2014年12月31日水曜日

ややこしいこと

 前回の投稿から今回の投稿の間にややこしいことがあった。まずは私の部屋が漏水してしまったのである。部屋に洗濯機が置いてあり、そこに洗濯機用の水道がある。その上に突っ張り棒形式の棚を置いてあったのだが、私が外出している時にその棚が落ちてしまって、洗濯機用の水道に直撃し、水道が折れてしまったのだ。異変に気がついたのは下の階に住む管理人さんである。変な音と、天井から水が落ちてきたそうだ。急いで私の部屋に入り、水道の元栓をしめ、簡単な応急処置をしてくださったのだ。知らぬ私が帰ってきたのだが玄関に、水道が壊れ漏水したため元栓をしめました、というメモが貼ってあった。嫌な予感がした。何故か私の玄関の前にバケツと雑巾が置いてあったからだ。そのメモを見ていると近くに住んでいる方が得てこられて、「大変だったみたい」とおっしゃていた。恐る恐る部屋を開けてみると、やはり水浸し。幸いにも部屋の半分は無傷だったのがせめてもの救いであった。私の部屋に置いてあった新聞紙を床にまんべんなくしいてくれていたのだ。ただここからが面倒だったのだ。もちろん部屋の掃除はしなければならない。水道の修理は3日後らしい。なんと水無しで3日も過ごすというのか。それはきつい。近くに銭湯があるのだが、そこは23時まででその日は過ぎてしまっていた。たまたま全会社の後輩が私の家の近くに住んでいて、急いでその後輩に電話し、風呂だけ入らいてくれとお願いすると快くOKをもらた。次の日は銭湯に行った。その次の日は帰るのが遅くなってしまった。それもそのはず。よりによってクリスマスシーズンだったからだ。その日は後輩もお店の近くに宿泊しなければならないということで家には帰っていなかった。仕方がないので、住んでいるビルの1階に公共の水道があったので、ペットボトルを何本か持って行き、その水を使って頭と足だけ洗うことにした。外に設置してある水道だったのでものすごく冷たいのである。頭の感覚がなくなるくらいだ。体はコンビニで売っているような汗拭きシートで我慢することに。それでやっと水道がなおったということである。また、階下に住んでいる方に大変ご迷惑をかけてしまい、謝罪の挨拶に伺ったのだが、壊れたものや弁償しなければならないものはなかったというので、それだけでもよかった。
 
次はなんとインフルエンザにかかってしまったということである。人ごみの中で仕事をしているので、おそらくそのどこかでうつされてしまったのだろう。27日の夜、急に悪寒が走ったのである。急いで寝たのだが、次の日の朝、頭痛と体のだるさがあった。風邪だと思い、仕事があったのでいつも通り支度を。今までの経験から言うと、普通の風邪なら朝起きるときが一番辛く、体を動かしているうちにだんだんと体も慣れてきて、なんとかいくものである。しかし、今回はどんなに体を動かしてもだるいままである。電車内でもぼーっとしていた。百貨店についていつもどおり仕事をしていたが、やはりこれは普通の風邪じゃないと思い、繁忙期で申し訳なかったが早退させてもらい、病院を探した。年末、そして休日でも営業している病院を探した。私は普段保険証を持ち歩かないので、一旦家に帰り、そしてすぐに出かけたのである。熱を測ってみると、37.4°。昨日熱はあったか聞かれたのだが、私は体温計を持っていなかったので、わからないと答えた。時期が時期なのでインフルエンザの可能性もあるということだが、昨日熱を測っていたらその可能性が高かったが、測っていなかったので今日の朝熱が出たという結果にし、現時点は潜伏期間で検査しても結果が出にくいがどうするかと聞かれ、一応解熱剤だけをもらい様子を見ることにした。もしこの薬を飲んでも熱が下がらなかったり、体調が悪くなったら明日病院に行けと言われた。家に帰り、暖房をつけてゆっくりしていたが、頭痛と悪寒がすごいのである。ガタガタ震えるレベルである。この機会に体温計も買っておいた。その夜に早速測ってみると38°を超えている。明日熱が下がっていることを願いながら眠りについた。朝になり、もちろんその日も仕事が入っていた。その日は午後からのシフトインだった。熱を測ってみる39°。頭痛も激しい。自分でもインフルかもしれないと思った。とりあえず病院へ行くことに。インフルの検査をしてもらい、結果はインフルエンザA型。今流行りのものである。今日と明日は外出禁止令が出た。イナビルという吸引型の薬をもらい、そのまま家に直行。イナビルを吸引して寝た。それが昨日である。そして今日は熱が37.3°に下がり、体もだいぶ楽になってきた。早く体調をよくせねばならない。お店にも迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ない。
 そうそう体調を崩さない私だが、インフルエンザには勝てなかった。幼稚園時代に一度インフルになった記憶があるがそれ以来ということである。普通の風邪とインフルの違いを体感できただけでもよかった。

2014年12月16日火曜日

本が言う

 私が働いている百貨店は今繁忙期でかなり忙しい。今はお歳暮の時期で、ギフトセンターというお歳暮専用のエリアが設けられているので、私のお店もそこに何品かギフトを置かせてもらっているのだ。もちろんお店にもギフトを求めて買いに来られる。お歳暮に時期が終わるとすぐにクリスマスで、そのまま年末年始である。今年も慌ただしく新年を迎えそうである。

 
先日、一日休日があったのでいつもの通り渋谷から東京駅までを歩いた。久しぶりに日曜日休日ということでどこに行っても人が多かった。私は歩くだけなので人の多さはどうでもいいのだが(笑)。そして東京駅のoazoの本屋に行った。本屋には久しぶりに立ち寄った。いい本はないかと探していると、こりゃまた“紀行”のエリアでニューヨーク関係の本が新しく出ていた。ニューヨークかぶれの私としては買わざるを得ないので2冊買った。1冊は一日で読んでしまい、もう1冊も読み始めようかなと思う。
 読んでいると疑問に思っていたことが「なるほど」と理解できることもあれば、笑いながら「そうそう」と共感するところが多い。実際に行ってみると文化の違いに圧倒される。そしていろんな疑問が生まれる。私も行く前はそんな本など読もうとも思わなかったものだが、帰ってきてからはもっと知りたいと思うようになった。気がつけばそれに関係するものを探している。まあ勉強もそんなものである。勉強はすべて”なぜ?”から始まる。知りたいから勉強する。今回のことでいえば本を読むことになるのだが。
 良くも悪くも私はあの街にとりつかれてしまったようだ。はっきり言って、うるさくて騒がしくて汚くて騙されて落ち着く暇さえも与えてくれない、それでもいつかこの街に住んでみたい、この街でなにかしてみたい、そう思う自分がいる。都会が好きな人もいれば嫌いな人もいる。東京が好きな人もいれば嫌いな人もいる。“東京って大変じゃない”と聞かれたことが何度かあるが、その大変というのが私にはよくわからないのである。私は東京が好きである。都会が好きである。私は田舎のような静かな暮らしは今は望んでいないようだ。それはもっと年をとってからでいい。今できることをやっておきたい。人生は思っているよりも短いんじゃないかな。気がつけばもうこんな年、それの繰り返し。やらないで後悔するよりやって後悔する方がいい。失敗することには耐えられるが、挑戦しないのは耐えられない。本を読んでいると私にそんなことを言っているような気がした。

2014年11月28日金曜日

記憶

前回の一応の続きでも書こうかなと思う。おそらくこの認知症は世界中で深刻な問題となっているだろう。認知症になれば介護が必要になってくる。一番理想的な姿はやはり家族が協力し合い、できれば自宅で面倒を見ていくというのが一番いいだろう。しかし、現実は違う。そうしたくてもできないものである。何よりも“自分”の生活がかかっている。仕事をしなければ自分が生きていけない。そして介護もすることができない。介護もかなりのお金がかかる。治療費、施設料などなど。それは想像以上に大金である。
 前回は明らかに私中心の意見を書いたが、実際に私自身が認知症になったらどうであろうか。世界でも深刻化している認知症は、明らかに昔よりも大きな関心が寄せられている。今や身近な問題ともなったこの悲しい現実を私たちが危惧する理由。そこには、私たちに失いたくない記憶や大切な人の存在があるからだろう。自分が歩んできた道、自分を構成する要素。それらが一つひとつこぼれ落ちていくことはどれほど残酷なことだろう。自分が自分でなくなっていく恐怖、愛する人々が何者なのかさえわからなくなる、無情さ。私にも“その日”はいつか来るのだろうか。
 私はまだ20数年しか生きていないが、忘れたくない記憶ばかりである。こんな私でも一緒に遊んでくれる仲間。ご飯行こう、と気軽にメールをくれる仲間。今度は○○に行こう、と次も会う約束をしてくれる仲間。当たり前のようだが当たり前ではない。そして家族の存在。面倒や心配ばかりかけている。しかし、それでも遠くで見守ってくれている。私は死ぬまで心配をかけ続けるだろう。私が何歳になろうとも、どこでどんな仕事をしようとも家族の関係は変わることはない。かけがえのない全ての“ひと”に心から感謝している。
 聴覚、臭覚など五感で味わった記憶ほど人はよく覚えているという。年を重ね、“今”が思い出になる日は必ずやってくる。忘却の彼方に消えてしまう喪失感も味わうかもしれない。しかし、私の名を叫ぶ声が、仲間、かけがえのない“ひと”たちと過ごした若きこの時代を呼び起こしてくれるだろう。デジタルカメラのメモリーカードのように形に残すことのできない“記憶”。淡く、儚く、・・・。だからこそ愛おしいのかもしれない。

