2010年10月31日日曜日

すぐにマヒしてしまうもの

 今日で10月も終わりである。このブログを始めたのが夏休みが明けてしばらくしてからだったので、かなり続いている。もうすぐ冬休みになる。早いものだ。もうすぐテストなのでそちらの方も頑張りたい。
 今日は部屋でゆっくりしていた。先週の休日は、友達と函館に行って、休みなしの状態だったので少し休みたかった。雨が明日から降るというので、外に行っておけばよかったかもしれないとも思ったが。まぁいいか。


 いきなりだが「大人」とはどういう人のことを言うのだろうか。また何を基準として「大人」というのだろうか。私は今21歳になり、成人となっている。成人は大人になったということである。成人になったことで何か変わったか。正直、実感はない。青森に住んでいるので、大阪で行われた成人式には参加していない。青森でも参加していないが。成人式の位置づけはどうなっているのだろうか。おそらく様々な意見があるだろう。一種の通過儀礼(イニシエーション)と言う人もいるかもしれない。この意見が多いと思う。通過儀礼というものは大切だ。子供から大人に変わる一生に一度のことだ。外国でもこれは最も大切な儀式の一つだ。日本では考えられないようなこともする。何をするか教えてくれないところもある。それほど重要なことだ。しかし日本の通過儀礼と呼ばれる成人式はどうだろうか。テレビを見ていると、暴れている成人たちが会場から外に出されているのが映し出されている。アルコールを飲んでいる人は入場不可と注意書きまである。これを見ていて、これが通過儀礼と言えるのだろうか。後日、成人式に参加した私の友達に感想を聞いてみた。同窓会みたいなもんやった、という返答だった。私もこの答えは予想していた。私が思うに、成人式は同窓会だ。通過儀礼でも何でもない。これに参加して、今日から昨日とは全く違う人間になったという実感は無いはずだ。それでは意味が無い。私が参加しなかった理由がそこにある。時間の無駄だ。この日本では、いきなり大人になるというのは難しいことだ。どうしたら大人になれるのだろうか。少しずつ大人になっていけばいい。人づきあい、言葉づかい、冠婚葬祭のマナー、食事のマナー、学んでいけばいい。この学生時代には許されても社会に出ていけば許されないことがたくさんある。社会に出るときに「大人」になっていればいい。
 大人になることは大切だが、大人になることによって、年を重ねることによって、失われていくものがある。それは「感じる」ことだ。これはすぐにマヒしてしまうものだ。以前に東京の秋葉原で起こった事件を覚えているだろうか。無差別殺傷事件。忘れることができないほど残酷な事件だった。もし自分がそこにいたらどうしていただろうか。実際そこに居なかったので、あくまで言いたいことだけになってしまうが。ぼーっと突っ立っているだけになってはいないだろうか。そんなことはないという人がいる。本当にそうだろうか。ただ、かわいそう、と遠くで見つめている人もいる。中には携帯で写真を撮っている人もいる。これが現実だ。刺された人はどう思っていただろう。助けてくれ、これ以外ないはずだ。私も刺されていたら間違いなくそう叫んでいただろう。なぜ助けないのか。人ごとになっていないだろうか。自分には関係ない、そう思ってはいないだろうか。もし近くにいた友達が先輩に血まみれになって殴られていたらどうするだろうか。知らん顔している自分はいないだろうか。友達は助けてくれるだろうと思って一人で行くと、誰も付いて来てくれない。痛みを分かち合おうとしない。感じることから逃げている。感じなくなることは楽なことだ。しかしこれは確実に非人間へと近ずいていっている。日常の友達づきあいでもそうだ。一方通行になっていないだろうか。自分は相手に様々なことをしてあげている。しかし、相手からは何も返ってこない。返って来ても少しだけ、というのはないか。友達というのは、自分から追いかけていくものだ。相手からしてもらったことは、今度は自分が相手に、してもらた事以上のことをしてあげるつもりで付き合っていかなければならないと思う。感じることから逃げたいのならしなくてもいい。感じないことは楽だ。感じることは体力のいることだ。しかしこれは大切なことだ。大人になることはすばしいことだ。しかし忘れてないけないものもある。

忘れていた作文

 今日は昼から友達のM君と買い物に行った。寒かったがそれほどでもなかった。もう少しすると雪が積もるので、交通手段はバスになってしまうので、今のうちに自転車で走っておかないとという気分になる。たくさんの買い物をし、なかなか忙しい一日となった。
 買い物から帰って来て、夕食を食べようと食堂に行ったのだが、私宛に書類のような封筒が届いていた。詳しくは見なかったので、また何かのアンケートかお知らせか何かかと思い、とりあえず横に置き、御飯を食べた。食べ終わり、もう一度その封筒をよく見てみると、「青森編集会議」と書いてあった。それで思い出したのだ。正確な日にちは覚えていないが、以前私はある作文を書いたのである。今年に12月4日に新青森駅が開通し、今よりも東京に約1時間くらい早く到着することができるようになる。その関係の作文だ。そのお題は「私の青森駅」というものだ。大学の玄関の近くに、旅行や運転免許の合宿など置いてあるようなところに、たまたま手に取ってみて、読んでみたものだ。青森駅は私の思い出のある場所である。800字だったのですぐに書けると思い、遊び半分で書いてみようと思った。しかしこれの最優秀賞者には10万円分の旅行券が贈呈されると書いてあるではないか。その下は3万円分の旅行券が贈呈されると書いてある。よし、一発当ててみようと思い、大学の図書館で授業の合間を縫い、一気に書き上げた。40分くらいで出来上がった。書いている途中に、その時のことを思い出し、こみ上げてくるものがあった。図書館だったので、泣くわけにはいかなかった。出来上がってすぐに、送ってみた。その結果は10月お知らせします、とのことであった。なのでこの封筒が届くまですっかり忘れてしまっていた。そういえばそんなん書いたっけ、という感じであった。急いで封筒を開けてみると、最優秀賞ではなく、優秀賞でもなく、佳作であった。少し残念?な気持ちになったが、嬉しくもあった。最優秀賞を取れると思っていたのだが。しかしよく考えてみると、選ばれただけでもなかなかのものである。その選ばれた作品が本になって出版されるというのだ。嬉しい限りだ。自分では何を書いたかはっきり覚えていないが、楽しみである。その出版記念会が12月にあるのだが、またとない機会なのでそれにも参加してみたいと思う。新青森駅開通が楽しみである。

2010年10月30日土曜日

トランプ

 昨日は書けなくて申し訳ありません。友達とトランプをすることになり、意外と盛り上がってしまったのだ。久しぶりのトランプであった。まずは大富豪。これはトランプの定番だと言ってもいいだろう。まずはこれで盛り上がった。その次に、UNOをした。しかしこれは久しぶりすぎて正確なルールを忘れてしまっていた。なかなか終わらないのである。1試合にかなりの時間を要した。これは無理だと思い、もう一度トランプに戻った。今度は7並べをした。小さいころは、これの何が面白いんだ、とこのゲームを嫌いになっていたが、このゲームの面白さ、深さがわかるようになった。昨日私たちがやったルールは、パスは3回まで、ジョーカー2枚入れる、といったものだった。なかなか頭を使うゲームだ。出せるカードがあるからといって、むやみに出すのは良くない。相手が出せないように考えながらカードを出さなければならない。わざとパスをするというのも作戦の一つだ。カードをすべて出して上がるというのではなく、3回パスをさせて沈没させるというものだ。最初の順番を決めるのから勝負はかなり左右してくる。勝ったり負けたりだった。みんな勝って終わりたいという願望があり、なかなか折れる人がいない。もちろん私も勝って終わりたい。勝ち逃げだ。最後と言っても、まだいける、といってなかなか終わらない。最後と言ってから、1時間以上がたった。ようやく本当の最後となり、終わることができた。日頃、トランプをする機会があまりないが、久しぶりにやるとこんなにも盛り上がるものなのだなと感心してしまった。テレビゲームは対もの、だがトランプは対人間である。つまり生きている。また機会があればやってみたい。

