日々の生活の中で、感じたこと、考えたこと、思ったことをテキトーにくだらない感じで書いているブログである。ブログタイトルは映画『キングスマン』の1シーンからパクって今までのタイトルと合わせたものである。 コメントを投稿していただいた方の返答はそのコメントの下に書かせていただいております。返答はコメントのところをご覧下さい。
2018年12月25日火曜日
明日から後半戦
昨日怒涛の7連勤が終わり、今日は休日であった。明日からは後半戦となり、前半戦よりも激化しそうな感じで、乗り越えられるのか心配である(笑)。今日は今年最後の休日だったが、疲れすぎてずーっと眠たい一日であった。眠たいし、頭が痛いというのか、気分が悪いというのか、酔っているというのか、フワフワした感じであった。昨日仕事が終わって、史上サイコーに眠いと思いながら電車に乗ったのだが、80~90%は座れるのだが、よりにもよって一番座りたい日に座れなかったのである。クリスマスイブということもあり、人も多かったというのもある。この電車に乗っている乗客の中で一番疲れているのは自分であるという自信があったので、本当に座りたかったのだが、結局最寄り駅までの約40分くらい立ち続けたのである。クリスマスということもあり座っている人の多くは遊んでいる感じの人がほとんどで、遊んでいるのは全く構わないのだが、疲れているこの俺を座らせろと激怒しそうになった(笑)。そのせいもあり、家に帰ったらもうクタクタで、掃除や洗濯をしなければならなかったが、とりあえず椅子に座ったら一瞬で寝てしまい、30分が経過してしまった。いかんいかんと思い、掃除をしてお風呂に入って、洗濯をしながらご飯を食べていたのである。洗濯物が1週間分あったので、1回ではできなかったので2回に分けて洗濯したのだが、2回目の選択が終わって洗濯物を洗濯機から出して、さぁ干そうかなーと思いながらちょっと椅子に座って、気が付いたら3時間経過していて、ちょっとビビッてしまったのである。3時間洗濯物は当然床に放置されたままで、我ながらかなりお疲れの様子であった。洗濯物を干し終えて、椅子に座ったら再び気を失い、気が付けば朝の8時前であった。今も頭がボーっとしている。明日からまた連勤が始まるが、すべて始発出勤である。再び怒涛の連勤がはじまる。早く終わってほしいと心から願うばかりである。今年もあと1週間である。毎年毎回思うことだが、今年も早かったなーということだけである。睡眠不足と疲労困憊であるが、まだ体調は崩していないのでこのまま乗り切ってしまいたい。
今年もなんだかんだで大変だった!!
今年もあとわずかだが、まだまだエンジン全開でブッ飛ばしていくぞ!!
WITNESS ME!!
2018年12月17日月曜日
寝なければならない時間に(笑)
明日から7連勤で、すべて始発出勤となる。一年を通して一番忙しい時期である。考えるだけでイヤになるのだが、この時期を一刻も早く乗り切りたい。そしてなんとか年明けまでは体調を崩さないようにしたい。寝不足は仕方ないが、せめて体調だけでもという感じである。今日は休みだったが、明日からのこともあり、外へは一歩も出なかった。とりあえず次の休みまで、という感じで乗り切っていきたい。今日は一日中ぼーっとしていて、気が付けば21時を過ぎてしまい、書きたいことは山ほどあるのだが、明日から4時起きなので、というか12月に入ってからは毎日4時起きなのだが、今から寝ようと思う(笑)。次の休みで投稿できるかはわからないが、このくらいだけだけでも書けたら書こうかなと思っている。もう本当に毎日いろんな意味で大変だが、目の前のことをただ乗り切っていくしかない。今年も最後までエンジン全開で突っ走っていこう!!
2018年12月13日木曜日
休日もヘトヘト
2018年11月29日木曜日
来年はこの映画から
今日は11月の末だが、天気が良く、すごく暖かい一日であった。年末に近づくにつれて忙しくなるし、年末はお店とかもすぐに閉まってしまうため、仕事の後に買い物ができなくなってしまうので、今のうちに必要なものは少しずつ用意しておこうと思い、買い物をしていたのである。本当はどこかへ遊びに行きたいのだが、ここで体調を崩してはいけないので、できるだけ家にいようということですぐに家に帰ったのである。天気が良かったので久しぶりに歩きたいとも思ったが、それは繁忙期が過ぎた来年にしようと思う。本当にイヤな時期だなー。
来年は早々に『クリード/炎の宿敵』という映画が公開されるのだが、この映画は『ロッキー』シリーズの続編なのである。『ロッキー』シリーズは全部で6話あり、更にその続編として新たに『クリード』という新シリーズが始まったのである。来年に公開されるのがその2話目である。前話は『クリード/チャンプを継ぐ男』である。私はこの『クリード/チャンプを継ぐ男』をなかなか観なかったのである。本当は観たいという気持ちもあったのだが、なんせ『ロッキー/ザ・ファイナル』がシリーズ最終話として完璧過ぎる着地をしたので私の中ではこれで『ロッキー』は完結してしまっていたのである。でも来年にまた続編が公開されるというのを知り、やっぱり観ないといけないなーと思って『クリード』も観るようにしたのである。当然だがめちゃくちゃおもしろかった(笑)。やっぱりロッキーは変わらないんだなーと。誰もが知っているロッキーのテーマソングがあるが、今回は新シリーズということで流れないのかなーと思ってみていて、最後の方になってやっぱり流れないなーと思っていたらここぞという瞬間にバーンと流れたときは号泣であった。やっぱりすごいなーロッキーは。この続編である『クリード/炎の宿敵』は『ロッキー4』で闘った敵の息子が今度の相手になるのだ。『ロッキー』シリーズはすべて繋がっているのである。アメリカではすでに公開されているのだが、かなりのヒットを飛ばしているらしい。これは絶対におもしろいに決まっている。私も年が明けて少し仕事が落ち着いてきたら観に行こうと思っている。そういえば今年の最初は『キングスマン/ゴールデン・サークル』から始まった。そこから休む暇もなく『ツイン・ピークス』になり、『ツイン・ピークス/ザ・リターン』になった。来年は『クリード/炎の宿敵』から始まりそうである。ちなみに『キングスマン』の続編がもう少ししたら撮影を開始するらしい。こちらも期待大である。何度でも言うが、うざったい毎日だし、クズ野郎ばっかりだし、ブチギレたい毎日だが、もう本当に“奴ら”に救われている。たとえその2時間3時間の間だけでも現実を忘れられる。終わったら現実に戻されるわけだが(笑)。でも、私も闘おうとほんのちょっとだけでも思える瞬間がある。それだけでもいいと思う。そう思えているということは、観る前と観た後の自分が変わっているという証拠であるから。現実なんか変わりはしない。現実は確かに厳しくて苦しくて辛い世界だ。でもその中で“夢”をみせてくれる。世の中にはどうしようもない、どうにもならない現実というのが存在する。そのとき、目には見えないもの、論理では説明できないものこそが本当は大切なんだと気がつく瞬間がある。それは“夢”であったり、“やさしさ”であったり、“喜び”であったり、“愛”であったり。それを映画はみせてくれる。教えてくれるのだ。どれだけイヤでも明日は容赦なくやってきてしまう。容易に想像がつくイヤな明日が。でも、それでもまた“奴ら”に会える日がその向こうにあるのなら、「ちょっと仕事行ってくるか」とほんの少しだけ気が楽になるような気がする。
来年は早々に『クリード/炎の宿敵』という映画が公開されるのだが、この映画は『ロッキー』シリーズの続編なのである。『ロッキー』シリーズは全部で6話あり、更にその続編として新たに『クリード』という新シリーズが始まったのである。来年に公開されるのがその2話目である。前話は『クリード/チャンプを継ぐ男』である。私はこの『クリード/チャンプを継ぐ男』をなかなか観なかったのである。本当は観たいという気持ちもあったのだが、なんせ『ロッキー/ザ・ファイナル』がシリーズ最終話として完璧過ぎる着地をしたので私の中ではこれで『ロッキー』は完結してしまっていたのである。でも来年にまた続編が公開されるというのを知り、やっぱり観ないといけないなーと思って『クリード』も観るようにしたのである。当然だがめちゃくちゃおもしろかった(笑)。やっぱりロッキーは変わらないんだなーと。誰もが知っているロッキーのテーマソングがあるが、今回は新シリーズということで流れないのかなーと思ってみていて、最後の方になってやっぱり流れないなーと思っていたらここぞという瞬間にバーンと流れたときは号泣であった。やっぱりすごいなーロッキーは。この続編である『クリード/炎の宿敵』は『ロッキー4』で闘った敵の息子が今度の相手になるのだ。『ロッキー』シリーズはすべて繋がっているのである。アメリカではすでに公開されているのだが、かなりのヒットを飛ばしているらしい。これは絶対におもしろいに決まっている。私も年が明けて少し仕事が落ち着いてきたら観に行こうと思っている。そういえば今年の最初は『キングスマン/ゴールデン・サークル』から始まった。そこから休む暇もなく『ツイン・ピークス』になり、『ツイン・ピークス/ザ・リターン』になった。来年は『クリード/炎の宿敵』から始まりそうである。ちなみに『キングスマン』の続編がもう少ししたら撮影を開始するらしい。こちらも期待大である。何度でも言うが、うざったい毎日だし、クズ野郎ばっかりだし、ブチギレたい毎日だが、もう本当に“奴ら”に救われている。たとえその2時間3時間の間だけでも現実を忘れられる。終わったら現実に戻されるわけだが(笑)。でも、私も闘おうとほんのちょっとだけでも思える瞬間がある。それだけでもいいと思う。そう思えているということは、観る前と観た後の自分が変わっているという証拠であるから。現実なんか変わりはしない。現実は確かに厳しくて苦しくて辛い世界だ。でもその中で“夢”をみせてくれる。世の中にはどうしようもない、どうにもならない現実というのが存在する。そのとき、目には見えないもの、論理では説明できないものこそが本当は大切なんだと気がつく瞬間がある。それは“夢”であったり、“やさしさ”であったり、“喜び”であったり、“愛”であったり。それを映画はみせてくれる。教えてくれるのだ。どれだけイヤでも明日は容赦なくやってきてしまう。容易に想像がつくイヤな明日が。でも、それでもまた“奴ら”に会える日がその向こうにあるのなら、「ちょっと仕事行ってくるか」とほんの少しだけ気が楽になるような気がする。
2018年11月25日日曜日
バカでいこうぜ!!
休日はあっという間に過ぎ去ってしまう。仕事の日の朝はもうおきおきるのが苦痛でしょうがないのだが。前日も寝るのが嫌でしょうがない。世の中にはもっと苦しんでいる人が大勢いるのかと思うと言葉にならない。生きている、生きていく意味というのを考えざるを得ない。本当にヤケクソ笑いで乗り切っていくしかない!!
前回少しだけコメディ映画について書いたが、具体的に今年観た印象に残っているコメディ映画は、『ハングオーバー』シリーズの『ハングオーバー/消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』、『ハングオーバー/史上最悪の二日酔い、国境を越える』、『ハングオーバー/最後の反省会』、『モンスター上司』とその続編の『モンスター上司2』、そして『21ジャンプストーリー』とその続編の『22ジャンプストーリー』である。この映画はもう本当に観ていてしあわせになれる映画であった。全部下品な映画だが(笑)。こんな映画を観ると本当に心が救われる。こんなんでいいんだと思う。いいわけないが(笑)。バカはバカなりに必死になってなにかをやるというのはカタルシスがある。最初からできるヤツがなにかをしていても話にならないしそもそもおもしろくない。バカなことをする、バカなことを考える、バカなことができるというのは日々の生活において非常に重要なことであると思っているし、非常に価値のあるものだと思っている。それは当然ながら日々の生活を生き抜くことにつながってくるからである。どれだけバカで頭が悪くて、そして仕事ができなくても、それでも毎日を楽しくやり過ごすコツをわかっているのである。それだけで本当に価値がある。自分の思い通りにいかなかったらすぐに怒るヤツとか、自分にとって言いやすい人にばっかり自分の感情を押し付けるヤツとか、気に入らない人には粗探しをしていちいちグダグダ言ってくるヤツとか、上の立場にいるというそれだけの理由で偉そうにしているヤツとか、そういうゴミみたいなヤツらよりも数億倍の価値がある。観ているこちら側も笑わせてくれるし、救ってくれるし、ハッピーにしてくれる。こんなすごいことがあるか。悩んでいる自分をバカバカしく思わせてくれるのだ。真面目なことも当然ながら必要なことだが、人間それだけでは生きていけないし、生きていけたとしても本当につまらない生活である。人間は時々でいいからバカにならないとダメである。人生を楽しむ、生活を楽しくやっていくコツは、どれだけバカなことを考えられるか、どれだけバカなことができるかである。
今年もあともう少しだ!!
平成もあと少しだと!?
そんなこと知ったことか!!
そんなことどうでもいい!!
時代がどれだけ変わろうが、世界がどれだけ変わろうが、自分だけは変わらない!!
すべてのことに中指立てて突っ走る!!
イヤなことがあったらパーティーしようぜ!!
そんなことはいいからパーティーしようぜ!!
互いに最高であれ!!
今年もまだまだ大変な日が続くが、エンジン全開でぶっ飛ばしていくぞ!!
前回少しだけコメディ映画について書いたが、具体的に今年観た印象に残っているコメディ映画は、『ハングオーバー』シリーズの『ハングオーバー/消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』、『ハングオーバー/史上最悪の二日酔い、国境を越える』、『ハングオーバー/最後の反省会』、『モンスター上司』とその続編の『モンスター上司2』、そして『21ジャンプストーリー』とその続編の『22ジャンプストーリー』である。この映画はもう本当に観ていてしあわせになれる映画であった。全部下品な映画だが(笑)。こんな映画を観ると本当に心が救われる。こんなんでいいんだと思う。いいわけないが(笑)。バカはバカなりに必死になってなにかをやるというのはカタルシスがある。最初からできるヤツがなにかをしていても話にならないしそもそもおもしろくない。バカなことをする、バカなことを考える、バカなことができるというのは日々の生活において非常に重要なことであると思っているし、非常に価値のあるものだと思っている。それは当然ながら日々の生活を生き抜くことにつながってくるからである。どれだけバカで頭が悪くて、そして仕事ができなくても、それでも毎日を楽しくやり過ごすコツをわかっているのである。それだけで本当に価値がある。自分の思い通りにいかなかったらすぐに怒るヤツとか、自分にとって言いやすい人にばっかり自分の感情を押し付けるヤツとか、気に入らない人には粗探しをしていちいちグダグダ言ってくるヤツとか、上の立場にいるというそれだけの理由で偉そうにしているヤツとか、そういうゴミみたいなヤツらよりも数億倍の価値がある。観ているこちら側も笑わせてくれるし、救ってくれるし、ハッピーにしてくれる。こんなすごいことがあるか。悩んでいる自分をバカバカしく思わせてくれるのだ。真面目なことも当然ながら必要なことだが、人間それだけでは生きていけないし、生きていけたとしても本当につまらない生活である。人間は時々でいいからバカにならないとダメである。人生を楽しむ、生活を楽しくやっていくコツは、どれだけバカなことを考えられるか、どれだけバカなことができるかである。
今年もあともう少しだ!!
平成もあと少しだと!?
そんなこと知ったことか!!
そんなことどうでもいい!!
時代がどれだけ変わろうが、世界がどれだけ変わろうが、自分だけは変わらない!!
すべてのことに中指立てて突っ走る!!
イヤなことがあったらパーティーしようぜ!!
そんなことはいいからパーティーしようぜ!!
互いに最高であれ!!
今年もまだまだ大変な日が続くが、エンジン全開でぶっ飛ばしていくぞ!!
2018年11月23日金曜日
11月もあと1週間
最近急に寒くなってきたが、仕事で着る服装のほとんどがユニクロなのである。というか仕事に関するものはすべてにおいてお金をかけたくないという私の信念?があり、ユニクロですら高いと思ってしまうのである。しかし、寒くなってきたので家の最寄り駅にあるユニクロへ行き、シャツやらなんや買ってきたのである。毎日仕事で着ているので、何枚も持っていてもすぐに劣化してしまうので、昨年来ていた冬用のアンダーウェアなどもうボロボロになっていたので今年用みたいな感じで必要になっていたのだ。新発売みたいなのが販売されていたので、それを何枚か購入したら1万円を超えてしまったのである。ユニクロといっても高いなーと思ってしまった。とりあえず今年と来年の冬くらいは乗り越えられそうかなーという感じである。仕事に行く服装なんかもう本当にボロボロ同然である。もう本当にお金をかけたくないのである。休日に外出したり、友人と遊んだり、大阪に帰るときなんかは今まで苦労して集めた“いろいろ”を総動員して自分なりにキメて、いざ出陣みたいな感じである。仕事に行く服装と遊ぶときの服装の違いがすご過ぎて自分で言うのもなんだが別人である。私にしたら仕事の日がオフで、遊ぶときがオンである。今年はもう繁忙期に入っているので、休日はできるだけ家にいることが多くなるだろう。もう本当に疲れてしまっているので、一日中ボーっとしてウトウトしてしまってそして明日また仕事かと思うとそれだけでも疲れてしまって本当にどうしようもない感じである。11月もあと1週間で終わりである。もうすぐ12月なんだなー。年末になるにつれて忙しくなってくるので、想像するだけで億劫になるので先のことはあまり考えないようにしたい。FUCK EVERYTHING!!!
そろそろ年末に近づいてくるので世間では忘年会やらなんやらで飲み会なんかも増えてくるだろう。私のところはそれがないだけでもまだうれしい。先ほども書いたが仕事に関することでお金をかけたくないのである。飲み会に参加するだけで3000円とか4000円もとられるので、そんな大金をくだらないものに出したくもないし、時間ももったいないし、それなら家で寝ている方がよっぽど有意義な時間であるし、疲れているのでさっさと家に帰りたいし、とまぁ参加したくない理由なんて腐るほどあるが、他のところで働いている人はそういう行事が増えてくるのだろう。年が明けたら新年会やらでまた同じことが繰り返される。ただ飲みたいだけなんだろうけど。今年の目標は?とかもいろいろ聞いてくるが、私はそういうのを考えたことがなく、目標があって生活した方が絶対に良いという人がいるが確かに私もそう思うが、1年の目標を聞かれてそれにいちいちと答えること自体が面倒になってしまっている。やりたいことなんてたくさんあるし、それをいったところで相手は全然興味のないことだろうし、それを聞いてお前どうするんだよと思うし、私の目標なんて「去年よりもたくさん寝たい!!」というのが一番だろう(笑)。ちゃんと寝ないと健康に悪いし、実際にそんなに眠れていないし、仕事期間は確実に睡眠不足だし、休みの日は変な時間に寝たりしてしまっているので健康に悪いし、というので目標は規則正しくちゃんと寝たいである(笑)。目標というよりも願望である。寝たいよ本当に(笑)。意識が朦朧とする中仕事しているんだから(笑)。
今年観た新しい映画は約100本であった。これから忙しくなって観る回数が減ってしまうのでおそらく100本いくかいかないかくらいだと思う。今年も本当にすばらしい映画に出会えたので、それについて本当はどんどん書いていきたいのだが、全く追いついていないので、少しずつ書いていけたらと思う。今は熟成期間ということにしておこう(笑)。今年もまぁいろんなジャンルの映画を観てきたが、“今年観たリスト”を見ているとコメディが多いのかなーという印象。私が観ておもしろいと思えるコメディ映画は下品?なものが多い(笑)。以前にも書いたがただほんわかするような笑いのコメディには大して価値はないと思っていて、ある一定数を怒らせたり、差別や偏見を逆手にとってそれを笑いに変えたり、タブーに挑戦してたり、そういうのをブラックユーモアというが、そういうことの方が絶対に価値があるしおもしろいし心にも残る。日本のような“安全圏の笑い、ネタ”なんかおもしろくない。ここまでやっていいの??というのばっかりでサイコーにおもしろいのばかり。日本はどんどんガラパゴス化しているので、本当に笑えなくなってきている。そういえばこの前メガネ屋さんにいったときに、話をしていて「今年観た中で一番おもしろかった映画は?」と聞かれたのだが、当然だが全部である(笑)。それも答えにならないし、誰もが知っているような映画を答えてもそれはそれでおもしろくないし、その方の好きな、おもしろい映画の好みをいろいろ探って、それで答えたのが『ミッション:8ミニッツ』という映画である。ジャンルでいえば、SFサスペンススリラー?かなという映画。どういう映画がネタバレなしに大雑把に説明しようとしたのだが、それすらも言わない方がいい映画なので、説明しようとしてやっぱり言わない方がいいと思って、その理由を伝えたのである。この映画は最初から“?”、“??”、“???”、というのがきて、それがだんだんわかってくるという映画で、久しぶりにこの感じが観ていて「これが映画だなー!!」と感じたのである。この映画も本当にすばらしい映画であった。
今回はテキトーに書いてしまったので、内容にまとまりがなくて申し訳ない(笑)。今回はというが、じゃあいつもはまともなのを書いているのかよという感じだが、確かにまともなのを書いたことがあるのかと自分でも思ってしまう(笑)。テキトーだからいいんだよ!!(笑)。
季節の変わり目ということで、体調を崩している人が増えてきているみたいなので、健康には気を付けて生活したい。毎日いろいろと大変だがテキトーにやっていこう!!そしてムカつく奴らはぶっ殺していこう!!
2018年11月13日火曜日
サングラスを取りに
11月も早いもので中旬になり、少しずつではあるが寒くなってきている。12月はもう目の前である。今年もだんだん少なくなってきた。毎回言っているが、早いものである。仕事の方もだんだん忙しくなっている。一番イヤな時期である。忙しいというので希望休はなしで、去年参加した東京コミコンは今年は参加できない。去年ですら休みたいというとギャーギャー言われたのである。今年は希望休すら受け付けない。最悪としか言いようがない。せっかく去年から楽しみにしていたのだが。楽しみにしていたのにそれに行けず、何のために仕事しているのかわからない。Fuck You!!
