12月となり、もう1週間が過ぎた。12月にしてはまだまだ暖かいと思っていたが、昨日の夜から急に寒くなり、本格的な冬になってきた。そして世間もクリスマスやら年末年始やらとそんな雰囲気になってきている。今年も残り3週間である。気が付けば年が明けているだろう。毎年のことだが、仕事も一番忙しい時期になってきた。体調だけは崩さないようにしたい。お店が小さいので、一人休むと代替する人がいないので大ダメージとなってしまうからである。寝れるときは少しでも寝るようにしたい。
今日は休日であったが、忙しくなる前に済ませておきたい用事を済ませようと、病院へ行ったり美容院へ行ったり買い物したりといろいろ回っていたのである。疲れて体調を崩したくないのでできるだけ早く家に帰り、部屋でゆっくりしていたのである。2年前にインフルエンザにかかってしまった経験から、この時期は何としてでも乗り越えなければならない。なのでこの時期はできるだけ体力を使いたくないし、休日はできるだけ自宅待機していたいのである。今年はクリスマスの時期に9連勤しなければならない。いつも通りの9連勤だったら何ら問題ないのだが、忙しいときの9連勤はかなりきつい。その期間は確実に寝不足になるし、長時間労働になるので油断できないのである。休日になったからといって油断して体調を崩すくともできない、緊張した時期だ。そう思うと早く年が明けてほしいものである。クリスマスだろうが年末だろうが正月だろうが私はどうでもいいので早く過ぎ去ってほしい。本当に私はそういったものにあまり影響されない人間である。クリスマスだからといっておいしいものを食べるとか、年越しそばを食べるとか、おせちを食べるとか、そういったものに一切こだわりはない。毎日同じご飯を食べている。ご飯というか豆腐サラダであるが。お腹が満たされればそれで満足である。栄養が偏っているので、豆腐サラダプラスお店で売れ残った惣菜を持って帰って食べている。それでも偏っているが。年末年始などで太るという人が結構いるみたいだが、私には無関係な話である。おそらく太っている人がいて、その人がやせたいと希望するなら私と同じ食生活をすれば絶対に痩せると思う。しかし、その人は私のこの食生活にはおそらくついてこれないだろう。その人は食べることにある程度こだわりを持っているだろうし、割り切るのにも限界がある。私はこだわりはほとんどないので毎日同じ食事でも問題ないし、例え私が急に太ったとしても1カ月もあれば今の状態の戻せる自信もある。もちろんその時は今よりも食事制限をして運動もする。痩せる気もないのに痩せたい痩せたいという人がいる。痩せたいなら食べなければいい。それが一番である。でもその人にはできない。ではそれ以上に運動すればいい。でもそれくらいの運動もできない。なかなか厳しい現実である。いっそ今の状態を受け入れてそのままいればいいとも思ってしまう。好きなことを我慢しなければならないというのはかなりのストレスになってくる。これも健康によくない。人によってストレスの度合いが違ってくる。好きなことをするのが一番である。食べることが好きであれば我慢せずに食べればいい。そう思ってしまう。それなのに痩せたい痩せたいというのも変な話である。ご飯を食べなかったら体が動かないという人もいるが、ボクシング選手なんか減量でほとんど食事してない状況でもあれだけ動けるんだから全く問題ない。なぜか今日は適当に書いていたらこんな変な内容になってしまった。
日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2016年12月7日水曜日
2016年11月26日土曜日
奮い立たせてくれるもの
一昨日東京では雪が降り、そして積雪もあり、11月での積雪は観測史上初めてのことらしい。積雪といっても全然たいしたことはないのだが、ちょっとうっすら積もったくらいである。雪の降る前日はまだ暖かいくらいであったが、その雪の日は急に寒くなり、もう一気に冬になってしまった感じである。といっても来週には12月になるのでいつ本格的な冬になってもおかしくないのだが。
前回の投稿でスーパーで流れていた洋楽を探していたのだが、苦労した挙句見つかることができた。百数曲目で見つけたのである(笑)。べリンダ・カーライルの“Heaven on Earth”という曲であった。探している途中にもいろんな曲が聴くことができて新しい発見がたくさんあったのである。たまには当てもなく適当にいろんな曲を聞いてみるのもいいかもしれない。
最近もずっと映画を観ているのだがいい意味でも悪い意味でも印象に残る、残りやすい映画というのは私が思うに“過激”な表現があればあるほど残りやすいということがある。その“過激”というのは暴力表現であったり、残酷表現、エロなどいろんな意味を含んでいる。子供では観ることができない、つまりそれはR指定である。私のヒーローの一人であるシルヴェスタ・スタローンの主演映画の一つで“エクスペンダブルズ”シリーズがあるのだが、1作目と2作目ずっとR指定できていたのだが、3作目でスタローンがより若く幅広い世代に観てほしい気持ちがあり、目標はPG-13だったが、協会へ提出した際にR指定評価され、目標のPG-13を受けるために修正しなければならなくなった。スタローンはPG-13にするための過程を後悔しており、もし次回作を作るときは前2作と同様にR指定でいくと答えている。つまりスタローンもかなりこの表現にこだわりを持っている。2008年の『ランボー/最後の戦場』では過去のランボーシリーズよりも更に過激な表現があり、かなりエグイ内容となっている。銃撃戦では肉片が飛び散り、体がちぎれ、内臓が出て、血が吹き出る。しかし、この表現は大げさにやっているのではなく、実際に起こっていること、起こり得ることとして描いている。今までのランボーシリーズとは違って、ランボーのヒーロー像をできるだけ出さないようにした作品である。世間では酷評されているが私はすばらしい作品だと思っている。こういった表現は戦争映画のスピルバーグ監督の『プライベートライアン』が大きく変えたのである。実際に戦争に行っていた人の話をもとに、そしてその中でも一番エグイ内容を集めて作られた作品である。なのであれは大げさな表現ではなく実際にあった、実際に行われていた内容なのである。
上記で述べたR指定映画は観る人を選んでしまう。そういった“過激”な表現が苦手な人も大勢いる。私は好んで観るタイプなのだが。“正しい”、“美しい”、“清潔”、“きれい”、そういったものを希求するのはもちろんすばらしいことである。それは歓迎すべき精神の変化をもたらすのかもしれない。しかし私はそういったもの、価値をあまり認めていない。むしろ嫌っているかもしれない。自分自身を“正しい”、“美しい”、“清潔”、“きれい”といった清廉潔白であることを信じている人は、“愚かさ”、“不潔”、“残酷”、“恐怖”といったものを否定していることになる。ありがたいことに映画の世界ではこういった“愚かさ”、“不潔”、“残酷”、“恐怖”といったものを自ら公言し、笑いながら私たち観客にショッキングな映像を叩きつけてくる。私はそういった性格の悪い映画にどれほど救われたことか。度を越した暴力表現、残酷表現、性格の悪い皮肉な視点、圧倒的な力に無謀にも立ち向かっていく頭の狂った主人公たち。こういったものが私を勇気づけ、奮い立たせてくれる。今までにも何度も救われてきた。結局は無理だった、意味がなかった、未来を変えることはできなかった、現実なんて変わりはしない、それでも主人公たちは戦う。そういったものに私はより感動を覚える。ただのハッピーエンドでは物足りないんだな。もちろんおもしろい作品は山ほどあるのだが。映画は普段では観ることのできない、経験することのできないものを私たちに観せてくれる唯一の機会である。実際の生活の中で、もし私自身が何かで悩み、苦しみ、病んでいる。しかし、映画の中では私よりもはるかに過酷な現状で数億倍苦しんでいる。それでも主人公たちは立ち向かっていく。それを観れば今私が悩んでいることなんて石ころレベルである。そんな風に観ることができたら今実際に苦しみ悩んでいれば、少し楽になるのではないだろうか。現実と映画とは全然違うんだよ、という人はそれでいいと思うし、私は説得も何もしない。だが私はそうは思えない。現実の生活をより豊かにしてくれ、悩み、苦しみ、ストレスを軽減させてくれる。それが映画の良さの一つではないかと思っている。そもそもエンターテイメントってそういうものではないか。その一つが映画、ただそれだけの話である。
前回の投稿でスーパーで流れていた洋楽を探していたのだが、苦労した挙句見つかることができた。百数曲目で見つけたのである(笑)。べリンダ・カーライルの“Heaven on Earth”という曲であった。探している途中にもいろんな曲が聴くことができて新しい発見がたくさんあったのである。たまには当てもなく適当にいろんな曲を聞いてみるのもいいかもしれない。
最近もずっと映画を観ているのだがいい意味でも悪い意味でも印象に残る、残りやすい映画というのは私が思うに“過激”な表現があればあるほど残りやすいということがある。その“過激”というのは暴力表現であったり、残酷表現、エロなどいろんな意味を含んでいる。子供では観ることができない、つまりそれはR指定である。私のヒーローの一人であるシルヴェスタ・スタローンの主演映画の一つで“エクスペンダブルズ”シリーズがあるのだが、1作目と2作目ずっとR指定できていたのだが、3作目でスタローンがより若く幅広い世代に観てほしい気持ちがあり、目標はPG-13だったが、協会へ提出した際にR指定評価され、目標のPG-13を受けるために修正しなければならなくなった。スタローンはPG-13にするための過程を後悔しており、もし次回作を作るときは前2作と同様にR指定でいくと答えている。つまりスタローンもかなりこの表現にこだわりを持っている。2008年の『ランボー/最後の戦場』では過去のランボーシリーズよりも更に過激な表現があり、かなりエグイ内容となっている。銃撃戦では肉片が飛び散り、体がちぎれ、内臓が出て、血が吹き出る。しかし、この表現は大げさにやっているのではなく、実際に起こっていること、起こり得ることとして描いている。今までのランボーシリーズとは違って、ランボーのヒーロー像をできるだけ出さないようにした作品である。世間では酷評されているが私はすばらしい作品だと思っている。こういった表現は戦争映画のスピルバーグ監督の『プライベートライアン』が大きく変えたのである。実際に戦争に行っていた人の話をもとに、そしてその中でも一番エグイ内容を集めて作られた作品である。なのであれは大げさな表現ではなく実際にあった、実際に行われていた内容なのである。
上記で述べたR指定映画は観る人を選んでしまう。そういった“過激”な表現が苦手な人も大勢いる。私は好んで観るタイプなのだが。“正しい”、“美しい”、“清潔”、“きれい”、そういったものを希求するのはもちろんすばらしいことである。それは歓迎すべき精神の変化をもたらすのかもしれない。しかし私はそういったもの、価値をあまり認めていない。むしろ嫌っているかもしれない。自分自身を“正しい”、“美しい”、“清潔”、“きれい”といった清廉潔白であることを信じている人は、“愚かさ”、“不潔”、“残酷”、“恐怖”といったものを否定していることになる。ありがたいことに映画の世界ではこういった“愚かさ”、“不潔”、“残酷”、“恐怖”といったものを自ら公言し、笑いながら私たち観客にショッキングな映像を叩きつけてくる。私はそういった性格の悪い映画にどれほど救われたことか。度を越した暴力表現、残酷表現、性格の悪い皮肉な視点、圧倒的な力に無謀にも立ち向かっていく頭の狂った主人公たち。こういったものが私を勇気づけ、奮い立たせてくれる。今までにも何度も救われてきた。結局は無理だった、意味がなかった、未来を変えることはできなかった、現実なんて変わりはしない、それでも主人公たちは戦う。そういったものに私はより感動を覚える。ただのハッピーエンドでは物足りないんだな。もちろんおもしろい作品は山ほどあるのだが。映画は普段では観ることのできない、経験することのできないものを私たちに観せてくれる唯一の機会である。実際の生活の中で、もし私自身が何かで悩み、苦しみ、病んでいる。しかし、映画の中では私よりもはるかに過酷な現状で数億倍苦しんでいる。それでも主人公たちは立ち向かっていく。それを観れば今私が悩んでいることなんて石ころレベルである。そんな風に観ることができたら今実際に苦しみ悩んでいれば、少し楽になるのではないだろうか。現実と映画とは全然違うんだよ、という人はそれでいいと思うし、私は説得も何もしない。だが私はそうは思えない。現実の生活をより豊かにしてくれ、悩み、苦しみ、ストレスを軽減させてくれる。それが映画の良さの一つではないかと思っている。そもそもエンターテイメントってそういうものではないか。その一つが映画、ただそれだけの話である。
2016年11月21日月曜日
あの洋楽
11月ももう少しで終わってしまうくらいになってきた。もう12月である。寒いのは嫌いなので毎朝玄関を開けるたびに、本当は寒いのだが、「まだ寒くないな」とか「まだいけるな」などなど寒いのを認めたくない自分がいるのである。しかし、もうそれも限界に近付いてきた。冬の朝に、仕事に向かうための玄関を開けるというのは大仕事である。それが成功すれば一日の9割は成功したようなものである。この大仕事が毎日続いて行くと思うと本当に嫌になってくる。文句を言っても仕方ないのだが。
私が今住んでいる最寄駅にイオンがあるのだが、毎晩仕事帰りに晩ご飯を買ったりするのに利用している。ほぼ毎日地下のスーパーで買い物をしているのだが、そこでいつも音楽が流れている。常に洋楽でそれも正確な年代はわからないが、70年代80年代90年代のちょっと昔の洋楽が流れているのだ。なんてすばらしいスーパーなのだといつも感心している。知っている洋楽も多々流れていて心の中ではいつもノリノリで買い物をしているのだ。つい先日行ったときもいつものように流れていて、私の知らない曲が流れていたのだが、それがめちゃくちゃよかったのである。なんていう曲かを知りたかったのだが、誰に聞いていいのかわからないし、そもそも「今流れている曲は何ていう曲ですか」とも言う勇気もなかなか出てこない。質問できたとしても変質者と言われてもおかしくない。私は言われても気にしないのだが(笑)。というか“変”だし(笑)。しかし、そのときはなかなか質問しようという気力が起こらなかった。これがかなり後悔していて、あの時聞いておけばよかったと今頃になって思うのだ。その後も何度もそのスーパーに行っているのだが、あの曲は流れてこない。一日中いたら流れるかもしれないが、そんなヒマもないし(あるといったらあるのだが)、そんな体力もない(あるといったらあるのだが)。インターネットで70年代80年代90年代洋楽ヒット曲でそれぞれ検索して調べているのだが、まだ見つかっていない。しかもあのときいいなーと思ったが、その肝心のメロディーを忘れてしまったのである。また聴いたら思い出すと思うのだが、一度聴いただけではやはり記憶に残りにくいようだ。それはただ単に覚えが悪いだけかもしれないが。気になったことはその場で解決した方がいいと今更思ってしまう。この後もインターネットであの洋楽を探す予定だが、これも大変な作業である。また別のいい曲も発掘してしまうのでなかなか前に進まない。それはそれでいいのだが。今度そのスーパーに行ったときに流れていたら聞いてみよう。
私が今住んでいる最寄駅にイオンがあるのだが、毎晩仕事帰りに晩ご飯を買ったりするのに利用している。ほぼ毎日地下のスーパーで買い物をしているのだが、そこでいつも音楽が流れている。常に洋楽でそれも正確な年代はわからないが、70年代80年代90年代のちょっと昔の洋楽が流れているのだ。なんてすばらしいスーパーなのだといつも感心している。知っている洋楽も多々流れていて心の中ではいつもノリノリで買い物をしているのだ。つい先日行ったときもいつものように流れていて、私の知らない曲が流れていたのだが、それがめちゃくちゃよかったのである。なんていう曲かを知りたかったのだが、誰に聞いていいのかわからないし、そもそも「今流れている曲は何ていう曲ですか」とも言う勇気もなかなか出てこない。質問できたとしても変質者と言われてもおかしくない。私は言われても気にしないのだが(笑)。というか“変”だし(笑)。しかし、そのときはなかなか質問しようという気力が起こらなかった。これがかなり後悔していて、あの時聞いておけばよかったと今頃になって思うのだ。その後も何度もそのスーパーに行っているのだが、あの曲は流れてこない。一日中いたら流れるかもしれないが、そんなヒマもないし(あるといったらあるのだが)、そんな体力もない(あるといったらあるのだが)。インターネットで70年代80年代90年代洋楽ヒット曲でそれぞれ検索して調べているのだが、まだ見つかっていない。しかもあのときいいなーと思ったが、その肝心のメロディーを忘れてしまったのである。また聴いたら思い出すと思うのだが、一度聴いただけではやはり記憶に残りにくいようだ。それはただ単に覚えが悪いだけかもしれないが。気になったことはその場で解決した方がいいと今更思ってしまう。この後もインターネットであの洋楽を探す予定だが、これも大変な作業である。また別のいい曲も発掘してしまうのでなかなか前に進まない。それはそれでいいのだが。今度そのスーパーに行ったときに流れていたら聞いてみよう。
2016年11月15日火曜日
フランスから来日
最近メガネ話が多くて申し訳ないのだが、先日私がかけているメガネブランドの一つのデザイナーの方がフランスから来日されるということで、ぜひとも伺わせていただこうと思っていたのである。来日されてメガネのお店に来るのは20時半くらいで約1時間ほどの滞在予定みたいであった。私はその日は仕事だったのだが、ちょうど早上がりの日だったので仕事が終わったらお店に行こうと予定していたのである。しかし、その日は金曜日ということもあって夕方から忙しくなり、18時上がりの予定だったのが19時15分上がりになってしまい、急いでいったん自宅に戻り、着替えて準備をして移動はすべて走って向かったのである。お店に到着したのは21時20分くらいで閉店ギリギリであった。いつもお世話になっている男性にスタッフと先日話をしていただいた女性のスタッフの方もいらっしゃり、そしてデザイナーさんもいらっしゃって短い時間であったが話をさせていただいたのである。このデザイナーさんはメガネ業界では大御所中の大御所である。自分のブランドだけでなく、誰もが知っているラグジュアリーブランドのメガネのデザインも手掛けている方で、めちゃくちゃ有名な方なのである。それだけすごい方なのに、すごく温和な方で優しい笑顔で話をしてくださるのである。その方は英語で話をされていたのだが、私は英語は話せないので思いっきり日本語で話をしていたのだが(笑)。私は今まで買ったそのブランドのメガネすべて持って来ていて、そのメガネケースすべてにサインを書いていただいたのである。もう最高である。そして一緒に写真を撮っていただくこともできた。以前、といっても7,8年前くらいになるのだが、私が高校生だったか大学生だったかそれくらいのときに、その時はまだ大阪にしか本店がなかったときで、その大阪のお店にデザイナーさんが来日されるときがあって、その当時も呼んで頂いていたのだが、日程が合わず、当時は会うことができなかった。それがやっと会うことができたということである。急いできた甲斐があった。最後はがっちり握手もしていただき、最高の時間を過ごすことができたのである。帰り道、少し雨が降ってきたのだが、そんなことはどうでもよかった。あれだけ有名な方に会うことができたのだから。今度来日されるときはまた駆けつけたい。
作業ではなく仕事を
先日まではかなり寒かったのだが、ここ数日はまた少しだが暖かくなり過ごしやすい気温だったが、雨が降ったりしてなかなか落ち着かない天気であった。また明日からは寒くなるみたいである。とはいってももう11月半ばでもうすぐ12月になる。やはり9月から時間が経つのが早く感じる。季節の変わり目ということで体調を崩している人が多いみたいなので、体調管理には気をつけたい。