 曇りの日が続いていたが、今日は晴れて、日中の寒さも少しか和らいだ。しかし夕方になると、かなり冷え込む。自転車に乗るときは手袋が欠かせないくらいだ。耳も冷たくて痛くなる。この休日で冬服に衣替えしようと思う。風邪をひいていそうな人を見かけたが、体調には十分気をつけたい。体を壊しては元も子もない。もう少しで11月だ。クリスマス、年末年始ともうそんな時期になったかと思うと、1年は早いものだと改めて思う。先を見れば長いように感じるが、振り返れば短いものだ。不思議なもので、これが人生なのかもしれない。一日一日を大切にしたい。

2010年10月27日水曜日

別れ

 今日もかなり寒い日となった。もう寒いのが当たり前になってきそうだ。外に出るのも嫌になってきた。しかしまだまだ寒くなるのはこれからだ。

 写真に写っているのは青森駅だ。私の第二の人生が始まったところだ。浪人生活にピリオドを打ち、ここに来ると決心した。私は諸事情により、早く家を出たいという思いがあった。その思いがかなうということで、最初は喜んでいた。しかし、引越しの準備をしているうちに、もう「この家」は「私の家」ではなくなるんだなと思うと悲しくなってきた。
 まずここ青森に来たのは、これから住むところを探すために、3月中旬くらいに青森を訪れた。そして今の下宿にすると決めたのだが、帰りの電車を待つまで街を散歩したのだ。観光物産展のアスパムというのがあるのだが、そこに展望台がある。そこで時間を潰していた。その時はまだまだ冬で空も海も灰色をしていた。正直、迎え入れてくれそうな雰囲気はなかった。そろそろ電車の時間となり、帰るとき、トイレに寄った。私が先に行き、お母さんが後に入った。そしてお母さんが出てきた。泣いていた。私に兄がいるのだが、自宅通いで大学に行っている。だから家を出るのは私が初めてなのだ。大阪と青森では離れすぎている。行きたくてもすぐに行けない。私も泣きそうになったが、こらえるのに必死だった。
 私が大阪を去る日になった。兄は用事で駅まで来れないとの事だった。なので先に兄が外出するので、私は兄を駅まで見送りに行った。改札前に来ると、兄と私は握手をし、兄は泣いていた。私も泣いていた。久しぶりに兄の涙を見た。別れというのはこれほどまでに悲しいものなのか。
 そして今度は私が出発する。忘れ物が無いかチェックし、荷物を持った。駅までの道、駅の改札、地下鉄のホーム、地下鉄の中、吊革、繁華街の梅田、生まれ育った街の全てを目に焼き付けるように歩いて行った。これほど真剣に自分の街を見たのは初めてだ。ホームで電車を待っている間、たわいもない話ばかりする。別れの話をすると悲しくなる。電車が来た。別れの時間だ。まだ泣かない。扉が閉まった。窓の外に見える街はもう私の街ではなくなった。お母さんも泣いていなかった。電車が進むにつれてお母さんが見えなくなった。涙腺が緩んだ。生まれ育った街を見ながらひとり泣いた。悲しいものは悲しい。さびしいものはさびしい。泣いて泣いて泣きまくった。恥ずかしいとも何とも思わない。これほど悲しい思いをするのは初めてだった。
 長期休暇は大阪に帰るのだが、また青森に戻るとき、私はいつも、もう二度と会えないのかもしれない、そう思って今生の別れをする。帰りたくても帰れない。だから久しぶりに大阪に帰った時は、一日一日を大切にする。触れ合う時間は限られている。わずかな時間だからこそ、余計に愛おしくなるのかもしれない。泣いてばかりで、泣き虫だの、情けないだの、と人は言うのだろうか。それでもいい。お母さんが大好きだ。兄が大好きだ。大阪が大好きだ。だからこそ出ていく。そう、強くなるために。涙こらえ、精一杯の強がりで言おう、「行ってきます。」

2010年10月26日火曜日

青森の冬

 今日は何と雪が降ったのである。まだ10月じゃないか、と言いたいところだがここは青森だ。珍しいことではないだろう。それにしても寒かった。いやこれからも寒さが続くと聞いている。もう秋は終わってしまった。悲しい。季節の変わり目なので風邪をひかないように注意したい。

 去年を思い出してみると、確かに雪は多かった。大阪では考えられないような雪の量だ。しかも寒い。自転車が交通手段の私だが、それも封鎖されてしまう。バスが交通手段になるのだが、私はバスが嫌いだ。なぜなら時間通りになかなか来ない。すごしやすい季節なら待っていられるだろうが、真冬でバスを待つことなど御免こうむりたい。体の芯から冷える。気がつけば鼻水が垂れている。もう一つ理由があるのだがそれは交通費が高い。私の下宿から駅前までで530円もするのだ。大阪から京都へ行くのに私鉄を使うと400円で行くことが出来る。自転車でも行ける距離なのになぜこれほどまでに高いのか。文句を言っても仕方がないことだが。
 去年の冬休み、実家の大阪に帰ろうとした時だ。まだ寝台列車を使っていたのだが、駅前に着いてみると豪雪で寝台列車が運休になってしまっていたのだ。大変なことになったが、太平洋回りの新幹線は動いていた。お金を持っていなかったので急いで郵便局へいき、お金をおろしてみどりの窓口へ行った。最終の電車があと3分で出発するから社内で切符を買ってくれと言われ、走ってホームへ行き、ギリギリセーフで電車に乗ることが出来た。そして東京へ着いたのが23時過ぎで大阪まではもう新幹線が出ていなかったので、東京で一泊することになった。この時から私は東京で寄り道してから帰るようになった。どうせ同じ交通費を出すなら東京で遊んでから帰った方が得だと思ったからだ。同じ交通費と言っても、東京で遊んだらそれ以上の出費があるのだが。東京へ行くたびに面白い店を見つけることが出来る。はるばる遠いところから来ているので、ちょっとした自分へのご褒美だと思っている。
 去年は初めての冬だったし、雪も私にとっては大変珍しいものだったので、ある意味楽しむことが出来たが、今年はおそらくそうはいかないだろう。青森は冬の間、晴れることが少ない。毎日雪が降るからだ。晴れないことが私にとって苦痛である。息が詰まる。どうにもならないことだが。
 冬よ、お手柔らかに…。

2010年10月25日月曜日

経験

 今日は雨が降り、朝はそれほど寒くはなかったが夕方くらいになると急激に寒くなった。明日はもっと寒くなるらしい。冬服の準備をしなければ。
 休日の疲れが残っているのか、今日はかなり眠たかった。授業に集中できなかった。明日から気をつけるようにしたい。

 函館に行ったとき、旧函館区公会堂や函館市旧イギリス領事館に行ってみた。それらは外国風の建物で異色の景色が楽しめる場所でもあった。私はこの前の夏休みに神戸に行き、異人館巡りをした。神戸にもその様な外国風の建物があるのだ。神戸以外にも横浜や長崎にもある。それらは昔から港町として栄えた場所である。大阪や青森にはないものなので、大変興味深い。外国に来たような気持ちになることが出来る。旧函館公会堂では女性だけではあるが当時の衣装も着ることが出来る企画もあるのだ。たまたまその衣装を着た女性を見かけることが出来た。やはり綺麗だ。この建物はかなり広く、いったい何人で住んでいたのだろうと思うくらいである。うらやましい。一度でいいからこんな所に住んでみたいものである。その建物の前には美しい坂がある。昨日のブログにも書いたが八幡坂などもあるのだ。これは非日常的な空間であった。感性が豊な人たちが住んでいたのだろう。
 函館山から最高の景色を見たということを友達のS君に言ったら、函館山には幽霊が出るということを聞いた。S君が言うにはSくんが函館山を訪れたとき、カメラのシャッターが下りなかったと言うのだ。私が行った時は全て下りたが。タクシーの運転手がいうにはこの函館山は昔戦場だったと言っていた。防空壕もたくさん残っていた。そのことを思い出し、S君が言ったことも本当かもしれないと思った。しかしこの幽霊は毎日世界三大夜景を見れて、幸せだなとも思った。
 様々な経験をすると感性が豊かになる。若いうちに経験することは大切だ。働くようになるとこのような経験はなかなかできない。若いのならもっとフットワークを軽くしなければ。今しかできないことはたくさんある。お金はかかるかもしれない。しかしこのような人間的に成長できる経験はお金をかけるべきだと思う。なぜなら金には代え難い何かがあるからだ。他人に借りたなら働くようになってから返せばいい。多くの様々な経験をしている人の話は面白い。説得力がある。経験の少ない人の話は聞こうと思わない。頭だけの話である。経験豊かな人間になりたい。

