2011年4月30日土曜日

今日も買い物

 今日も朝早く起きて、自転車に乗って買い物に出かけた。約50分くらいで目的地に到着した。「mont-bell」という店なのだが、そこには直営店があり、昨日行った店よりも置いてある品数が格段に多かった。こういう登山の店には今まで行ったことが無かったが、かなり面白いのだ。バックパッカーに憧れているため、ここでそういう品物をそろえることもできる。店員のお兄さんがとても親切に対応して下さり、話も弾み、いろいろなことを聞くことができた。寝袋なのだが、昨日行っていたものがあったので、それにすることにした。マイナス10度まで大丈夫なのだが、快適に寝られるのは、0度くらいだという。それ以下だと寒いらしい。そのお兄さんはマイナス22度まで大丈夫なものと今日私が買ったものと二つ持っているという。寝袋の下に敷くマットもあり、これがあればもっと快適に寝られるというが、お金がかかるため今回は我慢することにした。
 バックパックも欲しい。この前はアメリカに行ったが、その時はスーツケースだった。バックパックがあればアジアやアフリカなども旅ができる。私がアメリカに行くとき、大阪の伊丹空港で、二人の大学生らしき人が、バックパックを持って何やら話をしたいた。「現地に行って情報集めしよか」などなど。どこか旅に行くのだろう。めちゃくちゃかっこよかった。旅慣れしている感じで、私もあんな風にできたら、と横目で羨ましく思っていた。
 今回はスーツケースで行くのか何で行くのかはまだ決めていないが、荷物はかなりありそうだ。つなぎや雨具などはそろえ、飲み物も少しだがそろえた。帽子なんかは大阪においてあったので、もう少ししたら母が送ってくれる予定だ。
 午前中で買い物が終わり、雨が降る予報だったので早めに帰ることにした。12時30分くらいに部屋に到着し、1時過ぎからやはり雨が降ってきた。友達が朝から夕方まで映画を観に行くと言っていたので、帰りはやはり雨にぬれて帰ってきた。映画を以前から楽しみにしていて、かなり面白かったため、雨にぬれても平気だったという。明日はずっと雨らしいので、部屋にいることにしよう。

 今日の写真は、自転車に乗っているときに、見つけたタンポポである。アスファルトの隙間から咲いているのを見て、力強さを感じることができた。人間だけでなく、花も頑張って生きているんだ。

2011年4月29日金曜日

買い物の一日

 今日は朝から買い物に出かけた。少し寒く、風が強かった。まずは駅前に行った。駅前で何やらイベントをやっていたのだが、人があまりいなかった。駅前に最近新しくできた土産物屋さんがあるのだが、今日初めてその建物の中に入って見た。とてもきれいで広く、様々な商品が並べてあった。私が知らない青森の名物がたくさんあった。そこで今度東京の友達と会うので、そのお土産をここで買った。良いものがたくさんあり、自分にもほしかったのだが、ここは我慢した。そのあと駅前のビルで、ボランティアに必要なものを買った。
 ボランティアで寝袋が必要なので、それを見に行った。思ったよりもたくさん種類があり、どれがいいのかわからない。マイナス2度まで大丈夫なものとかマイナス10度まで大丈夫なものとかあり、値段も様々。寝袋はあればこれから何度も使うことがあるだろうと思い、マイナス10度まで大丈夫なものにしようと思い、買おうと思ったのだが、在庫が無いらしい。明日また違う店に行かなければならないようになった。取り寄せにするとゴールデンウィークがあるので、私がボランティアに行く金曜日までに間に合わないというのだ。どうにかして明日探さなければならない。
 その次に、ゴム手袋、踏み抜き防止用の靴の中敷き、メモ帳、持ち運び用の洗面用具などを買いに行った。かなり荷物が多くなりそうだ。ノートパソコンも必要だというので、海外旅行並みになりそうである。明日つなぎも買っておこうと思う。あれば便利と書いてあったので、一応揃えておこう。 
 自転車でいろいろなところを走った。本当は今日で一応ボランティアに行く準備を済ませておこうと思ったのだが、寝袋を買いに行かなければならない。明日は午後から雨だという。朝早くに出かけることにしよう。駅前よりも遠いところまで行く必要があるので。
 今まで災害ボランティアに参加したことが無かったので、何を用意すればいいのかわからない。揃えておかなければならないものがたくさんある。これも経験だ。行かないとわからない。とりあえず持ち物に書いてあるものは一通り用意しておきたい。明日も買い物だ。

 下の写真は駅前のお土産屋さんに売っていたミニトマトである。カラフルですごくきれいだったので、思わずシャッターを押してしまった。おいしそうである。

続けていこう

 今日の朝はあまり天気が良くなかった。雨は降っていなかったのだが、霧がかなり出ていて真白であった。ここでは霧がしょっちゅう出る。余計に天気が悪く感じられた。昼は晴れてきて、暖かかった。

 とりあえず明日からはゴールデンウィークが始まる。といっても日にちが変わっているので、今日からなのだが。前半はゆっくりできそうなのだが、中盤、後半は忙しくなりそうだ。中盤は以前東京の友達と会う予定だったのだが、地震などで都合が合わなくなり、今回改めて会うことにした。東京で1泊なので、すぐに青森に戻らなければならないのだが。そして、ボランティアに行くことが決定したので、後半はそのボランティアをする予定だ。一度東京で事前研修に行き、そこからバスで被災地へ移動する事になっている。そういうことで、今回はほとんど休みがない。過去2回ゴールデンウィークがあったが、2回ともヒマだったので、今回はするべきことがあり、嬉しく思っている。
 明日はそのボランティアに必要なものを買いに行こうと思う。食糧や洗面用具など、持っていかなければならない。この29,30,1日で準備し、2日は授業、3,4日は東京の友達と会い、5日も授業、そして7日からはボランティアだ。買い物ができるのは明日、明後日、明々後日だけだ。明日の天気はどうだろうか。晴れてくれるかな。

