2010年10月27日水曜日

別れ

 今日もかなり寒い日となった。もう寒いのが当たり前になってきそうだ。外に出るのも嫌になってきた。しかしまだまだ寒くなるのはこれからだ。

 写真に写っているのは青森駅だ。私の第二の人生が始まったところだ。浪人生活にピリオドを打ち、ここに来ると決心した。私は諸事情により、早く家を出たいという思いがあった。その思いがかなうということで、最初は喜んでいた。しかし、引越しの準備をしているうちに、もう「この家」は「私の家」ではなくなるんだなと思うと悲しくなってきた。
 まずここ青森に来たのは、これから住むところを探すために、3月中旬くらいに青森を訪れた。そして今の下宿にすると決めたのだが、帰りの電車を待つまで街を散歩したのだ。観光物産展のアスパムというのがあるのだが、そこに展望台がある。そこで時間を潰していた。その時はまだまだ冬で空も海も灰色をしていた。正直、迎え入れてくれそうな雰囲気はなかった。そろそろ電車の時間となり、帰るとき、トイレに寄った。私が先に行き、お母さんが後に入った。そしてお母さんが出てきた。泣いていた。私に兄がいるのだが、自宅通いで大学に行っている。だから家を出るのは私が初めてなのだ。大阪と青森では離れすぎている。行きたくてもすぐに行けない。私も泣きそうになったが、こらえるのに必死だった。
 私が大阪を去る日になった。兄は用事で駅まで来れないとの事だった。なので先に兄が外出するので、私は兄を駅まで見送りに行った。改札前に来ると、兄と私は握手をし、兄は泣いていた。私も泣いていた。久しぶりに兄の涙を見た。別れというのはこれほどまでに悲しいものなのか。
 そして今度は私が出発する。忘れ物が無いかチェックし、荷物を持った。駅までの道、駅の改札、地下鉄のホーム、地下鉄の中、吊革、繁華街の梅田、生まれ育った街の全てを目に焼き付けるように歩いて行った。これほど真剣に自分の街を見たのは初めてだ。ホームで電車を待っている間、たわいもない話ばかりする。別れの話をすると悲しくなる。電車が来た。別れの時間だ。まだ泣かない。扉が閉まった。窓の外に見える街はもう私の街ではなくなった。お母さんも泣いていなかった。電車が進むにつれてお母さんが見えなくなった。涙腺が緩んだ。生まれ育った街を見ながらひとり泣いた。悲しいものは悲しい。さびしいものはさびしい。泣いて泣いて泣きまくった。恥ずかしいとも何とも思わない。これほど悲しい思いをするのは初めてだった。
 長期休暇は大阪に帰るのだが、また青森に戻るとき、私はいつも、もう二度と会えないのかもしれない、そう思って今生の別れをする。帰りたくても帰れない。だから久しぶりに大阪に帰った時は、一日一日を大切にする。触れ合う時間は限られている。わずかな時間だからこそ、余計に愛おしくなるのかもしれない。泣いてばかりで、泣き虫だの、情けないだの、と人は言うのだろうか。それでもいい。お母さんが大好きだ。兄が大好きだ。大阪が大好きだ。だからこそ出ていく。そう、強くなるために。涙こらえ、精一杯の強がりで言おう、「行ってきます。」

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