最近仕事で本所属ではない、以前働いていたところにヘルプでシフトインしていたのだが、本所属のところがもう年末近いということもあって、やっと本拠地に地に足を付けてシフトインできるようになった。私が留守にしている間、スタッフの方が定期的に私に連絡を入れてくれていたので、いろんなことがあったみたいでそれを解決していかなければならない。それがなかなか大変である。スタッフの一人である方は基本業務のみをやっていただいているのだが、その方が閉店作業に時間がかかっているらしく、タイムカードを打刻しているのがかなり遅い時間なのである。そのお店は20時に閉店しているのだが、その方が打刻する時間は21時半であったり日によっては22時を回っていたりする。私は20時30分に終わって帰っているのだが。もう一人の方は20時45分である。なぜこれほどまでに時間がかかっているのかわからないのだが、まぁいろいろ理由はあるのだろうけどちょっと時間がかかり過ぎである。私よりも1時間半も遅いのはかなり問題である。これをどうにかせねばならない。早くやる気がないのなら入り時間を遅くして拘束時間をずらすしかないのだが、もう少し時間を考えながら作業してほしいものである。時間は無限にあるものではない。時間的にどうしても終わる事ができないこもあるが、そこまでの仕事量はない。限られた時間の中でどうやって今ある仕事を終わらせることができるかどうかを考えながら仕事をしなければならない。ただやるだけならそれは仕事ではなく作業である。残業代目当てならそれはまた別の話になるのだが。よく残業代目当てに毎日何かしら残業している人はよく見かけるのだが、それはそれで鬱陶しいものである。時間内にどうやったら終われるかを考えて仕事している人よりも、ダラダラ仕事をやって残業している人の方が給料が高いのは絶対におかしい話である。がんばっている人がどんどんやる気がなくなってしまう。これは防がなければならない問題である。自分で気が付けばいいのだが、こういうのはなかなか気が付かないものである。こういうことを指摘するのが一番大変な仕事である。それを解決していかなくてはならない。
最近仕事で本所属ではない、以前働いていたところにヘルプでシフトインしていたのだが、本所属のところがもう年末近いということもあって、やっと本拠地に地に足を付けてシフトインできるようになった。私が留守にしている間、スタッフの方が定期的に私に連絡を入れてくれていたので、いろんなことがあったみたいでそれを解決していかなければならない。それがなかなか大変である。スタッフの一人である方は基本業務のみをやっていただいているのだが、その方が閉店作業に時間がかかっているらしく、タイムカードを打刻しているのがかなり遅い時間なのである。そのお店は20時に閉店しているのだが、その方が打刻する時間は21時半であったり日によっては22時を回っていたりする。私は20時30分に終わって帰っているのだが。もう一人の方は20時45分である。なぜこれほどまでに時間がかかっているのかわからないのだが、まぁいろいろ理由はあるのだろうけどちょっと時間がかかり過ぎである。私よりも1時間半も遅いのはかなり問題である。これをどうにかせねばならない。早くやる気がないのなら入り時間を遅くして拘束時間をずらすしかないのだが、もう少し時間を考えながら作業してほしいものである。時間は無限にあるものではない。時間的にどうしても終わる事ができないこもあるが、そこまでの仕事量はない。限られた時間の中でどうやって今ある仕事を終わらせることができるかどうかを考えながら仕事をしなければならない。ただやるだけならそれは仕事ではなく作業である。残業代目当てならそれはまた別の話になるのだが。よく残業代目当てに毎日何かしら残業している人はよく見かけるのだが、それはそれで鬱陶しいものである。時間内にどうやったら終われるかを考えて仕事している人よりも、ダラダラ仕事をやって残業している人の方が給料が高いのは絶対におかしい話である。がんばっている人がどんどんやる気がなくなってしまう。これは防がなければならない問題である。自分で気が付けばいいのだが、こういうのはなかなか気が付かないものである。こういうことを指摘するのが一番大変な仕事である。それを解決していかなくてはならない。
2016年11月8日火曜日
メガネ屋さんで盛り上がり
今日の東京はすごく寒い一日となった。手がかじかんできそうな感じであった。今年は夏が終わって秋を通り越して冬になってしまったような、そんな気候である。もう冬だな。早いものだなー。
新調していたサングラスを取りに、またメガネ屋さんに行っていた。夕方から天気が悪くなりそうな予報だったので、早く行って早く帰ろうと思い、午前中から出かけていたのである。今日はいつものスタッフの方がお休みで、女性の方が担当して下さったのだが、この方とも話が合い、3時間近く話をしてしまったのである。最初はもちろんメガネの話であった。新調していたサングラスにプラスチックの鼻パッドが付いていたのだが、私の顔には合わず、その鼻パッドを削ってほしいとお願いしていたのである。削る作業はすごく珍しかったですと言われたのだ。フランスで作られているメガネなので日本人向けには作られておらず、日本人はたいてい鼻パッドがなければかけられないものが多いのだ。私が選んだサングラスはカーブのきついものなので、普通だと鼻には乗らずに頬に乗ってしまう人が多いみたいなのだが、私は逆に鼻パッドがない方がしっくりくるのである。鼻パッドを付けることは多くても削ることはなかなかないみたいである。次は仕事の話であったり、外国の話であったり、日本の風潮であったりといろんな話をしたが、私の考えとすごく似ているところが多く、すごく楽しい時間であった。その方の結婚相手の方がニューヨークに住んでいるらしく、私もニューヨークかぶれ?ということもあり、話が盛り上がったのである。あの街、あの島独特のあの雰囲気、空気は何なんだろうね、と言葉では言い表せないもので熱く語っていたのだ。そして外国と日本の比較であったり、もちろんファッションの話にもなった。私もかなり目立ちそうな服装をしていたので、私が「変な目で見られることが多いですよ(笑)」と言ったら、その方は「それはIさん(私の名前)が個性を、自分を持っていてその人は持っていないからですよ」と言ってくれたのである。嬉しい言葉であった。つい先日のハローウィンの話にもなり、盛り上がることに関してや、日本独特に変化したハローウィンのイベントに関しては何も文句はないのだが、何か違和感を覚えるよねー、何か違うよねーと二人で討論していた。みんながやっていることはやりたくないという意見は完全に一致して爆笑していた。その方も仕事上でも海外へ飛び回っている方なので、やはり見てきたもの、経験してきたものが多いのである。私も聞いていて勉強することばかりであった。その方も、「久しぶりに元気な若者?に会えてなんか安心しました。この若くて体力があるときに、お金も使って?いろんな経験をしてください。それは全部自己投資になりますから」と言葉をいただいたのである。そう言ってくださると嬉しいものである。まぁ最近はお金を使い過ぎてヤバいと思うことが多いので、少しは気をつけないといけないのだが(笑)。
2016年11月6日日曜日
変わらないもの
最近東京は天気のいい日が続いて大変過ごしやすい。今日は休みであったが、ずっと部屋にいて昨日渋谷のタワーレコードで買った映画4本をずっと観て過ごしていた。ずっとパソコンの画面を見ていると目が疲れてしまうが、そんなことには構わず見続けた。どれもおもしろかったのでついつい観てしまうのだな。
先日、高校時代の友人から連絡があり、前々から電話するわと言っておきながらなかなか電話できずにいたので、調度仕事の帰り道だったので、電話して話をしたのである。結果的には3時間ほど電話してしまったのだ。久しぶりだったので話すことも多いわけである。話をしていて私とその友人が感じたことはおそらく、あの時と何も変わっていないんだな(成長していない)ということである(笑)。私たちは何につけても“暴言”を繰り返しはき続けるので、一つのネタで延々と“暴言”を言いまくるのである。それが高校時代からずっと続いているのだな。そういう意味で何も変わっていないのである(笑)。高校時代、休み時間に、廊下でその“暴言”をはいて笑いまくっていたら、私の担任の先生が通り、先生が「お前ら文化祭で漫才しろ」とまで言われたのである。低レベルな内容でいちいち笑ってしまうのだな。もう言ってしまえば30歳近いオッサンらがあの時と変わらない内容で、あの時と同じように、アホみたいに、バカみたいに笑えることは、私たちはまだまだ“高校生”なのかもしれない(笑)。私としては小学4年生くらいから何も変わっていない気がするのだが(笑)。私はそれがいいと思っている。人生楽しまな損である。苦しいことも、悲しいことも、辛いことも、笑えるネタになればそれはすごい能力である。そんな生き方がいい。人生どれだけストレスなく生きていくか。私はそれが大前提であるから。
その友人との電話は日が変わってもしゃべり続けた。彼は大阪に住んでいるのでなかなかすぐに会うことができない。私が大阪に帰っても結局すぐに東京に戻らなければならないので、なかなか予定を定めるのが厳しいのが現状である。大学時代は長期休暇が多かったので青森から大阪に帰ったときに会っていたのだが、働きだしてからはおそらく一度も会えていないような気がする。ゆっくり会って話をしたいものだな。まぁ、会って話をしても内容はどうせいつもの“アレ”なのだが(笑)。久しぶりだったので話をしていると内容がいろんなところに飛んで結局話が長くなってしまったのである。おそらく3年後、5年後、10年後、30年後、死ぬ間際になっても私たちは変わらずに、いつもの“アレ”で笑い合っているだろう。いつまでも変わらず、ずっとあの時のままだ。それが紛れもない“私たち”である。また会える日を楽しみに、私たちは電話を切り、また日常へと戻ったのである。
先日、高校時代の友人から連絡があり、前々から電話するわと言っておきながらなかなか電話できずにいたので、調度仕事の帰り道だったので、電話して話をしたのである。結果的には3時間ほど電話してしまったのだ。久しぶりだったので話すことも多いわけである。話をしていて私とその友人が感じたことはおそらく、あの時と何も変わっていないんだな(成長していない)ということである(笑)。私たちは何につけても“暴言”を繰り返しはき続けるので、一つのネタで延々と“暴言”を言いまくるのである。それが高校時代からずっと続いているのだな。そういう意味で何も変わっていないのである(笑)。高校時代、休み時間に、廊下でその“暴言”をはいて笑いまくっていたら、私の担任の先生が通り、先生が「お前ら文化祭で漫才しろ」とまで言われたのである。低レベルな内容でいちいち笑ってしまうのだな。もう言ってしまえば30歳近いオッサンらがあの時と変わらない内容で、あの時と同じように、アホみたいに、バカみたいに笑えることは、私たちはまだまだ“高校生”なのかもしれない(笑)。私としては小学4年生くらいから何も変わっていない気がするのだが(笑)。私はそれがいいと思っている。人生楽しまな損である。苦しいことも、悲しいことも、辛いことも、笑えるネタになればそれはすごい能力である。そんな生き方がいい。人生どれだけストレスなく生きていくか。私はそれが大前提であるから。
その友人との電話は日が変わってもしゃべり続けた。彼は大阪に住んでいるのでなかなかすぐに会うことができない。私が大阪に帰っても結局すぐに東京に戻らなければならないので、なかなか予定を定めるのが厳しいのが現状である。大学時代は長期休暇が多かったので青森から大阪に帰ったときに会っていたのだが、働きだしてからはおそらく一度も会えていないような気がする。ゆっくり会って話をしたいものだな。まぁ、会って話をしても内容はどうせいつもの“アレ”なのだが(笑)。久しぶりだったので話をしていると内容がいろんなところに飛んで結局話が長くなってしまったのである。おそらく3年後、5年後、10年後、30年後、死ぬ間際になっても私たちは変わらずに、いつもの“アレ”で笑い合っているだろう。いつまでも変わらず、ずっとあの時のままだ。それが紛れもない“私たち”である。また会える日を楽しみに、私たちは電話を切り、また日常へと戻ったのである。
2016年11月4日金曜日
メガネの良さ
本日の東京はすごく天気のいい日であった。影を歩けば少し肌寒く、太陽の下だと少し暑いくらいであった。まだ過ごしやすい時期である。これがあっという間に冬になってしまうのだな。私はどちらかというと寒いよりも暑い方が好きである。寒いと縮こまってストレスがたまるからである。まあどうでもいいのだが(笑)。
先日メガネを拭いているときにメガネが折れてしまうという事件というか事故が起こってしまい、そのメガネは大切なもののひとつなので修理に出していたのである。そのメガネの修理ができたということで電話がかかってきていたので、今日はちょうど天気もいいということでメガネを取りに行ってきた。予想以上に修理のクオリティが高く、折れたところがほとんど分からない状態になっていた。修理代は1万円と少し高かったのだが、大切なものなので、できればずっと使っていたいものである。私が行っているメガネのお店は東京では2店舗、大阪でも2店舗ある。私のメガネの価値観をぶっ壊してくれたのが私が通っていた高校の近くにあり、私が気に入ったメガネブランドの本店が梅田のスカイビルの近くにあった。当時高校生の時にお世話になっていて、数年前に東京にも店舗を出店するということで、大阪にいらっしゃった店員さんが東京に来ていて、改めて東京でお世話になっているということである。意外にもつながっているんだな。
メガネをかけ出したころは、メガネが大嫌いでできればかけたくないものであった。しかし、メガネなしでは生活に支障をきたしてしまうほど悪くなってしまい、嫌々かけていたのである。そんなとき、調度メガネの替えどきということでメガネを探そうとしたとき、そういえば高校の近くにメガネ屋さんがあったなということでお邪魔させていただいたのだ。私の人生の転換期の一つである。メガネはただ単に視力の補助をするための道具ではなく、表情を豊かにさせてくれる道具の一つであるということを教えてくれたのだ。メガネは服とは違って顔の一部である。話をしていて相手に与える印象が大きく違ってくるのだ。そういう考え方があるのだと私は知ったのである。メガネの値段はやはり高い。これで良いや、と気軽に買える値段ではない。でも、その値段そのものの美しさ、楽しさ、個性、価値がある。授業中にだけかける、仕事中にだけかける、というのではメガネもかわいそうである。「私メガネ似合わないだよね」という人が結構いるが、それはただ単に自分に似合うメガネに出会っていないだけだ。私はおそらく通算してメガネ、サングラスを試しにかけた数は1000型を超えていると思う。そのお店に置いてあるメガネすべて試しがけさせていただくくらいの勢いである。置いてあるものは芸術そのもの。自分に合うものは必ずあるのだ。
私のファッションの入口はメガネだったのである。大学1年生以来、メガネは買っておらず、少しメガネから遠のいてしまっていたが、夏にまたメガネを新調し、サングラスなども新調して、改めてメガネっていいなーと再確認していたのである。その日の気分によって今日はこのメガネ、このサングラス、コンタクトで、といろんな“顔”を持つことができる。そういう楽しみ方もできる。自分の人生を豊かにさせてくれる道具なのだ。
2016年10月28日金曜日
“ヒーロー”、“正義”の在り方
またまた久しぶりの投稿になってしまった。気が付けばもう10月末になり、冬が近づいているのか最近すごく寒くなってきた。このまま年末年始へ突入していくことだろう。早いものだなー。職場では先日お歳暮の準備をしてきたところである。一つやることを終えればまた次とやらなければならないことが現れてくる。休んでいる暇もない。まあどこへ行ってもそうだから文句を言っても仕方がないのだが。忙しくなる時期であるし、寒くなってきているので体調には気を付けていきたい。
連日、いや、連投になって申し訳ないのだが先日といってもかなり前なのだが、『ウォッチメン』という映画を観た。これはアメコミを実写化した映画である。これは久しぶりの私の中での大ヒット映画になり、おもしろ過ぎたので原作(日本語版)も手に入れて読みふけっていた。そして、日本では販売されていないのだが、アメリカでは“ディレクターズカット版”という私が持っているDVDの本編よりも長いものが販売されていた。そして更に調べていると“アルティメットカット版”というものが存在し、日本販売版の約50分も長いものがあることが判明。好きなものはとことん追求しなければならないので、早速手配してアルティメットカット版を手に入れたのである。
この映画はかなり難解な映画である。この現実世界にヒーローをぶち込んだら世界はどうなってしまうのか、というのを究極に突き詰めて考えた映画なのである。ここまで考えられた映画はおそらく存在しないだろう。その中で考えられる“ヒーローの在り方”、“正義の意味”を我々読者の判断に委ねられている作品なのだ。クリストファー・ノーラン監督のダークナイト3部作でもこれらの内容に踏み込んだ作品だったが、私はダークナイトシリーズよりもはるかに分かりやすく、そして更に踏み込んだ、すばらしい作品ではないかと思う。わかりやすいと言っても一度観ただけでは理解することは到底不可能だが。映画から入った私は原作を読んだことで理解できなかったシーンを消化することができたし、ヒーローたちのそれぞれの葛藤や性格、信念も理解することができた。
よくよく考えてみると、というか考えなくてもわかるのだが、“ヒーロー”というのはわかりやすく言うと頭がおかしいのである。ダークナイトのバットマンなんかも法では裁くことができない悪党を自分がマスクをかぶって戦うのだ。その時点で犯罪を当然のように犯している。違法行為満載なのだ。このウォッチメンに出てくるヒーローたちも頭がおかしい人ばかりである。映画の進行役も務めるロールシャッハというヒーローもまためちゃくちゃ頭がおかしいし、はっきり言って我々がイメージするヒーロー像とは大きくかけ離れている。しかもこのロールシャッハはヒーローとはいっても超能力を持っているわけでもない、ただの人間なのだ。彼のすごさはその精神力なのだ。絶対に妥協しない男なのである。かつてニーチェが残した『ツァラトゥストラはかく語りき』で言った“超人”を体現した男なのだ。何があっても妥協しないのだ。そこが本当にカッコいいのだ。彼の放つ言葉はすべて名言になり得る。「たとえ世界が滅んでも、絶対に妥協しない。」、「アルマゲドンが到来しようと俺は絶対に妥協しない・・・・・絶対に・・・・・。」彼はこうも言った、「人の心に潜む悪の可能性を知り、腐りきった世界のハラワタを見て・・・・・それでも進み続けた。」と。彼は事件の黒幕を暴き、最後の戦場へ向かうとき、こう言葉を残した。「俺自身に悔いはない。妥協を許さず、いい人生を送った。喜んで暗黒に足を踏み入れるとしよう。」
この映画の最後は予想をはるかに超えた結末が待っている。それぞれの中にある“ヒーロー”、“正義”とは一体何なのか。どれが正しくて、どれが間違いのか。最後に語られるある日誌の言葉によってこの後の世界はどうなっていくのか。その答えは我々読者それぞれが考えなければならないのだ。
アメコミと聞くと結構アクションシーンをイメージしてしまうことが多い。それを期待してこの映画を観てしまうとはっきりいっておもしろくないだろう。時代が冷戦時代なのでピンとくる言葉がなかなか出てこないのでこれもまた理解するのに大変だろう。だが私はもしすすめるのであればこういうだろう。「観ろ。おもしろいから。」と。すばらしい映画の一つである。ロールシャッハのようにあれほど妥協を許さず生きていくのは難しいだろう。しかし、自分の人生である。妥協したくないときなんかもある。貫かなければならないこともある。その葛藤で悩み苦しみながら人間ていうのは少しずつ進んでいくんだなーとそんなことを考える。