2014年11月24日月曜日

祖母の認知症

最近、祖母(母方)が認知症になったのである。母が祖母の認知症に気付いたのはある事件がきっかけだったのだ。詳しく書くと長くなるので省略するが、救急車、消防車、警察、というオールキャストが揃うほどのちょっとした事件だったのだ。しかし、そのようなことがあったというのは祖母は覚えていない様子だったのだ。詳しく検査すると認知症と診断された。24時間目を離さないように医者から言われたのだが、母も仕事をしているのでそうはいかない。預けてもらえる施設を一緒に探した。ちょうど大阪に戻った時である。
 祖母の家はマンションの最上階で、私の実家も同じマンションである。私が中学3年生の時に祖父をなくした。今でも鮮明に覚えている。祖父がなくなったのは1月1日。その日以来祖母はひきこもり状態になってしまった。家事は祖父がよくやっていた。家に遊びに行った時に祖父がよく掃除機をかけていた。言い方は悪いが祖母は人に頼っていたのである。毎晩夕食は母が作ってそれを持って行っていた。しかし、ご飯を食べるよりも酒ばかり飲んでいた。母はやめるように何度も注意をし、医者からもやめるように言われたが祖母は聞かなかった。酒を飲むことが唯一の楽しみになっていたのだ。次第に医者から酒をやめるように言われなくなった。患者が協力しなければ何の意味もない。骨粗鬆症、肝硬変などの病気にかかっていたが、治るはずもない。そして認知症に。
 大切な人を失って悲しむのは当然のことである。そして祖母だけが通る道ではない。世界中の人が生きていれば必ず通る道。通りたくなくても通る道。1年間悲しくて辛くてなにもできなかった。しょうがないね。5年間悲しくて辛くてなにもできなかった。しょうがないね。10年間悲しくて辛くてなにもできなかった。しょうがないね。死ぬまで悲しくて辛くてなにもできなかった。ノー!!私ならばこう答えるだろう。悲しくて辛いのは仕方のないこと。それをいつまでじ悲しむのか。死ぬまで?
 私ももしかしたらそれほどの悲しみに直面したことがないからそんなことが言えるんだと言われるかもしれないが、立ち上がらなければならないときがある。大切な人を失ってもなお立ち上がってたくましく生きている人はたくさんいる。むしろ立ち上がらなければ生きていけない。そんな姿を周りの人が見て、手を差し伸べてくれるのである。生きる目標を失い、アルコール依存の生活をしている人に誰が手を差し伸べようとするのか。残るは家族しかいない。面倒を見ているのは私の母。だから私の母は今本当に大変なのである。
 認知症になるまでに何かしらの方法で生きる目標を見つけられなかったのは、周りにいた人も悪いかもしれない。しかし、あらゆる手は尽くしたと思う。人はどんなことがあっても前に進まなければならないときがある。立ち止まってはいられないときがある。山を登らなければならないときがある。アルコールに悲しみを紛らわそうと決めたのは紛れもない祖母自身。己で選んだ道である。それが周りの人に迷惑をかける結果に。しかし、そんなことはすぐに忘れてしまう祖母。怒りすら湧いてくる。そんな祖母だが母は毎日は厳しいが二日に一回は祖母に会いに行っている。会うたびに喧嘩しているみたいだ。私は、「いかんでええやん」と言う。母は、「うん。でもなー・・・」。私が心配なのは母が体調を崩さないかどうかそれだけ。
 

2014年11月13日木曜日

久しぶりの再会

 
同期のお土産
昨日私がいつものように店頭に立って仕事をしていると、何やら久しぶりに見た顔がいたのである。前会社の同期のひとりであった。その同期の子は私と一緒で百貨店課の一人として働いていたのだが、一ヶ月くらい前に退職したのだ。この話を聞いたのは同じ同期仲間からである。
 私が前会社を退職してアメリカへ行き、同期のお土産としてm&mのお菓子を買って帰ったのだ。そして直接その同期たちにお土産を渡すために一日をかけていろんな店を回ったのである。ほとんどの同期はお店にいて、直接渡すことができたのだが、ちょうどその子だけ休みで他のお店のスタッフに頼んで渡してくださいとお願いをしたのである。そのお土産とメモを残して。もし受け取ったら何かしら連絡が来るだろうなと思っていたのだ。しかし、次の日やまた次の日になっても何の連絡も来なかった。なんで何も言わないんだよ、と思うこともあったし、大丈夫だろうかと心配になったこともあったが、催促の連絡はよくないので私からは何も連絡をしなかった。それは今年の5月後半だった。そして昨日、直接私に会いにお店に来てくれたということである。元気そうで本当に良かった。私もわざわざ来てくれたということで、連絡をよこさなかったことなどはもちろん不問にした。本当は以前にも3、4回ほど来てくれていたみたいなのだが、私が休みだったのか裏の仕事だったのかでお店にいなかったという。これは申し訳ない。やっと会えたというわけである。その子は退職をして、しばらく実家に帰っていたみたいだ。ゆっくりできてよかったと言っていた。今就職活動しているみたいだ。
 仕事といってもいろんな仕事がある。同じ百貨店の惣菜販売にしてもお店によって全然違う。人間関係やハードワーク、そんなこんなで体調を崩してしまう人も多い。でもそれはやっぱりよくない。ときには休憩も必要だろう。立ち止まることもありだと思う。仕事を辞め、少しのあいだ立ち止まり、そしてまた歩き出せばいい。元気が一番である。その元気から出る笑顔が一番である。私はその子との再会でそう思ったのだ。

2014年11月8日土曜日

カウントダウンをNYで

 11月になり、かなり寒くなってきた。私が働いている百貨店も繁忙期に入ってきた。お歳暮、クリスマス、年末年始。昨年は前会社のお店で働いていて、忙しかったのを思い出す。今年も忙しくなりそうである。


 東京駅に新丸ビルという複合施設があるのだが、私はよくそこに買い物に行く。そこのとあるお店に行き、いつもの店員さんがいたので、少しばかり話をした。その方が年末年始にニューヨークに行くそうだ。タイムズスクエアのカウントダウンを見にいくらしい。すごいではないか。タイムズスクエアのカウントダウンは毎年絶対に日本でも映像が流れる。15時くらいにはいないともう入れない状態になっているそうである。普段のタイムズスクエアですら人・ひと・ヒトである。私もまだ経験していないので、死ぬまでには絶対に行こうと思っている。
 そのお店の方はもうホテルや航空券も予約をしていてあとは行くだけらしい。オススメの場所とかあれば教えてくださいと言われたが、ニューヨークはどこもオススメである。歩くだけでも最高である。その方は映画『レオン』でも最後に出てきたマチルダ(ナタリー・ポートマン)がゴンドラに乗っているシーンがあるのだが、そこには絶対に行きたいとおっしゃっていた。私はそこに行ったことがない。でもそこにも行きたい。『レオン』は私の好きな映画の一つである。また“一人で勝手にロケ地ツアー”をやろうかな。『ダイ・ハード3』、『ナショナルトレジャー』、『プラダを着た悪魔』の“一人で勝手にロケ地ツアー”はやった。次は『レオン』かな。
 カウントダウンをあのタイムズスクエアで迎えるおいうのあ最高に羨ましい。私は去年もそうだったが、百貨店で働かなければならない。私は家でゆっくりするのは1日もあれば満足なので、正月に仕事があるのは嬉しいとも思う。まあ、忙しいのは嫌だが(笑)。それにしても1年経つのは本当に早いものである。

2014年10月28日火曜日

私のアクション映画

 
来月早々にハリウッドスターが集結した映画、“エクスペンダブルズ3”が公開される。私はハリウッド映画が大好きである。特にアクション映画は特別である。小学校の頃から映画にのめり込んでいた。以前紹介したこともあるが、“ターミネーター2”などは1週間連続してみていた。シュワルツェネッガーは大好きで、小学校の時点で約20作品くらいは持っていた。小学時代の私の記憶として、アクション映画といえばこのアーノルド・シュワルツェネッガーかシルベスター・スタローンである。この二人がアクション映画の金字塔である。今では“おっさん”になってしまったが(笑)。しかし、私に夢を与えてくれたのは事実。そして私が何歳になろうとも彼らから夢を与えてもらうことも事実。映画には夢が詰まっている。
 この“エクスペンダブルズ”シリーズはハリウッドスターが集結しているのだが、シルベスター・スタローンが声をかけるからこそスターたちは集まってくるのだと思う。記者会見の席では、スタローン、シュワルツェネッガーを中心に周りに他の出演者が並んでいるが、ハリソン・フォードですらも小さく見えてしまう。それだけ彼らはすごい人なんだと思う。今回は残念だが、“ダイ・ハード”シリーズでお馴染みのブルース・ウィリスは降板となってしまったが前作でのシーンで、スタローン、シュワルツェネッガー、ウィリスのスリーショットの銃撃シーンがあるが、これほどすごいシーンはないだろう。もし今の私が小学時代の私に、「数年後にこの3人がそろってアクション映画やるんやで!!」と言っても、小学時代の私は絶対にその話を信じないだろう。
 映画も時代が移るに連れて変わってきているような気がする。はやる映画が変わってきているのか。私が“映画”と聞いて連想するのはやっぱり80年代、90年代のスタローン、シュワルツェネッガーのアクション映画である。ただ単純に“悪は絶対に許さない”という映画。もちろん様々な内容があり、いろんな背景があるが、このコンセプトは変わらない。いわば“古臭い映画”になっているかもしれない。今回の予告映像を見ても80年代、90年代を思い出すような印象。でも私はそういうのが大好きである。おっさん達が並んでポーズを決めてる写真、めちゃくちゃカッコイイ。アクション映画はやっぱり彼らが出てこそである。まだまだ現役で突っ走ってほしい。私もあんな“カッコイイおっさん”になりたいものである。

2014年10月21日火曜日

よく遊び!よく働け!

