2018年6月1日金曜日

どう捉えるか

 
先日『ハート・ロッカー』という映画を観たのである。この映画は2008年の映画でアカデミー賞で9部門でノミネートされ、6部門受賞した作品である。この作品の監督はキャスリン・ビグローという女性監督である。女性監督が初めてアカデミー賞監督賞を受賞した監督である。なぜこの映画を観ようと思ったかというと、この映画に対する評価がみんなそれぞれ全然違うということで、評論家たちも評価が全然違っているということですごく興味を持ったのである。評価というよりも主人公の内的思考、思い、考え、といった方がいいかもしれない。『ハート・ロッカー』は戦争映画で、“棺桶”や“苦痛の極限地帯、極限状態”といった意味がある。今思ったのが、話が脱線してしまうが最近戦争映画をよく観るようになった。最近といっても私が大学を卒業して以来くらいである。小学生や中学生、高校生のときは戦争映画と聞くと「戦争映画はええわー」と拒絶していたのである。そもそも戦争映画に興味がなかったからかもしれない。その反対に私の友人は小学生のときから『プライベートライアン』などの戦争映画をよく観ていた。そしてその友人は『ロボコップ』も好きで、私は『ターミネーター』であった。今思えば完全に友人の方が“オトナ”であった。今私がそれを追いかけている状態になっている。「戦争映画は自分には関係ない」と思っていたのかもしれない。その時点で私の思考は完全に止まっていた。戦争は自分の生活とかけ離れている遠い存在と思っていたがそれは間違いで、日々身近に行われていることが戦争につながっていたり、加担していたりすることもある。そして登場人物の心理が日々の日常での心理にすごく貴重なヒントになるのである。この状況に自分はどう決断するのか。どういう答えを導き出すのか。戦争映画はただ戦争の悲惨さを教えてくれるだけではないということである。この『ハート・ロッカー』はそれを改めて強く思ったのである。私は戦争映画に詳しくなく、友人の方が圧倒的に詳しいと思うが、私が戦争映画でおススメするのは『プライベートライアン』、『アメリカン・スナイパー』、『ハクソーリッジ』である。これらは同じジャンルの戦争映画という類いだが、訴えてくるものはみんな全然違う。そして今回の『ハート・ロッカー』もこれらの作品とは全然違うのである。本当によくできたすごい作品だと思う。
 ここからはネタバレも含まれてしまうので注意していただきたい。ここでこの映画具体的な内容やストーリーを描いてもいいのだが、長くなってしまうため今回は省略する。評論家でも意見が分かれているこの映画で一番論じられている点について私も考えてみたい。最終的に主人公のは戦場に戻っていくのだが、そのときの主人公の心理状態はどういう状態だったのか、ということである。舞台は2004年のイラクである。主人公は爆弾処理班でイラクで行われている爆弾テロによって使用される爆弾の無力化に従事しているのである。最初主人公はこのイラクに赴任してきたとき、爆弾を無力化するときに笑顔を見せたり、他の兵隊が動揺しているとき主人公は冷静に対処したりと、自分が優秀であるということを暗示させているし、それ自体を楽しんでいるかのようである。しかし、自分が優秀であると思っていたが、戦場で失敗をどんどん重ねていってしまう。そもそも爆弾テロを回避できずに仲間を失ってしまったり、イラク人に対する知識が全くなかったり、イラク人の見分けも自分は全然ついていなかったり、仲間を間違って撃ってケガをさせてしまったり、とどめに爆弾そのものを解除できずにイラク人のお父さんを救えなかったりして、自分は優秀だと思っていたが自分は全く持って無力だったことを思い知らされる。倫理的限界まで追い詰められてしまう。この映画の冒頭に、“戦争は麻薬だ。戦闘状態の興奮は中毒になる”という言葉で始まる。主人公は追い詰められるが、任務終了でアメリカに帰る。そしてしばらく家族と過ごすシーンになる。しかし、主人公はまた戦場に戻ってしまうのである。なぜ主人公は戻ってしまったのか。アメリカに帰ったとき、明らかに主人公の居場所はなかった。主人公が奥さんに戦争の話をしても全く聞いてもらえなかった。そしてこの映画の冒頭に言葉にあるように、主人公は結局爆弾処理が好きだから戻っていった。戦場は思考しても意味がなく、アドレナリン・ジャンキーとして思考停止をして戻っていく、思考停止することで生き延びるという心理で主人公は戦場に戻っていったと捉えている人がいる。というかそういうふうにとらえられる余地があるとみている。確かに言いたいことはわかるのだが、私はそうは思わなかった。というかこの評価の全く逆である。主人公は思考停止の状態から始まる。自分に自信があり余裕がある。しかし、失敗に失敗を重ね、自分が無力であることに気が付く。そもそもこの主人公は戦場で精神がマヒしていると言っている人もいるが本当にそうか。私は異常なほどに倫理的であろうと努力していると思う。アメリカに帰った時に、主人公に赤ちゃんがいて、その赤ちゃんに語り掛けるのだが、「このおもちゃが好きか。ママもパパも好きだろ。このパジャマも好きだろ。でも俺くらいの年になったら好きなものは一つや二つになってくる。特別だと思っていたことが特別ではなくなってくる。