのは大切なことである。だんだんと就職が目の前に近づいてきた。
しかし私が今日一つ疑問に思ったことがある。4人の就職内定者が話をしていたし、司会者の方も言っていたことだが、「自分らしさ」ということである。
「もっともっと特別なオンリー1ー」このフレーズが頭をよぎった。心地よい歌詞に励まされそうになる自分が悔しかった。私は「オンリー1」なんかには頼らないと決めていたからだ。 就職活動について考えるとき、次々にダメな自分が浮き彫りになってくる。そんな時、「オンリー1」という言葉はとても都合がいい。しかし現実はそうではない。こんな個性があるんです、と私が主張する一方で、何万人もの同級生たちも私と同じ様に主張する。すると、結局自分の個性を主張する事が最もオリジナリティーのない行為であることに、気づかされる。個性を語るよりも、私は1番です、そんな風に言えるものが1つでもあれば、どんなに面倒くさくなくて、楽なことであろうか。
思えば、私は今まで1番になったことが無い。1番どころか負けた思いでならたくさんある。ちょうど「世界に一つだけの花」がはやった中学生の時、剣道部だった私は、最後の試合前に、左手首を捻挫し、動かせる状態ではなかった。もちろん試合も負けてしまった。私がケガをしていなかったら、と思うと仲間に申し訳なかった。しかし、そんな私に声を掛けてくれた仲間の優しい言葉を今でも鮮明に覚えている。「お前がいたからここまでこれたんやで。気にすんな。」振り返ると、ケガをした私は幸せだったかもしれない。中学生の私は、まだ見ぬ「1番」に向かって勝負していた。ならば今の自分はどうだろうか。今のこの生活に満足しているのか、胸を張って勝負したと言えるのだろうか。本当なら、大きなことで「1番」になってみたいが、こんな自分の器なら小さな事でもいいだろう。だから残りの大学生活、そして社会に出ても何か勝負してやろう。私にとっては「オンリー1」より「もっともっと特別なナンバー1」にあこがれて。
2010年11月4日木曜日
死、ということ
昨日もいろいろあってブログが書けなかった。あぁ忙しい(笑)。
雨が続き、だんだんと寒くなってきた。先ほど、夜空を見てみるとオリオン座が見えるではないか。もう冬なのだ。しかし美しかった。
雨が続き、だんだんと寒くなってきた。先ほど、夜空を見てみるとオリオン座が見えるではないか。もう冬なのだ。しかし美しかった。
昨日、大学の講義で東洋の思想という講義があったのだが、ブッダのことについてのビデオを見た。最後までは見ていないが、印象に残っていることは輪廻転生ということである。輪廻転生というのは、詳しくは語れないがわかりやすく言えば死んでも何かに生まれ変わるということである。ビデオの冒頭部でヤギが飼っている人に殺されるときに、突然笑い出したのだ。その人はなぜ笑うのかとそのヤギに聞いた。そのヤギは言った、499回ヤギとして生まれ変わってきたが、今度死んだら人間に生まれ変われる、言うのである。言った後、ヤギは涙を流し始めた。どうして泣くのかと聞いてみた。ヤギになる前は私もヤギを殺す人だった、とそのヤギはいい、その飼っていた人も泣きだした。輪廻転生とは仏教思想である。キリスト教の考えは、死ねば神のもとに帰ってゆくのである。つまりキリスト教から見れば、死は断絶的な考えになる。しかし仏教はいわば通過点みたいなものになる。死んだあとのことは死んだ人にしかわからないことだが。おそらくすべての人は死について真剣に考えたことがあると思う。私も考えたことがある。まだ小さい時に考えたこともある。その時は本当に怖くなった。死、って何だろう。どこへ行くのか。すべての生き物に死は常に付きまとっている。みんな死ぬ。お母さんも、兄も、友達も、いつか死ぬ。もちろん私もだ。それがいつなのか。あと50年後か。30年後か、それとも明日なのか。生と死は表裏一体である。死について考えた時、恐怖に打ちのめされそうになる。死ぬのは怖い。だからといって逃げているわけではない。死について話し合うことはまず無い。生きることだけを考えようと、言われるかもしれない。うん、その通りかもしれない。しかし、死から目を背けてはいけない。なぜなら死はいつもそばにいるのだから。何歳まで生きたい、とかどんな死に方がいいとか、聞かれたことがある。私の考えは、自分の人生のパーツがそろえばいつ死んでもいい、というものだ。長生きすることはいいことかもしれない。しかし私は長生きするだけなら良くないと思っている。死ぬときに、生きていてよかったと、胸を張って言えるようでなければ。死は何なのか、その答えが出るのはいつなのか、どうしたら答えが出るのか。それは今を常に精一杯生きている人が見つけることができるのだろう。
全力で生きること、私にもできるはずだ。2010年11月2日火曜日
地球市民
今日から11月になった。今年もあと2カ月である。本当に一年は早いものだ。今やるべきことを確実にこなしていきたい。
あいにくの雨であったが、あまり寒くはなかった。それだけでも救いである。朝起きるのがだんだん億劫になってきた。蒲団がこの上なく気持ちいい。目覚ましが鳴っても、もう少し、と二度寝してしまいそうだ。
