2018年8月23日木曜日

希望絶たれる



前回の投稿の続きのニュースが出たのだが、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズのジェームズ・ガン監督の再雇用であったが、その希望は絶たれてしまったということである。非常に悲しいニュースである。ちらっとどこかの誰かが見つけ出したものにディズニー側はそれに煽られてしまったのである。これにより今後このシリーズがどうなってしまうのか、俳優陣はどう思っているのか、今後の新しいニュースを気にしていたい。人間は誰にだって過ちはあるものである。というかそれが人間である。ディズニーはちょっと本当にどうかしている。その傘下に入っているマーベルも非常にやりにくいところはあるはずである。確かにディズニーはいろんな意味でものすごい技術を持っているし、すばらしい作品を世に送り出しているのも事実。しかし、『スター・ウォーズ』の件もそうだが、ちょっとやりすぎだろう。すばらしいものをもっているのに非常に残念で仕方がない。私はそれでもガン監督に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の続編を希望している。


お盆は過ぎたがまだまだ夏は続く!!
地獄は年中真夏!!
なにかはわからない、理由もわからないがとにかく俺は怒っているんだ!!
怒っているということだけは言っていいだろ!?叫んでいいだろ!?
今すぐ窓を開けて「私は怒っているんだ!!」と叫ぼうではないか!!
希望も慈悲もないこの腐り切った世界で!!
自らディストピアへまっすぐ向かおうではないか!!
そして楽しもうではないか!!
そうなったらどこへでも行けるぜ!!
そう思えたらおもしろそうじゃねーか!?楽しそうじゃねーか!?サイコーじゃねーか!?
地獄もディストピアもいいところだぜ!!

2 件のコメント:

  1. お疲れ様です。

    You Tubeで、ご紹介いただいたニッキー・ミナージュのStarshipsをピッチパーフェクトのメンバーと一般参加者?が歌う動画をみせていただきました。
    みんなうまいですね。
    声だけでこんなにも表現ができるところもすごいですし、それをアレンジして自分が歌うところを動画に撮ってネットにあげることもそもそもすごいなぁと思います。
    ニッキー・ミナージュはsuper bassという曲で知っていました。
    彼女もすごいですよね。個性の塊みたいな感じです。
    どう間違えても、私はあんな発想はできないですね。

    理由はよくわからないが、とにかく怒っている、でもこの腐りきった世界からでもまた立ち上がってくるんだ!そっちのほうがおもしろいだろ!!という考え方ですが、こういうところが決定的に自分と違うところですね。
    私は嫌なことがあるともうずっ~とネチネチといつまでも考えてしまうほうですね。
    やたらしつこいタイプですね。
    いまだに精神的なその日暮らしをしている、とでも表現すればいいのかもしれません。
    困ったものです(笑)
    何て言ったらいいたいことが伝わるのかよくわかりませんが、“腐りきった世界から立ち上がってくるエネルギーはどうやったら持てるんですか”とかいうくだらない質問をする以前のことというか、
    決定的に自分と違って物事をpositiveに考えられる人が世の中にいて、その人には自分と違ってやりたいことや好きなことがいっぱいあって、その人はちゃんと自分の考えを大学時代から就職後もずっと、丁寧に記録として残している…なかなかできることじゃないですよ、コレは。
    これはすごくうらやましいなぁと思います。
    こういう人も世の中にはいるんだなーって。
    SAMURAIさんのブログの読者を勝手に始めたのは2013年の7月だったみたいですが、東京に住み始めて、社会人として仕事を始めて、いろんなことを経験したり、人との関わりのなかで考えたり悩んだりされていた時期だったと思います。
    今回の出張で、期間限定で規則的に出勤して規則的に帰宅するというサラリーマンみたいな生活を就職してから初めて経験して、休みの日は掃除もしたり、久しぶりに車も洗ってみたり、何だかやたらいろいろお金も使いましたよ(笑)
    そしてこの生活の中で私もいろいろ考えましたね。
    考えざるをえなかった、ともいえます。
    マイ・インターンあたりのところで大学の話と祖母の話をしたかと思いますが、(たぶんもうお気づきだと思いますので詳細は書きませんが、)私の場合は仕事をするにあたって、自分は何を自分の芯や軸みたいなものにするのか、そういう考えというか自分のポリシーというか、そういうものが絶対に必要で、でもそれは決して人から教えてもらえるような手軽なものではなくて、日々の経験を自分のなかで整理して、これはこういうことだったんだというように意味づけをするような作業をして、それを日々自分でやろうと意識して繰り返して考えていかなければならない、それをしなければ自分自身の成長もない、そういう側面があるように思います。