だんだん忙しくなってきたので、まだ気持ちとしても落ち着いているときにお願いをしていたサングラスを取りに行ってこようと思い、いつも行っているメガネ屋さんに行ってきたのである。今回のものはわざわざボスがデザイナーさんに相談してパリから持ってきてもらったものなので、大変お手数をおかけしたということで私も何か持っていこうと思い、デヴィッド・リンチ監督がブレンドしているコーヒー豆が販売されているところを知っていたので、事前にそれを購入しておき、当日それを持って行ったのである。なぜそれにしたかというと、ここのメガネ屋さんにはボスと男性の方とお2人いらっしゃるのだが、男性の方はものすごく趣味の幅が広く、映画や本、マンガなどたくさん知っており、そして休日にはお昼ご飯などほとんど外出して食べているみたいで、いろんなおススメスポットを知っているのである。私は映画くらいなのそういう話をするのだが、確かにものすごくよくご存じなのである。私が話をする映画はほとんど知っていて、さすがだなーといつも感心してしまう。そしてお気に入りの作品がけっこう被っているということもあり、いつも話が盛り上がってしまうのだ。そこでいつか忘れたが、デヴィッド・リンチ監督の作品も話をしたことがあり、今回そのコーヒー豆を持っていこうと思ったのだ。そしたらそのコーヒー豆の存在を知っていたみたいで、「どこで手に入れたんですか!?」と大変喜んでもらえたのである。ちょうどそのコーヒー豆と一緒に購入したカフェの住所が書いてあるカードも持っていたのでそれと一緒にお渡ししたのである。ボスがアメリカで買ってきたDVDが日本に帰ってきて観ることができなかったという話をしていたので、私がリージョン・コードの話をして、パソコンであれば6回までは変更できるという話をしたり、外国版を手に入れる理由を説明したり、もちろん映画関連の話をしたりして2時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまった。話ができる人がいるとついついいろんな話になって盛り上がってしまうのである。今回意見が一致したのは『ショーシャンクの空に』という映画についてである。この映画はこのブログでは紹介したことはないが、批評家からはそれほど支持されない映画だが、我々一般人にとっては必ずといっていいほど人気ナンバー1になるくらい絶大な支持を得ている作品である。その方が言うには、友達何人かで飲みに行ったときに映画の話をしたら必ず誰かはこの『ショーシャンクの空に』が一番好きだというのがいるということである。確かにそうである。私の友人もこの作品お気に入りの一つであると言っていた。しかし私もその方もそこまで褒めるというのか支持するというのかそこまでの作品ではないということである。なぜ批評家から支持されない具体的な理由はわからないが、私が思うに、ひねりがない、わかりやすすぎる、予定調和である、化学反応がない、というのが理由なのではと勝手に思っているし、少なくとも私はそう思っている。とある刑務所の話で囚人の話なのだが、自分自身の穴を掘れという話なのである。現実というのは刑務所みたいなものであると。何かしようと思っても何もできないんだと。上っ面の娯楽に逃げることは簡単だし、それはそれで楽しいが、根本的には何も変わらないんだと。そこから抜け出すにはどうしたらいいのか。“穴”を掘るしかないんだと。その“穴”というのは人によって違うが、本を書くことであったり、絵を描くことであったり、音楽をすることであったり、何かの作品をつくることであったり、自分にとって好きなこと、やりたいことをやるということが“穴”を掘るということなんだ。そしたら、もしかしたらこの現実という刑務所の向こう側へ抜け出すことができるんじゃないか、という映画なのだ。ものすごく感動的につくられているし、非常にわかりやすい映画であるが、なぜか私やその方にはいい映画なのはわかるけどなーという感想なのである。もちろんいい映画であることには違いないが。この類の作品であれば私は邦画の『桐島、部活やめるってよ』がすばらしい映画だと思っている。これに関してもまた改めて書きたいと思うが。あとはナタリー・ポートマンの『ブラック・スワン』の話であったり。これもまた書きたいと思う(笑)。とまぁいろいろお互いの意見交換をしていたのである。久しぶりに映画ネタでここまで話ができたので私もものすごく楽しかったのである。その方もものすごく勉強になったとた異変喜んでいただいて私もうれしかったのである。もう本当に好きな者同士が話をしている感じで、全く興味のない人が聞いていたら本当に時間の無駄だろうし、またなんかしゃべってるよ、みたいな感じになる。その方にも言ったのだが、生きるには何の意味も価値もない知識なんですけどねー(笑)と。まぁ本当にその通りなのだが(笑)。無事にサングラスを受け取って、そこらく今年来れるのは今日が最後かなというのもお伝えして、また改めてお伺いしようと思っている。読者の方からのリクエストで私のサングラスのコレクション?もまたご紹介できればと思っている。いつもやろうやろうとは思っているのだが、なかなかできずにいるので、近日中にそれができればと思っている。楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうなー。イヤなことが向こう側にあるのはわかっているので、心の底からの解放は無いに等しい。これが日常生活というものなのか。この状況をただ受け入れる、受け入れているのではなく、このイヤな感情であったり、どうしようもないイライラやもどかしさがあるということだけでも忘れずに持ち続けていたい。その感情が“穴”を掘る力に、エネルギーになるから。
だんだん忙しくなってきたので、まだ気持ちとしても落ち着いているときにお願いをしていたサングラスを取りに行ってこようと思い、いつも行っているメガネ屋さんに行ってきたのである。今回のものはわざわざボスがデザイナーさんに相談してパリから持ってきてもらったものなので、大変お手数をおかけしたということで私も何か持っていこうと思い、デヴィッド・リンチ監督がブレンドしているコーヒー豆が販売されているところを知っていたので、事前にそれを購入しておき、当日それを持って行ったのである。なぜそれにしたかというと、ここのメガネ屋さんにはボスと男性の方とお2人いらっしゃるのだが、男性の方はものすごく趣味の幅が広く、映画や本、マンガなどたくさん知っており、そして休日にはお昼ご飯などほとんど外出して食べているみたいで、いろんなおススメスポットを知っているのである。私は映画くらいなのそういう話をするのだが、確かにものすごくよくご存じなのである。私が話をする映画はほとんど知っていて、さすがだなーといつも感心してしまう。そしてお気に入りの作品がけっこう被っているということもあり、いつも話が盛り上がってしまうのだ。そこでいつか忘れたが、デヴィッド・リンチ監督の作品も話をしたことがあり、今回そのコーヒー豆を持っていこうと思ったのだ。そしたらそのコーヒー豆の存在を知っていたみたいで、「どこで手に入れたんですか!?」と大変喜んでもらえたのである。ちょうどそのコーヒー豆と一緒に購入したカフェの住所が書いてあるカードも持っていたのでそれと一緒にお渡ししたのである。ボスがアメリカで買ってきたDVDが日本に帰ってきて観ることができなかったという話をしていたので、私がリージョン・コードの話をして、パソコンであれば6回までは変更できるという話をしたり、外国版を手に入れる理由を説明したり、もちろん映画関連の話をしたりして2時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまった。話ができる人がいるとついついいろんな話になって盛り上がってしまうのである。今回意見が一致したのは『ショーシャンクの空に』という映画についてである。この映画はこのブログでは紹介したことはないが、批評家からはそれほど支持されない映画だが、我々一般人にとっては必ずといっていいほど人気ナンバー1になるくらい絶大な支持を得ている作品である。その方が言うには、友達何人かで飲みに行ったときに映画の話をしたら必ず誰かはこの『ショーシャンクの空に』が一番好きだというのがいるということである。確かにそうである。私の友人もこの作品お気に入りの一つであると言っていた。しかし私もその方もそこまで褒めるというのか支持するというのかそこまでの作品ではないということである。なぜ批評家から支持されない具体的な理由はわからないが、私が思うに、ひねりがない、わかりやすすぎる、予定調和である、化学反応がない、というのが理由なのではと勝手に思っているし、少なくとも私はそう思っている。とある刑務所の話で囚人の話なのだが、自分自身の穴を掘れという話なのである。現実というのは刑務所みたいなものであると。何かしようと思っても何もできないんだと。上っ面の娯楽に逃げることは簡単だし、それはそれで楽しいが、根本的には何も変わらないんだと。そこから抜け出すにはどうしたらいいのか。“穴”を掘るしかないんだと。その“穴”というのは人によって違うが、本を書くことであったり、絵を描くことであったり、音楽をすることであったり、何かの作品をつくることであったり、自分にとって好きなこと、やりたいことをやるということが“穴”を掘るということなんだ。そしたら、もしかしたらこの現実という刑務所の向こう側へ抜け出すことができるんじゃないか、という映画なのだ。ものすごく感動的につくられているし、非常にわかりやすい映画であるが、なぜか私やその方にはいい映画なのはわかるけどなーという感想なのである。もちろんいい映画であることには違いないが。この類の作品であれば私は邦画の『桐島、部活やめるってよ』がすばらしい映画だと思っている。これに関してもまた改めて書きたいと思うが。あとはナタリー・ポートマンの『ブラック・スワン』の話であったり。これもまた書きたいと思う(笑)。とまぁいろいろお互いの意見交換をしていたのである。久しぶりに映画ネタでここまで話ができたので私もものすごく楽しかったのである。その方もものすごく勉強になったとた異変喜んでいただいて私もうれしかったのである。もう本当に好きな者同士が話をしている感じで、全く興味のない人が聞いていたら本当に時間の無駄だろうし、またなんかしゃべってるよ、みたいな感じになる。その方にも言ったのだが、生きるには何の意味も価値もない知識なんですけどねー(笑)と。まぁ本当にその通りなのだが(笑)。無事にサングラスを受け取って、そこらく今年来れるのは今日が最後かなというのもお伝えして、また改めてお伺いしようと思っている。読者の方からのリクエストで私のサングラスのコレクション?もまたご紹介できればと思っている。いつもやろうやろうとは思っているのだが、なかなかできずにいるので、近日中にそれができればと思っている。楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうなー。イヤなことが向こう側にあるのはわかっているので、心の底からの解放は無いに等しい。これが日常生活というものなのか。この状況をただ受け入れる、受け入れているのではなく、このイヤな感情であったり、どうしようもないイライラやもどかしさがあるということだけでも忘れずに持ち続けていたい。その感情が“穴”を掘る力に、エネルギーになるから。
2018年11月6日火曜日
ライバルであり、友情である
最近はかなり寒くなり、朝起きるのが苦痛になってきた。年末に近づくにつれて世間もいろいろ騒がしくなってくるし、落ち着かない時期になる。一年を通じてこの時期が一番イヤな時期である。でもそういう時期もあっという間に過ぎてしまうのはわかってはいるが、先がものすごく長いように感じでしまう。私が興味のあるイベントもあるのだが、繁忙期ということでなかなかその日に合わせて休みが取れないのでこれもまた苦痛である。仕方がないと言ったら仕方のないことなのだが。とりあえず目の前にあることをしっかりクリアしていきたい。
最近もまたDVDやBlu-rayなどちょいちょい取り寄せてしまっているのだが、これは今年の前半に取り寄せた作品なのだが、今日それを観たくなり、やっぱりすばらしい映画だなと思った映画である。これは実際にあった話で伝記映画になるのだが、『ラッシュ/プライドと友情』という映画である。2013年に公開された映画だが、1976年のF1レースの1年を追った作品である。F1は1年を通しての総合得点で優勝が決まるのだが、毎年2人は死亡するという非常に危険なスポーツでもある。その年というかF1界でも伝説となっている二人のレーサーが存在して、一人はニキ・ラウダ、もう一人はジェームズ・ハントである。ジェームズ・ハントは野性的でプレイボーイでその日を人生最後の日のように生き、持ち前のセンス、直感でレースを走る男で、ニキ・ラウダは正反対で非常にまじめで勤勉で“コンピューター”と呼ばれ、車に乗ったり、音を聞いただけでどこに問題があるかすぐにわかるし、それを正確に整備できるレーサーなのである。この正反対の二人の天才の1976年に行われたF1の戦いを描いているのである。この2人はF3時代からすっとライバルで、互いに仲が悪くて「テメー!!この野郎!!」と言ってずっと争っているのである。1976年はニキ・ラウダが総合得点で1位でそれをジェームズ・ハントが2位で追いかけている状態で、ドイツのレースが行われるのだがその日は豪雨でレースのコンディションが非常に悪かったのである。そこで審査が行われるのだがニキ・ラウダは、ここでレースをするのは危険であると。俺たちは命がけでレースしているが、命を無駄にするために走っているんじゃないと言う。そこでジェームズ・ハントは、こいつは今1位だからレースが一つ少なくなる度に有利になるからやめようって言ってるからこいつの話乗るんじゃねえ!と他のレーサーに呼び掛け、審査の結果レースは決行されることになる。ニキ・ラウダは真面目であるし、ユーモアがないので人気があまりないのだが、ジェームズ・ハントは人気者だしロック・スターみたいな存在だったのでこういう場面ではジェームズ・ハントが有利だったのである。しかし、危険だからやめようと言っていたニキ・ラウダが大事故を起こしてしまい、車は炎上。生死をさまよう大怪我をしてしまう。顔が焼けただれ、耳を失うくらいの大怪我であった。太ももの皮膚を移植する手術をしたが、当然ながら元の顔には戻らなかった。でも怪我はそれだけではなく、炎上したときに非常に高温の煙や有毒ガスを吸ってしまったがため、肺からそれを取り出す手術をしなければならなかったが、麻酔なしでそれを行う。そのときニキ・ラウダはテレビをつけさせ、ニキ・ラウダが休んでいる間にもレースは行われているため、ジェームズ・ハントがその間にどんどんどんどんポイントを稼いでいっていたのである。それを観てニキ・ラウダは「ふざけんじゃねーよ!!負けてたまるかよ!!」と思いながら手術をするのである。そして事故からわずか42日でレースに復帰するのである。奇跡の復帰だと言われた。ニキ・ラウダとジェームズ・ハントは互いに罵り合っているが、もしジェームズ・ハントがいなかったらニキ・ラウダは復帰できたのだろうかと思う。もしこのライバルがいなかったら今の実力を出せたのだろうか、ライバルがいたから、お前がいたからここまでこれたんだ、お前がいたからこんなにも強くなれたんだと。ニキ・ラウダの闘志にジェームズ・ハントも応えるのだ。ライバルライバルばっかり言っているけど“友情”ってこのことだったのかとその瞬間は涙がボロボロボロボロ溢れ出てきてしまう。こんなすごい友情ってあるのかと思う。総合得点は依然としてニキ・ラウダが首位だったがジェームズ・ハントは徐々に徐々にポイントを詰めていき、次のレースでジェームズ・ハントが勝てば総合優勝になるというところまできたときに最終決戦となる。しかもその最終決戦の舞台が日本の富士スピードウェイだったのである。さらにこのレースは日本にとって初めてのF1のレースであり、しかもそれが最終決戦の舞台だったのである。こんな完璧なシナリオが存在するのかと。こんな完璧な脚本があるのかと。しかし最終決戦当日は豪雨であった。で、どうなるか!!という話である。こんな実話があるのかとただただ驚くばかりである。車のことやF1の知識が全くなくても思いっきり楽しめる作品である。確かにこの作品は二人の天才レーサーの話であるし、F1の話であるし、レースの話であるが、でもこれは最終的に人生のレースの話になってくるのである。この人生におけるレースのチャンピオンはどっちだったかという話でもある。本当に深い映画になっている。これほどまでに対局の二人が同じ時代にいて、しかもその決着をこの日本でつけたというすごすぎる映画である。ジェームズ・ハントはその瞬間瞬間を生きていて、目の前にお酒があればお酒を飲むし、目の前に女がいればすぐにセックスするし、目の前にチャンスがあれがそれに挑もうとする、明日のことなんかどうでもいい、その瞬間にすべてを尽くそうとする。でもニキ・ラウダはそうじゃないのだ。“偉大な者というのは、凡人が味方から得るよりも、遥かに多くのことを敵から得る者のことをいう”とニキ・ラウダは引用して言うのだ。本当に偉大な人は味方からではなく敵から多くのことを学ぼうとするのだ。人生にはライバルが必要なのだ。ライバルがいるからこそ実力以上のものが出せるし、もっと強くなろうと思える。闘いの中から何かを見出せる人が本当に強い人なんだと思う。これが本当のライバルであり、これが本当の友情である。
最近もまたDVDやBlu-rayなどちょいちょい取り寄せてしまっているのだが、これは今年の前半に取り寄せた作品なのだが、今日それを観たくなり、やっぱりすばらしい映画だなと思った映画である。これは実際にあった話で伝記映画になるのだが、『ラッシュ/プライドと友情』という映画である。2013年に公開された映画だが、1976年のF1レースの1年を追った作品である。F1は1年を通しての総合得点で優勝が決まるのだが、毎年2人は死亡するという非常に危険なスポーツでもある。その年というかF1界でも伝説となっている二人のレーサーが存在して、一人はニキ・ラウダ、もう一人はジェームズ・ハントである。ジェームズ・ハントは野性的でプレイボーイでその日を人生最後の日のように生き、持ち前のセンス、直感でレースを走る男で、ニキ・ラウダは正反対で非常にまじめで勤勉で“コンピューター”と呼ばれ、車に乗ったり、音を聞いただけでどこに問題があるかすぐにわかるし、それを正確に整備できるレーサーなのである。この正反対の二人の天才の1976年に行われたF1の戦いを描いているのである。この2人はF3時代からすっとライバルで、互いに仲が悪くて「テメー!!この野郎!!」と言ってずっと争っているのである。1976年はニキ・ラウダが総合得点で1位でそれをジェームズ・ハントが2位で追いかけている状態で、ドイツのレースが行われるのだがその日は豪雨でレースのコンディションが非常に悪かったのである。そこで審査が行われるのだがニキ・ラウダは、ここでレースをするのは危険であると。俺たちは命がけでレースしているが、命を無駄にするために走っているんじゃないと言う。そこでジェームズ・ハントは、こいつは今1位だからレースが一つ少なくなる度に有利になるからやめようって言ってるからこいつの話乗るんじゃねえ!と他のレーサーに呼び掛け、審査の結果レースは決行されることになる。ニキ・ラウダは真面目であるし、ユーモアがないので人気があまりないのだが、ジェームズ・ハントは人気者だしロック・スターみたいな存在だったのでこういう場面ではジェームズ・ハントが有利だったのである。しかし、危険だからやめようと言っていたニキ・ラウダが大事故を起こしてしまい、車は炎上。生死をさまよう大怪我をしてしまう。顔が焼けただれ、耳を失うくらいの大怪我であった。太ももの皮膚を移植する手術をしたが、当然ながら元の顔には戻らなかった。でも怪我はそれだけではなく、炎上したときに非常に高温の煙や有毒ガスを吸ってしまったがため、肺からそれを取り出す手術をしなければならなかったが、麻酔なしでそれを行う。そのときニキ・ラウダはテレビをつけさせ、ニキ・ラウダが休んでいる間にもレースは行われているため、ジェームズ・ハントがその間にどんどんどんどんポイントを稼いでいっていたのである。それを観てニキ・ラウダは「ふざけんじゃねーよ!!負けてたまるかよ!!」と思いながら手術をするのである。そして事故からわずか42日でレースに復帰するのである。奇跡の復帰だと言われた。ニキ・ラウダとジェームズ・ハントは互いに罵り合っているが、もしジェームズ・ハントがいなかったらニキ・ラウダは復帰できたのだろうかと思う。もしこのライバルがいなかったら今の実力を出せたのだろうか、ライバルがいたから、お前がいたからここまでこれたんだ、お前がいたからこんなにも強くなれたんだと。ニキ・ラウダの闘志にジェームズ・ハントも応えるのだ。ライバルライバルばっかり言っているけど“友情”ってこのことだったのかとその瞬間は涙がボロボロボロボロ溢れ出てきてしまう。こんなすごい友情ってあるのかと思う。総合得点は依然としてニキ・ラウダが首位だったがジェームズ・ハントは徐々に徐々にポイントを詰めていき、次のレースでジェームズ・ハントが勝てば総合優勝になるというところまできたときに最終決戦となる。しかもその最終決戦の舞台が日本の富士スピードウェイだったのである。さらにこのレースは日本にとって初めてのF1のレースであり、しかもそれが最終決戦の舞台だったのである。こんな完璧なシナリオが存在するのかと。こんな完璧な脚本があるのかと。しかし最終決戦当日は豪雨であった。で、どうなるか!!という話である。こんな実話があるのかとただただ驚くばかりである。車のことやF1の知識が全くなくても思いっきり楽しめる作品である。確かにこの作品は二人の天才レーサーの話であるし、F1の話であるし、レースの話であるが、でもこれは最終的に人生のレースの話になってくるのである。この人生におけるレースのチャンピオンはどっちだったかという話でもある。本当に深い映画になっている。これほどまでに対局の二人が同じ時代にいて、しかもその決着をこの日本でつけたというすごすぎる映画である。ジェームズ・ハントはその瞬間瞬間を生きていて、目の前にお酒があればお酒を飲むし、目の前に女がいればすぐにセックスするし、目の前にチャンスがあれがそれに挑もうとする、明日のことなんかどうでもいい、その瞬間にすべてを尽くそうとする。でもニキ・ラウダはそうじゃないのだ。“偉大な者というのは、凡人が味方から得るよりも、遥かに多くのことを敵から得る者のことをいう”とニキ・ラウダは引用して言うのだ。本当に偉大な人は味方からではなく敵から多くのことを学ぼうとするのだ。人生にはライバルが必要なのだ。ライバルがいるからこそ実力以上のものが出せるし、もっと強くなろうと思える。闘いの中から何かを見出せる人が本当に強い人なんだと思う。これが本当のライバルであり、これが本当の友情である。
2018年11月1日木曜日
今年も相変わらず
気が付けば11月になっている。今年もあと2か月になった。本当に早いなー。昨日からまた寒くなり、今までの服装では外は歩けなくなってしまった。このままどんどん寒くなっていくと思う。季節の変わり目ということで体調には気を付けるようにしたい。
そういえば昨日はハロウィンということで今年も渋谷は大混雑であったみたいだ。大阪では道頓堀が混雑していたみたいである。今年のニュースは悪いニュースが多かったような気がする。トラックをひっくり返したり、券売機?を壊したり、痴漢であったりとまぁいろいろニュースに出ていたが、なんなのこのイベント?という感じでなんとも思わない。ただ迷惑をかけているだけみたいな印象である。その周辺に住んでいる人や商売をしている人にしてみたらやめてほしいイベントだろう。経済効果もほとんどないみたいだし、ただ騒いで知らない人とかと写真を一緒に撮ってSNSに投稿して楽しんでますアピールとカワイイでしょアピールしているただそれだけ。メディアとかも注目するから意味なくビッグイベントになってしまっただけ。今回のニュースを見る限り何の意味もないイベントである。今年のハロウィンに関していろんな意見が出ているが、この国は抑圧されているからその反動でこういうイベントで爆発してしまうんだと、良くないけど若者はこれくらい元気でないといけないのかもしれないとか、こういうイベントを思う存分楽しめるようにパレードみたいな感じでそういう場を設けるのも必要かもしれないとかいろいろ聞いた。なるほどという意見もあってけっこうおもしろかったのである。このイベントの夜が明けて、まぁ今日になるのだが問題の一つになっているゴミである。仮装したままゴミ拾いしている人たち、芸能人などの有名人、ホストの人たちもゴミ拾いしていたが、もちろんこの行動はいいことだが、そういうのもなんか“狙ってる”感じがして、私は歪んでいるのでそういうふうに見えてしまう。ゴミ問題なんて毎年取り上げられているし、どっちみちゴミが散乱しているのは誰にだってわかっているし、そのあとにゴミ拾いしていたらまたメディアが取り上げてくれるし、などついついそう思ってしまう。もちろんいいことをしていることに違いはないのだが。有名人であれば必ずだれか一緒についてくるしメディアも注目しているし、ホストであればそこで働いているホストたちで掃除しているし、仮装している人は友達と協力してゴミ拾いしているが、もし自分が友達も仲間も誰もおらず自分一人で誰も注目していない環境であったら、それでもお前掃除するのか?ゴミ拾いしてるか?と思う。別にそこに住んでいるわけでもないのに、自分が出したゴミでもないのに、そこまでできるのかと思う。友達と仲間と一緒に掃除しているときに急に友達が帰らなくなってしまって自分一人になったとき、引き続き掃除を続けているのか?と思う。メディアや周りが注目しているからこその行動のようにしか見えないのである。何度も言うがこの行動はすばらしきことであるし、なかなかできないことである。それでもなーと私は思ってしまうのである。ハロウィンそのものの意味であったり価値であったり楽しみであったり、自分で出したゴミは自分で処分しようとか、周りに迷惑をかけないようにしましょうとか、痴漢がどうだこうだとか露出している自分も悪いとか、話をしている次元がジャンルが違い過ぎているので、もう“ハロウィン”とは全く関係ない話なのである。そこまで大きく取り上げる意味も必要もない。このイベントで盛り上がっている人もそうだし、それに対して有名人がいろいろ言っているが全部当たり前のことしか言っていないし、全部くだらないとしか言いようがない。もちろん自宅や友人宅やどこかのお店であったりそういった場所でこのハロウィンという行事を楽しんいる人たちは心置きなく楽しんでほしいと思う。外国のニュースはみんなハロウィンを楽しんでいるし、ほのぼのとしているし、見ているこちら側も笑顔になってしまう。でもハロウィンということで渋谷に行かなければならないという思いで集結する人間たちの心理は理解することができない。TRICK or DIE!!!