 去年からこのブログを始めたのだが、最初は私の友達にこのブログを始めたということを伝え、当時は文章を書くということを続けられるのかどうか、という不安の中でブログを書いていた。インターネットをつなげばこのブログは世界中どこからでも見ることができる。そしてどこからかこのブログを見つけてくれ、嬉しくも読んで下さる方がいる。「毎日楽しみにしてるよ」と言ってくれる。下手な文章で、言いたいことがなかなか伝えられないときもある。今日は何を書いたらいいのだろう、と考えるときもある。こんなことを書いてもいいのだろうか、という怖さ、不安は常にある。こんなことを書いて誰か傷つく人がいるのではないか、と怖くて怖くて投稿ボタンをクリックできないこともある。
 たかだか21年しか生きていない私が感じることは何だろう。正しいのか間違いなのか、どれが許されてどれが許されない文章なのか。私にはわからない。今までにこのブログで傷ついた方がいるかもしれない。そんな方がいたら本当に申し訳ないことをしてしまった。しかし、私は一人の人間として、感じたことを素直に書いていきたい。言葉を曖昧にしたくない。好かれようと思って文章を書くのでは、このブログを書く意味がない。生きていくには嫌われる勇気も必要なのかもしれない。私はそれでもいい。後ろ指を指されようとも、このブログを書き続けていこうと思う。昨日の投稿にも、本当にうれしいコメントをいただいた。嫌われても続けていこう。なぜならこのブログが私の「足跡」であり、「道」になるのだから。

2011年4月27日水曜日

日記を始めた友達

 今日は一日中雨で、寒い日となった。今週は雨の日が多い。弘前城の桜が少し咲いている映像を見ることができた。私はここ青森に来て、まだ弘前城の桜を見たことがない。今年も見るのは難しいかもしれないが、ここにいる間に一度は見ておきたいものだ。

 明日大学へ行けばゴールデンウィークに入るが、まだまだ慣れないことばかりでそれだけで疲れてしまう。テレビで見ていたのだが、H大学は今日入学式があったらしい。地震の影響でこの時期になったのだろう。インタビューで岩手県から来た学生が質問に答えていたが、その学生も家を流されたらしい。困難の中始まった大学生活、私からなんて声をかけてあげればいいのかわからないが、この学生生活を大切にしてほしい。
 そういえば教育実習の件で高校に電話をかけたが、まだ返事の電話がかかってこない。一体どうなっているのだろうか。この前の教育課程の授業で、電話の答えはどうであったか、教授に知らせなければいけなかったのだが、まだ分からないので、「返答待ちです」としか言いようがなかった。今週電話がかかってこなかったら、来週私からかけてみるつもりなのだが、早く答えがほしい。

 私の友達が、この私のブログを読んでくれているのだが、それに影響され、その友達も文章を書く練習がしたいということで、日記をつけ始めたのだという。私もそんな上手な文章を書くことはできないが、このブログを始めた当初に比べたら、多少上達しているのではないかと思う(自分で言うのも恥ずかしいが)。しかし書くスピードは格段に速くなっているのは確かだ。最初は1時間かかるときもあったが、今は30分あればだいたい書くことができる。その友達は日記ということで書き始めたそうなのだが、かなりの量を書いていた。内容は内緒だという(笑)。確かに日記というものは自分がわかればそれでいいのである。その日に何があってそこから何を感じたのか、また人には言えない悩みごとなどを書く人もいるかもしれない。自分に向けたメッセージを書く人もいるかもしれない。ブログは他者に読んでもらうために書いているので、日記とは違ってくるところがある。人に読んでもらうために、できるだけわかりやすく、私が思ったこと、感じたこと、体験したこと、などが風景としてイメージしやすいように心掛けながら書いている。
 それにしても日記はおもしろい。ブログもそうなのだが、次の日に改めて読んでみると、「よくもまあこんなことを書いたな」と自分で書いたくせに自分が笑ってしまうことが多々ある。おそらく日記という形に残し、何年、何十年先に、片づけなどをしているときにふとその日記が出てきたら、片づけをやめてその日記を夢中になって読むだろう。そして笑ったり、涙を流したり、心が温まったり…。
 私も小学校の時には毎日母から日記をつけるように言われていた。「なぜこんなことをしなければいけないのか」と思いながら日記をつけていたが、数年たってその日記を読んでみると、なぜか涙が流れていた。たわいもない日常のことを書き綴っていただけなのに、なぜこれほどに涙腺が緩んでしまうのか。読めば読むほどに書いておいてよかったと感じる。毎日続けるというのは難しいかもしれないが、日記は必ず自分の「宝物」となる。私は日記ではないが、このブログを続けられたらと思っている。

私にできること

 今日も晴れたり雨が降ったりの変な天気であった。しかし寒くはなく、とても過ごしやすい気温だった。
 朝母からメールをもらい、学生たちがボランティアグループを立ち上げているらしい、という内容であった。すぐにインターネットを開き、母からの情報をもとにそれが何の団体なのかを突き止めることができた。私が悩んでいた「自己完結型」をそのグループがお手伝いしてくれるというのを知り、これなら私にもできるかもしれないと思い、すぐに登録し、私の都合の良い日程を選び、申し込んだ。行けるかどうかわからないが、何としても参加したい気持ちである。
 こういう時こそ若者が立ち上がらなければならない。私も若者なのだが。日本は復興へ歩き出している。私はそれをただ黙って見ていることはできない。ほんの微力ながらも力になれたらいいと思っている。一人の力というのは無力に近いのかもしれない。しかし、それが二人になり、十人になり、百人になり、千人になり、万人になる。無力に近かったものが強力な力になる。
 「今、私に何ができるのだろうか」震災の日から常にこのことについて考えてきた。震災当日、ただ口を開けてテレビを見ることしかできなかった。リアルタイムでその様子を見ていた。津波が来ているというのに、そのすぐそばを車が走っている。「何をしているんだ!早く逃げろ!」心の中で叫んだ。おそらく車からは津波が見えないのだろう。そんな私の声は届くはずもなく、その車は波に呑みこまれていた。パニック映画を見ている気分だった。
 大阪は何の被害もない。西日本は何の被害もない。日本が二つに割れてしまったかのよう。東日本は大混乱。震災直後、県外募集のボランティアはほとんどなかった。あっても「自己完結」のボランティア。なにも力になれない自分に腹が立った。震災が起こった後も、今までと変わりない日々を過ごしている。何かしたくても何もできない。やっていたのは募金だけ。「困っている人がいたら助けてあげる」などとごたくを並べて生きてきたボンクラの私がいる。そんなウソつきの自分は大嫌いだ。
 私は自分にできることを調べ続けていた。今回見つけたのは、「私にできること」かもしれない。考えていても始まらない。とりあえずやってみよう。日本が歩き出している。そのお手伝いがしたい。もう一度自分に聞いてみよう。「今、私に何ができるのだろうか」