 今日は休みで一日中部屋でゆっくりしていた。雨もポツポツ降っていたので、外にも行かなかった。とりあえず部屋の片付けをしなければならない。片付けしてもすぐに散らかってしまうのはなぜだろうか。それはどうでもいいが、早く片付けをしなければ。


 
以前とある映画のDVDを買ったのだが、そのキャンペーンとして何かが当たる専用応募ハガキが入っていて、その時は住所やアンケートに答えるのも面倒で出さなかった。とっくに応募期限が切れていて、ただの紙切れになってしまったのだが、そのハガキにいいことが書いてあった。
そのハガキのキャンペーン名が“よく遊び!よく働け!キャンペーン”だ。そのキャンペーンの対象の映画が3本あり、その1本1本にそれぞれのテロップみたいに書いてあった。
“遊ぶように働け!”
“遊ぶために働け!”
“遊ぶ前に働け!”
である。うーん、なるほど。どれもすばらしい名言である(笑)。どれも気に入った。いざ自分の仕事を思い浮かべるとなかなかこのようにはいかない。腰が重い日もあるだろうし、気が進まない日もあるだろう。時にはイヤイヤやるときもるだろう。仕事とはいってもそうはうまくいかない時がある。それは仕方のないことだが。
 私の職場は百貨店の販売員であるが、お客様が我々の商品を買っていただけるからこそ私の給料があるのである。お客様なくして私は生きていけない立場である。しかし、そうはわかっていてもなかなか体が動かない時がある。例えば閉店時間を過ぎてお客様が来る時がある。我々にも時間内に仕事を終わらせなければならない切迫感みたいなものもある。閉店時間をすぎれば当たり前でだが片付けの作業に入らなければならない。明日の商品を並べたり、商品を廃棄したり、展示商品を裏に戻したり、レジ締めをしたり・・・などなど。そこでお客様が来てなにか買うことになると作業を一時中断しなければならない。レジのお金も数え直さなければならない。お店のレジと百貨店のレジがあるので、それを合わせる作業もやり直したりとなかなか時間がかかってしまうのである。そういう閉店作業時に買い物に来られると言葉は悪いが面倒なのである。もちろんいつも通りの対応はするが。
 仕事はそういう予定通りにはいかないものである。まあそれが仕事なのであるが。この3つの名言?みたいにできればいいものである。遊ぶように働けたらどんなに仕事が楽しいことであろうか。うん、遊ぶためには働かなくてはならない。遊びたいがその前に仕事しごとシゴトである。どの名言も的を射ている。紙切れからいい言葉をもらった。

2014年10月14日火曜日

BLUE MAN GROUP

 ここ最近台風がよく来ていて、私の今までの経験からあまり台風とは縁がなかったのだが、台風が来る日がちょうど本社へ行く日で、電車が止まってしまったのだ。風が強く、体が煽られるという経験をしたのは初めてであった。今も台風が近づいているが、気をつけたいものである。


先日、同じ職場のパートの方と話をしていると、芸術鑑賞の話になった。仕事中だが(笑)。その方はよく日比谷公園近くの劇場などよく行っているそうである。私も芸術鑑賞は日本ではあまり行くことはないが、アメリカに行った時はそれこそミュージカルは必ず見るようにしている。今度その日比谷公園近くの劇場でパイプオルガンのコンサートがあるらしく、しかも激安なので行ってくるわ、とのこと。確かに激安だった。私もそうだし、その方も一時期教会に行っていたことがあるらしく、パイプオルガンが好きなのだそうだ。ついでにハーレムの教会の話もしたのだが、そこはキーボード?とドラムである。そしてゴスペル。大聖堂はパイプオルガンだと思われる。5thアヴェニューのセント・パトリック教会ではちょうどパイプオルガンの練習をしていた。
 そこで思い出したのだが、話は変わるが“Blue Man”も見てきたのである。もちろんニューヨークで。これは私の恩師のオススメだった。英語なしでも大丈夫ということで先日の旅の一番の楽しみの一つでもあった。言葉なしで繰り広げられるパフォーマンスは圧巻である。予測不可能な展開であっという間の90分。子供も多く来ていて、会場は笑いが絶えなかった。よくこんなパフォーマンスが考えられるなと感動したのである。“人生を楽しむ天才”=アメリカ人の本領発揮である。日本人にはこういうことを考える思考回路を持っていないのだと思う。また絶対来たいと思った。
 公演後、会場から出るとエントランスでBlue Manがひとりいたのである。当たり前だが「本物やー!!」と興奮した。私は旅先で自分の写真は撮らない。景色ばかりをとっていた。しかし、今回は一緒に撮ってもらおうと、私の後ろに並んでいるお客さんの一人に下手な英語でお願いして撮ってもらった。Blue Manとのツーショットである。大満足をして外に出て「やったやったやった!!」と小声で言いながら帰ったのを思い出す。こんな話をしていたらまた行きたくなってきたなー。

2014年10月10日金曜日

初ディズニーランド

前会社の同期の一部(私を含めて4人)でディズニーランドに行ってきた。私はディズニーランドが初めて出会った。ディズニーシーは東京の友達と大学時代に一度だけ遊びに行ったことがあったが、ランドの方はなかった。ランドに行く前、私と二人の同期と会い、ご飯を食べたのだ。ひとりはまだ前会社で働いていて、もうひとりはやめて違う会社で働いていた。現状報告であったり、ほかの同期は元気かどうかの話をした。そこでなぜか忘れたが、ディズニーランドの話になり、私がディズニーランドに行ったことがないというと、じゃあ今度一緒にディズニーランドに行こうということになった。その中のひとりがディズニーランド通がいて、どこでも案内できるという。それじゃあ行こうということで、私が一日だけ希望休を取り、もうひとり誘って私を含め4人で行ってきたということだ。
 事前にチケットを用意していてくれてスムーズに入ることができた。全くわからない私なのでひたすらついていくことに。ファーストパスというのがあり、並ばなくてもすぐにアトラクションに乗れるシステムがあった。二人一組になってファーストパスを取るグループと、それを取っている間に違うアトラクションの順番待ちの列に並ぶグループに分かれた。私はファーストパスを取る方に。パスをとって違うアトラクションの順番待ちをしているグループと合流。うーん、うまいやり方である(笑)。行って思ったことが、やっぱり効率よくパーク内を回らないと時間がもったいないということである。通の子がいたおかげで充分過ぎるくらいに回ることができたのである。初の私に合わせてくれたビギナーコースといったところであろうか。私はこういう遊園地的な刺激はあまり求めていないと思っていたが、予想以上におもしろかった。まあ、一緒に行ったメンバーが良かったということが一番大きいかもしれない。私を誘ってくれたことがとても嬉しかった。なかなかこういうところは行かないが、たまにはいいものである。企画してくれた同期に感謝である。そして次は違うところへ行こうということになった(笑)。みんなもおもしろかったようだ。

2014年10月7日火曜日

これでいいのか?

 いろいろなことを考えているとなかなか文章を書くことができず、投稿できなかった。といっても生活はなんら変わりないし、以前とどう変わったかと言われても答えられないが(笑)。

先日(といっても8月のことだが)、『GODZILLA』を映画館で観てきた。ハリウッドがリメイクしたものである。結果からいうと、最高に面白かった。面白かったので結局3回も映画館に行ってしまった。私が5月にアメリカに行ったときに、ニューヨークのタイムズスクエアではこの『GODZILLA』の宣伝の看板があちらこちらの出ていた。私が日本に帰ってくるときくらいにアメリカで公開されたのである。その時から絶対に観ようと思っていた。
 日本のゴジラはよく小さい時に観ていた。ミレニアム以降のゴジラはほとんど観ていない。私の中では『ゴジラVSデストロイヤ』で終わっていたのだ。日本のゴジラはそれはそれで面白い。日本のゴジラは着ぐるみを着て撮影であるが、ハリウッドはCGでの撮影。CGといってももともとのゴジラの動きは人間がやり、それをCGにしているのでこだわりがあるのだとか。どちらにせよ、「さすがハリウッド!!」という感想。
 私が一番印象に残ったことは、「ゴジラとはどういう存在なのか」ということである。人類にとって敵か味方か。映画中の渡辺謙が言っていたことだが、「自然というのは常に調和を保とうとする」。今回MUTO(♂・♀)という別の怪獣も登場するのだが、この怪獣が活動を始め、今まで保たれていた自然が崩れ始めたのだ。それを元に戻すためにゴジラは眠りから覚めた。だから街を壊そうが、人間を踏みつぶそうが、ゴジラにしてみたらはっきりいってそんなことは何の問題もないだろう。善・悪を超越した存在=神なのかもしれない。よくよく“GODZILLA”のスペルをみてみると、“GOD”=“神”がある。
 核によって生まれ、核で殺そうとした人間。“核の恐ろしさ”がゴジラのテーマである。人間が自然の調和を崩そうとするならゴジラは間違いなく人間を倒しに来るだろう。人間にとって敵か味方かそれはわからない。しかし、ゴジラが最後に雄叫びを上げたとき、「人間たちよ、これでいいのか?」と聞こえたのは私だけではあるまい。

2014年7月25日金曜日

破れた金色の紙

 今日はものすごく暑い日であった。私は昨日今年初めてセミの鳴き声を聞いたのだ。梅雨も明けて、ついに本格的な夏がやってきた。今日は少し買い物があったので、朝少し早く起きて出かけたのだが、少し歩くだけですぐに汗が出てきた。いつもの散歩コースも全て歩かずに、渋谷から赤坂までは歩いたが、赤坂から有楽町までは地下鉄に乗ってしまった。荷物もあったので仕方ないところもあったが。適度の水分補給も心がけたのである。とにかく暑い一日であった。


