2011年7月31日日曜日

スパイ博物館

 ワシントン記念塔を離れて、スパイ博物館へ向かう。昨日訪れた国立公文書館の横を通り過ぎて真っ直ぐ向かう。FBI本部の横も通った。やはり少し遠かった。スパイ博物館は先生の勧めでもなく、ただ私がガイドブックを読んで行きたかっただけである。私は映画の「007」シリーズが好きなので、訪れておこうと思った。
 到着して、ここはスミソニアン協会ではないので、入場料のチケットを買い、中へ入る。エレベーターの中も面白くしてり、自分もスパイになった気分になる。短い映画みたいなものを見てから見学になる。子供たちもたくさん来ていた。面白いものがたくさんあり、傘に見立てた銃や、靴に発信器みたいなものを入れていたりしていた。途中に忍者も出てきて、そういえば忍者もスパイになるのかと発見した。かなり疲れていたのか、英語の説明文をあまり読む気になならなかった。おそらくそれも読んでいたらもっと楽しめたと思う。私はただ視覚的なモノだけで楽しんでいた。
 ギフトショップにも行ったが、ここではあまりピンと来たものが無かったので、何も買わなかった。スパイ博物館を出て、スミソニアン協会エリアに戻った。これでノルマは達成できた。ワシントンDCはたった二日であったが、重要なところはとりあえず抑えた。もちろん他にもたくさんあるのだが。リンカーン記念館、国立自然史博物館、ホロコースト記念博物館、国立公文書館、国立航空宇宙博物館、ワシントン記念塔、スパイ博物館が今回訪れた場所である。詳しく言えば、第2次世界大戦記念碑、ホワイトハウスもある。
 ほっとしたのか、お腹がすいた。ここへ来てからほとんど何も食べていなかった。自分へのご褒美にホットドックが2つ、そしてコーラを屋台で買い、公園のベンチに座って食べた。最高に美味かった。もちろんそれだけではお腹いっぱいにはならなかったが、今は「アメリカ」でお腹いっぱいである。ここアメリカで最初で最後のまともな食事である。今思えば毎日ちゃんと食べておけばよかった。しかし、レストランに入る気はなかった。お金のこともあるが、何よりも時間がもったいない。毎日3食食べていたらこれほどタイトな日程はこなせなかったであろう。誰かと一緒にいてもだ。私一人で自分のやりたいようにやったから、達成できたことだ。脚と腰が砕けそうに痛い。この1週間でどれほど歩いただろうか。履きなれた靴でさえ足が痛くなるのだから相当歩いている。しかし、私がきたくてここへ来たのだから、どれほど足が痛もうとも、腰が砕けようとも、前へ突き進めた。心地よい、達成感のある痛みだ。おそらく、みんなが歩いては行かないようなところも歩いて行けるだろう。普通は電車に乗るところも歩いて行けるだろう。歩くのが癖になってしまった。せっかくここまで来たのだから、歩いて風を感じなければ。うん、風が本当に気持ちが良い。

2011年7月30日土曜日

ワシントン記念塔

 国立航空宇宙博物館を出て、今度は先ほど整理券をゲットしたワシントン記念塔の方に向かうことにした。広場で遊んでいる人が先ほどと比べてかなり増えていた。私の家の近くにこのような広場があれば、どれほど毎日を気持ちよく過ごせるだろうか。ニューヨークでも「アメリカ」を見せつけられたし、ここワシントンDCでも「アメリカ」を見せつけられた。ここは穏やかでのんびりしているのが良い。何もかもがスケールが大きく、開放的な気分になる。
 さぁ、ワシントン記念塔に到着した。まだ1時30分まで少し時間があったので、横のベンチに座って周りの景色を楽しんだ。どのようにしてこのワシントン記念塔に登れるのか心配であったが、少しすると、「1:30」と書いたプラカードを持った人が出てきたので、それを見てすぐに列に並んだ。中に入ってまずはセキュリティチェックをする。どうやって上るのかと思ったら、エレベーターがあった。それに乗り、すぐに頂上だ。周りに高い建物が一切ない。遠くまで見渡せる。これがアメリカの首都なのか。美しい。窓ガラス越しの景色であったが、とても綺麗であった。天気も晴れたことに感謝している。四方の景色をすべて写真に収めた。子供も一生懸命に写真を撮っていたので、私と同じだと笑ってしまった。ホワイトハウスを上から見下ろすことができた。
 降りるときは、階段で1階下に行き、そこからエレベーターだ。降りるときは、途中で降りるスピードが遅くなり、何と壁に様々な絵や文字が描かれているのを見せてくれた。ガイドさんが説明してくれたのだが、何を言っているのか全く聞き取れなかったので残念。こんな見えないところまで手を入れていることに感動した。
 このワシントン記念塔の説明を少ししよう。モールのほぼ中央にあるのだが、アメリカ建国の父、ジョージ・ワシントンの偉業を称える記念塔だ。高さ169.2メートル、石造建築物としては全米一を誇る。DCでは1899年以来、この高さを上回る建築物を禁じているため、首都で最も高い建築物でもある。塔の重さは8万トンにもなるらしい。
 とりあえず、ワシントンで一番高いところから景色を眺められたわけだ。整理券をゲットできるか心配であったが、来ることができてよかった。あと予定として訪れるところは、スパイ博物館というところだ。これは少し離れたところにあるので、また歩かなければならない。しかし、ほとんどノルマを達成したので、気分的にかなり楽になった。残りは1か所だけなので、ゆっくり行くことにした。



 来週の月曜日から期末試験が始まる。今その試験に向けて勉強中である。もしかすると更新できない日もあるかもしれないが、それはテスト勉強ということで許していただきたい。もうすぐ夏休みとなる。本当に早いものだ。春にここ青森に戻ってきたとき、友達に「気が付けば夏休みになってるわ」といったのを思い出す。本当に気が付けば夏休みである。そして気が付けば夏休みが終わり、秋から就職活動が始まっているのだろう。時間は待ってくれない。1日1日を大切にして、生きていきたい。