そういえば昨日はハロウィンということで今年も渋谷は大混雑であったみたいだ。大阪では道頓堀が混雑していたみたいである。今年のニュースは悪いニュースが多かったような気がする。トラックをひっくり返したり、券売機?を壊したり、痴漢であったりとまぁいろいろニュースに出ていたが、なんなのこのイベント?という感じでなんとも思わない。ただ迷惑をかけているだけみたいな印象である。その周辺に住んでいる人や商売をしている人にしてみたらやめてほしいイベントだろう。経済効果もほとんどないみたいだし、ただ騒いで知らない人とかと写真を一緒に撮ってSNSに投稿して楽しんでますアピールとカワイイでしょアピールしているただそれだけ。メディアとかも注目するから意味なくビッグイベントになってしまっただけ。今回のニュースを見る限り何の意味もないイベントである。今年のハロウィンに関していろんな意見が出ているが、この国は抑圧されているからその反動でこういうイベントで爆発してしまうんだと、良くないけど若者はこれくらい元気でないといけないのかもしれないとか、こういうイベントを思う存分楽しめるようにパレードみたいな感じでそういう場を設けるのも必要かもしれないとかいろいろ聞いた。なるほどという意見もあってけっこうおもしろかったのである。このイベントの夜が明けて、まぁ今日になるのだが問題の一つになっているゴミである。仮装したままゴミ拾いしている人たち、芸能人などの有名人、ホストの人たちもゴミ拾いしていたが、もちろんこの行動はいいことだが、そういうのもなんか“狙ってる”感じがして、私は歪んでいるのでそういうふうに見えてしまう。ゴミ問題なんて毎年取り上げられているし、どっちみちゴミが散乱しているのは誰にだってわかっているし、そのあとにゴミ拾いしていたらまたメディアが取り上げてくれるし、などついついそう思ってしまう。もちろんいいことをしていることに違いはないのだが。有名人であれば必ずだれか一緒についてくるしメディアも注目しているし、ホストであればそこで働いているホストたちで掃除しているし、仮装している人は友達と協力してゴミ拾いしているが、もし自分が友達も仲間も誰もおらず自分一人で誰も注目していない環境であったら、それでもお前掃除するのか?ゴミ拾いしてるか?と思う。別にそこに住んでいるわけでもないのに、自分が出したゴミでもないのに、そこまでできるのかと思う。友達と仲間と一緒に掃除しているときに急に友達が帰らなくなってしまって自分一人になったとき、引き続き掃除を続けているのか?と思う。メディアや周りが注目しているからこその行動のようにしか見えないのである。何度も言うがこの行動はすばらしきことであるし、なかなかできないことである。それでもなーと私は思ってしまうのである。ハロウィンそのものの意味であったり価値であったり楽しみであったり、自分で出したゴミは自分で処分しようとか、周りに迷惑をかけないようにしましょうとか、痴漢がどうだこうだとか露出している自分も悪いとか、話をしている次元がジャンルが違い過ぎているので、もう“ハロウィン”とは全く関係ない話なのである。そこまで大きく取り上げる意味も必要もない。このイベントで盛り上がっている人もそうだし、それに対して有名人がいろいろ言っているが全部当たり前のことしか言っていないし、全部くだらないとしか言いようがない。もちろん自宅や友人宅やどこかのお店であったりそういった場所でこのハロウィンという行事を楽しんいる人たちは心置きなく楽しんでほしいと思う。外国のニュースはみんなハロウィンを楽しんでいるし、ほのぼのとしているし、見ているこちら側も笑顔になってしまう。でもハロウィンということで渋谷に行かなければならないという思いで集結する人間たちの心理は理解することができない。TRICK or DIE!!!
2018年10月25日木曜日
名言集みたいなものは全部“この人”にしろ!!
一昨日であったか、ここ東京は急に寒くなった。と思ったら昨日と今日はそこまで寒くなかった。とはいえ、だんだん冬に近づいていっているのは確かである。もう11月になろうとしているのでそれもそのはずである。今年もあと2ヵ月ということで本当に早いものである。時間は少しも待ってはくれないなー。
先日本屋さんをプラプラテキトーに何の目的もなく歩いていて、少し目に入ったのが『名言集』みたいな本を集めているコーナーみたいなところがあり、その時はなにも思わずにそのままその本屋さんを後にしたのだが、こういう名言集みたいな本は最近はやっているのだろうか。名言とはいっても本当にたくさんあるだろうし、いろんなジャンルがある。私もいろんな映画を観ていていろんな名言を思いつくが、かなり印象に残っているのがチャーリー・シーンという俳優の名言である。チャーリー・シーンは80年代に活躍していた俳優なのだが、90年代に入ってセックスとドラッグで身を滅ぼしてしまうのである。家にポルノ女優をたくさん呼んで乱交パーティーしたり、銃で恋人を撃ってケガをさせてしまったりしていたのである。ちなみに裁判で負けてチャーリー・シーンはもう二度と銃を持つことを許されなくなってしまった。コカインのやり過ぎで心臓停止状態になって病院に運ばれたりして、結局仕事がなくなってしまったのである。しかし、2000年に入って親友であるマイケル・J・フォックスが自分がやっていたコメディ番組をチャーリー・シーンに任せたのである。というのもマイケル・J・フォックスがパーキンソン病になってしまい、番組を続けられなくなってしまったので、そのときチャーリー・シーンは仕事が全くもらえてなかったのでマイケル・J・フォックスが声をかけたのである。そしたらチャーリー・シーンは抜群のコメディセンスを発揮し、人気の番組になったのである。そしてチャーリー・シーンのためのコメディ番組になり、『ハーパーボーイズ』という番組になった。これが大大大ヒットで、30分のコメディ番組だがその1本のギャラが120万ドルになったのである。史上最高額のギャラになったのである。2000年にふたたび人気が爆発したのである。アメリカのコメディは客の前でやるのだが、頭がよくないとできないことである。反射神経が必要だしそもそも客にウケないといけない。チャーリー・シーンはものすごかったのである。しかし、病気は治っておらず、3番目の奥さんをナイフで襲って逮捕されたり、ニューヨークのプラザ・ホテルでポルノ女優を呼んで乱交パーティーしようとしたら、チャーリー・シーンが俺の財布を盗んだと騒ぎ始めて、怖くなったポルノ女優がクローゼットに閉じこもったらチャーリー・シーンが部屋をめちゃくちゃに破壊しはじめて逮捕されたのである。今度は自宅にポルノ女優を呼んで乱交パーティーしているときにコカインの過剰摂取で心臓が停止して病院に運ばれたりしていたのだ。さすがにテレビ側がセックス中毒とドラッグ中毒を治してもらわないと番組を続けられないよとチャーリー・シーンに言ったらそれに逆ギレしたのである。そのときの発言が大問題になり、正式に番組の打ち切りとなってしまったのである。それに対してチャーリー・シーンがまた激怒してその番組のテレビ局以外のテレビ局すべてを自宅に呼んでインタビューで大反論したのだ。
「あのテレビ局は俺に謝罪すべきだ。公開で俺に跪いて俺の足を舐めながら謝罪しろ」
って言ったのである。すごいねー。チャーリー・シーンはそのとき自宅にポルノ女優やヌードモデルと一緒にいて、
「俺は今まで結婚は3回やったけどスリーストライクでアウトだ。一夫一婦制っていうのはわかったけど凡人がやることだな。俺のような人間には一夫一婦制は合わない」と。
今回の番組打ち切りでテレビ局を訴えるが裁判でも俺は勝つだろうと。そしたら、
「俺は生まれつき勝者なんだ。俺は毎秒ごとに勝ち続けているんだ。俺は寝ているときですtらジェット戦闘機並みの男だぜ」と。
チャーリー・シーンの暴走が止まらないのだが、番組側が病気を治してもらうために矯正プログラムに行かせたのだが、
「あれは凡人のためのものだな。何かとそのプログラムは“あなたは特別な人間ではないんですよ。普通の人間なんですよ”と言い聞かせるんだよ。でもね、俺はここで言っておくよ!臨時ニュースです!!私チャーリー・シーンは特別です!普通の人間ではありません!私には虎の血が流れているんです!タイガーブラァァァァァァァド!!」
ものすごいですねー(笑)。
「俺の頭を普通の人に貸したら回転が速すぎて5秒と持たないぜ。」
ポルノ女優の一人が言っていたのだが、チャーリー・シーンはテニスボールくらいの大きさのコカインの塊をガリガリ削りながら吸っていたという。そのことをアナウンサーが質問したら、
「すげーだろ!?俺のコカインの吸い方は普通の人とは違うんだよ。俺のギアはトップスピードしかねぇんだよ。ロウギアはねぇんだ。俺のコカインの吸い方とセックスの仕方っていうのは映画に例えるならそれは超大作だよ。スペクタクルだぜ。お前らにマジックを見せてやるぜ。俺のバカ騒ぎに比べれば、フランク・シナトラもミックジャガーもキースリチャーズもガキみてーなもんだ。」と。
そんなにコカインやっていたら死んでしまうんじゃないんですか?死ぬのは怖くないんですかと聞かれたらチャーリー・シーンは、
「お前ね、死ぬっているのは素人がやることだよ。アマチュアのやることさ。」
チャーリー・シーンは番組を再びやらせろと言っているのではなく、更にギャラを上げろと言っているのである。その理由は、
「俺には食わせないといけない家族がいる。ポルノファミリーさ」と。
一夫多妻とかやっていいんですかと聞かれたら、
「もう俺は自分が火星から来たロック・スターじゃないフリをするのはもうたくさんなんだ」
「世間の普通の奴らはみんなブッサイクな女房とブッサイクなガキどもと負け犬みたいな生活をしながら俺の生活を見てこう思うだろう。“あー自分にはこんな生活はマネできない”と思うだろう。そうさお前らにはムリなんだよ!!普通の人間はおとなしく引っ込んで俺の凄まじいショーを見物してな」と。
「俺はな、こんなエロい娘たちと朝から晩までセックスして、自家用ジェット機で世界中を飛び回っている。俺は確かに孤独だよ。天辺に立つっていうのは孤独なものだ。でもな、眺めはサイコーだぜ!!」
もう天才としか言いようがないくらいすごい。すごすぎる。さすがにインタビューしている人はやっぱり変だと思い、なにかの薬物をキメているとしか思えないと。しかし、このインタビューの前にテレビ局はさすがにドラッグキメている人をテレビに出すわけにはいかないということで、ドクターを呼んで血液検査と尿検査をしていて72時間はドラッグをやっいないという検査をやっているのだ。一応?薬物はやっていないということでこれらの凄まじいセリフをアドリブでしゃべっているのだ。でもアナウンサーは、今ドラッグやっているんじゃないですか?と聞いたら、
「確かに今薬をキメているんだよ。この薬はチャーリー・シーンっていう薬なんだ。このチャーリー・シーンっていう薬を素人がやったら死ぬぜ。」
このインタビューがすごく人気になって、このインタビューを聞いたガンズ・アンド・ローゼズのギタリストのスラッシュが「チャーリー・シーンには負けた。チャーリー・シーンは今最もロックンロールな男だぜ」と。
すごすぎてもう爆笑するしかないレベルである。もう名言集みたいな本はすべてチャーリー・シーンにした方がいい(笑)。すごいよこれは。こんなふざけたヤツがいるのになんで自分は毎日真面目に仕事行って上司に怒られないといけないのかと思ってしまう(笑)。いろんな名言は存在するが、チャーリー・シーンばりにすごいのはなかなかないだろう。これらのセリフを名言を聞いて私も目を覚まさないといけない。私もエンジン全開でぶっ飛ばしていくぞ!!奴にはかなわないが・・・・・。
先日本屋さんをプラプラテキトーに何の目的もなく歩いていて、少し目に入ったのが『名言集』みたいな本を集めているコーナーみたいなところがあり、その時はなにも思わずにそのままその本屋さんを後にしたのだが、こういう名言集みたいな本は最近はやっているのだろうか。名言とはいっても本当にたくさんあるだろうし、いろんなジャンルがある。私もいろんな映画を観ていていろんな名言を思いつくが、かなり印象に残っているのがチャーリー・シーンという俳優の名言である。チャーリー・シーンは80年代に活躍していた俳優なのだが、90年代に入ってセックスとドラッグで身を滅ぼしてしまうのである。家にポルノ女優をたくさん呼んで乱交パーティーしたり、銃で恋人を撃ってケガをさせてしまったりしていたのである。ちなみに裁判で負けてチャーリー・シーンはもう二度と銃を持つことを許されなくなってしまった。コカインのやり過ぎで心臓停止状態になって病院に運ばれたりして、結局仕事がなくなってしまったのである。しかし、2000年に入って親友であるマイケル・J・フォックスが自分がやっていたコメディ番組をチャーリー・シーンに任せたのである。というのもマイケル・J・フォックスがパーキンソン病になってしまい、番組を続けられなくなってしまったので、そのときチャーリー・シーンは仕事が全くもらえてなかったのでマイケル・J・フォックスが声をかけたのである。そしたらチャーリー・シーンは抜群のコメディセンスを発揮し、人気の番組になったのである。そしてチャーリー・シーンのためのコメディ番組になり、『ハーパーボーイズ』という番組になった。これが大大大ヒットで、30分のコメディ番組だがその1本のギャラが120万ドルになったのである。史上最高額のギャラになったのである。2000年にふたたび人気が爆発したのである。アメリカのコメディは客の前でやるのだが、頭がよくないとできないことである。反射神経が必要だしそもそも客にウケないといけない。チャーリー・シーンはものすごかったのである。しかし、病気は治っておらず、3番目の奥さんをナイフで襲って逮捕されたり、ニューヨークのプラザ・ホテルでポルノ女優を呼んで乱交パーティーしようとしたら、チャーリー・シーンが俺の財布を盗んだと騒ぎ始めて、怖くなったポルノ女優がクローゼットに閉じこもったらチャーリー・シーンが部屋をめちゃくちゃに破壊しはじめて逮捕されたのである。今度は自宅にポルノ女優を呼んで乱交パーティーしているときにコカインの過剰摂取で心臓が停止して病院に運ばれたりしていたのだ。さすがにテレビ側がセックス中毒とドラッグ中毒を治してもらわないと番組を続けられないよとチャーリー・シーンに言ったらそれに逆ギレしたのである。そのときの発言が大問題になり、正式に番組の打ち切りとなってしまったのである。それに対してチャーリー・シーンがまた激怒してその番組のテレビ局以外のテレビ局すべてを自宅に呼んでインタビューで大反論したのだ。
「あのテレビ局は俺に謝罪すべきだ。公開で俺に跪いて俺の足を舐めながら謝罪しろ」
って言ったのである。すごいねー。チャーリー・シーンはそのとき自宅にポルノ女優やヌードモデルと一緒にいて、
「俺は今まで結婚は3回やったけどスリーストライクでアウトだ。一夫一婦制っていうのはわかったけど凡人がやることだな。俺のような人間には一夫一婦制は合わない」と。
今回の番組打ち切りでテレビ局を訴えるが裁判でも俺は勝つだろうと。そしたら、
「俺は生まれつき勝者なんだ。俺は毎秒ごとに勝ち続けているんだ。俺は寝ているときですtらジェット戦闘機並みの男だぜ」と。
チャーリー・シーンの暴走が止まらないのだが、番組側が病気を治してもらうために矯正プログラムに行かせたのだが、
「あれは凡人のためのものだな。何かとそのプログラムは“あなたは特別な人間ではないんですよ。普通の人間なんですよ”と言い聞かせるんだよ。でもね、俺はここで言っておくよ!臨時ニュースです!!私チャーリー・シーンは特別です!普通の人間ではありません!私には虎の血が流れているんです!タイガーブラァァァァァァァド!!」
ものすごいですねー(笑)。
「俺の頭を普通の人に貸したら回転が速すぎて5秒と持たないぜ。」
ポルノ女優の一人が言っていたのだが、チャーリー・シーンはテニスボールくらいの大きさのコカインの塊をガリガリ削りながら吸っていたという。そのことをアナウンサーが質問したら、
「すげーだろ!?俺のコカインの吸い方は普通の人とは違うんだよ。俺のギアはトップスピードしかねぇんだよ。ロウギアはねぇんだ。俺のコカインの吸い方とセックスの仕方っていうのは映画に例えるならそれは超大作だよ。スペクタクルだぜ。お前らにマジックを見せてやるぜ。俺のバカ騒ぎに比べれば、フランク・シナトラもミックジャガーもキースリチャーズもガキみてーなもんだ。」と。
そんなにコカインやっていたら死んでしまうんじゃないんですか?死ぬのは怖くないんですかと聞かれたらチャーリー・シーンは、
「お前ね、死ぬっているのは素人がやることだよ。アマチュアのやることさ。」
チャーリー・シーンは番組を再びやらせろと言っているのではなく、更にギャラを上げろと言っているのである。その理由は、
「俺には食わせないといけない家族がいる。ポルノファミリーさ」と。
一夫多妻とかやっていいんですかと聞かれたら、
「もう俺は自分が火星から来たロック・スターじゃないフリをするのはもうたくさんなんだ」
「世間の普通の奴らはみんなブッサイクな女房とブッサイクなガキどもと負け犬みたいな生活をしながら俺の生活を見てこう思うだろう。“あー自分にはこんな生活はマネできない”と思うだろう。そうさお前らにはムリなんだよ!!普通の人間はおとなしく引っ込んで俺の凄まじいショーを見物してな」と。
「俺はな、こんなエロい娘たちと朝から晩までセックスして、自家用ジェット機で世界中を飛び回っている。俺は確かに孤独だよ。天辺に立つっていうのは孤独なものだ。でもな、眺めはサイコーだぜ!!」
もう天才としか言いようがないくらいすごい。すごすぎる。さすがにインタビューしている人はやっぱり変だと思い、なにかの薬物をキメているとしか思えないと。しかし、このインタビューの前にテレビ局はさすがにドラッグキメている人をテレビに出すわけにはいかないということで、ドクターを呼んで血液検査と尿検査をしていて72時間はドラッグをやっいないという検査をやっているのだ。一応?薬物はやっていないということでこれらの凄まじいセリフをアドリブでしゃべっているのだ。でもアナウンサーは、今ドラッグやっているんじゃないですか?と聞いたら、
「確かに今薬をキメているんだよ。この薬はチャーリー・シーンっていう薬なんだ。このチャーリー・シーンっていう薬を素人がやったら死ぬぜ。」
このインタビューがすごく人気になって、このインタビューを聞いたガンズ・アンド・ローゼズのギタリストのスラッシュが「チャーリー・シーンには負けた。チャーリー・シーンは今最もロックンロールな男だぜ」と。
すごすぎてもう爆笑するしかないレベルである。もう名言集みたいな本はすべてチャーリー・シーンにした方がいい(笑)。すごいよこれは。こんなふざけたヤツがいるのになんで自分は毎日真面目に仕事行って上司に怒られないといけないのかと思ってしまう(笑)。いろんな名言は存在するが、チャーリー・シーンばりにすごいのはなかなかないだろう。これらのセリフを名言を聞いて私も目を覚まさないといけない。私もエンジン全開でぶっ飛ばしていくぞ!!奴にはかなわないが・・・・・。
2018年10月22日月曜日
ありがとう、Bellas!!
先日言っていた『ピッチ・パーフェクト』の最新作『ピッチ・パーフェクト/ラスト・ステージ』を朝一で観に行ってきたのである。第1作目からずっと観ていたし、結構な頻度で観ていたし、すごく気に入っているシリーズだったので、最新作もものすごく楽しませてくれてもう何も言うことはない。ただこれが彼女たちの最後?の作品になるのかなと思うとすごく寂しい気持ちでもある。このシリーズは内容がどうだとかいう作品ではなく、彼女たちのアカペラ、音楽をひたすら楽しむという作品であるし、もちろん今回の最新作でも内容についていわれたらこのシーンはいらないんじゃない?とかいろいろツッコむところはあるが、そんなことはどうだっていい。この最新作が公開される前に、YouTubeで『Freedom!'90×Cups』というお題でメンバーたちやその他アーティストで作成された動画があるんだが、もうこの動画だけでこの映画は合格である。1作目から通していろんなことがあって、学生であった彼女たちが社会へ羽ばたき、いろんな苦しい経験をして、厳しさを知って、思い悩んで、でもそれでも仲間がいるんだ、別々の道を歩もうとも仲間がいる、それを知ってまたそれぞれの道を歩んでいくんだ、進んでいくんだと、このシリーズの集大成の音楽、動画である。1作目は本当に小さな作品であったし、他の有名な『スター・ウォーズ』や『ジュラシック・ワールド』みたいな壮大な映画ではないが、小さな映画でしか表現できないこともあるんじゃないかと思う。どこにでもあるようなありきたりな内容、ストーリであるし、シリーズ作品のジレンマに陥っている典型的な作品かもしれないが、私は彼女たちからものすごく元気をもらっているし、笑わせてくれるし、大袈裟な言い方にはなるが、イヤなことがあっても彼女たちを観て、もう少し生きていようかなと少なくとも私はそう思える作品であるし、なによりも歌の力を音楽の力を届けてくれる。そういう作品に出合えて本当によかったなーと思う。もちろんサントラはすぐに取り寄せをした。次はソフト化されるのを待つだけである。
映画はただ“映画”というジャンルだけではなく、その中に登場する音楽やファッション、そして作品のメッセージなどいろんな要素があるのが映画で、エンターテイメントが詰まっている。それがすごいところだと私は思っている。洋楽なんて本当にたくさんあり過ぎてどれを聴いたらいいかわからないし、誰がいるのかも知らない。でも映画を観ると、「この音楽いい!!」と思って、その音楽や歌を聴き始めるきっかけになる。私が洋楽を聴くのはほとんどが映画を通じて知った歌や音楽である。そしてその歌や音楽を聴いていると、そのときの映像が頭に浮かんできてまるで自分が映画の登場人物になった気分になる。これもまた気持ちがいいし、すごく楽しいのである。今回の『ピッチ・パーフェクト/ラスト・ステージ』を観ていて、1作目からのいろんな思い出が蘇ってきて、ちょっともう涙が勝手に流れてきてしまったのである。当然ながらどの作品にでも酷評する人はいて、この最新作も酷評する人はいるだろうが、私は「おもしろかったよ!!」と心から言いたい。
“Thank You Bellas!!”