親友との休日

 金曜日、土曜日とブログを更新できなかった。お許しください。更新できなかった理由は私の小学生時代からの友達がわざわざ青森まで遊びに来てくれたのだ。彼は今東京で公務員をしている。社会人だ。剣道仲間でもあり、良きライバルでもある。そして彼は私の一生の友達である。そういう理由で更新できなかった。今日はその友達と過ごした金曜日、土曜日のことについて書きたい。
 金曜日、私は授業が終わった後すぐに彼を迎えに行くために友達の車で青森駅まで迎えに行った。そこで彼と合流し、とりあえず私の下宿に戻った。彼が青森に着た一番の理由は私と一緒に剣道をするというものである。高校までは少しではあるが時々一緒に稽古したが、ここ3年くらいは全く竹刀を交えていなかったので久しぶりにやろうということだった。そして彼と学校へ行き、剣道をした。本当に久しぶりだったので面白かった。部長に彼と試合がしたいと言ってみると許可をもらい、試合をすることになった。試合となると勝ち負けがつく。負けるわけにはいかない。久しぶりだったのでやはりお互いに剣道スタイルが変わり、先読みしにくくなっていた。まず私が引き面で先取した。もう一本入れてすっきり二本勝ちしてやろうと思ったが、甘くなかった。私が面に跳んだ時に、彼に読まれていたのか小手を打たれた。しまったと思ったが後の祭り。一対一となり勝負となった。再び小手を打たれるのを恐れたのか、なかなか面に跳ぶことが出来ない。彼はそれに気付いていたのか、ぐんぐん攻めてくる。私はさがるしかなかった。しかし時間となり、結果は引き分け。部長は決着付けてもいいよ、と言ってくれたが私は、お預けにします、と言ってまた次の機会にまわした。しかしあの勝負、彼が優勢だった。いつになるか分からないが次は今日のようにはさせない。
 その夜、明日(土曜日)はどうしようかという話になり、彼は函館に行きたいと言い、函館に行くことになった。青森から函館は近いのだが私は行ったことがなかった。なので私もそれはいいと思い、大賛成であった。私も彼も北海道初上陸であった。電車の時間などを調べ、準備を整えた。
 土曜日、午前5時に起き、行く支度をし、630分過ぎに下宿を出発した。休日だったので朝早くのバスが無かったので、自転車で青森駅に行くことにした。駅に着き、切符を買い、乗車した。結構ぎりぎりであった。指定席だったのだが私たち以外のお客さんは乗っていなかった。なので一車両貸し切り状態だった。足を延ばしてかなり快適だった。そして函館に上陸。気分が高ぶった。まず五稜郭に行くためにバスに乗った。私は新選組に興味があるのでかなり楽しみであった。新選組副長、土方歳三が最後に活躍した場所である。五稜郭の中に入ってみると箱館奉行所がありその中を見学することが出来た。その後、五稜郭タワーの上り、今度は五稜郭を上から見てみることに。タワーの最上階から五稜郭を見てみるとそれは感動的であった。本当に写真の通りの形をしている。それは美しい。新撰組ファンにとってはたまらないものだろう。その後駅前に戻り、路面電車に乗り、元町の方へ。そこには昔の外国風の建物があり、国の重要文化財となっているものが多い。さらにそこにはCMの舞台にもなった八幡坂がある。どれも美しい。気分上々だった。ベイエリアで昼食を済ませ、赤レンガ倉庫群あたりで買い物をしたり、甘いものを食べたりなどと最高の気分であった。そしてフィナーレはやはり世界の三大夜景を見なければ。これ無しでは函館に来た意味がない。ロープウェイが整備中だったのでタクシーを捕まえ山頂へ。夕方くらいに登ったので暗くなるまで少し時間があった。山頂はかなり寒かった。弾だんだん暗くなるにつれて街の明かりがつき始めた。そして気がつけばおなじみの景色に。言葉を失った。何と表現したらいいのか分からない。とにかく全てを忘れさせてくれるようなそれくらいの美しさである。すばらしい。時間も忘れる。これほど感動的な景色は久しぶりであった。来てよかった、そう思った。しかもこの親友と来れた。感謝とはこういうことを言うのだろうか。最高の思い出の一つになった。しかしかなり疲れた。帰りの電車はもちろん…
…おやすみ。

2010年10月21日木曜日

もめごと

 今日も暖かい一日となった。昼からの授業で、私が昼休みの間に座る場所を確保しようと思い、本を数冊机の上に置いていたのだ。しかし昼ご飯から帰ってきてみると、誰かがその机に座っていたのである。本は横にずらして置いてあった。意味が分からなかった。私が、何で座ってるん?という雰囲気を出すと少し戸惑い始めたが、私はその座っていた人が好きではなかったので後ろの席に座ることにした。さっさと移動すればいいのになぜかずっと座っていたのだった。全く理解できない。

 私の下宿で今少し騒ぎになっているのだ。それは何かと言うと下宿のオーナーが門限やルールなどを決めようとしているのだ。例えば朝ご飯は10時まで、晩ご飯は1030分まで、夜11時以降は下宿の玄関に鍵をかける、調味料使用禁止、などと他にもあるのだが今までよりもルールが厳しくなりそうだ。なぜこのような事が起きたかは定かではないが、私が思うに、ある二人の生徒がオーナーがいるときに食堂の冷蔵庫を断りもなく何回も開けたりしていたことだと類推している。ここのオーナーは気分がころころ変わる気難しい人なのだ。なのでオーナーの気分を害すようなことはしてはいけないのだ。それをこの二人の生徒は分かっていない。それが原因だと思っている。確かにオーナーが言う、調味料を勝手に使うのは良くない。その調味料は下宿のものだ。それを私物化してはいけない。しかしわつぃがこの下宿に入居するときには良かったことが今回の件でダメなことになってしまいそうなのだ。それは良くない。これはしてもいいのか、これはどうなっているのかなどと確認したうえで契約書にサインした。それは守らなければならない。契約違反になってしまう。日本人は欧米とは違ってすぐ契約を破ってしまう。契約したことは守ってもらいたい。来週オーナーと話す機会があると思うので意見を言いたい。