2011年7月29日金曜日

国立航空宇宙博物館

 さぁ、国立航空宇宙博物館の中に入る。ここでもセキュリティチェックだ。まず入って、行かなければならないところは、「月の石」だ。“MOON ROCK” と書いてあった。ここでは見るだけでなく、触ることも可能なのだ。これが月の石か、宇宙から来たものか、と感動する。当たり前の話だが、地球上以外のものを触るのは初めてである。飛行機がたくさんつるされている。
 ここ国立航空宇宙博物館は人類の夢と努力が成し遂げた科学技術の栄光の殿堂と言われている。博物館最大の特徴は、展示物は燃料を補給すれば、すぐにでも稼動し得る状態で陳列されていることだ。私は、宇宙科学にあまり興味が無かったが、まるでテーマパークにいる気分であった。こことは違う場所に、別館のウドバー・ハジー・センターがあるのだが、そこと合わせて毎年800万人もの人が訪れる、全米で1,2を争う人気の博物館でもある。
 見逃せないのが、月の石もそうだが、ライト兄弟の1903フライヤー、アポロ11号“コロンビア”、ゼロ戦などだ。しかし、飛行機がたくさんあり過ぎで、どれがどの飛行機かわからなかった(笑)。この博物館もかなり広く、部屋が何部屋もあり、ゆっくり見ていては時間がなくなってしまうほどである。どの飛行機も迫力があり、写真とは全く違う。小型機でもかなり大きい。ニューヨークのイントレピッド博物館も面白かったが、ここも最高に面白い。飛行機好きならたまらない場所であろう。2時間くらい見学し、ここでお土産を買おうと思った。ここワシントンに来たら定番のお土産が、この博物館で売っている、宇宙食のアイスクリームだ。5個入りで1パックになっているものを3つ買ったが、これだけでは足りないかもしれないと思い、もう1パック追加した。日本でそれを食べてみたが、おいしいものではなかった(笑)。
 日本人観光客も見かけた。日本語をしゃべっていたのですぐに分かった。親近感がわくのだが、あまり話しかけようとは思わなかった。この度の中で、何度か日本人を見かけたが、話をしたのは、国連本部内だけだ。後は見かけても通り過ぎていた。せっかくアメリカに来たのだから、わざわざ日本人と話をしなくてもいい、と思っていた。
 かなり疲れがたまっている。頻繁に休憩しなければ、すぐに足と腰が痛くなってしまう。お腹もすいていたのだが。今日が最後と思えば我慢できた。それにしても、どれくらいの距離を歩いただろうか。おそらく自分でも驚くほど歩いていると思う。今日ももう少し歩かなければならない。

2011年7月28日木曜日

ちょっと寝坊

 朝、時計を見ると7時13分であった。6時に起きる予定だったので、1時間13分寝坊した。今日行くところは、スミソニアン協会国立航空宇宙博物館とワシントン記念塔、スパイ博物館だ。早く起きなければならなかった理由は、ワシントン記念塔にのぼるための整理券が8時30分から配られるのだ。早く行かなければ整理券がなくなってしまうと思い、急いでしたくをし、ホテルを飛び出した。そういえば今日が最終日か、と思いながら速足でワシントン記念塔の方へ行く。案の定、人がたくさん並んでいた。すぐに私も列に並んだ。それにしてもこのワシントン記念塔は美しい。しかも間近で見るとかなり大きい。周りに星条旗が風で揺れている。これもまた美しい。
 私の順番が回ってきた。やっぱりほとんどなくなっていた。本当は朝一の整理券がほしかったが、13時30分の整理券をゲットした。危ないところだった。それまで時間があるので、国立航空博物館に行こうと思い、そちらに向かった。しかし、開館は10時からだったので、それまで待たなければならなかった。今日も快晴だったが、少し肌寒いくらいであった。この辺りは芝生が広がっていて、遊んでいる人がたくさんいた。ちょうど子供たちが何やらボールを使った野球みたいなゲームをしていたので、それを見て時間をつぶすことにした。ベンチに座ると余計に寒く感じたので、子供たちと混ぜてもらおうかなとも思ったが、そこまで勇気はなかった。
 ほとんど何も食べていなかったので、貧血が心配であったが、それはどうにかなりそうであった。今日用事がすんだら何か食べようと思う。それまで我慢しよう。座っていると、今回の旅が思い出された。気が付けば最終日。早すぎる。まだまだここにいたいという気持ちが強い。最初は不安しかなかった。家を出るのも辛かったくらいだ。初めての飛行機に乗る。そして白人女性との会話が始まる。ここから私の旅が始まった。英語がもっと話せたらと思う。もちろん今回の旅ではあまり困らなかったが、もっともっとコミュニケーションが取りたい、いろんな話がしたい。「英語ができれば人生2倍にも3倍にもなる」という中学校の英語の先生の言葉は本当である。ここに来て身をもって感じた。せめて日常生活が困らないくらいの英語がしゃべれるようになりたい。今からでも遅くない。話す練習をしたい。
 そんなことを思いながら、そろそろ10時になる。