本当にありがとう!!
2018年10月18日木曜日
好きなことがあるのはすばらしいこと?
やっと休みが来たと思ったらすぐにまた仕事に行かなければならなくなる。もうこれの繰り返しである。そしてこれに慣れることがない。休日の前夜、つまり仕事が終わって明日は休みというときは、家に帰ったら掃除をして洗濯をしてといろいろやってそしてご飯を食べながら映画を観るというのが当たり前になっているし、これがこの上なく至福のときである。観終わったら時間は0時を過ぎているし、疲れているので寝ればいいのに明日は休みだからといって音楽を聴いたりいろいろ調べ物をしたりと何やかんややっているといつの間にか気絶しているのである。椅子に座ったまま眠ってしまっているのだ。腰が痛くなって起きるのである。そしたらそこでちゃんと寝ればいいのだが、改めて寝る準備をする元気がないというか、眠すぎてそのまままた寝てしまうのである。次の日は休みだがその日は一日中眠たくなってしまい、これはやめないといけないなと思いながらもずっとこの生活が続いてしまっている。どうにかしなければ。でもあの至福のときに比べればこんな眠気どうでもいいレベルなので、まぁいいっかって感じである。
そういえば先日といっても8月にサングラスを買ったというのか買ってしまったというのか巡り合ってしまったというのか、私がいつも行っているメガネ屋さんに久しぶりに行った際、いろいろ見ていたらもう本当にこんなモノが今でも残っていたのかというくらいレアなメガネ(サングラス)があり、感動してついつい買ってしまったのである。このメガネのデザイナーはずっと変わらないのだが、やはりデザイナー自身も好みが変わってくるのか、メガネのデザインも少しずつ変わってくるのである。私は昔の方が好きで、ここでいつも買っているのは昔のタイプである。なぜ今このレアなものが置いてあるのか聞くと、フランスのパリにこのデザイナーのアトリエ、事務所などがあり、メガネの展示会があるときはいつもデザイナーの事務所に行くみたいで、そこに昔のメガネがいくつか保管されているみたいで、そこでデザイナーと相談したりしてそれを買い付けることがあるそうである。その買い付けたものを私がたまたま見つけて購入したということである。レアというよりもビンテージである。ものすごく私が気に入って、購入したものと色違いが存在するのだが、それはもうパリにもないのかないのか、このお店というかこのブランドを日本で仕切っている、つまり日本で一番偉い人がこのお店に時々いらっしゃることがあり、私も何度もお話ししたりして大変お世話になっている方がいて、私はいつも“ボス”と呼んでいるのだが、その方にお願いをして色違いは残っていないのかわざわざパリに電話して確認をしてもらったのである。そしたら残っていたみたいで、今度パリに行ったときに取ってきますねと私のお願いを聞いてくださったのである。もう本当に感謝である。10月上旬に展示会がパリで行われて日本での展示会が10月下旬にあるので、それが終わったら改めてお店に行ってみようと思っているというか、行かなければならない。気が付けばサングラスもけっこうな数になり、17本持っている。自分でもビックリである(笑)。その日の気分やその日やることであったり、用途に合わせて選んでいる。大学1年生くらいから少しずつ集めているので、コレクターではないが、好きなので気が付けばこうなってしまったという感じである。お店に行けばメガネの話をしたり、それ以外の話をしたりして2時間3時間なんてあっという間で、もちろん映画も好きだから2時間3時間あっという間だし、やはり好きなことをしているときは時間はすぐに過ぎ去ってしまう。何か自分の好きなことがあってよかったと改めて思う。その時間はイヤなことを忘れられるから尚更である。前回の投稿で取り寄せた映画をいくつか挙げたが、残っていた『ハングオーバー』シリーズもすべて観終わり、どれもそうだがなんでもっと早く観ておかなかったんだと思う作品ばかりで、すばらしい作品たちに出合えて本当にうれしい限りである。新しいものに触れる瞬間、知らないものを知る瞬間は本当に自分の世界がばーっと広がるのである。これがこの上なく気持ちがいい。ここ数日はそれの連続であった。今度はその広がった世界を深く掘り下げていかなければならない。それも大切な行程である。今回はコメディ映画がけっこう多かったが、もう本当にとんでもないバカがたくさん出てきて、ドッカンドッカン爆笑の連続であったが、本当にカッコいい奴らだと思った。私も彼らみたいにバカになりてー!!と思った。というかもうすでにバカか・・・・・(笑)。もっとバカになりてー!!(笑)
そういえば先日といっても8月にサングラスを買ったというのか買ってしまったというのか巡り合ってしまったというのか、私がいつも行っているメガネ屋さんに久しぶりに行った際、いろいろ見ていたらもう本当にこんなモノが今でも残っていたのかというくらいレアなメガネ(サングラス)があり、感動してついつい買ってしまったのである。このメガネのデザイナーはずっと変わらないのだが、やはりデザイナー自身も好みが変わってくるのか、メガネのデザインも少しずつ変わってくるのである。私は昔の方が好きで、ここでいつも買っているのは昔のタイプである。なぜ今このレアなものが置いてあるのか聞くと、フランスのパリにこのデザイナーのアトリエ、事務所などがあり、メガネの展示会があるときはいつもデザイナーの事務所に行くみたいで、そこに昔のメガネがいくつか保管されているみたいで、そこでデザイナーと相談したりしてそれを買い付けることがあるそうである。その買い付けたものを私がたまたま見つけて購入したということである。レアというよりもビンテージである。ものすごく私が気に入って、購入したものと色違いが存在するのだが、それはもうパリにもないのかないのか、このお店というかこのブランドを日本で仕切っている、つまり日本で一番偉い人がこのお店に時々いらっしゃることがあり、私も何度もお話ししたりして大変お世話になっている方がいて、私はいつも“ボス”と呼んでいるのだが、その方にお願いをして色違いは残っていないのかわざわざパリに電話して確認をしてもらったのである。そしたら残っていたみたいで、今度パリに行ったときに取ってきますねと私のお願いを聞いてくださったのである。もう本当に感謝である。10月上旬に展示会がパリで行われて日本での展示会が10月下旬にあるので、それが終わったら改めてお店に行ってみようと思っているというか、行かなければならない。気が付けばサングラスもけっこうな数になり、17本持っている。自分でもビックリである(笑)。その日の気分やその日やることであったり、用途に合わせて選んでいる。大学1年生くらいから少しずつ集めているので、コレクターではないが、好きなので気が付けばこうなってしまったという感じである。お店に行けばメガネの話をしたり、それ以外の話をしたりして2時間3時間なんてあっという間で、もちろん映画も好きだから2時間3時間あっという間だし、やはり好きなことをしているときは時間はすぐに過ぎ去ってしまう。何か自分の好きなことがあってよかったと改めて思う。その時間はイヤなことを忘れられるから尚更である。前回の投稿で取り寄せた映画をいくつか挙げたが、残っていた『ハングオーバー』シリーズもすべて観終わり、どれもそうだがなんでもっと早く観ておかなかったんだと思う作品ばかりで、すばらしい作品たちに出合えて本当にうれしい限りである。新しいものに触れる瞬間、知らないものを知る瞬間は本当に自分の世界がばーっと広がるのである。これがこの上なく気持ちがいい。ここ数日はそれの連続であった。今度はその広がった世界を深く掘り下げていかなければならない。それも大切な行程である。今回はコメディ映画がけっこう多かったが、もう本当にとんでもないバカがたくさん出てきて、ドッカンドッカン爆笑の連続であったが、本当にカッコいい奴らだと思った。私も彼らみたいにバカになりてー!!と思った。というかもうすでにバカか・・・・・(笑)。もっとバカになりてー!!(笑)
2018年10月15日月曜日
やっと休み
9月の下旬から10月中旬くらいまで連勤が続き、最近やっとまともな休みが取れたのである。こういう仕事はスタッフ一人が出勤できなくなるとその代わりの人が必ず必要になってくる。またはその人の分まで仕事が増えてしまうということになる。これは仕方のないことであるが、これもまたなかなか大変である。まぁでも10連勤して5連勤は久しぶりにしんどかったのである。あさ6時半前から夜の9時前くらいまでの仕事が続いていたので、疲れたの一言である。そして気が付けば10月も中旬でもう少ししたら11月である。今年もあと少しとなってきた。早いものである。
休日がなかなか取れなかったので、映画も観ることができず、どんどんDVDがたまっていってしまっていた状態である。買ってたのかよということになるが、最近ずっと一昔前の映画を中心に観ていて、最近の映画はほとんど観ていなかったので、さすがに時代に着いて行かないといけないのでここ数年の観たい映画を取り寄せていたのである。話が逸れるが、10月19日にやっと日本で『ピッチ・パーフェクト』の3作品目が公開されることになった。遅すぎるくらいである。海外はもうとっくにソフト化されているので、本当に日本はこういうのも遅い。いろいろ事情はあるのはわかるのだが、もう少し早くしてほしかったものである。これはなんとか予定を合わせて観に行きたい。彼女たちのラスト・コールを映画館で観届けたいのである。最近取り寄せした映画が、『レディ・プレイヤー・ワン』、『デッドプール2』、『スリー・ビルボード』、『アトミック・ブロンド』、『ベイビー・ドライバー』、『モンスター上司』、『モンスター上司2』、『ソウル・ガールズ』、『コンプライアンス/服従の心理』、『フューリー』、『マジック・マイク』、『マジック・マイクXXL』、『ゴーン・ガール』、『ブラック・スワン』、『メッセージ』、『ハングオーバー/消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』、『ハングオーバー/史上最悪の二日酔い、国境を越える』、『ハングオーバー/最後の反省会』で、『ハングオーバー』シリーズ以外はすべて観ることができた。1作品ごとに感想を書いていきたいが、それは後々少しずつ投稿していきたい。でもどれもすごくおもしろい作品で、最近の映画も侮ってはいけないと思った。しばらくは上記の作品を中心にローテーションしていくことになるだろう。
連休があると、休み慣れ?してしまって次の日に仕事に行くのが本当に苦痛になってしまう。これはどうになかならにものか。楽しいことと仕事に至るこの感情のギャップが激し過ぎるのである。それになかなか対処できない。それだけで疲れ果ててしまう。まぁそれを忘れさせてくれるためにエンターテイメントがあるのだが。でも現実に戻るとイヤなものはイヤなまんまである。かといってエンターテイメントなしでは生きていくことはできない。エンターテイメントがなかったらどれだけ人生はつまらないものになるか。11月から来年の初めくらいまでは1年で一番忙しい時期になるので、なかなかこのエンターテイメントに触れる機会が激減してしまうが、少しでも時間があればできるだけ触れるようにしたい。ということで次の休みは『ハングオーバー』シリーズを観てみたい。予定ではあるが。もしくは『ピッチ・パーフェクト/ラスト・コール』を映画館に観に行っているかもしれない。
休日がなかなか取れなかったので、映画も観ることができず、どんどんDVDがたまっていってしまっていた状態である。買ってたのかよということになるが、最近ずっと一昔前の映画を中心に観ていて、最近の映画はほとんど観ていなかったので、さすがに時代に着いて行かないといけないのでここ数年の観たい映画を取り寄せていたのである。話が逸れるが、10月19日にやっと日本で『ピッチ・パーフェクト』の3作品目が公開されることになった。遅すぎるくらいである。海外はもうとっくにソフト化されているので、本当に日本はこういうのも遅い。いろいろ事情はあるのはわかるのだが、もう少し早くしてほしかったものである。これはなんとか予定を合わせて観に行きたい。彼女たちのラスト・コールを映画館で観届けたいのである。最近取り寄せした映画が、『レディ・プレイヤー・ワン』、『デッドプール2』、『スリー・ビルボード』、『アトミック・ブロンド』、『ベイビー・ドライバー』、『モンスター上司』、『モンスター上司2』、『ソウル・ガールズ』、『コンプライアンス/服従の心理』、『フューリー』、『マジック・マイク』、『マジック・マイクXXL』、『ゴーン・ガール』、『ブラック・スワン』、『メッセージ』、『ハングオーバー/消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』、『ハングオーバー/史上最悪の二日酔い、国境を越える』、『ハングオーバー/最後の反省会』で、『ハングオーバー』シリーズ以外はすべて観ることができた。1作品ごとに感想を書いていきたいが、それは後々少しずつ投稿していきたい。でもどれもすごくおもしろい作品で、最近の映画も侮ってはいけないと思った。しばらくは上記の作品を中心にローテーションしていくことになるだろう。
連休があると、休み慣れ?してしまって次の日に仕事に行くのが本当に苦痛になってしまう。これはどうになかならにものか。楽しいことと仕事に至るこの感情のギャップが激し過ぎるのである。それになかなか対処できない。それだけで疲れ果ててしまう。まぁそれを忘れさせてくれるためにエンターテイメントがあるのだが。でも現実に戻るとイヤなものはイヤなまんまである。かといってエンターテイメントなしでは生きていくことはできない。エンターテイメントがなかったらどれだけ人生はつまらないものになるか。11月から来年の初めくらいまでは1年で一番忙しい時期になるので、なかなかこのエンターテイメントに触れる機会が激減してしまうが、少しでも時間があればできるだけ触れるようにしたい。ということで次の休みは『ハングオーバー』シリーズを観てみたい。予定ではあるが。もしくは『ピッチ・パーフェクト/ラスト・コール』を映画館に観に行っているかもしれない。
2018年10月4日木曜日
連勤連勤
昨日まで10連勤をしていたのである。9月25日から催事が始まるということで連勤になるのは決定していたことだが、それでも6連勤だったのだが、催事が始まる前日にスタッフの一人が休日中に足を骨折してしまい、明日からしばらく出勤できないということになり、私がそのスタッフの代わりに連勤しなければならなくなり、とりあえず10連勤になってしまったということである。とりあえず一日休みであしたから5連勤になる。通常の業務プラス催事の分までやらなければならないため、朝6時30分から夜9時くらいまでずっと仕事であった。かなりヘトヘトになったので今日はもうずっとゆっくりしていたというのか身体が一切動かなかった状態だったので、まともな更新はこの5連勤以降にしようと思っている。申し訳ない。気が付けば10月である。本当に早いなー。
2018年9月15日土曜日
どうなっているのかこの世の中は
気が付けばもう9月の中旬である。この間にも台風であったり地震であったりいろんなことがあった。今年はこういった自然の災害が多いような気がする。こればっかりはどうしようもないのだが、いざそういったことが起こると誰でもパニックになってしまうだろう。実家の大阪でも、家の近所にある公園の木も台風の風でなぎ倒されていた。いつも台風が来ると言いながら結局ほとんど影響がなかったが今回はまともに直撃してちょっと油断していたみたいである。こういうのは油断しないほうがいいと改めて思った次第である。関西国際空港も大変だったみたいである。徐々に元通りになってきているみたいだが台風が来た日は空港に缶詰め状態になった人がたくさんいたみたいである。台風が来るというのは予報で数日前からわかっていたことだが、なぜ空港にそこまで人がいるのかよくわからないが身動きができなくなって大変だったみたいである。こういうのは早目に対処した方がよさそうである。
もう9月の中旬ということでかなり涼しくなり、朝夜は少し寒いくらいである。昨日お昼過ぎくらいに外を歩いていたが、セミが鳴いていた。もう夏も終わりだが、まだセミの声を聞くとうれしかったのである。私の感じだと9月になればもう年末という気がしてしまい、本当に気持ちがブルーになってしまうのだが、まだセミの声がすると気持ちが救われるのである。元気がなくて小さな鳴き声であったが最後の力を振り絞っていたような気がする。
9月1日は小学校中学校高校の児童、生徒たちの自殺が一番多い日みたいである。これは私は数年前から聞いていたのだが、年々このことが大きく取り上げられていっている。9月1日は夏休みが終わって学校が始まる日である。最近は8月から始まる学校も増えているみたいだが、とにかく次の学期が始まる日である。ここで少し思ったことが自殺する日が多くなるのは9月1日であって、8月31日ではないということである。8月31日は夏休み最後の日。みんなの心の中はどういった気持ちの状態なのだろうか。最後まで夏休みを楽しんでいたい、それでもまだ31日という今日がある。31日ではないというのを考えるとそれだけでも心がすごく痛くなってしまう。学校に行きたくないという理由はたくさんあるだろう。イジメてくる人がいる、先生が嫌だ、勉強が嫌だ、馴染めない。理由はどうあれ一人の子どもが生きるか死ぬかの選択をしているという事実。生きるか死ぬかという極致にいるという状況を周りの人は誰も気が付いていない。周りの人にわからないようにしているのかもしれない。親に迷惑をかけたくない、心配されたくない、もしくは自分がそういう状況にあることを恥じてしまっているのかもしれない。それを親が知るとどう思うのか。情けない奴だと言われてしまうかもしれない、怒られてしまうかもしれない。その子それぞれに様々な理由がある。心置きなく自分が今こういう状況にあるんだと、こういう気持ちで悩んでいるんだと、苦しいんだと、言えるような場所はないのだろうか。そういった窓口はあるのは聞くが、この数が減らないということはそこまで進んでいないということ、浸透していないということ。自分が今辛いんだと、苦しんでいるんだと、生きているのが嫌なんだと、そうまっすぐに言える場所がない。こうしたことを言うことが恥じになってしまうというこの環境、文化。根本的にそういった風潮がある。これをどうにかしないことにはなかなか改善するには難しいような気がする。誰にも言えず一人でずっと悩んでしまうのである。もちろんこれは子どもたちだけの問題ではなく、私たち大人の人でもそうである。年間の自殺者数は調べればすぐに出てくるが、約3万人と出てくるが、自殺以外に変死というのが15万人いる。遺書があれば自殺になるが、遺書がなければ変死になってしまう。つまりこの自殺者数約3万人というのは本来の数字ではない。おそらく変死のほとんどが自殺に当たるのではないかと思う。つまり本当の自殺者数は18万人ではないかという資料もある。実際の所はわからないが、ものすごい数である。この国がどういう国なのか、この数字を見ればわかるだろう。私自身も働いていて、この状況というのはほんの少しかもしれないがわかるような気がする。自分自身のレベルがどの段階なのかはそれは比較することは不可能だが、わかるような気がする。自分の周りの状況を見てみて言えることは、本当にどうかしてるよ、ということである。なんでそういう言い方になるのか、なんでそういう接し方しかできないのか、言いやすいからといって自分の気分で何でも言っていいのか。嫌味な言い方をして見下して、本当にどうしようもないと思う。こういった状況が私の周りだけではなく、先ほど述べた数以上に存在しているということである。いい加減にしろ本当に。人が生きるか死ぬかというときに学校も仕事もねぇーんだよ。FUCK OFFだよFUCK OFF。苦しくて行きたくなかったら行かなくていいよ。辛くてどうしても辞めたかったら辞めたらいいよ。くだらないことに、くだらないヤツに命を落とすことなんてないよ。むしろ死ぬのはそういう奴らだよ。本当にどうかしてるよ。異常だよ。考えれば考えるほどイライラしてしまう。くだらないことしているヤツいい加減にしろ。
もう9月の中旬ということでかなり涼しくなり、朝夜は少し寒いくらいである。昨日お昼過ぎくらいに外を歩いていたが、セミが鳴いていた。もう夏も終わりだが、まだセミの声を聞くとうれしかったのである。私の感じだと9月になればもう年末という気がしてしまい、本当に気持ちがブルーになってしまうのだが、まだセミの声がすると気持ちが救われるのである。元気がなくて小さな鳴き声であったが最後の力を振り絞っていたような気がする。
9月1日は小学校中学校高校の児童、生徒たちの自殺が一番多い日みたいである。これは私は数年前から聞いていたのだが、年々このことが大きく取り上げられていっている。9月1日は夏休みが終わって学校が始まる日である。最近は8月から始まる学校も増えているみたいだが、とにかく次の学期が始まる日である。ここで少し思ったことが自殺する日が多くなるのは9月1日であって、8月31日ではないということである。8月31日は夏休み最後の日。みんなの心の中はどういった気持ちの状態なのだろうか。最後まで夏休みを楽しんでいたい、それでもまだ31日という今日がある。31日ではないというのを考えるとそれだけでも心がすごく痛くなってしまう。学校に行きたくないという理由はたくさんあるだろう。イジメてくる人がいる、先生が嫌だ、勉強が嫌だ、馴染めない。理由はどうあれ一人の子どもが生きるか死ぬかの選択をしているという事実。生きるか死ぬかという極致にいるという状況を周りの人は誰も気が付いていない。周りの人にわからないようにしているのかもしれない。親に迷惑をかけたくない、心配されたくない、もしくは自分がそういう状況にあることを恥じてしまっているのかもしれない。それを親が知るとどう思うのか。情けない奴だと言われてしまうかもしれない、怒られてしまうかもしれない。その子それぞれに様々な理由がある。心置きなく自分が今こういう状況にあるんだと、こういう気持ちで悩んでいるんだと、苦しいんだと、言えるような場所はないのだろうか。そういった窓口はあるのは聞くが、この数が減らないということはそこまで進んでいないということ、浸透していないということ。自分が今辛いんだと、苦しんでいるんだと、生きているのが嫌なんだと、そうまっすぐに言える場所がない。こうしたことを言うことが恥じになってしまうというこの環境、文化。根本的にそういった風潮がある。これをどうにかしないことにはなかなか改善するには難しいような気がする。誰にも言えず一人でずっと悩んでしまうのである。もちろんこれは子どもたちだけの問題ではなく、私たち大人の人でもそうである。年間の自殺者数は調べればすぐに出てくるが、約3万人と出てくるが、自殺以外に変死というのが15万人いる。遺書があれば自殺になるが、遺書がなければ変死になってしまう。つまりこの自殺者数約3万人というのは本来の数字ではない。おそらく変死のほとんどが自殺に当たるのではないかと思う。つまり本当の自殺者数は18万人ではないかという資料もある。実際の所はわからないが、ものすごい数である。この国がどういう国なのか、この数字を見ればわかるだろう。私自身も働いていて、この状況というのはほんの少しかもしれないがわかるような気がする。自分自身のレベルがどの段階なのかはそれは比較することは不可能だが、わかるような気がする。自分の周りの状況を見てみて言えることは、本当にどうかしてるよ、ということである。なんでそういう言い方になるのか、なんでそういう接し方しかできないのか、言いやすいからといって自分の気分で何でも言っていいのか。嫌味な言い方をして見下して、本当にどうしようもないと思う。こういった状況が私の周りだけではなく、先ほど述べた数以上に存在しているということである。いい加減にしろ本当に。人が生きるか死ぬかというときに学校も仕事もねぇーんだよ。FUCK OFFだよFUCK OFF。苦しくて行きたくなかったら行かなくていいよ。辛くてどうしても辞めたかったら辞めたらいいよ。くだらないことに、くだらないヤツに命を落とすことなんてないよ。むしろ死ぬのはそういう奴らだよ。本当にどうかしてるよ。異常だよ。考えれば考えるほどイライラしてしまう。くだらないことしているヤツいい加減にしろ。
2018年8月30日木曜日
8月ももう終わり
更新しようと思ったが、爆睡してしまったため更新できなくなってしまった。申し訳ない。
なんだかんだで8月ももう終わり!!