新聞に目を通すと、毎日のように発展途上国への募金の知らせが載っている。これをどのように見ているのだろうか。私は高校の時、持続可能な開発やJICA、地球市民など常に地球のこと考えながら生活するということを担任の先生から教わった。この担任の先生とは今でも交流があり、長期休暇には必ず会いに行く。先生もブログを書いていて、その内容はもちろん世界のことについて書いている。とくにアフリカが多い。私もこの先生に影響され、世界のことについて、常にアンテナを張るようにしている。日本は豊かな国だ。食べることにも飲むことにも困ることはない。着る服だってそうだ。毎日学校で授業を受けていられることもそうだ。それがこの国では当たり前だ。しかしそれが当たり前ではない国がたくさんある。いつ死ぬかわからない。一日一日が命懸けである。これは決して言いすぎではない。同じ空の下で生きているとは思えないほど過酷な状況の中で生きている。それをテレビで見ている私たちは何を感じているのだろうか。銃を持った子供たちが映し出されている。わが子を亡くし、泣き崩れる母親の姿が映し出される。面白くないから、と言ってチャンネルを変えるのか。バラエティー番組を見て、低俗な笑いで一日を終えるのか。それで一生過ごすのも有りだ。私にはあり得ないことだが。昨日も書いたが、感じるというのは難しいことだ。その人の気持ちを100%理解するというのは不可能だ。ましてや外国の全く知らない人ならなおさらだ。しかし難しいからと言ってそれで終わってしまうのか。理解できないのは当たり前だ。そうではなく、理解しようとすることが大切なのだ。目を背けるのではなく、真っ直ぐ見詰めてほしい。何かしなければ、という気持ちになるはずだ。
ならば私たちには何ができるのだろうか。もちろん現地に行って、直接手を差し伸べるのが一番いいことだろう。しかしそれはなかなか難しい。私がしていることはまず今の状況がどうなっているか知るために本を読んでいる。雑誌と言ってもいいかもしれない。それにいつも目を通すようにしている。その次にしていることは募金だ。募金を呼び掛けている人たちを見ると、できるだけ募金するようにしている。直接ではないが、間接的に支援できていると思う。たった100円で5人の子供にワクチンを与えることができるのだ。100円で人の命を救うことができるのだ。素晴らしいことだ。缶ジュースをあきらめて募金すれば命を救うことができる。私は募金箱の前を素通りすることはしたくない。一番いけないことは、この事実を知っているのに何もしないことだ。死にそうな人がいる。それをただ見ている。応急処置の仕方がわからなかった、と言い訳でもするのか。それを何と言うか知っているか。見殺し、というのである。私に言わせれば、募金箱の前を素通りしている人は彼らを見殺しにしている。
言いすぎたかもしれないが、できるだけ世界に目を向けてほしい。自分には関係ない、と言って目を背けないでほしい。自分のことのように考えてほしい。すべての人が地球市民であってほしい。
あいにくの雨であったが、あまり寒くはなかった。それだけでも救いである。朝起きるのがだんだん億劫になってきた。蒲団がこの上なく気持ちいい。目覚ましが鳴っても、もう少し、と二度寝してしまいそうだ。
新聞に目を通すと、毎日のように発展途上国への募金の知らせが載っている。これをどのように見ているのだろうか。私は高校の時、持続可能な開発やJICA、地球市民など常に地球のこと考えながら生活するということを担任の先生から教わった。この担任の先生とは今でも交流があり、長期休暇には必ず会いに行く。先生もブログを書いていて、その内容はもちろん世界のことについて書いている。とくにアフリカが多い。私もこの先生に影響され、世界のことについて、常にアンテナを張るようにしている。日本は豊かな国だ。食べることにも飲むことにも困ることはない。着る服だってそうだ。毎日学校で授業を受けていられることもそうだ。それがこの国では当たり前だ。しかしそれが当たり前ではない国がたくさんある。いつ死ぬかわからない。一日一日が命懸けである。これは決して言いすぎではない。同じ空の下で生きているとは思えないほど過酷な状況の中で生きている。それをテレビで見ている私たちは何を感じているのだろうか。銃を持った子供たちが映し出されている。わが子を亡くし、泣き崩れる母親の姿が映し出される。面白くないから、と言ってチャンネルを変えるのか。バラエティー番組を見て、低俗な笑いで一日を終えるのか。それで一生過ごすのも有りだ。私にはあり得ないことだが。昨日も書いたが、感じるというのは難しいことだ。その人の気持ちを100%理解するというのは不可能だ。ましてや外国の全く知らない人ならなおさらだ。しかし難しいからと言ってそれで終わってしまうのか。理解できないのは当たり前だ。そうではなく、理解しようとすることが大切なのだ。目を背けるのではなく、真っ直ぐ見詰めてほしい。何かしなければ、という気持ちになるはずだ。
ならば私たちには何ができるのだろうか。もちろん現地に行って、直接手を差し伸べるのが一番いいことだろう。しかしそれはなかなか難しい。私がしていることはまず今の状況がどうなっているか知るために本を読んでいる。雑誌と言ってもいいかもしれない。それにいつも目を通すようにしている。その次にしていることは募金だ。募金を呼び掛けている人たちを見ると、できるだけ募金するようにしている。直接ではないが、間接的に支援できていると思う。たった100円で5人の子供にワクチンを与えることができるのだ。100円で人の命を救うことができるのだ。素晴らしいことだ。缶ジュースをあきらめて募金すれば命を救うことができる。私は募金箱の前を素通りすることはしたくない。一番いけないことは、この事実を知っているのに何もしないことだ。死にそうな人がいる。それをただ見ている。応急処置の仕方がわからなかった、と言い訳でもするのか。それを何と言うか知っているか。見殺し、というのである。私に言わせれば、募金箱の前を素通りしている人は彼らを見殺しにしている。