2011年7月27日水曜日

ワシントンのホテル

 ホテルに戻った。まだ外が明るかったので、もったいない気もしたが、疲れていたので部屋でゆっくりする事にした。さぁ、お待ちかねのお風呂に入れる。3日間も入っていなかったので、体を2,3回洗おうと思った。入る前に、シャワーの出し方を確認した。しかし、どうやっても出ない。安心してお風呂に入れると思ったのに、ここでもトラブルが。蛇口の方は出たので、桶になりそうなものを探し、ちょうどいい大きさのゴミ箱があったので、それを桶代わりに使うことにした。汚いといわれるかもしれないが、そんなことは気にならなかった。
 しかし、体を洗って自分の体が変化していることに驚いてしまった。ここアメリカに来てからまともな食事は一切とっていない。お菓子とコーラでしのいできた。自分の体が痩せ細っていた。もともと痩せている体なのだが、骨盤がにゅっと出てきている。お腹がへこんで体を洗っている感じがしない。3日ほとんど食べなかったらこれほどまでに痩せるのかと自分でも驚いた。貧血になるのも当たり前である。そういえばあまり力が入らないのも確かだ。力が抜けてしまう。これは何か食べなければならない。
 お風呂に入った後、日本から持ってきたお菓子を多めに食べた。お菓子は大好きなのだが、あまりおいしく感じられない。明日は最終日なので、自分にご褒美として何か食べよう。テレビを見ながら日記を書いた。大きなソファがかなり気持ちが良い。一人でこの部屋を使っては贅沢過ぎる。あまりにも快適だったのでソファに座って少し眠ってしまった。かなり疲れていたと思う。
 目が覚めて、足のマッサージをした。一体どれくらいの距離を歩いただろうか。これほど歩いたのは生まれて初めてだと自信を持って言える。歩くというのは本当にいいものである。車に乗っていては気が付かないところに気が付く。自転車に乗っていても気が付かないところに気が付く。歩いていれば様々なことに気が付く。それが歩くことのいいところだ。まあ、疲れるのは確かだが(笑)。
 楽しい旅も明日で最終日だ。もう少しここで生活したい。5泊7日ではなく、7泊9日が良かった。そうすればもう少し博物館をゆっくり回ることができる。しかし、やりたいことを残しておけば、またここに戻ってきたくなると思うので、完璧に回る必要もない。後残りがあるくらいがちょうどいい。明日が最終日。楽しく終われるような日になってほしい。

2011年7月26日火曜日

国立公文書館

 アメリカの旅の続きでも書こうか。ホロコースト記念博物館の後、国立公文書館に行こうと思った。国立公文書館というのは、独立宣言書、合衆国憲法、人権宣言というまさに国宝級の文書を展示しているのだ。ここも無料で見学できる。入場待ちなのか、列をなして並んでいたので、私もそれに並ぶことに。セキュリティチェックを済ませ、中へ入る。ここもかなりの観光客である。国立公文書館も映画「ナショナルトレジャー」の舞台となったところだ。ニコラス・ケイジが独立宣言書を盗んだところである。
 ここで展示されているのはもちろんレプリカではなく、オリジナルだ。独立宣言書、合衆国憲法、人権宣言の3つは、自由の憲章と呼ばれ、中央広間のロタンダにある。そのロタンダには観光客でいっぱいですぐに入れなかった。この3つの文書を見るのには順番はないと言っていたが、なぜか観光客は順番に並んで一点一点見ている。私は列に並ぶのが億劫だったので、その列を無視して真っ先に独立宣言書を見に行った。これがあの独立宣言書か、と鳥肌が立つくらいであった。やはり本物は違う。教科書で学ぶよりも明らかにインパクトが違う。各文書が展示されてあるケースに横には警察が立っている。どれほど重要かがうかがえる。
 上の自由の憲章以外にもマグナ・カルタが展示されてあった。世界史で習ったのを思い出す。その世界史の先生がいつか本物に触れて来て下さい、と言っていたことを思い出す。その後、ギフトショップに行き、お土産を買う。独立宣言書のレプリカも置いてあり、シャレで買おうかと思ったが、少し高かったのでやめた。
 国立公文書館を出た。博物館はだいたい17時で閉まる。今日行くところはこのくらいにしておこうと思い、ホテルに戻ることにした。帰る途中にホワイトハウスを見ようと思い、歩いてそちらの方に向かった。ワシントンにはリスがいて驚いた。普通に歩いていたら、何処からか現れるのだ。まじかで見たのは初めてである。
 ホワイトハウスに着き、正面玄関では何やらデモが行われていた。そこには、SWATが。いろいろなモノが見ることができてラッキーである。このホワイトハウスにオバマ大統領が住んでいるので、出てきてほしかったが、そこまで夢がかなわなかった。

2011年7月25日月曜日

現地調査

 昨日は更新できなくて、申し訳なかった。
 昨日は、ボランティアの仕事で夏休みに活動する場所をけってしなければならならず、その前に現地調査ということで、一回実際にボランティアセンターを訪れて、直接話をしようと思い、岩手県の遠野市と宮城県の登米市に行ってきたのだ。メンバーの車で6時30分にここを出発し、高速に乗って3時間4時間かけてまずは遠野市を訪れた。カーナビが付いていなかったので、携帯で調べながらやっとのことでたどり着いた。活動時間でボランティアの人は被災地に行っているのか、あまり人がいなかった。スタッフの方の話を聞き、質問などをした。活動場所や活動内容、施設の紹介をしていただいた。
 その後、再び高速に乗り、宮城県の登米市に向かった。登米市にあるボランティアセンターは、山の中にあり、雰囲気が良かった。子供たちがいて、元気そうに遊んでいて、それを見て少し安心した。夏休みに活動する場所というが、そのあとはまだどうするのか考えていない。夏休みに活動したところへ行き続けるのもいい。少し遠いので、青森から近い被災地にするかなどをいずれ決めなければならない。それは夏休み中に決めるとする。
 今回は2か所訪れた。どちらかに決めなければならないが、今考え中である。