そして8月も大変だった!!
相変わらずわけの分からんことで頭が痛い!!
面倒なことは全部FUCK OFF!!
鬱陶しいヤツは迷わずぶっ殺す!!
進め!進め!どんどん進め!!
ショック!残酷!意味不明!!
まだまだ暑いがコーラ片手に突っ走っていくぞ!!
なんだかんだで8月ももう終わり!!
そして8月も大変だった!!
相変わらずわけの分からんことで頭が痛い!!
面倒なことは全部FUCK OFF!!
鬱陶しいヤツは迷わずぶっ殺す!!
進め!進め!どんどん進め!!
ショック!残酷!意味不明!!
まだまだ暑いがコーラ片手に突っ走っていくぞ!!
2018年8月23日木曜日
希望絶たれる
前回の投稿の続きのニュースが出たのだが、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズのジェームズ・ガン監督の再雇用であったが、その希望は絶たれてしまったということである。非常に悲しいニュースである。ちらっとどこかの誰かが見つけ出したものにディズニー側はそれに煽られてしまったのである。これにより今後このシリーズがどうなってしまうのか、俳優陣はどう思っているのか、今後の新しいニュースを気にしていたい。人間は誰にだって過ちはあるものである。というかそれが人間である。ディズニーはちょっと本当にどうかしている。その傘下に入っているマーベルも非常にやりにくいところはあるはずである。確かにディズニーはいろんな意味でものすごい技術を持っているし、すばらしい作品を世に送り出しているのも事実。しかし、『スター・ウォーズ』の件もそうだが、ちょっとやりすぎだろう。すばらしいものをもっているのに非常に残念で仕方がない。私はそれでもガン監督に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の続編を希望している。
お盆は過ぎたがまだまだ夏は続く!!
地獄は年中真夏!!
なにかはわからない、理由もわからないがとにかく俺は怒っているんだ!!
怒っているということだけは言っていいだろ!?叫んでいいだろ!?
今すぐ窓を開けて「私は怒っているんだ!!」と叫ぼうではないか!!
希望も慈悲もないこの腐り切った世界で!!
自らディストピアへまっすぐ向かおうではないか!!
そして楽しもうではないか!!
そうなったらどこへでも行けるぜ!!
そう思えたらおもしろそうじゃねーか!?楽しそうじゃねーか!?サイコーじゃねーか!?
地獄もディストピアもいいところだぜ!!
2018年8月10日金曜日
暑いので気を付けて
書けるときに書いておこうと思い、昨日から連投しているが、まぁいろいろあったのである。まだまだあるのだが、それはまた追々書いていこうと思う。そういえば先日『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズの監督のジェームズ・ガン監督が過去のツイッターか何かの発言により、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の続編の監督を解雇されたのである。過去の発言と言ってもちょー昔の話で、それが問題だったらなんで『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Vol.2』はオッケーだったんだよと思う。ガン監督を嫌いな誰かが過去の記録を掘り下げて見つけたみたいだが、そんなこといったらキリがなくなってしまう。現在非公式でマーベル側がディズニーに対してお願いをしとぃるみたいだが、ディズニーって最近本当にどうかしてると思う。ガン監督なしに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はあり得ないだろう。俳優陣もガン監督なしでは参加しないという人も出ている。当然だろう。ディズニーには考えを改めてもらいたい。
台風が過ぎ去った今日は本当に暑い!!
コーラのがぶ飲みで乗り切るしかない!!
暑さに殺されてたまるか!!
意識が朦朧とする中、俺たちは『ロスト・ハイウェイ』を迷走する!!
これは夢なのか。これは現実なのか。あっちは夢でこっちは現実なのか。
そんなことどうでもいい!!
ただただ突っ走るのみ!!
突っ走っているお前はお前なんだよ!!
邪魔する奴らは皆殺しだー!!
台風が過ぎ去った今日は本当に暑い!!
コーラのがぶ飲みで乗り切るしかない!!
暑さに殺されてたまるか!!
意識が朦朧とする中、俺たちは『ロスト・ハイウェイ』を迷走する!!
これは夢なのか。これは現実なのか。あっちは夢でこっちは現実なのか。
そんなことどうでもいい!!
ただただ突っ走るのみ!!
突っ走っているお前はお前なんだよ!!
邪魔する奴らは皆殺しだー!!
和倉温泉と金沢へ
8月4日と5日に急遽和倉温泉と金沢に行っていたのである。というのも、父が昨年退職をし、今も仕事に行っているのだが、一応退職したということで、その退職祝いとして会社から旅行券をもらっていて、今までなかなか行けなかったのだが、私がいろいろシフトの変更があるので予定が定まらなかったが、急に私が3連休になり、そして土曜、日曜、月曜と休みになったので行けるかどうか家族に確認し、何とか行き先があったので行ってきたのである。希望としては金沢オンリーと思っていたが、夏休みということもあり、電車、宿泊など混んでいたみたいで金沢オンリーはできず、和倉温泉に泊まって金沢で少し遊んで大阪に帰るというプランになった。私は当日始発に乗って東京駅を朝6時に新幹線で出発し、8時半ごろ新大阪駅で家族と合流
し、そこからすぐにサンダーバードに乗って和倉温泉へと向かったのである。朝早かったし、電車に乗りっぱなしだったのですごく疲れてしまったのである。和倉温泉には13時くらいであったかそれくらいに到着をし、送迎バスに乗って加賀谷という旅館に向かったのである。この旅館は結構有名らしく、旅行新聞社が主催している「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」に36年連続で総合部門1位を認定されているみたいである。すごく大きな旅館でやはりきれいな施設であった。荷物を置いて、遊ぶ場所はどうやら能登島の方しかないみたいで、そこからタクシーに乗って能登島水族館へ行くことに。意外に水族
館まで遠く、片道5000円くらいかかってしまったのである。バスも出ているのだが、ここは地方ということで本数が少なく、待っているだけで疲れてしまいそうなのでここは帰りもタクシーということで、運転手さんに待ってもらっていたのである。水族館で遊んでいるときはメーターを切っていただいていたのである。この日もものすごく暑かった。能登半島まで来てもこの暑さは変わらなかったのだ。そして旅館に戻り、温泉に入り、夕食の時間となった。そしてそのご飯がまたものすごく豪華で、こんな豪華なそしておいしい食事は初めてというくらいに食事を楽しんだのである。さすが。全部ご飯を部屋に運んでくれたり、布
団を敷いてくれたりしたので至れり尽くせりであった。その日の夜に旅館のすぐそばでお祭りをやっていたのだが、旅館からその祭の抽選券をもらっていて、抽選だけ参加して、なんと1位になり、商品券が当たったのだが、中身をみてみると5000円入っていたが、地元でしか使えない商品券だった(笑)。次の日すぐに帰ってしまうので、その商品券をお世話になった部屋のスタッフの方に渡したのである。朝ご飯も豪華で、これは大満足の食事であった。やはりこの旅館はすごかった。そして送迎バスに乗り、和倉温泉駅に向かい、また電車に乗って金沢へと向かった。ここ金沢に来るのは3回目で、約10年ぶり?
くらいである。私は金沢は大好きな街の一つである。金沢の滞在時間が5時間ほどですごく限られた時間だったので、すぐにバスに乗ってひがし茶屋街に向かった。ここは初めての場所で、古い町並みが残っているエリアであった。そしてまたバスに乗り、金沢城跡に向かった。ひがし茶屋街では本当に暑くて、父が金沢城跡に着いたときに体調が悪くなり、一人金沢駅に行って待っているというので、ここからは母と二人で金沢城跡を歩いたのである。隣は兼六園だったが、ここは2回来たことがあるし、時間もなかったのでカット。歩いて21世紀美術館へ行き、日曜日ということもあり、長蛇の列ができていた
が、せっかく来たので並んでチケットを購入。10年前にもこの美術館に来ていたのだが、無料のコーナーしか閲覧しておらず、今回まともに見学することができたのである。ガイドブックに必ずと言っていいほど載っている“プール”もちゃんと見学してきた。もうその時点で15時くらいだったのでもう時間切れということでまたバスに乗って金沢駅に向かって、再びサンダーバードに乗って大阪に向かったのである。そして次の日は私は東京に帰らなければならず、夕方過ぎの新幹線いにったのだが、途中でこれから行く新横浜方面が大雨ということで運転見合わせになり、結局2時間半近く遅れ、家に着いたのが0時40分であった。もうヘトヘトである。次の日というかもうその日は仕事で朝早く起きるので結局2時間しか寝れず、そのまま仕事に向かったのである。かなりタイトな日程であった。でも、久しぶりに旅行できたのでいい気分転換になったのである。金沢にはまたゆっくりと訪れたい。今回一番良かったのはバスの待ち時間がほとんどなかったということである。時間そのものがなかったので、バスがすぐ来てくれたのでロスがなかったのがよかった。金沢は観光地ということで外国人も大変多く、街自体が整備されていて、観光地として完成された街であった。やっぱりいい街だなー金沢は。
し、そこからすぐにサンダーバードに乗って和倉温泉へと向かったのである。朝早かったし、電車に乗りっぱなしだったのですごく疲れてしまったのである。和倉温泉には13時くらいであったかそれくらいに到着をし、送迎バスに乗って加賀谷という旅館に向かったのである。この旅館は結構有名らしく、旅行新聞社が主催している「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」に36年連続で総合部門1位を認定されているみたいである。すごく大きな旅館でやはりきれいな施設であった。荷物を置いて、遊ぶ場所はどうやら能登島の方しかないみたいで、そこからタクシーに乗って能登島水族館へ行くことに。意外に水族
館まで遠く、片道5000円くらいかかってしまったのである。バスも出ているのだが、ここは地方ということで本数が少なく、待っているだけで疲れてしまいそうなのでここは帰りもタクシーということで、運転手さんに待ってもらっていたのである。水族館で遊んでいるときはメーターを切っていただいていたのである。この日もものすごく暑かった。能登半島まで来てもこの暑さは変わらなかったのだ。そして旅館に戻り、温泉に入り、夕食の時間となった。そしてそのご飯がまたものすごく豪華で、こんな豪華なそしておいしい食事は初めてというくらいに食事を楽しんだのである。さすが。全部ご飯を部屋に運んでくれたり、布
団を敷いてくれたりしたので至れり尽くせりであった。その日の夜に旅館のすぐそばでお祭りをやっていたのだが、旅館からその祭の抽選券をもらっていて、抽選だけ参加して、なんと1位になり、商品券が当たったのだが、中身をみてみると5000円入っていたが、地元でしか使えない商品券だった(笑)。次の日すぐに帰ってしまうので、その商品券をお世話になった部屋のスタッフの方に渡したのである。朝ご飯も豪華で、これは大満足の食事であった。やはりこの旅館はすごかった。そして送迎バスに乗り、和倉温泉駅に向かい、また電車に乗って金沢へと向かった。ここ金沢に来るのは3回目で、約10年ぶり?
くらいである。私は金沢は大好きな街の一つである。金沢の滞在時間が5時間ほどですごく限られた時間だったので、すぐにバスに乗ってひがし茶屋街に向かった。ここは初めての場所で、古い町並みが残っているエリアであった。そしてまたバスに乗り、金沢城跡に向かった。ひがし茶屋街では本当に暑くて、父が金沢城跡に着いたときに体調が悪くなり、一人金沢駅に行って待っているというので、ここからは母と二人で金沢城跡を歩いたのである。隣は兼六園だったが、ここは2回来たことがあるし、時間もなかったのでカット。歩いて21世紀美術館へ行き、日曜日ということもあり、長蛇の列ができていた
が、せっかく来たので並んでチケットを購入。10年前にもこの美術館に来ていたのだが、無料のコーナーしか閲覧しておらず、今回まともに見学することができたのである。ガイドブックに必ずと言っていいほど載っている“プール”もちゃんと見学してきた。もうその時点で15時くらいだったのでもう時間切れということでまたバスに乗って金沢駅に向かって、再びサンダーバードに乗って大阪に向かったのである。そして次の日は私は東京に帰らなければならず、夕方過ぎの新幹線いにったのだが、途中でこれから行く新横浜方面が大雨ということで運転見合わせになり、結局2時間半近く遅れ、家に着いたのが0時40分であった。もうヘトヘトである。次の日というかもうその日は仕事で朝早く起きるので結局2時間しか寝れず、そのまま仕事に向かったのである。かなりタイトな日程であった。でも、久しぶりに旅行できたのでいい気分転換になったのである。金沢にはまたゆっくりと訪れたい。今回一番良かったのはバスの待ち時間がほとんどなかったということである。時間そのものがなかったので、バスがすぐ来てくれたのでロスがなかったのがよかった。金沢は観光地ということで外国人も大変多く、街自体が整備されていて、観光地として完成された街であった。やっぱりいい街だなー金沢は。
私が言ったことではない
先日どこかで書いたことがあるのだが、最近のテレビ放送では映画は放送されなくなったと。最近書いた覚えがあるのにすぐに忘れてしまい申し訳ない(笑)。探せば見つかるだろうが、探す時間ももったいないのでそのままいってしまおう。もう本当に最近は鬱陶しいくらいに“お子様”向けの放送ばかりで、テレビなんか見てもしょうがないレベルである。先日久しぶりに私が行くメガネのお店に行ったのだが、そのお店にいらっしゃる他のお客で、映画関係?アニメ関係?の方がいるみたいなのだが、そのお店のスタッフの方がその映画関係の方に、「昔のドラゴンボールをまた放送してくださいよ」と言ったみたいなのだが、今の放送コードではそれも放送できないと言っていたみたいである。私が昔観ていた『ドラゴンボール』ですらも放送できないのである。最近新しい『ドラゴンボール』を放送しているみたいだが、もう本当にクリーンにクリーンになっているのだろう。そんなものに価値があるのか。全く理解できない。この時代を異常とは誰も思わないのだろうか。そしてテレビではジブリばっかりでもううんざりしている。といっても私はテレビがないので関係ないのだが、たまに大阪に帰った時に新聞のテレビ欄を見たりするが、どうでもいい番組ばかりであるし、ジブリはよっぽどの事情がない限り観る気もないので結局まともにテレビを観ないのである。ジブリで思い出したのだが、こにジブリの監督である宮崎駿について少し書きたい。その中でも『千と千尋の神隠し』についてなのだが、これは風俗の話であるということである。こう書くとジブリファンからボコボコに殴り殺されそうだが、これは宮崎監督自らそう言っていることなので仕方がない。主人公は“湯女”として働かされるのだが、この言葉の意味は辞書を引けば一発で分かるが、“温泉場や風呂屋にいて浴客の世話をした女性のこと。一部は私娼化して売春した”、または“江戸時代、市中の湯屋にいた遊女”、“風呂屋に奉公し、客の身体を洗い、また色を売った女”という意味である。これを言うと「そういった見方もある」とか「そういう解釈もある」という人がいるが、そういうレベルではなく、“湯女”とは“娼婦”を意味するのである。しかし、昔から風俗においては初潮前の少女は見習い(半玉)として下働きをさせられる。千尋の場合はその段階である。公衆浴場には銭湯と湯女風呂の2種類あり、銭湯の客は男女両方で、背中を流すのは三助という男だが、湯女のいる客は男だけである。こういうことは国民的アニメであるし、大ヒットを飛ばした作品なので、こういう情報はなかなか出てこないのだが、何度も言うがこれは監督自身がそう言ったのである。インタビューで監督はこういっている。「今の世界として描くには何が一番ふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいになっているじゃないですか。」といろいろ日本の性風俗について語るのだが、『千と千尋』は現代の少女をとりまく現実をアニメで象徴させようとしたので、性風俗産業の話になった、と監督は言っているのである。風俗産業で働く少女を主人公にするというアイデアを出したのはプロデューサーで、「人とちゃんと挨拶ができないような女の子がキャバクラで働くことで、心を開く訓練になることがあるそうですよ」という話をしたら宮崎監督が「それだ!」とアニメの発想がひらめいたそうである。国民的アニメがまさか風俗産業の話をしているなんて信じられない国民が多いのか、それとも自分が思っていたのとは違うというのを受け入れたくないのか、人間みんなそんな感じである。というか湯婆々の服装は19世紀欧米の娼館の女主人(マダム)そのもである。アメリカ人やヨーロッパ人が観てもすぐにわかる。少女が娼婦に身を落として、自分や親の罪を贖うという物語は世界中のあちこちにある。お姫様や絶世の美女が苦界に落ち、我が身を男たちに与えていくが、本当の優しさに巡り会ったとき、天女になって天に召されるという草紙である。この映画では両親が飽食の罪である。89年まで続いた戦後日本の高度経済成長と飽食、享楽主義のツケが、90年代から続く底なしの不況として返ってきたこと、それが女性の就職難に繋がり、風俗産業という苦界に身を投じる必要性が増している状況を象徴している。現代日本の女の子が性風俗のあふれる社会で生きていかなければならない現状を監督は語っている。『千と千尋』の客が神様(全員男)なのは、古来紙に仕えるものと娼婦は同一視されていた。古代から世界各地の神殿の巫女は売春もしていた。最も聖なる者と最も下賤なる者は同じと考えられていた。日本に限らず、世界中で神に仕える女性は同時に娼婦でもあった。神に身を捧げることと誰にでも分け隔てなく我が身を与えることは同じことだからである。民俗社会においては、巫女は神の妻であり、人間にとっては処女であり(誰の妻でもなく)、同時に娼婦でもある(誰の妻でもある)。だから湯女たちは巫女の衣装を着ている。中世のキリスト教教会は娼館を認可し、必要なものとしていた。宮崎監督は、性風俗を悪いことと決めつけるのは、キリスト教的倫理の押し付けだと怒っていたのである。ただ単にお金が欲しいから、という理由で風俗で働く子が多いとも思うが。まぁこれは私が言ったことではなく、宮崎監督が言っていたことである。
2018年8月9日木曜日
これがリンチ監督の集大成だ
先日といっても一か月以上も前の話になるのだが、7月4日に待ちに待った『ツイン・ピークス/ザ・リターン』がついにブルーレイ、DVDで発売されたのである。今回の『ツイン・ピークス/ザ・リターン』はいくつかの呼び方があり、シーズン3とも言われているし、ザ・リターンとも言われているし、今回発売されたバージョンではリミテッド・イベント・シリーズともいわれている。そして今回の発売に合わせて『ツイン・ピークス』に関してのすべてのシリーズを網羅した完全読本が発売され、その出版記念イベントが行われたのでそれに参加してきたのである。この本を監修したのが2名いて、そのうちの一人が昨年の東京コミコンでサインをいただいた方なのである。この方が今回のイベントに参加されるというのを聞いて早目に応募し、定員は50名だったのだが、早目に応募したので参加できることになったのである。もう1名の監修された方がメインで監修され、それの補佐というのかそういった形で監修されていたのである。その2名のトーク&サイン会であった。このもう1名の方の方は私はあまり知らなかったのだが、『ツイン・ピークス』のシーズン1、シーズン2が放送されていた当時に、デヴィッド・リンチ監督が日本に来日されたときに、一緒について回ったすごい方だったのである。デヴィッド・リンチ監督が来日した時に、3本の記者会見というのかそのようなものが予定されていて、その3本ともデヴィッド・リンチ監督がものすごく気に入らない記者会見だったみたいである。というのも、どの会見に行っても、「あのシーンの意味は?」、「あれはどういった意味なのか?」とそういった質問ばかりで、リンチ監督はそれっきり日本が嫌いになってしまい、それ以来日本に一度も来たことがないのである。どこかで書いたことがあるが、デヴィッド・リンチ監督はこういった“意味”についてどうでもいいという考えを持っている。リンチ監督はアイデアを引き出すときに、メディテーション(瞑想)してアイデアを引き出すというスタイルで作品をつくっている。なので思い浮かんだことをそのまま映像にしているので、意味なんかないのである。リンチ監督の作品でよくみられるのが、夢なのか現実なのかということである。そのことについても、どのシーンが現実で、どのシーンが夢だということもどうでもいいと思っている。そういうものに対して“意味”をもたせてしまうと、おもしろさがなくなってしまうし、意味を持たせることほどバカバカしいことはないのである。リンチ監督はそういったことを非常に嫌っているにもかか関わらず、日本の人たちはリンチ監督にそんな質問ばかりしていたのである。そりゃ気分悪くなるわなと思った。というかリンチ監督がわざわざ来日されているのだから、リンチ監督自身について、リンチ監督作品、そして『ツイン・ピークス』に関してもっと調べておかなければならないと思う。本当によく調べている人は質問自体が鋭くなっているし、ただテキトーにやっている人の質問はありきたりなものばかりになってしまう。質問でその人の理解度がすぐにわかるのである。話は逸れてしまったが、それ以来来日されていないということで非常に残念な話である。リンチ監督の作品は我々がよく言うエンターテイメントという楽しいものではない。やはりすごく難しいし、怖いシーンもあるし、どのシーンも見逃してはいけない。そして夢なのか現実なのか、意味不明な表現がどんどん出てきて、我々は“リンチ・ワールド”に迷い込んでいくのである。それがリンチ監督作品の楽しみ方である。ただ迷い込んで「うーん」といろいろ悩むのがいいのである。いちいちそれに意味を持たせてしまうとそれで終わってしまうのである。迷えばいいのだ。今回の『ツイン・ピークス/ザ・リターン』を観ればわかるが、シーズン2の後に公開された映画版『TWIN PEAKS / FIRE WALK WITH ME』が非常に重要なキーとなる作品になっている。今回のシリーズは映画版がなければ制作されなかったといってもいいくらいである。リンチ監督はいくつか映画を撮っているが、映画は制作側、配給会社などいろんな制約などがあり、作品としての自由度がさがってしまうため、リンチ監督はそれを嫌っていて、もう映画は撮らないといっていたが、今回全てリンチ監督の権限の元制作されているので、その他の映画では撮れなかったアイデアなどが今回のシリーズに入れてきたりしているので、これは『ツイン・ピークス』の続編というよりも、デヴィッド・リンチ監督の集大成の作品である。こんなすごい作品をリアルタイムに観ることができるこの喜びを噛みしめなければならない。コーヒーとチェリーパイを味わいながらその余韻に浸ろうではないか。そして迷い込むあの“赤い扉”を開けようではないか。その赤い扉の向こうに、ジェイニーEとサニージムが待っているのだから。
『Tsuyoshi Nagabuchi / Arena Tour 2018 Don't Think Twice』
気が付けば8月になってしまっている。というか8月も1週間終わってしまっているではないか。いかんいかん。これはヤバいぞ。なにがヤバいのか自分でもわからないのだが、ここ最近はいろいろ忙しい日が続いており、なかなか更新できずにいたのである。最近天気が異常で、猛暑であったり豪雨であったり台風であったりと落ち着く暇もなく天気がころころ変わる。今日の朝は台風が接近していて通勤がどうなるかと思っていたが何もなかったのでとりあえずよかったのである。そしたら今度はまた猛暑が戻ってきた感じである。ここの殺人的な暑さは本当に注意が必要である。私も気を付けてこまめに水分補給などやっているが、これはもう本当に大変な暑さである。これはもうコーラのがぶ飲みで乗り切るしかない!!!