2010年10月20日水曜日

病気が教えてくれたもの

 今日は昨日やおとといとは違って、寒さが少し和らいだ。午後から自転車で出かけたのだが寒いとは感じなかった。もう少し今日のような日が続いてほしい。

 月曜日の夜からNHKの番組「プロフェッショナル/仕事の流儀」という私が大好きだった番組が復活したのだ。これにはうれしい限りだ。この番組はある仕事に精通している人に焦点を当てて、その人を探っていくというものである。今回のプロフェッショナルは呼吸器外科医であった。私はこの呼吸器外科に少し関係がある。
高校生のとき、自然気胸という病気にかかり、呼吸器外科に入院したのだった。自然気胸という病気は肺が破れて、肺に空気がたまるという病気である。そういう病気だと言われた時は本当に悲しかった。なぜ私が、そう何度も思った。最初は近所の病院に行ったのだが、総合病院に行かなければならないと言われ、次の日の朝、その総合病院へと行ったのだ。しかもその日に入院と言われ、それもショックであった。こんなに若いのに、というように。さらに手術までしなければならないと言われたのだ。目の前が真っ白になった。
 入院してからすぐにドレーンという太いチューブを脇の下からメスで穴をあけ、肺の奥まで挿入した。まず肺に溜まった空気を除かなければならないのだ。そのあとCT検査とレントゲンを撮り、結果を待った。CT検査の結果、やはり外科的処置で取り除かなければならないものが見つかったのだ。そして手術が決定した。ドレーンを入れたところや、胸が常に痛むので、普通の呼吸ができなかった。痛むのを防ぐために浅く早い呼吸になってしまうのだ。しかしそれでも呼吸をするたび痛むのだ。痛みをかばうように姿勢もかなり前かがみになり、背中の曲がったおじいさんへと変わり果ててしまった。今まで出来ていたことが一瞬にしてできなくなった。情けないというか悲しいというか、自分でも信じられなかった。
 手術日、和服のようなものに着替え、手術室へと移動した。緑の壁の大きなトンネルのようなところを歩き、部屋へと入った。細長いベッドに横になり、ベッドの上にはドラマや映画などでよく見る、電気がたくさんついた電気スタンドのようなものがあった。全身麻酔をするための針を左手の甲に刺した。そして全身麻酔を入れられた。5秒くらいしたらいきなり目が回り始めた。一気に気分が悪くなったがすぐに睡魔が襲ってきた。10秒と起きていなかったであろう。これほどだとは思いもしなかった。
 目が覚めたころには私の病室へ移動中だった。なぜか涙が出ていた。無事終わったからか、生きていたからか、安心したからかは分からない。お母さんも泣いていた。それを見ると本当に心配をかけたんだと改めて思った。手術中に兄が付けてくれたのか、私の携帯にストラップが付いていた。私にとってそれはお守りだ。今まで一回もそのストラップを外したことがない。もちろん今も私の携帯に付いている。
 このときの私の医者(先生)にかなり迷惑をかけ、お世話になった。非常にユニークな先生であった。最初は大丈夫かなとも思ったが、この先生以外は信用できないと思うくらいこの先生を信用した。
 健康第一と言うが正にその通りだ。健康を失って初めて健康のありがたさが分かる。この経験により私は日常ではなかなかできない社会勉強をすることが出来た。これは私にとって重要な思い出である。今だからこそ笑いながらこの体験談をすることができるが、当時は命懸けであった。この経験によってほんの少しかもしれないが、内面的に大きくなれたような気がする。病気が教えてくれたのだ。

2010年10月19日火曜日

恩師の方々

 今日もかなり冷え込んだ一日となった。もう半袖はタンスの奥に締まってもいい頃かもしれない。もうちょっと待ってほしい冬である。

 昨日のブログで浪人の友達の話を少し書いたので、今日はお世話になった講師について書きたい。私が浪人していたころ、数多くの講師の方にお世話になった。その中でも特にお世話になったのが、世界史科のK先生と、倫理科のY先生と、数学のS先生である。
 まずは世界史科のK先生についてである。昨日でも少し触れたがこの先生の授業スタイルはかなり独特であった。毎回違う人とペアを組み、声を出し、手を使ってそのペアの人が覚えるように頭に放り込んであげるのである。最初この授業スタイルに抵抗があった。しかしちゃんと覚えているのだ。あの苦手だった世界史でも点数が取れるようになった。この授業を無くしては今の私は存在しない。予備校では珍しく、受講者全ての名前を覚えていた。厳しさの中に優しさがあった。個々人にアドバイスしてくれ、問題の解き方、各大学の問題のくせなど、閉門時間が過ぎても教えて下さったのだ。本当にお世話になった。卒業してから一度K先生に会いに行くことにした。先生は、久しぶりー!、と喜んでくれ、教えたこと全然覚えてくれへんかったわ、と卒業してからも怒られた(笑)。
 次は倫理科のY先生である。この先生はかなり威厳を持った感じの先生なのだ。見た目は誰も寄せ付けないオーラが漂っていた。しかしこの先生の知識は驚愕するほどのもので、すごい、の一言である。私はこの先生の一回目の授業を受けた時に、よし、この先生に付いて行こうと決心したのだ。この先生なら信用できる、そう思った。夏期講習や冬期講習は通常の時間割ではなくなるのだ。なので私が通っていたSU校にこのY先生は来られなかったのでわざわざ遠い京都まで通っていた。同じ授業料を払うのなら最高の授業を受けたい、そう思った。私はこの先生の言うことを一字一句すべてメモするくらいの勢いで書き殴った。授業の後、さらに学びたいと思い、毎回質問しに行った。倫理を受けている私の友達や他の受講生は、ようあの先生としゃべれんな、と驚かれたこともあった。しかし私にはそんなこと関係なかった。その先生の持っている知識をすべて教えてほしかった。センター試験直前、私は京都の校舎にいて、その先生の所に会いに行ったのだ。そして一言何か励ましてほしかった。ノートを持っていたのでそこに一言書いてくれた。「目的の王国の扉は開いたと言え!」これがそのときの言葉だ。これは哲学者イマヌエル・カントの言葉を引用して先生が考えた言葉なのだ。私はこの言葉を信じ、最後まで戦うことが出来たのだ。
 最後は数学のS先生である。S先生にお世話になり始めたのは浪人生活後半からである。私の場合、数学はセンターレベルまででよかったのだ。しかし数学の授業は後半になるにつれて、二次試験対策の授業へと難易度が増すようになった。それで数学の授業に出なくてもいいかどうか質問に行ったのだ。しかし今思えば最初の質問が数学に関してではなく、授業を切っていいかどうかという質問だったのでおかしな話ではあった。私は数学も苦手で(と言ってもほとんどの科目が苦手だったが)点数は良くなかった。しかしこの私の質問にかなり真剣に考えてくれたのだ。そこからこのS先生との関係が始まり、センター試験演習の時間の終わりに毎回、どうやった?と聞きに来てくれたのだ。頭の悪い私のことをいつも心配してくれた。その他にも、普通ならばクラス担任に聞くようなことでも(センター試験の結果からどこの大学に入りやすいかなど)聞きに行ったのだ。私はあまりこのクラス担任のことは好きではなかった。このような質問は授業に関係ないことなので講師にはしてはいけなかったのだが、お構いなしであった。先生の言葉なら信用できた。最後はS先生と記念撮影をし、サインまでいただいた。合格したことをメールで伝え、本当に喜んでくれた。S先生も最後の最後までお世話になった。
 この先生方に出会うことが出来て本当にうれしかった。苦しい浪人生活はこの先生方がいてくれたからこそ、突破出来たのだと思う。こんな私のためにあれほど力を貸してくれた先生方に本当に心から感謝している。
ありがとうございました。

2010年10月18日月曜日

仲間

 今日は昨日と比べて一段と寒くなった。午後6時からはサークル活動がある予定だったのだが部員がこなかったので中止になったので、自転車で出かけることにした。一応手袋を持って出かけたのだが、これが正解だった。手袋なしでは手がかじかんでしまうくらいであった。もう冬もすぐそこまで来ている。

 読者を増やそうと昨日様々な友人にメールで知らせたのだが、うれしいことにメールが返ってきたのだ。それは私が浪人していたころの友人である。
まず一人目はM君である。M君とは浪人していた時の9月頃に出会ったのだ。私と彼は世界史を取っていたのだがその授業がとてもユニークというか厳しいというかなかなか表現できないものではあるが、ペアを作って授業を進めるというスタイルなのである。そこでたまたま同じペアになり、その日から彼と仲良くなっていったのだ。彼とは授業が終わった後いつも問題を一緒に解き、答え合わせをし、間違えたところを徹底的に復習したのだ。その世界史の授業の一環として文化史というプリント(計6枚)を覚えているかを先生が口頭テストするというものがあった。これを私は彼と一緒にクリアしていき、最後までたどり着くことが出来たのだった。なので文化史なら完璧という状態であった。今は忘れてしまっているが。彼と最後まで受験勉強を頑張った。私は青森の大学に進学することになったが、彼は志望校通りK大学に進学することが出来たのだ。合格したという連絡を受けた時は本当にうれしかった。今彼はK大学のESSサークルに所属し、日々頑張っているということであった。
 二人目はY君で、彼とも世界史の授業で出会ったのだ。彼とは開門前から予備校に行き、ホームルームまでの時間までのわずかな時間でも自習室へ行き、勉強した。途中からは一緒に帰るようになった。私は自転車だったが、彼は地下鉄と私鉄を利用していた。地下鉄から私鉄に乗り換えるところに私が住んでいたのでそこまで一緒に帰った。彼が走る時もあったし、二人乗りをして帰る時もあった。お巡りさんに注意された時もあったが。そして別れ間際に話が長くなることが多かった。様々な事について語り合った。気がつけば1時間、2時間と軽く超えてしまう。時には私鉄の駅を5駅くらい行ったところまで二人乗りをして送ったこともあった。帰るとき暗かったので道に迷ってしまったが。彼とも志望校合格という一つの目的意識に向かって共に戦った仲間である。彼はR大学に合格し、今も相変わらず元気だという。
 私の浪人生活はたったの1年だったが、濃密な1年だった。そこでたくさんのいろんな仲間たちと出会った。あれほど勉強したのは初めてだった。共に悩み、共に励まし合い、共に喜び、悲しみを分かち合った。1年遠回りをしたが後悔などしていない。なぜなら最高の仲間に出会えたのだから。
浪人、バンザーイ!!

