その後、1時15分からホロコースト記念博物館に行かなければならなかったので、その時間に合うように自然史博物館を出た。快晴で、歩けば汗ばむくらいであった。本にはまだ寒いくらいと書いてあったが、本当にいいときに来れてよかった。それだけでもラッキーである。
再びこのホロコースト記念博物館にやってきた。先ほどの自然史博物館もそうだが、ここも人でいっぱいである。なぜこのホロコースト記念博物館がこのワシントンDCにあるのだろうか。ここはワシントン記念塔や国会議事堂、最高裁判所、リンカーン記念館、ジェファソン記念館などというこの国を象徴するような重要なエリアの中で、なぜこの記念館があるのだろうか。アメリカ人口のユダヤ人比率は、1.7%でわずかある。もうわかると思うが、それだけ重要な人種ということである。ユダヤ人がどれほど優れているのかということだ。
縦向きにできませんでした。 |
整理券を渡し、エレベーターのところに並んだ。乗る前に、殺されたユダヤ人の子供の写真が写ってあるパスポートが渡される。上から下に降りてくるという順炉で、4階に上がった。降りてまず目に飛び込んできたのは、焼け焦げた大量の死体の巨大なパネルだ。いきなりのショッキングなものを見せられ、、前に進めるのか不安になった。この階のテーマは「ナチスの暴力」。ナチスがどのように成長していったのかが描かれている。館内は薄暗く、誰一人話をしない。いや、声を出すことすらできない。それほど緊張に包まれている。
3階に下りる。この階のテーマは「最終回答」。彼らが選んだ回答、すなわちホロコーストだ。ショッキングな映像は子供が見れないように、覗きこむような形で映像を見る。ユダヤ人を人間として扱っていなかった。人体実験はすさまじいものである。ブルドーザーで死体の山を穴の中に入れていく。黙々と作業をする人は無表情である。戦争は人間の感情を奪ってしまうものなのかもしれない。
縦向きにできませんでした。 |
2階のテーマは「最終章」。ナチスの敗戦で次々に解放された収容所で連合軍の兵士たちが見たものは、この世の地獄とも言うべき膨大な数の死体の山だった。戦争は正義でも道でも何でもない。ただの愚かな行為にすぎない。当時の人たちはそれを思わなかったのだろうか。自分たちがしていることはとんでもなく戯けたことだと。
収容所内部のフィルム、直しに堪えない残酷な映像も目をそらさずに脳裏に刻むことが、この博物館を訪れた者の義務だ。この世で最も非人道的と言われたホロコースト。過去に目をふさぐものは未来でも同じ過ちを犯す。私たちはこの戦争を次の世代へと受け継いでいく義務がある。そのためにここを訪れてみてはいかがだろうか。
外は暑く、館内も暑かったので、最初は腕をまくっていたのだが、何処だか覚えていないが、ある扉をくぐった瞬間、体中に寒気が走った。そこから寒くて腕をまくっていたのを直したのを覚えている。見学が終わって、小さな休憩室みたいなところがあった。座りたいと思い中へ入ると、女性が一人、頭を抱えながら下を向いていた。そっとしておいてあげようと思い、座らずに違うところへ行った。男性の背中をさすってあげていた女性がいた。ショッキングすぎるこの博物館。日本では考えられない博物館だ。
人間という生き物はとんでもなく愚かな生き物である。自分の利益のためならどのような手を使ってでも利益を手に入れる。戦争とは何だ。平和とは何だ。今、私はそれについて考えている。考えても考えても簡単に答えは出そうにない。人間は愚かな生き物だ。しかし、私は信じ続けたい。本当は人間という生き物はとんでもなく優しい生き物であるということを。
この博物館では残念なことに、写真撮影は禁止であった。なので、お土産で買ったポストカードをデジカメで撮ったので、それを載せたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