俺が好きなことはもう一つになってしまったよ」という。この映画の舞台はイラクだが、爆弾テロをやっているのはアメリカ人に対してではなく、イラク人に対してのテロである。そして主人公は爆弾処理ということで、爆弾を無力化することにより人々の命を救うということである。最初主人公は笑いながら爆弾を解除したりしてゲーム感覚でやっている。そのとき主人公は戦争そのものに興味はない。ただ爆弾を解除することに徹している。しかし、主人公はだんだんアメリカがイラクに対してやっていることがどれだけ酷いのかというのを知っていく。主人公は戦争で人を殺しに行っているわけではない。戦争が行われていること自体の責任は彼にはない。でもそれでも彼にでさえも責任が伸し掛かってきてしまうほどの状況なのを知る。彼は最初死をも恐れないかのように堂々と爆弾を解除していくが、失敗を重ねていくうちに自信も余裕もなくなってきて自己嫌悪に陥ってしまう。そしてとどめのシーンで、いくつもの爆弾をぐるぐるに鎖やカギで体中に巻き付けられたイラク人のお父さんが出てくるのだが、彼は必死に救おうとする。しかし、タイムリミットが迫ってきて、仲間の兵士が早く逃げろというが、彼は一人残って必死にカギを外している。でもタイムリミットが迫ってきて、主人公はそのイラク人に向かって言う。「ごめんなさい。助けられないです。本当にごめんなさい」と。完全な敗北である。これはイラク、そしてアメリカが置かれている状況を表している。主人公は最初は死ぬことなんか考えていないと言っていたが、ここで彼は逃げてしまう。最初主人公は自分サイコーと思っていたが、自分には何もできないことを思い知らされたのである。それで任務終了でアメリカに帰る。でもまた主人公は戦場に戻る。これは生き延びるために思考停止しているのか。彼は爆弾処理という最も死ぬ可能性の高いところに自ら飛び込んでいくのだ。爆弾処理ということが自分にできることなんだ。自分にできることは爆弾処理だけなんだ。自分にできることはそれだけなんだ。今自分にできるベストなことは爆弾処理なんだ。たとえそれが周りから文句言われようが、報われないことであろうが、戦争に加担していると言われようが、爆弾処理が自分の生きる意味なんだ、生きている意味なんだ。自己嫌悪に陥り、悩んで悩んで考えて考えて、タイトルにあるようにハート・ロッカー、極限地帯に戻っていくのだ。思考停止ではない。この流れは他の映画でいうと『マイレージ、マイライフ』という映画にすごく似ている。この映画も本当にすばらしい映画であった。リストラ宣告が仕事の主人公がいるのだが、その名の通りリストラを宣告しに行く仕事をしている。リストラすると決めたのは主人公ではない上のクラスの人間である。でもリストラを宣告したときに、された人は主人公に対して「お前のせいで人生がめちゃくちゃだ」、「明日からどう生きていけばいいんだ」、「殺されたも同然だ」、「ふざけるなバカヤロー」など、いろいろと言われてしまうのだが、その責任は主人公にあるわけではない。それでもその関係のない責任は主人公にのしかかってきてしまう。でもいろいろあって主人公もいろいろ悩んで考えて最終的に出した答えが、その責任を負うよ、ということである。この『ハート・ロッカー』もそうである。この今のイラクの現状をつくってしまったのはアメリカである。主人公は殺しに行くために戦場に来たわけではなく、爆弾を無力化するということでイラクの人々の命を救うことで、そのテーマそのものが反戦である。特権階級的にみられていた爆弾処理班であったが、その主人公ですらこのバカげた戦争の責任が伸し掛かってきてしまうのである。責任は紛れもないアメリカそのもであり、この現状をつくったのはアメリカであるが、全く関係のない主人公がその責任を負うよということなのだ。この映画ではミニストリーというロックバンドの音楽がかかるが、歌詞は流されない。その歌詞が反ブッシュ反イラク戦争だからだ。だから観てわかる人にはわかるし、わからない人にはわからないように作られている。というか広い表現が使われているのでどうとでも捉えられてしまう可能性があるが、このミニストリーがなかったとしても主人公の表情、行動、言葉を追っていけばこれは思考停止ではない、アドレナリン・ジャンキーではないことはわかるはずである。最後主人公はミニストリーの音楽をバックに爆弾のある方向へと歩いていく。「ブッシュこのバカげて無意味な戦争はテメーのせいだ!!」と言わんばかりに、責任を負った主人公の表情がうかがえる。自分にできる一番のことは何か、自分にできることは何か、ベストなことは何か。戦場に戻らなくても、ドロップアウトする選択もあるし、家族を選択することもできるし、それこそ思考停止して戦場で生き延びることもできるし、いろんな選択ができる。戦争があればできるだけ加担しないように、あまり関わらないようにするのが一番という人も当然たくさんいるだろう。もし私が主人公であれば私も戦場に戻ると思う。生きる意味がそこにあるから。その技術が求められているなら。それで多くの人間を救えるのなら。だったら行くよ、私も。

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