 
昨日私のブログにコメントをいただいた阪神ファンさんがいるのだが、彼も浪人仲間である。彼も私と同じ大学に通っている。と言ってもこの大学に来て初めて彼と出会ったのだが。私が通っていた予備校はSU校なのだが、彼はSK校だったのだ。つまり校舎違いだったのだ。私は夏期講習や冬期講習など時々、K校に通っていたのでもしかしたら同じ教室で学んでいたのかもしれないのである。そのことで彼と話が盛り上がったことがあった。彼とは同じ関西出身で話が合う。やはり通じ合うものがある。彼のコメントの返答としても書いたが、彼とは将来いつになるか分からないが、お互いが関西に戻ったときは一緒に杯を飲み交わそうと約束したのだ。本当にいつになるか分からない。しかし私はこの約束を守るため、今をもっと大切にし、今やるべきことを確実にこなしていきたい。近道など存在しない。浪人という遠回りをしたが、その遠回りが私を勇気づけてくれた。

共に走ろう、夢に向かって

2010年10月17日日曜日

切腹という歴史


 今日の天気予報だと雨だったのだが、朝起きてみると晴れていたのだった。昨日は部屋に閉じこまったままだったので今日は買い物でも行こうかと思って準備していたのであったが、序々に雲行きが怪しくなってき、雨が降り出した。それもかなり激しい雨だった。これは無理だと思い今日も部屋にいることにした。しかし1時間くらいすると雨はやんで晴れてきた。通り雨のようであった。中途半端な時間に降ったので腹立たしかった。二日とも部屋にいると息が詰まる。まぁ休日はゆっくりするものだ。

 おとといの新聞を読んでいると、死刑廃止のことについて書かれていた。日本はまだ死刑がある国の一つである。EUが日本の死刑制度を批判し、廃止を求めるように迫っているというのである。EU加盟国は全て死刑廃止をしている。EUに加盟するには死刑廃止が前提となっている。
なぜEUが日本やアメリカに死刑廃止を迫っているのか。それは死刑廃止は民主主義の一環だと主張するからである。さらにEUは欧州民主主義・人権イニシアティブによるプロジェクト支援等を通じて、気政府組織(NGO)とも協力して活動を行っている。死刑廃止に対するEUのコミットメントは、200012月のニース欧州理事会(EU首脳会議)で宣言されたEU基本権憲章でも再確認されている。EU基本権憲章には、全ての人が有する生命に対する権利と死刑の禁止が盛り込まれている。「あらゆる人は生命に対する権利を持つ。何人も死刑を求刑され、また執行されてはならない(第Ⅱ条2)。何人も、死刑、拷問またはその他の非人道的もしくは尊厳を冒すような処遇もしくは刑罰を受けるであろう重大な危険がある国へ、退去、追放又は引渡されてはならない(第Ⅱ条19)。」
 今の日本の政権、民主党は死刑反対という立場をとっているが、先日、千葉法相自ら死刑に立ち合い、二人の死刑執行がなされた。このニュースによりEU諸国はショックを隠せなかったらしい。死刑反対と言って死刑を執行したら当然批判がくるであろう。
 ほとんどの国が死刑廃止を実行しているが、なぜ日本は早くそれをしないのであろうか。昔の日本には切腹という歴史があったからではないかと考える。武士の時代には罪、不祥事を起こしてしまうと腹を切って償うというものがあった。その歴史が今の日本人の血液に流れているのではないだろうか。人を殺したんだったら死を持って償え、というものだ。もちろんそのほかに様々な問題があるだろうけどこの考えが未だに残っているのではないか。罪のない人が有罪になるという冤罪が問題である。無罪の人が死刑執行され、その後に無罪が判明したとなれば取り返しがつかない。それが死刑の一番の問題である。この死刑については賛否両論あるが今後の展開に注目したい。

2010年10月16日土曜日

ブログで変わったこと

 今日は昼にブログを書こうと思う。いつも深夜になってしまうのでたまにはいいのでは。と言ってもその日のブログを投稿しても午前0時を過ぎてしまっているので出来るだけその日のうちに投稿できるように心掛けたい。
 今日も晴れて気持ちのいい天気なのだが部屋でゆっくりとくつろいでいる。この後読書でもしようと思っているのだがもしかしたら寝てしまうかもしれない。
 昨日のブログは今までで一番長い文章になり、内容としても満足できるものであった。本来ならこのくらいの文章を書くことが理想なのだが、やはり私の文章能力の低さなのだろうか、書くことができない。ブログを始めてキーボードのうつ速さは少し速くなったような気はするが文章能力は上がっているのかと言うとまだ上がっていないであろう。日常のたわいもないことでも文章に出来るようにと心がけているが情けない文章になるときもある。しかし毎日続けて書くというのは難しいことである。毎日同じような事は書けない。ネタ探しが必要になってくる。始めた当初はこのネタが持つかどうか心配になっていたが、意外と持っている。新聞を読み、ネタを探し、テレビを見てネタを探したりと今日のネタは何にするかなどと考えながら過ごしている。途中から写真や絵を入れるようになった。文章だけだと読みにくく、つまらない。イラストが入ると見栄えもいいし楽しい。出来るだけ自分で撮った写真を入れるようにはしているが、時々インターネットで探して貼り付けている。著作権が心配だが…。このブログを始める前までは毎日をなんとなく過ごしていたが何かを残そうとしたり、今まで目も向かなかったところに目を向けてみたりと少し生活が変わったような気がする。今書いているように、ブログを書くことの意味、変わったことなどをもブログにしている。今は書くことにかなりの時間を費やしてしまっているが、さらに時間を短縮し、内容も濃く、文章量が多いようになることが目標である。最低でもA4の紙の半分以上は書けるようにしたい。写真を入れるようになってから量をごまかしているところがあったので。もちろん書けない時もあるのでその時は大目に見て下さい。今までデジカメもほとんど使ったことがなかったが、最近は直ぐに撮れるようにほぼ毎日持ち歩いている。きれいな風景や青空、季節の移り変わりなど、心が反応したら撮っている。女の子も撮りたいのだがやめておこう(笑)。ブログを書くのは楽しい。自分の足跡を残している。読者はほとんどいないがそれでもいい。私の感じたことがここに永遠に残る。時々昔書いたブログを読んでみてその当時の事を簡単に思い出せる。素晴らしいではないか。
 これから続く限り書こうと思うのでどうかお付き合い願いたい。A4の紙半分を超えたのでこのくらいにしようか。