最近更新していない間にも私自身もいろいろあり、順次更新していこうとは思っているが、まずは7月上旬に私が参加してきた『Tsuyoshi Nagabuchi / Arena Tour 2018 Don't Think Twice』である。私は大阪城ホールと日本武道館の共に2days参加してきたのである。このツアーの最初の4本である。さぁー今回はどうだったか、と聞かれたら、おもしろかったのはおもしろかったし、めちゃくちゃ楽しんだのは確かなのだが、今までのライヴからいうと、うーん、という感じなのである。今回ドラムとリードギターの一人以外すべて外国人メンバーを集めてのツアーになっている。私が観る限り、ツアーの最初ということもあり、かなり実験的な感じがしたのである。ややぎこちなさが出ている印象を持ったというのが正直な感想である。そして私が素人なりに感じた感じたことが大阪の初日と武道館の初日の音響が悪かったということである。7月の中旬にいつもお世話になっているデザイナーの方とお会いする機会があったのだが、今回のツアーのことについて話し合ったのだが、やはり初日の音響システムが非常に悪かったみたいで、剛本人もめちゃくちゃ激怒していたみたいである。そのため衣装の打ち合わせどころではなくなっていたみたいである。2日目は改善されていたので両都市とも2日目の方が音がよかったのである。衣装に関してはそのデザイナーの方の方が詳しいが、それ以外の長渕剛に関する知識は私の方が圧倒的にあるので、その方からも「詳しいー!!」とおっしゃっていただいたほどである。私は今回のツアーはこれで終わったのだが、なんとこの後のスケジュールにてついに本領発揮というのかだんだん慣れてきたのか、非常に完成度の高いステージになっているみたいで、なんとあの『勇次』が蘇ったのである。このタイミングか!!!と私もすごくビックリしてしまったのだが、仙台公演から『勇次』が復活したのだ。予想もしていないところに持ってくるのが剛の良さであるが、これには私も度肝を抜かれたのである。セットリスト、公演時間、パフォーマンス、音響システム、など前半に問題になっていた箇所がどんどん改善され、大阪に参加した人がそのあとの仙台や広島のライヴに参加した人の感想が全然違っていて、非常によくなっているとのコメントであった。さすがである。大阪や武道館しか参加できなかった人はお怒りのコメントが続出しているが、コンサートというのは生ものなので、その日その日によって違うのは当然だと私は思っているし、剛自身もそう言っていることなので私は全く気にならない。剛のライヴは後半からよくなってくるというのはファンならほとんどが知っているはずであるし、自分が参加していろいろ言いたいことがあって、そのあとそれが改善されたのであればそれはいいことだと私は思う。表現すらしていないヤツがいちいち文句言ってんじゃねーよ!と私は言いたい。でもだんだん良くなっているという話を聞いて私もすごく安心したのである。8月の中旬過ぎまでツアーは続くが、この調子で最後まで走り切ってほしいと思う。来年また何かやるという話も聞いているので、それはそれで楽しみにしていたい。今回の最初の曲は『Loser』からであったが、これは本当にカッコいい歌だと思う。
“俺は唄う 敗北のメロディー
泣きながら唄う 敗北のメロディー
I'm a Loser I'm a Loser I'm a Loser
敗北の唄を!!!”
最近更新していない間にも私自身もいろいろあり、順次更新していこうとは思っているが、まずは7月上旬に私が参加してきた『Tsuyoshi Nagabuchi / Arena Tour 2018 Don't Think Twice』である。私は大阪城ホールと日本武道館の共に2days参加してきたのである。このツアーの最初の4本である。さぁー今回はどうだったか、と聞かれたら、おもしろかったのはおもしろかったし、めちゃくちゃ楽しんだのは確かなのだが、今までのライヴからいうと、うーん、という感じなのである。今回ドラムとリードギターの一人以外すべて外国人メンバーを集めてのツアーになっている。私が観る限り、ツアーの最初ということもあり、かなり実験的な感じがしたのである。ややぎこちなさが出ている印象を持ったというのが正直な感想である。そして私が素人なりに感じた感じたことが大阪の初日と武道館の初日の音響が悪かったということである。7月の中旬にいつもお世話になっているデザイナーの方とお会いする機会があったのだが、今回のツアーのことについて話し合ったのだが、やはり初日の音響システムが非常に悪かったみたいで、剛本人もめちゃくちゃ激怒していたみたいである。そのため衣装の打ち合わせどころではなくなっていたみたいである。2日目は改善されていたので両都市とも2日目の方が音がよかったのである。衣装に関してはそのデザイナーの方の方が詳しいが、それ以外の長渕剛に関する知識は私の方が圧倒的にあるので、その方からも「詳しいー!!」とおっしゃっていただいたほどである。私は今回のツアーはこれで終わったのだが、なんとこの後のスケジュールにてついに本領発揮というのかだんだん慣れてきたのか、非常に完成度の高いステージになっているみたいで、なんとあの『勇次』が蘇ったのである。このタイミングか!!!と私もすごくビックリしてしまったのだが、仙台公演から『勇次』が復活したのだ。予想もしていないところに持ってくるのが剛の良さであるが、これには私も度肝を抜かれたのである。セットリスト、公演時間、パフォーマンス、音響システム、など前半に問題になっていた箇所がどんどん改善され、大阪に参加した人がそのあとの仙台や広島のライヴに参加した人の感想が全然違っていて、非常によくなっているとのコメントであった。さすがである。大阪や武道館しか参加できなかった人はお怒りのコメントが続出しているが、コンサートというのは生ものなので、その日その日によって違うのは当然だと私は思っているし、剛自身もそう言っていることなので私は全く気にならない。剛のライヴは後半からよくなってくるというのはファンならほとんどが知っているはずであるし、自分が参加していろいろ言いたいことがあって、そのあとそれが改善されたのであればそれはいいことだと私は思う。表現すらしていないヤツがいちいち文句言ってんじゃねーよ!と私は言いたい。でもだんだん良くなっているという話を聞いて私もすごく安心したのである。8月の中旬過ぎまでツアーは続くが、この調子で最後まで走り切ってほしいと思う。来年また何かやるという話も聞いているので、それはそれで楽しみにしていたい。今回の最初の曲は『Loser』からであったが、これは本当にカッコいい歌だと思う。
“俺は唄う 敗北のメロディー
泣きながら唄う 敗北のメロディー
I'm a Loser I'm a Loser I'm a Loser
敗北の唄を!!!”
2018年6月28日木曜日
“アゲて”いけ!!
気が付けばもう6月も終わりである。数日前くらいから急に暑くなり、一昨日からクーラーをつけたのである。沖縄では梅雨が明けたらしい。もう7月である。今年も半分が終わるということだ。本当に早いなー。
今回『ピッチ・パーフェクト』という映画を紹介したい。これは全部で3作品あるのだが、3作目はまだソフト化されておらず、アメリカではすでに販売されている。この作品は2012年公開なのだが、1作目はヒットはしたのだが、そこまでヒットはしなかった。そのせいで日本で当時公開されなかった。2作目のときにこれが爆発的ヒットとなり、そのとき公開されていた『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』をヒットチャートから引きずり下ろし、そして同日に公開された『マッド・マックス/怒りのデスロード』の倍近くの興行収入をあげたとんでもない作品である。その影響もあり、やっと1作目が日本で公開され、ソフト化もされた。日本の映画会社が大作で30憶40億のヒットを狙う以外は中規模な5億円くらい稼ぐ映画はわざわざ公開しなくなったのである。外れたらお金を捨てることになるので、大物狙いになってしまっている状態である。なのでこういう映画も見捨てないでほしいと心から願うばかりである。この映画がなぜ世界的に広がっていったのかというと、これはYouTube絡みで、『Cups』というこの映画で出てくる歌がめちゃくちゃ流行ったのである。プラスチックのコップを使ってそれをテンポをとったりしてパフォーマンスをするのだが、日本では映画は公開されなかったがこの『Cups』というか、このパフォーマンス、遊びは浸透したのである。そうやってどんどん世界に広がっていったのである。
まず、『ピッチ・パーフェクト』の意味であるが、“Perfect Pitch”ということばがあるのだが、これは“絶対音感”という意味で、『ピッチ・パーフェクト』は“音程が完璧”、“絶対に外さない”などの意味がある。主人公が大学に入学していろいろあってアカペラ部に入部することになり、それで全国大会を目指すという内容である。そのアカペラ部はみんなバラバラでめちゃくちゃでもうダメダメなんだが、アカペラを通じて一つになっていくというもう映画を観なくても結果の想像がついてしまうちょーベタな映画である。と、カッコつけて上から目線で言ってはみたものの、ここで言っておかなければならないことがある。というか白状しなければならないことがある。それは・・・、はい・・・、すみません、・・・泣いてしまいました(笑)。ちょっと、もう、感動してしまったのである。ありきたりな内容なのだが、すばらしい映画だと思った。ただただそのアカペラ、歌によって感動したのではなく、この映画は全編通じて下ネタが満載の映画なのだ。映画冒頭のゲロシーンから始まり、そのアカペラ部に集まったメンバーが、黒人の子はレズビアンでメンバーにいた女の子の体をすっと触ってるし、ソプラノの女の子はいわゆるヤリマンの子で、ずっとセックスばっかり考えてきたり、アジア系の子は声が小さくて全然聞こえなかったりともうみんなめちゃくちゃなのだ。そしてエイミーという太った女の子もメンバーにいるのだが、この子は自分のことを“FAT AMY”と言って“デブのエイミー”と自分でいうのである。その理由は、痩せた女の子に陰でコソコソデブって言われる前に先に自分で言っておくのよ、というもの。すばらしいとしか言いようがない。本当にカッコいいと思う。この映画の中で、他のアカペラ部たちとアカペラバトルをするシーンがあるのだが、これを“Riff Off”といい、与えられたお題(縛り)をもとに即興で歌っていき、相手が歌っている歌の中に出てくる単語を引き継いで自分の歌にもってきてリードを奪うという、いわば歌のしりとりをやっていくのだ。例えばお題が“80年代女性シンガー”というお題が出ればそれをもとに即興で歌っていくのだ。もし途中で歌えなかったり、80年代女性シンガーの歌ではなかったり、引き継いだ単語が違っていたりすればそこで“CUT OFF!!”となって負けになるというルール。映画を観ていたらみんなバンバン歌っているので簡単そうに見えるが、これはものすごくハイレベルな争いをしている。その歌の歌詞をちゃんと覚えておかないといけないし、相手が歌っている歌も当然知っておかなければならないし、音楽そのものの知識も豊富でなければならないし、そしてそれを即興で歌っていかなければならない。これはめちゃくちゃレベル高い争いである。
主人公は最初、他のメンバーや先輩たちとも合わず、まったく協調性がないのだが、後半に非常に重要になってくる映画が出てくるのだが、それが『ブレックファスト・クラブ』という1985年の映画があるのだが、それを観た主人公がそこからチームワークを立て直していくのだが、この『ブレックファスト・クラブ』についてなんの説明もないまま話が進んでいってしまうので、『ブレックファスト・クラブ』を知らない人は、なんでそこから主人公は変わっていくのか、というのがわからないのである。というかわざわざ説明しなくてもわかるでしょ、という感じかもしれない。それくらいアメリカでは有名な作品だということである。ということで恥ずかしながら私も観たことがなかったので、さっそく取り寄せして観てみたらこっちもすごかった(笑)。簡単に説明するとこの映画はとある高校が舞台で、アメリカで初めてスクール・カーストの存在を暴露したすごい映画なのである。土曜日に問題を起こした生徒たち5人が集められて、帰る時間までに図書館にこもって作文を書けと先生から言われる。そこに集められたのがそのスクール・カースト、ヒエラルキーの頂点にいる金持ちのモテモテの女の子、同じく頂点にいるレスリング部のキャプテンの男の子、いじめられっ子のオタクの男の子、暗くて友達がいない女の子、そして周りから怖がられている不良の男の子が集められる。アメリカの学校にはクラスがなく、友達と集まるとなればスポーツマンはスポーツマン同士で、オタクはオタク同士で、みたいな感じにカテゴリーで集まり、違うグループとは互いに話をしないのである。でもそこではじめてバラバラの子たちが集まり、互いの悩みを打ち明けあって互いを知っていくという話なのである。でもこれがアメリカに衝撃を与えた作品だったのだ。アメリカっていうのは自由と平等とかいっているくせに、学校ですら階級があるのかと。全然平等じゃねぇよと。アメリカのタブーを暴いてしまった作品なのだ。図書館に集められた生徒たちは喧嘩をしたり、言い争いをしたり、涙を流しながら心にあるものを打ち明けていく。そして互いを知っていく。そしてその図書館で“友達”になっていく。でもそこで言うのだ。「月曜日の朝、学校で会っても、廊下ですれ違っても、」互いを無視するのかな」って。でも、「それはやめようよ」と。「もし廊下ですれ違ったら声をかけてくれないか」、という話をして、それがこの『ブレックファスト・クラブ』の主題歌になっている『Dont' You』という歌になっている。「道ですれ違ったら声をかけてくれる?僕のことを忘れないでね。去っていっても僕の名前を呼んでくれないか」っていう歌なのだ。それがこの『ピッチ・パーフェクト』の主人公が観るのだ。そしてこの『Don't You』と最近のジェシー・Jのヒット曲の『Price Tag』をマッシュアップしてアカペラで歌うシーンが出てくる。もうこのシーンはちょーサイコーで、だれもが予想できるちょー王道パターンではあるが、涙が勝手に流れてきてしまうのだ。歌の力を感じるのだ。様々な人種が集まって、みんな何かを背負って生きている。それでも私たちは前に進んでいくのだとそんなメッセージにも聞こえる。本当にすばらしい映画だと思った。日本では絶対にできない下品なネタも満載である。これも私はすごいと思っていて、下品の限界がないのがアメリカである。すごいよ本当に。『ピッチ・パーフェクト2』では当時大統領だったオバマ大統領が冒頭に登場するのだが、これがゲロシーンよりもすごいことになってしまう(笑)。とにかくすごい(笑)。観ていて本当に元気になる映画であるし、歌ってやっぱりいいなーと思わせてくれるすばらしい作品である。もし余裕があれば『ブレックファスト・クラブ』もおススメである。こちらも私は泣いてしまった(笑)。今回紹介した映画は、珍しく誰も死なないかもしれません。
今回『ピッチ・パーフェクト』という映画を紹介したい。これは全部で3作品あるのだが、3作目はまだソフト化されておらず、アメリカではすでに販売されている。この作品は2012年公開なのだが、1作目はヒットはしたのだが、そこまでヒットはしなかった。そのせいで日本で当時公開されなかった。2作目のときにこれが爆発的ヒットとなり、そのとき公開されていた『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』をヒットチャートから引きずり下ろし、そして同日に公開された『マッド・マックス/怒りのデスロード』の倍近くの興行収入をあげたとんでもない作品である。その影響もあり、やっと1作目が日本で公開され、ソフト化もされた。日本の映画会社が大作で30憶40億のヒットを狙う以外は中規模な5億円くらい稼ぐ映画はわざわざ公開しなくなったのである。外れたらお金を捨てることになるので、大物狙いになってしまっている状態である。なのでこういう映画も見捨てないでほしいと心から願うばかりである。この映画がなぜ世界的に広がっていったのかというと、これはYouTube絡みで、『Cups』というこの映画で出てくる歌がめちゃくちゃ流行ったのである。プラスチックのコップを使ってそれをテンポをとったりしてパフォーマンスをするのだが、日本では映画は公開されなかったがこの『Cups』というか、このパフォーマンス、遊びは浸透したのである。そうやってどんどん世界に広がっていったのである。
まず、『ピッチ・パーフェクト』の意味であるが、“Perfect Pitch”ということばがあるのだが、これは“絶対音感”という意味で、『ピッチ・パーフェクト』は“音程が完璧”、“絶対に外さない”などの意味がある。主人公が大学に入学していろいろあってアカペラ部に入部することになり、それで全国大会を目指すという内容である。そのアカペラ部はみんなバラバラでめちゃくちゃでもうダメダメなんだが、アカペラを通じて一つになっていくというもう映画を観なくても結果の想像がついてしまうちょーベタな映画である。と、カッコつけて上から目線で言ってはみたものの、ここで言っておかなければならないことがある。というか白状しなければならないことがある。それは・・・、はい・・・、すみません、・・・泣いてしまいました(笑)。ちょっと、もう、感動してしまったのである。ありきたりな内容なのだが、すばらしい映画だと思った。ただただそのアカペラ、歌によって感動したのではなく、この映画は全編通じて下ネタが満載の映画なのだ。映画冒頭のゲロシーンから始まり、そのアカペラ部に集まったメンバーが、黒人の子はレズビアンでメンバーにいた女の子の体をすっと触ってるし、ソプラノの女の子はいわゆるヤリマンの子で、ずっとセックスばっかり考えてきたり、アジア系の子は声が小さくて全然聞こえなかったりともうみんなめちゃくちゃなのだ。そしてエイミーという太った女の子もメンバーにいるのだが、この子は自分のことを“FAT AMY”と言って“デブのエイミー”と自分でいうのである。その理由は、痩せた女の子に陰でコソコソデブって言われる前に先に自分で言っておくのよ、というもの。すばらしいとしか言いようがない。本当にカッコいいと思う。この映画の中で、他のアカペラ部たちとアカペラバトルをするシーンがあるのだが、これを“Riff Off”といい、与えられたお題(縛り)をもとに即興で歌っていき、相手が歌っている歌の中に出てくる単語を引き継いで自分の歌にもってきてリードを奪うという、いわば歌のしりとりをやっていくのだ。例えばお題が“80年代女性シンガー”というお題が出ればそれをもとに即興で歌っていくのだ。もし途中で歌えなかったり、80年代女性シンガーの歌ではなかったり、引き継いだ単語が違っていたりすればそこで“CUT OFF!!”となって負けになるというルール。映画を観ていたらみんなバンバン歌っているので簡単そうに見えるが、これはものすごくハイレベルな争いをしている。その歌の歌詞をちゃんと覚えておかないといけないし、相手が歌っている歌も当然知っておかなければならないし、音楽そのものの知識も豊富でなければならないし、そしてそれを即興で歌っていかなければならない。これはめちゃくちゃレベル高い争いである。
主人公は最初、他のメンバーや先輩たちとも合わず、まったく協調性がないのだが、後半に非常に重要になってくる映画が出てくるのだが、それが『ブレックファスト・クラブ』という1985年の映画があるのだが、それを観た主人公がそこからチームワークを立て直していくのだが、この『ブレックファスト・クラブ』についてなんの説明もないまま話が進んでいってしまうので、『ブレックファスト・クラブ』を知らない人は、なんでそこから主人公は変わっていくのか、というのがわからないのである。というかわざわざ説明しなくてもわかるでしょ、という感じかもしれない。それくらいアメリカでは有名な作品だということである。ということで恥ずかしながら私も観たことがなかったので、さっそく取り寄せして観てみたらこっちもすごかった(笑)。簡単に説明するとこの映画はとある高校が舞台で、アメリカで初めてスクール・カーストの存在を暴露したすごい映画なのである。土曜日に問題を起こした生徒たち5人が集められて、帰る時間までに図書館にこもって作文を書けと先生から言われる。そこに集められたのがそのスクール・カースト、ヒエラルキーの頂点にいる金持ちのモテモテの女の子、同じく頂点にいるレスリング部のキャプテンの男の子、いじめられっ子のオタクの男の子、暗くて友達がいない女の子、そして周りから怖がられている不良の男の子が集められる。アメリカの学校にはクラスがなく、友達と集まるとなればスポーツマンはスポーツマン同士で、オタクはオタク同士で、みたいな感じにカテゴリーで集まり、違うグループとは互いに話をしないのである。でもそこではじめてバラバラの子たちが集まり、互いの悩みを打ち明けあって互いを知っていくという話なのである。でもこれがアメリカに衝撃を与えた作品だったのだ。アメリカっていうのは自由と平等とかいっているくせに、学校ですら階級があるのかと。全然平等じゃねぇよと。アメリカのタブーを暴いてしまった作品なのだ。図書館に集められた生徒たちは喧嘩をしたり、言い争いをしたり、涙を流しながら心にあるものを打ち明けていく。そして互いを知っていく。そしてその図書館で“友達”になっていく。でもそこで言うのだ。「月曜日の朝、学校で会っても、廊下ですれ違っても、」互いを無視するのかな」って。でも、「それはやめようよ」と。「もし廊下ですれ違ったら声をかけてくれないか」、という話をして、それがこの『ブレックファスト・クラブ』の主題歌になっている『Dont' You』という歌になっている。「道ですれ違ったら声をかけてくれる?僕のことを忘れないでね。去っていっても僕の名前を呼んでくれないか」っていう歌なのだ。それがこの『ピッチ・パーフェクト』の主人公が観るのだ。そしてこの『Don't You』と最近のジェシー・Jのヒット曲の『Price Tag』をマッシュアップしてアカペラで歌うシーンが出てくる。もうこのシーンはちょーサイコーで、だれもが予想できるちょー王道パターンではあるが、涙が勝手に流れてきてしまうのだ。歌の力を感じるのだ。様々な人種が集まって、みんな何かを背負って生きている。それでも私たちは前に進んでいくのだとそんなメッセージにも聞こえる。本当にすばらしい映画だと思った。日本では絶対にできない下品なネタも満載である。これも私はすごいと思っていて、下品の限界がないのがアメリカである。すごいよ本当に。『ピッチ・パーフェクト2』では当時大統領だったオバマ大統領が冒頭に登場するのだが、これがゲロシーンよりもすごいことになってしまう(笑)。とにかくすごい(笑)。観ていて本当に元気になる映画であるし、歌ってやっぱりいいなーと思わせてくれるすばらしい作品である。もし余裕があれば『ブレックファスト・クラブ』もおススメである。こちらも私は泣いてしまった(笑)。今回紹介した映画は、珍しく誰も死なないかもしれません。
2018年6月15日金曜日
ヤダなぁー(笑)
今個人的に仕事がうまくいっておらず、全てにおいて悪循環になってしまっている。今のこの状態を考えると以前働いていた会社を思い出してしまう。ということでここで言いたいことすべてブチまけてしまおうと思ったのだが、なにかでいろいろと面倒なことになってしまうのはそれはそれで面倒なのでその“とき”がきたら言おうと思う。仕事はヤダなぁー。
夏はもうすぐだといろいろ言っているが地獄は年がら年中真夏だ!!