2011年7月23日土曜日

ホロコースト記念博物館

 スミソニアン国立自然史博物館を回っている。ここは映画「ナイトミュージアム2」で舞台になったところである。ギフトショップに行ったが、お土産で買うようないいものはあまりなかった。この自然史博物館は今度はもっとゆっくり館内を回りたい。今回は、歩きながら見て回るという感じであったからだ。それにしても広かった。
 その後、1時15分からホロコースト記念博物館に行かなければならなかったので、その時間に合うように自然史博物館を出た。快晴で、歩けば汗ばむくらいであった。本にはまだ寒いくらいと書いてあったが、本当にいいときに来れてよかった。それだけでもラッキーである。
 再びこのホロコースト記念博物館にやってきた。先ほどの自然史博物館もそうだが、ここも人でいっぱいである。なぜこのホロコースト記念博物館がこのワシントンDCにあるのだろうか。ここはワシントン記念塔や国会議事堂、最高裁判所、リンカーン記念館、ジェファソン記念館などというこの国を象徴するような重要なエリアの中で、なぜこの記念館があるのだろうか。アメリカ人口のユダヤ人比率は、1.7%でわずかある。もうわかると思うが、それだけ重要な人種ということである。ユダヤ人がどれほど優れているのかということだ。
縦向きにできませんでした。
 整理券を渡し、エレベーターのところに並んだ。乗る前に、殺されたユダヤ人の子供の写真が写ってあるパスポートが渡される。上から下に降りてくるという順炉で、4階に上がった。降りてまず目に飛び込んできたのは、焼け焦げた大量の死体の巨大なパネルだ。いきなりのショッキングなものを見せられ、、前に進めるのか不安になった。この階のテーマは「ナチスの暴力」。ナチスがどのように成長していったのかが描かれている。館内は薄暗く、誰一人話をしない。いや、声を出すことすらできない。それほど緊張に包まれている。
 3階に下りる。この階のテーマは「最終回答」。彼らが選んだ回答、すなわちホロコーストだ。ショッキングな映像は子供が見れないように、覗きこむような形で映像を見る。ユダヤ人を人間として扱っていなかった。人体実験はすさまじいものである。ブルドーザーで死体の山を穴の中に入れていく。黙々と作業をする人は無表情である。戦争は人間の感情を奪ってしまうものなのかもしれない。
縦向きにできませんでした。
 2階のテーマは「最終章」。ナチスの敗戦で次々に解放された収容所で連合軍の兵士たちが見たものは、この世の地獄とも言うべき膨大な数の死体の山だった。戦争は正義でも道でも何でもない。ただの愚かな行為にすぎない。当時の人たちはそれを思わなかったのだろうか。自分たちがしていることはとんでもなく戯けたことだと。
 収容所内部のフィルム、直しに堪えない残酷な映像も目をそらさずに脳裏に刻むことが、この博物館を訪れた者の義務だ。この世で最も非人道的と言われたホロコースト。過去に目をふさぐものは未来でも同じ過ちを犯す。私たちはこの戦争を次の世代へと受け継いでいく義務がある。そのためにここを訪れてみてはいかがだろうか。
 外は暑く、館内も暑かったので、最初は腕をまくっていたのだが、何処だか覚えていないが、ある扉をくぐった瞬間、体中に寒気が走った。そこから寒くて腕をまくっていたのを直したのを覚えている。見学が終わって、小さな休憩室みたいなところがあった。座りたいと思い中へ入ると、女性が一人、頭を抱えながら下を向いていた。そっとしておいてあげようと思い、座らずに違うところへ行った。男性の背中をさすってあげていた女性がいた。ショッキングすぎるこの博物館。日本では考えられない博物館だ。
 人間という生き物はとんでもなく愚かな生き物である。自分の利益のためならどのような手を使ってでも利益を手に入れる。戦争とは何だ。平和とは何だ。今、私はそれについて考えている。考えても考えても簡単に答えは出そうにない。人間は愚かな生き物だ。しかし、私は信じ続けたい。本当は人間という生き物はとんでもなく優しい生き物であるということを。

 この博物館では残念なことに、写真撮影は禁止であった。なので、お土産で買ったポストカードをデジカメで撮ったので、それを載せたい。

2011年7月22日金曜日

スミソニアン協会自然史博物館

 リンカーン記念館の後はどうしようかと思い、ここで訪ねようと思っているところを整理した。ワシントンDCで一番行きたいところは、ホロコースト記念博物館である。ここだけは絶対に外せない。ある意味ここに来るためにワシントンDCに来た様なものである。予定では、明日最終日に行こうと思っていたが、もし行けなかったら困るので、今行こうと気が変わった。そうと決まったら歩き出した。
 プールの横を通り、ワシントン記念館のところを通った。思ったより遠い(笑)。しかし、ここは最高の散歩道になりそうである。ジョギングしている人がたくさんいた。心が和やかになる。
 さぁ、ホロコースト記念館に到着した。まずはセキュリティチェックをし中へ入る。ここはありがたいことに無料なのだ。この記念館は整理券をゲットしなければならない。その整理券に書いてある時間に来るという流れだ。私が貰った整理券は、1時15分からであった。今は11時30分くらいであったので、その前に違う博物館に行くことにした。
 向かったのは、スミソニアン協会国立自然史博物館だ。ここ世界最大の博物館である。この博物館の収蔵するコレクションの数は1億2650万点。これはスミソニアン全体の92%を占める数である。
 スミソニアン協会「人類の知識の普及と向上をはかる」ことを目的に、1846年8月10日に創設された。2010年現在、協会の収蔵品数は1億3700万点を超え、実際に展示されているのはそのうちのたった2%にも満たない。これは驚くべき数字である。スミソニアンのこれ気う所ンは、人類の過去、現在、未来における科学、歴史、技術、芸術、文化のショーケースといえる。それらを無料で見学させてもらえるのは、世界中探してもスミソニアンしかない。
 セキュリティチェックをし、中へ入るとマンモスがお出迎えしてくれた。観光客がたくさんいる。ここでも見たいものがあった。しかし、中はかなり広い。館内で何キロくらい歩いただろうかというくらいである。これは一点一点見ていたら、1日で見ることは不可能だ。あまり興味のないところは飛ばすようにした。
 興味があったのは、恐竜の化石のところだ。恐竜は子供の時から大好きである。もう一つは宝石のところだ。世界最大のブルーダイヤモンドなどはかなり興奮した。開いた口がふさがらない。美しいの一言。これが世界一美しいと言われているダイヤモンドかと。今まで見てきた宝石が石ころのように思えた。写真にとっても、光が強すぎるのか、きれいに撮影できない。これは写真で見ても意味が無い。実際に足を運んで自分の目で確かめるのが一番だ。本物は素晴らしい。写真や偽物を100回見るよりも本物を1回見る方が感動も何から何まで違う。そこが良い。ここまで来た価値がある。感動の連続だ。