 私の部屋の壁には様々なポスターやチラシが貼られている。長渕剛やニューヨーク、映画などなど。その中の一つに少しぐちゃぐちゃになった金色っぽい紙も一緒に貼られている。他人が見れば確実に捨てるだろう、そんな紙である。
先日ニューヨークに行ってきたが、そこで前会社でお世話になった先輩にお土産としてジッポライターを買って帰ったのだ。行く前にジッポライターが欲しいという希望を聞いたので、その先輩にはジッポと決めていたのだ。高いものは私も手を出せないし、お土産レベルなので定番の“ZIPPO”である。いかにもお土産ショップみたいなところでたくさん売っていた。しかし、私はどうもこれらのお土産ショップでは買いたくなかったのである。観光客がかなりの確率で立ち寄りそうなところは行きたくなかった。“みんなと同じはいイヤ”という私の変なプライドがここでも出てしまったのである。他の人のお土産は適当に歩いて見て決めることができたが、なかなかジッポが見つからない。そして偶然グランドセントラルターミナルの前を歩いていると、とある店のショーウィンド越しに帽子や杖なんかが見えた。「ほー」とぼんやり眺めていると、あるではないか!ジッポが!!よく店内を見てみるとパイプや葉巻がズラーっと並んでいる。ここはタバコ専門店だったのだ。専門店がいいと思い、ここで買おうと即決したのだ。しかし、なかなか入りづらいお店。外から見ていると店から黒人の店員さんが出てきて、「中入っていいよ」と笑顔で言ってくれたので、その流れに任せて中へ。入った瞬間、タバコか葉巻かパイプかわからないが煙と匂いがものすごかった。ヤバイ店に入ったかも、と思ったが、早くそのジッポを買うことにした。私が欲しいジッポを指差して、ケースから取り出してくれた。プレゼント用にしてくださいとお願いすると「OK!」と快く返事してくれた。そのジッポを包もうと金色の紙を取り出してきたが、包み方が恐ろしいほどに適当なのである(笑)。紙がジッポのケースの大きさに合わないので普通ならばカッターやハサミで切ると思うが、手で破っていた(笑)。それを見ながら私は、「ええ国やなー」となんだかうっとりした気持ちになった。オイルはいるか聞かれ、いると答えたが、「飛行機に乗るんだったらやめといた方がいいぜ」と言ってくれた。終始笑顔で対応してた。そのジッポを受け取り、ドアを出るときに私は振り返ったのだが、その黒人の店員さんは私にサムズアップをしてくれたのである。カッコよすぎるではないか。最高の気分だった。
 ニューヨークに来るまで喉の調子が悪く、治りかけだったのだが、このお店に来てタバコの煙にやられてしまったのかまた喉がおかしくなってしまったのである。まあ、いいか。
 そしてそのジッポを先輩に渡し、先輩にお願いしてその金色の紙だけは私に返して頂いたのだ。その紙はただの破れた紙だが、私にとっては思い出の紙である。海外に行くと、いろんなものを見る。美しい景色、壮大な美術館、博物館、ミュージカルなどのエンターテイメント。どれも心に残るものばかりである。しかし、一番心に残るものはそこで出会った“ひと”である。道を教えてくれたひと。地下鉄の切符を一緒に買ってくれたひと。お店のひととのたわいもない会話。もう二度と会うことはないと思うが、そういう“名も無き友人”を持つことは私はすごく大切なことだと思う。そういう“名も無き友人”がいる国とは絶対に戦争をしようとは思わない。偉そうなことは言えないが、地球市民として生きていきたい私はそう思うのである。

2014年7月22日火曜日

先輩、後輩とご飯へ

先日、前会社(前お店)で働いていた先輩と後輩とでご飯を食べに行ったのである。この先輩にはかなりお世話になり、私が辞めるときに、その先輩が以前働いていたという高級バーに連れて行ってもらったりと面倒をよく見てもらっていたのである。後輩は今年の4月中旬に店舗に配属され、私は4月いっぱいで退職したので、私と関わったのはほんの1週間半である。しかし、私は何度かこの後輩をご飯に連れて行ったりしていまだに交流がある。
 先輩は今日で退職するみたいである。理由は私が辞めた理由と同じものも含まれているが、やはり居心地が悪かったみたいである。そしてこの後輩も居心地が悪いみたいで、いろいろと悩んでいるみたいだ。少しずつ転職活動も行っているみたいである。私はこの後輩に言われた。「先輩がいてくださったら辞めたいと絶対に思わないです」と。そして「先輩が辞めたことをちょっと恨んでます(笑)」と。自分で言うのもなんだが、多分そうだろうと思う。悩みを打ち明けられる仲間がいるとどれほど心強いことか。私が辞め、そして先輩がやめてしまうので、私が辞めた原因の店長と社員はその後輩の二人になり、あとはアルバイトになってしまう。これはヤバイな(笑)。私も耐えられないと思う(笑)。会話の節々に笑いを入れて場を盛り上げて、後輩はいろんな話、悩みを打ち明けてくれるし、私も去年のことを思い出しながら、「前はもっとひどかったんやで!!」と笑い話に変えて話をする。今では苦労も全て笑い話である。後輩はかなり驚いていたが。
 この後輩は住んでいるところが偶然にも同じ最寄駅なのである。たまに駅前のスーパーで会うことがあるのだ。後輩が働いている百貨店は20時閉店で、通勤時間は片道40分くらいである。私が働いている百貨店は21時閉店で、通勤時間は片道50分くらいである。お互いにシフトがラストまでの時にスーパーで会うのだが、後輩は20時閉店と私の所よりも1時間も早いのに、閉店してからの作業が多く、なかなかすぐに百貨店を出れないのだ。確かに閉店してからの作業は多かった。今働いているところは21時閉店でも21時45分には終了している。前のところははっきり言って面倒なことが多すぎた。パソコンでその日の売り上げを事細かに記入し、そして携帯にも記入して報告しなければならない。自分の店しか人が残っていないのである。ほかの店はとっくに帰ってしまっているのだ。いつも、「どうしてここの店だけ遅くまで残っているんだ」と。やっぱり会社によってやり方方が全然違う。今の方が格段にいいと思うが。
 その後輩の同期の一人も違うお店で働いているのだが、その同期も転職活動を始めようかなと言っているそうである。どうやら退職ラッシュはとまらなさそうだ。私が経営者ならもっと働きやすい、楽しい環境をまず整えようとするのだが。立派な城を建てるためには、立派な石垣が必要である。立派な城を建てても石垣がグダグダで不安定ならば城はすぐに倒れてしまう。お城に目がいってしまうが、その城を支える石垣もすこぶる重要な要素の一つである。その石垣にもしっかりと手間ひまかけて手入れをする必要があるのではないだろうか。人の心、気持ち、感情を理解しようとし、その人個人に合った解決策を考えるのが人の上に立つ者の役割である。それが理解できない、わからないというのであれば、それは様々なことの経験不足からくる心の狭さなのだと思う。この経験とは仕事だけのことではない。日頃どんなことを考えて生活し、何を見ているのか。魅力のない人は何も考えていない人である。

2014年7月19日土曜日

iPhone4ご臨終

 
昨日、私が使っていたiPhone4が壊れてしまった。完全に壊れたわけではない。画面が壊れてしまったのだ。このiPhoneに電話をかけてみてもつながるのはつながるのだが、画面に何も映らないので電話に出たくても出れないというわけである。データも生きている。パソコンにバックアップもとっている。修理か機種変更になるだろうということで、今日は休みだったのだが、昼から銀座のアップルストアに行ってきた。交換も機種変更も料金はそれほど変わらないということで、機種変更をしようと思った。しかし、今日に限って身分証明書を持っていなかったのである。面倒だが、一旦家に帰り、そしてまた出直しになった。今度は原宿のsoftbankのお店に行った。私は携帯を2台持っている。iPhoneはソフトバンクで、もうひとつの携帯はガラケーでdocomoである。もともとdocomoだったのだが、大学3年生のとき、就職活動でスマートフォンが必要だろうと思い、スマートフォンならiPhoneがいいと思ったのでソフトバンクにしたのだ。当時はdocomoではiPhoneを扱っていなかった。今回、交換せざるおえない状況になったので、両社の料金プランを聞くことにした。原宿のソフトバンクのお店のあと、丸の内のdocomoのお店にも行った。両社合わせていろんな料金プランがあり、こういうのには全く詳しくない私だが、docomoにしようかなと考えている。機種変更するにも私の名義がいろいろとややこしい状況になっていて、すぐに変更はできないということで、とりあえず出直すことにした。1週間と数日、私のiPhone関係の情報や連絡ができなくなってしまった。主にメール、電話、ラインなどであるが。少しの間、我慢しなければならない。
 午前中から動き回り、休みだったがかなり疲れてしまった。帰りにいつもの東京駅のoazoのある丸善の本屋さんに行ってから帰ることにした。雨が降る予報だったが、家に帰るまで降らなかったのでこれだけでも助かった。来週には梅雨も開ける予報である。本格的な夏がやってくる。私が働いているお店では風邪が流行っているみたいである。夏に体調は崩したくないものである。今年の夏もいろいろやらなければならないので、体調管理はしっかりしておきたい。それにしても、冷房のフィルター掃除をしても「お掃除ランプ」が消えないのはなぜだろうか。

2014年7月15日火曜日

『ニューヨークの女性の「強く美しく」生きる方法』

 新しい会社に入社してから初めての2連休であった。普段あまりできない掃除や片付けをしたり、そしてゆっくりしたりして過ごした。たまには連休もいいものだ。連休の初日は次の日も休みがあるということで、純粋に休みを楽しめる。次の日が仕事となると準備をしたり、早く寝たりといろいろ考えなけれならない。あっという間に連休が過ぎてしまったが、久しぶりにゆっくりできたような気がする。

新しい会社に入ってから本を読むようにしている。前会社では毎日疲れて本を読む元気もなかったので、今は寝る前に1時間ほど読書をしてから寝るようにしている。昨日“ニューヨークの女性の「強く美しく」生きる方法”という本を読んだ。短編に分かれていたので読みやすく、2日で読むことができた。この本はタイトル通りだが女性向けの本である。私が購入した理由は、ご存知のとおりニューヨークが好きだからである。ニューヨークに行った時でもたくさんのニューヨーカーの女性を見てきた。確かに彼女たちは美しいし、とにかくカッコイイ。歩くスピードも早い。体型を維持するために歩くことを大切にしている人も多いみたいだ。もちろんアメリカということで太っている人も多いのだが。日本人とニューヨーカーの違いを筆者の視点から読み解いていくのだが、共感するところが多い。世界一タフな街で生きていくにはどうしたらいいのか。ただ生きるだけでなく、強く美しく生きる。日本人も見習わなければならないところは多い。
 日本人はよく周りの目を気にしてしまう。もちろん私も気にしてしまうことが多い。しかし、ニューヨーカーはそんなことは一切気にしない。年齢も関係ない。自分の好きな服を着ればいい、そう思っているのだ。街ですれ違う人に、「その服どこで買ったの?」とそういう会話がニューヨークでは普通みたいだ。確かにその通りである。私も先日行った時に、プーマのフューチャーキャットシリーズの黄色い靴を履いていったのだ。そこですれ違った女性に「いい靴ね!!」と言われたのだ。褒められると当たり前だが嬉しい気持ちになる。なかなか日本ではそういう会話は難しい。世界中から集まってきている街であり、その中で人と違うことを恐れない。そもそも人と比較するという考えすらもないみたいだが。

 高級ブランド店が集中している5thアヴェニューの一角でコーラを飲んでいると、とある高級ブランド店からとなりのブランド店へとはしごしているカップルを見た。「金持ちやなー」とコーラを飲みながら別次元の人を見ていたのである。私もちょっとお土産としていくつかの店に入っていいものを探して、ぴったりのものがあれば買って帰った。買い物をするときは必ず最初にチェックするのは値札だろう。必死に探してしまう(笑)。見ないで買えるくらいの人間になりたいものである。