2011年4月25日月曜日

サークル活動

 今日は朝晴れていたが、昼になると雨が降り、また晴れたが、夕立がありなどと天気がコロコロ変わった。まだまだ寒く、桜ももう少し待たなければならない感じである。

 今日からサークル活動が始まった。しかし、来たのは私を入れて4人だけであった。他の1年生は授業があるらしい。授業が終わるまで待とうと思った。
 来ていた1年生の中に初心者の子がいた。水泳部と卓球部と剣道部で迷っているらしい。高校の時は自然科学部に入っていたらしく、大学では体を動かすことをしたいということで、いろいろ回っているのだという。大学から剣道を始める人は珍しい。水泳や卓球は体育の時間にやっていたらしいのだが、剣道は全くのノータッチだという。私はうれしいのだが、剣道は難しい。独特の動きがあり、日頃動かない動きをするので、それに慣れるまでがしんどい。待っている時間がもったいないと思い、その初心者の子に基本動作を教えた。初心者を教えたのは高校以来だ。ぎこちない動きが何とも懐かしい感じがした。剣道を始めた人は誰もが同じようなぎこちない動きをする。私もこんな風にやってきたのだな、と昔を思い出していた。
 もう一人の1年生の子は、経験者で2段を持っているという。しかし、高校3年生の時に交通事故に合ったらしく、その後遺症が残り、肩に負担をかけると痛むらしい。剣道でも激しい動きをするのはNGだという。私のサークルはそこまで激しいことはしないと思うので大丈夫だとは思うが。そのこと話をしているときに、もう一人の初心者の子はさっき教えたことを繰り返し練習していたので、「これならすぐに上手くなる」と感心した。まだこのサークルに入るとは決めていないらしいが。
 しばらくすると、授業が終わった1年生たちがやってきた。4人来てくれたが、防具や竹刀をまだ持ってきていない人がほとんどで、結局また話し合いで終わってしまった。この前の活動で自己紹介ができていなかったので、今日改めて自己紹介をした。本格的に練習できるのはゴールデンウィーク明けかな。飲み会もしたいという子もいたので、それも考えなければならない。楽しいサークルになれば何よりだ。そうなるように私が先導していかなければならない。リーダーもなかなか大変な仕事だ。とりあえず『楽しい』をモットーに行こう。楽しいのが一番。

2011年4月24日日曜日

『休日』

 今日は晴れていると思ったら曇ってくるし、また晴れていると思ったら雨が降っているという変な天気であった。昨日は何もしなかったので、今日は部屋の片づけをしてしまおうと思い、朝から部屋を片付けていた。さっき言ったように変な天気だったのでどこにも行く予定が無かったので、ゆっくり片付けていたのだが、ゆっくりしすぎてまだ部屋が散らかったままだ(笑)。いかん、早くやってしまわなければ。片づけをしながら、「これは何だ」、「これは何だ」とついつい手にとって時間が過ぎてしまうのである。懐かしいものが出てきたときには尚更だ。私の部屋はモノが多いので、どこにしまえばいいのかわからない。いや、ただ片付けるのが下手なだけだが。もう少しで終わると思うので、このブログを書き終わったらまた始めたい。

 あっという間に休日が終わってしまった。二日とも部屋にいたので、本当に「休日」であった。明日からまた1週間が始まる。来週の月曜日はもう5月になっている。早い早い。4月も忙しい月であった。このブログの4月のところを見ても、4月の最初は伏見稲荷のことのついて書いてある。もっと前の話のように思える。それだけいろいろあったということだ。
 昨日兄から久しぶりにメールをもらった。就職する企業から最終的な合格通知をもらったそうだ。おめでとう。本当に良かった。毎日のように出かけていて大変そうだったのを思い出す。今度は大学院の研究の方に力を入れてくれ。
 
 今日の朝ごはんに、パンにジャムを付けて食べたのだが、このジャムが少し高いもので、おそらくここ青森では手に入れるのが難しいであろう。先週の日曜日に開けたばかりなのだが、もうなくなってしまった。パンを食べるのは日曜日だけである。ということは2日でなくなってしまったということだ。そのジャムも元々量が少ないのだが、それにしてももったいないような気がする。少し使い過ぎたと反省。このジャムは私が大阪にいるときに、阪急百貨店というところで、「フランスフェア」というイベントが期間限定で開催されていて、そこで購入したものだ。様々なものが売ってあったが、どれも値が張るものばかり。これくらいならと思って買ったのがこのジャムだ。2瓶買ったのだが、もう一方もすぐになくなりそうな予感がする。どうしよう。

 今日のブログはあっちへ行ったり、こっちへ行ったりという文章になってしまったが、許してもらいたい。さぁ、明日から大学だ。今週も張り切っていこう。

2011年4月23日土曜日

筋書きのないドラマ

 今日は昼からあいにくの雨となった。それほど寒くはなかったが、一日中部屋にいることにした。休日の前の日はいつも遅くまで起きているので、昼近くまで寝てしまうのだが、今回はいつもどおりに寝て、朝起き、掃除をした。昼まで寝てしまうと朝がもったいない。朝は一日で最も気分がいい。有効活用しなければ。
 慣れない1週間だったので、疲れたのか、掃除の後は何もする気になれなかった。来週の金曜日からはゴールデンウィークが始まる。ゴールデンウィークといっても私の大学は2日と6日は授業がある。これでは中途半端だ。故郷に帰ろうと思う人は授業を休まなければならないだろう。休みにしてくれればいいのに、と思うのだが、地震で1週間授業が遅れてしまっているのでそうもいかないだろう。