連日、いや、連投になって申し訳ないのだが先日といってもかなり前なのだが、『ウォッチメン』という映画を観た。これはアメコミを実写化した映画である。これは久しぶりの私の中での大ヒット映画になり、おもしろ過ぎたので原作(日本語版)も手に入れて読みふけっていた。そして、日本では販売されていないのだが、アメリカでは“ディレクターズカット版”という私が持っているDVDの本編よりも長いものが販売されていた。そして更に調べていると“アルティメットカット版”というものが存在し、日本販売版の約50分も長いものがあることが判明。好きなものはとことん追求しなければならないので、早速手配してアルティメットカット版を手に入れたのである。
この映画はかなり難解な映画である。この現実世界にヒーローをぶち込んだら世界はどうなってしまうのか、というのを究極に突き詰めて考えた映画なのである。ここまで考えられた映画はおそらく存在しないだろう。その中で考えられる“ヒーローの在り方”、“正義の意味”を我々読者の判断に委ねられている作品なのだ。クリストファー・ノーラン監督のダークナイト3部作でもこれらの内容に踏み込んだ作品だったが、私はダークナイトシリーズよりもはるかに分かりやすく、そして更に踏み込んだ、すばらしい作品ではないかと思う。わかりやすいと言っても一度観ただけでは理解することは到底不可能だが。映画から入った私は原作を読んだことで理解できなかったシーンを消化することができたし、ヒーローたちのそれぞれの葛藤や性格、信念も理解することができた。
よくよく考えてみると、というか考えなくてもわかるのだが、“ヒーロー”というのはわかりやすく言うと頭がおかしいのである。ダークナイトのバットマンなんかも法では裁くことができない悪党を自分がマスクをかぶって戦うのだ。その時点で犯罪を当然のように犯している。違法行為満載なのだ。このウォッチメンに出てくるヒーローたちも頭がおかしい人ばかりである。映画の進行役も務めるロールシャッハというヒーローもまためちゃくちゃ頭がおかしいし、はっきり言って我々がイメージするヒーロー像とは大きくかけ離れている。しかもこのロールシャッハはヒーローとはいっても超能力を持っているわけでもない、ただの人間なのだ。彼のすごさはその精神力なのだ。絶対に妥協しない男なのである。かつてニーチェが残した『ツァラトゥストラはかく語りき』で言った“超人”を体現した男なのだ。何があっても妥協しないのだ。そこが本当にカッコいいのだ。彼の放つ言葉はすべて名言になり得る。「たとえ世界が滅んでも、絶対に妥協しない。」、「アルマゲドンが到来しようと俺は絶対に妥協しない・・・・・絶対に・・・・・。」彼はこうも言った、「人の心に潜む悪の可能性を知り、腐りきった世界のハラワタを見て・・・・・それでも進み続けた。」と。彼は事件の黒幕を暴き、最後の戦場へ向かうとき、こう言葉を残した。「俺自身に悔いはない。妥協を許さず、いい人生を送った。喜んで暗黒に足を踏み入れるとしよう。」
この映画の最後は予想をはるかに超えた結末が待っている。それぞれの中にある“ヒーロー”、“正義”とは一体何なのか。どれが正しくて、どれが間違いのか。最後に語られるある日誌の言葉によってこの後の世界はどうなっていくのか。その答えは我々読者それぞれが考えなければならないのだ。
アメコミと聞くと結構アクションシーンをイメージしてしまうことが多い。それを期待してこの映画を観てしまうとはっきりいっておもしろくないだろう。時代が冷戦時代なのでピンとくる言葉がなかなか出てこないのでこれもまた理解するのに大変だろう。だが私はもしすすめるのであればこういうだろう。「観ろ。おもしろいから。」と。すばらしい映画の一つである。ロールシャッハのようにあれほど妥協を許さず生きていくのは難しいだろう。しかし、自分の人生である。妥協したくないときなんかもある。貫かなければならないこともある。その葛藤で悩み苦しみながら人間ていうのは少しずつ進んでいくんだなーとそんなことを考える。
“金曜の夜、ニューヨークで一人の男が死んだ―”
2016年9月8日木曜日
はい上がる映画
今日も台風の影響なのか、雨がかなり強く降っていた。と思っていたら急に止んで青空が見えたり、また土砂降りになったりと落ち着かない天気であった。今日は雨が降る予報だったので、昨日のうちに買い物を済ませ、今日は一歩も外に出なかった。今日は家でずっと映画を観て過ごしていた。最近は自分が好きな映画ばかりを観るのではなく、他の人がおもしろいと言っていたものや人気の映画も観るようにしている。自分の適応範囲を広げることにしているのだ。昔は自分の好きな俳優やシリーズを観るようにしていたが、監督別に見てみたりとそんな見方もしている。これもいろいろ勉強になるんだな。
今日はアル・パチーノ主演の『スカーフェイス』とロバート・デ・ニーロ主演の『グッドフェローズ』を観ていた。たまたまどちらもギャング映画だった。どちらもギャング映画の金字塔、そして映画史上に残る最高の作品である。もちろん出演しているアル・パチーノもロバート・デ・ニーロもめちゃくちゃカッコいいんだな。ギャング映画ということで両作品とも人を殺しまくっていて苦手な人も多いのかもしれないが、ディズニー映画みたいな誰が観ても安心できる映画と違って、一定方向の刺激だけではなく、あらゆる方面からの刺激があって最高におもしろいのである。そして、ギャング映画というのはのし上がっていく夢のある話だ。金持ちになって、女抱いて、コカインやって・・・と自分のやりたいことは何でもできる夢にあふれた映画だ。『スカーフェイス』のアル・パチーノが高級レストランで泥酔してフラフラになりながら周りにいる人に言うのだが、「お前らみたいな気取り散らかしたバカには、俺みたいな悪党に会うことは二度とないだろう。お前らみたいなウソつきとは違って、俺は常に正直にやっている。たとえウソをついているときでもな。」と。このシーンだけで涙が出てくる。それくらい心に響いてくる作品なのである。
こういうのし上がっていく映画は後半には破滅に道に進んで行ったりすることが多い。こういう映画が嫌いな人は、「やっぱり悪いことをすればこうなるんだな」と思う人がほとんどだろう。最終的に自分の底が見えない欲に負けてしまうのだろうが、欲がなければはい上がることもできない。世間通常一般に言われる“普通”がいいという人はこういう映画は好きになれないだろうし、欲がある人はこういう映画が好きなはずだ。人一倍に努力し、知恵を付け、人を騙し、蹴落とし、どんな手を使っても生き残る。そしてはい上がっていく。“普通”には見ることができない世界が詰まっている。だから私はその人が破滅の道に落ちていこうが、そういう人たちは絶対にカッコイイと思うし、尊敬するし、最高だと思っている。こういう映画はそんな夢を見せてくれるんだな。
今日はアル・パチーノ主演の『スカーフェイス』とロバート・デ・ニーロ主演の『グッドフェローズ』を観ていた。たまたまどちらもギャング映画だった。どちらもギャング映画の金字塔、そして映画史上に残る最高の作品である。もちろん出演しているアル・パチーノもロバート・デ・ニーロもめちゃくちゃカッコいいんだな。ギャング映画ということで両作品とも人を殺しまくっていて苦手な人も多いのかもしれないが、ディズニー映画みたいな誰が観ても安心できる映画と違って、一定方向の刺激だけではなく、あらゆる方面からの刺激があって最高におもしろいのである。そして、ギャング映画というのはのし上がっていく夢のある話だ。金持ちになって、女抱いて、コカインやって・・・と自分のやりたいことは何でもできる夢にあふれた映画だ。『スカーフェイス』のアル・パチーノが高級レストランで泥酔してフラフラになりながら周りにいる人に言うのだが、「お前らみたいな気取り散らかしたバカには、俺みたいな悪党に会うことは二度とないだろう。お前らみたいなウソつきとは違って、俺は常に正直にやっている。たとえウソをついているときでもな。」と。このシーンだけで涙が出てくる。それくらい心に響いてくる作品なのである。
こういうのし上がっていく映画は後半には破滅に道に進んで行ったりすることが多い。こういう映画が嫌いな人は、「やっぱり悪いことをすればこうなるんだな」と思う人がほとんどだろう。最終的に自分の底が見えない欲に負けてしまうのだろうが、欲がなければはい上がることもできない。世間通常一般に言われる“普通”がいいという人はこういう映画は好きになれないだろうし、欲がある人はこういう映画が好きなはずだ。人一倍に努力し、知恵を付け、人を騙し、蹴落とし、どんな手を使っても生き残る。そしてはい上がっていく。“普通”には見ることができない世界が詰まっている。だから私はその人が破滅の道に落ちていこうが、そういう人たちは絶対にカッコイイと思うし、尊敬するし、最高だと思っている。こういう映画はそんな夢を見せてくれるんだな。
2016年9月3日土曜日
伊勢丹と阪急の違い
先日、久しぶりに新宿に行く機会があった。私は普段新宿にはあまり行くことがない。映画を観に行くくらいである。新宿には、TOHOシネマズ新宿、新宿ピカデリー、新宿バルト9の3つの巨大な映画館があるので、観たい映画、時間帯が必ずこの3つの中にあるので、立川にある極上爆音上映会以外であれば、映画館は自然と新宿になってしまうのである。話は戻るが、新宿に行ったついでに、新宿にある伊勢丹のメンズ館に行ってきた。伊勢丹メンズ館は見に行くだけで、買い物はしたことがない。どちらかといえば私は阪急メンズ館で買い物をしているので、同じものがあっても阪急メンズ館に行く。置いている商品が違ったり、入っているブランドが違ったりで、比較したり、調査したりしたいときに伊勢丹メンズ館に行く。先日とある友人にどこがどう違うの?の聞かれたのだが、私自身そこまで深く考えていなかった。即答すれば、阪急系列のカードを持っている、出身が大阪なので馴染みがあるのは阪急だから、だろうか。伊勢丹は1968年にメンズ専用の百貨店をつくり、2008年に大阪で阪急がメンズ館をつくった。そして2011年に東京の有楽町に2店舗目を建てたのである。2008年大阪にメンズ館ができたとき、私は高校3年生だった。受験の帰りに、ちょうどその日がメンズ館オープンの日だったので、制服を着たままメンズ館に行ったのである。人、ヒト、ひと、でごった返していたし、カメラマンなどの報道陣もたくさんいたのを覚えている。人が多すぎて買い物どころか品物すらもまともに見れないので、適当に回ってすぐに帰った。話はそれてしまったが、伊勢丹派か阪急派か聞かれたら私は阪急派だ。いろいろネットの意見や自分自身が見て思ったことは、伊勢丹の方が高級志向というか、洗練されているように感じる。品物の見せ方などが阪急に比べて上手いような気がする。取扱いブランドは大まかなところはほとんど違わない。キートンは伊勢丹に入っていて阪急にはなかったが、メンズではないが阪急本館の方でキートンが入った。エルメスは伊勢丹で見ることができるが阪急では見ることができない。先日阪急本館で、婦人靴でイギリス発のブランド、マノロブラニクがオープンした。阪急もなかなかやるではないか。私が知っている範囲ではこの程度の違いくらいだ。伊勢丹メンズ館はブランドごとに仕切られていないので、解放感がある。阪急メンズ館はブランドごとに仕切られている。見やすいといったら見やすいのだが。ネットの意見では伊勢丹優勢の意見が多かった。確かに伊勢丹の方が意見であるように、洗練されていて敷居が高くてカッコよく見える。だがなぜか私はそれでも阪急の方が好きなんだな。ただ単に慣れ親しんでいるのが理由だろう。
東京では伊勢丹、大阪では阪急だろう。三越伊勢丹が大阪に出店していたが、業績不振で撤退した。日本最大の売上を誇る伊勢丹新宿店のノウハウをそのまま大阪に持ち込んだみたいだ。しかし、大阪出店時に工夫を凝らすことにかけていたのだ。伊勢丹の誇るPOSシステムを持ってして品揃えを豊富に、完璧にもっていったそうだ。品数豊富だと客はそのお店を訪れて買い物を楽しんでくれる考えたのだ。大阪人はケチ、という一般的な印象とは正反対で、平均購入額は首都圏を大きく上回る上顧客なのだ。なのでほしい品物が見つかると三越伊勢丹のブランド価値も相俟って絶対に勝者になれると踏んだらしいのだ。一方阪急は伝統的な独自の方法で東京資本の巨大な怪物を迎え撃ったのだ。それはイベントの数。阪急の年間イベント開催数は大中小を合わせると6000回を超えるのだそうだ。毎日15回以上のイベントが展開されている。めちゃくちゃ面白いイベントを見たことがあし、アストンマーティンやらハーレーダビッドソンやら高級車をずらっと並べてあったりと、そのイベントのクオリティの高さに阪急の底力を感じたことがある。関西では品ぞろえが多くても、オモロイ百貨店には勝てないということを王者の三越伊勢丹は感じただろう。“巨大な怪物を迎撃した百貨店”ということで、意地とプライドを見せつけた阪急が私は好きなんだな。生き残る力を見せてくれた阪急である。
東京では伊勢丹、大阪では阪急だろう。三越伊勢丹が大阪に出店していたが、業績不振で撤退した。日本最大の売上を誇る伊勢丹新宿店のノウハウをそのまま大阪に持ち込んだみたいだ。しかし、大阪出店時に工夫を凝らすことにかけていたのだ。伊勢丹の誇るPOSシステムを持ってして品揃えを豊富に、完璧にもっていったそうだ。品数豊富だと客はそのお店を訪れて買い物を楽しんでくれる考えたのだ。大阪人はケチ、という一般的な印象とは正反対で、平均購入額は首都圏を大きく上回る上顧客なのだ。なのでほしい品物が見つかると三越伊勢丹のブランド価値も相俟って絶対に勝者になれると踏んだらしいのだ。一方阪急は伝統的な独自の方法で東京資本の巨大な怪物を迎え撃ったのだ。それはイベントの数。阪急の年間イベント開催数は大中小を合わせると6000回を超えるのだそうだ。毎日15回以上のイベントが展開されている。めちゃくちゃ面白いイベントを見たことがあし、アストンマーティンやらハーレーダビッドソンやら高級車をずらっと並べてあったりと、そのイベントのクオリティの高さに阪急の底力を感じたことがある。関西では品ぞろえが多くても、オモロイ百貨店には勝てないということを王者の三越伊勢丹は感じただろう。“巨大な怪物を迎撃した百貨店”ということで、意地とプライドを見せつけた阪急が私は好きなんだな。生き残る力を見せてくれた阪急である。
ゴキブリ出現
久しぶりの投稿である。申し訳ない。8月下旬、仕事の全国会議があり、そのための資料を作成しなければならなかったり、いろいろやらないといけないことがあったりでなかなかブログ更新ができなかった。とまあ、いつもの言い訳になってしまうのだが、少し落ち着いたということである。落ち着いたといっても、まだまだやることは山ほどあり、すぐにお歳暮の時期になり、クリスマス、年末年始と気が付いたら年が明けているだろう。もう9月になった。先日台風が来ていて、少し寒いくらいであったが、ここ最近はまた暑さが戻ってきたという感じである。まだ大阪はめちゃくちゃ暑いみたいだが、東京は少しずつ秋に近付いている感じかな。とにかくまだ夏を満喫したい私である。
先日、引越しをしてから初めてゴキブリが出たのである。毎日1匹は殺していた。2匹殺した日もある。急に大量発生したのだ。寝ていても、ゴキブリが床を歩くをとが聞こえたり、すぐ近くでカサカサと音がしたりで、ゴキブリとは全く関係ないモノ音でもゴキブリがいると思ってしまい、落ち着かなくてほとんど寝ることができなかった。これはヤバいと思い、お店でホウ酸団子みたいな毒が入ったエサを3種類買い、家の中には20個ほど、廊下には10個ほど置いたのである。そのエサを置き始めてからなぜか急にゴキブリが出なくなったのだ。エサの効果が出るまでに1週間ほどかかると書いていたので、まだエサの効果が出る前だが、とりあえず1匹も見なくなった。どこかに隠れているだけかもしれないのだが、今は落ち着いている。隣の部屋でバルサンをたいたのか理由はわからないが、ゴキブリは急に出てきたときにびっくりしてしまうのでやめてほしいものである。
先日、引越しをしてから初めてゴキブリが出たのである。毎日1匹は殺していた。2匹殺した日もある。急に大量発生したのだ。寝ていても、ゴキブリが床を歩くをとが聞こえたり、すぐ近くでカサカサと音がしたりで、ゴキブリとは全く関係ないモノ音でもゴキブリがいると思ってしまい、落ち着かなくてほとんど寝ることができなかった。これはヤバいと思い、お店でホウ酸団子みたいな毒が入ったエサを3種類買い、家の中には20個ほど、廊下には10個ほど置いたのである。そのエサを置き始めてからなぜか急にゴキブリが出なくなったのだ。エサの効果が出るまでに1週間ほどかかると書いていたので、まだエサの効果が出る前だが、とりあえず1匹も見なくなった。どこかに隠れているだけかもしれないのだが、今は落ち着いている。隣の部屋でバルサンをたいたのか理由はわからないが、ゴキブリは急に出てきたときにびっくりしてしまうのでやめてほしいものである。
2016年7月23日土曜日
デニム受注会に参加
先日久しぶりに連休があり、3月に引越しをしてから全く片付けをしていなかったので、さすがにこれではヤバいと思い、ようやく片付けをしたのである。20箱ほど段ボールがあったのだが、ほとんど使いそうもないものは箱にしまったままにして、使いそうなものは箱から取り出し、5箱ほど残して他はすべて何とか片付けをすることができた。ポスターも壁に貼り付け、ようやく自分の部屋らしくなった。部屋がきれいになると気持ちもスッキリする。部屋がきれいだと日々の掃除もしやすくなる。床にモノが散らかっていると、掃除機をかけようと思ってもそれらが邪魔でなかなかスムーズに掃除機をかけることができないので、そんな時はやっぱり掃除が余計に面倒になってしまう。しかし、床に何もなければただ掃除機をかけるだけでよいので、掃除も楽になるのだ。こういう状態を常に保っていなければならない。とりあえず今はそういう状態になった。これが続けばいいのだが。
まだ関東は梅雨明けしていないようだ。関西はもう梅雨明けをして、北陸も昨日梅雨明けをしたみたいである。今日の東京は曇りで、ここ2,3日は涼しい日が続いている。もう少しで関東も梅雨明けをするだろう。そしたら夏本番である。もうそんな時期なのか。早いなー。
久しぶりに一人で東京駅、丸の内、有楽町を歩いた。やっぱり一人で歩くのは自分のペースで行動できるので気が楽である。私は一人の場合、ご飯も食べずに動き続けるので今日は結局夜ご飯だけ食べた。久しぶりに買い物をしたのである。その後、私がここ最近はいているデニムの新作の受注会が渋谷のあるお店で開催されるということでそれに参加してきた。そのデニムのデザイナーさんが14時以降に会場にご来店されるというので、それに合わせて渋谷に向かったのである。一度このブログでも書いたことがあるが、デザイナーさんとは今年の2月に初めてお話をさせていただいたのである。昨年の受注会の時にもご来店されていたのだが、大変忙しい様子でお話しすることができなかったのだが、今年の2月はたまたま客が少なく、私個人に作品一点一点を紹介していただき、名刺までいただいてしまったのである。最初は話し辛かったらどうしようとかいろいろ考えてしまっていたのだが、いざ話をしてみると大変優しい方で、話もしやすく、物腰の低い方で、本当にすばらしい方であった。その後、家に帰ってから名刺にメールアドレスが書いてあったので、お礼のメールを送ったところ、そのメールに返信までしていただき、すごく驚いたのと同時にすごくうれしかった。世界中を飛び回っている方なので、大変忙しいにもかかわらず、わざわざ返信していただいたのである。こういうところもすばらしい。今回も様々な貴重なお話も聞くことができ、大変有意義な時間であった。前回もそうだが、今回も握手していただき、感激である。すごいことをしていると、だんだん偉そうになってきてしまうのが人間だが、偉くなればなるほど謙虚にならなければならないと、この方と話をしていて毎回思うのだ。今回受注したデニムは年末年始くらいにできる予定みたいなので、楽しみにしていたい。