言いすぎたかもしれないが、できるだけ世界に目を向けてほしい。自分には関係ない、と言って目を背けないでほしい。自分のことのように考えてほしい。すべての人が地球市民であってほしい。
2010年10月31日日曜日
すぐにマヒしてしまうもの
今日で10月も終わりである。このブログを始めたのが夏休みが明けてしばらくしてからだったので、かなり続いている。もうすぐ冬休みになる。早いものだ。もうすぐテストなのでそちらの方も頑張りたい。
今日は部屋でゆっくりしていた。先週の休日は、友達と函館に行って、休みなしの状態だったので少し休みたかった。雨が明日から降るというので、外に行っておけばよかったかもしれないとも思ったが。まぁいいか。
いきなりだが「大人」とはどういう人のことを言うのだろうか。また何を基準として「大人」というのだろうか。私は今21歳になり、成人となっている。成人は大人になったということである。成人になったことで何か変わったか。正直、実感はない。青森に住んでいるので、大阪で行われた成人式には参加していない。青森でも参加していないが。成人式の位置づけはどうなっているのだろうか。おそらく様々な意見があるだろう。一種の通過儀礼(イニシエーション)と言う人もいるかもしれない。この意見が多いと思う。通過儀礼というものは大切だ。子供から大人に変わる一生に一度のことだ。外国でもこれは最も大切な儀式の一つだ。日本では考えられないようなこともする。何をするか教えてくれないところもある。それほど重要なことだ。しかし日本の通過儀礼と呼ばれる成人式はどうだろうか。テレビを見ていると、暴れている成人たちが会場から外に出されているのが映し出されている。アルコールを飲んでいる人は入場不可と注意書きまである。これを見ていて、これが通過儀礼と言えるのだろうか。後日、成人式に参加した私の友達に感想を聞いてみた。同窓会みたいなもんやった、という返答だった。私もこの答えは予想していた。私が思うに、成人式は同窓会だ。通過儀礼でも何でもない。これに参加して、今日から昨日とは全く違う人間になったという実感は無いはずだ。それでは意味が無い。私が参加しなかった理由がそこにある。時間の無駄だ。この日本では、いきなり大人になるというのは難しいことだ。どうしたら大人になれるのだろうか。少しずつ大人になっていけばいい。人づきあい、言葉づかい、冠婚葬祭のマナー、食事のマナー、学んでいけばいい。この学生時代には許されても社会に出ていけば許されないことがたくさんある。社会に出るときに「大人」になっていればいい。
大人になることは大切だが、大人になることによって、年を重ねることによって、失われていくものがある。それは「感じる」ことだ。これはすぐにマヒしてしまうものだ。以前に東京の秋葉原で起こった事件を覚えているだろうか。無差別殺傷事件。忘れることができないほど残酷な事件だった。もし自分がそこにいたらどうしていただろうか。実際そこに居なかったので、あくまで言いたいことだけになってしまうが。ぼーっと突っ立っているだけになってはいないだろうか。そんなことはないという人がいる。本当にそうだろうか。ただ、かわいそう、と遠くで見つめている人もいる。中には携帯で写真を撮っている人もいる。これが現実だ。刺された人はどう思っていただろう。助けてくれ、これ以外ないはずだ。私も刺されていたら間違いなくそう叫んでいただろう。なぜ助けないのか。人ごとになっていないだろうか。自分には関係ない、そう思ってはいないだろうか。もし近くにいた友達が先輩に血まみれになって殴られていたらどうするだろうか。知らん顔している自分はいないだろうか。友達は助けてくれるだろうと思って一人で行くと、誰も付いて来てくれない。痛みを分かち合おうとしない。感じることから逃げている。感じなくなることは楽なことだ。しかしこれは確実に非人間へと近ずいていっている。日常の友達づきあいでもそうだ。一方通行になっていないだろうか。自分は相手に様々なことをしてあげている。しかし、相手からは何も返ってこない。返って来ても少しだけ、というのはないか。友達というのは、自分から追いかけていくものだ。相手からしてもらったことは、今度は自分が相手に、してもらた事以上のことをしてあげるつもりで付き合っていかなければならないと思う。感じることから逃げたいのならしなくてもいい。感じないことは楽だ。感じることは体力のいることだ。しかしこれは大切なことだ。大人になることはすばしいことだ。しかし忘れてないけないものもある。
今日は部屋でゆっくりしていた。先週の休日は、友達と函館に行って、休みなしの状態だったので少し休みたかった。雨が明日から降るというので、外に行っておけばよかったかもしれないとも思ったが。まぁいいか。
