2010年11月2日火曜日

地球市民

 今日から11月になった。今年もあと2カ月である。本当に一年は早いものだ。今やるべきことを確実にこなしていきたい。
 あいにくの雨であったが、あまり寒くはなかった。それだけでも救いである。朝起きるのがだんだん億劫になってきた。蒲団がこの上なく気持ちいい。目覚ましが鳴っても、もう少し、と二度寝してしまいそうだ。

 
 新聞に目を通すと、毎日のように発展途上国への募金の知らせが載っている。これをどのように見ているのだろうか。私は高校の時、持続可能な開発やJICA、地球市民など常に地球のこと考えながら生活するということを担任の先生から教わった。この担任の先生とは今でも交流があり、長期休暇には必ず会いに行く。先生もブログを書いていて、その内容はもちろん世界のことについて書いている。とくにアフリカが多い。私もこの先生に影響され、世界のことについて、常にアンテナを張るようにしている。日本は豊かな国だ。食べることにも飲むことにも困ることはない。着る服だってそうだ。毎日学校で授業を受けていられることもそうだ。それがこの国では当たり前だ。しかしそれが当たり前ではない国がたくさんある。いつ死ぬかわからない。一日一日が命懸けである。これは決して言いすぎではない。同じ空の下で生きているとは思えないほど過酷な状況の中で生きている。それをテレビで見ている私たちは何を感じているのだろうか。銃を持った子供たちが映し出されている。わが子を亡くし、泣き崩れる母親の姿が映し出される。面白くないから、と言ってチャンネルを変えるのか。バラエティー番組を見て、低俗な笑いで一日を終えるのか。それで一生過ごすのも有りだ。私にはあり得ないことだが。昨日も書いたが、感じるというのは難しいことだ。その人の気持ちを100%理解するというのは不可能だ。ましてや外国の全く知らない人ならなおさらだ。しかし難しいからと言ってそれで終わってしまうのか。理解できないのは当たり前だ。そうではなく、理解しようとすることが大切なのだ。目を背けるのではなく、真っ直ぐ見詰めてほしい。何かしなければ、という気持ちになるはずだ。
 ならば私たちには何ができるのだろうか。もちろん現地に行って、直接手を差し伸べるのが一番いいことだろう。しかしそれはなかなか難しい。私がしていることはまず今の状況がどうなっているか知るために本を読んでいる。雑誌と言ってもいいかもしれない。それにいつも目を通すようにしている。その次にしていることは募金だ。募金を呼び掛けている人たちを見ると、できるだけ募金するようにしている。直接ではないが、間接的に支援できていると思う。たった100円で5人の子供にワクチンを与えることができるのだ。100円で人の命を救うことができるのだ。素晴らしいことだ。缶ジュースをあきらめて募金すれば命を救うことができる。私は募金箱の前を素通りすることはしたくない。一番いけないことは、この事実を知っているのに何もしないことだ。死にそうな人がいる。それをただ見ている。応急処置の仕方がわからなかった、と言い訳でもするのか。それを何と言うか知っているか。見殺し、というのである。私に言わせれば、募金箱の前を素通りしている人は彼らを見殺しにしている。
 言いすぎたかもしれないが、できるだけ世界に目を向けてほしい。自分には関係ない、と言って目を背けないでほしい。自分のことのように考えてほしい。すべての人が地球市民であってほしい。

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