今日も晴れたり雨が降ったりの変な天気であった。しかし寒くはなく、とても過ごしやすい気温だった。
朝母からメールをもらい、学生たちがボランティアグループを立ち上げているらしい、という内容であった。すぐにインターネットを開き、母からの情報をもとにそれが何の団体なのかを突き止めることができた。私が悩んでいた「自己完結型」をそのグループがお手伝いしてくれるというのを知り、これなら私にもできるかもしれないと思い、すぐに登録し、私の都合の良い日程を選び、申し込んだ。行けるかどうかわからないが、何としても参加したい気持ちである。
こういう時こそ若者が立ち上がらなければならない。私も若者なのだが。日本は復興へ歩き出している。私はそれをただ黙って見ていることはできない。ほんの微力ながらも力になれたらいいと思っている。一人の力というのは無力に近いのかもしれない。しかし、それが二人になり、十人になり、百人になり、千人になり、万人になる。無力に近かったものが強力な力になる。
「今、私に何ができるのだろうか」震災の日から常にこのことについて考えてきた。震災当日、ただ口を開けてテレビを見ることしかできなかった。リアルタイムでその様子を見ていた。津波が来ているというのに、そのすぐそばを車が走っている。「何をしているんだ!早く逃げろ!」心の中で叫んだ。おそらく車からは津波が見えないのだろう。そんな私の声は届くはずもなく、その車は波に呑みこまれていた。パニック映画を見ている気分だった。
大阪は何の被害もない。西日本は何の被害もない。日本が二つに割れてしまったかのよう。東日本は大混乱。震災直後、県外募集のボランティアはほとんどなかった。あっても「自己完結」のボランティア。なにも力になれない自分に腹が立った。震災が起こった後も、今までと変わりない日々を過ごしている。何かしたくても何もできない。やっていたのは募金だけ。「困っている人がいたら助けてあげる」などとごたくを並べて生きてきたボンクラの私がいる。そんなウソつきの自分は大嫌いだ。
私は自分にできることを調べ続けていた。今回見つけたのは、「私にできること」かもしれない。考えていても始まらない。とりあえずやってみよう。日本が歩き出している。そのお手伝いがしたい。もう一度自分に聞いてみよう。「今、私に何ができるのだろうか」
そんなことを思ってくれている人が一人でもいてくれて嬉しいです。義援金詐欺などというヒドイニュースを見てから、関係のない人はこうも違うのかと思っていましたが、あたたかい気持ちを持った人はちゃんといますぬ(^○^)とても嬉しい。私の地元も希望がみえた気がします。ありがとうございます☆無理しない程度に頑張りましょうね。
返信削除コメント、ありがとうございます。
返信削除被災したその裏側で、絶対に許せない事件が起こっている、なぜそんなことができるのか私には理解できません。
そんなことをするのはおそらく、被災した方々の気持ちを理解できない人なのでしょう。
被災していない関係のない人がそんなことをしている。
本当に申し訳ない気持ちです。
もう少し早く行きたいという気持ちがありましたが、私の力不足で今の時期になってしまいました。
ごめんなさい。
私にできることは本当に限られたことですが、その限られたことを精一杯やりたいです。
今はまだ「笑顔」になれない時期だと思います。
私は「笑顔」になってもらおうとは思いません。
笑いたくないときに笑わなくてもいいのではないでしょうか。
私はいつになるかわかりませんが、被災した方々が心の底から「笑顔」になれるように、そのために行ってこようと思います。
先は長いかもしれません。
しかし被災した方々は歩き出しています。
「今、私に何ができるのだろう」
私はそのお手伝いをします。