いきなりだが「大人」とはどういう人のことを言うのだろうか。また何を基準として「大人」というのだろうか。私は今21歳になり、成人となっている。成人は大人になったということである。成人になったことで何か変わったか。正直、実感はない。青森に住んでいるので、大阪で行われた成人式には参加していない。青森でも参加していないが。成人式の位置づけはどうなっているのだろうか。おそらく様々な意見があるだろう。一種の通過儀礼(イニシエーション)と言う人もいるかもしれない。この意見が多いと思う。通過儀礼というものは大切だ。子供から大人に変わる一生に一度のことだ。外国でもこれは最も大切な儀式の一つだ。日本では考えられないようなこともする。何をするか教えてくれないところもある。それほど重要なことだ。しかし日本の通過儀礼と呼ばれる成人式はどうだろうか。テレビを見ていると、暴れている成人たちが会場から外に出されているのが映し出されている。アルコールを飲んでいる人は入場不可と注意書きまである。これを見ていて、これが通過儀礼と言えるのだろうか。後日、成人式に参加した私の友達に感想を聞いてみた。同窓会みたいなもんやった、という返答だった。私もこの答えは予想していた。私が思うに、成人式は同窓会だ。通過儀礼でも何でもない。これに参加して、今日から昨日とは全く違う人間になったという実感は無いはずだ。それでは意味が無い。私が参加しなかった理由がそこにある。時間の無駄だ。この日本では、いきなり大人になるというのは難しいことだ。どうしたら大人になれるのだろうか。少しずつ大人になっていけばいい。人づきあい、言葉づかい、冠婚葬祭のマナー、食事のマナー、学んでいけばいい。この学生時代には許されても社会に出ていけば許されないことがたくさんある。社会に出るときに「大人」になっていればいい。
大人になることは大切だが、大人になることによって、年を重ねることによって、失われていくものがある。それは「感じる」ことだ。これはすぐにマヒしてしまうものだ。以前に東京の秋葉原で起こった事件を覚えているだろうか。無差別殺傷事件。忘れることができないほど残酷な事件だった。もし自分がそこにいたらどうしていただろうか。実際そこに居なかったので、あくまで言いたいことだけになってしまうが。ぼーっと突っ立っているだけになってはいないだろうか。そんなことはないという人がいる。本当にそうだろうか。ただ、かわいそう、と遠くで見つめている人もいる。中には携帯で写真を撮っている人もいる。これが現実だ。刺された人はどう思っていただろう。助けてくれ、これ以外ないはずだ。私も刺されていたら間違いなくそう叫んでいただろう。なぜ助けないのか。人ごとになっていないだろうか。自分には関係ない、そう思ってはいないだろうか。もし近くにいた友達が先輩に血まみれになって殴られていたらどうするだろうか。知らん顔している自分はいないだろうか。友達は助けてくれるだろうと思って一人で行くと、誰も付いて来てくれない。痛みを分かち合おうとしない。感じることから逃げている。感じなくなることは楽なことだ。しかしこれは確実に非人間へと近ずいていっている。日常の友達づきあいでもそうだ。一方通行になっていないだろうか。自分は相手に様々なことをしてあげている。しかし、相手からは何も返ってこない。返って来ても少しだけ、というのはないか。友達というのは、自分から追いかけていくものだ。相手からしてもらったことは、今度は自分が相手に、してもらた事以上のことをしてあげるつもりで付き合っていかなければならないと思う。感じることから逃げたいのならしなくてもいい。感じないことは楽だ。感じることは体力のいることだ。しかしこれは大切なことだ。大人になることはすばしいことだ。しかし忘れてないけないものもある。
忘れていた作文
今日は昼から友達のM君と買い物に行った。寒かったがそれほどでもなかった。もう少しすると雪が積もるので、交通手段はバスになってしまうので、今のうちに自転車で走っておかないとという気分になる。たくさんの買い物をし、なかなか忙しい一日となった。
買い物から帰って来て、夕食を食べようと食堂に行ったのだが、私宛に書類のような封筒が届いていた。詳しくは見なかったので、また何かのアンケートかお知らせか何かかと思い、とりあえず横に置き、御飯を食べた。食べ終わり、もう一度その封筒をよく見てみると、「青森編集会議」と書いてあった。それで思い出したのだ。正確な日にちは覚えていないが、以前私はある作文を書いたのである。今年に12月4日に新青森駅が開通し、今よりも東京に約1時間くらい早く到着することができるようになる。その関係の作文だ。そのお題は「私の青森駅」というものだ。大学の玄関の近くに、旅行や運転免許の合宿など置いてあるようなところに、たまたま手に取ってみて、読んでみたものだ。青森駅は私の思い出のある場所である。800字だったのですぐに書けると思い、遊び半分で書いてみようと思った。しかしこれの最優秀賞者には10万円分の旅行券が贈呈されると書いてあるではないか。その下は3万円分の旅行券が贈呈されると書いてある。よし、一発当ててみようと思い、大学の図書館で授業の合間を縫い、一気に書き上げた。40分くらいで出来上がった。書いている途中に、その時のことを思い出し、こみ上げてくるものがあった。図書館だったので、泣くわけにはいかなかった。出来上がってすぐに、送ってみた。その結果は10月お知らせします、とのことであった。なのでこの封筒が届くまですっかり忘れてしまっていた。そういえばそんなん書いたっけ、という感じであった。急いで封筒を開けてみると、最優秀賞ではなく、優秀賞でもなく、佳作であった。少し残念?な気持ちになったが、嬉しくもあった。最優秀賞を取れると思っていたのだが。しかしよく考えてみると、選ばれただけでもなかなかのものである。その選ばれた作品が本になって出版されるというのだ。嬉しい限りだ。自分では何を書いたかはっきり覚えていないが、楽しみである。その出版記念会が12月にあるのだが、またとない機会なのでそれにも参加してみたいと思う。新青森駅開通が楽しみである。