2011年7月21日木曜日

リンカーン記念館

 ここワシントンDCもよく晴れていて気持ちが良い。テレビのニュースを見ていたが、西海岸の方は大雨らしい。東海岸か西海岸で迷っていたが、東海岸にして正解である。ワシントンはニューヨークと全く違う雰囲気の街だ。ニューヨークはエキサイティングの街で、高層ビルがバンバン立ち並んでいたが、ワシントンは高層ビルはない。街も落ち着いている。ワシントンはどこの州にも属さない独立行政自治区だ。
 ホテルから歩いて、今日訪ねるところに行くことにした。まずはリンカーン記念館に行くことに。適当に歩いていたのだが、気が付けばジョージ・ワシントン大学の中を歩いていた。何か雰囲気が違うぞと思ったが、大学の中であった。それにしても美しい大学である。アメリカの大学というのはこのようなものなのであろうか。私の大学は狭いので、解放感が全くない。こんな狭いところにいたら、考えや価値観までもが狭く小さくなってしまいそうである。しかし、このジョージ・ワシントン大学は広く美しい。建物の前の階段に座って本を読んでいる女子学生がいた。うーん、私も階段に座って本を読んでみたいものである。 
 しばらく歩いていると、天に突き刺す石の塔が見えてきた。これがワシントン記念塔か、と感動する。一気に視野が開けたが、想像していたよりもはるかに広い。地図で見る限りでは、すべて歩いて行けそうな距離だと思っていたので、ニューヨークほどは歩かなくて済むだろうと安心していたが、ここでもかなり歩かなくてはならない気がしてきた。
 リンカーン記念館の方へ行くと観光客が多くなってきた。リンカーン記念館はここでも登場するが、映画「ナショナルトレジャー」でも撮影されていた。今回もニコラス・ケイジが立っていたところに立ってみた。同じ景色を見る。気持ちが良い。中ではリンカーン大統領が椅子にどっしりと座っている像がある。かなり大きい像だ。
 このリンカーン記念館から見る景色は最高である。正面にワシントン記念塔がある。その手前に、“Reflecting Pool” という大きな池みたいなものがあるのだが、私がいたときは工事をしていたので、水が無くて残念である。ここは映画「フォレスト・ガンプ 一期一会」でも舞台になっている。ここからの景色は何時間でも座って見ていてられるだろう。
 気持ち的には、ここワシントンの方が落ち着いている。移動距離もそれほどなく、夜遅くまでの外出予定はなかったので、そういう意味ではこちらの方が楽しめる。ニューヨークも最高だったが、ワシントンも最高だ。ワシントンの旅が始まった。

2011年7月20日水曜日

ワシントンDCへ

 台風が近づいているのか、かなり風が強い。大阪では台風の圏内に入っている様子である。外を歩くときはモノが飛んでこないか注意しなければならない。暴風警報が出たら休講になるのだろうか。それはどうでもいいのだが。



 私は今アムトラックに乗っている。しばらくすると目が覚め、外が明るくなっている。少し汚れた窓にうっすらと自分が映っている。私は今アメリカにいる。この旅の計画を立てるのに1カ月を費やした。それが一瞬に過ぎていく。旅も後半戦に入る。いつもなら家族と一緒にいて、友達と一緒にいて、なかなか一人という時が無い。もちろん部屋に一人でいることはあるが、ここはどこなのか、次はどこに行けばいいのか、などという新鮮さはない。しかし私はその新鮮さの中にいる。たまには一人でいるのも悪くない。自分探しの旅とよく言うが、具体的には今の私には説明できない。ただひたすら歩いて景色を見ているだけだ。しかし、何かを見つけたいのは確かだ。それは何でもいい。ただ単に何かを掴みたいだけだ。世界を見たいと思い、この度を計画したが、本当は何かを見つけたくて日本を飛び出したのかもしれない。
 隣に白人青年が座り、また列車が動き出す。何やらレポートらしきものを読んでいる。学生なのだろうか。また眠くなってきたので、再び眠ることにした。
 ワシントンDCに到着。3日前にここにいたが、久しぶり、帰ってきたぞ、という気分だ。美しいユニオン駅。日本と違うので、なんでも美しく見えてくる。まずはホテルに行って荷物を置こうと思い、ホテルに向かうことにした。ユニオン駅から地下鉄レッドラインに乗ればいい。乗り換えなしだ。切符を買おうと思ったが、買い方を忘れてしまった。この前教えてもらったのに申し訳なくなった。適当にボタンを押し、$10入れた。シングルパスがほしかったのだが、何と$10の切符が出てきてしまった。おそらくここでも地下鉄に乗ることはほとんどないだろう。私にとって$10はかなりの大金である。交換してもらう勇気もなく、仕方なしにこの切符で行くことにした。“Farragut North” という駅で降りて、地図を見ながらホテルに向かった。
 到着し、愛想のいい黒人スタッフの方が迎えてくれ、ニューヨークと違ってなかなかいい感じのホテルだ。カード式のキーが渡され、私の部屋は2階だった。部屋番号は書いてあったのだが、1か7かわかりにくい。1と思ったので1の部屋を空けることにした。カギの開け方も書いてあったが、その通りにしてみたつもりだが開かない。7なのかと思い、そこもやってみたが開かない。やっぱり1だろうと思い、何度か繰り返していたら開いた。カギの開け方も最初は難しいものだ。しかし部屋に入ってみると、その広さにびっくりした。これほど広いホテルに泊ったことは初めてである。ちゃんとお風呂とトイレもある。これでゆっくりできそうだ。この一人ではもったいないほどの部屋で、このアメリカの旅の疲れも少しは癒せるだろうと思い、日本でこのホテルを予約した時は高いと思ったが、今はここにして正解だったと満足である。今晩のお風呂が楽しみだ。