2014年7月4日金曜日

アーティスト分析

 
先日長渕剛のオールタイムベストのアルバムが発売された。長渕剛のデビューから今までを知ることができるファンにとってもそして初心者にとっても満足できる内容になっている。私はよく長渕剛の立ち位置というのを考えてしまう。少し前だが井上陽水が“氷の世界”を引っさげて全国ツアーをやっていたのを思い出す。井上陽水に対するのは吉田拓郎だろう。この両者はJポップの先駆者である。この二人なくして今のJポップはない。ここでこの二人を簡単な言葉で表すとどうなるであろうか。拓郎は「陽」で陽水は「陰」である。そして拓郎は「田舎的」で陽水は「都会的」である。
 この二人のすごいところを少し紹介しよう。「傘がない」は陽水の、ある意味プロテストソングだ。「都会では、自殺する若者が増えている。今朝来た新聞の片隅に書いていた。」と、くる。だが、問題は今日の雨であり、彼女に会いに行きたいのに傘がないと歌う。拓郎の代表的なプロテストソングは、「晩餐」だろう。「僕らは夕食時だった。(リフレイン)つけっぱなしのTVだったから。(リフレイン)岡山で戦車が運ばれるとニュースで伝えていたけれど。僕らは食べる時間だったから。」新聞の片隅とつけっぱなしのTV。両方とも、若者の政治へのシラケを歌っているのだが、まさに「陰」と「陽」である。最近の歌手、アーティストにはこんな歌は絶対に歌うことができない。歌のメッセージの対象物が全然違う。
 私は中島みゆきもよく聞く。中島みゆきに対して松任谷由実が出てくる。「恋愛」の松任谷由実に対して、「失恋」の中島みゆきである。松任谷由実が「陽」で中島みゆきが「陰」である。それでは長渕剛はどうであろうか。対象になるアーティストがなかなか見つからなかったが、先日矢沢永吉のライブに行ったこともあり、ここはとりあえず矢沢永吉を対象にしてみよう。矢沢永吉は「都会的」で長渕剛は「田舎的」である。矢沢永吉が「陽」で長渕剛が「陰」。あまりこの二人を知らない人は、よく似ていると言うが、全く違う存在である。カッコイイ歌を歌っているのは矢沢永吉、松任谷由美である。人間の弱いところやみすぼらしいところ、怒りなんかを歌っているのが長渕剛、中島みゆきである。好みの違いになってくるが、私はどちらかといえば長渕剛、中島みゆき派である。まあ、矢沢永吉も好きなのだが。“スーパースター”という言葉はこの矢沢永吉にこそ当てはまる言葉だと思っている。長渕剛も「矢沢先輩には負けないようにしている」と言っているくらいだから。“粒”の大きい歌手、アーティストを最近見なくなってしまったなあ。

2014年6月30日月曜日

ハーレムで“エヴァンゲリオン”

 今日はかなり天気が変だったらしい。らしい、というのは私は一日中百貨店の中にいるので外がどのような天気なのかはわからない。最近変な天気が続いているが、早く晴れて欲しいものである。


 
先日ハーレムで撮った写真を添付したときに、先月の旅でハーレムに行ったときのことを書きたくなったので今日はそれについてちょっと触れてみたい。
 NHKの番組に“世界ふれあい街歩き”というものがあり、ハーレムを歩いている回があった。番組冒頭の映像で橋を渡ってマンハッタンに入る場面がある。そのときに語り手が、「うわー!カッコイイって言葉は、このマンハッタンのためにあるんじゃないかな」という。私にとってこの言葉はもうその通りで、その言葉だけを聞いて満足して番組をストップさせたときもある。それくらい共感できる言葉である。
 昨年の旅のときに初めてハーレムに行ったのだ。ゴスペルを聞きに。さてここで質問なのだが、「ゴスペル」を日本語でいうと何になるのだろうか。答えは「福音」である。それでは「ゴスペル」をギリシャ語では・・・・・。今までいろんな人に質問しているが、今まで一度も返ってきたことがない。答えは「エヴァンゲリオン」。人気の漫画があるが、私もそれは何度か見ているが、内容はいまいちよくわからない。やはり聖書を読んだほうがいいのかもしれない。私の友人のそのまた友人はこの「エヴァンゲリオン」の大ファンで、当たり前だが聖書も読んだという。まあ、タイトルが「福音」なのであれば自然と聖書につながるので、聖書を読まずして「エヴァンゲリオン」は語れないのかもしれない。
 話がそれてしまったが、今回も行ってきた。今回は前回と違う教会である。今回は“メモリアル・バプティスト教会”である。団体の観光客から優先的に中には入れて、個人できた観光客は後回しとなってなかには入れない可能性もあるという情報もどこからか入ってきていたので、早目に行くことにした。地下鉄に乗ってハーレムに向かう。人だかりができている教会があり、ここかなと思ったら違う教会だった。目的の教会は通りの向こう側だった。早めに来たので家族連れの観光客が1番に並んでいて、そのあとに並んだ。2番目だった。これなら入れるだろうと思った。今回は暑くも寒くもなかったのでいくらでも外で待つことができた。やはり情報が正しかったのか、団体の観光客が優先的に中に入っていく。日本からだとハーレムのゴスペルツアーといえば、トミー富田氏のものが有名である。そしてなんと、待っていたらそのトミー富田氏の団体が来たのだ。もちろん団体は日本人である。私は一人で来た(笑)。
 ここの黒人も頭のてっぺんから足の先までビシッと決めている。彼らは服飾にお金を惜しまない。少年もスーツに蝶ネクタイである。ある杖をついた女性が歩いてきて、玄関で待っていた黒人がその女性に気が付くと、“Hey!!Ma'am!!!”と叫んでその女性の元へ行き、腕をとって支えながら歩き出した。私はただ単純に、「すごい」と思った。そしてその女性が私たち並んでいる観光客にむかって、「今日は素晴らしい日になりますよ!!」と言った。
 何時間か待って、中に入ることができた。ここもやっぱりすごかった。キーボード?やドラムがあって演奏が始まり、コーラス隊は歌いに歌いまくる。見ている側も総立ちになって手拍子、拍手を送る。先ほどの杖をついていた女性も立ってタンバリンを思いっきり叩きまくっていた(笑)。「杖いらんやんけ!!」とついつい思ってしまった(笑)。ゴスペルはそれほどの力があるのだと思う。当時の様子を思い出そうと思い、旅の間書いていた日記を引っ張り出してきてちょっと読んでみると、こんなことが書いてあった。“ゴスペルはロックだ!!!”。それを読んで笑ってしまった。でもそれくらいエネルギッシュなものなのだ。一回目の退席時間があり、退席しても残ってもどちらでもよかった。私はそのあと予定が入っていたので残念だが退席させていただくことにした。ある程度の観光客が退席するときに、コーラス隊は“Oh Happy Day”を歌っていた。ものすごくうまいし、ものすごく感動した。教壇に立っていた女性に、聞こえないが“Thank you!!”と私が言うと、その女性は笑顔で両手で手を振って見送ってくれた。最高に嬉しかった。外に出ても“Oh Happy Day!!Oh Happy Day!!・・・・・”と頭の中で歌と音楽が流れていた。本当に幸せな一日だと思っていたら、怖そうな黒人のにいちゃんに睨まれて、“Unhappy Day!!”に変わってしまった(笑)。幸せは一瞬にしてふっ飛んだ(笑)。

2014年6月27日金曜日

“マリベル”完全制覇

ニューヨーク本店の店内
本日は休日で、また本を買いに行こうと思い外出したのだ。曇で歩いている途中に急に雨が降りだしたりとすっきりしない天気だったが、用事は済ますことができた。このブログでも何度か紹介をしているが、チョコレートの“マリベル”が東京の渋谷にあり、そして4月に自由が丘にもオープンしたのだ。本日そこに行ってきた。そして先日のニューヨークの旅でもソーホーにある本店にも行ってきて、これで京都、ニューヨーク、渋谷、自由が丘ですべて完全制覇したことになった。自由が丘のスタッフの方も「すごいですね!!」と驚いておられた。
 ニューヨークを訪れたとき、もちろんこの“マリベル本店”にも行く予定であったが、英語がわからないのでどうやって買い物をしようかと悩んでいたのだ。せっかくニューヨークまで来ているので、ニューヨーク限定のガナッシュがほしい。それをどうやって伝えようか。ソーホーにある店の前まで来てしばらく外観を眺めていた。やっと来たぜ、という感じだった。そして中に入ってアイスクリームのショーケースがあり、その奥にチョコレートや紅茶、ジャムなどが展示されていた。そしてその奥にカフェがあった。そして目当てのガナッシュがカウンターのショーケースに宝石のように並べてあった。店内をぷらぷら商品を眺めていると、「日本の方ですか?」とどこからか声が聞こえてきた。私がカウンターの方を振り返ると女性スタッフの方だった。助かった。まさかここで日本人と出会うとは思っていなかった。少し話をしてみると、大学がこっちでそのままこっちで就職したみたいである。このニューヨークで働けるなんて羨ましすぎるではないか。日本で買うよりもニューヨークで買った方が半額近いですよと教えてくださった。確かにその通りであった。私は25ピース入りのもので、ちょうどMother's Dayのシーズンだったこともあり、そのシーズン限定のものとニューヨーク限定のものを中心にセレクトしてもらい、あとは自分の好きなものを選んだ。日本語なしではかなり苦戦していただろうと思う(笑)。私が選んだ25ピース入りは6700円弱で購入したが、日本で買うと1万円を超えてしまうのだ。かなりお買い得である。あとは紅茶と違うチョコレートをお土産用に買った。とても綺麗な女性の方だったのでそれだけでも楽しい思い出となった。ニューヨークに住んだらかなりの頻度でこのマリベルのチョコレートを買いに行くんだろうなと大体予想がつく。このチョコレートに描かれている絵もニューヨークを表現したものだ多い。ニューヨークにいるからこそ描くことができるデザインである。まさにニューヨークのチョコレート。私はますますファンになったのだ。
私が購入した25ピース入り

