2010年11月4日木曜日

死、ということ

 昨日もいろいろあってブログが書けなかった。あぁ忙しい(笑)。

 雨が続き、だんだんと寒くなってきた。先ほど、夜空を見てみるとオリオン座が見えるではないか。もう冬なのだ。しかし美しかった。

 昨日、大学の講義で東洋の思想という講義があったのだが、ブッダのことについてのビデオを見た。最後までは見ていないが、印象に残っていることは輪廻転生ということである。輪廻転生というのは、詳しくは語れないがわかりやすく言えば死んでも何かに生まれ変わるということである。ビデオの冒頭部でヤギが飼っている人に殺されるときに、突然笑い出したのだ。その人はなぜ笑うのかとそのヤギに聞いた。そのヤギは言った、499回ヤギとして生まれ変わってきたが、今度死んだら人間に生まれ変われる、言うのである。言った後、ヤギは涙を流し始めた。どうして泣くのかと聞いてみた。ヤギになる前は私もヤギを殺す人だった、とそのヤギはいい、その飼っていた人も泣きだした。輪廻転生とは仏教思想である。キリスト教の考えは、死ねば神のもとに帰ってゆくのである。つまりキリスト教から見れば、死は断絶的な考えになる。しかし仏教はいわば通過点みたいなものになる。死んだあとのことは死んだ人にしかわからないことだが。おそらくすべての人は死について真剣に考えたことがあると思う。私も考えたことがある。まだ小さい時に考えたこともある。その時は本当に怖くなった。死、って何だろう。どこへ行くのか。すべての生き物に死は常に付きまとっている。みんな死ぬ。お母さんも、兄も、友達も、いつか死ぬ。もちろん私もだ。それがいつなのか。あと50年後か。30年後か、それとも明日なのか。生と死は表裏一体である。死について考えた時、恐怖に打ちのめされそうになる。死ぬのは怖い。だからといって逃げているわけではない。死について話し合うことはまず無い。生きることだけを考えようと、言われるかもしれない。うん、その通りかもしれない。しかし、死から目を背けてはいけない。なぜなら死はいつもそばにいるのだから。何歳まで生きたい、とかどんな死に方がいいとか、聞かれたことがある。私の考えは、自分の人生のパーツがそろえばいつ死んでもいい、というものだ。長生きすることはいいことかもしれない。しかし私は長生きするだけなら良くないと思っている。死ぬときに、生きていてよかったと、胸を張って言えるようでなければ。死は何なのか、その答えが出るのはいつなのか、どうしたら答えが出るのか。それは今を常に精一杯生きている人が見つけることができるのだろう。
 全力で生きること、私にもできるはずだ。

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