2011年7月19日火曜日

朝からドタバタ

 アメリカ時間の3月19日午前4時、起床し、出かける準備をする。もっと寝ていたいという気持ちが大きかったが、ワシントンに行かなければならない。ワシントンは2泊しかしない。ゆっくりしている時間はない。急いで身支度をし、ベッドの枕元にベッドメイキングのチップとして、3ドル置いた。ホテルのフロントへ行き、カギを返す。お礼を言って外に出た。外に出たところに、このホテルに泊っているらしき男性がタバコを吸っていた。目があったので、挨拶をし、このホテルはどうでしたかと聞くので、あれやこれやと文句を言った。しかし、総合的にはまあまあかなというと、なるほどと彼もそのような感じであった。どこに行くのか聞かれたので、今からワシントンに行くというと、気を付けていって来てくださいと言ってくれ、さよならを言った。急いでいるところにつかまってしまったので、余計に速足で、ペンシルバニア駅に向かった。
 外はまだ真っ暗だ。人通りもほとんどない。新聞紙が風で舞い、紙コップが風で転がる。本当に映画みたいだ。アメリカにいてこの時が一番怖かった。人がいないということは襲われる危険があるということだ。できるだけメインストリートを歩くようにした。道路を掃除しているトラックのエンジン音がやかましい。掃除をしているというよりかは、ゴミを撒き散らしているだけのようだ。
 ペンシルバニア駅に着くと、人がたくさんいて安心した。早速アムトラックのチケットを買おうと思い、カウンターの列に並んだ。カウンターはいくつもあるのに、空いているカウンターはわずかしかなかった。焦っても仕方が無かったが、早くしてほしかった。待っているときに予想していたことが起こってしまった。なかなか進まないので、しゃがんでいたのだが、列が進んだので詰めようと思い、立った時に立ちくらみがきたのだ。しかもこれはかなりきつい。まともな食事は取っていない。貧血だ。そして気分が悪くなってきて、目が回る。こんなところで倒れてはいけないと思い、必死で耐えていた。そしてやっとのことでチケットを買う番がやってきた。一番早いのを頼むと、もう出発するから急げと言われた。近くにいたスタッフみたいな人に、ここで良いのか聞くと、はい、ここですよと言い、急いでエスカレーターを降り、目の前にあったドアから飛び乗った。しばらくしてドアが閉まり、発車した。ギリギリセーフだった。アムトラックは自由席だが、ファーストクラスやビジネスクラスがあったような気がして、私が乗ったこの車両は何なのかわからなかったので、かなり太った車掌さんに聞いてみたが、どこでもいい、と言う。ここでもいいのかもう一度聞くと、やっぱりどこでもいい、と言う。怒っているみたいだった。
 朝早かったので、店が開いていなかったので、水を買うことができなかった。気分が悪かったので、何か飲みたかった。日本から持ってきたお茶をスーツケースに入れてあるのを思い出し、狭い席だったが、スーツケースを開け、手探りでお茶を取り出し、お腹に流し込んだ。これで大分落ち着いたので助かった。これでニューヨークともお別れだ。本当に短かった。今度はもう少しゆっくり来れるようにしたい。車掌がやってきて切符をチェックする。サインをしろと突っ返された。この前アムトラックに乗った時は、サインをしなくても何も言われなかったが、今回はする必要があるみたいだ。ペンを貸してくれ、サインした。だんだんと眠たくなってきたので、カバンを抱きながら眠りについてしまった。

2011年7月18日月曜日

タイムズスクエア

 3連休であったが、私は土曜日と月曜日、ボランティア関係で弘前の方まで出かけていたのだ。土曜日はある企業の方と、今日はボランティアに参加している方と話をしたのだ。どちらとも私の団体に協力して下さるという方だ。変わりゆくボランティア活動を教えて頂いた。今、被災地は子供の遊ぶ場所が無く、子供たちが大変不憫な気持ちでいるのではないかという。子供の仕事は遊ぶことだ。その仕事ができなければ子供たちがかわいそうである。私たちはまだ学生ということで、子供たちとも年齢が近い。一緒に時間を過ごすことはできないのだろうか、ということについても話をした。なんとかしてあげたい。
 夏休みに私たちが初めて活動する場所を決めているところである。初めて活動するので、自分たちの思った通りの活動ができないかもしれない。しかし、それは仕方のないことだ。アルバイトにしても研修期間が1カ月や2カ月あるものだ。自分の思った通りに仕事ができない。それと同じだと思う。しかし、できるだけ自分たちのやりたいことができるようにしたい。メンバーにも自分のやりたいことがある学生がいる。彼女らの思いをできるだけかなえてあげたい気持ちがある。行きたい場所ですら様々な意見がある。私はリーダーである。決断しなければならない。これからどう活動していくのか考えるとき、孤独や不安を感じる。追いかける人がいないというのは本当に辛いことだ。しかし後ろを見れば、メンバーたちがいる。メンバーが私の背中を見ている。情けない姿は見せられない。不安と焦りが私を襲う。これがリーダーなのであろうか。



 今私はブロードウェイを北上中である。脚も腰も限界だ。切断したくなるほど疲労がたまり、痛む。ホテルに戻ったらマッサージをしなければならない。お風呂に入れたらいいのだが入れない。お風呂はワシントンまでお預けだ。徐々にタイムズスクエアに近づいてきている。ニューヨーク最後のイベントだ。高校の先生には、タイムズスクエアは昼に行くよりも夜に行った方がいいと言われていた。
 向こうを見るとかなり明るいのがわかる。あれがタイムズスクエアかと足が速くなる。そのエリアに入った瞬間、脚と腰の痛みが一気に吹っ飛んだ。360度光のネオン。この光のすごさに圧倒された。まるで祭りの様である。これがタイムズスクエアなのか。今まで見てきた繁華街は、大阪の梅田や難波、東京の渋谷や新宿などたくさんあるが、このタイムズスクエアに匹敵するものはない。「世界の中心」という感じがした。写真を撮りまくる。撮らずにはいられない。素晴らしいとしか言いようがないこの景色。こんなものがこの世に存在していたのかと思えるほどだ。ニューヨークはこれほどまでにインパクトのある街とは思っていなかった。
 お祭り気分でしばらくそこにいた。人が大勢いたので、祭りみたいなものだが。道路が通行止めになっていて、そのタイムズスクエアだけ毎晩歩行者天国になるのだ。それにしてもすごい。
 ホテルに戻り、一気に疲れが出てきた。脚をとにかくマッサージした。明日ワシントンに戻らなければならない。ゆっくり眠りたかったが、そうはいかない。朝早くのアムトラックに乗る予定だ。
 後で調べたのだが、このタイムズスクエアは「世界の十字路」と呼ばれているそうだ。