 今日何気なく、YouTubeを見ていたら、今大人気のアイドルグループのコンサートの舞台裏の映像を見つけた。おそらくDVDの映像を流したのだろう。私は長渕剛をこよなく愛し、常に最新の情報を集め、彼のコンサートのも何度も参加し、CD,DVDを集めている。それにより、彼のことは何でもわかっているつもりだ。彼のDVDにもコンサートの舞台裏が収録されている。彼は舞台設計、照明、演出、音響チェック、すべて自分が納得いくまで自らが確認していく。さらに彼が創るステージ。何万人の心を瞬時に一つにするパワーはおそらく誰にも負けないだろう。常に彼一筋で私は生きてきたし、彼を超えるものは現れないと思っている。もちろん今もそう思っているのだが、そのアイドルグループの姿を見ていて、彼女は彼女なりに頑張っている姿が感動を呼ぶところがあった。彼女たちも頑張っているんだな。
 それを見ていて思い出したことがある。このブログでよく登場する東京の友達だ。以前にこのブログでも書いたが、鞍馬温泉に行った時の話だ。彼と夜ごはんを食べているときのことだ。その時もそのアイドルグループの話になった。そして彼が言った。「俺は彼女たちみたいに光のあたる仕事はしていないが、俺だって頑張っている。彼女たちには負けたくない。」すごい。
 私とほとんど同じ年、中には私より年下の彼女たちが今頑張って活動している。光が強ければ強いほどその影も濃くなる。アーティストたちはその中にいる。芸能界は厳しい道、そうかもしれないが、厳しいのは芸能界だけなのか。そして光が当たるのは芸能界だけなのだろうか。私たちのような一般の人たちには、輝くときはないのだろうか。
 高校野球を見ていても思うことがある。高校野球の競技人口は増加の一途をたどり、今や16万人に上るという。そのうち甲子園に出場し、プロの世界へ飛び込む者、大学、社会人へと舞台を移す者はほんの一握り。高校野球界は、輝かしいヒーロー誕生の裏で、人知れず大量の「元・球児」を生み出し続ける。
 数年前、ハンカチ王子こと斎藤祐樹などの活躍により、高校野球のファン層は大きく広がった。ミーハーうんぬんの議論はあるが、私はおおむね好意的に受け止めている。その一方で、スポーツメディアは「ヒーロー不在の今大会こそが、真の高校野球」などと書きたてる。「真の」高校野球。そんなものは現実には存在しない。
 根拠のない一元論を展開するメディアは往々にして、うさんくさい。しかし、あらゆる報道現場において、「現実」を「情報」に変換する段階で、素材の選択を強いられる。それはある程度仕方のないことだ。情報技術が発達し、大勢の人間が同じ情報を共有する時代。「共有している安心感」によって、あいまいにされた絶対性が人々の思考停止を招き、「好き」と「嫌い」、「正しい」と「間違い」といった単純な二項対立しか物事を判断できなくなった。ここに問題の本質がある。
 学生スポーツのサイクルは、プロのそれよりもはるかに短い。人間誰にだって輝く瞬間がある。一般人だろうと、芸能人だろうと、そんなのは関係ない。『終わりがあるからこそ、輝く瞬間』。それは確実に、誰にでも訪れる。斎藤祐樹にも、アイドルグループにも、私の友達にも、もちろん自分自身にも。そんな瞬間にふと目をやることができれば気付くはずだ。『筋書きのないドラマ』は、どこにだって存在している。

2011年4月22日金曜日

ソクラテスの問答法

 今学期初めてサークル活動をした。活動といっても、話し合いで終わったのだが。1年生が来てくれ、名前を確認したり、他に何のサークルに入っているか、交通手段は何か、などといろいろ質問していた。一応本格的に活動するのは来週の月曜日からということになり、それで解散した。新入生歓迎会もしたいのだが、1年生の財布の口は固い。私もそうであった。その時は一人暮らしに慣れておらず、1か月にだいたいどれくらいお金を使うのかなどと、リズムがつかめていなかった。それに親のお金なので、できるだけ使わないようにしようとしていた。飲み会といえば、先輩からガンガン飲まされるのではないかという心配もあった。私が1年生のころは、次の日が授業だったので、あまり飲まず、二次会にも参加しなかった。そもそもお酒を飲むのに抵抗があった私は、どうすれば先輩からのすすめをかわせるかなどと考えていた。私のサークルは全くそういうのはないので、良かったのだが、他のサークル、大学では厳しいところは厳しい。中には命を落とすところもあるというので恐ろしい。一年生の時は飲み過ぎないように、飲み過ぎないように、と思いながら飲み会に参加していた。飲む人はガンガン飲んでいるが、どうも私にはできない。できればゴールデンウィーク前後にしたい。

 教職課程の授業で、「中等教科教育法」というのがあるのだが、久しぶりに倫理の分野のことを勉強した。勉強したといっても導入に近かったが。ソクラテスの問答法についてであった。対話法ともいわれているが、一方的な説得(弁論術)ではなく、対話によって真理を自覚させることをいう。そして有名な言葉、「無知の知」、無知に気付かせるのだ。常識に潜むドクサを暴露して、対話者のうちに真知に向かおうとする愛知の態度を生み出す、これが問答法だ。教育というのはもともとこの問答法なのだというのである。「ハーバード白熱教室」を見ていると、完全にこの問答法形式だ。日本の授業はほとんど一方的な説得になっている。問答法だと時間がかかってしまい、前になかなか進めないという理由で、問答法が消えていったのだという。さらに生徒が教師から質問されても、なかなか答えない。間違えたらどうしよう、ピントのずれた回答をし、笑われたらどうしよう、などと思うようになった。私も先生からあてられるのは小学生の時から苦手である。生徒がなかなか答えないので、教師もあきらめてしまい、日本から問答法が消えていったのだ。確かに問答法は大切だ。自ら考えていくのが勉強である。それが今できていない。なるほど。発言するのは苦手だが、教師を目指している私なので、この苦手を克服しなければならない。初めて習う教授であったが、なかなかいい先生であった。

2011年4月21日木曜日

履修登録

 今日も寒い一日となり、時折雨がぱらついていた。昨日高校の友達から電話がかかってきた。教職についての電話であった。彼も教職を希望しており、もしかすると彼と同じ時期に母校で教えることになるかもしれないのだ。彼は今4年生だが、途中教職課程をやめた時期があったのだが、再開し、一年遅れたため、私と重なってしまったのだ。私は高校の方に電話したのだが、返事が返ってこないのだ。検討するのにこれほど時間がかかるものなのだろうか。やはり公民だけでは受け入れが難しいのだろう。できるだけ、自分がお世話になった母校で、教育実習をするのが希望である。そして高校の友達と一緒になれば相談相手にもなるので、少し気が楽になる。それがうまくいくかは分からないが。高校からの返事を待とう。

 もうそろそろ履修登録のマークシートを提出しなければならないのだが、まだ決めかねているところだ。できるだけ早いうちに単位を取っておくのが望ましい。単位にも様々な種類があり、ややこしいのだ。教養科目、基礎科目、基幹科目、展開科目、演習、自己啓発科目、などと種類がある。これを詳しく聞きに行ってみた。なるほど、と今までわからなかったことが理解でき、再び履修のことについて考えなければならなくなった。私はかなりのハイペースで来ているのだが、今回もたくさん単位を取りたいのだが、中には履修したくない科目もある。履修したい科目はもちろん取っているが、それだけでは少なすぎるのだ。それをどうするかを来週の月曜日までに決めなくてはならない。
 今日はゼミの授業があったのだが、教授からの話はもう就職のことについてばかりであった。もうそんな時期か、と受け入れるのが嫌な自分がいる。この教授のゼミのモットーは、「生き残ること」なのだ。どんな環境にいても、その中で生き残れるかが勝負だという。その通りだと思う。そのための訓練をこのゼミでやるそうだ。やるそうだ、と他人事になっているが(笑)。その訓練は何十年もかかってやるのだという。それならば今から始めなければと発破を掛けられた気持ちになった。もう就職活動はそこまで来ている。