まだ関東は梅雨明けしていないようだ。関西はもう梅雨明けをして、北陸も昨日梅雨明けをしたみたいである。今日の東京は曇りで、ここ2,3日は涼しい日が続いている。もう少しで関東も梅雨明けをするだろう。そしたら夏本番である。もうそんな時期なのか。早いなー。
久しぶりに一人で東京駅、丸の内、有楽町を歩いた。やっぱり一人で歩くのは自分のペースで行動できるので気が楽である。私は一人の場合、ご飯も食べずに動き続けるので今日は結局夜ご飯だけ食べた。久しぶりに買い物をしたのである。その後、私がここ最近はいているデニムの新作の受注会が渋谷のあるお店で開催されるということでそれに参加してきた。そのデニムのデザイナーさんが14時以降に会場にご来店されるというので、それに合わせて渋谷に向かったのである。一度このブログでも書いたことがあるが、デザイナーさんとは今年の2月に初めてお話をさせていただいたのである。昨年の受注会の時にもご来店されていたのだが、大変忙しい様子でお話しすることができなかったのだが、今年の2月はたまたま客が少なく、私個人に作品一点一点を紹介していただき、名刺までいただいてしまったのである。最初は話し辛かったらどうしようとかいろいろ考えてしまっていたのだが、いざ話をしてみると大変優しい方で、話もしやすく、物腰の低い方で、本当にすばらしい方であった。その後、家に帰ってから名刺にメールアドレスが書いてあったので、お礼のメールを送ったところ、そのメールに返信までしていただき、すごく驚いたのと同時にすごくうれしかった。世界中を飛び回っている方なので、大変忙しいにもかかわらず、わざわざ返信していただいたのである。こういうところもすばらしい。今回も様々な貴重なお話も聞くことができ、大変有意義な時間であった。前回もそうだが、今回も握手していただき、感激である。すごいことをしていると、だんだん偉そうになってきてしまうのが人間だが、偉くなればなるほど謙虚にならなければならないと、この方と話をしていて毎回思うのだ。今回受注したデニムは年末年始くらいにできる予定みたいなので、楽しみにしていたい。
2016年7月18日月曜日
カッコいいタイトル
前回の投稿の次の日、ビル・カニンガムさんのドキュメンタリー映画を改めて観たのだが、やっぱりビルさんはカッコいいな。観ているこちらまで癒される。私は元々ビルさんを知らなかったのだが、ニューヨーク関連のDVDを探しているうちにビルさんと出会ったのだ。先日、ビルさんが亡くなられたのを追悼して、マンハッタン中のイルミネーションやビルのライトがブルー一色に染まったのである。ビルさんがいつも来ていた青い作業着のカラーである。また、5thアヴェニューにある高級百貨店バーグドルフグッドマンでは、ビルさんが使用していたカメラや自転車が展示されている。ビルさんはみんなに愛されていたんだな。
先日、休みの日だったのだが午前中に買い物を済ませて午後は少し家でゆっくりしたいと思い買い物に出かけたのである。なぜか急に新しい映画もみたいなと思い、近くに小さいタワーレコードがあるのだが、そこへ行ってDVDを探していたのである。4枚買ったのだだが、そのうちの1枚が『007』を買ったのである。最新作の『スペクター』と思いきや、前ボンドの『トゥモローネバーダイ』で買ったのである。『スペクター』は明日くらいに手に入る予定だ(笑)。『スペクター』それほどのおもしろさではなかったので、発売されてもすぐには買いに行かなかった。まあ今回少し安くなっていたから買おうと思ったのである。『トゥモローネバーダイ』は前ボンド役のピアース・ブロスナンのシリーズなのだが、これでやっとブロスナン4作品すべて手に入ったことになる。もちろん4作品すべて何度も観たことがあるのだが。今回改めてDVDでそろえたということである。
今回少し書きたいのは『007』シリーズの映画タイトルがめちゃくちゃカッコイイということである。いくつか紹介してみると、初代ボンドのショーン・コネリーが出演していた作品で『007 You Only Live Twice』というのがあるのだが、直訳すると“人生2度しかない”くらいの訳になるのだが、当時の日本語訳の人はセンスがよく、これを“007は2度死ぬ”と訳したのである。奥が深いし、カッコいい。今回購入した『トゥモローネバーダイ』は訳はなくそのままである。これを題名として訳すのは難しかったのだろう。原題を書くと『007 Tomorrow Never Dies』である。直訳すると“明日は死なない”という意味になる。つまり、“明日は必ず来る”ということだ。その次の次の作品でこれもブロスナンの作品なのだが『007 ダイアナザーデイ』というのがある。原題を書くと『007 DIE ANOTHER DAY』であり、直訳すると“他の日に死ね”になる。つまり、“今日は死ぬな”、“今日は生きろ”ということだ。映画の中で007がそのセリフを言うシーンがあるのだが、それはそれで違う意味の場合もある。しかし、このタイトルだけでもめちゃくちゃカッコいいんだな。タイトルだけで引き付けられる。いろんな映画を観ているが、その中でカッコいい男を挙げるのなら、必ず007は入る。誰が観たって絶対にカッコいいだろう。ああいう男になりたいものである。
先日、休みの日だったのだが午前中に買い物を済ませて午後は少し家でゆっくりしたいと思い買い物に出かけたのである。なぜか急に新しい映画もみたいなと思い、近くに小さいタワーレコードがあるのだが、そこへ行ってDVDを探していたのである。4枚買ったのだだが、そのうちの1枚が『007』を買ったのである。最新作の『スペクター』と思いきや、前ボンドの『トゥモローネバーダイ』で買ったのである。『スペクター』は明日くらいに手に入る予定だ(笑)。『スペクター』それほどのおもしろさではなかったので、発売されてもすぐには買いに行かなかった。まあ今回少し安くなっていたから買おうと思ったのである。『トゥモローネバーダイ』は前ボンド役のピアース・ブロスナンのシリーズなのだが、これでやっとブロスナン4作品すべて手に入ったことになる。もちろん4作品すべて何度も観たことがあるのだが。今回改めてDVDでそろえたということである。
今回少し書きたいのは『007』シリーズの映画タイトルがめちゃくちゃカッコイイということである。いくつか紹介してみると、初代ボンドのショーン・コネリーが出演していた作品で『007 You Only Live Twice』というのがあるのだが、直訳すると“人生2度しかない”くらいの訳になるのだが、当時の日本語訳の人はセンスがよく、これを“007は2度死ぬ”と訳したのである。奥が深いし、カッコいい。今回購入した『トゥモローネバーダイ』は訳はなくそのままである。これを題名として訳すのは難しかったのだろう。原題を書くと『007 Tomorrow Never Dies』である。直訳すると“明日は死なない”という意味になる。つまり、“明日は必ず来る”ということだ。その次の次の作品でこれもブロスナンの作品なのだが『007 ダイアナザーデイ』というのがある。原題を書くと『007 DIE ANOTHER DAY』であり、直訳すると“他の日に死ね”になる。つまり、“今日は死ぬな”、“今日は生きろ”ということだ。映画の中で007がそのセリフを言うシーンがあるのだが、それはそれで違う意味の場合もある。しかし、このタイトルだけでもめちゃくちゃカッコいいんだな。タイトルだけで引き付けられる。いろんな映画を観ているが、その中でカッコいい男を挙げるのなら、必ず007は入る。誰が観たって絶対にカッコいいだろう。ああいう男になりたいものである。
2016年7月14日木曜日
伝説的フォトグラファー、ビルさん
今はまだ梅雨の時期だが、暑い日が続いている。今日は雨がものすごく降っていた。雷も鳴りながらシャワーのように降っていた。外を歩いていたらびしょぬれになっていただろう。今年は水不足らいい。毎年言っているような気もするが。駅に貼っているポスターに、東京水道局が“節水”と書かれている。どこまでが本当かわからないが。まだ梅雨は明けていないので、早く明けてほしい。
先日久しぶりに体調を崩してしまったのである。のどの痛み、頭痛、悪寒、だるさ、が朝起きたら急にあったのである。何か異変を感じたらイソジンでうがいをしまくるのだが、今回は急だったのでその日からイソジンをしまくった。その日が休日だったのもよかった。おかげで三日後にはすっかり元気になった。夏風邪は長引くとよくいうが瞬殺だった。とにかく元気になってよかった。
先日、ニューヨークタイムズの伝説的フォトグラファーのビル・カニンガムさんが亡くなられた。ビルさんはストリート・ファッション・スナップの祖とも言われ、ニューヨークの路上でセレブやファッション関係者と一般市民を区別することなく写真を撮り続けた方である。ビルさんのドキュメンタリー映画があるのだが、私もそれを購入してファッションについて勉強させていただいたのである。『プラダを着た悪魔』のミランダ役のモデルとも言われているVOGUE誌の編集長アナ・ウィンターは、「私たちはビルに写真を撮られるために服を着ている」と発言したのは有名な話である。ビルさんに写真を撮られることがニューヨーカーのステータスなのだ。「金は最も安っぽく、自由は最も高価」として、誰にも口出しをさせないために無報酬を貫いたビルさん。社交パーティーで写真を撮る際、には中立性を保つため、会場の人からどれだけ勧められても水一杯口にしなかった。ビルさん自身の式でさえもパーティーに出席している人の写真を撮り続けた。「私は仕事をしているんじゃない。ただ毎日を楽しんでいるだけ」と発言した。いつもにこにこしているビルさんがそのときに、「美を追い求めている人はいつか必ず美を見出す」と涙を流しながらはなった言葉である。最高のファッションショーは常にストリートにあるとビルさんは教えてくれたのだ。私のファッションの考え方を大きく変えたビルさん。ニューヨークの街を青い作業着を着て自転車に乗って走り回っている姿がすばらしい。今度ニューヨークに行くときはビルさんを探そうと思っていたのだが、それは叶いそうもない。探すのではないな。ビルさんの目に留まるようなファッションでなければいけないな。ニューヨークに行くたびにもっといろんな服を着たいと思うんだな。日本のようなみんな同じような服を着ているのは本当に嫌気がさす。とある外国人が日本人が来ている服を見て「どこかの新興宗教みたい」と発言していた。もしビルさんが日本に来たら一枚も写真を撮ることなく帰ってしまうだろう。私は自分が着たい服を着るだけだ。周りに合わせようなんて思うこと自体がナンセンスだ。カッコいいと思うのは自分のみが思っていればいいだけの話。それを周りの人の承認を求めようとするのが日本人である。もっと楽しめるはずなのになぁといつも思う。もっともっと私はファッショナブルに、エレガントに、カッコよく、外見も内面も目指して生きていきたい。それこそビルさんに写真を撮ってもらえるように。
先日久しぶりに体調を崩してしまったのである。のどの痛み、頭痛、悪寒、だるさ、が朝起きたら急にあったのである。何か異変を感じたらイソジンでうがいをしまくるのだが、今回は急だったのでその日からイソジンをしまくった。その日が休日だったのもよかった。おかげで三日後にはすっかり元気になった。夏風邪は長引くとよくいうが瞬殺だった。とにかく元気になってよかった。
先日、ニューヨークタイムズの伝説的フォトグラファーのビル・カニンガムさんが亡くなられた。ビルさんはストリート・ファッション・スナップの祖とも言われ、ニューヨークの路上でセレブやファッション関係者と一般市民を区別することなく写真を撮り続けた方である。ビルさんのドキュメンタリー映画があるのだが、私もそれを購入してファッションについて勉強させていただいたのである。『プラダを着た悪魔』のミランダ役のモデルとも言われているVOGUE誌の編集長アナ・ウィンターは、「私たちはビルに写真を撮られるために服を着ている」と発言したのは有名な話である。ビルさんに写真を撮られることがニューヨーカーのステータスなのだ。「金は最も安っぽく、自由は最も高価」として、誰にも口出しをさせないために無報酬を貫いたビルさん。社交パーティーで写真を撮る際、には中立性を保つため、会場の人からどれだけ勧められても水一杯口にしなかった。ビルさん自身の式でさえもパーティーに出席している人の写真を撮り続けた。「私は仕事をしているんじゃない。ただ毎日を楽しんでいるだけ」と発言した。いつもにこにこしているビルさんがそのときに、「美を追い求めている人はいつか必ず美を見出す」と涙を流しながらはなった言葉である。最高のファッションショーは常にストリートにあるとビルさんは教えてくれたのだ。私のファッションの考え方を大きく変えたビルさん。ニューヨークの街を青い作業着を着て自転車に乗って走り回っている姿がすばらしい。今度ニューヨークに行くときはビルさんを探そうと思っていたのだが、それは叶いそうもない。探すのではないな。ビルさんの目に留まるようなファッションでなければいけないな。ニューヨークに行くたびにもっといろんな服を着たいと思うんだな。日本のようなみんな同じような服を着ているのは本当に嫌気がさす。とある外国人が日本人が来ている服を見て「どこかの新興宗教みたい」と発言していた。もしビルさんが日本に来たら一枚も写真を撮ることなく帰ってしまうだろう。私は自分が着たい服を着るだけだ。周りに合わせようなんて思うこと自体がナンセンスだ。カッコいいと思うのは自分のみが思っていればいいだけの話。それを周りの人の承認を求めようとするのが日本人である。もっと楽しめるはずなのになぁといつも思う。もっともっと私はファッショナブルに、エレガントに、カッコよく、外見も内面も目指して生きていきたい。それこそビルさんに写真を撮ってもらえるように。
2016年6月27日月曜日
その日以来
しばらく投稿できずに申し訳ない。今、異動前の職場と現職場の二つの職場を行き来することになっているので、二つの職場を見るというのはなかなか大変である。それに輪をかけて今中元時期ということでさらに仕事が増えているのである。本日久しぶりにずっと家にいたのだが、足がめちゃくちゃだるいのがわかった。昼寝もしたのだが、まだ疲れが取れていないみたいである。何とかならないものか。
先日仕事というか接客をしているときに、「青森まで持って行くのですが、大丈夫ですか」と聞かれた。“青森”と聞こえて久しぶりに聞いた単語である。なぜかそのお客さんと接客をしたその日から私が4年間いた青森の風景が頭の中で静かに流れているのである。しかもそのお客さんは青森市内だと言っていた。正に私が過ごした場所である。大学を卒業して以来、東京に来た私はなかなか青森の方に針路を取ることはなかった。休日となれば大阪に帰ったりするのでいつも反対方向である。もしかしたら心のどこかでまだ行ってはいけないという訳のわからない無意味なプライドみたいなものがあったのかもしれない。今思えばあの4年間は良いとか悪いとかそういうのではなく、なにかこう悩んでいたとかもがいていたというか、スッキリしない状態だったのかもしれない。そんな気がするのだ。しかし、そのお客さんとの接客した後、自分の頭の中で流れるあの風景は一体何なのだろうか。私の中で思い浮かんでいるのは青森駅前だったり、その駅の正面の道路だったり、観光物産の建物だったり、その前にある海だったり。大学の景色は浮かんでこないな。生まれて初めて一人暮らしを始めるというので、一人寝台列車に乗り、降りたその場所が青森駅だったからなのだろうか。自分の中でやっと“許し”みたいなものが出たのか。もう行ってもいいんじゃないか、そんな風にも聞こえてくる。当時、青森は私を受け入れてくれなかった。観光物産の建物の展望台から見た景色は灰色に染まった冷たく寒い街だった。私を優しく受け入れてくれたのは下宿にいたおばちゃん、その下宿で出会った友人たち、そしてその友人の家族の方だった。今その方々への感謝の気持ちが急にこみ上げてきた。また改めて挨拶に行かなければならない。青森が受け入れてくれなかった分、唯一の私の居場所がその方々との触れ合い、交流だったのかもしれない。もし青森に行くことになれば、今度は当時と全く違う気持ちで行くことになる。そしたら見方が変わるのかもしれない。今度はもしかしたら受け入れてくれるのかもしれない。そんなことを考える。私の針路は徐々に北に向きつつある。
先日仕事というか接客をしているときに、「青森まで持って行くのですが、大丈夫ですか」と聞かれた。“青森”と聞こえて久しぶりに聞いた単語である。なぜかそのお客さんと接客をしたその日から私が4年間いた青森の風景が頭の中で静かに流れているのである。しかもそのお客さんは青森市内だと言っていた。正に私が過ごした場所である。大学を卒業して以来、東京に来た私はなかなか青森の方に針路を取ることはなかった。休日となれば大阪に帰ったりするのでいつも反対方向である。もしかしたら心のどこかでまだ行ってはいけないという訳のわからない無意味なプライドみたいなものがあったのかもしれない。今思えばあの4年間は良いとか悪いとかそういうのではなく、なにかこう悩んでいたとかもがいていたというか、スッキリしない状態だったのかもしれない。そんな気がするのだ。しかし、そのお客さんとの接客した後、自分の頭の中で流れるあの風景は一体何なのだろうか。私の中で思い浮かんでいるのは青森駅前だったり、その駅の正面の道路だったり、観光物産の建物だったり、その前にある海だったり。大学の景色は浮かんでこないな。生まれて初めて一人暮らしを始めるというので、一人寝台列車に乗り、降りたその場所が青森駅だったからなのだろうか。自分の中でやっと“許し”みたいなものが出たのか。もう行ってもいいんじゃないか、そんな風にも聞こえてくる。当時、青森は私を受け入れてくれなかった。観光物産の建物の展望台から見た景色は灰色に染まった冷たく寒い街だった。私を優しく受け入れてくれたのは下宿にいたおばちゃん、その下宿で出会った友人たち、そしてその友人の家族の方だった。今その方々への感謝の気持ちが急にこみ上げてきた。また改めて挨拶に行かなければならない。青森が受け入れてくれなかった分、唯一の私の居場所がその方々との触れ合い、交流だったのかもしれない。もし青森に行くことになれば、今度は当時と全く違う気持ちで行くことになる。そしたら見方が変わるのかもしれない。今度はもしかしたら受け入れてくれるのかもしれない。そんなことを考える。私の針路は徐々に北に向きつつある。
2016年5月31日火曜日
オバマ大統領、ヒロシマ訪問
先日仕事場の休憩室でちょうどオバマ大統領が広島を訪問し、原爆ドームから出てきたところであった。休憩は30分しかなく、演説の途中で仕事に戻ったのではあるが、とにかく最後までこのニュースを見ていたかったのである。
日本人として歴史的な瞬間であった。現アメリカ大統領が原爆を落とした地に立ち、少なくとも被災者と同じような感情を共有するというシチュエーションを目にすることができた。プラハ演説に始まり今回の広島訪問までの7年、オバマ氏にとってのシナリオ完成というクールな意見も多々あり、私自身もそう思うところはあるが、今回のその映像を見ていて私は感動したのである。このようなパフォーマンスができてこそのアメリカ大統領だろう。
政治家は公人である。オバマ氏が個人的にどう思っていようとアメリカの国益が最優先されるのは当然の話である。今回のヒロシマ演説の全文を読んでも明確な謝罪の言葉はない。当然だ。もし、謝罪すればとんでもない大問題に発展していただろう。ただでさえ、あの抑えた表現ですらも批判されているというのに。