    私はもう大学の頃に何を考えていたかなんてすっかり忘れてしまいました。
    前述した通りで就職活動というのはあってないようなものだったのですが、とにかく国家試験のことと実習を無事に終わらせる、そのことしか考えていなかったように思います。就職してから最初の数年はそれこそ“地獄の底”だった(もちろん今も別な意味で地獄の底は続いていますが)ので、もうほとんど自分が何をしていたかなんて覚えていませんね。大変だった、つらかった、毎日必死だった、そんなことしかもう出てきません。そして書くこともしなかった時期も結構あったので、私にはあまり残っていません。
    だから、こうやって積み重ねた文章は、SAMURAIさんにとってとても貴重な財産になると思います。
    勝手に読者になって人様の記録を読ませてもらっていますが、へぇ~っていつも思っています。だからこれはとても楽しいですね。

    以前、「地獄の底から愛を叫ぶのだ!」という言葉がありましたよね。
    今回もこれに共通するような部分があると思います。
    自分もそうありたい、あぁでも地獄の底はやっぱりイヤだし怖いよなぁ、でも自分もそうだったらいいよなぁと、一か所に定まらずいったりきたりしている、私はそんな感じですね。


    『イングロリアス・バスターズ』について。
    …これがみつかったのでツイン・ピークス/シーズン3のホークはちょっとそっとしておいて、ブラッド・ピット方面へ浮気をしてみることにしました(笑)
    タイラーとはまた違う雰囲気でしたね。
    言葉の解説みたいなのがところどころ入るのも、SAMURAIさんから以前説明していただいたアレかぁと思ってみていました。
    そしてこれもツイン・ピークスと同様に怖い怖い(笑)
    映画の冒頭で頭の皮を剥ぐところと、映画の最後で大佐の額にナチスのシンボルを切り刻むところなんかとくに。ひゃ~
    もう、徹底的にナチに復讐する映画でしたね。
    前に、「頭に来てもアホとは戦うな!」という本を読んだということを書かせてもらいましたが、その本の中で、流行語になった「倍返し」「リベンジ」という言葉を取り上げて、「さすが仇討文化がある我が国ならでは」という一節があります。日本人は親の敵討ちとか、どんなに悪いヤツがいたとしても最後には正義のヒーローがあらわれて成敗してくれる、という発想が大好きとのことですが、現実的にはそんな正義のヒーローなんか存在しませんし、仕返しや仇討なんかは無駄で後ろ向きなことだ、となっています。
    辛い過去をもつユダヤ人の人達や、ドイツ側で人殺しに関わっていた人達はこの映画をみてどんな感想をもつのか、と思いました。
    …感想、なんてレベルではないかと思いますが。
    でも、何であの場面でショシャナが死ななければならないのか、とツッコミたくなりましたね。撃ってしまったあとで、近寄ってしまったショシャナ。
    結局はバスターズの作戦で映画館も大爆発してショシャナも巻き添えになって死んでしまうのだとは思いますが、なんですか、あのフレデリックの邪魔者ぶり。
    復讐するなら徹底的に、常に冷酷に、一瞬の迷いも妥協も例外も決してあってはならない、復讐ではほんのわずかな良心のカケラでも自分の命取りになってしまう、というメッセージなんでしょうかね…
    大量殺人を企んで実行した立派な犯罪者のショシャナですが、あぁ何てかわいそうなんだろう…
    何が正しくて何が間違っているのか、ますますわからなくなる映画ですね。
    たぶん、どっちも間違っているのだと思いますが。