2011年4月20日水曜日

テレビを見ること

 今日も寒い一日となった。予報では雨だったが、朝早くにやみ、私が大学に行く時間には晴れていた。雪がうっすらと積もっていた。4月なのに雪が積もるのがやはり雪国だ。1週間ももう半分終わり。早いものだ。すぐにまたゴールデンウィークになる。もう少し時間がゆっくり流れないだろうか。

 青森に帰って来て、いつものことなのだが、大阪にいるときに比べてテレビを見るのが少なくなるのである。良いことだ、という人もいるだろうが、今回はよくない理由について書きたい。
 大阪にいるときは、テレビをつけるとだいたいニュースを見ている。私の家族はニュースと言えば、NHKだ。私の記憶が残っている頃からNHKなのだ。それに慣れてしまったのか、他のニュース番組はあまり見慣れないため、見る気がしなくなる。大阪にいるときでは常にそのテレビから情報が自然と入ってきたのだが、青森ではテレビをほとんど見なくなってしまう。私はテレビをノートパソコンで見ている。テレビを見るときはいちいちパソコンを立ち上げ、デスクトップのアイコンを選び、結局テレビを見るのに数分かかってしまうのだ。それによりテレビを見なくなってしまうのだ。
 情報が少ないと、いま日本で、世界で何が起こっているのか、つかめ難くなる。これは良いことではない。テレビは常に最新のニュースを提供してくれている。私はバラエティー番組をあまり見ないため、芸能関係などはあまり詳しくない。詳しくないよりは詳しい方が良いのかもしれないが、私は今何が起こっているのかを詳しく知ることの方が大切だと思う。友達同士で話をしていると、話は芸能関係に流れることは少なくない。その時私は話についていけなくなるわけだ。話についていけなくても、面白くないのはその時だけで、それを引きずったりすることはまず無い。
 1日1時間はニュースを見なければと思っている。ニュースは、政治、経済、スポーツ、など様々な情報が溢れている。これは勉強の一部にもなるのではないだろうか。このブログを書き終わった後、ニュースを見ようと思う。テレビを見ることは悪いことばかりではない。その良し悪しを決めるのは、利用者側が自分で決めればいい。

2011年4月19日火曜日

ボランティア探し

 一昨日のブログで、今年はもう春と書いたが、今日は冬になってしまった。昨日から風が強くなり、窓がカタカタ音を立てていた。朝起きてみると、寒い。昨日の暖かさはどこへ行ってしまったのだろう。雨が降っていると思えば雪が降っていた。4月中旬だというのにこの天気は何なんだ。この寒さは明日も続くらしい。風邪をひかないように注意しなければならない。

 昨日インターネットで、東日本災害のボランティアの募集に関しての情報を集めていた。その中に全国大学生活協同組合連合会が立ち上げたボランティアの募集があったため、その記事を印刷し、私の大学の事務局に相談しに行ったのだ。私の大学は生協に加入していないため、わからないということで、生協に加入している、近くのH大学に問い合わせてみた。そこからいろいろなところを回って、結局このボランティア募集は生協に加入している大学のみだそうだ。このボランティアで参加すると、宿泊施設が用意されていたので、自己完結のボランティアができない私にはとっておきの情報だったのだが、残念だ。また情報集めしなければならない。
 自己完結というのはかなり難しい。災害ボランティアの経験がない私がこれをしようとすると、かえって迷惑になるだろう。助けてあげたいと思っても、なかなかそううまくはいかない。中途半端な気持ちでも行くことはできない。覚悟、自格を持って行かなければならない。
 そもそも私はここ青森に帰って来て、自分の大学で何かしらのボランティアの募集があると思っていたのだが、何もないのだ。大学内でボランティア募集の記事はないかと気にしながら歩いているのだが、見つからない。これはどこに行ってもそういうものなのだろうか。私の大学はおそらく被災した地域の学生が多いので、そういう動きが無いのかもしれない。自分で探すしかないようだ。

2011年4月18日月曜日

母校に電話、教育実習

 今日から授業の開始だ。今日は2限と3限だけだ。2限は経済関係の授業で、3限は教職の科目だ。やはり休みボケでなかなか授業に集中できなかった。いかんいかん。早くスイッチを切り替えなければ。

 授業が2時30分に終わったので、すぐに下宿に帰り、来年に教職課程の一環で教育実習しなければならないのだが、その訪問校を決めなければならなかった。私は母校を希望しているのだが、それはわからない。実習を希望する事を母校に知らせなければならないため、今日電話したのだ。長期休暇になると毎回母校を訪問しているので、それほど緊張はしなかったが、改めて電話するとなると少し緊張してしまった。私の恩師のT先生は他校へ転勤されたため、少し肩身が狭くなってしまった。まだまだお世話になった先生方がいるのだが、私の希望が通るかは分からない。決まり次第連絡するということを言われ、その電話は終わった。知らない先生がこの教育実習の担当らしく、少し話し辛かった。
 その後、こちら青森に帰って来て、まだ部屋の片づけをしていなかったので、それをすることにした。段ボールは壁に立てかけたままで、スーツケースは窓の近くに置いたままで、紙、書類、本などは絨毯の上に置いたままで、辛うじて寝るところだけは確保している状態であった。さすがにこのままでは気分が悪いので、やっと片付ける気になった。細かいところはまだやっていないのだが、大まかなところはほぼ片付けられた。少し落ち着いたという感じである。
 その後、私のサークルに入った新入部員へ、活動予定のメールを送った。メールアドレスの直接入力だったので、少し手間がかかった。2人ほど書いてくれたアドレスでは送信できなかったのがあったので、それをどうしようか迷っている。数字の「1」かアルファベットの「l」か、数字の「0」かアルファベットの「O」か、紛らわしい。それを考えながら何度送信してもダメだったので、日をあらためて電話する事にしよう。メールするのにも一苦労だ。これは部長としての私の仕事なので、文句は言えないのだが。
 今月と来月にかけて、いろいろと忙しくなりそうだ。授業も新しいのばかりで慣れていない。気分が落ち着かないまま過ごしていかなければならないが、何か忘れたり、見過ごしたりしないように気をつけたい。