買い物から帰って来て、夕食を食べようと食堂に行ったのだが、私宛に書類のような封筒が届いていた。詳しくは見なかったので、また何かのアンケートかお知らせか何かかと思い、とりあえず横に置き、御飯を食べた。食べ終わり、もう一度その封筒をよく見てみると、「青森編集会議」と書いてあった。それで思い出したのだ。正確な日にちは覚えていないが、以前私はある作文を書いたのである。今年に12月4日に新青森駅が開通し、今よりも東京に約1時間くらい早く到着することができるようになる。その関係の作文だ。そのお題は「私の青森駅」というものだ。大学の玄関の近くに、旅行や運転免許の合宿など置いてあるようなところに、たまたま手に取ってみて、読んでみたものだ。青森駅は私の思い出のある場所である。800字だったのですぐに書けると思い、遊び半分で書いてみようと思った。しかしこれの最優秀賞者には10万円分の旅行券が贈呈されると書いてあるではないか。その下は3万円分の旅行券が贈呈されると書いてある。よし、一発当ててみようと思い、大学の図書館で授業の合間を縫い、一気に書き上げた。40分くらいで出来上がった。書いている途中に、その時のことを思い出し、こみ上げてくるものがあった。図書館だったので、泣くわけにはいかなかった。出来上がってすぐに、送ってみた。その結果は10月お知らせします、とのことであった。なのでこの封筒が届くまですっかり忘れてしまっていた。そういえばそんなん書いたっけ、という感じであった。急いで封筒を開けてみると、最優秀賞ではなく、優秀賞でもなく、佳作であった。少し残念?な気持ちになったが、嬉しくもあった。最優秀賞を取れると思っていたのだが。しかしよく考えてみると、選ばれただけでもなかなかのものである。その選ばれた作品が本になって出版されるというのだ。嬉しい限りだ。自分では何を書いたかはっきり覚えていないが、楽しみである。その出版記念会が12月にあるのだが、またとない機会なのでそれにも参加してみたいと思う。新青森駅開通が楽しみである。
2010年10月30日土曜日
トランプ
昨日は書けなくて申し訳ありません。友達とトランプをすることになり、意外と盛り上がってしまったのだ。久しぶりのトランプであった。まずは大富豪。これはトランプの定番だと言ってもいいだろう。まずはこれで盛り上がった。その次に、UNOをした。しかしこれは久しぶりすぎて正確なルールを忘れてしまっていた。なかなか終わらないのである。1試合にかなりの時間を要した。これは無理だと思い、もう一度トランプに戻った。今度は7並べをした。小さいころは、これの何が面白いんだ、とこのゲームを嫌いになっていたが、このゲームの面白さ、深さがわかるようになった。昨日私たちがやったルールは、パスは3回まで、ジョーカー2枚入れる、といったものだった。なかなか頭を使うゲームだ。出せるカードがあるからといって、むやみに出すのは良くない。相手が出せないように考えながらカードを出さなければならない。わざとパスをするというのも作戦の一つだ。カードをすべて出して上がるというのではなく、3回パスをさせて沈没させるというものだ。最初の順番を決めるのから勝負はかなり左右してくる。勝ったり負けたりだった。みんな勝って終わりたいという願望があり、なかなか折れる人がいない。もちろん私も勝って終わりたい。勝ち逃げだ。最後と言っても、まだいける、といってなかなか終わらない。最後と言ってから、1時間以上がたった。ようやく本当の最後となり、終わることができた。日頃、トランプをする機会があまりないが、久しぶりにやるとこんなにも盛り上がるものなのだなと感心してしまった。テレビゲームは対もの、だがトランプは対人間である。つまり生きている。また機会があればやってみたい。
2010年10月27日水曜日
別れ
今日もかなり寒い日となった。もう寒いのが当たり前になってきそうだ。外に出るのも嫌になってきた。しかしまだまだ寒くなるのはこれからだ。
写真に写っているのは青森駅だ。私の第二の人生が始まったところだ。浪人生活にピリオドを打ち、ここに来ると決心した。私は諸事情により、早く家を出たいという思いがあった。その思いがかなうということで、最初は喜んでいた。しかし、引越しの準備をしているうちに、もう「この家」は「私の家」ではなくなるんだなと思うと悲しくなってきた。
まずここ青森に来たのは、これから住むところを探すために、3月中旬くらいに青森を訪れた。そして今の下宿にすると決めたのだが、帰りの電車を待つまで街を散歩したのだ。観光物産展のアスパムというのがあるのだが、そこに展望台がある。そこで時間を潰していた。その時はまだまだ冬で空も海も灰色をしていた。正直、迎え入れてくれそうな雰囲気はなかった。そろそろ電車の時間となり、帰るとき、トイレに寄った。私が先に行き、お母さんが後に入った。そしてお母さんが出てきた。泣いていた。私に兄がいるのだが、自宅通いで大学に行っている。だから家を出るのは私が初めてなのだ。大阪と青森では離れすぎている。行きたくてもすぐに行けない。私も泣きそうになったが、こらえるのに必死だった。