これからの日本サッカー

 
サッカーのワールドカップがブラジルで開催されているが、日本は1次リーグ敗退ということで2年連続のベスト16位入にはならなかった。私はテレビを見ていないので、新聞であったり、携帯のヤフーニュースであったり、職場の休憩場のテレビだったり、そこから情報を得ていた。はっきり言って、こんなに早く終わるとは思っていなかった。期待外れだった。しかし、私は彼らを非難する気持ちにはなれない。最後まで諦めないスポーツマンシップの清々しさに感動したとか、逆にいたいたしいほどの悲壮感に打たれたとかということでもない。これからも彼らの挑戦は続くのだと、心に染み入るように納得したのだ。
 時代はちょっと前になるが、私は中田英寿(ヒデ)が好きである。彼が日本代表の頃、海外でプレーしているのは少なかった。代表最後のワールドカップの最後の試合、日本が負けて、ヒデがピッチに倒れこんだ姿を今でも覚えている。様々な意見があったが、その一つとしてヒデがチームの和を乱した、チームを壊したというものがあった。確かにそうなのかもしれないが、どうも私にはそうは見えなかった。誰よりも海外の高い厚い壁を知っていた。日本チームに足りないものを誰よりも知っていた。ヒデが必死になって仲間にそれを伝えようとした。しかしヒデの言葉は届かなかった。だからあんなに悔しい姿を見せたのではないかと思っている。
 あれから数年たち、海外でプレーする日本人も増えた。サッカーはあまり詳しくないが、香川真司はサッカーの名門中の名門、マンチェスターユナイテッドでプレーしている。野球で言えばニューヨーク・ヤンキースだろうか。確かに日本サッカーのレベルは上がっていると思う。過去最強というのは本当だと思う。しかし、今回結果は大敗という結果になった。夕刊の誌面には「奇跡起こらず」、「コロンビア2軍に惨敗」と容赦ない見出しが躍った。
 しばらくは彼らに厳しい風が吹くかもしれない。届かなかった理想の遠さに呆然とし、道を見失うこともあるかもしれない。ワールドカップでは何と戦ったのだろうか。4年に一度の大舞台特有のプレッシャー。世界屈指の強豪たちの高い壁。いずれもその通りだろう。だが、彼らが戦っていた本当の相手が、自らに課した高い志であったのなら、今回の敗戦にうつむく必要はないと思う。進化の途中で立ち止まることなどよくあることなのだから。

2014年6月24日火曜日

気分転換

 最近働いているところで新しいことを学んでいるのだが、これがなかなか大変な作業で、今日は休みだったのだが、久しぶりに思いっきり昼寝をしてしまったのだ。本当は東京駅のoazoのMARUZENの本屋さんに行こうと思っていたのだが、雨が降っていて雷もなっていたので部屋にいることにした。そしたらついついウトウトしてしまい、横になったらすぐに眠りについてしまったのだ。3時間くらい寝てしまった。寝すぎた。今から眠れるかどうか、はっきり言って難しそうだ。目がパッチリしている。本でも読んで眠くなるようにしよう。
 先日、大学の友人からメールが来て、「元気にしてる?」ということだった。私がなかなかブログを更新していなかったので、心配してたみたいで、久しぶりに更新してそれでエールをくれたらしい。ちょうどその日は私のシフトが珍しく早上がりの日で、その後なら今日会えるということで会う約束をしてご飯を食べて、カラオケに行ったのだ。彼も就職は東京で、昨年一度会っていて、今回それ以来の再会となった。カラオケは学生以来である。時間はそれほどゆっくり取ることはできなかったが、夏にまた会う約束をして別れたのである。元気そうでなによりであった。何度も言うが、元気が一番である。楽しいひとときを過ごすことができた。



ハーレムにあるとある花屋さん
元気が一番と先程も言ったが、それは私が大切にしていることである。元気がなければ何もできないし、とある有名人が言っていたが、「元気があればなんだってできる!!」。それは確かだと思った。しかし、人間元気がなくなるときもあれば、疲れてしまうときもある。私ももしかしたら前会社働いてて、やめた時には疲れていたのかもしれないと思ったりもする。そこで重要なのは、“気分転換”である。私が自分の中で決めていることがあって、“気分転換は全財産を使ってでもしろ”ということである。中途半端な気分のままだと何もかもが中途半端になり、もちろん表情もどこかしらで中途半端な顔になっていることもある。
 “気分転換”は生きていく上でそこぶる重要なことの一つである。私の気分転換はそれこそ先日行ってきたアメリカ一人旅である。文字通り私は全財産を使ってしまった。一年間貯めたお金をすべて使った。正直、「やっちゃったぜ」と思ってしまうときもあるがそれは一瞬だけで、そのあとにはやっぱり行ってよかったと思う。元気のない人に、元気のなさそうな人に、どうすればあなたは元気になるのかと聞いてみると、「どこか遠くに行きたい」、「きれいなあったかい海のあるところに行きたい」・・・などと言う。でもそのあとには、「でもお金無いし・・・・」と。私は言いたい。元気があれば、なんでも乗り越えられる。そんなところでケチってどうするんだ。全財産を使ってでもその“気分転換”をしてこい。元気になればいくらでもお金を作ることができるのだから。山積みの問題を軽いノリで乗り超えちゃったりすることもあるだろう。
 お金をどう使うかが問題である。元気のない人の一番に必要なことは、気分がめいらないで現実に立ち向かうこと、鬱にならないことである。そのための“気分転換”である。まあ、私の場合はもう少しお金を貯めるということを勉強したほうがいいと思っている(笑)。

「ぼちぼちな!ぼちぼちやで!!」

 NHKの番組、『SONGS』に長渕剛が出演する予定なのだが、そのスタジオ収録ライブというのがあるのだが、それに申し込みをしていたところ、抽選で選ばれたのだ。最高にラッキーである。出欠の確認メールを返信してくださいとのことだったので、仕事が終わって早速返信をし、後日電話がかかってくるということだったのだが、電話がなかなかかかってこなかったのでこっちから確認した(笑)。そして改めて席を確保しておくとのことだったのでこれでほぼ確定である。嬉しいことこの上なし。好きなことには勢いでいかなければならない。その収録ライブが来週の月曜日ということで今から楽しみである。

先日、少し昔のあるテレビドラマスペシャルをユーチューブで見ていたのだが、内容を一言で言ってしまえば、熱血教師がいじめのあるクラスを一つにする、というありきたりなドラマである。私は単純なので何回も見ているのだが、毎回涙を流しているのである(笑)。そのドラマのワンシーンで、外国人の生徒がいるのだが、日本語がわからないので授業についていけず、学校側もその生徒に合わせていたら授業が遅れるということでその生徒を見放し、その生徒は学校をずっと休んでいたのだ。そこでその教師がその生徒の家に何度も足を運び、その生徒が学校に来たのだ。そしてその教師がその生徒に教科書を渡すときに、「ぼちぼちな!ぼちぼちやで!!」と笑顔で言うのだ。その教師は関西人である。ドラマでは京都出身になっていた。
 標準語のなかで一人関西弁の人がいるとかなり目立つ。悪く言えば耳障りとなる。しかし、「ぼちぼちな!ぼちぼちやで!!」と聞いたとき、なんていい言葉なのだろうと思った。私も大阪人なのでたまに使うことがあるが、だいたいは質問されて答えるときに使う。しかしこの場面はいきなり自分から言うのだ。「焦らなくてもいいから、ちょっとずつやっていこう」、そんな意味になるだろう。誰かが困っているときや悩んでいるときに、そんな言葉を笑って肩を叩きながら言えたらちょっとは気が楽になるんだと思う。肩の荷物も軽く感じられるんだと思う。
 ここ東京に住んでいて、ほとんどは当たり前だが標準語である。その中で関西弁が聞こえるとすぐにわかるし、耳障りに聞こえる時がある。というかその方が多いかもしれない。私がそう思うということは中にはそう思っている人もいるに違いない。まあそう言いながら私も大阪弁バリバリでしゃべっているので、自分がしゃべるのは気にならないが、聞こえてくるのには文句を言うというあまりに自分勝手になってしまっているのだが(笑)。しかし、「ぼちぼちな!ぼちぼちやで!!」という言葉は素敵な言葉である。素敵な関西弁を発見という感じだ。あとはあの話のテンポの良さである。次から次へとポンポンポンと言葉が出てくる。そしてくだらないことで笑いまくる。あれもいい。東京にいてもあのテンポの良さはなかなかない。どんなときにも笑う。悲しみも笑いに変える。人生楽しまな損!!やで。

2014年6月19日木曜日

旅の中で撮った一枚

 更新しない間に梅雨となり、もうほぼ夏状態である。いかんいかん。ぼちぼちしてらんねえ。急に言葉が悪くなってしまったが、本日長渕剛の語録集『長渕語・録 ぼちぼちしてらんねえ』が発売となった。今日は休みだったのだが、シフト表を百貨店のロッカーに置いてきてしまい、明日何時シフトインかわからなかったので、シフト表を取りにわざわざ百貨店まで取りに行ったのだ。電話で聞けばいいじゃない、と言われるかもしれないが、まあその本を買いに行くついでということだった。
 