暑いときはコーラのガブ飲みで乗り切ってしまえ!!
どんなことがあってもそいつの人格否定をするのは絶対に間違いだ!!
イヤなことがあったらヤケクソ笑いで忘れるぞ!!
どんなときでもコーラ片手に地獄のハイウェイを突っ走る!!
それいけ!!ジェノサイド!!
地獄の底から愛を叫ぶのだ!!
夏はもうすぐだといろいろ言っているが地獄は年がら年中真夏だ!!
暑いときはコーラのガブ飲みで乗り切ってしまえ!!
どんなことがあってもそいつの人格否定をするのは絶対に間違いだ!!
イヤなことがあったらヤケクソ笑いで忘れるぞ!!
どんなときでもコーラ片手に地獄のハイウェイを突っ走る!!
それいけ!!ジェノサイド!!
地獄の底から愛を叫ぶのだ!!
2018年6月11日月曜日
新作情報、そして・・・
今日は一日中家にいたのだが、というか天気が悪かったので外に出る気もなかったのである。ヤフーニュースで台風が近づいていたというのを知ってビックリしたというのが本音である。昨日から少し天気が悪くなり、気温もぐっと下がって少し肌寒くなっている。もう梅雨入りしたし、それが明ければ夏がやってくる。早いなー、と何回言えばいいのかわからないが、本当に早く感じてしまう。
先ほどまたまたヤフーニュースを見ていて入ってきたニュースであるが、私が大好きなコミック、映画の『キックアス』のリブートが制作される可能性が浮上してきたみたいだ。今コミックの方で新しい『キックアス』が始まっており、おそらくそっちの方の映画化になるのではないかと思う。そしてヒットガールの単独映画もつくられる可能性があるとのことである。こっちの方はどういった内容なのかはあまりわからないが、ヒットガールになるまでの話か、もしくは大人になった姿は描かれるのではないかということである。どちらにせよ、ファンであるわたしにとってはすこぶるうれしいニュースである。そして『キングスマン』の続編、そしてスピンオフが複数つくられるというニュースも。続編の方はエグジーとハリーの物語の最終章になると言われている第3弾の作成、そして同時期に1900年代初頭のスパイ組織を描くスピンオフ作品、そして“ステイツマン”のスピンオフ作品もつくられる可能性があるとのこと。これらのニュースは監督のマシュー・ヴォーン監督が話をしている。また来週くらいには新しい情報が出るのではないかと思う。もし本当にこれらの作品がつくられたらすごいね。すごすぎるね。ヒットガールの方は前回同様クロエ・グレース・モレッツが演じてほしいのだが、もしかしたらこの可能性は低いのではないかなと思う。でも違う女優になったとしてもとにかく新しい作品がつくられることを願いたい。そしてつくられるのであればコミックばりにバイオレンス描写をブチ込んで映画バージョンというテイストを入れた作品にしてほしい。どんな作品をつくろうとも誰かは絶対文句言ったり批判するのだから、それだったらとんでもなくすごい作品にしてほしい。それがこの『キックアス』そのもののよさである。倫理とかモラルだとかそういうものにケリを入れてくれるのがこの作品たちである。とにかく新しい情報が出るのを待ちたい。
なにかイヤなことや辛いこと、しんどいこと、悲しいこと、疲れてしまうこと、そんなことがあっても私は映画に救われている。現実逃避しているだけだろと言われれば確かにその通りかもしれない。でもそうとも言い切れない。映画を観ていて勉強すること、学ぶことは山ほどある。新しい発見なんて毎回である。観たことがない作品を観ると自分の世界が広がる。そして自分の中にあるイライラやもどかしさ、やりきれない感情、言い辛いこと、そんなことを映画の中だけかもしれないが遠慮なく徹底的にやってくれること。そして気が付けば気分が楽になっていること。スッキリしていること。もっといえば命を救ってくれているということ。他の人が観れば何とも思わないようなシーン、なんともないような一言でも、私は気が付けば涙が頬を流れていることがある。現実では絶対にできない、やってはいけないことを、どれだけ残酷なバイオレンス描写でも、そういったものがどれだけ多くの人間の命を救っていることか。どれだけ多くの人間を勇気づけ、奮い立たせてきたか。私もその一人である。はっきりと口で説明できない表現できないわだかまりや怒り、イライラ、苦しみ、生き辛さ、息苦しさ、それはこの世界なのか時代なのか社会なのか街なのか環境なのか周囲なのか周りからくる圧力なのか。そんな訳の分からない手ではつかめない煙のようなものに押し潰されそうになることもある。わけもわからず涙を流すこともある。でも、映画が、そんな“ヤツら”との闘い方を、闘う技を教えてくれる。ときには知恵をヒントをこっそりと置いていってくれる。ときには遠慮なく皆殺ししてくれる。それが助けてくれるんだよ、私を。そしてこれからもこの先も私は何度でも救われ、何度でも奮い立たせてくれるだろう。手を差し伸べてくれるだろう。背中を押してくれるだろう。殴ってくれるしケリも入れてくれるだろう。この発狂し、腐り切った、希望のかけらもない絶望の世界を時代を走り抜く、生き抜くエンジンを、ガソリンを、ハンドルを、映画は用意してくれる。そして、そのマシンを操るのは紛れもない自分自身なのだ。
先ほどまたまたヤフーニュースを見ていて入ってきたニュースであるが、私が大好きなコミック、映画の『キックアス』のリブートが制作される可能性が浮上してきたみたいだ。今コミックの方で新しい『キックアス』が始まっており、おそらくそっちの方の映画化になるのではないかと思う。そしてヒットガールの単独映画もつくられる可能性があるとのことである。こっちの方はどういった内容なのかはあまりわからないが、ヒットガールになるまでの話か、もしくは大人になった姿は描かれるのではないかということである。どちらにせよ、ファンであるわたしにとってはすこぶるうれしいニュースである。そして『キングスマン』の続編、そしてスピンオフが複数つくられるというニュースも。続編の方はエグジーとハリーの物語の最終章になると言われている第3弾の作成、そして同時期に1900年代初頭のスパイ組織を描くスピンオフ作品、そして“ステイツマン”のスピンオフ作品もつくられる可能性があるとのこと。これらのニュースは監督のマシュー・ヴォーン監督が話をしている。また来週くらいには新しい情報が出るのではないかと思う。もし本当にこれらの作品がつくられたらすごいね。すごすぎるね。ヒットガールの方は前回同様クロエ・グレース・モレッツが演じてほしいのだが、もしかしたらこの可能性は低いのではないかなと思う。でも違う女優になったとしてもとにかく新しい作品がつくられることを願いたい。そしてつくられるのであればコミックばりにバイオレンス描写をブチ込んで映画バージョンというテイストを入れた作品にしてほしい。どんな作品をつくろうとも誰かは絶対文句言ったり批判するのだから、それだったらとんでもなくすごい作品にしてほしい。それがこの『キックアス』そのもののよさである。倫理とかモラルだとかそういうものにケリを入れてくれるのがこの作品たちである。とにかく新しい情報が出るのを待ちたい。
なにかイヤなことや辛いこと、しんどいこと、悲しいこと、疲れてしまうこと、そんなことがあっても私は映画に救われている。現実逃避しているだけだろと言われれば確かにその通りかもしれない。でもそうとも言い切れない。映画を観ていて勉強すること、学ぶことは山ほどある。新しい発見なんて毎回である。観たことがない作品を観ると自分の世界が広がる。そして自分の中にあるイライラやもどかしさ、やりきれない感情、言い辛いこと、そんなことを映画の中だけかもしれないが遠慮なく徹底的にやってくれること。そして気が付けば気分が楽になっていること。スッキリしていること。もっといえば命を救ってくれているということ。他の人が観れば何とも思わないようなシーン、なんともないような一言でも、私は気が付けば涙が頬を流れていることがある。現実では絶対にできない、やってはいけないことを、どれだけ残酷なバイオレンス描写でも、そういったものがどれだけ多くの人間の命を救っていることか。どれだけ多くの人間を勇気づけ、奮い立たせてきたか。私もその一人である。はっきりと口で説明できない表現できないわだかまりや怒り、イライラ、苦しみ、生き辛さ、息苦しさ、それはこの世界なのか時代なのか社会なのか街なのか環境なのか周囲なのか周りからくる圧力なのか。そんな訳の分からない手ではつかめない煙のようなものに押し潰されそうになることもある。わけもわからず涙を流すこともある。でも、映画が、そんな“ヤツら”との闘い方を、闘う技を教えてくれる。ときには知恵をヒントをこっそりと置いていってくれる。ときには遠慮なく皆殺ししてくれる。それが助けてくれるんだよ、私を。そしてこれからもこの先も私は何度でも救われ、何度でも奮い立たせてくれるだろう。手を差し伸べてくれるだろう。背中を押してくれるだろう。殴ってくれるしケリも入れてくれるだろう。この発狂し、腐り切った、希望のかけらもない絶望の世界を時代を走り抜く、生き抜くエンジンを、ガソリンを、ハンドルを、映画は用意してくれる。そして、そのマシンを操るのは紛れもない自分自身なのだ。
2018年6月7日木曜日
ブルックリンの紹介??
今回はリクエストにお応えしてアメリカのニューヨーク州の一部であるブルックリンという街を紹介しようと思い、紹介するといっても画像中心の紹介にしようと思っていたのだが、なんとブルックリンの画像があんまりなかったのである!!(笑)ここを強く主張しても全くなんの解決にもならないわけではあるが、私は今まで3回ほど、というか3回アメリカのニューヨークに行ったことがある。このブログでもイヤっちゅう程話をしているので今更の話にはなってしまうが。ニューヨークといってもこれは詳しく言えばニューヨーク市で、市はマンハッタン、ブロンクス、クイーンズ、ブルックリン、スタテンアイランドの区に分かれている。ニューヨークといえば多くの人が思い浮かぶのがマンハッタンのことである。マンハッタンとブルックリンを繋いでいる橋があるのだが、これがブルックリン橋という橋でアメリカで最古の石橋である。これはものすごく有名な橋で見ればすぐにわかる。映画にも何度も登場するし、いつも多くの人が利用している。もちろん観光客も山ほどいる。それを渡ったらブルックリンという街に入る。最近ブルックリンは開発が進み、私はここ数年行っていないので想像以上に進んでいるだろうと思われる。3回ニューヨークに来ているし、毎回このブルックリンの地を踏んでいるのだが、まともに歩いたことはあまりないので、今度行ったときはもう少しちゃんとこの街を歩いてみなければならない。私がニューヨーク・ワシントン旅を計画していた時に高校時代の恩師にいろいろ相談していたのだが、マンハッタンは宿泊費などがバカ高いのでブルックリンにしてみたらどうや?とアドバイスをいただいたのである。そしてマンハッタンに走っている地下鉄がそのままブルックリンにも走っているので不便さは全くないと。でも私は結局3回ともマンハッタン内のホテルに泊まることにしたのだが。マンハッタンは常にバタバタしていて、落ち着きが全くない。何もかもが騒々しい。私はこの雰囲気が大好きなのだが。この雰囲気を感じるためにマンハッタンに来ているようなものである。でも橋を渡ってブルックリンに入ると急に雰囲気が変わり、静かな街並みが続く。静かといっても街は街で、畑が続くというわけではない。私はいつもブルックリン橋を渡って少し街を歩いて、マンハッタンの高層ビル群が見渡せる川沿いの公園があり、そこのベンチに座ってぼーっとするのが恒例である。そこからマンハッタンの騒々しい音が遠くに聞こえるのである。これもいいんだなー。以前紹介した映画でアン・ハサウェイとロバート・デニーロの『マイ・インターン』がこのブルックリンが舞台の映画である。この映画でちらちら映る街並みが非常に美しい街並みなのである。で、で!で!、その街並みを写真で紹介しようと思い、過去3回分の写真を調べてみたらほとんどないではないか!!WHAT THE FUCK!?なんで撮ってねぇーんだよ!!と過去の自分に言っているところであるが、過去の写真を観ながら、そういえばこの時はこんな状態だったなぁーなど当時の心理的体力的状況が蘇ってきて、まぁーしゃーないか、という結論に至ったのである。終わりかい!!(笑)
1回目のニューヨークで歩いてブルックリン橋を渡り、 途中で降りる階段があったがここで降りてもいいのかわからず、橋を最後まで渡ったのだがこれが本当に遠回りで、それでめちゃくちゃ疲れてしまって行きたかった公園にはたどり着けず、というか行く元気が全くなかった。ここまでが限界の場所であった(笑)。
2回目で、今度は反対方向に来てしまい、というかこの橋周辺を簡単に行き来できるのかなと思っていたが、確か反対方向に行くにはまた遠回りしなければならなかったような気がする?それでまたまた体力が持たず、このときはここで限界(笑)。
3回目で、今回はまっすぐ目的地へ行こうと思い、何も考えずに目的地の公園へ。その途中にちらっときれいな街並みがあったのでそれを写真に収めたのである。以前にもこのブログで載せていた画像もあるはずであるが、改めてここで紹介する。
3回目の正直というのか、やっとの思いでこの景色を見ることができた、ということである(笑)。
2回目で、今度は反対方向に来てしまい、というかこの橋周辺を簡単に行き来できるのかなと思っていたが、確か反対方向に行くにはまた遠回りしなければならなかったような気がする?それでまたまた体力が持たず、このときはここで限界(笑)。
3回目で、今回はまっすぐ目的地へ行こうと思い、何も考えずに目的地の公園へ。その途中にちらっときれいな街並みがあったのでそれを写真に収めたのである。以前にもこのブログで載せていた画像もあるはずであるが、改めてここで紹介する。
3回目の正直というのか、やっとの思いでこの景色を見ることができた、ということである(笑)。
友人と東京をグルグル
どうやらここ東京というか関東地方も梅雨入りしたらしい。というか気が付いたら6月になっているではないか。早いなぁ~。ついこの間まではまだまだちょっと肌寒いなと思っていたが、最近はかなり暑くなってきている。6月であるからもう夏の初めである。ついでにお中元時期に突入し、仕事の方も落ち着く暇もなく繁忙期に入り、これからますます忙しくなる。いろんな意味でもう大変である。最近もいろいろと最新映画が公開されているが、なんせ金欠状態で映画館に行くお金ですら大金と感じてしまうこの頃である。私の大好きな“ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー”が出ている『アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー』も観に行こうと思っていたが、結局行けなくなってしまった。6月になって『デッドプール2』も公開され、それも行きたいのだが、なかなか腰が持ち上がらないのである。映画は映画館で観るのが一番なのだが・・・。と言いながらDVDやブルーレイはちょくちょく買ってしまっている。最近はできるだけ買わないように?しているのだが、それでも観てみたい、観なければならないと思った作品は購入している。それもあり、映画館になかなか行けないのである。『デッドプール2』はかなり行きたい。
先日、といってもかなり前になってしまったが、久しぶりに友人と遊んだのである。その日は天気が悪く、最初は傘なしでも大丈夫であったが、だんだん雨が強くなってきて夕方くらいからは土砂降りであった(ような気がする)。その日は私が行きたいところが何か所かあり、まずそこからグルグル回り始めた。まずはこれも映画関係からで原宿にあるとあるアーティストの公式ショップがあり、そこに行ってみた。ここはなかなか最初に一人では入り辛いところで、友人がいて本当に助かった(笑)。気になっていたポスターとビジュアル本を購入し、本当はポスターをもう2枚とフィギュアも欲しかったのだが、もう一度言うが金欠でそれは次の機会に回すことにした。そこでも店員さんといろいろ話ができていろんな情報を得ることができた。そして店員さんの対応もすごく良くてまた来たいと思ったのである。というかまた行かなければならない。その次は原宿から歩いて渋谷の方へ行き、私の好きな映画監督の一人のデヴィッド・リンチ監督が作っている?監修している?コーヒーが飲めるカフェに行ったのである。そもそもデヴィッド・リンチ監督はコーヒーが大好きでコーヒーばっかり飲んでいたら監督の友人が「そんなにコーヒーが好きだったら自分で作ってみたら?」というのが事の始まりで、自分の家の庭でコーヒーを栽培し始めたのがきっかけである。この渋谷のカフェにわざわざ来なくても、ネットで調べればこのリンチ監督のコーヒー豆はすぐ手に入れることができる。しかし、私は7コーヒーメーカー?がないので、豆を買えばメーカーも買わなければならないので、買えば買えばで飲むようになるかもしれないが、面倒臭がって結局飲まなくなってしまうとそれももったいないので、とりあえず味だけは知りたかったのでこのカフェに来てみたのである。私はコーヒープラスチェリーパイも一緒に食べた。これはもう『ツイン・ピークス』を知っている者は王道中の王道である。このカフェはリンチ監督関係中心のカフェでそれ以外の映画資料やグッズも置いていた。私の隣に座ったカップルの男性が持っていた財布が映画『パルプ・フィクション』のジュールズが持っている“BAD MOTHER FUCKER”と書かれてある財布を持っていて、私の中では大爆笑だったのである。この人も映画が好きなんだなぁーと思った。そのあと秋葉原へ行って私がアメコミ専門店に行き、この前買った『HIT GIRL』の同じものをもう一冊欲しかったのだが、同じ表紙のものは売り切れだったみたいで置いていなかった。残念。そのあと友人がサバゲーグッズが売っているお店に行き、友人が見てみたかったガンが置いていなかったので、ここでもあきらめることに。そのあと地下鉄に乗って日比谷へ行き、先日オープンした東京ミッドタウン日比谷へ行ってみた。オープンしてそれほど日数が経っていなかったということもあるのか、雨だからみんな屋内に避難しているのかたくさんの人でごった返していた。ここはあまりおもしろいものは見つからず。歩いて銀座へ行き、ギンザシックスに行き、ここでも目当てのものは見つからず、また歩いて東京駅の方へ向かったのである。途中にアウトドアショップに立ち寄り、ここでは友人が一つ買いものをし、また歩いて神田まで向かい、ご飯を食べて電車で東京駅に戻り、一緒に電車に乗って新宿駅で解散したのである。この日もいろんなところを回った。雨が降っていたので余計な体力を使ってしまったような感じがした。今度は晴れている日に会いたい。久しぶりに街を歩いていい気分転換になったのである。
先日、といってもかなり前になってしまったが、久しぶりに友人と遊んだのである。その日は天気が悪く、最初は傘なしでも大丈夫であったが、だんだん雨が強くなってきて夕方くらいからは土砂降りであった(ような気がする)。その日は私が行きたいところが何か所かあり、まずそこからグルグル回り始めた。まずはこれも映画関係からで原宿にあるとあるアーティストの公式ショップがあり、そこに行ってみた。ここはなかなか最初に一人では入り辛いところで、友人がいて本当に助かった(笑)。気になっていたポスターとビジュアル本を購入し、本当はポスターをもう2枚とフィギュアも欲しかったのだが、もう一度言うが金欠でそれは次の機会に回すことにした。そこでも店員さんといろいろ話ができていろんな情報を得ることができた。そして店員さんの対応もすごく良くてまた来たいと思ったのである。というかまた行かなければならない。その次は原宿から歩いて渋谷の方へ行き、私の好きな映画監督の一人のデヴィッド・リンチ監督が作っている?監修している?コーヒーが飲めるカフェに行ったのである。そもそもデヴィッド・リンチ監督はコーヒーが大好きでコーヒーばっかり飲んでいたら監督の友人が「そんなにコーヒーが好きだったら自分で作ってみたら?」というのが事の始まりで、自分の家の庭でコーヒーを栽培し始めたのがきっかけである。この渋谷のカフェにわざわざ来なくても、ネットで調べればこのリンチ監督のコーヒー豆はすぐ手に入れることができる。しかし、私は7コーヒーメーカー?がないので、豆を買えばメーカーも買わなければならないので、買えば買えばで飲むようになるかもしれないが、面倒臭がって結局飲まなくなってしまうとそれももったいないので、とりあえず味だけは知りたかったのでこのカフェに来てみたのである。私はコーヒープラスチェリーパイも一緒に食べた。これはもう『ツイン・ピークス』を知っている者は王道中の王道である。このカフェはリンチ監督関係中心のカフェでそれ以外の映画資料やグッズも置いていた。私の隣に座ったカップルの男性が持っていた財布が映画『パルプ・フィクション』のジュールズが持っている“BAD MOTHER FUCKER”と書かれてある財布を持っていて、私の中では大爆笑だったのである。この人も映画が好きなんだなぁーと思った。そのあと秋葉原へ行って私がアメコミ専門店に行き、この前買った『HIT GIRL』の同じものをもう一冊欲しかったのだが、同じ表紙のものは売り切れだったみたいで置いていなかった。残念。そのあと友人がサバゲーグッズが売っているお店に行き、友人が見てみたかったガンが置いていなかったので、ここでもあきらめることに。そのあと地下鉄に乗って日比谷へ行き、先日オープンした東京ミッドタウン日比谷へ行ってみた。オープンしてそれほど日数が経っていなかったということもあるのか、雨だからみんな屋内に避難しているのかたくさんの人でごった返していた。ここはあまりおもしろいものは見つからず。歩いて銀座へ行き、ギンザシックスに行き、ここでも目当てのものは見つからず、また歩いて東京駅の方へ向かったのである。途中にアウトドアショップに立ち寄り、ここでは友人が一つ買いものをし、また歩いて神田まで向かい、ご飯を食べて電車で東京駅に戻り、一緒に電車に乗って新宿駅で解散したのである。この日もいろんなところを回った。雨が降っていたので余計な体力を使ってしまったような感じがした。今度は晴れている日に会いたい。久しぶりに街を歩いていい気分転換になったのである。
2018年6月1日金曜日
どう捉えるか