私が大阪を去る日になった。兄は用事で駅まで来れないとの事だった。なので先に兄が外出するので、私は兄を駅まで見送りに行った。改札前に来ると、兄と私は握手をし、兄は泣いていた。私も泣いていた。久しぶりに兄の涙を見た。別れというのはこれほどまでに悲しいものなのか。
そして今度は私が出発する。忘れ物が無いかチェックし、荷物を持った。駅までの道、駅の改札、地下鉄のホーム、地下鉄の中、吊革、繁華街の梅田、生まれ育った街の全てを目に焼き付けるように歩いて行った。これほど真剣に自分の街を見たのは初めてだ。ホームで電車を待っている間、たわいもない話ばかりする。別れの話をすると悲しくなる。電車が来た。別れの時間だ。まだ泣かない。扉が閉まった。窓の外に見える街はもう私の街ではなくなった。お母さんも泣いていなかった。電車が進むにつれてお母さんが見えなくなった。涙腺が緩んだ。生まれ育った街を見ながらひとり泣いた。悲しいものは悲しい。さびしいものはさびしい。泣いて泣いて泣きまくった。恥ずかしいとも何とも思わない。これほど悲しい思いをするのは初めてだった。
長期休暇は大阪に帰るのだが、また青森に戻るとき、私はいつも、もう二度と会えないのかもしれない、そう思って今生の別れをする。帰りたくても帰れない。だから久しぶりに大阪に帰った時は、一日一日を大切にする。触れ合う時間は限られている。わずかな時間だからこそ、余計に愛おしくなるのかもしれない。泣いてばかりで、泣き虫だの、情けないだの、と人は言うのだろうか。それでもいい。お母さんが大好きだ。兄が大好きだ。大阪が大好きだ。だからこそ出ていく。そう、強くなるために。涙こらえ、精一杯の強がりで言おう、「行ってきます。」
2010年10月26日火曜日
青森の冬
去年を思い出してみると、確かに雪は多かった。大阪では考えられないような雪の量だ。しかも寒い。自転車が交通手段の私だが、それも封鎖されてしまう。バスが交通手段になるのだが、私はバスが嫌いだ。なぜなら時間通りになかなか来ない。すごしやすい季節なら待っていられるだろうが、真冬でバスを待つことなど御免こうむりたい。体の芯から冷える。気がつけば鼻水が垂れている。もう一つ理由があるのだがそれは交通費が高い。私の下宿から駅前までで530円もするのだ。大阪から京都へ行くのに私鉄を使うと400円で行くことが出来る。自転車でも行ける距離なのになぜこれほどまでに高いのか。文句を言っても仕方がないことだが。
去年の冬休み、実家の大阪に帰ろうとした時だ。まだ寝台列車を使っていたのだが、駅前に着いてみると豪雪で寝台列車が運休になってしまっていたのだ。大変なことになったが、太平洋回りの新幹線は動いていた。お金を持っていなかったので急いで郵便局へいき、お金をおろしてみどりの窓口へ行った。最終の電車があと3分で出発するから社内で切符を買ってくれと言われ、走ってホームへ行き、ギリギリセーフで電車に乗ることが出来た。そして東京へ着いたのが23時過ぎで大阪まではもう新幹線が出ていなかったので、東京で一泊することになった。この時から私は東京で寄り道してから帰るようになった。どうせ同じ交通費を出すなら東京で遊んでから帰った方が得だと思ったからだ。同じ交通費と言っても、東京で遊んだらそれ以上の出費があるのだが。東京へ行くたびに面白い店を見つけることが出来る。はるばる遠いところから来ているので、ちょっとした自分へのご褒美だと思っている。
去年は初めての冬だったし、雪も私にとっては大変珍しいものだったので、ある意味楽しむことが出来たが、今年はおそらくそうはいかないだろう。青森は冬の間、晴れることが少ない。毎日雪が降るからだ。晴れないことが私にとって苦痛である。息が詰まる。どうにもならないことだが。
冬よ、お手柔らかに…。
2010年10月25日月曜日
経験
今日は雨が降り、朝はそれほど寒くはなかったが夕方くらいになると急激に寒くなった。明日はもっと寒くなるらしい。冬服の準備をしなければ。
休日の疲れが残っているのか、今日はかなり眠たかった。授業に集中できなかった。明日から気をつけるようにしたい。
函館に行ったとき、旧函館区公会堂や函館市旧イギリス領事館に行ってみた。それらは外国風の建物で異色の景色が楽しめる場所でもあった。私はこの前の夏休みに神戸に行き、異人館巡りをした。神戸にもその様な外国風の建物があるのだ。神戸以外にも横浜や長崎にもある。それらは昔から港町として栄えた場所である。大阪や青森にはないものなので、大変興味深い。外国に来たような気持ちになることが出来る。旧函館公会堂では女性だけではあるが当時の衣装も着ることが出来る企画もあるのだ。たまたまその衣装を着た女性を見かけることが出来た。やはり綺麗だ。この建物はかなり広く、いったい何人で住んでいたのだろうと思うくらいである。うらやましい。一度でいいからこんな所に住んでみたいものである。その建物の前には美しい坂がある。昨日のブログにも書いたが八幡坂などもあるのだ。これは非日常的な空間であった。感性が豊な人たちが住んでいたのだろう。
