2011年6月14日火曜日

アメリカまでの道のり

 今日も今月末のボランティア報告会の宣伝のお願いをしに、A中央大学に行ってきた。私のお願いに乗ってくれ、大変うれしかった。明日も行かなければいけなくなった。その報告会に参加してくれるように、こちらとしても頑張らなければならない。
 今日の朝は雨が降っていた。久しぶりに寒いくらいの気温であった。これで体調を崩す人がいるのは確かだろう。季節の変わり目は体調を崩しやすいので気を付けたい。


 授業が終わった後、『深夜特急』のシリーズをすべてそろえようと思い、買いに行ってきた。すべてそろったのだが、『旅する力』という「深夜特急ノート」という形まとめとして出版されているので、それも今度買いに行きたいと思う。しかし、この本を読んでいると、この前私がアメリカに行った時のことをよく思い出す。ということで、私のアメリカ一人旅のことを、数日かけて書いていきたいと思う。
 なぜ私がアメリカから帰ってきてすぐに書かなかったのか。その理由は震災の影響がある。日本に帰ってきてまず思ったことは、その災害の状況はどうなっているのかが一番気になっていた。もちろんすぐに書きたい気持ちもあったが、それどころではなかった。すぐにボランティア探しに走った。もちろん今も震災の影響は続いている。常に支援する気持ちは忘れないでいたい。
 
 まずは、そのアメリカ一人旅に行くまでの経緯を書いていきたい。さかのぼればどこまで行くのかわからないが、まずは簡単に中学校の話でもしようか。私が中学校で一番成績が良かったのは英語だ。とにかく英語はよく勉強したのを覚えている。3年間同じ先生であったし、私が今まで出会った先生の中で一番面白い先生でもある。中学校の先生で、卒業後何度もお会いしている先生だ。その先生の言葉が今も胸の中にある。「英語ができれば、人生2倍3倍にもなる」
 中学校の時は、アメリカンイングリッシュとブリティッシュイングリッシュの違いにも興味があった。何がどう違うのか、どう発音が違うのか。アメリカンイングリッシュが使われているのはこのエリア、ブリティッシュイングリッシュが使われているのはこのエリア、と世界地図を見るようになった。そこから世界に興味がわいてきた。日本は何て小さい国なんだろう、と。
 私は中学校卒業後、英語科のある高校に進学した。英語を勉強したかった。親父は理系に進学させようと必死であったが、私には興味があまりなかった。中学校から数学が苦手になっていた(笑)。英語科にはやはり英語が得意な人ばかりが集まり、私は下の方であった。正直、高校に入ってからは英語の成績は伸びなかった。しかし、成績は悪かったが、英語はなぜか嫌いにならなかった。毎日英語の授業があり、英語理解、英語表現、異文化理解、時事英語、イングリッシュコミュニケーション、その他にもたくさんの英語の授業があった。イングリッシュコミュニケーションの授業では、各10人に分かれて、一人のALT,そして英語の先生とひたすら英会話の授業があった。今思えばこの授業は素晴らしい授業であった。英語を話すのが自然になってくる。私は高校生の時は英語をある程度話せていた。私が今通っている大学の英語の授業よりもはるかにレベルが高いし、質も良い。ここに来てからは英語をめっきり話さなくなった。そしてそのコミュニケーションの授業では、英語でディベートもした。お題は様々。国際結婚に賛成か反対か、人工妊娠中絶に賛成か反対か、嘘をついていいか悪いか、などなど日本語でも難しい内容だが、それを英語で会話していた。
 高校生の時のあまりいい思い出ではなかったことがある。それが今回のアメリカ一人旅につながってくる。私の高校では研修旅行というのがある。行き先は毎年交互に、アメリカ、オーストラリアに行くことになっている。私の年はアメリカであった。アメリカとオーストラリアに姉妹校があるのだ。そのアメリカの姉妹校の生徒のところにホームステイしに行くというのがこの研修旅行だ。私も楽しみにしていたイベントだ。しかし、研修旅行前、自然気胸という病気になり、参加できなかった。海外に行っていないのは私だけとなってしまった。
 私はその日から必ずどこかへ行こうと考えてきた。そして今回、行こうと決心した。行き先はかなり迷った。もちろん研修旅行で行ったシカゴでもよかったのだが、西海岸と東海岸に焦点を当てた。
 3か月前、私の高校の時の担任の先生のところへ相談に。本当はこの担任の先生と一緒にアメリカに行っていたのだが。当時、この先生とともに涙を流していたのを思い出す。そして相談の結果、行き先は決まった。東海岸!!

(今日の写真は、大阪にいるとき私がよく行く駅の出口を出た所からの景色です。)

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