今年はもう春

 今日は友達と買い物に出かけた。昨日は雨であったが、今日は快晴。しかし一段と寒くなり、かなり風が強かった。自転車をこいでもこいでも向かい風により、スピードが落ちる。いつもならすぐに行けるところだが、余計に時間を食ってしまった。良い運動にはなったが。買い物をするときはだいたい駅前か、ドリームタウンというエリアがあるのだが、その周辺である。今日は時間もあったので、もう少し遠いところに行ってみた。ガーラタウンというところがあるのだが、そこに到着するのに1時間もかかってしまった。ニトリ、服屋、ABCマートに行ったりしたが、結局何も買わなかった。案外何もなかったので残念。まあ、たまにはいいか(笑)。
 駅前にも寄ったのだが、そこでも何も買わず。ほとんどサイクリング状態であった。寒いといったが、去年や一昨年ほどではない。なんだか今年はかなり暖かく感じる。去年や一昨年はまだまだ冬だなあ、というくらい寒かったのだが、今年はほとんど春だ。虫も出てきている。下宿の廊下にはカメムシが壁を歩いている。昨日ブログを書いているときには、私のパソコンの上をクモが歩いていた(笑)。思わず、「わっ」と声を上げてしまった。「虫」の季節がやってきたか。私の下宿は山の上にあるので、虫が大量にいる。毎日虫との戦いだ。虫が大嫌いの人は、おそらくここには住めないだろう。
 
 明日から授業開始だ。休み慣れしているので、エンジンがかからない。エンジンをかけていきなり加速すると壊れてしまいそうなので、徐々に温めてから加速する事にしよう。これは言い訳になるかな(笑)。4月は新入生も私たち在校生も、慣れるための時期だと思う。ゴールデンウィーク明けにだいたいみんな慣れていく感じだ。ある意味4月はいろいろ忙しい月である。サークルでは新入生歓迎会をやらなければならない。飲み会というのは私は苦手である。そもそもお酒をあまり飲まないので、お酒が好きな人のような楽しみ方はできない。私は私なりに楽しんではいるのだが。
 私のサークルは1年を通して見てみると、飲み会は新入生歓迎会くらいだ。もう少しやってもいいと思うのだが、それにはお金も必要になってくる。だいたい3000円くらいかかる。2次会もやればそれ以上だ。学生には大金になる。そう思うとなかなか気が進まない。私は今学期から部長を務めるので、様子を見ながら考えようと思う。
 明日から授業か~、もう少し休みたいなぁ~。

2011年4月17日日曜日

サークル紹介

 昨日のブログでも書いたとおり、今日はサークル紹介であった。あいにくの雨で土曜日ということもあり、新入生もあまり来ていないだろうと思って行ったのだが、何と体育館の椅子がほとんどうまっているくらいの新入生が来ていたので驚いた。私の剣道サークルの部員も全員で5人集まり、なんとかサークル紹介できた。13時から始まり、16時から勧誘の時間であったが、スケジュールが押してしまい、16時30分くらいから勧誘の時間になった。待ち時間がほとんどなので、それだけで疲れてしまった。勧誘に時間になり、あまり期待していなかったが、誰か一人でも入ってほしいなと期待を寄せていた。しかし驚いたことにすぐに私のサークルのブースに来てくれる新入生がいた。それも4人もいたのだ。これは驚き。しばらくしてまたまた勧誘の紙に名前を書いてくれ、全員で9人集まった。その中には、いろいろなサークルを回っているという人もいたので、最終的に何人になるかは分からないが、これほど来てくれるとは思ってもみなかった。感激感激(笑)。
 こんなにも入ってくれたのだから、今年はもっと練習に気合を入れなければならない。新入生の意見を聞きながら、楽しいサークルにできたらと思っている。期待を裏切らないように取り組んでいきたい。だいたい2つ以上のサークルに入る人がほとんどなので、他のサークルに行ってしまって、私のサークルに来なくなるのを防がなければ。


 今日少し腹が立ったことがある。サークル紹介のため、1時過ぎに大学に着き、体育館に行った。各サークルのブースに1つの机が用意されていた。もし必要ならば2つまで椅子が貸してもらえたのだ。私は前日にその2つの椅子を用意していたのだが、自分のブースに行ってみると1つしかない。どういうことだろうか。隣のサークルを見てみると、2つ以上椅子があるではないか。そのサークルの一人と目が合い、その人が、「椅子がほしかったら前に取りに行ってください」と言う。何を言っているんだこの人は、昨日取りに行ったぞ、と思い「昨日取りに行きました」というと黙ってその椅子を私に返したのだった。勝手に私のサークルの椅子を使っていたのだろう。いないときに使っていたのは一向に構わないのだが、私が来た時に「あっ、すみません。借りていました」の一言はないのだろうか。そこから少し機嫌が悪くなってしまった。その一言があればよかったのに。たった一言の重さが感じられた瞬間であった。たかが一言、されど一言である。

2011年4月16日土曜日

入学式

 今日は入学式であった。天気も良く、気温も丁度よい一日となった。私は入学式そのものは見ていないが、入学式の終わった後、新入生が帰るところを見ることができた。スーツ姿でみんな嬉しそうな顔をしていたのが印象的であった。大学の入口のところで、「平成23年度 〇〇大学入学式」と書いてある看板のところで記念撮影をしていた。そういえば私も恥ずかしかったが、写真撮ったっけ…。
 翌日サークル紹介があるのだが、そのための打ち合わせに行かなければならなかった。去年までは大講義室でサークル紹介をしていたが、今年からは体育館でサークル紹介をすることになった。私が所属する剣道部は全く人気がなく、サークル紹介をしてもあまり意味がない。大学から剣道を始める人はまずいない。経験者でも大学に入ってまで剣道を続けようという人もあまりいない。一体どうしたらいいのか。ここで少しでもいいから真剣に剣道をやろうという私が悪いのだろうか。まあ、それはいいのだが、体育館の舞台の上でサークル紹介をしなければならない。何を言うかはまだ決めていない。各サークル4分もらっているが、30秒もかからずに終わってしまいそうである。
 人気があるサークルは体育会系でバスケットボール、サッカー、野球であろう。文科系では軽音だろうか。これはどこに行っても似たような傾向があるだろう。そのサークルを見ていると、「羨ましい」と思うものがある。いや、私は剣道サークルとして、地道にやっていこう。
 
 私の入学式はあまりうれしいものではなかったような気がする。第一志望校に合格できずに、引きずっていた自分がいた。日本本州最北端の地で、右も左もわからないところで、一体どうしていけばいいんだろう。過去の悔しさの残骸と先の見えない不安に負けそうな自分がいた。私の入学式はもしかするとみんなが思い描いているものとは違うのかもしれない。新たな一歩を踏み出した、スタートを切った…、違うような気がする。具体的に何と言えばいいのかわからないが、おそらくスタートラインに立ったのだろう。押しつぶされそうに重たい荷物を持っている、持っていた、持った、それが私の入学式だ。スタートなんて切れはしない。一歩なんて踏み出せなかった。怖くて、悔しくて…。
 しかし、いつからだろうか。歩きだしていたのは。いらない荷物を捨てて、身を軽くして、歩きだしていた。決して力強くはないけれど、大きな歩幅ではないけれど、しかし確実に前へ進んでいる。それが今へと続いている。
 もしかすると新入生の中にもそんな人がいるかもしれない。今はそれでいいと思う。いつか必ず一歩踏み出せる何かを見つけられるはずだ。辛いかもしれないが、今は我慢する時かもしれない。いつしか自ら歩んでいる自分に気がつくはずだ。そんな新入生へ、「入学おめでとう」。