オバマ氏はまた原爆資料館に折り鶴を作って置いていったという話も聞いた。ヒロシマの折り鶴の話は、アメリカでも有名で小学生のテキストなどに登場するらしい。アメリカ国内向けにも、平和主義者としてのスタンスをさらに明確にした、という意味で大いに有効である。折り鶴を折るというのは、被爆者(日本人のみならず、朝鮮の人々も捕虜だった連合国の人々も含めて)の痛みを共有しているという最もわかりやすいアクションだったからだ。もちろん日本人への心情的な訴えかけは最大の効果を生んだといえる。折り鶴は日本の国是・平和の象徴的アイテムであるからだ。それを大統領本人が「手伝ってもらいながらも」自分で折ったというのである。この説明は日本人的には極めて有効だ。手伝ってもらったと正直に述べているところが好感度をさらにアップさせる。日本人は折り鶴の折り方を熟知している。そう簡単に折れるとは思っていない。だからこそ折ろうと奮闘している大統領の姿は容易に想像できる。日本人はこういうアクションに弱い。
さすがは、最大の効果を常に考え、常に最大の結果を求める“アメリカ”を体現する人物である。ともあれメディアはいろいろ言うんだろう。しかし、現役のアメリカ大統領が、ノーベル平和賞受賞者がヒロシマにきた。原爆資料館にも入館し、平和公園に立ち、献花し、被爆者のご老人をハグして慰めた。そのココロの憶測などそんなものはどうでもいいではないか。その現実だけは事実なのだから。
日本人として歴史的な瞬間であった。現アメリカ大統領が原爆を落とした地に立ち、少なくとも被災者と同じような感情を共有するというシチュエーションを目にすることができた。プラハ演説に始まり今回の広島訪問までの7年、オバマ氏にとってのシナリオ完成というクールな意見も多々あり、私自身もそう思うところはあるが、今回のその映像を見ていて私は感動したのである。このようなパフォーマンスができてこそのアメリカ大統領だろう。
政治家は公人である。オバマ氏が個人的にどう思っていようとアメリカの国益が最優先されるのは当然の話である。今回のヒロシマ演説の全文を読んでも明確な謝罪の言葉はない。当然だ。もし、謝罪すればとんでもない大問題に発展していただろう。ただでさえ、あの抑えた表現ですらも批判されているというのに。
オバマ氏はまた原爆資料館に折り鶴を作って置いていったという話も聞いた。ヒロシマの折り鶴の話は、アメリカでも有名で小学生のテキストなどに登場するらしい。アメリカ国内向けにも、平和主義者としてのスタンスをさらに明確にした、という意味で大いに有効である。折り鶴を折るというのは、被爆者(日本人のみならず、朝鮮の人々も捕虜だった連合国の人々も含めて)の痛みを共有しているという最もわかりやすいアクションだったからだ。もちろん日本人への心情的な訴えかけは最大の効果を生んだといえる。折り鶴は日本の国是・平和の象徴的アイテムであるからだ。それを大統領本人が「手伝ってもらいながらも」自分で折ったというのである。この説明は日本人的には極めて有効だ。手伝ってもらったと正直に述べているところが好感度をさらにアップさせる。日本人は折り鶴の折り方を熟知している。そう簡単に折れるとは思っていない。だからこそ折ろうと奮闘している大統領の姿は容易に想像できる。日本人はこういうアクションに弱い。
さすがは、最大の効果を常に考え、常に最大の結果を求める“アメリカ”を体現する人物である。ともあれメディアはいろいろ言うんだろう。しかし、現役のアメリカ大統領が、ノーベル平和賞受賞者がヒロシマにきた。原爆資料館にも入館し、平和公園に立ち、献花し、被爆者のご老人をハグして慰めた。そのココロの憶測などそんなものはどうでもいいではないか。その現実だけは事実なのだから。
ゴリラ射殺から
先日アメリカのオハイオ州の動物園でゴリラが射殺されるというなんとも悲しい事件、事故が起こった。男の子がゴリラの囲いに落ちてしまったため、少年を救うためにゴリラを射殺したという。この出来事は完全に意見が対立してしまう典型的なものとなってしまった。現場にいた目撃者の意見によると、ゴリラは叫んでいる群衆から少年を守ろうとしていたんだ、というものもいた。危害を加えようとはしていなかったと多くの人が指摘している。動物園側の主張によるとゴリラは少年をつかみ、引きずり回し、命の危険があると判断し射殺したと説明。なぜ即効性の麻酔銃を使わないんだという意見には、麻酔銃では効果が出るのに時間がかかってしまうためと説明。そもそも監督不十分の親に一番責任があるという意見も多数だ。うーん、難しい問題だ。
もし、事が遅かったら少年は命を落としていた可能性もある。その時はその時で非難を浴びてしまう。絶滅危惧種のゴリラに銃を向けるというのは、銃を持つ前から非難を浴びるのは動物園側もわかりきっている。動物園側も苦渋の決断だったであろう。その時自分がそこにいて、その決断を下す責任があるとしたらどういった決断を下していたであろうか。そのときその状況により変化はするものだろうが、もしかしたら私も動物園側と同じ決断を下していたのではないかと思う。理不尽な話だが人間の安全を最優先に考える状況である。決断が遅ければ少年にケガ、最悪の場合死亡していた可能性もある。もしかしたらゴリラは少年と一緒に遊ぼうとしていたのかもしれないし、それこそ守ろう、助けようとしていたのかもしれない。しかし、その様子をじっくり観察している状況ではないはず。
今回と同じような出来事が過去にもあり、そのときはある一匹のゴリラが他のゴリラたちから守り、背中をなでてあげていたみたいだ。このような感動的な話もあるんだな。緊急事態の決断を下す際、どの選択が一番の選択なのだろう、どの選択が正しいのだろう、それは考えても考えても答えはなかなか出てこない。先ほど述べた感動的な話はごくごくまれな話だろう。何もかもが無傷で元に戻れるということはほぼないだろう。感動的な話を期待するのはあまりにも危険過ぎる。射殺する、麻酔銃を使う、様子を見る、どの選択肢を取っていたとしてもその選択によって生じる痛手に非難を浴びることになる。だから私は今回、少年の安全を最優先に考えた動物園側に対して何も文句は言えないし、正しい判断だったのではないかと思う。人間はあらゆる場面で、状況で、もがき苦しみながらもより良い答えを探し続けていかなければならない。
もし、事が遅かったら少年は命を落としていた可能性もある。その時はその時で非難を浴びてしまう。絶滅危惧種のゴリラに銃を向けるというのは、銃を持つ前から非難を浴びるのは動物園側もわかりきっている。動物園側も苦渋の決断だったであろう。その時自分がそこにいて、その決断を下す責任があるとしたらどういった決断を下していたであろうか。そのときその状況により変化はするものだろうが、もしかしたら私も動物園側と同じ決断を下していたのではないかと思う。理不尽な話だが人間の安全を最優先に考える状況である。決断が遅ければ少年にケガ、最悪の場合死亡していた可能性もある。もしかしたらゴリラは少年と一緒に遊ぼうとしていたのかもしれないし、それこそ守ろう、助けようとしていたのかもしれない。しかし、その様子をじっくり観察している状況ではないはず。
今回と同じような出来事が過去にもあり、そのときはある一匹のゴリラが他のゴリラたちから守り、背中をなでてあげていたみたいだ。このような感動的な話もあるんだな。緊急事態の決断を下す際、どの選択が一番の選択なのだろう、どの選択が正しいのだろう、それは考えても考えても答えはなかなか出てこない。先ほど述べた感動的な話はごくごくまれな話だろう。何もかもが無傷で元に戻れるということはほぼないだろう。感動的な話を期待するのはあまりにも危険過ぎる。射殺する、麻酔銃を使う、様子を見る、どの選択肢を取っていたとしてもその選択によって生じる痛手に非難を浴びることになる。だから私は今回、少年の安全を最優先に考えた動物園側に対して何も文句は言えないし、正しい判断だったのではないかと思う。人間はあらゆる場面で、状況で、もがき苦しみながらもより良い答えを探し続けていかなければならない。
2016年5月24日火曜日
Magnolia Bakery
まだ5月というのに30度の日が続いている。そしてもう6月になろうとしている。6月になれば梅雨入りかな。あっという間に季節が移り変わっていく。仕事場は百貨店内なので、仕事中は外の空気を吸うことはほとんどないが、地下へモノを取りに行くとき、外の空気が流れ込んでくる場所があるのだが、そこで“夏の香り”がしたのだ。そのとき、「あぁ、夏だなー」と思ったのだ。本格的な夏はもうすぐである。
先日友人と渋谷をいろいろ散策していて、渋谷からキャットストリートを歩いてMoMAのショップが入っているビルの地下で座って休憩をしながらいろいろ話をしていたのである。友人の話を聞いているとき、すぐそこのお店のガラスに“Magnolia Bakery”と書いてあり、思わず「あっ!!」と叫んでしまったのである。このマグノリアベーカリーはカップケーキが有名で、ニューヨークに本店があるお店なのだ。なぜ有名になったかというと、『Sex and the City』でキャリーとミランダがこのお店の前にあるベンチに座ってカップケーキを食べているシーンがあり、それで爆発的に有名になったのである。その他に『プラダを着た悪魔』でも主人公のアンディが恋人の誕生日にこのカップケーキにろうそくをつけて「HAPPY BIRTHDAY」と言うのだが、アンディは仕事で誕生日会に参加できなかったため、恋人が「もう寝る」と言ってベッドに行ってしまうというシーンに出てくる。私は表参道にマグノリアベーカリーのお店があるのは知っていたが、反対側の通りにあるとばかり思い込んでいたのである。平日ということで人が少なかったのでカップケーキを二つ買って食べてみた。ニューヨークらしい色をしていて、めちゃくちゃ甘いんだろうなと思っていたが、そんなことはなく、すごくおいしかった。たぶん日本人向けに改良されているのだろう。本店は強烈に甘いんだろう。今度行った時はこのお店にも行ってみよう。表参道にあるこのお店は地下にあるのだが、休日になると地上まで行列ができている。この中でどれくらいの人が火付け役となった『Sex and the City』を知っているんだろうな。知っているのは名前だけで、内容まではほとんど知らないだろうな。ついついそんなことを考えてしまう。だからといってどうってことはないのだが(笑)。また近くを通るときは寄ってみたい。
先日友人と渋谷をいろいろ散策していて、渋谷からキャットストリートを歩いてMoMAのショップが入っているビルの地下で座って休憩をしながらいろいろ話をしていたのである。友人の話を聞いているとき、すぐそこのお店のガラスに“Magnolia Bakery”と書いてあり、思わず「あっ!!」と叫んでしまったのである。このマグノリアベーカリーはカップケーキが有名で、ニューヨークに本店があるお店なのだ。なぜ有名になったかというと、『Sex and the City』でキャリーとミランダがこのお店の前にあるベンチに座ってカップケーキを食べているシーンがあり、それで爆発的に有名になったのである。その他に『プラダを着た悪魔』でも主人公のアンディが恋人の誕生日にこのカップケーキにろうそくをつけて「HAPPY BIRTHDAY」と言うのだが、アンディは仕事で誕生日会に参加できなかったため、恋人が「もう寝る」と言ってベッドに行ってしまうというシーンに出てくる。私は表参道にマグノリアベーカリーのお店があるのは知っていたが、反対側の通りにあるとばかり思い込んでいたのである。平日ということで人が少なかったのでカップケーキを二つ買って食べてみた。ニューヨークらしい色をしていて、めちゃくちゃ甘いんだろうなと思っていたが、そんなことはなく、すごくおいしかった。たぶん日本人向けに改良されているのだろう。本店は強烈に甘いんだろう。今度行った時はこのお店にも行ってみよう。表参道にあるこのお店は地下にあるのだが、休日になると地上まで行列ができている。この中でどれくらいの人が火付け役となった『Sex and the City』を知っているんだろうな。知っているのは名前だけで、内容まではほとんど知らないだろうな。ついついそんなことを考えてしまう。だからといってどうってことはないのだが(笑)。また近くを通るときは寄ってみたい。
2016年5月16日月曜日
イタリアへハネムーン
5月13日に兄がハネムーンでイタリアに出発したみたいである。今成田にいて乗り継ぎ待ちだ、といメッセージをもらってそれを返信したときにはもう出発していただろう。行き先の詳しい話は聞いていないが、たぶんベネチア、ローマ、ミラノだったかな。ラインでベネチアの写真が送られてきた。うらやましいなぁー。そんな話を今働いている職場の一人(Yさん)に話をしたところ、Yさんもハネムーンでイタリアに行ったみたいである。行った都市もほとんど同じであった。Yさんは「僕はミラノから入ったよ」と言い、私はそのときその“入った”という言い方に久しぶりに“旅”に対する感情が激化したのである。Yさんは以前中国の北京で働いていて、奥さんは韓国の方なのである。中国に留学していたときに奥さんと出会い、後にご結婚されたそうだ。中国に住んでいたということで、海外経験は豊富なので私はめちゃくちゃ尊敬しているのである。つまり海外の話は慣れている。いろいろ話をしているうちに、Yさんも沢木耕太郎氏の『深夜特急』を読んだことがあるそうだ。またまたその話でも盛り上がった。Yさんはボクシングをしているということで沢木氏の入口は『一瞬の夏』だそうだ。私はまだ『一瞬の夏』を読んでおらず、ずっと読みたいなと思っている作品である。私の沢木氏の入口は何だっただろう。『人の砂漠』か『バーボンストリート』だったような気が・・・。私の恩師の一人である高校3年間担任だった先生が沢木氏が大好きだったので、その先生の影響で好きになったのだ。まだまだ読んでいない作品がたくさんあるし、持っているのだがまだ読めていない作品もある。少しずつ読んでいこうと思う。話はそれてしまったが、Yさんとそんな話を職場である百貨店の売り場でしているのである(笑)。
そう思えば2年前のゴールデンウィークに一人でニューヨークとワシントンDCに行っていたんだな。あれから2年経ったのか。早いなー。久しぶりに旅をしたくなってきたな。現実的なことを考えれば連休は取れても4連休が最長だろう。それなら飛行機に乗っている時間が短いところが賢明である。東アジア、東南アジアが限界だろう。そこでも行きたいところは山ほどあるので行ってみたいなー。沢木氏が26歳のとき、すべてを捨ててインドのデリーから乗り合いバスでロンドンまで行くという、誰も考えられないようなことをやってやろうと思いついた。私も沢木氏と同じ26歳でユーラシア大陸横断の旅に出たかったな。その夢は捨てていないし、違う形でもいいから実現させてやろうと思っている。言っているだけかもしれないが。留学とかワーキングホリデーとかそういうものには全く興味がないのだが、旅だけは興味がある。外国に住んでいる高校時代のクラスメイトがたくさんいるみたいだが、心のどこかで「いいなー」と思っている自分がいる。しかし、だからといってそれを目指そうとしたりすることは絶対にない。私は本当に沢木氏みたく、もっとあり得ないような、誰も考えないような、そんなことがしてみたいんだな。今一番行きたいところはアメリカのネバタ州で毎年行われる『バーニングマン』に行ってみたい。“世界最大のバカ騒ぎ”と言われているみたいだ。とりあえずそれが一番行きやすい旅だ。そんなことをいろいろ考える話のネタであった。
そう思えば2年前のゴールデンウィークに一人でニューヨークとワシントンDCに行っていたんだな。あれから2年経ったのか。早いなー。久しぶりに旅をしたくなってきたな。現実的なことを考えれば連休は取れても4連休が最長だろう。それなら飛行機に乗っている時間が短いところが賢明である。東アジア、東南アジアが限界だろう。そこでも行きたいところは山ほどあるので行ってみたいなー。沢木氏が26歳のとき、すべてを捨ててインドのデリーから乗り合いバスでロンドンまで行くという、誰も考えられないようなことをやってやろうと思いついた。私も沢木氏と同じ26歳でユーラシア大陸横断の旅に出たかったな。その夢は捨てていないし、違う形でもいいから実現させてやろうと思っている。言っているだけかもしれないが。留学とかワーキングホリデーとかそういうものには全く興味がないのだが、旅だけは興味がある。外国に住んでいる高校時代のクラスメイトがたくさんいるみたいだが、心のどこかで「いいなー」と思っている自分がいる。しかし、だからといってそれを目指そうとしたりすることは絶対にない。私は本当に沢木氏みたく、もっとあり得ないような、誰も考えないような、そんなことがしてみたいんだな。今一番行きたいところはアメリカのネバタ州で毎年行われる『バーニングマン』に行ってみたい。“世界最大のバカ騒ぎ”と言われているみたいだ。とりあえずそれが一番行きやすい旅だ。そんなことをいろいろ考える話のネタであった。
2016年5月12日木曜日
久しぶりの観光
早いものでもう5月の中旬である。私のゴールデンウィークは相変わらず通常の仕事であった。たまには連休がほしいなと思うことがあるが、帰省したりする以外2連休で十分である。3連休すると仕事に行きたくなくなってしまう。連休明けの仕事が一番辛いのである(笑)。
少しずつ夏に近付いているのか、昼間は半袖でないと暑いくらいである。6月になれば梅雨に入り、それが過ぎれば夏本番だ。うーん、早いものだな。
先日友人と一緒にルイヴィトンの展示会に行ってきた。一番魅力的だったのは無料だったことだ(笑)。思っていたよりも展示されている作品が多かったことである。これを無料で見せるルイヴィトンもさすがといったところ。ヴィトンの歴史であったり、有名人の一点モノの作品、カバン、服などが展示されていた。板垣退助がかつて使用していたヴィトンのカバンも展示されていた。板垣退助も使っていたんだな。
その後近くにあった迎賓館にも行ってみた。ヴィトンの展示会に行く前に迎賓館が見えたのでちょっと見に行ってみると、中に入ることができる整理券を配っていたので、それをゲットしていて、その整理券に記載されていた時間がきたので、そのまま迎賓館に戻ってきたのである。ここは意外にも結構並ばなければならなかった。太陽の下にずっといるとまだ5月とはいえかなり暑い。やっとのことで中に入ることができた。日本にもこんな素晴らしい建物があったんだなと改めて発見することができた。庭はめちゃくちゃ広く、東京にいるのを忘れてしまうくらいであった。庭だけだったら無料で入ることができるみたいなので、ちょっとした散歩や気分転換にはもってこいの場所であった。ここはまた来たいと思う場所であった。
そこから歩いて新宿へ向かった。久しぶりに観光みたいなことをして新鮮だった。新宿までの道中、何度か休憩をしながら歩いた。スタバやドトールといったお店は人がたくさんいてはいる気にもならなかったが、コンビニで少し休憩できるスペースには誰もいなかったのでそこで休憩することにした。調べてみたらナチュラルローソンにはこういった少し休憩できるスペースが必ずあるみたいである。もちろん他のコンビニもあるところにはある。生まれて初めてコンビニで休憩をしたのである。これもいい経験だった。
少しずつ夏に近付いているのか、昼間は半袖でないと暑いくらいである。6月になれば梅雨に入り、それが過ぎれば夏本番だ。うーん、早いものだな。
先日友人と一緒にルイヴィトンの展示会に行ってきた。一番魅力的だったのは無料だったことだ(笑)。思っていたよりも展示されている作品が多かったことである。これを無料で見せるルイヴィトンもさすがといったところ。ヴィトンの歴史であったり、有名人の一点モノの作品、カバン、服などが展示されていた。板垣退助がかつて使用していたヴィトンのカバンも展示されていた。板垣退助も使っていたんだな。
その後近くにあった迎賓館にも行ってみた。ヴィトンの展示会に行く前に迎賓館が見えたのでちょっと見に行ってみると、中に入ることができる整理券を配っていたので、それをゲットしていて、その整理券に記載されていた時間がきたので、そのまま迎賓館に戻ってきたのである。ここは意外にも結構並ばなければならなかった。太陽の下にずっといるとまだ5月とはいえかなり暑い。やっとのことで中に入ることができた。日本にもこんな素晴らしい建物があったんだなと改めて発見することができた。庭はめちゃくちゃ広く、東京にいるのを忘れてしまうくらいであった。庭だけだったら無料で入ることができるみたいなので、ちょっとした散歩や気分転換にはもってこいの場所であった。ここはまた来たいと思う場所であった。