日本一の街

 昨日は東京のことについて書いたのだが今日もその続きという感じで書きたい。
 昨日見ていた番組「ブラタモリ」では丸の内周辺を紹介していたのだがそもそも丸の内と言うが、丸の内とはどういう意味なのだろうか。丸の内とは城の敷地の中という意味なのだそうだ。昔丸の内は城の中だったのだ。東京駅出口から真っ直ぐ行くと皇居にぶち当たる。東京駅の出入り口は昔一般庶民は使用できなかったのだ。東京駅のレンガも普通のものではなく高級なものが使用されており、職人が手掛けているそうだ。もっと昔になると丸の内は海だったそうだ。その名残というのが今でも残っていて丸の内から日比谷公園に向かって歩いてみるとゆるやかな坂になっている。今までは気付かなかったが番組を見て発見した。ということは東京駅も昔は海だったということになるのだが地盤は決して頑丈ではないはず。その通りで地下数メートルは柔らかい地層だったのである。何百トンもする東京駅、さらにその上には鉄道が走るということになれば柔らかい地層ならすぐに崩壊してしまう。それを防ぐためにはどうしているのだろうか。それは柔らかい地層の下の堅い地層まで約10メートルの丸太の釘を打ち込んでいるのである。それも数千から数万も打ち込んでいるのである。昔なのでクレーン車など存在しない。人の力で打ち込んだのだ。一日一本くらいのペースだったそうだ。今まで何気なく通ってきた東京駅だがその様な歴史があると知ると東京駅、丸の内の見方が変わってくる。大変興味深い。今東京駅は改装工事中なので完成が楽しみである。
 「花の都、東京」とよく言われているが、東京にはどのようなイメージを持っているだろうか。冷たい街というイメージはないだろうか。以前のブログでも書いたが『出身県でわかる人の性格』の本で東京は「タフでなければ住みづらい、地方人の巨大な集合体」とある。東京とは田舎に住めなくなった人たちが集まる場所なのである。昨日も書いたが、地方から夢を持って勝負しに来るのだ。私の好きな歌手、長渕剛がこう言っている。
「東京って街は、今も昔も俺、変わらねぇって思うんだ。
 なんかさ、みんな悪い事ばっかさ言うけど良い街だと思えるようになったよ。
 だっていつの時代もこの都会を新しい色にぬりかえ、勝ち上がって創るのは、若者のエネルギー 
 なんだよな。
 ド田舎からさ、夢と野心を握りしめ、原宿や渋谷にたどり着く。
 いつかは俺も私も一番になりたいってね。
 いくつもの挫折を噛みちぎりながら泣いてもたたかれてもさ、この街の大人たちは、優しくその夢
 や野心を迎え入れ、勝負させてくれるんだよな。
 田舎はさ、そりゃ良さもあるけどやっぱさ、頭から何でも若い感受性や個性をつぶすんだよな。
 保守的だからな。
 けど東京って額ぶちじゃさ、懸命に最高の絵を描いたら勝ち上がり、迎え入れてくれるじゃん。
 負けりゃとっとと田舎に逆戻りだが…
 だから東京なんだろう?
 良いも悪いも自分次第じゃねえの?」

 私はここ青森という地方まで来ているが、都会とは違う。街も人も。大阪と比べてもやはり違う。何と表現したらいいのかわからないが、確かに内向き志向だ。外の世界を見ようとしない。私はここに比べ刺激の多い街で生きてきた。ここでは刺激が足りない。逆に地方の人は刺激を求め都会に出ていくのだ。その刺激を求めようとした人たちはここにはいない。東京にいるのだ。ここに残っている人は自分のところが一番いいという人たちか、都会には行きたくないという人たちか。もちろん自分のところはいい。私も大阪が大好きだ。ではなぜこの青森まで来たのか。それは都会と地方の違いを学ぶためである。これは実際に訪れて、住んでみないとわからない。頭での理解は無に等しい。私は経験することを大切にしている。慣れ親しんだところから全く知らないところへ行くのは辛いことだろう。苦労するだろう。しかし苦労した分だけ強くなれる。長い人生、少しでもいいから住んでみて、自分の目で見てきてはどうだろうか。お金はかかるだろうが、無駄金ではない。むしろそれ以上のものを与えてくれるはずだ。外に出て初めて今まで自分のいた場所がわかる。良いところも見える。悪いところも見えてくる。そして自分のところへ戻ればいい。私も東京に住んだことがないので勝手なことは言えないが。やはり東京は日本一の街である。

2010年10月14日木曜日

東京

 先ほど、NHKのテレビ番組「ブラタモリ」を見ていた。この番組は東京をタモリさんが散歩し、普段あまり目を向けないようなところに焦点を当てるというとても興味深い番組である。今日は東京駅前の丸の内周辺を散策していた。私は長期休暇で大阪に帰るとき、新幹線で帰るのだがいつも東京で少し寄り道をしてから帰るのが習慣になっている。数時間しかいることができないがいつもこれがとても楽しみなのである。ついこの間の夏休みに大阪に帰る途中に東京へ寄った時は、まず丸の内を歩いた。そこで私の買い物があったのだが。そこから歩いて有楽町、銀座へと様々なショップに寄りながらちょっとした一人旅を楽しんだ。銀座から地下鉄に乗り、六本木に行ってみた。行ったところは六本木ヒルズではなくその近くにある東京ミッドタウンというところに行ってみた。再び地下鉄に乗り今度は表参道に。そこでも買い物をし、歩いて原宿駅まで行き、JRで渋谷に行き、そこで乗り換えをし、自由が丘へ行った。そこでもいろいろ買い物をし、そろそろ帰る時間になったので電車に乗り、品川へ行き、新幹線に乗って大阪へと帰ったのだ。6時間半くらい東京を満喫したのだった。私は大阪で生まれ育ち、東京、横浜に次ぐ大都市ではあるがやはり日本の首都東京には憧れるところがある。大阪でも東京にはかなわない。大阪で人が集まるところと言えば、「キタ」と呼ばれる梅田、「ミナミ」と呼ばれる難波、くらいである。しいて言えば京橋くらいか。しかし東京はどこへ行っても人、人、人、である。どこからこんなに人が溢れてくるのかと言いたくなるくらいである。しかも東京は街がきれいだ。美しい。大阪はどちらかと言えば汚い。東京は上品、大阪は下品といった感じだ。「花の都、東京」に憧れて上京したいと思っている人は多いだろう。私もその一人だ。天下を取るという野望を抱き、自分の力を試させてくれるのが東京だ。人生のうちで少しの間でもいいから東京に住んでみたいものである。そこから学ぶものは自分の経験として大きな財産になるだろう。また東京に行くのが楽しみになってきた。

2010年10月13日水曜日

夢を追う仲間

 ここ最近は暖かい日が続き、非常に過ごしやすい。正に秋という感じである。ブログを書き続けてしばらくになるが読者を増やそうと思っていたのだがなかなか友人などに連絡していなかったが、今日は新たに一人、高校の時の友達に私のブログを教え、コメントをいただいた。彼はA.Kという。今日はこのA.Kについて書きたいと思う。
 彼と出会ったのは高校1年生の5月末ぐらいだろうか、私が部活に入ろうか迷っていたときである。もちろん私は剣道部に入るか迷っていた。担任の先生とも相談をし、入部することを決心した。見学に行ったとき、そこに彼がいたのである。第一印象はおとなしそう、というような感じであった。その通り最初の数週間は彼といてそこまで楽しいと思わなかった。しかしある日、彼が剣道の昇給審査を受けるために、とある場所へ行き、開門時間まで外で待っていた時のことである。私と彼との間では「金魚ネタ」と呼んでいるが彼からそのネタが炸裂したのである。そこにいた私は笑わずには居られなかった。周りには大勢人がいたのだがそれはお構いなしである。笑い散らした。その日以来、彼と一気に距離が縮まったのだ。私と彼はあらゆることをネタにした。自分で言って自分で笑うこともたくさんある。私たちは一つ言ったことを何度も繰り返し、さらにアレンジしていく。一つのネタで次から次へとアイデアが出てくる。面白過ぎた。うるさすぎて、苦情が来る時も何度もあったが、聞く耳は持たなかった(笑)。すみませんでした!(笑)ある先生から、文化祭で漫才やれ、とも言われたこともあった。やらなかったが。
 今でも彼とは連絡を取り合い、長期休暇では必ず会うようにしている。様々なことについて話し合うが共に夢を語り合える仲である。彼は教養も深く、何でも教えてくれる。正に歩く図書館だ。私は彼を尊敬している。彼と出会えて私は本当に幸せだ。この関係を一生続けていきたい。そして彼と一緒に夢を追い続けていきたい。