2011年4月15日金曜日

明日、入学式

 今日は大学のオリエンテーションがあり、久しぶりに学年全員が集まった。とりあえずみんなの元気な顔を見ることができて安心したのである。福島の相馬に住む友達は、家が流されて今避難所にいるらしい。家族は全員無事であったそうだ。しかし原発の近くで避難指示は出ていない地域なのだが、かなり微妙な場所らしい。苦労している様子であった。しかし本当に無事で何よりであった。周りにいる学生の話を聞いていても内容は地震のことである。
 まだまだ地震は続いている。今日も私の携帯にエリアサービスで緊急地震速報が入った。音楽を聞いていたが、音を消し、地震に備えたが、幸い揺れは来なかった。ここに住んでいる人は常に地震の心配にさらされている。安心できる時間がない。気を付けて生活しなければならない。私に部屋も高いところにものを置いているので、しばらくはあまりものを置かないように注意しなければならない。

 明日は入学式である。私の下宿にも1年生が3人引越してきた。入学式か~。あれから2年たつ。私の入学式に母が来てくれたのを覚えている。あれが今のところ母が青森に来てくれた最後の日だ。この青森に初めて来て、そして一人暮らしを始めたが、何をしたらいいのか分からず、辛い思いをした。部屋もゴミの山だった。しばらくして入学式のために母が来てくれ、部屋もきれいに整理してくれた。本当に助かった。
 あれから母はここには来ていない。簡単に来れるところではない。2年前はどこに何があるか全く分からなかったが、今は市内を紹介できる。できれば母とこの青森をゆっくり歩いてみたい。あの時はお互いに辛い話しかできなかったが、今は楽しく話ができそうだ。ここでしか話ができないこともあるだろう。卒業までには行くつもり、と言っていた。その日がいつか分からないが、その日を楽しみにしておこう。


 写真の海は、昨日友達と買い物に行った時についでに寄ってみたところだ。少し肌寒かった。波打ち際で遊んでいると、友達の一人が波で靴がびしょぬれになり、不機嫌になった。それはかなり面白かった。海は穏やかな時もあるが、人の命を奪う時もある。不思議でならない。

2011年4月14日木曜日

顕著に表れる

 昨日と今日、買い物に行ったのだが、飲み物とカップめんがほとんど売り切れ状態になっていた。大阪ではそのような光景はそれほど見られなかったが、ここではそれが顕著に表れていた。これはおそらく東北地方では当たり前の状態であろう。友達に聞いても、そうだと言っていた。予想はしていたが、本当にそうだったのでかなり驚いた。個人が買える数量が限定されているところもあり、買いたいものがあってもなかなか手に入らないこともある。私も欲しいものがあったが、売り切れや制限でなかなか手に入れることができなかった。これは大変なことになっていると実感した。
 節電もここでは大阪以上に働きかけている。西日本の電力を関東地方に供給するのは、限界があるらしい。そのせいか大阪では東日本ほど節電しているわけではない。青森ではどこの店に行っても電気が消えていたり、エスカレーターが止まっていたりと節電が当たり前の状態だ。大阪とこれほどまで差があるのはすごい。被災した地方は本当に一つになろうとしているのが実感できる。

 原発の話になるが、危険度のレベルが7になり、これはチェルノブイリ原発事故と同じレベルになってしまった。もうこれは深刻以外何物でもない。歴史に残る大惨事だ。まだ解決には時間がかかりそうな状態だ。解決案をなかなか見い出せないのはわからないでもないが、もう少し何とかしてもらいたいものだ。福島に住む方々は不安でいっぱいだろう。それが関東地方にまで広がり、東京の水道でも放射能が出てきている。政府が言う言葉を信用するにも、どこか信用しきれないところがある。日本は今、本当にパニック状態だ。政府が「これ」といった政策を打ち出してくれれば、そこに向かって行こうということになるが、「これ」という政策が無いのが現状だ。先の見えない不安ばかりがまかり通っている。この国はいったいどこへ向かっているのか、今一番気になっていることである。

2011年4月13日水曜日

青森到着

 青森に帰ってきた。久しぶりの風景である。やはり少し肌寒いと感じたが快晴であった。
 昨日の東京からのバスは結構大変であった。夕方にまた少し大きな地震があり、東北道が通行止めとなってしまったのだ。バスがそこを通る時にまだ通行止めならば、一般道を走るということであったがかなり時間がかかるということであった。しかし幸運にも東北自動車道は復旧し、走れるようになった。椅子の幅が狭く、よく隣の人と腕が当たり、かなり窮屈であった。
 隣に座った人は学生であった。K大学に通う2年生ということで、今回震災で被害にあった岩手県へボランティアに行くのだと言っていた。すごい。いうのは簡単だが、実際に行くというのは難しいことだ。その学生は、横浜に自宅があり、大学まで自宅通いをしているそうだ。今回の地震で、横浜は震度5弱ほど揺れ、本棚の本が棚から出てしまったらしい。驚いたと言っていた。それを聞いて私の青森の下宿のことが余計に心配になってしまったが。救急救命士を目指していて、今勉強中だそうだ。岩手の盛岡に着いたときに、「気をつけて行って来てください」と一言声をかけた。
 走行中に問題が起きた。乗客の一人が過呼吸を起こし、急きょバスがパーキングエリアに入り、救急車を呼んだのだ。私もこれには驚いた。1時間弱ほど待たなければならなかったが、その過呼吸を起こした人は大丈夫だろうか。
 予定では8時30分に到着予定であったが、青森に着いたのは10時であった。午前中に到着できたので、とりあえずよかった。11時過ぎに下宿につき、早速青森の友達と会い、昼ご飯を食べながら春休みに何があったか報告した。やはり話は地震のことに。みんな大変だったらしい。八戸に住んでいる友達は海が怖くなったという。しかしみんなの元気な顔が見れてほっとした。
 話は少し戻るが、私の部屋はそこまで深刻な状況にはなっていなかった。パソコンもコンポも無事であった。本が床に散らかっていたが、これは予想していたことなので、そこまで驚きはしなかった。よかったよかった。
 その夜も友達といろいろな話をした。なのでブログの更新がこの時間になってしまった。久しぶりによく話ができ、うれしかった。とにかくみんな無事で何より。