2011年7月17日日曜日

ブロードウェイ北上

 フェリー乗り場を出て、前に広場があり、そこのベンチに座って休憩する事にした。日記を書くことにし、足の上にノートを置いて、今日の出来事を書き綴った。疲労がたまっている。昨日といい、今日といい、歩きまくった。昨日もかなり歩いたが、今日はもっと歩いた。しかもこれからもっと歩かなければならない。ニューヨークで最後に訪れる場所だ。ここも逃せない場所だ。夜のタイムズスクエア。ここを見ずして、ニューヨークを去るわけにはいかない。これが最後のイベントである。
 夕焼けの中で日記を書くのもとても気持ちが良い。日本ではやったことが無かった。一人でいると、自分と話ができる。これほど自分とゆっくり話をしたことが無かったのではないだろうか。この二日とも晴れて、最高のニューヨークであった。あっという間に過ぎ去った時間。最初の計画はここには来る予定はなかったのだが、先生との相談でここに来ることを決めたが、来てよかったというより、絶対に訪れなければならないところだ。本当に来てよかった。
 そろそろ行こうと思い、立ち上がる。地下鉄で行く方法もあるが、ここまで歩きまくっているのだから、最後まで歩いてやろうという気分だったので、歩いて移動する事にした。タイムズスクエアまではかなりの距離がある。今でさえ疲れているのに、歩いていけるか、覚悟が必要であった。ブロードウェイを北上。ひたすら北上すればタイムズスクエアに着く。死闘とも言うべき移動が始まった。
 ブロードウェイはかなりの人が歩いている。さすがという感じだ。歩くスピードも速い。私は疲れていたので、少し歩くスピードが落ちていた。女性も歩くのが早い。私の横をスタスタとぬかしていくではないか。うーん、追いつけない(笑)。みんな背が高く、私は前の方を見ることができない。かんぜんに埋もれてしまっている様子だ。
 たくさんの店があり、寄り道したくなる店もあったが、少し入る勇気が無かった。それにしても足と腰が痛い。これほど歩いたのは生まれて初めてだ。これからの人生でこれほど歩く機会があるのだろうか、というくらい歩いている。地図で確かめてみると、今日の朝(イントレピッド博物館)から最後、自分のホテルまで歩いた道のりは、マンハッタンを縦断できるくらいの距離であった。自分でもすごいと思った。おそらく誰かといたら、これほどタイトな日程をこなすことはできなかっただろう。自分の好きなことができるというのも一人旅の良いところだ。見ず知らずのところに行くときは、誰かと行った方が安心だが面白くない。一人だからこそ何倍も楽しむことができる。恐れていては何もできない。いつまでも殻に閉じこまったままだ。いつまでも狭い殻の中でモノの判断をする。視野も心も価値観も狭いままだ。その殻をぶち壊すのは結局自分にしかできない。私も少しずつ自分の殻を壊してきた。もちろんこれからも壊し続けるだろう。誰のためでもない。自分のためだ。大きな人間になる。誰よりも輝く人間的魅力を持った人間になる。今はそれの準備段階だ。

2011年7月16日土曜日

自由の女神

 マンハッタンの最南端に来た。今回自由の女神を見る方法は、マンハッタンの向かいに、スタテン島という島があるのだが、そことつないでいるフェリーに乗って、自由の女神を見ようと思っていた。通勤用のフェリーなので、ありがたいことに無料である。自由の女神がある島は、リバティ島だ。もちろんその島に行くツアーもあったのだが、今回はただで見れるものにした。
 スタテン島行きのフェリーがあるところに来た。どこにあるのだろうかと心配であったが、すぐに分かった。予想以上に人が多い。ゲートがいくつかあったような気がするが、一番人が多いところに一緒になって並んだ。フェリーがやってきて、門が開いた。思ったよりも大きなフェリーである。「あの自由の女神が見れるんだ」という興奮が収まらなかった。フェリーに乗り、階段を上って一番上の開放デッキみたいなところに行った。窓ガラス越しではなく、直接この目で見たかった。座席もあったが、座る気がしない。さぁ、約25分の航海の始まりだ。
 ゆっくりと舟が動き出す。小さく自由の女神が見える。いよいよだ。海にカメラを落とさぬようにしっかりと握りしめて、今か今かと対面の時を待つ。風が強い。しかし、何とも気持ちのいい風だ。じっくりと近付いてくる。そして女神の前に立った時、なぜかわからないが涙が出てきた。何の涙だろうか。悲しみではない。喜びとも違うかもしれない。ただ単に嬉しかっただけなのか。涙の理由は自分でもわからない。これが自由の女神。手を高らかに天に突き上げ、美しく、勇ましく、堂々たる姿。この姿を一体何に例えたらいいか。とにかく太陽に輝いてみえる。そうだ、これが自由の女神なのだ。
 25分の航海はあっという間であった。スタテン島では何もする予定はなかったので、すぐさまマンハッタンに帰るフェリーに乗ろうとした。そう思っているのは私だけではなかった。かなり多くの人が、すぐさま復路のフェリー乗り場に並んだ。彼らも自由の女神を見るためにこのフェリーに乗ったことはすぐにわかる。
 夕日が美しい。海がまぶしい。カモメと共に航海をする。再び女神の前に立つ。この自由の女神はどこを向いているのだろう。マンハッタンに向いていないことは確かだ。“LIBERTY” そのものに向いているのだろうか。
 しばらくするとマンハッタンが近づいてくる。このマンハッタンの景色が一番美しいと言われている。展望デッキにいた私はすぐさま階段を降り、前方が見える場所へ移動した。人がたくさんいたが、写真を撮りまくった。船が揺れてうまくは撮れなかったのだが。高層ビルが多いマンハッタンだが、なぜだか空が広いように感じられた。こちらも最高に美しい。これぞマンハッタンだ。往復で50分の航海であったが、感無量の50分であった。素晴らしい。また女神に会いに行きたいと思う。