ニューシングル 絆ーKIZUNA-

 今日は私の好きなアーティスト、長渕剛のニューシングル「絆ーKIZUNA-」が発売される日で、あった。先日の文化祭のESSサークルの打ち上げが今日の夜にあり、焼き肉を食べに行ったのだ。下宿ではなかなか食べられないので思う存分に食べた。その焼き肉屋では私の友達のH君が働いていた。今日その働いている姿を見て、感動した。たくましい。以前にもブログで書いたが、日頃学校では見ることのできない姿を見るとかっこよく見える。H君のことを見直した。無事打ち上げも終わり、解散して車に乗せてもらったのだがCDをどうしても買いたかったので先輩に頼み、連れて行ってもらったのだ。帰って早速聴いてみた。もちろん良かった。よくないわけが無い。この唄は近日公開の映画「エクスぺンダブルズ」の日本語版主題歌だ。この映画の主役、監督、脚本のシルベスター・スタローンと長渕剛が先日、会談したのだ。あの超大物スターと会談できるとはなかなか長渕剛もすごい。あの天下の長渕剛でさえもこのスターの前では本当に小さく見える。頭が上がらない。悪は徹底的に許さないというスタローンのテーマは私たちに生きる勇気を与える。観ていて気持ちがいい。心がスカッとする。今回のこの唄と映画のテーマが一致している。まだ映画は観ていないが唄を聴けばわかる。絆とは何か。この唄はそれを教えてくれる。

2010年10月12日火曜日

違う道

 今日の昼から夕方にかけて少し汗ばむくらいの暑さであった。雨が続いていたので寒い日が連続したが非常に過ごしやすかった。

 10月5日のブログで書いたことがあるのだが、以前友達だったA君についての話である。今日は以前下宿でお世話になったTさんがA君のことを心配し、私の友達のS君と3人で話をしようという計画があったのだ。S君というのは私と私の友達のM君の中で一番優しいのである。なのでS君であればA君と仲直りできるのではないかとTさんは考えたのであった。しかしその前日にAくんからTさんに断りの連絡があったというのだ。つまりA君は私たちと仲直りをしたくないという意思表示である。3人で相談する計画は変更になり、TさんとS君とM君と私の4人で食事をすることになった。そこでも話題はやはりA君のことになった。A君本人が仲直りをしたくないならどれだけTさんが何かをしようとしても前に進まない。意味が無い。これはA君が選んだ道だ。A君が正しいと思ってこうしたのなら私たちが出る幕ではない。自分で選んだ道なら、自分で責任をとればいい。これで私たちとA君との縁が切れたということになる。この結果に関して私はよかったと思っている。私も正しいことをしてきたつもりだ。A君も自分を貫いた。私も自分を貫いた。行き違っているならこういう結果になって当然である。なかなかうまくいかないものだ。それが人生である。そしてそこが面白い。誰が正しいのか。誰が間違っているのか。A君と私たちはそれぞれ違う一歩を踏み出した。

2010年10月10日日曜日

文化祭(2日目)

 今日も文化祭のことについて書きたい。今日は朝9時から早速、シュークリームを作り始めた。昨日と同じことをするので慣れてきたのかスムーズに各自の仕事ができた。日頃お菓子作りをしない私なので新鮮に感じられた。私は来年の新入生歓迎会のサークル紹介で使う写真を撮る役もあったので二つの仕事をした。ESSサークルは人数が少ないのでわずかでも入部してもらわなければ困るということでこの写真を撮るのも重大な仕事であった。まず第一陣のシュークリームとスイートポテトが完成したのでしばらくしてからそれを売りに行く班と作る班に分かれた。調理室は大学から少し離れたところにある。私は作る班になり最後のシュークリームを作った。自分で作ったシュークリームは自分の子供みたいにかわいらしく見えてくる(笑)。しばらくしてから私たちも大学に駆けつけ、売るのを手伝った。昨日も書いたが売れると嬉しい。けっこうです、と言われるとムカつくが(失礼!)。無視されるとさらにムカつく(失礼!!)。買ってくれた人には心の底から「ありがとうございました」と言う。私はただの助っ人ではあるが真剣に作ることに取り組み、真剣に売った。大変だった。しかし楽しかった。去年よりも明らかに楽しかった。また機会があればやらせてもらいたい。お菓子作りにハマったかもしれない(笑)。

文化祭(1日目)

 せっかくの文化祭であったが途中から雨が降り出してきた。私が手伝いするESSサークルの出し物はスイートポテトとシュークリームである。昼前に作ってきた班と合流し、売り始めた。これがすぐに売れたのだ。次のものを作るために私も一緒について行った。学校の授業以外でお菓子を作るのは初めてではないだろうか(笑)。シュークリームの作り方を教えてもらい、約3時間弱かけてみんなで作った。食べてみると、もちろんだがおいしいのだ。自分で作ったとなればなおさらだ。再び売るために大学へ戻り、売り歩いた。これも完売。売れると嬉しいものである。すごい、と言ってくれるお客さんもいた。去年の参加する側はおもしろくなかったが、迎える側に立ってみると全く違って見え、面白かった。しかし去年もそうだが人の数が少なすぎるように感じる。やはり100%満足できるものではない。それでも明日は100%満足できるように楽しみたい。

2010年10月8日金曜日

内輪の文化祭

 明日はいよいよ文化祭の日である。私が所属している剣道サークルは何もしないが、友達のS君が所属しているESSサークルの手伝いをすることになったのだ。手伝うということはESSサークルに所属している人数が少ないのである。去年、私は何もすることがなく、とりあえず文化祭に行ってみたのだが正直面白くなかった。何が面白くなかったかと言われるとはっきり答えるのは難しいが、活気が無かった。規模が小さすぎる。これは大学自体小さいからかもしれない。そのせいか同じ所を何度も通るのだ。目に留まるものが無い。昔私の兄が通っていたD高等学校の文化祭に参加させてもらったことがあったのだが、私の大学と対照的だった。初めて行くところで、知っている人も無く、それなのに目に留まるものがあったのだ。中庭ステージでは二人の生徒がアコースティックギターを持ち、英語の歌を歌っていた。講堂では劇や吹奏楽部の演奏が行われていたが、プログラムとプログラムの間の準備する時間を使って、突然一人の生徒が現れ、アカペラで歌い始めたのだ。素晴らしかった。初めて来た人でも楽しませてくれた。遠くからでも参加する甲斐がある。ここの大学は仲間通しで盛り上がっているような感じがする。なので知らない人が来てもいまひとつ盛り上がりに欠けるであろう。これはあくまで私の感想である。だが100人来て、100人が楽しかったと思えるようなイベントが最高と言えるのであろう。しかし明日は迎える側なので、お店に来てくれるすべての人に、あのお店よかった、と言ってもらえるように笑顔で対応したい。

ゲームと現実

 今日はいつもの友達とで昔のゲームやアニメについて熱く語り合った。まずはゲームの話である。まず話題になったのはポケットモンスターである。私がやっていたものはグリーンである。これはポケモンがまだ初期のころのもので、全部で150匹のポケモンが存在するのだが、今はなんと600匹以上も存在するという。私は150匹しか知らないのでついていけないところもあったが。裏ワザの話も話題になり、かなり盛り上がった。その他にもロックマンXの話も出た。これはスーパーファミコンのソフトである。またアニメではドラゴンボールが話に出た。本当に懐かしいものばかりである。今の時代はプレイステーション3やX-BOXの時代である。おそらく今の子供たちは私たちが昔やっていたファミリーコンピューターやスパーファミコン、ゲームボーイなど知らない人も多いだろう。昔のゲームと今のゲームとは明らかに違う。迫力、臨場感、などとまるで本物の様に見えるのだ。この十数年でここまで進化するとは思ってもみなかった。今の子供たちは昔のゲームをしても物足りなく感じるであろう。しかし私は時々昔のをしてみたくなるときがある。たまにやれば面白い。昔ので満足できる。どれほどゲームが進化しようとも、変化しないものがある。それはゲームはゲーム、現実は現実だということだ。どれほど本物に見えようともそれは本物ではない。ゲームは失敗すればリセットし、やり直せる。人生はリセットできない。人生において失敗すると戻るという概念はない。失敗は成功への第一歩だ。もちろん簡単ではない。幾度もの挫折を味わうであろう。だからこそ面白いんだ。