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    1. Abbyさん、コメントありがとうございます。
      今日はまたこちら東京は暑くなりました。
      でもあの猛暑に比べれば余裕って感じですね。
      お仕事の方もいかがでしょうか。
      私の方は接客自体は暇なんですが、それ以外のことで恐ろしくややこしく面倒なことになっております(笑)。
      あっちが暇になればこっちが忙しくなってしまうんですね。

      YouTubeの『Starships』をご覧いただきありがとうございます。
      この動画はDVDの特典映像の中に入っている動画です。
      DVDが先なのかYouTubeが先なのかはわかりませんが、でもみんな本当に歌がうまいですね。
      ニッキーミナージュの原曲の方もすごいですね。
      もう“無駄に”テンションが上がってしまう歌で、最近は毎日聴いています。
      ニッキーミナージュ自身もすごいキャラですね。
      ここまでいけばカッコいいです。
      アーティストですね。

      なんかノリみたいな感じで書いている文章はもう本当に思いついたというかどうでもいい感じで、またバカがなんか言ってるくらいで流していただいて大丈夫です(笑)。
      でも、なんか普通に生活していてイヤなニュースであったりとか周りの環境であったりとか、いろんなことでストレスが溜まってきてしまいますね。
      イヤなことばっかりで、もうひねくれるしかないという感じですね。
      現実の辛さが許容範囲を超えたとき、人は狂います。
      どうやっても認めることができない現実を目の前にしたとき、狂気が優しい声で言うんですね、「狂ってしまえば楽になるよ。今まで現実に良くしてもらったことなんてないだろう?冷たい現実なんて放っておいてこっちにおいで」と。
      認めたくない現実なんていくらでも転がっていて、その種類も様々です。
      でも、“認めたくない”という感情の根底には“これ以上傷つきたくない”というのがあります。
      自分が傷つけられるくらいなら他者を傷つける側でいたい、というこの悲しい情動に人々は今までそしてこれからも突き動かされて人間は他者を抑圧していきます。
      でもここで疑問が浮かんでくるんですね。
      誰もが狂って見えるということは、本当は自分自身が狂っているだけではないのか、と。
      残酷な世界をありのままに受け入れることができず、狂気に逃げ込んでいるのは自分自身なのではないのか、と。
      狂っている、と他人を断罪することで一体私は何から自分を守ろうとしているのだろうか。
      でももしかしたら、最初から正気の人間など一人もいなかったのかもしれません。
      我々人間は常にまんべんなく狂っていて、その状態があまりにも普遍的なので、狂気こそが正気だと思い込んでいるだけなのかもしれません。
      でもそのような異様な光景は「認めがたい」ものであるがゆえに、それが真実である可能性は限りなく高いです。
      今までここでご紹介してきた映画やその登場人物たちはすべて狂っているし、同時にどこまでも誠実です。
      残酷で悪趣味で狂った世界に私たちは生きているのであり、そうでない世界が出現する可能性はゼロです。
      しかし、表現規制論者の欲望に基づいて『デモリションマン』で描かれていたような未来のような「汚らわしいもの」を一掃し、すべてを殺菌消毒したとしても、そのあとに待っているのはよりグロテスクな絶望の世界でしかありえません。
      そんな世界に住みたい人など・・・・・いるんですね。
      残酷で悪趣味で狂った世界に対して「もうたくさんだ!やめてくれ!」と自ら進んで抑圧と管理のディストピア(私がいつも言っている場所ではありません)を渇望する人は多く存在します。
      そういう人たちに道理を説いても説得しても意味がありません。
      傷つきたくない人たちには何を言っても無駄だからです。
      それでもまだその中で、残酷の中に優しさを、悪趣味の中に美を、狂気の中に正気を見出すんですね。
      自分が狂気のうちにあることを自覚することは正気への第一歩だからです。
      これも何度か言っていることですがそういうことですね。
      すみません、話が脱線してしまいましたが、大学時代にこのブログを始めた理由がいろいろありましたが、まずはキーボードをすぐに打てるようになりたかったということと、大学生活があまりにも暇すぎたから、ということです。
      勉強しろ!!と自分に言いたいところですが(笑)。
      自分の過去に書いた記事を読み返すということは今までもそうですがほとんどありません。
      でも確実に今まで私が歩んできた過去です。
      テキトーに書いてきていますが、それは間違いないですね。
      読み返すことはこれからもないような気もしますが、大変なことの方が多かったように思います。
      でもこれは間違いなく私の財産ですね。
      Abbyさんには本当に長くお付き合いいただいております。
      なかなか更新できずに放ったらかし状態も今まで何度もありましたが、それでもこうして覗いてくださるのは感謝以外にありません。
      本当にありがとうございます。
      これからもテキトーに書いていきますが、またバカがなんか言っている、と身軽に目を通していただければと思います。

