2011年7月6日水曜日

国連本部で出会った日本人男性

 旅の続きである。やっとのことでイーストサイドに入ることができた。かなりの遠回りで疲れていたが、国連本部もいかなければならない重要なところだと思っていたので、とりあえず中だけでも見学しようと思った。加盟国の国旗が風に揺れていた。入口のところで、銃の先が曲げられているモニュメントがあった。これは写真で何度か見たことがあり、本物がこれかと感動した。
 セキュリティチェックをして中へ入った。開発途上国で苦しんでいる人々の写真が飾られていた。義足の男の子の写真があった。地雷を撤去する人の写真があった。近くにベンチがあったので、少し休憩する事にした。そう言えば国連本部にツアーがあったのを思い出した。日本語ツアーもあるのだが、どの時間にやるかは分からない。無かったら英語のツアーでもいいと思い、カウンターへ行って申し込むことにした。しかしラッキーなことに、日本語ツアーの時間にぴったりであった。ツアー開始の時間は14時45分で、今の時間は14時30分であった。本当にラッキーであった。すぐさま申し込むことにした。カウンターの近くのベンチには数人の人が座っていて、日本語ツアーの時間が近かったということもあって、この人たちは日本人かもしれないと思い、一人の男性に話しかけることにした。やはり日本人であった。やっと日本語が話せると、嬉しくなった。関西弁を話すので、どこに住んでいるか聞いてみたりした。何と私の最寄りの駅のスタバでバイトをしていたという。住んでいるのもその近くだそうだ。近所ではないかと話が盛り上がった。世界は狭い、と感じた瞬間であった。その男性は、大学4年生で内定をもらい、卒業までに世界を見ておこうと思い、今回ニューヨークを訪れたそうだ。私と同じ一人旅らしい。その男性は、1週間ニューヨークを旅するという。私はワシントンにも行くというと、ワシントンにも行きたかったと言っていた。
 とてもいい人で、いろんな話ができた。その人はドミトリーに泊っているという。私もドミトリーにしようか迷っていたので、どんな様子か聞いてみた。やはり世界中から集まってきているらしく、みんな面白く、話しかけてくれるらしい。中にフランス人がいて、とても日本に興味があると言っていたらしいが、日本語は全く話せなかったらしい(笑)。それを聞いて、私もドミトリーにしてもよかったなと思った。パレードの話になり、アメリカ人のテンションの高さに驚いたという。それは私も同感であった。お互いに初めての海外で、すべてが新鮮で感動している。そういう意味でも話が合う。
 久しぶりに日本語を話したが、少し話し辛かった。久しぶりと言っても、それほど時間はあいていないが。普通に話をするなら大丈夫であったが、敬語や丁寧語が話し辛かった。それに少し嬉しくなった。つまり今まで英語ばかりを話していたということだからだ。日本語を話し辛くなるほど英語を話していたのだ。1カ月でも留学したら、かなりうまくなるだろうと感じた。
 さぁ、日本語ツアーの時間だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