函館山から最高の景色を見たということを友達のS君に言ったら、函館山には幽霊が出るということを聞いた。S君が言うにはSくんが函館山を訪れたとき、カメラのシャッターが下りなかったと言うのだ。私が行った時は全て下りたが。タクシーの運転手がいうにはこの函館山は昔戦場だったと言っていた。防空壕もたくさん残っていた。そのことを思い出し、S君が言ったことも本当かもしれないと思った。しかしこの幽霊は毎日世界三大夜景を見れて、幸せだなとも思った。
様々な経験をすると感性が豊かになる。若いうちに経験することは大切だ。働くようになるとこのような経験はなかなかできない。若いのならもっとフットワークを軽くしなければ。今しかできないことはたくさんある。お金はかかるかもしれない。しかしこのような人間的に成長できる経験はお金をかけるべきだと思う。なぜなら金には代え難い何かがあるからだ。他人に借りたなら働くようになってから返せばいい。多くの様々な経験をしている人の話は面白い。説得力がある。経験の少ない人の話は聞こうと思わない。頭だけの話である。経験豊かな人間になりたい。
親友との休日
金曜日、土曜日とブログを更新できなかった。お許しください。更新できなかった理由は私の小学生時代からの友達がわざわざ青森まで遊びに来てくれたのだ。彼は今東京で公務員をしている。社会人だ。剣道仲間でもあり、良きライバルでもある。そして彼は私の一生の友達である。そういう理由で更新できなかった。今日はその友達と過ごした金曜日、土曜日のことについて書きたい。
金曜日、私は授業が終わった後すぐに彼を迎えに行くために友達の車で青森駅まで迎えに行った。そこで彼と合流し、とりあえず私の下宿に戻った。彼が青森に着た一番の理由は私と一緒に剣道をするというものである。高校までは少しではあるが時々一緒に稽古したが、ここ3年くらいは全く竹刀を交えていなかったので久しぶりにやろうということだった。そして彼と学校へ行き、剣道をした。本当に久しぶりだったので面白かった。部長に彼と試合がしたいと言ってみると許可をもらい、試合をすることになった。試合となると勝ち負けがつく。負けるわけにはいかない。久しぶりだったのでやはりお互いに剣道スタイルが変わり、先読みしにくくなっていた。まず私が引き面で先取した。もう一本入れてすっきり二本勝ちしてやろうと思ったが、甘くなかった。私が面に跳んだ時に、彼に読まれていたのか小手を打たれた。しまったと思ったが後の祭り。一対一となり勝負となった。再び小手を打たれるのを恐れたのか、なかなか面に跳ぶことが出来ない。彼はそれに気付いていたのか、ぐんぐん攻めてくる。私はさがるしかなかった。しかし時間となり、結果は引き分け。部長は決着付けてもいいよ、と言ってくれたが私は、お預けにします、と言ってまた次の機会にまわした。しかしあの勝負、彼が優勢だった。いつになるか分からないが次は今日のようにはさせない。
その夜、明日(土曜日)はどうしようかという話になり、彼は函館に行きたいと言い、函館に行くことになった。青森から函館は近いのだが私は行ったことがなかった。なので私もそれはいいと思い、大賛成であった。私も彼も北海道初上陸であった。電車の時間などを調べ、準備を整えた。
土曜日、午前5時に起き、行く支度をし、6時30分過ぎに下宿を出発した。休日だったので朝早くのバスが無かったので、自転車で青森駅に行くことにした。駅に着き、切符を買い、乗車した。結構ぎりぎりであった。指定席だったのだが私たち以外のお客さんは乗っていなかった。なので一車両貸し切り状態だった。足を延ばしてかなり快適だった。そして函館に上陸。気分が高ぶった。まず五稜郭に行くためにバスに乗った。私は新選組に興味があるのでかなり楽しみであった。新選組副長、土方歳三が最後に活躍した場所である。五稜郭の中に入ってみると箱館奉行所がありその中を見学することが出来た。その後、五稜郭タワーの上り、今度は五稜郭を上から見てみることに。タワーの最上階から五稜郭を見てみるとそれは感動的であった。本当に写真の通りの形をしている。それは美しい。新撰組ファンにとってはたまらないものだろう。その後駅前に戻り、路面電車に乗り、元町の方へ。そこには昔の外国風の建物があり、国の重要文化財となっているものが多い。さらにそこにはCMの舞台にもなった八幡坂がある。どれも美しい。気分上々だった。ベイエリアで昼食を済ませ、赤レンガ倉庫群あたりで買い物をしたり、甘いものを食べたりなどと最高の気分であった。そしてフィナーレはやはり世界の三大夜景を見なければ。これ無しでは函館に来た意味がない。ロープウェイが整備中だったのでタクシーを捕まえ山頂へ。夕方くらいに登ったので暗くなるまで少し時間があった。山頂はかなり寒かった。弾だんだん暗くなるにつれて街の明かりがつき始めた。そして気がつけばおなじみの景色に。言葉を失った。何と表現したらいいのか分からない。とにかく全てを忘れさせてくれるようなそれくらいの美しさである。すばらしい。時間も忘れる。これほど感動的な景色は久しぶりであった。来てよかった、そう思った。しかもこの親友と来れた。感謝とはこういうことを言うのだろうか。最高の思い出の一つになった。しかしかなり疲れた。帰りの電車はもちろん…
2010年10月21日木曜日
もめごと
