2011年4月22日金曜日

ソクラテスの問答法

 今学期初めてサークル活動をした。活動といっても、話し合いで終わったのだが。1年生が来てくれ、名前を確認したり、他に何のサークルに入っているか、交通手段は何か、などといろいろ質問していた。一応本格的に活動するのは来週の月曜日からということになり、それで解散した。新入生歓迎会もしたいのだが、1年生の財布の口は固い。私もそうであった。その時は一人暮らしに慣れておらず、1か月にだいたいどれくらいお金を使うのかなどと、リズムがつかめていなかった。それに親のお金なので、できるだけ使わないようにしようとしていた。飲み会といえば、先輩からガンガン飲まされるのではないかという心配もあった。私が1年生のころは、次の日が授業だったので、あまり飲まず、二次会にも参加しなかった。そもそもお酒を飲むのに抵抗があった私は、どうすれば先輩からのすすめをかわせるかなどと考えていた。私のサークルは全くそういうのはないので、良かったのだが、他のサークル、大学では厳しいところは厳しい。中には命を落とすところもあるというので恐ろしい。一年生の時は飲み過ぎないように、飲み過ぎないように、と思いながら飲み会に参加していた。飲む人はガンガン飲んでいるが、どうも私にはできない。できればゴールデンウィーク前後にしたい。

 教職課程の授業で、「中等教科教育法」というのがあるのだが、久しぶりに倫理の分野のことを勉強した。勉強したといっても導入に近かったが。ソクラテスの問答法についてであった。対話法ともいわれているが、一方的な説得(弁論術)ではなく、対話によって真理を自覚させることをいう。そして有名な言葉、「無知の知」、無知に気付かせるのだ。常識に潜むドクサを暴露して、対話者のうちに真知に向かおうとする愛知の態度を生み出す、これが問答法だ。教育というのはもともとこの問答法なのだというのである。「ハーバード白熱教室」を見ていると、完全にこの問答法形式だ。日本の授業はほとんど一方的な説得になっている。問答法だと時間がかかってしまい、前になかなか進めないという理由で、問答法が消えていったのだという。さらに生徒が教師から質問されても、なかなか答えない。間違えたらどうしよう、ピントのずれた回答をし、笑われたらどうしよう、などと思うようになった。私も先生からあてられるのは小学生の時から苦手である。生徒がなかなか答えないので、教師もあきらめてしまい、日本から問答法が消えていったのだ。確かに問答法は大切だ。自ら考えていくのが勉強である。それが今できていない。なるほど。発言するのは苦手だが、教師を目指している私なので、この苦手を克服しなければならない。初めて習う教授であったが、なかなかいい先生であった。

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