      『イングロリアス・バスターズ』をご覧いただきましてありがとうございます。
      これもものすごい作品でしたね。
      私が勝手に枠組みをしてしまったタランティーノ作品の後期の第一弾という感じの作品です。
      『イングロリアス・バスターズ』、『ジャンゴ』、『ヘイトフルエイト』ですね。
      今度タランティーノ監督の新作映画『ワンスアポンアタイムインハリウッド』というのが公開予定です。
      これは本当に楽しみにしている作品です。
      今回の『イングロリアス・バスターズ』はナチへの復讐がテーマの作品ですね。
      “栄光なき野郎ども”といった意味ですが、ユダヤ系アメリカ人だけの特殊部隊で、最後には世界中のユダヤ人が夢に見てきたことを実現してしまうんですね。
      映画館ではもう大歓声があがっていたみたいです。
      このユダヤのことはタランティーノ監督自ら調べたというのではなく、友人でもあるイーライ・ロス監督が教えたんですね。
      この監督は以前にも紹介した0『グリーン・インフェルノ』の監督です。
      今回は『イングロリアス・バスターズ』で“ユダヤの熊”として俳優として参加しています。
      イーライ・ロスはユダヤ系の家庭で育ちます。
      タランティーノ監督にユダヤの風習や文化、歴史を教えたんですね。
      タランティーノ監督はロスの家族や親せきから話を聞いて、ユダヤ人の悲しみと怒りを理解していきました。
      ユダヤ系は誰でも一人は親戚をナチに殺されているみたいです。
      ロスが演じた“ユダヤの熊”と言われていたドノウィッツ軍曹は野球のバットでナチの頭を叩き割っていきますが、そのバットには文字がビッシリと書かれています。
      ドノウィッツ軍曹はボストンのユダヤ人街の床屋の息子で、戦争に行ってナチと戦うことになって、ユダヤ人街の人々がそのバットに寄せ書きをするんですね。
      これで家族や親戚の仇を討ってくれと。
      このシーンは本編ではカットされましたが、ちゃんと撮影しているシーンです。
      “ユダヤの熊”と呼ばれて恐れられていましたが、熊とはほど遠い優男で、他のバスターズの面々も痩せていて気が弱そうで言ってしまえばイジメられっ子タイプなんですね。
      タランティーノはわざとそうしたみたいで、ユダヤ人といえば弱そうでイジメられっ子、またはコメディアンと思われているが、そのイメージはハリウッド映画によってつくられてしまったんですね。
      でもハリウッドというのはユダヤ系の人たちが作ったんですね。
      そこでロスはこの役でユダヤ人に対するステレオ・タイプをぶち壊したかったんだと。
      焼け落ちるセットの中の銃撃戦はCGなんか使わない命がけの撮影だったけど、虐殺された600万人の同胞たちのためにがんばったよ、と言っていました。
      ちなみにタランティーノ監督はCGを使うのを嫌っています。
      他の監督が使っているのは何とも思わないが、自分は使いたくないと言っていましたね。
      以前にも書いたことがあると思いますが、タランティーノ監督はこの作品でいわば“歴史を変えてしまう”ことになるわけですが、それをするということに対して10年悩んだと言っていました。
      確かにここに登場するキャラクターはそれぞれの正義があってそれぞれの立場で戦いを挑んでいくわけですが、ショシャナにしてもバスターズにしてもそれは“自分の正義”を全うするわけですから、たとえそれが虐殺というやってはいけないことだとしても、“やらないといけないこと”なんだと思います。
      こんなあからさまなナチへの復讐映画なんてなかなか観れないと思います。
      さすがタランティーノ監督です。
      本当にすごい監督だと思います。

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