私がこのアメリカ一人旅についてこのブログに書かなかった理由は、東日本大震災ともう一つある。改めて文章に書くということは、旅を振り返ることになる。つまりそれは、旅が終わっていることを意味している。今まで生きてきた中で最高の、あの素晴らしい1週間の旅をまだ終わってほしくないという気持ちがあった。文章にしてしまったら旅が終わってしまうような気がしていたのだ。それですぐに文章にしたくなかったのである。
これほど旅から時間が経ってしまったので、もう忘れてしまっているのではないかという人もいるかもしれないが、それは大丈夫である。向こうに行った時、毎日日記を付けていたからだ。小学校の時は、日記を無理やり書かされていたということもあったが、生まれて初めて自分から日記を付けていた。見たモノすべてを書きとめた。そして見たモノすべてを写真に収めた。それらを読んだり見たりすると、当時の風景がよみがえってくる。もちろん忘れてしまっていることもあるが、大部分は記録になっているので心配無用である(笑)。
朝早くの暗い大阪の街を一人歩いた。いつもなら人でいっぱいの梅田も、さすがにその時間にはそれほど人がいなかった。スーツケースを引いて歩くのは初めてであったので、スーツケースがいうことを聞いてくれず、うまく転がすのには少し時間がかかってしまった。
7時55分伊丹空港発、成田空港行きの飛行機に乗らなければならなかった。少し遅くなってしまったと思ったが、調度くらいであった。伊丹空港に来るのは覚えているうちでは3回目だ。1回目は、兄が友達と北海道へ遊びに行くときに、空港まで見送ったことがある。2回目は、今通っている大学の友達が関西に遊びに来た時、帰るときに空港まで見送った時だ。どちらも飛行機に乗りに来たわけではない。どのカウンターに行けばいいのか分からず、適当に国際線と書いてあるカウンターで聞いてみて、乗り継ぎのある人は向こうのカウンターだと教えてくれた。スーツケースのチェックをし、チケットをもらった。バックパッカーを持った学生くらいの男性二人がいたのだが、いかにも旅慣れをしているという感じであった。「現地に入ったら情報を集めよう」と言ったのが聞こえた。すごいな、と感心してしまった。
手荷物チェックをし、飛行機の中へ。誰もが心配することだが、「落ちないかな」と私ももちろん心配していた。しかし初めての飛行機ということもあり、わくわくもしていた。私の席は、一番奥の窓側であった。のろのろと動きだし、滑走路へ。いきなりスピードを上げ、気が付けば機体が浮いている。「飛んだ!」と心の中で叫んでしまった。あっという間に雲の中へ。街が小さくなった。「これが飛行機か」約1時間ほどのフライトであったが、外の景色を見てかなり楽しめた。とりわけ富士山の美しさには言葉を失ってしまった。隣に座っていた男性は、飛行機慣れしている様子で、すぐに毛布を注文し、ひじ掛けの下にあるリモコンを操作し、音楽を聞き始めていた。あれよあれよと成田空港に到着してしまった。9時過ぎであった。預けたスーツケースは、ワシントンDCのダレス空港で受け取ってくださいと、伊丹空港で言われたので、成田空港ではスーツケースは触らなかった。これがハプニングにつながるとは、この時思いもしていなかった。
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