そこから歩いて新宿へ向かった。久しぶりに観光みたいなことをして新鮮だった。新宿までの道中、何度か休憩をしながら歩いた。スタバやドトールといったお店は人がたくさんいてはいる気にもならなかったが、コンビニで少し休憩できるスペースには誰もいなかったのでそこで休憩することにした。調べてみたらナチュラルローソンにはこういった少し休憩できるスペースが必ずあるみたいである。もちろん他のコンビニもあるところにはある。生まれて初めてコンビニで休憩をしたのである。これもいい経験だった。
2016年4月23日土曜日
今回からディズニー映画
昨年12月18日に『スターウォーズ/フォースの覚醒』が公開され、ものすごい勢いで興行収入を得ていたが結果どうなっているのか、つい最近気になったので少し調べてみると、 現段階では世界第3位であった。1位は『アバター』、2位は『タイタニック』である。もしかするとこの2作を超えるかもしれないという話が出ていたが、今のところはそれには及んでいないみたいである。今回の作品から創始者のジョージ・ルーカスが離れ、ウォルト・ディズニーがルーカスフィルムを買収したので、今回からディズニー映画となったのである。スターウォーズがディズニー映画とはあまり馴染みがないし、ルーカスが離れたことは残念である。ディズニーとルーカスの意見が対立したことにより、ルーカスが激怒して完全に離れて行ってしまったみたいだ。いろいろ調べてみるとルーカスの言いたいことは理解できる。私の知人の一人は、今回のスターウォーズは全然ダメだったみたいである。私はスターウォーズシリーズは観たことがないので何とも言えないが。
昨年12月18日は日本では18時に一斉公開された。各映画館ではスターウォーズのコスプレをしたファンたちがめちゃくちゃ盛り上がっていたみたいである。聞いた話では、新宿バルト9の映画館では、そこの映画館の館長が挨拶で、通常映画の本編が始まる前に後日公開される映画の宣伝が流れるが、今日はいきなりスターウォーズから始まります、と挨拶したそうである。私みたいにスターウォーズに興味のない人でも、その話を聞くとめちゃくちゃカッコイイと思った。今回の『フォースの覚醒』の続編が2017年、その続編が2019年公開予定。2年おきに公開され、その間の1年にスピンオフの作品が2016年、2018年に公開される。2016年今年の12月16日に『ローグ・ワン/スターウォーズストーリー』が公開予定である。スターウォーズファンにしてみたら毎年新しい作品が観られるということで夢のような話である。ディズニーにしてみれば何が何でもスターウォーズでブン回していこうというのが見え見えである。ディズニーランドでは早速スターウォーズのアトラクションができているが、こんなのはスターウォーズに全く興味がない人や全く知らない人でも小学生でも絶対に楽しめるのはわかりきっている。それが余計にディズニーのいやらしさが見える。元々そこまでディズニーランドに興味がなかったし、今回の件で少しイメージダウンしてしまった。行けば行けばで楽しんでくるのだろうけど(笑)。映画興行収入第1位の『アバター』は、これから4作品新しいのができるみたいだ。『アバター』は一度観たことはあるが、おもしろかったのはおもしろかったが、ハマる勢いはなった。一度観たら満足する感じであった。それが現段階でも興行収入第1位というには驚きである。その次が『タイタニック』とジェームズ・キャメロン監督の映画が強い。興行収入がすべてではないが、これらの作品を超えるのはどの作品なのか楽しみである。
2016年4月20日水曜日
『Sex and the City』、完結
一度このブログでも紹介したことがあるのだが、『Sex and the City』が私は大好きなのだが、映画しか観たことがなかったのである。映画は1と2があり、ドラマを見ていない人でも十分に楽しむことができる内容になっていた。ずっとドラマの方も観てみたいと思っていたのだが、シーズン1からシーズン6まであり、DVDボックスを買おうとするとかなりお金がかかってしまうので、なかなか手が出せなかったのだが、先日amazonで調べていると期間限定で半額になっているではないか。もうそこは即決である。DVDが届いた日から毎晩少しずつではあるが鑑賞していき、2825分すべて観終えることができた。そして改めて映画2本を観て完結である。結果からいうとめちゃくちゃおもしろかったし、めちゃくちゃ奥が深いし、めちゃくちゃ元気の出るドラマであった。
ニューヨークに住む女性4人が主人公なのだが、4人それぞれ全く性格が違うし、抱えている問題も違うのだが、それぞれの立場からアドバイスしたり、けんかしたり、本音トークしながら前に進んでいくストーリーなのだ。自分が4人の中でどのタイプに当てはまるのか、それを考えながら観るのも楽しいし、女性に爆発的な人気があるが、男性ももちろん楽しめる内容だ。男性もたくさん出てくるので自分はどの男性に当てはまるのか、もしくはどの男性に魅力を感じるのか、欠点だと思うのか。本当に人それぞれだし、良いところもあれば悪いところもある。観ていてすごく勉強になるのだ。ちなみに私が一番好きなのは女性はサマンサで、男性はビッグである。ニューヨークが舞台なので、ニューヨーク好きの私にとってはさらに楽しさ倍増である。今度行くときは『Sex and the City』の“一人で勝手にロケ地ツアー”をやろうと思っている。悩みの中で結構答えで出てくるのが、「それがマンハッタンよ」、「ここはマンハッタンよ」、「マンハッタンでは当たり前よ」というのがある。つまりマンハッタン特有の問題がたくさんあるのだ。やはりマンハッタンはすごい島なのだ。
その他にファッションもこのドラマの魅力の一つである。4人それぞれファッションの好みが違うのだが、みんなめちゃくちゃオシャレなのだ。日本では変な目で見られてしまうようなファッションでもここではみんなすごいファッションをしている。それがいいのだ。自分を表現しなければならないので、周りと同じ格好をしていてはだめなのだ。自己アピールがすごいのである。それはドラマを観ていてもすぐに感じる。いちいち周りを気にする日本人とは大違いである。まあこれは日本人特有の集団への同調、または周りの空気を読むことにもつながってくるだろう。こういう場面では本当にこれらの感情が邪魔をしているんだなあ。もったいないなあ。
このドラマは恋愛以外に友情も大きな要素の一つである。それぞれの悩みを打ち明けながら前に進んでいくその背景にはかならず4人の友情がある。登場人物の一人のビッグ(男性)が好きな人のことで相談をするときに、「恋人になってもみんなに勝ることはできない」と言う。それほど4人の絆は強いのだ。美しいドレスを身にまとい、4人でオシャレにカクテルを飲むのだ。最高にカッコいいシーンである。そのときに飲むカクテルは必ず”コスモポリタン”だ。一つ目の映画のラストシーン、4人でコスモポリタンを注文する。
「昔飲んでたわ」
「流行するまで」
「古いけどいいわ」
「円熟した味わいよ」
4人が出会った頃と変わらない街で、4人は新しい人生に踏み出したのだ。ドラマの第一話が1998年なので、映画までは10年。『国際的』という意味を持つこのカクテルは、このドラマのおかげでその10年間にメジャーカクテルの一つになった。ドラマに憧れた女性たちがバーで飲むようになったからだ。ショートカクテルなのにフルーティーで飲みやすいのも理由の一つ。そしてなによりおしゃれだったから。このカクテルを飲むことで少しでも彼女たちに近付けるのでは。そんな夢を見させてくれる。40歳、50歳と年をとっていく彼女たちが、これからも変わらぬ友情を誓いあい、グラスを軽やかにぶつける。スクリーンの中のきらびやかな恋とファッショナブルな生き方を凝縮したような赤い煌めきが美しい。先日私もこの『コスモポリタン』を飲んでみた。彼女たちに憧れを抱きながら。また改めて最初からDVDを観直そうと思う。
結婚式
2月20日、私の兄の結婚式が大阪で行われた。私は朝一の羽田発の飛行機に乗って大阪に戻った。以前住んでいた家の最寄り駅から羽田空港までの時間を駅すぱあとで調べたら、始発の電車に乗っても飛行機が出る時間のギリギリであったため、どうしたらいいのか悩んでいたのである。もっと早い行き方はないのか、いろんなルートを調べてみたのだがやはりそれが一番早いみたいである。一度電車の乗り換えをしなければならなかったのだが、その駅から駅まで少し歩かなければならなかったのである。そこで乗り換え先の電車の時刻表を個別で調べてみると、時間に間に合いそうな羽田行の電車が何本かある。駅すぱあとには載っていないものもある。駅すぱあとは確実に間に合いそうな時間を予測した結果のみを表示しているようだ。私はそこで、とにかく乗り換えを早くしようと思い、当日は駅から駅まで全速力で走ったのである。朝の5時過ぎくらいに全速力で走っていた。結果、コンピューターが予測した電車の2本も早い電車に乗ることができた(笑)。ある意味感動することができた。めちゃくちゃ疲れたのだが(笑)。飛行機の中では寝ようと思っていたが、1時間ほどで着いてしまったので、寝る暇もなく家に向かった。ヘトヘトであった。
朝ごはんを食べて準備をして式会場へ向かった。ありがたいことに、その式会場は家から歩いて10分もかからないところにある。すごく楽チンであった。あいにくの雨であったが、そんなものは一切関係ない。めでたい日であることに違いはないのだから。
私は弟ということで式の受付を任されていた。相手方は兄がいらっしゃり、その方と二人で受付をしていた。ものすごく頼りになる方だったので、本当に助かったのである。こちらの方が“義理の兄”ということになる。すごく話をしやすい方で、周りには本当の兄弟だと勘違いされていたみたいだ(笑)。
受付の任務が終わると、式に参加しなければならなかったので後継ぎを済ませ、式に参加。私は次のミッションがあり、兄からカメラマンを頼まれていた。兄自身が用意していた一眼レフの使い方を教えてもらい、とにかく写真を撮りまくる。今まで私はポケットに入るデジカメしか使ったことがなかったので、なかなか一眼レフは難しい。写真を撮るのは好きだが、一眼レフを買いたいと思ったことはない。一眼レフという巨大なカメラを持ってしまうと写真を撮ることがメインになってしまい、私は歩いたりするのがメインなので、写真を撮るのは二の次であってほしいのだ。なので私は当分は小さいデジカメしか持たないだろう。話はそれてしまったが、とにかく目に映るモノすべてを撮った。
私はこういう“式”というものに慣れていないし、そもそもあまり好きではない。なんせ決まりごとが多いし、自由が制限されてしまうことについついイライラしてしまうのだ。しかし、その日は兄の日ということで、その感情を押し殺して参加。披露宴ではおいしそうなご飯もたくさん出てきていたが、私はカメラマンをしなければならなかったし、各テーブルにあいさつ回りをしなければならなかったので、ご飯はほとんど食べることができなかった。
兄の大学の友人たちや同じ職場結婚だったので、職場の関係者の方々が来られていて、私が想像していたものよりもはるかに素晴らしい式だったのである。友人たちや職場の同期の方々が様々な演出を考えておられ、どれも本当に素晴らしいものであった。私はその様子を涙を流しながらカメラのシャッターを押し続けた。これが兄が今まで築き上げてきたものなんだろう。今まで知らなかったことばかりであった。まあそんなものである。でもその様子を見ていて、すごく安心した。私はそういう友人の築き方をしてきていないし、これからもすることはない。そこが兄と私の大きな違いの一つでもある。私は兄と彼女に東京で用意をしていた花を贈った。その花を渡すのに、お渡しするコーナーの時間を作っていただいたのだが、本当は何もないちょっとした時間帯にこっそり渡したかったのだが、その日は私のこだわりのハードルを下げた。多くの人はそういったコーナーを作っていただけたらすごくうれしいのだけれど、私は違うんだなあ。私はそんな表に出たくないし、横でこっそりやるべきことをやりたかっただけである。式当日は結婚する二人の荷物が大量なので、そういったプレゼント類は後日配送で送るべきだ、というインターネット上ではそういった意見が多くみられた。確かにそれは事実だろう。しかし、だから何という感じ。今日というその日に渡すから意味があると私は思っている。今日その日のためにすごく重たいけれどいろんな思いをして持ってきた。でも荷物がたくさんになってすごく不便。不便だけど意味がある。配送は便利だけど意味がない。極論を言ってしまえば。私は荷物が多いのはわかっていたので、式終了後兄たちは大学の友人ら、会社の方々と会う約束をしていたみたいなので、私は自分で持って行った花を再び自分で家に持って帰った。そこまでやれば誰も文句は言わないだろう。
無事に式は終了した。本当に素晴らしい式であった。ほとんど立ちっぱなしだったし、ご飯もほとんど食べられなかったので疲労困憊だったが(笑)。5月にはハネムーンでイタリアへ行くみたいだ。私のスーツケースを貸してほしいということで今日スーツケースを送った。いいなあ(笑)。
引越し
更新が大変遅くなってしまい、本当に申し訳ない。先週やっとインターネットの工事が入り、パソコンでインターネットができるようになった。スマートフォンがあったので、ネット自体はできたのだが、やはりパソコンがあった方が便利だし、スマホだと月末には接続容量がパンクしてしまうので、あまりスマホではネットを使いたくない。ようやくこのブログも更新できるようになったということである。
季節はすっかり変わってもう4月後半である。桜も散ってしまい、昼間は汗ばむほどになってきた。まだまだ寒いなと思っていたが、急に気温が上がってきた。今が一番過ごしやすい時期である。
3月7日に引越しを無事済ませた。今の住まいはすごく古い建物で最初見たときはびっくりしてしまったのである。電気のカバーが割れていたり、畳の部屋でしかもふすまの紙がビリビリに破れていたり、お風呂が一昔前のバランス釜であったりといろいろ驚くところがあった。小学生低学年くらいの時はこのお風呂のバランス釜を使っていた覚えがあったのだが、久しぶりすぎて使い方を忘れてしまっていたので、ネットを使って調べて使い方を学んだのである。今は普通に使いこなしている。周りの人に聞いてみると、まだこのバランス釜は結構使われているみたいで、それも驚きである。私はてっきりみんなスイッチをピッと押したらしまいの家がほとんどだと思っていたのだ。まだまだ残っているんだな。
以前住んでいたところは最寄駅から歩いて1分くらいのところに住んでいたのだが、今は歩いて10分くらいかかってしまうのだ。10分くらいならまだまだ近い方なのだが、今までが今までだったので、10分が遠く感じてしまう。歩くこと自体はすきだが、それは遊ぶ日限定で、仕事の日はできるだけ歩きたくないのだ。このくらいは我慢しなければならないのだが。文句を言って近くなるわけでもないし。
引越しをして1カ月以上経ったが、部屋には荷ほどきできていない段ボールがたくさん積まれている。早く片付けしたいところなのだが、休日はぐったりしてしまってなかなか片付けしようという気が起こらない。モノを探すときは段ボールをあさって探すのである。完全に片付けをできるのはまだまだ先のことになりそうである。
季節はすっかり変わってもう4月後半である。桜も散ってしまい、昼間は汗ばむほどになってきた。まだまだ寒いなと思っていたが、急に気温が上がってきた。今が一番過ごしやすい時期である。
3月7日に引越しを無事済ませた。今の住まいはすごく古い建物で最初見たときはびっくりしてしまったのである。電気のカバーが割れていたり、畳の部屋でしかもふすまの紙がビリビリに破れていたり、お風呂が一昔前のバランス釜であったりといろいろ驚くところがあった。小学生低学年くらいの時はこのお風呂のバランス釜を使っていた覚えがあったのだが、久しぶりすぎて使い方を忘れてしまっていたので、ネットを使って調べて使い方を学んだのである。今は普通に使いこなしている。周りの人に聞いてみると、まだこのバランス釜は結構使われているみたいで、それも驚きである。私はてっきりみんなスイッチをピッと押したらしまいの家がほとんどだと思っていたのだ。まだまだ残っているんだな。
以前住んでいたところは最寄駅から歩いて1分くらいのところに住んでいたのだが、今は歩いて10分くらいかかってしまうのだ。10分くらいならまだまだ近い方なのだが、今までが今までだったので、10分が遠く感じてしまう。歩くこと自体はすきだが、それは遊ぶ日限定で、仕事の日はできるだけ歩きたくないのだ。このくらいは我慢しなければならないのだが。文句を言って近くなるわけでもないし。
引越しをして1カ月以上経ったが、部屋には荷ほどきできていない段ボールがたくさん積まれている。早く片付けしたいところなのだが、休日はぐったりしてしまってなかなか片付けしようという気が起こらない。モノを探すときは段ボールをあさって探すのである。完全に片付けをできるのはまだまだ先のことになりそうである。
2016年2月28日日曜日
2月近況報告
3月7日に引越しすることが決まり、今その準備作業に取り掛かっているところである。2月20日に兄の結婚式があり、20日から23日まで大阪に戻っていて、今日は休日であったが、引っ越し業者の見積もりに来たりしていて、7日の引っ越し当日までもう休日がないのである。なので何をしたらいいのかさっぱり分からない状態である(笑)。電気、ガス、水道、新聞、ネット、住民票、などやらなければならないことが山ほどあり、荷造りもしないといけないし、しばらくはバタバタしそうである。落ち着くのは3月下旬くらいであろうか。それまではしばしの我慢でやるべきことを一つ一つクリアしていこう。
最近寒くなったり少し暖かくなったりと少しずつではあるがだんだんと春に近づいているような気配がする。花粉も飛び始めているようだ。とはいってももうすぐ3月になる。早いものだ。今年に入って職場の異動があったりしてずっとバタバタしていたからだろう。はやく落ち着きたいものである。以前から会う約束をしている友人が数名いるのだが、今私の頭が会える状態ではないので、本当に申し訳ないのだがもうしばらく待ってほしい。
今月も忙しいとは言いながらも様々なことがあった。長渕剛のドラッグ疑惑があったり、マドンナのライブに行ったり、兄の結婚式があったり、長渕剛がここ数年よくはいているデニムのデザイナーに会うことができたり、とおおざっぱにいえばこんなことがあった。これらについては落ち着いてから書いていこうと思う。とりあえず今回は近況報告ということで。
最近寒くなったり少し暖かくなったりと少しずつではあるがだんだんと春に近づいているような気配がする。花粉も飛び始めているようだ。とはいってももうすぐ3月になる。早いものだ。今年に入って職場の異動があったりしてずっとバタバタしていたからだろう。はやく落ち着きたいものである。以前から会う約束をしている友人が数名いるのだが、今私の頭が会える状態ではないので、本当に申し訳ないのだがもうしばらく待ってほしい。
今月も忙しいとは言いながらも様々なことがあった。長渕剛のドラッグ疑惑があったり、マドンナのライブに行ったり、兄の結婚式があったり、長渕剛がここ数年よくはいているデニムのデザイナーに会うことができたり、とおおざっぱにいえばこんなことがあった。これらについては落ち着いてから書いていこうと思う。とりあえず今回は近況報告ということで。
2016年2月6日土曜日
オールナイトライブ映像化
