2014年7月4日金曜日

アーティスト分析

 
先日長渕剛のオールタイムベストのアルバムが発売された。長渕剛のデビューから今までを知ることができるファンにとってもそして初心者にとっても満足できる内容になっている。私はよく長渕剛の立ち位置というのを考えてしまう。少し前だが井上陽水が“氷の世界”を引っさげて全国ツアーをやっていたのを思い出す。井上陽水に対するのは吉田拓郎だろう。この両者はJポップの先駆者である。この二人なくして今のJポップはない。ここでこの二人を簡単な言葉で表すとどうなるであろうか。拓郎は「陽」で陽水は「陰」である。そして拓郎は「田舎的」で陽水は「都会的」である。
 この二人のすごいところを少し紹介しよう。「傘がない」は陽水の、ある意味プロテストソングだ。「都会では、自殺する若者が増えている。今朝来た新聞の片隅に書いていた。」と、くる。だが、問題は今日の雨であり、彼女に会いに行きたいのに傘がないと歌う。拓郎の代表的なプロテストソングは、「晩餐」だろう。「僕らは夕食時だった。(リフレイン)つけっぱなしのTVだったから。(リフレイン)岡山で戦車が運ばれるとニュースで伝えていたけれど。僕らは食べる時間だったから。」新聞の片隅とつけっぱなしのTV。両方とも、若者の政治へのシラケを歌っているのだが、まさに「陰」と「陽」である。最近の歌手、アーティストにはこんな歌は絶対に歌うことができない。歌のメッセージの対象物が全然違う。
 私は中島みゆきもよく聞く。中島みゆきに対して松任谷由実が出てくる。「恋愛」の松任谷由実に対して、「失恋」の中島みゆきである。松任谷由実が「陽」で中島みゆきが「陰」である。それでは長渕剛はどうであろうか。対象になるアーティストがなかなか見つからなかったが、先日矢沢永吉のライブに行ったこともあり、ここはとりあえず矢沢永吉を対象にしてみよう。矢沢永吉は「都会的」で長渕剛は「田舎的」である。矢沢永吉が「陽」で長渕剛が「陰」。あまりこの二人を知らない人は、よく似ていると言うが、全く違う存在である。カッコイイ歌を歌っているのは矢沢永吉、松任谷由美である。人間の弱いところやみすぼらしいところ、怒りなんかを歌っているのが長渕剛、中島みゆきである。好みの違いになってくるが、私はどちらかといえば長渕剛、中島みゆき派である。まあ、矢沢永吉も好きなのだが。“スーパースター”という言葉はこの矢沢永吉にこそ当てはまる言葉だと思っている。長渕剛も「矢沢先輩には負けないようにしている」と言っているくらいだから。“粒”の大きい歌手、アーティストを最近見なくなってしまったなあ。

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