先日『ハート・ロッカー』という映画を観たのである。この映画は2008年の映画でアカデミー賞で9部門でノミネートされ、6部門受賞した作品である。この作品の監督はキャスリン・ビグローという女性監督である。女性監督が初めてアカデミー賞監督賞を受賞した監督である。なぜこの映画を観ようと思ったかというと、この映画に対する評価がみんなそれぞれ全然違うということで、評論家たちも評価が全然違っているということですごく興味を持ったのである。評価というよりも主人公の内的思考、思い、考え、といった方がいいかもしれない。『ハート・ロッカー』は戦争映画で、“棺桶”や“苦痛の極限地帯、極限状態”といった意味がある。今思ったのが、話が脱線してしまうが最近戦争映画をよく観るようになった。最近といっても私が大学を卒業して以来くらいである。小学生や中学生、高校生のときは戦争映画と聞くと「戦争映画はええわー」と拒絶していたのである。そもそも戦争映画に興味がなかったからかもしれない。その反対に私の友人は小学生のときから『プライベートライアン』などの戦争映画をよく観ていた。そしてその友人は『ロボコップ』も好きで、私は『ターミネーター』であった。今思えば完全に友人の方が“オトナ”であった。今私がそれを追いかけている状態になっている。「戦争映画は自分には関係ない」と思っていたのかもしれない。その時点で私の思考は完全に止まっていた。戦争は自分の生活とかけ離れている遠い存在と思っていたがそれは間違いで、日々身近に行われていることが戦争につながっていたり、加担していたりすることもある。そして登場人物の心理が日々の日常での心理にすごく貴重なヒントになるのである。この状況に自分はどう決断するのか。どういう答えを導き出すのか。戦争映画はただ戦争の悲惨さを教えてくれるだけではないということである。この『ハート・ロッカー』はそれを改めて強く思ったのである。私は戦争映画に詳しくなく、友人の方が圧倒的に詳しいと思うが、私が戦争映画でおススメするのは『プライベートライアン』、『アメリカン・スナイパー』、『ハクソーリッジ』である。これらは同じジャンルの戦争映画という類いだが、訴えてくるものはみんな全然違う。そして今回の『ハート・ロッカー』もこれらの作品とは全然違うのである。本当によくできたすごい作品だと思う。
ここからはネタバレも含まれてしまうので注意していただきたい。ここでこの映画具体的な内容やストーリーを描いてもいいのだが、長くなってしまうため今回は省略する。評論家でも意見が分かれているこの映画で一番論じられている点について私も考えてみたい。最終的に主人公のは戦場に戻っていくのだが、そのときの主人公の心理状態はどういう状態だったのか、ということである。舞台は2004年のイラクである。主人公は爆弾処理班でイラクで行われている爆弾テロによって使用される爆弾の無力化に従事しているのである。最初主人公はこのイラクに赴任してきたとき、爆弾を無力化するときに笑顔を見せたり、他の兵隊が動揺しているとき主人公は冷静に対処したりと、自分が優秀であるということを暗示させているし、それ自体を楽しんでいるかのようである。しかし、自分が優秀であると思っていたが、戦場で失敗をどんどん重ねていってしまう。そもそも爆弾テロを回避できずに仲間を失ってしまったり、イラク人に対する知識が全くなかったり、イラク人の見分けも自分は全然ついていなかったり、仲間を間違って撃ってケガをさせてしまったり、とどめに爆弾そのものを解除できずにイラク人のお父さんを救えなかったりして、自分は優秀だと思っていたが自分は全く持って無力だったことを思い知らされる。倫理的限界まで追い詰められてしまう。この映画の冒頭に、“戦争は麻薬だ。戦闘状態の興奮は中毒になる”という言葉で始まる。主人公は追い詰められるが、任務終了でアメリカに帰る。そしてしばらく家族と過ごすシーンになる。しかし、主人公はまた戦場に戻ってしまうのである。なぜ主人公は戻ってしまったのか。アメリカに帰ったとき、明らかに主人公の居場所はなかった。主人公が奥さんに戦争の話をしても全く聞いてもらえなかった。そしてこの映画の冒頭に言葉にあるように、主人公は結局爆弾処理が好きだから戻っていった。戦場は思考しても意味がなく、アドレナリン・ジャンキーとして思考停止をして戻っていく、思考停止することで生き延びるという心理で主人公は戦場に戻っていったと捉えている人がいる。というかそういうふうにとらえられる余地があるとみている。確かに言いたいことはわかるのだが、私はそうは思わなかった。というかこの評価の全く逆である。主人公は思考停止の状態から始まる。自分に自信があり余裕がある。しかし、失敗に失敗を重ね、自分が無力であることに気が付く。そもそもこの主人公は戦場で精神がマヒしていると言っている人もいるが本当にそうか。私は異常なほどに倫理的であろうと努力していると思う。アメリカに帰った時に、主人公に赤ちゃんがいて、その赤ちゃんに語り掛けるのだが、「このおもちゃが好きか。ママもパパも好きだろ。このパジャマも好きだろ。でも俺くらいの年になったら好きなものは一つや二つになってくる。特別だと思っていたことが特別ではなくなってくる。俺が好きなことはもう一つになってしまったよ」という。この映画の舞台はイラクだが、爆弾テロをやっているのはアメリカ人に対してではなく、イラク人に対してのテロである。そして主人公は爆弾処理ということで、爆弾を無力化することにより人々の命を救うということである。最初主人公は笑いながら爆弾を解除したりしてゲーム感覚でやっている。そのとき主人公は戦争そのものに興味はない。ただ爆弾を解除することに徹している。しかし、主人公はだんだんアメリカがイラクに対してやっていることがどれだけ酷いのかというのを知っていく。主人公は戦争で人を殺しに行っているわけではない。戦争が行われていること自体の責任は彼にはない。でもそれでも彼にでさえも責任が伸し掛かってきてしまうほどの状況なのを知る。彼は最初死をも恐れないかのように堂々と爆弾を解除していくが、失敗を重ねていくうちに自信も余裕もなくなってきて自己嫌悪に陥ってしまう。そしてとどめのシーンで、いくつもの爆弾をぐるぐるに鎖やカギで体中に巻き付けられたイラク人のお父さんが出てくるのだが、彼は必死に救おうとする。しかし、タイムリミットが迫ってきて、仲間の兵士が早く逃げろというが、彼は一人残って必死にカギを外している。でもタイムリミットが迫ってきて、主人公はそのイラク人に向かって言う。「ごめんなさい。助けられないです。本当にごめんなさい」と。完全な敗北である。これはイラク、そしてアメリカが置かれている状況を表している。主人公は最初は死ぬことなんか考えていないと言っていたが、ここで彼は逃げてしまう。最初主人公は自分サイコーと思っていたが、自分には何もできないことを思い知らされたのである。それで任務終了でアメリカに帰る。でもまた主人公は戦場に戻る。これは生き延びるために思考停止しているのか。彼は爆弾処理という最も死ぬ可能性の高いところに自ら飛び込んでいくのだ。爆弾処理ということが自分にできることなんだ。自分にできることは爆弾処理だけなんだ。自分にできることはそれだけなんだ。今自分にできるベストなことは爆弾処理なんだ。たとえそれが周りから文句言われようが、報われないことであろうが、戦争に加担していると言われようが、爆弾処理が自分の生きる意味なんだ、生きている意味なんだ。自己嫌悪に陥り、悩んで悩んで考えて考えて、タイトルにあるようにハート・ロッカー、極限地帯に戻っていくのだ。思考停止ではない。この流れは他の映画でいうと『マイレージ、マイライフ』という映画にすごく似ている。この映画も本当にすばらしい映画であった。リストラ宣告が仕事の主人公がいるのだが、その名の通りリストラを宣告しに行く仕事をしている。リストラすると決めたのは主人公ではない上のクラスの人間である。でもリストラを宣告したときに、された人は主人公に対して「お前のせいで人生がめちゃくちゃだ」、「明日からどう生きていけばいいんだ」、「殺されたも同然だ」、「ふざけるなバカヤロー」など、いろいろと言われてしまうのだが、その責任は主人公にあるわけではない。それでもその関係のない責任は主人公にのしかかってきてしまう。でもいろいろあって主人公もいろいろ悩んで考えて最終的に出した答えが、その責任を負うよ、ということである。この『ハート・ロッカー』もそうである。この今のイラクの現状をつくってしまったのはアメリカである。主人公は殺しに行くために戦場に来たわけではなく、爆弾を無力化するということでイラクの人々の命を救うことで、そのテーマそのものが反戦である。特権階級的にみられていた爆弾処理班であったが、その主人公ですらこのバカげた戦争の責任が伸し掛かってきてしまうのである。責任は紛れもないアメリカそのもであり、この現状をつくったのはアメリカであるが、全く関係のない主人公がその責任を負うよということなのだ。この映画ではミニストリーというロックバンドの音楽がかかるが、歌詞は流されない。その歌詞が反ブッシュ反イラク戦争だからだ。だから観てわかる人にはわかるし、わからない人にはわからないように作られている。というか広い表現が使われているのでどうとでも捉えられてしまう可能性があるが、このミニストリーがなかったとしても主人公の表情、行動、言葉を追っていけばこれは思考停止ではない、アドレナリン・ジャンキーではないことはわかるはずである。最後主人公はミニストリーの音楽をバックに爆弾のある方向へと歩いていく。「ブッシュこのバカげて無意味な戦争はテメーのせいだ!!」と言わんばかりに、責任を負った主人公の表情がうかがえる。自分にできる一番のことは何か、自分にできることは何か、ベストなことは何か。戦場に戻らなくても、ドロップアウトする選択もあるし、家族を選択することもできるし、それこそ思考停止して戦場で生き延びることもできるし、いろんな選択ができる。戦争があればできるだけ加担しないように、あまり関わらないようにするのが一番という人も当然たくさんいるだろう。もし私が主人公であれば私も戦場に戻ると思う。生きる意味がそこにあるから。その技術が求められているなら。それで多くの人間を救えるのなら。だったら行くよ、私も。
2018年5月17日木曜日
個人的に好きな女性キャラクター
この前だんだん暑くなってきたなーと思っていたら、また寒くなってきたのだが、ここ2,3日でまた暑くなってきた。もう5月の中旬なので、もう少したら梅雨になるんだなーと思う。本当に早いものである。
今回は私が個人的に好きな、気に入っている女性映画キャラクターを紹介していこうと思う。なぜそうしようと思ったかというと、先日ずっと観ていた『ツイン・ピークス/リターン』に登場した“ダイアン”が非常にすばらしいキャラクターで、久しぶりに強烈なインパクトのある女性を観たからである。それで今回改めて自分の好きなキャラクターを整理してみようと思ったからである。もちろん全部は紹介できないので、テキトーに思いついたのを紹介していきたい。好きな男性キャラクターは以前簡単に書いたことがあるが、それも改めてもう少し拡大して書いてみたい。ということで個人的に勝手に好きなキャラクターを紹介する。とりあえず第一弾?で、また思いついたら投稿しようと思う。
“LET'S ROCK!!!”
まずはこのすばらしい人から。この人を出さずにこの企画は成り立たない。『マッドマックス/怒りのデス・ロード』に登場するフュリオサ・ジョ・バッサ大隊長である。これほど強くて物静かで美しく、坊主が似合う女性が他にいるのか。アカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しているのだが、この映画に登場するキャラクターのほとんどがハゲじゃねーかよ!!とついついツッコんでしまったのだが、それほどすばらしいということである。ちなみに私がすきなフュリオサ大隊長のセリフが、“We fang it!!!(ぶっ潰す)”である。気合を入れるときはこのセリフ以外ない。
ちなみにこの映画ではフュリオサ大隊長以外にも美しい女性たちが登場していて、イモータン・ジョー様に囚われてしまっている女性が5人いるのだが、その中で一番好きなのがケイパブルという赤髪のキャラクターである。みんなすごく美しいのだが、私はこのケイパブルが一番好きなのである。
この2人のツーショットはサイコー過ぎる。泣いてしまう。
『マッドマックス/怒りのデス・ロード』と同じ年に公開された『ターミネーター/新起動:ジェニシス』に登場するサラ・コナーを紹介したい。この映画はシリーズもので、今までは別の女優がこのサラ役をしていたのだが、今回新しくセッティングされたのだが、このキャラクターも非常に美しかったのである。世界的な興行収入はよかったのだが、肝心のアメリカ国内でコケてしまい、もともと3部作の予定だったのだが、この『ジェニシス』で白紙になってしまったのである。みんなこの作品を悪く言うのだが、私はこの作品は大好きだしおもしろかった。そしてこの続きを観たいと思っているのだが、それは叶いそうにない。非常に残念である。
ちなみにこのサマンサが持っているプラカードだが、このシーンはオークション会場でサマンサがちょうどオークションしているシーンだが、このプラカードの番号は本当は“69”を使用したかったのだが残念ながら“69”がなかったので“969”になったのである。“69”はサマンサの番号である(笑)。
次は『スターシップ・トゥルーパーズ』に登場するディジー(ディズ)というキャラクターである。主人公はリコという青年なのだが、この主人公には彼女がいるのだが、このディズは主人公にベタ惚れしていて、何度もアプローチしていくのだが、「友達でいよう」と断られてしまう。でも、そのアプローチしていく姿が何とも言えないのである。この映画は軍事国家を描いているパロディになっていて、ものすごくカッコよく仕上がっている映画なのだが、実はこんなのは最悪だという映画である。主人公は能力が低いということで歩兵に、主人公の彼女は宇宙船の操縦士に選ばれ、そしてディズはもともとアメフトで進んでいく道を選んでいたが、遅れてリコがいる歩兵部隊に合流したのである。そんなディズにリコは嫌悪感を抱いていたが、だんだん心を通わせるようになっていく。宇宙船内でディズがリコにサムズアップする姿やリコやディズの他に仲間合わせて4人で右腕に同じタトゥーを入れるところは本当にサイコーである。このディズもカッコよく強く美しいキャラクターなのである。
そして私のブログではおなじみの『キックアス』に登場するヒットガールである。世間的に1作目のヒットガールの方が人気があるのだが、私は1作目も好きだが2作目の『キックアス/ジャスティス・フォーエバー』のヒットガールの方が好きである。1作目に登場したヒットガールは小学生の年齢なのに放送禁止用語連発で公開当時は大問題になっていたが、それがこの映画のいいところであり魅力的なところである。映画だけでなくコミック版も大好きで、映画版よりもコミック版の方がより陰湿で過激で残酷に描かれている。ヒットガールが言うセリフはほとんどスラングで、これはコミック版からだが、“We need to hurt this fucker down and make him wish his dad had finished on his mother's tits. We need to hit him hard and fast and send a message to these cocksuckers that New York's superheroes are not to be fucked with(あのクソ野郎にパパがママに中出ししたのが間違いだったと思い知らせてやる。徹底的に喰らわせてやる。ヒーローを甘く見るとどうなるか、骨のズイまで叩き込んでやるわ).”っていうことを普通に言うのだが、小学生がそんなこと言うわけないやろと言いたくなるのだが、それほど魅力的で強くてカッコいいのがヒットガールである。
次は『キングスマン』シリーズに登場するロキシーである。残念ながら2作品目の『ゴールデン・サークル』では見せ場があまりないのだが、非常に美しい女性というのか私がカワイイと思うキャラクターである。本当はもっともっと出番を増やしてほしかったのだが、あんなことに?なってしまったのでついつい涙が出てしまう。“FUCK”も使ってくれているので私の中では非常に気に入っているのである。ランスロットとしてもっと活躍してほしかったのになー。
初めにも書いたが、今回改めて整理してみようと思わせてくれたのが『ツインピークス/リターン』に
登場したダイアンである。ドラマシーズン1、シーズン2ではクーパー捜査官が録音機に向かっていつも語り掛けるのだが、そのときに必ず“ダイアン”と呼びかけるのだ。そして今回の『リターン』でこの“ダイアン”がついに登場する。そのダイアンがもう本当にサイコーでめちゃくちゃカッコいい。ダイアンも“FUCK”を使うし、最初にも書いたが彼女の名言が飛び出すシーンが一度だけあるのだがそれが、“LET'S ROCK”である。こんなカッコいいオトナの女性が他にいるのか。ちなみに先日『ツイン・ピークス』の公式のグッズを海外のサイトから購入し、このダイアンとブルーローズのシャツを持っている。カッコよすぎるぜダイアン!!!
今回は私が個人的に好きな、気に入っている女性映画キャラクターを紹介していこうと思う。なぜそうしようと思ったかというと、先日ずっと観ていた『ツイン・ピークス/リターン』に登場した“ダイアン”が非常にすばらしいキャラクターで、久しぶりに強烈なインパクトのある女性を観たからである。それで今回改めて自分の好きなキャラクターを整理してみようと思ったからである。もちろん全部は紹介できないので、テキトーに思いついたのを紹介していきたい。好きな男性キャラクターは以前簡単に書いたことがあるが、それも改めてもう少し拡大して書いてみたい。ということで個人的に勝手に好きなキャラクターを紹介する。とりあえず第一弾?で、また思いついたら投稿しようと思う。
“LET'S ROCK!!!”
まずはこのすばらしい人から。この人を出さずにこの企画は成り立たない。『マッドマックス/怒りのデス・ロード』に登場するフュリオサ・ジョ・バッサ大隊長である。これほど強くて物静かで美しく、坊主が似合う女性が他にいるのか。アカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しているのだが、この映画に登場するキャラクターのほとんどがハゲじゃねーかよ!!とついついツッコんでしまったのだが、それほどすばらしいということである。ちなみに私がすきなフュリオサ大隊長のセリフが、“We fang it!!!(ぶっ潰す)”である。気合を入れるときはこのセリフ以外ない。
この2人のツーショットはサイコー過ぎる。泣いてしまう。
『マッドマックス/怒りのデス・ロード』と同じ年に公開された『ターミネーター/新起動:ジェニシス』に登場するサラ・コナーを紹介したい。この映画はシリーズもので、今までは別の女優がこのサラ役をしていたのだが、今回新しくセッティングされたのだが、このキャラクターも非常に美しかったのである。世界的な興行収入はよかったのだが、肝心のアメリカ国内でコケてしまい、もともと3部作の予定だったのだが、この『ジェニシス』で白紙になってしまったのである。みんなこの作品を悪く言うのだが、私はこの作品は大好きだしおもしろかった。そしてこの続きを観たいと思っているのだが、それは叶いそうにない。非常に残念である。
この映画、ドラマは何度かこのブログに紹介しているのだが、『セックスアンドザシティ』からサマンサというキャラクターを紹介したい。この映画、ドラマでは4人の女性が主人公で登場するのだが、みんな性格がバラバラで個性が豊かなのである。その中で一番好きなのがサマンサである。なぜかというとこの4人の中で一番わかりやすいというのか割り切っているというのかおもしろいというのか、そんなキャラなのである。右の画像でいうと赤い服を着ているのがサマンサである。そしてなによりも“FUCK”を使うからである(笑)。これはわあつぃの中では非常に重要で、この映画、ドラマに関係なく“FUCK”を使っているキャラクターや映画はかなり好きである。やっぱりそれはカッコいいからであろう。ちなみに私が好きなサマンサの名言は“I'm fifty-fucking-two and I will rock this dress(52歳だけど、このドレスを着こなしてやるわよ!!).”である。ファッションに年齢なんて関係ないのである。そして、“I love you too, but I love me more(あなたのことを愛してる、でもそれよりも大事なのは自分自身なの).”ちなみにこのサマンサが持っているプラカードだが、このシーンはオークション会場でサマンサがちょうどオークションしているシーンだが、このプラカードの番号は本当は“69”を使用したかったのだが残念ながら“69”がなかったので“969”になったのである。“69”はサマンサの番号である(笑)。
次は『スターシップ・トゥルーパーズ』に登場するディジー(ディズ)というキャラクターである。主人公はリコという青年なのだが、この主人公には彼女がいるのだが、このディズは主人公にベタ惚れしていて、何度もアプローチしていくのだが、「友達でいよう」と断られてしまう。でも、そのアプローチしていく姿が何とも言えないのである。この映画は軍事国家を描いているパロディになっていて、ものすごくカッコよく仕上がっている映画なのだが、実はこんなのは最悪だという映画である。主人公は能力が低いということで歩兵に、主人公の彼女は宇宙船の操縦士に選ばれ、そしてディズはもともとアメフトで進んでいく道を選んでいたが、遅れてリコがいる歩兵部隊に合流したのである。そんなディズにリコは嫌悪感を抱いていたが、だんだん心を通わせるようになっていく。宇宙船内でディズがリコにサムズアップする姿やリコやディズの他に仲間合わせて4人で右腕に同じタトゥーを入れるところは本当にサイコーである。このディズもカッコよく強く美しいキャラクターなのである。
そして私のブログではおなじみの『キックアス』に登場するヒットガールである。世間的に1作目のヒットガールの方が人気があるのだが、私は1作目も好きだが2作目の『キックアス/ジャスティス・フォーエバー』のヒットガールの方が好きである。1作目に登場したヒットガールは小学生の年齢なのに放送禁止用語連発で公開当時は大問題になっていたが、それがこの映画のいいところであり魅力的なところである。映画だけでなくコミック版も大好きで、映画版よりもコミック版の方がより陰湿で過激で残酷に描かれている。ヒットガールが言うセリフはほとんどスラングで、これはコミック版からだが、“We need to hurt this fucker down and make him wish his dad had finished on his mother's tits. We need to hit him hard and fast and send a message to these cocksuckers that New York's superheroes are not to be fucked with(あのクソ野郎にパパがママに中出ししたのが間違いだったと思い知らせてやる。徹底的に喰らわせてやる。ヒーローを甘く見るとどうなるか、骨のズイまで叩き込んでやるわ).”っていうことを普通に言うのだが、小学生がそんなこと言うわけないやろと言いたくなるのだが、それほど魅力的で強くてカッコいいのがヒットガールである。
初めにも書いたが、今回改めて整理してみようと思わせてくれたのが『ツインピークス/リターン』に
登場したダイアンである。ドラマシーズン1、シーズン2ではクーパー捜査官が録音機に向かっていつも語り掛けるのだが、そのときに必ず“ダイアン”と呼びかけるのだ。そして今回の『リターン』でこの“ダイアン”がついに登場する。そのダイアンがもう本当にサイコーでめちゃくちゃカッコいい。ダイアンも“FUCK”を使うし、最初にも書いたが彼女の名言が飛び出すシーンが一度だけあるのだがそれが、“LET'S ROCK”である。こんなカッコいいオトナの女性が他にいるのか。ちなみに先日『ツイン・ピークス』の公式のグッズを海外のサイトから購入し、このダイアンとブルーローズのシャツを持っている。カッコよすぎるぜダイアン!!!
登録:
投稿 (Atom)