2月3日に昨年私が参戦した長渕剛の10万人オールナイトライブのDVDが発売されたのである。私はこの発売日を待ちに待っていたのだ。正直言って当時の記憶はほとんどない。すさまじ過ぎてほとんど覚えていないのである。断片的な記憶はあるのだが、ストーリーとしてはあまり覚えていないのであった。なのでこの日を楽しみにしていたのである。2004年の桜島オールナイトライブのDVDでは2曲ほどカットされていたのだが、今回はすべての曲が入っていたし、ドキュメント映像も別のディスクに入っていたのでこれも本当にありがたかった。そしてDVDだけでなく、同日にそのライブCDも発売された。もちろんこれも手に入れた。渋谷のタワーレコード、そして自由が丘にある長渕剛公認のオフィシャルスペースのお店で手に入れ、早速家に帰って鑑賞会である。
観ていて当時の記憶がどんどん蘇ってくる。自分がいた場所を確認しながら自分が映っていないかを期待しながら。結局映っていなかったが(笑)。でも、当時もそうだったが、DVDを観ても涙がどんどん流れてくる。溢れてくる。あの場所に自分がいれたことがどれほどしあわせなことだったか。あの10万人に中の一人が自分であることがどれほどうれしいことか。あれは本当に現実だったのか。夢だったんじゃないかと映像を観ていても、なんだか不思議な気持ちにもなってくる。
自分が観ていたステージの裏側では私たちが想像するよりも遥かに厳しい苦しいストーリー、ドキュメントがあったのである。長渕剛と10万人との戦い、連日の大雨の中でのリハーサル、どこの世界にもないとんでもないステージを創ろうと日々戦うスタッフたち、そして自分との戦いである。正に“命懸け”であった。大げさに聞こえるかもしれないが、これは紛れもない事実であるし、そんなに知らない人がこのイベントに関して見下すようなことを言うならば私は絶対に許さない。それくらいすごいとうことである。ただのイベントでもないし、楽しむというものでもなかった。いろんなミュージシャンが参加するようなフェスのようなノリでもない。
このライブに関していろんな情報が流れていた。もちろんその中にはけなすような情報もたくさんあった。だが、今回の映像を観てみて改めて参加してよかったと自信を持っていえるし、もうこれ以上ない感動を経験することができた。本当に心から感謝している。今年で60歳になる長渕剛。これからの活動がますます楽しみである。
観ていて当時の記憶がどんどん蘇ってくる。自分がいた場所を確認しながら自分が映っていないかを期待しながら。結局映っていなかったが(笑)。でも、当時もそうだったが、DVDを観ても涙がどんどん流れてくる。溢れてくる。あの場所に自分がいれたことがどれほどしあわせなことだったか。あの10万人に中の一人が自分であることがどれほどうれしいことか。あれは本当に現実だったのか。夢だったんじゃないかと映像を観ていても、なんだか不思議な気持ちにもなってくる。
自分が観ていたステージの裏側では私たちが想像するよりも遥かに厳しい苦しいストーリー、ドキュメントがあったのである。長渕剛と10万人との戦い、連日の大雨の中でのリハーサル、どこの世界にもないとんでもないステージを創ろうと日々戦うスタッフたち、そして自分との戦いである。正に“命懸け”であった。大げさに聞こえるかもしれないが、これは紛れもない事実であるし、そんなに知らない人がこのイベントに関して見下すようなことを言うならば私は絶対に許さない。それくらいすごいとうことである。ただのイベントでもないし、楽しむというものでもなかった。いろんなミュージシャンが参加するようなフェスのようなノリでもない。
このライブに関していろんな情報が流れていた。もちろんその中にはけなすような情報もたくさんあった。だが、今回の映像を観てみて改めて参加してよかったと自信を持っていえるし、もうこれ以上ない感動を経験することができた。本当に心から感謝している。今年で60歳になる長渕剛。これからの活動がますます楽しみである。
2016年1月29日金曜日
兄たちと東京観光
先日、私の兄が大阪から東京に遊びに来たのである。来月兄が結婚するそうで、結婚するお相手と一緒に東京に遊びに来たのである。そのお相手と会うのは初めてで、少し緊張したし、なかなか話ができないところもあったが、とりあえず会えてよかった。
朝8時に合流し、まずは東京スカイツリーへ向かった。その日は晴れていたが、めちゃくちゃ寒かった。まぁ、晴れていたのが唯一の救いであったが。景色は今回もすごくよかった。残念ながら富士山は見えなかったのだが、それ以外はすごくいい眺めであった。今スターウォーズフェアみたいなものをやっていて、いろんなスターウォーズグッズが置かれていた。ライトセーバーを持っての撮影もやってみた。スターウォーズにはあまり興味がなかったが、ライトセーバーはほしいと思った(笑)。
その後浅草へ行き、浅草寺を歩いた。浅草などこっち方面はこういう誰か来たときにしか行かないので、久しぶりに観光した気分になった。その後六本木へ行き、六本木ヒルズを歩いてその地下でご飯を食べ、東京ミッドタウンへ行った。ここらへんは私の“庭”みたいなものなのでホームへ帰ってきた感じであった。この時点でかなり歩いていたが、その日の夕方過ぎには兄たちは大阪に帰るので、できる限りいろんなところを回りたかった。その後銀座へ行き、この日も日曜日ということで歩行者天国であった。歩行者天国はすごく良かったのではないだろうか。中央通りはすごく広くて開放感があるので、“GINZA”が味わえたのではないだろうか。その後有楽町、丸の内を歩いて新丸ビルで茶をしばいて休憩。その時点で16時半くらい。18時13分の新幹線で帰るそうだったのでそれまで時間をつぶさなければならなかった。兄が日本橋を観たい、というので、日本橋だったら東京駅から歩いてすぐだし、ついでに三越日本橋店の銅像?と日本銀行も見たらいいかと思い、歩いて向かった。こういう距離感や時間配分は日々歩いている甲斐があると思った。行ったことがなければなかなかそういうのがわからないので、無駄な時間がなくてよかった。
夕食は新幹線の中で食べるみたいだったので、東京駅の大丸の地下でお弁当を買ってホームまで見送りに行った。こういう見送ったり、見送られたりするのは何度やっても慣れないものである。なんか悲しく寂しくなる。次に会うのは結婚式当日である。かなりタイトな日程ではあったが、けっこういろんなところを回れたのでよかったのではないだろうか。自画自賛ではないが良いスケジュールであった(笑)。
結婚式当日は私は朝一の飛行機で大阪に戻る予定である。天気が良くなることをひたすら願うばかりだ。前日に帰ってもよかったのだが、スケジュール的にもう少し大阪でゆっくりしたい気持ちがあったので、当日帰ることにした。飛行機が飛ばなかったら新幹線でも帰れるので、まぁなんとでもなるだろう。
2016年1月20日水曜日
“生きろ”
正式には決まっていないがおそらく春から職場の異動があり、今働いているところを離れなければならない。ちょくちょくその異動先へ行き、シフトインして働いているのである。先日部長との面談があったのだが、その様なことを言っていたので、おそらく異動はほぼ決定みたいである。異動は本当に面倒である。お店それぞれのやり方があるので、それをまた覚えなければならない。そして人間関係も一から築いていかなければならない。慣れるまでは余計な体力を使うし、緊張するし、毎日がいっぱいいっぱいである。まぁ、今目の前にある仕事を全力でこなしていくだけである。相手のテリトリーに入ったらそれに従うこと。もしそれができなければすぐに出ていくこと。これも私の考えの一つである。もちろん心の中では面倒だな、とか嫌だな、とかいろいろ文句は言っているが、仕事、働く場所をいただいている立場なのでただひたすらやるのみである。
今日は休日だったが、外がめちゃくちゃ寒かったので午前中に買い物を済ませ、それ以降はずっと部屋にこもっていた。先月はいろいろと買い物をしてしまったので、今月は節約しなければならない。どこか出掛けてしまうとついつい買い物したくなってしまうので、しばらく我慢しよう。ということで今日も映画を観ていたのである(笑)。映画のいいところはたくさんあるが、非日常を見せてくれるところ、力を与えてくれること、ショックを与えてくれること、興奮を与えてくれること、・・・などなど。良い意味でも悪い意味でも何かしらの影響を与えてくれるのである。何回も言っているのだが、映画なくして私の人生はあり得ないのである。
特に、嫌なことや悲しいこと、苦しいこと、しんどいことがあったときにはよく映画に救われることがある。めちゃくちゃ悩んだり、苦しんだり、頭を抱えてしまっているときなんかに、今回の『MAD MAX/FURY ROAD』の砂漠に一人立たされていると思ったら、そんなことなどどうでもよくなってくる(笑)。もっと適当でいいし、と思ってしまうときもある。本当はダメだが(笑)。というか先輩、上司に怒られちゃうし(笑)。
ということで今日もマッドマックスを観ていたのである。最近は涙を流してしまうシーンが増えてしまい、もう大変である。最初のエンジン音が鳴るだけでもヤバい。主人公マックスはずっと過去に救えなかった命の亡霊に悩まされ、その亡霊から、そして周りにいる敵からも逃げている。狂気にとりつかれたのは自分なのか、それとも世界なのか。唯一確かだったことは自分の本能が「生きろ」と叫んでいたことだけだった。
敵につかまり、そこは女性はモノでしか扱われない世界だった。そして独裁者に洗脳された戦闘集団ウォーボーイズがいた。彼らは勇敢に戦って死ぬことがすべてであった。それぞれ登場人物がいるのだが、みんなとにかく生きようとしているのだ。独裁者の子供を産むためだけの妻たち(ワイブズ)もそれぞれの個性を持ち、それぞれの思いを持って、決して戦うことはできないが、彼女たちができることを必死にやっていた。ウォーボーイズの一人ニュークスはいろいろあってマックスたちと旅をすることになるのだが、今まで信じていたことがすべてではないと知り、違う人生、違う自分を見つけることができたのだ。死ぬことがすべてと思っていたが、生きることに価値を見出した。指揮しているフュリオサも彼女たちを希望のある場所へ導き、そして自分の過去を清算するために命をかけてウォータンクを爆走させるのだ。マックスは最初狂気じみていたが、フュリオサたちを通じてだんだんと人間らしさを取り戻していく。最後の爆走劇は本当に涙なしでは観れない。倒しても倒しても敵はどんどん襲ってくる。仲間は次から次へとやられていく。フュリオサも重傷を負う。エンジンも壊れる。だがしかし、ここであきらめるわけにはいかないのだ。ここでこのウォータンクを止めるわけにはいかないのだ。必ず生きて“希望の場所”まで行かなくては。自分自身を勝ち取るために。生きる意味を見出すために。生きる価値を手にするために。
マックスは自分の名前を言わずにいた。名前を言わないうということは、そことの関係、社会的な関係を持ちたくないということ。しかし、ついにマックスはフュリオサに噛み締めるように自分の名を名乗る。最後、“The First History Man”から言葉が伝えられる。“約束の地はあるのか?自分を探し求め さまようこの荒野の果てに”と。いろんな訳の仕方があるのだが、日本語訳はこうなっていた。この意味が本当に深くて、この文章だけでも涙が出てくる。希望なんてあるのか。生きる意味なんてあるのだろうか。生きる価値って何なんだ。自分て何なんだ。どれほど狂った世界でも、どんなに辛くても、苦しくても、悲しくても、自分自身というものをよりよい方向に探していかなければならない。
”WHAT A LOVERY DAY”というのはウォーボーイズのニュークスが砂嵐の中でウォータンクを追っているときに自分の仲間のウォーボーイズたちがヤラレいているときに叫んだ言葉である(笑)。ポスターではこの言葉が主に使われているのだが、今回載せたポスターでは、敵の大軍が押し寄せてくるところに、マックスが一人立っている。「マックス!逃げろ!」と言いたくなるのだが、ここで“WHAT A LOVELY DAY”とはもう武者ぶるいしてしまう。なんてカッコいいシーンだ。
今回もマッドマックスネタですみません(笑)。勢いで書いてしまったので全然まとまっていないし、意味不明なところもあるかもしれませんが(笑)。
今日は休日だったが、外がめちゃくちゃ寒かったので午前中に買い物を済ませ、それ以降はずっと部屋にこもっていた。先月はいろいろと買い物をしてしまったので、今月は節約しなければならない。どこか出掛けてしまうとついつい買い物したくなってしまうので、しばらく我慢しよう。ということで今日も映画を観ていたのである(笑)。映画のいいところはたくさんあるが、非日常を見せてくれるところ、力を与えてくれること、ショックを与えてくれること、興奮を与えてくれること、・・・などなど。良い意味でも悪い意味でも何かしらの影響を与えてくれるのである。何回も言っているのだが、映画なくして私の人生はあり得ないのである。
特に、嫌なことや悲しいこと、苦しいこと、しんどいことがあったときにはよく映画に救われることがある。めちゃくちゃ悩んだり、苦しんだり、頭を抱えてしまっているときなんかに、今回の『MAD MAX/FURY ROAD』の砂漠に一人立たされていると思ったら、そんなことなどどうでもよくなってくる(笑)。もっと適当でいいし、と思ってしまうときもある。本当はダメだが(笑)。というか先輩、上司に怒られちゃうし(笑)。
ということで今日もマッドマックスを観ていたのである。最近は涙を流してしまうシーンが増えてしまい、もう大変である。最初のエンジン音が鳴るだけでもヤバい。主人公マックスはずっと過去に救えなかった命の亡霊に悩まされ、その亡霊から、そして周りにいる敵からも逃げている。狂気にとりつかれたのは自分なのか、それとも世界なのか。唯一確かだったことは自分の本能が「生きろ」と叫んでいたことだけだった。
敵につかまり、そこは女性はモノでしか扱われない世界だった。そして独裁者に洗脳された戦闘集団ウォーボーイズがいた。彼らは勇敢に戦って死ぬことがすべてであった。それぞれ登場人物がいるのだが、みんなとにかく生きようとしているのだ。独裁者の子供を産むためだけの妻たち(ワイブズ)もそれぞれの個性を持ち、それぞれの思いを持って、決して戦うことはできないが、彼女たちができることを必死にやっていた。ウォーボーイズの一人ニュークスはいろいろあってマックスたちと旅をすることになるのだが、今まで信じていたことがすべてではないと知り、違う人生、違う自分を見つけることができたのだ。死ぬことがすべてと思っていたが、生きることに価値を見出した。指揮しているフュリオサも彼女たちを希望のある場所へ導き、そして自分の過去を清算するために命をかけてウォータンクを爆走させるのだ。マックスは最初狂気じみていたが、フュリオサたちを通じてだんだんと人間らしさを取り戻していく。最後の爆走劇は本当に涙なしでは観れない。倒しても倒しても敵はどんどん襲ってくる。仲間は次から次へとやられていく。フュリオサも重傷を負う。エンジンも壊れる。だがしかし、ここであきらめるわけにはいかないのだ。ここでこのウォータンクを止めるわけにはいかないのだ。必ず生きて“希望の場所”まで行かなくては。自分自身を勝ち取るために。生きる意味を見出すために。生きる価値を手にするために。
マックスは自分の名前を言わずにいた。名前を言わないうということは、そことの関係、社会的な関係を持ちたくないということ。しかし、ついにマックスはフュリオサに噛み締めるように自分の名を名乗る。最後、“The First History Man”から言葉が伝えられる。“約束の地はあるのか?自分を探し求め さまようこの荒野の果てに”と。いろんな訳の仕方があるのだが、日本語訳はこうなっていた。この意味が本当に深くて、この文章だけでも涙が出てくる。希望なんてあるのか。生きる意味なんてあるのだろうか。生きる価値って何なんだ。自分て何なんだ。どれほど狂った世界でも、どんなに辛くても、苦しくても、悲しくても、自分自身というものをよりよい方向に探していかなければならない。
”WHAT A LOVERY DAY”というのはウォーボーイズのニュークスが砂嵐の中でウォータンクを追っているときに自分の仲間のウォーボーイズたちがヤラレいているときに叫んだ言葉である(笑)。ポスターではこの言葉が主に使われているのだが、今回載せたポスターでは、敵の大軍が押し寄せてくるところに、マックスが一人立っている。「マックス!逃げろ!」と言いたくなるのだが、ここで“WHAT A LOVELY DAY”とはもう武者ぶるいしてしまう。なんてカッコいいシーンだ。
今回もマッドマックスネタですみません(笑)。勢いで書いてしまったので全然まとまっていないし、意味不明なところもあるかもしれませんが(笑)。
2016年1月19日火曜日
お騒がせグループ
昨日東京でも雪が降り、とても寒くなった。雪が積もってしまったので、東京の交通のダイヤが大幅に乱れてしまった。東京は雪国とは違ってこういったときにはすぐにダウンしてしまう。何とかならないものかと思ってしまうが、仕方がない。その日私は研修のために本社へ行かなければならなかったのだが、その前に課題が出ていて、横浜の百貨店へ行き、惣菜類を買って行かなければならなかった。12時に本社集合である。、百貨店は10時に開店するので、それまでには横浜に到着しておこうと思ったが、私の家の最寄り駅ですら混雑していて、ホームに入りきらない状態。遅刻はできないので、できるだけ早く電車に乗るようにした。結局10時5分くらいに横浜へ到着した。買い物を済ませ、すぐに本社へ向かった。まぁ何とか間に合ったのでよかった。それにしても寒かった。
最近某アイドルグループが解散するかどうかで世間を騒がせている。ここではグループ名は伏せておきたい。検索でヒットされると何かしら面倒なことになるかもしれないので(笑)。私はこのグループが解散しようがしまいがどっちでもいい。というか最初から興味がないので、なんでこんなことにいろんなマスコミやニュースがそればっかりに集中しているのか理解できない。それほど人気があって影響力があるのだろうけれど。このグループは過去にもこのように解散するかどうかで問題になっていたような気がする。今回このニュースをスマートフォンのヤフーニュースで知ったのだが、「またかよ」と思い、題名だけを読んで流していた。「どうせ解散せえへんし」と思っていたらやっぱり解散しないとのこと。私の中では呆れ果てた状態である。過去のこともそうだし今回のことも必要以上にマスコミが煽りに煽った可能性もあるが、一度は許せても二度はどうなのかとも思う。
こういった集団で活動しているグループは何年も何十年もどういった心情で活動しているのだろうか。全員が全員本当に仲がいいのだろうか。前回の投稿でも紹介したが、私は群れることが嫌いなので、私の答えはまずあり得ないと考える。活動初期のころはがんばっていこうとか、何かしらの団結力みたいなものはあるだろうが、ある程度成功を収めてきたら各個人のそれぞれの欲求が生まれ、不満なんかが出てくるのは当然だろう。向いている方向性の違いや考えの違い、そんなものは山ほどある。グループ内でも派閥なんかあるだろうし、偏りもあるし、孤立することもあるだろう。一般人でもあの時は仲が良かったが、今では音信不通というのはしょっちゅうである。彼らも例外ではない。ただアイドルとか有名人がために自分勝手なことはできないのもあるだろう。それは仕方がないが、それも承知で自ら選んだ道であろう。解散する、やっぱりしない。解散する、やっぱりしない。ファンであれば今回のようにCDを買いまくって応援したりするんだろうけど、そこまででもない人にしたら、「いい加減にしろよ」って言いたくもなる。これほど世間を騒がせてしまっているのだから。たくさんの人が応援しているというのにこんなことで問題になってしまっては残念だろう。なんかカッコワルイ。元々いいイメージはないが更にイメージダウンである。まぁイメージアップしてもダウンしてもどっちでもいいのだが。