2010年10月6日水曜日

KNIGHT AND DAY

 今日は午前中で授業が終わり、午後から友達のS君とM君とで買い物に出かけた。そして休憩にマクドへ行き、ハンバーガーとポテトを食べた。私はめったにファーストフードを食べないが久しぶりに食べた。おいしかった。たまにはファーストフードもよいものである。食べ過ぎはよくないが。その後、なぜか映画を見ることになった。今日はトム・クルーズ主演の『ナイトアンドデイ』が先行で上映される日であったのだ。チケットを買ったのだが、人がほとんどいないのである。これは悲しい。私は大阪で見慣れてしまっているせいか、寂し過ぎる。そんなことを言ってもしかたがないが。私は高2以来、映画を映画館で見たことが無かった。なので本当に久しぶりであった。やはり見終わった後の感想は、映画は映画館で見るもんだ、と改めて感じた。自宅で見るよりも感動、興奮が2倍3倍になる。映画の内容はここでは触れないようにする。久しぶりに映画館で見たい映画だったのでグッドタイミングであった。映画に出演しているキャメロン・ディアスもかわいかった。まだ見ていない人へ。これはおもしろいぞ!!

2010年10月5日火曜日

二つの選択

 現在、私が仲良くしている友達は同じ下宿に住んでいるM君とS君とG君(下宿外)なのである。しかしもう少し前にはもう一人いたのだ。それはA君なのだがとある理由で私のグループから出て行ってしまったのだ。これだけを聞くと仲直りしたらいいじゃないか、と言うかもしれないが私たちはあまりA君のことが好きではないのある。いやむしろ嫌いなのである。同じ下宿でとりあえず一緒にいた感じである。今ではお互いすれ違ってもあいさつ一つしない。赤の他人状態である。私たちはこの方が居心地がいい。A君はいくつかの問題があり、私たちは一緒にいたくないのである。しかし先日、以前お世話になった下宿のおばちゃんTさんから連絡があり、どうしても仲直りしてほしいとのことである。私たちの答えはNOだ。今の状態になったのはA君と私たち両方に問題がある。A君にはおそらく友達は多くないであろう。ではなおさら仲直りしてあげればいいのに、とか冷たい奴らだ、と私たちは非難されるかもしれない。私たちもどちらがいいのか議論し合った。おそらくA君にとって仲直りするとほぼ100%プラスになるだろう。しかし私たちにとってはマイナスのところが多いのだ。こう考えると功利主義ではないが最大多数の最大幸福は達成されない。もちろん私は功利主義者ではないが。私たちはA君と仲の良い時にはA君の悪いところを直そうと努力してきたのではあるが、改善されたところが一つも無い。しかもその直さなければならないところが小学生でもしないようなことである。たいがいにしてほしいものである。私は自分に無理をしてでもA君と仲直りする気は毛頭ない。嫌いな人と付き合えという方が無理である。Tさんが何か行動しているところなので来週には何か変化があるかもしれない。

オズの魔法使い

 今日は朝からすさまじい雨であった。これほどまとまった雨が降るのは久しぶりであった。靴が濡れ、靴下までびちょびちょであった。たまには雨もいいかなとも思ったりもした。

 昨日のブログで文化祭のことに触れたので今日もそのことについて書こうと思う。私の高校の文化祭のことである。2年生の時、私のクラスは劇で『オズの魔法使い』をしたのであった。小道具や衣装、音響や照明まで何から何まで自分たちで作り上げていった。私は音響係であった。昨日も書いたが裏方の役である。と言っても、私は表の役にはなりたくなかった。理由は簡単、恥ずかしいからだ。音響係をしたのであったがこれがかなり難しい。タイミングがずれると終わりである。MDの入れ替えや音量の上げ下げなど、何度も練習して体に覚えこませた。結果は大成功であった。終わった後、泣いている友達がたくさんいた。何十人もの人が一つの目的意識に向かって全力で取り組むというのはすばらしいことである。もちろんうまくいかないときもあった。議論し合った。そこをみんなで乗り越えた。集団行動で難しいことは一つになるということである。その一つになったとき、感動が生まれるのである。あの感動をもう一度体験してみたいものだ。

2010年10月4日月曜日

裏方のパフォーマーたち

 今日はあいにくの雨であった。昨日の疲れが残っているのかなかなか起きることができなかった。10時くらいに、荷物が届いているとのことで同じ下宿に住んでいる人が教えに来てくれたのだ。そのドアをノックするので起きた。玄関まで持ってこいよ、と言いたくなった。しかも持ってきたおっさんのあいそがとてつもなく悪い。朝から不機嫌な気持ちになった。風呂掃除と部屋の掃除をすませ、再び眠くなった。3時間も寝てしまった。やはり昨日の疲れが残っていたのであろう。明日から学校が始まるとなると、もう1日休みがほしくなるが今週も頑張ろう。

 さて10月というと、文化祭の季節である。私の大学にも文化祭があり、今週の土曜日と日曜日にある。文化祭もそうだがこういう行事には表と裏、光と影がある。演奏会や華麗なパフォーマンス、このようなものが表、光にあたる。正直、見ている人に感動を与えたり、拍手喝采を浴びるのはこの人たちである。しかしこのようなことができるのは裏、影があるからである。この裏、影がなければ何もできない。裏、影というのは会場設営をしてくれる人たち、また照明や音響の人たち、またその行事そのものを計画してくれる人たちである。彼らは決して表に出ることはない。しかし私は彼らにこそ「美学」を感じる。何かしらのイベントに参加したとき、パフォーマーたちだけに目をむけ、拍手するのではなく、その裏方にいるパフォーマーたちにも拍手を送ってほしい。

2010年10月3日日曜日

サプライズ大作戦

 土曜日と日曜日にバイトをするために友達のS君は金曜日の夜に実家に帰るのだ。彼の実家は五所川原という町である。私と友達のM君は彼が働いている姿を見てみようと思い、彼に内緒で五所川原に行くことを、金曜日の夜に計画したのだ。移動手段は何かと言うと、自転車である。しかしこれは自転車で行く距離ではない。結果を先に言うと片道3時間半もかかったのだ。
 土曜日の朝8時に出発したのだが、だんだん見慣れない風景になってくると、いろいろと考えてしまう。道はこれでいいのか、いつになったら到着するのか、などと。途中では周りの風景が山になり、歩行者、自転車のひとは、ほぼゼロになった。しかも途中から車道のみになり、自転車が走れる幅がかなり狭くなり、大型トラックが横を通過するたびに恐怖するのである。正に命懸けである。山なので坂を上ったり、下ったり、上ったり、下ったりの繰り返しだった。さすがに私も苦しかった。何度も地図で確認すると同時に休憩もした。そしてやっとのことで五所川原の町名が出てきたのである。「よっしゃっ!」と思わずガッツポーズをしてしまった(笑)。しかし喜ぶのは少し早かった。そこからが少しあったのだ。序々に近づいているのがわかったのであまり苦しくはなかったが。そして到着した。時計を見ると、11時20分くらいであった。疲れた。脚がパンパンだった。昼ごはんをすませ、彼が働いているところへ。彼はとあるファーストフード店のレジ係をしているのだ。初めて彼が働いているところを見た。制服を着こなし、いつもの彼よりも大人に、かっこよく見えた。普段見ることのできないところを見ると、その人の見方も変わってくると感じている人は私だけではないだろう。そして私たちもレジに並び、見事に驚かすことに成功したのであった。彼がおどろいた分だけ、私たちも嬉しくなった。来てよかった、そう思った。その後、彼の実家にお邪魔させていただき、シャワー、夕食までごちそうになってしまった。さらに彼のお父さんに車で私たちの下宿まで送ってもらったのであった。正直、あの道のりを再び自転車で帰るのは不可能であった。正に天の恵みであった。
 今日の一番の収穫はS君の新たな一面が見れたことである。そしてサプライズ大作戦大成功!めでたしめでたし(笑)。

 疲れた~。


S君の実家で飼っている猫である。めちゃくちゃかわいかった(笑)。