エンパイアステートビルディング
昨日久しぶりに投稿したが、私を見放さずにいてくださる読者の方々がいて本当に嬉しい限りである。そこで昨日の写真についてコメントをいただいたのでそのことを少し書きたい。
 昨日の写真はアメリカニューヨークのセントラルパークで撮った写真である。4月末が前会社の最終出勤日で、5月1日から10日まで有給休暇消化ということで連休だったのだ。その連休を使って3度目のアメリカニューヨークとワシントンDCに行っていたのだ。貯めたお金をすぐに使ってしまうという私の悪い癖である(笑)。1年働いて少し疲れてしまったということで、エネルギーをチャージしにアメリカに行ったというわけである。疲れたといってもこれは嘘だと言われるかもしれない。4月30日に仕事を終え、次の日にはもう飛行機に乗っていたので、遊ぶときは疲れていても誰でも元気になるのかもしれない(笑)。今回は8泊10日だった。不運にもゴールデンウィークと激突してしまい、航空券やホテルの料金がかなり高かった。今回も一人旅だったが、結果的にかなり高くついてしまった。まあ楽しめたので文句はない。
 前回のアメリカは以前紹介したことがあったが、タクシーに騙され、現金を失うという非常事態宣言を出してしまったが、今回は空港からマンハッタンまでは死んでもバスで行くということを心に誓っていた。ニューヨークのJFKに着陸態勢になったときから「バス、バス、バス・・・・・」とつぶやいていた。そしてJFKについた。シャトルバスの係員らしき人を見つけ、お金を払う。そこでしばらく待機。バスが来た。「よし!!」とバスに乗っただけで今回の旅の半分は成功したようなものである(笑)。それくらい神経を使っていた。意外と時間がかかったが、だんだんとマンハッタンに近づいていくのがわかる。バスの窓からマンハッタンの高層ビルが見えてきた時、3度目のニューヨークとはいっても気持ちはたかぶった。ワクワクしている自分が最高だった。ペンシルバニアステーション(通称、ペンステーション)で降りる予定だったが、運転手はおそらくだが“ペンステーション”と言っていたが、「ここからペンまではちょっと歩かなあかんやんけ」と思った。景色を見て自分がどこにいるのかわかるレベルになっていたので自分も慣れてきたなと自分に酔ってしまった(笑)。スーツケースをバスのトランクから受け取るとき、運転手にチップとして$1札を渡す。それもポケットからすっとさりげなく。そのさりげなく渡す姿も自分で自分をかっこいいと思ってしまった(笑)。もう私は映画の主人公だった。
 前回は昨年3月に行った。就職するとしばらくは行けないだろうなと思っていたが、まさか1年後にチャンスが巡ってくるとは思っていなかった。じっとしていられないのが私である。このチャンスを逃すわけには行かないと思った。そして今回、行ってきたというわけだ。その中で撮った一枚である。

2014年6月15日日曜日

新しい職場へ

 久しぶりの投稿である。久しぶりすぎる。まあこの投稿できなかった期間、様々なことがあった。

一番大きなことである。以前からこのブログでも書いてきたが、私はある会社で働いていたが、そこを退職したのだ。そして先月の中旬から新しい職場で働いている。ちょうど一ヶ月経ったというところだ。まだまだ慣れていないところが多いし、余計なことに神経を使っているところが多々あるので、慣れるまでがしんどいし、勉強中ということである。
 辞めた理由はこのブログにもいくつか紹介してきたが、一言で言ってしまえば、店にいる上司二人が嫌だったからである。嫌というかぶっ飛ばしたいくらいである。3月後半、ちょうど事業部長との面談があった。入社して一年経ったので、その面談である。同期もみんな面談があったらしい。その時はまだやめるとは一言も言ってなかったが、私は次の職場がもうほぼ決まっていたので、ちょうどいい機会なので退職のお願いをしようと思って面談に臨んだ。今まで起こったことをすべて伝えた。サービス残業をさせられること、買取させられること、壊した備品を自腹で弁償させられること、パワハラ、上司の遅刻、などなど。言いたいことを言うと1時間半もしゃべってしまった。もちろんこのブログに全てを書くことはできないのでこのくらいにしておこう。以前にもこのようなことがあったみたいで注意したのだが、全く直っていなかったみたいだ。事業部長も把握していなかったという。私に言わせれば今まで何人もやめているのに、把握できてなかったというのは無責任すぎるのではないかと思うのだがそこは何も言わなかった。買取させられたものや弁償させられたものはレシートが残っていればすべて返金すると言ったが、私としてはサービス残業させられたお金を払ってほしいいと思った。私が働いていた店は、この会社のほんの一部分に過ぎないので、ほかの店舗や部署にも移動できると言っていたが、これだけ文句を言ってここにとどまるというのも私のプライドが許さなかった。事業部長から考え直せと言われたが、考え直す理由もないので、後日改めて退職する意思を伝えたのである。
 今やめた会社がどうなっているのかなど、同期や仲のいい先輩から情報が入ってくるがなかなかうまく入ってないみたいだ。先日同期の一人もやめると言っていた。今月で終わりらしい。私の同期で半分はもうやめたことになる。なんというスピード(笑)。これだけやめているというのに上の人らはどう思っているのだろうか。「使い捨て」のやり方であればそれでいいのだが、上はそうしたくないらしい。本当のところは分からないが。
 やめたのはやめたが、動機や仲のいい先輩などとはこれからも友達として付き合っていこうと思っているので、時々お店を回ったりして様子を見たりしている。元気でやっていればそれ以上言うことは何もない。
 新しい職場は今までやっていた事とほとんど同じである。百貨店の惣菜販売である。販売する商品が変わっただけである。しかし覚えることが多いので勉強しなければならない。やることは同じでもやはり職場環境というのは全然違う。いろんな場所を見るのも勉強である。今回のこの決断はこれでよかったと思っている。自分でも一年でやめるとは思っていなかったが、人生どうなるかわからないものである。

2014年3月15日土曜日

どれも美味しいチョコレート

 久しぶりの投稿である。この約1ヶ月でいろいろなことがあったが、少しずつ書いていきたい。

前回の投稿でチョコレートについて書いたが、今回もその続きを書きたい。先日ほんの少しだけ大阪に戻ることがあったのだが、そのときに前回紹介した“マリベル”の京都店に行ってきたのだ。京阪三条駅を降りて、歩いて10分もかからないくらいのところにあった。入口は狭く、その先に一本道がある。その先を行けば店があるのだ。その一本道は“夢の世界”へ行くかのような高揚感があった。
 店内はそれほど広くはなかったが、様々なチョコレートが並べてあった。ガナッシュからタブレットまでいろいろだ。試食も自由に食べられるというのが素晴らしい。マリベルの特徴はチョコレートの表面にマリベル氏の思いが込められた絵が書かれているところである。どれも美しく、まさにニューヨークのチョコレートである。やはり値段は高いのだが、いくつか買ってみた。自分で食べるのはもったいないくらい。一言で「うまい」。ニューヨーク・タイムズが絶賛するに値する。店の立地場所、店内の雰囲気、チョコレートの美しさ、美味しさ、全てにおいて最高であった。一緒に行った母も大喜びである。京都で行くところが一つ増えた。今度ニューヨークに行った時はマリベル本店にも行ってみよう。
 そしてもう一つ紹介した“イヴァン・ヴァレンティン”である。このチョコレートは全種類で4種類しかない。それほど自信があるということなのか。こちらもやっぱりうまい。繊細で上品な味わいが口の中で広がる。バレンタインの時期でしか手に入らないというのがおしい。希少価値があるということで手に入れ甲斐がある。
 どこのチョコレートがいいのか、美味しいのかはやはり人それぞれにある。そのチョコレートに対する思いや思い出がやはり一番大きいだろう。それが一番である。どれも美味しい!!私はこの“マリベル”と“イヴァン・ヴァレンティン”が気に入った。

2014年2月8日土曜日

世界中のチョコレートが集まる時期

 ここ東京でも雪がかなり降っている。何十年ぶりの大雪だとか。昨日私は休日だったのだが、明日(今日)、天候が悪くなるので交通機関がストップする可能性が高いということで、私が働いている百貨店の近くに宿泊するように言われたのだ。面倒だが従うしかない。夜に家を出発してカプセルホテルに泊まった。今日出勤するときは雪は降っていたがそれほどでもなかった。今日は客数が少ないだろうということで昼上がりにしてもらった。外に出たが、まだ雪は降っていて積もり始めていた。明日まで続くらしい。雪が降るといろいろ面倒なことになるので、交通だけはストップしないで欲しいものだ。


 今この時期はバレンタインの季節ということでチョコレート屋さんでは大賑わいである。私がいる百貨店でも催事でバレンタインのスペースがあってたくさんの人である。
 私はチョコレートが大好きである。バレンタインは女性から男性へ贈るものであるが、最近は自分へのご褒美としてチョコレートを買う女性も増えているそうだ。私が女性だったら間違いなく自分に買いまくっているだろう。なぜなら世界中のチョコレートが一気にこの時期に集まるのだから。バレンタイン限定のチョコレートもあるのだから人に上げるなんてもったいない(笑)。
イヴァン・ヴァレンティン
今年私が目をつけたチョコレートを紹介したい。まずは“幻のチョコレート”と言われいている「イヴァン・ヴァレンティン」だ。このチョコレートはマイケル・ジャクソンやマドンナ、トム・ハンクスをはじめとするハリウッドスターや5つ星ホテルの顧客を中心としている。店舗は存在していない。なので一般では手に入れることができないのである。
 そして2つ目は、“マリベル”である。あのNYタイムズが「世界で最もおいしいチョコレート」と絶賛するチョコレートである。常連客はヒラリー・クリントン、メグ・ライアン、そして生前のスティーブ・ジョブズである。このチョコレート屋さんはニューヨークのソーホーに本店があり、そして2店舗目がなんと京都にあるのだ。最近渋谷にもあるみたいだが、今度大阪に帰った時に、マリベルのチョコレートを求めに京都に行ってみようと思う。2月末に大阪に帰れたら帰ろうと思っているのでその時にでも行こう。
 私が母に頼んで、さっきの“イヴァン・ヴァレンティン”は手に入れているということで、後は“マリベル”を手に入れるだけである。私が今まで食べたチョコレートの中で一番おいしかったのは、“ジャンポール・エヴァン”である。チョコレートの先駆者である。そして今回、“幻のチョコレート”、“世界で一番美味しいチョコレート”を食べることになるのだ。かなり楽しみである。チョコレートの話になって、「やっぱりゴディバが一番」というのは面白くない。そこで「いや、イヴァン・ヴァレンティンでしょ」、「マリベルも最高やで」と言う自分が最高にかっこいい。というかそういう自分に酔いたいだけである(笑)。それにしてもこれらのチョコレート、めっちゃ高い。
マリベル