最近某アイドルグループが解散するかどうかで世間を騒がせている。ここではグループ名は伏せておきたい。検索でヒットされると何かしら面倒なことになるかもしれないので(笑)。私はこのグループが解散しようがしまいがどっちでもいい。というか最初から興味がないので、なんでこんなことにいろんなマスコミやニュースがそればっかりに集中しているのか理解できない。それほど人気があって影響力があるのだろうけれど。このグループは過去にもこのように解散するかどうかで問題になっていたような気がする。今回このニュースをスマートフォンのヤフーニュースで知ったのだが、「またかよ」と思い、題名だけを読んで流していた。「どうせ解散せえへんし」と思っていたらやっぱり解散しないとのこと。私の中では呆れ果てた状態である。過去のこともそうだし今回のことも必要以上にマスコミが煽りに煽った可能性もあるが、一度は許せても二度はどうなのかとも思う。
こういった集団で活動しているグループは何年も何十年もどういった心情で活動しているのだろうか。全員が全員本当に仲がいいのだろうか。前回の投稿でも紹介したが、私は群れることが嫌いなので、私の答えはまずあり得ないと考える。活動初期のころはがんばっていこうとか、何かしらの団結力みたいなものはあるだろうが、ある程度成功を収めてきたら各個人のそれぞれの欲求が生まれ、不満なんかが出てくるのは当然だろう。向いている方向性の違いや考えの違い、そんなものは山ほどある。グループ内でも派閥なんかあるだろうし、偏りもあるし、孤立することもあるだろう。一般人でもあの時は仲が良かったが、今では音信不通というのはしょっちゅうである。彼らも例外ではない。ただアイドルとか有名人がために自分勝手なことはできないのもあるだろう。それは仕方がないが、それも承知で自ら選んだ道であろう。解散する、やっぱりしない。解散する、やっぱりしない。ファンであれば今回のようにCDを買いまくって応援したりするんだろうけど、そこまででもない人にしたら、「いい加減にしろよ」って言いたくもなる。これほど世間を騒がせてしまっているのだから。たくさんの人が応援しているというのにこんなことで問題になってしまっては残念だろう。なんかカッコワルイ。元々いいイメージはないが更にイメージダウンである。まぁイメージアップしてもダウンしてもどっちでもいいのだが。
2016年1月17日日曜日
自分の考え
前回の続きではないのだが、友人とはいろんな話をする。私は東京には友達がほとんどいないのだが、その少ない友達といろんな話をするのである。バカみたいなくだらない話は当然するし、もちろん真面目な話もする。それは酒が入っていようが入ってまいが関係ない。とにかく話のネタの幅が広い。
人間一人ひとり、自分の考えやプライド、今まで生きてきた経験や過程などを通して今の自分が成り立っている。当然だが人それぞれ考え方が違うし、答えも違う。それが話をしていておもしろいところである。その話の中でその人の“らしさ”が見えてくるのである。
私をよく知っている人は私のことをある意味、“偏っているな”とか“極端だな”とか“はっきりしているな”というだろうし、違う局面では、“おおざっぱだな”とか“適当だな”とか“中身ねーな”などなどそういうところもある。まぁその場面場面で考えが違うし、その時の気分にもよるし、その状況に応じてである。もちろん自分の中の根底にあるものはブレルことはない。
適当に私の考えを書いていこうかな。私は徹底的に個人主義を貫いていこうと思っている。利己主義ではない。自分ひとりがよければそれでいいという考えではない。ここを勘違いしている人は多いが、そうではない。自分自身を認めてほしければ他人を認めなければならない。自分に対してよくしてほしかったら、他人によくしなければならない。当然である。
大勢の人と群れることが嫌いである。大勢で群れるのは長渕剛のライブくらいでいい(笑)。あとできるだけ他人とかぶらないようにしている。まずは見た目、外見である。厳密に見てみると誰かとはかぶっているんだろうけど、“できるだけ”である。すれ違う人にけっこう見られることがあるのだが、なかなかそれも気分がいい。見られているということは他の人とは違うということで、私としてはそれが嬉しいのである。中身はその後(笑)。
笑いがあればなんでもいい感じがある。あれやるな、これやるなの考えは大っ嫌いなので、周りに迷惑をかけない範囲であれば自分の楽しいことは徹底的に追及していくべきである。そうでなければストレスもたまっていくし、しんどいし辛くなってくる。やっぱりなにをやるにしてもおもしろい方が、楽しい方がいいに決まっている。
この前友人とも話をしたが、説教がましい奴は避けろということである。説教臭い人は嫌いだし、だいたいそういう人は自分の考えや価値観を他人に押し付けようとしているので、それは鬱陶しい。自分の考えや価値観を口に出すのはその人が求めてきたときやよっぽどのことがない限りは口に出さないようにしている。
他人には敬意を表すということ。まぁ、これも話をすれば長くなるし、いろんな誤解が生まれるが、分かりやすく話をするならば、前回の投稿を踏まえて、お店に入った時には店員さんに敬意を表すということである。自分が客だから何でもしていいというわけではない。前回の投稿ならば、バーの店員さんにすごくよくしてもらったので、私も丁寧に話をするし、お願いをするし、感謝も伝える。お店はその店員さんたちのものなので、もちろんその方々に従うのは当然である。しかし、こちらが店に入ったとき、私はいつも下手(したて)に出るようにしているので、それに乗っかる人は嫌いである。要するに客をなめてくる店員は大嫌いである。そういう店員には私はそれ以上に上から乗っかろうとする。これも私の中では当然で、やっぱり仕返しをしないとこちらも悔しいので。もちろん常識の範囲内で。愛想良くしてもらったらそれを返すし、愛想悪く来たらこちらも残念である。そういう自分の愛を与えるのはそれに値する人だけでいい。値しない者に与える必要はない。
いろいろ書いていると止まらなくなるので、今回はこの辺にしておこう。次は気が向いたときにでも書こうと思う(笑)。今回書いたものはあくまで私個人の考えなので、それに合うか合わないか、賛成か反対か、などで私を攻撃しないでほしい(笑)。いろんな考えがあるのだから、正しいも間違いもない。
2016年1月16日土曜日
“WHAT A LOVELY DAY.”
先日、久しぶりに友人と会ってきた。前回は11月に会い、私が12月は忙しく会える時間がなかなか取れなかったので、今回に至ってしまった。まあ今回も東京駅、有楽町、銀座を散策した感じである。友人も映画が好きでいろいろ話をして、ああだこうだ言って毎回盛り上がるのである。彼も今上映している『007/スペクター』を映画館で観たみたいである。そこでまたいろいろと議論を。というか私の文句が多かったような気が(笑)。あと彼も『MAD MAX/FURY ROAD』を観たみたいだ。そしていくつかわからないシーンがあったみたいで、そこを私が解説?したり、詳しく内容を話したり、マッドマックスの本質とメッセージを語ったり、あとV8ポーズをとって遊んだりした(笑)。とにかくその日はV8ポーズの日であった(笑)。ちょうど祝日ということで、銀座の中央通りが歩行者天国だったので、そのど真ん中でV8ポーズをとって写真を撮ったのである。私一人で写す機会はほとんどなかったのでちょうどいいと思い、このブログのプロフィール写真もそれにしたのである。あとLINEのプロフィール写真もそれにした(笑)。普段人目を気にしない私であるが、その写真を撮るときはたくさん人がいたので、さすがに少し恥ずかしかった(笑)。
彼とはよく会うのだが、といっても1,2カ月に1回くらいになってしまうのだが、いろんなところへ飲みに行く。最初は安いところでご飯をいっぱい食べて、その後ホテルのバーなんかへ行く。ホテルのバーなんかでご飯も食べてしまったら、さすがに破たんしてしまうし、お腹いっぱいになるご飯もないし。今まで行ったことがあるバーは、帝国ホテルの“インペリアルラウンジ アクア”、ペニンシュラホテルの“PETER バー”、フォーシーズンズホテルの“モティーフ レストラン&バー”に行ったことがあり、今回はパレスホテルの“プリヴェ”に行ってみた。どのバーもそれぞれの良さがあり、雰囲気も全然違うのだが、今回のバーはすばらしいバーであった。他のお客さんも少なかったということもあったかもしれないが、接客がとてもよかったのだ。その日はスタッフ全員が男性だったのだが、こちらのテンションに合わせていただいたし、悪くいえば酔っ払いに付き合ってくれたし、メニューに載っていないカクテルを提案していただいたし、本当に気分良く時間を過ごすことができた。景色もよかったし、座ったソファもよかったし、雰囲気も最高だった。いつもだったら2,3杯くらいだが、5,6杯飲んでしまい、最後はフラフラだった(笑)。話の内容もめちゃくちゃだったかもしれないが、回らない頭を無理やり回転させて話をしたのである。私は普段お酒を全く飲まないので、すぐにダメな状態になってしまうのだが、彼は強いのでまだ大丈夫だったみたいだ。さすがである。どれくらい飲んでいたかわからないが、3,4時間くらいは飲んでいた。でも、本当に仲のいい友人と、うまい酒を、何も気を使わずにいれば、最高に楽しい時間になる。ちょー楽しかった(笑)。
こう書くと、いつも高級なバーに行って酒を飲んでいるのかと言われてしまうが、普段私は飲まないので、飲み代は一切かかっていないのである。2週間に一回3千円の飲み代に使っていたとして、それが2カ月ならば約1万2千円である。高級なバーに行けば一回で一人5千円から1万円である。結果的に金額の差はほとんどないので、私は一切贅沢をしていないということになる。無理やりだが(笑)。私はこちらのお金の使い方の方がいいなと思っているし、そっちの方が絶対にカッコイイと思っている。嫌なことにはお金は使いたくないし時間がもったいないと思ってしまうが、使うときには気持ちよく使いたいものである。
話は戻るが、めちゃくちゃ飲んでしまったので、帰りはまさに“FURY ROAD”であった(笑)。東京駅で彼とバイバイするときはもちろんV8でお別れ(笑)。一人フラフラで電車に乗って帰った。まあ無事に家に帰ることができたのでよかった。睡魔がすさまじかったので即寝である。次の日は休日だったが、アルコールが抜けていないのか、気分が悪い。おそらくこれは二日酔いというやつなのか。生まれて初めてかもしれない。友人は仕事だったので、申し訳ないことをしてしまった(笑)。次はお互いに次の日が休みの時に飲みたい。
2016年1月4日月曜日
映画のポスター
昨日の投稿で、私は今も『MAD MAX/FURY ROAD』にハマっていると書いたが、それに関することを書いていきたい。今回もすみません(笑)。
私は好きなコト、モノには徹底的に掘り下げていく傾向があり、興味のないことには一切触れないところがある。これは良いところでもあり、よくないところでもあるが、これが私の性格なのでそれを直そうとかは一切思わないし、これからも思うことはないだろう(笑)。そもそも何でも知っていることの方が無理があって、知らないことがあって当然である。知らないことがあったときには、「知らないので教えてください」でいいと思っている。「何で知らねーのこいつ」と思われても構わない。そんなものである。話がそれてしまったが、今回のマッドマックスに関連する本がいくつか出ていて、ビジュアル解説の本であったり、今回のストーリーに至るまでの話がマンガ形式で紹介されている本が出ていたり、定期的に出版される映画紹介の本であったりと、まあいろいろ出ているのだが、ビジュアルブックとマンガはすぐに購入した。本屋に早く行き過ぎて、まだ棚に並んでいなかったので倉庫からわざわざ出してもらった(笑)。それを読んで研究したりしている。その他にも、部屋に飾るポスターがほしいと思い、いろいろ調べてほしいものを何点か見つけたのだが、ポスターといっても様々な種類がある。私も知らなかったのだが、我々がよく目にするのはポスターのコピーなのである。つまり大量生産されたもの。それは安く手に入れることができる。2千円から3千円も出せば手に入る。しかし、そのポスターにも初版、原本が存在する。それを今回初めて知ったのである。アメリカの映画会社が映画館の宣伝向けに配給しているものが原本なのだ。もちろんだがこれらは非売品である。しかし、その映画館に配給されているポスターを集めて販売している会社があったのだ。映画好きの私としてはそのサイトを観ているだけで興奮してしまったのである。もちろん原本だろうがコピーだろうが絵は全く同じである。しかし、ついつい本物を求めてしまう私はその原本しか眼中になかった。しかもその原本というのは表だけに絵が描いているのではなく、裏にも絵が描いているのである。しかもその裏側は鏡に映ったようにまったく反対の絵が描いているのだ。この理由は、だいたい映画館ではポスターの裏から照明をあてて美しく見せることが多いので、裏にも絵が描いてあると、表面だけのときよりもより鮮明に見えるのである。日本ではなかなか目にすることは少ないだろう。
あとポスターの絵の違いである。一つの映画でも何種類かの絵が出ているのはご存じだろう。ここで何種類か紹介する。まず、映画公開前に宣伝用として作られる予告ポスターがアドバンス。映画公開と同時に貼られるのがレギュラー。海外向けに作られるのがインターナショナル。小型のものがインサート。リバイバル上映の為に作られるのがリイッシュー、別名がリバイバル。イギリスでよく見る横型のポスターがブリティッシュクワッド。アカデミー賞の受賞を記念して作られるのがオスカーバージョンである。その他にもあるみたいだが、私の現段階の知識はここまで。すべて絵が違うのでどれがいいかはもちろん自分の好みになってくるのだが、私は公開前に作られる予告ポスターが一番好きである。なぜかというとシンプルだからである。あまり詳しくない人が見たら、「これは何の映画?」となってしまうこともある。詳しい人が見れば「これはあの映画だ!!」となる。しかもこのシンプルな絵がちょーカッコいいのである(笑)。
マッドマックスはこの原本のポスターをひとつ手に入れ、もう一つ原本のポスター会社では取り扱いがなかったほしい絵があったので、これは仕方なくコピーのモノを買ったのだが、やはり比べてみると違いは一目瞭然。色の鮮明さが全く違う。まあこれは仕方がない。やはり本物は芸術的な美しさがある。
今回画像を載せているのはディズニー映画の『シンデレラ』のポスターを載せてみた。全く同じ型の絵を見つけることができなかったのは申し訳ないが、上の画像が公開と同時に貼られるレギュラーポスターの絵で、下の画像が公開前の予告ポスターで作られる絵である。このシンデレラの映画は私は観ていないのだが、この絵の違いはとてもよくわかるので今回それを紹介してみた。私は下の画像の方が圧倒的にカッコいいと思う。これは一体何の映画だろう、とあらゆることを想像してしまうところが良い。これはまさに芸術だろう。こんな絵を考えられる人はとんでもなく創造力が豊かな人なんだろうな。そんなことを考えながら自分の部屋に貼ってあるポスターを眺めている私である。
2016年、映画ネタから
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
気が付いたら年が明けていたという感じである。お歳暮の時期からクリスマス、そして年末年始と激動の期間ようやく終わりを告げようとしている。昨年は年末にインフルエンザにかかってしまい、仕事ができない状態になってしまった。なので今年はなんとしても出勤しなければならなかった。生まれて初めてのインフルエンザの予防接種も受けた(笑)。連勤続き、そして仕事の忙しさはものすごかった。朝の7時から夕方の5時くらいまでノンストップで仕事をし、やっと休憩(15分ほど)の日もあった。仕事量が多くて終わりが全く見えないのである。とにかくやり続けたという感じである。まあ無事に繁忙期を終えることができて本当によかった。体調に全く問題なかったのが一番良かったかもしれない。
最近映画ネタが多いは申し訳ないのだが、今日も映画ネタを書きたい(笑)。先日『007/スペクター』を観てきたのだ。一般人としての視点から見ればよくできた映画だったし、めちゃくちゃおもしろかったのではないだろうか。がしかし、私の感想としてはそこまででもなかったというのが素直な感想である。確かにおもしろかったのはおもしろかったのだが、詰めが甘いところが多かったのではないだろうか。ネタばれになるので詳しいことは書かないが、その詰めの甘いところがすごく気になってしまい、ズルズル引きずってしまったので全体的な印象を下げてしまった。まあでもおもしろかった(笑)。あと、力を入れて宣伝していたカーチェイスのシーンは“ただ走っているだけ”という感じだった。アストンマーチンとジャガーの激突と聞いていたが、ちょっと物足りない感じ。Qの兵器なのでもっとおもしろい仕掛けを用意していてほしかったが、残念であった。
今回の007の公開を記念して大阪の阪急メンズ館と東京の阪急メンズ館に撮影で使ったアストンマーチンDB10が期間限定で展示されていたのである。10台作られたのだが、そのうち8台は撮影で壊し、残された2台のうちの1台であった。おそらくこの機会を逃せばもう一生見ることができないと思い、先日実際に見てきた。車自体はめちゃくちゃカッコよかった。個人的にはDBSの方が好きかな。
私のブームはまだまだ『MAD MAX/FURY RORD』が続いている(笑)。なんでもかんでも“V8ポーズ”をとっている(笑)。映画を観るたびに、「映画ってやっぱりいいな」とつくづく思う。今年はどんな素晴らしい映画と出会えるだろうか。
気が付いたら年が明けていたという感じである。お歳暮の時期からクリスマス、そして年末年始と激動の期間ようやく終わりを告げようとしている。昨年は年末にインフルエンザにかかってしまい、仕事ができない状態になってしまった。なので今年はなんとしても出勤しなければならなかった。生まれて初めてのインフルエンザの予防接種も受けた(笑)。連勤続き、そして仕事の忙しさはものすごかった。朝の7時から夕方の5時くらいまでノンストップで仕事をし、やっと休憩(15分ほど)の日もあった。仕事量が多くて終わりが全く見えないのである。とにかくやり続けたという感じである。まあ無事に繁忙期を終えることができて本当によかった。体調に全く問題なかったのが一番良かったかもしれない。
最近映画ネタが多いは申し訳ないのだが、今日も映画ネタを書きたい(笑)。先日『007/スペクター』を観てきたのだ。一般人としての視点から見ればよくできた映画だったし、めちゃくちゃおもしろかったのではないだろうか。がしかし、私の感想としてはそこまででもなかったというのが素直な感想である。確かにおもしろかったのはおもしろかったのだが、詰めが甘いところが多かったのではないだろうか。ネタばれになるので詳しいことは書かないが、その詰めの甘いところがすごく気になってしまい、ズルズル引きずってしまったので全体的な印象を下げてしまった。まあでもおもしろかった(笑)。あと、力を入れて宣伝していたカーチェイスのシーンは“ただ走っているだけ”という感じだった。アストンマーチンとジャガーの激突と聞いていたが、ちょっと物足りない感じ。Qの兵器なのでもっとおもしろい仕掛けを用意していてほしかったが、残念であった。
今回の007の公開を記念して大阪の阪急メンズ館と東京の阪急メンズ館に撮影で使ったアストンマーチンDB10が期間限定で展示されていたのである。10台作られたのだが、そのうち8台は撮影で壊し、残された2台のうちの1台であった。おそらくこの機会を逃せばもう一生見ることができないと思い、先日実際に見てきた。車自体はめちゃくちゃカッコよかった。個人的にはDBSの方が好きかな。
私のブームはまだまだ『MAD MAX/FURY RORD』が続いている(笑)。なんでもかんでも“V8ポーズ”をとっている(笑)。映画を観るたびに、「映画ってやっぱりいいな」とつくづく思う。今年はどんな素晴らしい映画と出会えるだろうか。
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