日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2016年4月20日水曜日
結婚式
2月20日、私の兄の結婚式が大阪で行われた。私は朝一の羽田発の飛行機に乗って大阪に戻った。以前住んでいた家の最寄り駅から羽田空港までの時間を駅すぱあとで調べたら、始発の電車に乗っても飛行機が出る時間のギリギリであったため、どうしたらいいのか悩んでいたのである。もっと早い行き方はないのか、いろんなルートを調べてみたのだがやはりそれが一番早いみたいである。一度電車の乗り換えをしなければならなかったのだが、その駅から駅まで少し歩かなければならなかったのである。そこで乗り換え先の電車の時刻表を個別で調べてみると、時間に間に合いそうな羽田行の電車が何本かある。駅すぱあとには載っていないものもある。駅すぱあとは確実に間に合いそうな時間を予測した結果のみを表示しているようだ。私はそこで、とにかく乗り換えを早くしようと思い、当日は駅から駅まで全速力で走ったのである。朝の5時過ぎくらいに全速力で走っていた。結果、コンピューターが予測した電車の2本も早い電車に乗ることができた(笑)。ある意味感動することができた。めちゃくちゃ疲れたのだが(笑)。飛行機の中では寝ようと思っていたが、1時間ほどで着いてしまったので、寝る暇もなく家に向かった。ヘトヘトであった。
朝ごはんを食べて準備をして式会場へ向かった。ありがたいことに、その式会場は家から歩いて10分もかからないところにある。すごく楽チンであった。あいにくの雨であったが、そんなものは一切関係ない。めでたい日であることに違いはないのだから。
私は弟ということで式の受付を任されていた。相手方は兄がいらっしゃり、その方と二人で受付をしていた。ものすごく頼りになる方だったので、本当に助かったのである。こちらの方が“義理の兄”ということになる。すごく話をしやすい方で、周りには本当の兄弟だと勘違いされていたみたいだ(笑)。
受付の任務が終わると、式に参加しなければならなかったので後継ぎを済ませ、式に参加。私は次のミッションがあり、兄からカメラマンを頼まれていた。兄自身が用意していた一眼レフの使い方を教えてもらい、とにかく写真を撮りまくる。今まで私はポケットに入るデジカメしか使ったことがなかったので、なかなか一眼レフは難しい。写真を撮るのは好きだが、一眼レフを買いたいと思ったことはない。一眼レフという巨大なカメラを持ってしまうと写真を撮ることがメインになってしまい、私は歩いたりするのがメインなので、写真を撮るのは二の次であってほしいのだ。なので私は当分は小さいデジカメしか持たないだろう。話はそれてしまったが、とにかく目に映るモノすべてを撮った。
私はこういう“式”というものに慣れていないし、そもそもあまり好きではない。なんせ決まりごとが多いし、自由が制限されてしまうことについついイライラしてしまうのだ。しかし、その日は兄の日ということで、その感情を押し殺して参加。披露宴ではおいしそうなご飯もたくさん出てきていたが、私はカメラマンをしなければならなかったし、各テーブルにあいさつ回りをしなければならなかったので、ご飯はほとんど食べることができなかった。
兄の大学の友人たちや同じ職場結婚だったので、職場の関係者の方々が来られていて、私が想像していたものよりもはるかに素晴らしい式だったのである。友人たちや職場の同期の方々が様々な演出を考えておられ、どれも本当に素晴らしいものであった。私はその様子を涙を流しながらカメラのシャッターを押し続けた。これが兄が今まで築き上げてきたものなんだろう。今まで知らなかったことばかりであった。まあそんなものである。でもその様子を見ていて、すごく安心した。私はそういう友人の築き方をしてきていないし、これからもすることはない。そこが兄と私の大きな違いの一つでもある。私は兄と彼女に東京で用意をしていた花を贈った。その花を渡すのに、お渡しするコーナーの時間を作っていただいたのだが、本当は何もないちょっとした時間帯にこっそり渡したかったのだが、その日は私のこだわりのハードルを下げた。多くの人はそういったコーナーを作っていただけたらすごくうれしいのだけれど、私は違うんだなあ。私はそんな表に出たくないし、横でこっそりやるべきことをやりたかっただけである。式当日は結婚する二人の荷物が大量なので、そういったプレゼント類は後日配送で送るべきだ、というインターネット上ではそういった意見が多くみられた。確かにそれは事実だろう。しかし、だから何という感じ。今日というその日に渡すから意味があると私は思っている。今日その日のためにすごく重たいけれどいろんな思いをして持ってきた。でも荷物がたくさんになってすごく不便。不便だけど意味がある。配送は便利だけど意味がない。極論を言ってしまえば。私は荷物が多いのはわかっていたので、式終了後兄たちは大学の友人ら、会社の方々と会う約束をしていたみたいなので、私は自分で持って行った花を再び自分で家に持って帰った。そこまでやれば誰も文句は言わないだろう。
無事に式は終了した。本当に素晴らしい式であった。ほとんど立ちっぱなしだったし、ご飯もほとんど食べられなかったので疲労困憊だったが(笑)。5月にはハネムーンでイタリアへ行くみたいだ。私のスーツケースを貸してほしいということで今日スーツケースを送った。いいなあ(笑)。
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