2011年7月15日金曜日

ウォールストリート

 今ブルックリン橋を渡っているが、かなりくたびれながら渡っている。やはり先ほどの遠回りが効いてきているようだ。マンハッタンに向かっているが、右手にはマンハッタン橋が見える。こちらの橋も美しい。マンハッタン橋は通行できなさそうであった。よく見ると電車も走っている。遠くにクライスラー・ビルが見える。昨日近くを通った。昨日はあそこら辺を歩いていたのかと思いながら風景を見ていた。橋の上から見るマンハッタンの景色も最高である。高層ビルだらけだ。
 ブルックリン橋はアメリカで一番古い吊り橋であり、同時に鋼鉄のワイヤーを使った世界初のつり橋である。
 やっと渡り切った。疲れた。そしてお腹がすいた(笑)。ニューヨーク市庁舎の前に広場があったので、そこで少し休憩する事にした。ベンチなどはなかったので、適当に座れるところを探して腰を下ろした。そういえば今日でニューヨーク生活も終わりか、と急にそう思ったのだ。一昨日来たばかりで、昨日はいろんなところを訪ね、今日も歩き回っている。時間の流れるスピードが速い。楽しいことは一瞬で過ぎていく。昨日はホテルのドアを開けるのに恐れを抱いたが、今はこうやってニューヨーク生活を満喫している。
 さぁ、次は自由の女神を見に行こう。ニューヨークに来たらこれは外せない。東京のお台場にも自由の女神はあるが、やはり本物を見なければ。腰を上げ、そちらの方へと向かった。ブロードウェイに戻り、南下する。ここはロウアーマンハッタンと呼ばれるエリアだ。経済の中心地。歩いていると、教会が見えてきた。トリニティー教会である。映画「ナショナルトレジャー」では、このトリニティー教会の地下に財宝が眠っていた。そしてその前の道路は、ウォールストリートである。今私はブロードウェイとウォールストリートの交差点にいる。そのことにも感動した。
 ウォールストリートに入る。表通りなのかと思っていたが、裏通りみたいであった。しかし、ウォールストリートに入った時、一瞬にして空気が変わった。「世界経済の中心」のオーラが漂っている。ウォールストリート独特の雰囲気である。ニューヨーク証券取引所を見たりした。連邦準備銀行もここにあるのだが、以前のブログでも書いたように、予約でいっぱいだったので、今回は行くことができない。
 歩いているだけでも興奮が収まらないニューヨーク。楽しいの一言。決して日本にいても味わうことのできないこの興奮、楽しさは、やはりここに来なければわからない。貴重な経験をしているということを忘れずにいなければ。
 その後、お腹がすいていたので今回もコーラを飲んでごまかすことにした(笑)。といっても、もうごまかしきれないところまできているのだが。

2011年7月14日木曜日

ブルックリン橋

 ブルックリン橋は観光客であふれていた。かなりわくわくしながら橋を渡っている。この橋は、マンハッタンとブルックリンをつないでいるのだ。ブルックリンはマンハッタンの地下鉄が一気に集まってくる場所なので、私が宿泊場所を探しているときに、高校の担任の先生がこのブルックリンを薦めてくれたのだ。確かに便利そうである。結局泊るところはブルックリンにしなかったのだが。
 それにしても美しい橋である。下は木でできていて、煉瓦の塔。橋の上で結婚式が行われていた。こんなところで結婚式ができるのは羨ましい。 
 この橋は歩行者用と自転車用で通れるところが違うのだ。マンハッタンからブルックリンに向かって歩く時で見てみると、右側が歩行者用、左側が自転車用だ。そこで面白いものを見た。自転車でこの橋を渡る人は少なかった。歩行者はかなりの人だったので、自転車の通るところにも人が歩いていたのだ。そしたらその自転車の通路に歩いていた人に向かって、“Watch your back!!!” と自転車に乗った黒人女性が叫んだのだ。その大声に私もびっくりしてしまった(笑)。この国の女性は何て強いんだろうと感激したのだ。その時、レディーファーストの意味がわかった。女性は弱いからレディーファーストなのではなく、強いからレディーファーストなのだと。勇ましい女性を見ることができ、気分がすっきりした。
 かなり橋の上を歩いているが、なかなかブルックリンに渡ることができない。この橋は何メートルあるのだろうか。そろそろ渡りきるところに差し掛かったところ、右か左かを選ばなくてはいけないところに来た。私は右を選んで進んでいったが、これが大失敗。かなりの遠回りをすることになってしまった。私は、この橋を下から見たいと思い、公園があると本に書いていたので、そこに行きたかったが、どうやって行けばいいのかわからない。ブルックリンに入ったが、どこに行けばいいのだろう。とりあえず、河の方角へ歩き出した。足と腰が痛い。
 人通りがだんだんと少なくなってきた。ちょっとヤバいかも、と思いながら速足で歩き続ける。アメリカらしい家が立ち並んでいた。写真を撮りたかったが、それよりも早く人通りが多いところへ。やっと明るい場所に出た。ブルックリン橋が見える。公園といえば公園なのだが、私が行きたかった公園ではない。しかし、今からそこに向かう元気はなかった。とりあえずそこからの景色を写真に収めた。ベンチもあり、しばらく休憩。一体何キロ歩いているのだろう。脚を千切りたくなるほど疲労と痛みがたまっている。
 そろそろマンハッタンに戻ろうと思い立ち上がる。先ほどの道に戻るのは遠回りなので、右か左かで迷ったところの左側の出口を探そうと思い、ブルックリン橋の方に向かって歩き出した。やはりどこかわからない。近くに来ていることは確かなのだが。ちょうどそこに黒人警察が。迷わずに道を聞いた。ブルックリン橋に行きたいのですが、ここからどうやって行けばいいですか。優しい警察官で、聞きなおしても優しく教えてくれた。しかもかっこいい。警察を見ると安心してしまうようになった。石の階段を上り、ブルックリン橋に戻ることができた。よかったよかった。