2011年4月23日土曜日

筋書きのないドラマ

 今日は昼からあいにくの雨となった。それほど寒くはなかったが、一日中部屋にいることにした。休日の前の日はいつも遅くまで起きているので、昼近くまで寝てしまうのだが、今回はいつもどおりに寝て、朝起き、掃除をした。昼まで寝てしまうと朝がもったいない。朝は一日で最も気分がいい。有効活用しなければ。
 慣れない1週間だったので、疲れたのか、掃除の後は何もする気になれなかった。来週の金曜日からはゴールデンウィークが始まる。ゴールデンウィークといっても私の大学は2日と6日は授業がある。これでは中途半端だ。故郷に帰ろうと思う人は授業を休まなければならないだろう。休みにしてくれればいいのに、と思うのだが、地震で1週間授業が遅れてしまっているのでそうもいかないだろう。

 今日何気なく、YouTubeを見ていたら、今大人気のアイドルグループのコンサートの舞台裏の映像を見つけた。おそらくDVDの映像を流したのだろう。私は長渕剛をこよなく愛し、常に最新の情報を集め、彼のコンサートのも何度も参加し、CD,DVDを集めている。それにより、彼のことは何でもわかっているつもりだ。彼のDVDにもコンサートの舞台裏が収録されている。彼は舞台設計、照明、演出、音響チェック、すべて自分が納得いくまで自らが確認していく。さらに彼が創るステージ。何万人の心を瞬時に一つにするパワーはおそらく誰にも負けないだろう。常に彼一筋で私は生きてきたし、彼を超えるものは現れないと思っている。もちろん今もそう思っているのだが、そのアイドルグループの姿を見ていて、彼女は彼女なりに頑張っている姿が感動を呼ぶところがあった。彼女たちも頑張っているんだな。
 それを見ていて思い出したことがある。このブログでよく登場する東京の友達だ。以前にこのブログでも書いたが、鞍馬温泉に行った時の話だ。彼と夜ごはんを食べているときのことだ。その時もそのアイドルグループの話になった。そして彼が言った。「俺は彼女たちみたいに光のあたる仕事はしていないが、俺だって頑張っている。彼女たちには負けたくない。」すごい。
 私とほとんど同じ年、中には私より年下の彼女たちが今頑張って活動している。光が強ければ強いほどその影も濃くなる。アーティストたちはその中にいる。芸能界は厳しい道、そうかもしれないが、厳しいのは芸能界だけなのか。そして光が当たるのは芸能界だけなのだろうか。私たちのような一般の人たちには、輝くときはないのだろうか。
 高校野球を見ていても思うことがある。高校野球の競技人口は増加の一途をたどり、今や16万人に上るという。そのうち甲子園に出場し、プロの世界へ飛び込む者、大学、社会人へと舞台を移す者はほんの一握り。高校野球界は、輝かしいヒーロー誕生の裏で、人知れず大量の「元・球児」を生み出し続ける。
 数年前、ハンカチ王子こと斎藤祐樹などの活躍により、高校野球のファン層は大きく広がった。ミーハーうんぬんの議論はあるが、私はおおむね好意的に受け止めている。その一方で、スポーツメディアは「ヒーロー不在の今大会こそが、真の高校野球」などと書きたてる。「真の」高校野球。そんなものは現実には存在しない。
 根拠のない一元論を展開するメディアは往々にして、うさんくさい。しかし、あらゆる報道現場において、「現実」を「情報」に変換する段階で、素材の選択を強いられる。それはある程度仕方のないことだ。情報技術が発達し、大勢の人間が同じ情報を共有する時代。「共有している安心感」によって、あいまいにされた絶対性が人々の思考停止を招き、「好き」と「嫌い」、「正しい」と「間違い」といった単純な二項対立しか物事を判断できなくなった。ここに問題の本質がある。
 学生スポーツのサイクルは、プロのそれよりもはるかに短い。人間誰にだって輝く瞬間がある。一般人だろうと、芸能人だろうと、そんなのは関係ない。『終わりがあるからこそ、輝く瞬間』。それは確実に、誰にでも訪れる。斎藤祐樹にも、アイドルグループにも、私の友達にも、もちろん自分自身にも。そんな瞬間にふと目をやることができれば気付くはずだ。『筋書きのないドラマ』は、どこにだって存在している。

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