2014年2月2日日曜日

NYではイエローキャブを

 
先日、私が働いているお店にある外国人(黒人)がやってきて少し接客したのだ。いくつかの商品を買っていただき、日本に来て7年になるという。カナダから来たとおっしゃっていた。今年のニューヨークは非常事態宣言が出るほどの寒波が押し寄せていたのを知っていたので、カナダも寒いのかどうか聞いてみると、カナダもどうやらかなり寒いらしい。大変だな。
 その話を聞いて、去年の3月にニューヨークとワシントンDCに行ったことを思い出した。ニューヨークのJFK空港についた時も吹雪であった。JFKは初めてだったので、そこらへんをウロウロしていた。バスでマンハッタンに向かう予定だったので、バスを探していたのだが、英語がほとんどわからない私なので、やっぱり迷っていた(笑)。そこに話しかけてくれた人がいるのだが、どうやら公共の交通は吹雪によりストップしているという。これは本当だったのかどうかはわからないが。その人はタクシーのドライバーらしく、マンハッタンまで連れて行ってあげると言っているようだ。会話の中に“・・・$5・・・”と聞こえたので、マンハッタンまで$5とは格安ではないかとついつい喜んでしまい、そのドライバーについていくことしたのだ。今思えばそんな安くマンハッタンまで行けるわけがない(笑)。車内で詳しい話を聞いていると、1分$5なのだ。マンハッタンまでだいたい50分くらいで、その間に橋、トンネルの通行料も私が払わなければならないので、結局4万円近く取られてしまった。出国する前に$300用意していたが、後日もう$100追加して新札$400が一気になくなってしまったのだ。ニューヨークに着いて1時間もしないうちに私は現金をほとんど失ってしまったのだ。3年前に初めてニューヨークに行った時のお金を今回持ってきていたので、その残りを使うことに。アメリカはカード大国なのでなんとかなるだろうと思っていた。
 お土産を買うのにもカードを使って買い物をしていたが、母から頼まれていた生地屋さんのお店で私のVISAカードが使えなかったのだ。私は2枚カードを持っていたので、違うカードアメックスで試してみたがこれも使えない。口座が違うので使えないわけがないと思ったが、使えないという事実は事実。その店をあとにした。その時は店の機械が悪かったんだろうとお思い、スーパーで水を買ってみたが、使えるではないか。やっぱり機械が悪かったんだと思い、安心していたが少し買い物をするとやっぱり使えないのだ。現金もない、カードも使えない。私は途方にくれてしまった。とりあえず日本総領事館に行こうと思い、偶然にも私が泊まっていたホテルから歩いて10分クラインところにあったので行ってみた。その日は土曜日で、土日は休みだという。これはピンチだ。今日と明日を今持っている少ない現金で過ごすことになる。日本から少しお菓子を持って行っていたし、ホットドックは$1で買えるし、そして今回もコーラでお腹をごまかしていた。この二日で食べたのがホットドック3個とクッキー数枚。
 やっと月曜日になり、朝一で総領事館に向かった。予想以上に日本人が多く来ていて、数分待つことに。テレビがついていたが、NHKの連続テレビ小説が流れていた。私の番が来て、ある部屋に案内され、事情を説明すると、とりあえずカードの状況を調べようということになり、カード会社に電話してみた。どうやら私のVISAカードは上限額オーバーで使えなかったのだ。残り400円くらいだった。だから安い買い物は出できて、高い買い物ができなかったのである。そしてアメックスの方はおそらく磁気不良という結界になった。アメックスはここに来て初めて使ったのに、いきない磁気不良かよと思った。スタッフの方が優しい方でいろいろ相談に乗っていただき、やっぱり現金がないのはなにかあったときに大変だという。もちろんそれは私にもわかっていた。海外の現地のATMで現金を下ろせるように手続きをしていなかったので、ATMでも現金は下ろせなかった。これもここに来て初めてわかったこと。ここニューヨークでは今朝だが、日本は夜中になるが、一応家族に連絡しておいたほうがいいとおっしゃっていた。電話もいくらでも使っていいよともおっしゃってくれた。詳しい内容は忘れたが、書類を書いてその番号があるのでそれを日本の家族に伝えて、日本のとある場所でその番号と現金持って行って機会に入れれば、こっちですぐにでも現金が入るシステムがあるのだ。現金がないのは私も不安だった。とりあえずカードを復活させるために上限額を10万円引き上げてもらうと思ったが、日本は夜中なので夜になるまで待たなければならなかった。これも審査が入るのだが、もし上限額を上げてもらうことができなかったら日本に電話しようと思った。そのスタッフの方には申し訳ないが電話しないことにした。しかし、その時にももうわかっていたことなのだが、これは間違った選択だった。なにか起こってからでは遅いのだ。現金があれば解決できることもある。いくらカード大国とはいえ、現金がないのはやっぱり厳しい。家族に迷惑をかけたくないという気持ちがあったが、これは過ちだった。
 結局カードの審査も通り、VISAが復活したのだ。これでとりあえず一安心した。ミュージカルのチケットやホテルのお金は日本で手続きしていたので、こっちで困ることはなかったので、遊ぶには不自由しなかった。まあ一つ、トップオブザロックに行くことができず、ニューヨークの摩天楼を上から見ることができなかった。これはまた今度行ったときの楽しみにおいておこう。
 ニューヨークではイエローキャブに乗ろう(笑)。私が乗ったのはリムジンタクシー。白タク行為にあいたくなかったらイエローキャブとわかっていたのに、公共交通がストップしているという状況と誘惑に負けてしまったのだ。不安が正常な思考を奪い去ったのだ。いやー、恐ろしい(笑)。日本に帰ってこのことを母に言うと、「あんたにしてはめずらしいな(笑)」と笑われてしまった。まあ、これもいい思い出である。

美しい生き方

 気がつけば2月になってしまった。1月は休みが6日しかなかった。シフトが出た時点では5日しかなかったが、いろいろ変更があり結局6日になった。12月、1月と忙しい月が続いて、2月はまだどうなるかわからないが少しでもゆっくりできる時間が取れればと思う。

 

最近人付き合いについて考えることがよくある。仕事を通じてもそうだが、先日友人とそういう話をすることもあったし、ふと自分の性格や人間性、そして周りとの付き合い方を考えていた。もちろん十人十色でいろんな人がいるし、いろんな人付き合いがあるし、仲のいい友人や家族の間でもやっぱり全然違う。
 私は白黒はっきりさせる傾向がある。そして私は顔が狭いと思う。顔が広い人は様々な人とのコミュニケーションをそつなく行い、縁が切れないようにしている。私はそういうのが苦手でついつい面倒と思ってしまうのだ。私の兄は私と違っていろんな友人とどこかへ行ったり、イベントに参加したりしている。どうも私にはそれができない。飲み会は特に苦手である。まったくついていけない。というかついていく気もないのだが。
 自分の“美学”を持って生きているつもりである。この“美学”は別の言葉で“プライド”というかもしれない。私にとって無理をしてでもいろんな人とコミュニケーションをとったり、イベントに参加したり、気の進まないことでも時間を作って何かをするのは、私のその“美学”に反するのだ。自分にとってそれが価値のあるものなのか、それは相手ありきの場合が多いのだが、この世に無駄なことはないがやっぱいそこを考えてしまう。
 “美しい生き方”とは何だ。それは己の“美学”、“プライド”を貫き通すことである。堂々と胸を張って話ができることだ。面と向かってお酒に逃げずに話ができることだ。不安や迷いにかられている人は、ついついうまい話があればそれにすがりつきたくなる。自分ではどうすることもできないと思ってるから。ここにいれば安心だと、この人のところにいれば何とかしてくれると、自分の不安や迷いを紛らわせているだけでなんの進歩にもなっていないことはよくある。他力本願でしか叶えられないような夢や目標は、もし仮にそれが叶ったとしてもそれは私にとっては美しくないのである。もちろん周りの助けが必要になるが、最初からそれにすがりつくのはよろしくない。自分の魂を売ってまでもそんなことはやりたくない。
 人付き合いに関しても今まで通りでいいと思う。変えろと言われても今更直るわけがない。これが私の人付き合いである。どれがいいとか悪いとか間違っているとかそんなものは最初からない。全て正解である。そして私は私の“美学”、“プライド“を持っていきていくだけ。自分は自分でつくる。おしきせはごめんだ。

2014年1月1日水曜日

慌ただしく、そして静かに年を迎える

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

大晦日はいつものように仕事であり、大晦日の百貨店はクリスマスなみに忙しい日となる。ということで30日も横浜駅近くのホテルに泊まらなければならなかった。30日も仕事が終わったのは日をまたいでからで、睡眠時間は3時間程度で朝6時にはもう仕事を始めていた。大晦日の忙しい一日が終わったと思ったら、次の日元日の準備をしなければならなかった。私が働いている百貨店は元日から開店しているのだ。元日くらい休んでもいいんじゃないかと思うのだが・・・。正月といえば福袋。その福袋の準備を大晦日の夜にしていた。
 そしてそのまま1月1日を迎えてしまったのだ。年越しを百貨店の中でしかも仕事中で迎えてしまった2014年である。慌ただしいスタートである。元日も朝7時出勤だったので早く帰らなければならなかった。普段の日なら終電を逃している時間帯だったが、この日は大晦日から元日といういうことでJRは終日運転していた。JR蒲田駅まで行き、そこから東急池上線に乗り換えなければならないのだが、残念なことに東急池上線は動いていなかったのだ。さあそうする。
 以前もこのようなことがあった。蒲田駅まではいけたのだが、池上線が終電を過ぎてしまっていたのだ。そのときは、次の日の出勤が11時くらいだったのでそれほど早く起きる必要がなかったので家まで歩いていくことにした。大体45分くらいの距離である。しかし、今回は7時出勤ということで1秒でも早く就寝したかった。もう手段はタクシーしかない。普段ほとんどタクシーを使用しない私なのであまり気が進まなかったが仕方がない。しかし、元日ということもあって今日はタクシーでもいいか、という自分への許しの気持ちもあった。新年早々に寝坊するわけにはいかないのでタクシーで帰ることに。
 タクシーに乗って「○○までお願いします」と行き先を伝える。車内は当たり前だが静かで、そこから運転手さんとたわいもない話をした。「明日(今日)も仕事なんですか」と私が聞き、「そうなんです」と運転手さん。「正月は車が少ないんですよ」と。「お仕事だったんですか」と聞かれたので、「はい。私も明日から出勤です」。そんな話をしているうちに私の家の最寄駅に到着した。いつもならタクシーに乗ると料金メーターを睨みつけて、料金が上がると、「くそっ」「また上がったし」「高っ」などと自分の中でいろいろ戦っているのだが、今回はそんなことはなかった。運転手さんが良かったからであろう。気持ちよくお金も払うことができたし、あの静かな中でのたわいもない話ができたのは意外にも心に残った。あの会話をしながら静かに、年が明けて今年もやっていくぞという心の準備ができたのかもしれない。慌ただしく、そして静かに年を迎えたのであった。

 元日(本日)、無事に遅刻せずに出勤できました。