2010年11月5日金曜日

揺るぎないアイデンティティ

 今日は昨日に引き続き、大学でキャリア形成講座が行われた。就活の進め方や、しゃべり方、電話、メールの仕方など具体的に説明してもらい、かなり参考になった。

 私は来年から本格的に就職活動が始まるのだが、私の兄は今就職活動の真っただ中である。兄は大学院1回生である。
 私と兄は中学校まで同じ学校に通っていた。小学校では同じ委員会に入り、同じクラブ活動に入るなどと兄と同じように過ごしていた。中学校でも同じクラブ活動(剣道部)に入り、ともに汗を流した。兄とは二つ違いなので兄が中学3年生になった時に、私が中学1年生になった。なので一緒に過ごしたのはたったの1年だったが最高の1年でもあった。試合の時では兄が大将、私が先鋒という黄金時代?を築き上げることができた。おそらく、我が中学校歴代最強のチームの様な気がする。兄が卒業してからは部員も少なくなり、衰退していったが。
 高校に進学するとき、私は何も考えず、ただ兄と同じ高校へ行きたいと思っていた。しかし不合格になってしまった。気が付けば、いつしか私はいつも兄と比べられるようになっていた。今までは何の違和感もなく、話を聞いてきたが、その不合格になった日以来、兄と比べられることをたまらなく嫌になった。違う人間なのに、どうして同じ道へと進まなければならないのか。兄は兄の進むべき道がある。それはあくまで兄の進む道である。私の道ではない。私の道は自分で切り拓くべきだ。
 兄は成績が良く、理系である。私は頭が悪く、文系である。兄は理系の高校、大学へと進学した。私は文系の道に進むと決めた。私の父は兄と同じ道に行かせようとした。私は断固として拒否した。兄がこちらの道に進むのなら、私はあちらの道に進もう。全く別の道に進もう、そう心に誓った。劣等感におびえ、兄がいない世界へ逃げたかった。一人の私として存在できる場所を求めていた。
 しかし私は突然気がついた。物事を同じ角度から見ているだけだということを。もっと違う角度から見ればいいのだ。それに気付いたとき、今まで背負っていた劣等感から一気に解放された。私は私。見方や見る人によって全く違うように映る。同じ角度から常に兄と自分を比較していたのは、誰でもない私自身だったのだ。
 私が守らなければならないのは、揺るぎないアイデンティティ。私は私らしく、劣等感におびえることなく生きていこう。この世で私は一人しかいないのだから。

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