今日も暖かい一日となった。昼からの授業で、私が昼休みの間に座る場所を確保しようと思い、本を数冊机の上に置いていたのだ。しかし昼ご飯から帰ってきてみると、誰かがその机に座っていたのである。本は横にずらして置いてあった。意味が分からなかった。私が、何で座ってるん?という雰囲気を出すと少し戸惑い始めたが、私はその座っていた人が好きではなかったので後ろの席に座ることにした。さっさと移動すればいいのになぜかずっと座っていたのだった。全く理解できない。
私の下宿で今少し騒ぎになっているのだ。それは何かと言うと下宿のオーナーが門限やルールなどを決めようとしているのだ。例えば朝ご飯は10時まで、晩ご飯は10時30分まで、夜11時以降は下宿の玄関に鍵をかける、調味料使用禁止、などと他にもあるのだが今までよりもルールが厳しくなりそうだ。なぜこのような事が起きたかは定かではないが、私が思うに、ある二人の生徒がオーナーがいるときに食堂の冷蔵庫を断りもなく何回も開けたりしていたことだと類推している。ここのオーナーは気分がころころ変わる気難しい人なのだ。なのでオーナーの気分を害すようなことはしてはいけないのだ。それをこの二人の生徒は分かっていない。それが原因だと思っている。確かにオーナーが言う、調味料を勝手に使うのは良くない。その調味料は下宿のものだ。それを私物化してはいけない。しかしわつぃがこの下宿に入居するときには良かったことが今回の件でダメなことになってしまいそうなのだ。それは良くない。これはしてもいいのか、これはどうなっているのかなどと確認したうえで契約書にサインした。それは守らなければならない。契約違反になってしまう。日本人は欧米とは違ってすぐ契約を破ってしまう。契約したことは守ってもらいたい。来週オーナーと話す機会があると思うので意見を言いたい。
2010年10月20日水曜日
病気が教えてくれたもの
今日は昨日やおとといとは違って、寒さが少し和らいだ。午後から自転車で出かけたのだが寒いとは感じなかった。もう少し今日のような日が続いてほしい。
月曜日の夜からNHKの番組「プロフェッショナル/仕事の流儀」という私が大好きだった番組が復活したのだ。これにはうれしい限りだ。この番組はある仕事に精通している人に焦点を当てて、その人を探っていくというものである。今回のプロフェッショナルは呼吸器外科医であった。私はこの呼吸器外科に少し関係がある。
高校生のとき、自然気胸という病気にかかり、呼吸器外科に入院したのだった。自然気胸という病気は肺が破れて、肺に空気がたまるという病気である。そういう病気だと言われた時は本当に悲しかった。なぜ私が、そう何度も思った。最初は近所の病院に行ったのだが、総合病院に行かなければならないと言われ、次の日の朝、その総合病院へと行ったのだ。しかもその日に入院と言われ、それもショックであった。こんなに若いのに、というように。さらに手術までしなければならないと言われたのだ。目の前が真っ白になった。
入院してからすぐにドレーンという太いチューブを脇の下からメスで穴をあけ、肺の奥まで挿入した。まず肺に溜まった空気を除かなければならないのだ。そのあとCT検査とレントゲンを撮り、結果を待った。CT検査の結果、やはり外科的処置で取り除かなければならないものが見つかったのだ。そして手術が決定した。ドレーンを入れたところや、胸が常に痛むので、普通の呼吸ができなかった。痛むのを防ぐために浅く早い呼吸になってしまうのだ。しかしそれでも呼吸をするたび痛むのだ。痛みをかばうように姿勢もかなり前かがみになり、背中の曲がったおじいさんへと変わり果ててしまった。今まで出来ていたことが一瞬にしてできなくなった。情けないというか悲しいというか、自分でも信じられなかった。
手術日、和服のようなものに着替え、手術室へと移動した。緑の壁の大きなトンネルのようなところを歩き、部屋へと入った。細長いベッドに横になり、ベッドの上にはドラマや映画などでよく見る、電気がたくさんついた電気スタンドのようなものがあった。全身麻酔をするための針を左手の甲に刺した。そして全身麻酔を入れられた。5秒くらいしたらいきなり目が回り始めた。一気に気分が悪くなったがすぐに睡魔が襲ってきた。10秒と起きていなかったであろう。これほどだとは思いもしなかった。
目が覚めたころには私の病室へ移動中だった。なぜか涙が出ていた。無事終わったからか、生きていたからか、安心したからかは分からない。お母さんも泣いていた。それを見ると本当に心配をかけたんだと改めて思った。手術中に兄が付けてくれたのか、私の携帯にストラップが付いていた。私にとってそれはお守りだ。今まで一回もそのストラップを外したことがない。もちろん今も私の携帯に付いている。
このときの私の医者(先生)にかなり迷惑をかけ、お世話になった。非常にユニークな先生であった。最初は大丈夫かなとも思ったが、この先生以外は信用できないと思うくらいこの先生を信用した。
健康第一と言うが正にその通りだ。健康を失って初めて健康のありがたさが分かる。この経験により私は日常ではなかなかできない社会勉強をすることが出来た。これは私にとって重要な思い出である。今だからこそ笑いながらこの体験談をすることができるが、当時は命懸けであった。この経験によってほんの少しかもしれないが、内面的に大きくなれたような気がする。病気が教えてくれたのだ。
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