2011年4月11日月曜日

今日青森へ

※コメントを投稿されても,そのコメントが掲載されなかったことがあったようです。私も何度かあったのですが,原因は分かりません。3回も投稿された方がいらっしゃいました。本当に申し訳ありません。1回で掲載されなかった場合は,お手数ですが2回3回とトライしてみてください。よろしくお願いします。


 昨日と一昨日は投稿できなく,申し訳ない。荷造りと買い物とあいさつ回りと選挙で忙しかった。今日青森に帰ることになった。まだ東北新幹線が通っていないので,今回は東京まで東海道新幹線で行き,そこから青森までバスで行くことにした。バスは4800円とかなり安い。東京を22時に出発し,朝の8時30分くらいに到着する予定だ。ば「バスはしんどくないか」と言われたが,この前アメリカに行った時の飛行機よりはかなりましだと思う(アメリカの話は近日投稿する予定)。大学の授業の履修登録を12日までにしなければならないのだが,到着するのは12日なのでギリギリだ。今思っても遅いが,もう少し早く帰っておけばよかった。
 今荷物の段ボールを郵便局に行き,送ってもらったところである。2月に大阪に帰ってきたときには,2カ月も休みがあると,喜んでいたが,気が付けばもう終わりだ。早いものだ。しかし今回の春休みは今までになく充実していたと思う。勉強は全くしていないが。
 しばらくの間,家族とはご無沙汰になる。青森に帰るときはいつも寂しい気持ちになる。これは慣れることはない。寂しいものは寂しいものだ。今度会うのは夏休みか~。

 東北に住むみんなはこの春休みをどう過ごしていたのだろうか。巨大地震という災害が襲い,おそらく休暇どころではなかったのではないだろうか。そんな彼らに私はどう接したらいいのだろうか。私は彼らの気持ちを理解することができない。どれほど理解しようとしても不可能だ。「お前の気持ちはよくわかる」なんてそんな軽口叩けるわけがない。理解はできないが,理解しようとする心はいつも持ち続けていたい。私に何ができるか皆目見当がつかないが,今まで通り楽しく接してあげるのが一番なのではないだろうか。彼らの笑顔を少しでも引き出してあげる,それが私にできることだと思う。これが正しいどうかなんてわからない。どうすればいいのか。私は今悩んでいる。

 次にこのブログを投稿するのは青森からとなる。大阪は春。青森はまだ冬かな。早くみんなの顔が見たい。

2011年4月8日金曜日

強い人間

 今日は久しぶりの雨となり,朝からずっと降り続いている。兄がある企業から内定をもらったという電話がかかってきた。これには私も素直にうれしかった。ほとんど毎日就職活動をしていたようなものなので,苦労した甲斐があったのではないだろうか。私が言える立場ではないが,本当によく頑張っていたと思う。採用されなかった企業はいくつもある。それにへこたれずに前だけを向いていたのが印象的であった。理系とはいえ,就職氷河期の真っ只中。彼は彼なりに悩み苦しんでいたであろう。私はただ黙ってそれを見ていた。寝る時間を削ってエントリーシートなどの資料作成をしていた。その苦労が実って本当に良かった。「努力は決して裏切らない」そうかもしれない。
 もう少しすれば私が就職活動をしなければならなくなる。もうそんな時期かと少し焦ってしまいそうだが。時間は待ってはくれない。早め早めの準備を心がけよう。

 昨日の午後11時30分くらいにまた地震があった。震度6強と余震なのかどうかわからないくらいの大きな地震だ。大阪も震度1と少しだけ揺れを感じた。いったいいつまで地震が続くのだろうか。復興に向けて進み始めていた矢先のことである。再び停電が起こっている地域がある。地球はどうなっているのだろうか。これだけの災害を起こしても,まだ許してくれないというのか。
 自然の前では人は無力なのかもしれない。ただ町が津波に流されるのを見ているだけなのかもしれない。しかし私は人間というのはとてつもない大きな力を持っていると信じている。人間と人間が手をつなぎ,スクラムを組み,今までにない強固な絆を結び,どれだけ苦しい悲しいことに打ちのめされても,ひるむことなくグングン前へ突き進める力を持っているのだと。
 人間は弱い。弱くてもろい。しかし自然に言いたい。それでも人間を舐めないでほしいということだ。必ず復興してみせる。何年かかるかわからないが,必ず以前の生活に戻ってみせる。いや,それ以上にしてみせる。私は信じたい。人間は本当は強い心を持っているのだと。

2011年4月7日木曜日

先生への恩返し

 私が高校の時の恩師,T先生が今年度からH高校に転勤されたのだ。このT先生は3年間,担任の先生としてお世話になった。卒業してからも浪人の時や,大学の教職のこと,アメリカの旅の計画などと今でもお世話になっている。その先生が転勤されたのは少し寂しい気持ちになった。転勤されたH高校は自転車でも行ける距離なので,そう考えれば全く寂しくはないが。先生は私のことをよく理解してくれた存在の一人である。先生もブログをしていて,毎日読ませてもらっているが,転勤するということで,かなり寂しそうな感じであった。それもそうだろう。私の高校のために尽力されたのだから。
 このT先生とのファーストコンタクトは今でも覚えている。中学生のとき,願書を提出するときに会議室で名前を書いてもらった。親しみやすそうな笑顔をしていた。字はあまり上手くはなかったが。その時はこの先生が担任になるとは思ってもみなかった。しかしこの先生との出会いにより,私の人生は大きく変わった。先生のよくいう言葉は,
「責任ある行動」
「人間は自由の刑に処せられている(サルトル)」
「理想に生きるのをやめたとき,青春は終わる」
「地球市民たれ」
である。私にブログの中にも何度か出てきているが,それはこの先生から学んだ,頂いた言葉である。今の私にとって大切な言葉だ。常に地球市民としての行動をとるように指導されてきた。もちろんその指導は今も続いている。その先生の教え子たちは世界へと飛び立ち,常に地球市民としての行動をとっている。私は彼らに追い付くことができない。彼らのように世界中を飛び回ることはできない。彼らのように英語や第三言語を話すことはできない。しかし私は日本でできる地球市民としての行動をとるように心がけている。彼らをうらやましいと思うことは時々あるが,私は私なりの「地球市民」を描いて生きていきたい。彼らには負けないぐらいのことをしていきたい。胸を張って,「私は地球市民です」と言えるようにしたい。それがT先生への恩返しとなると思うからだ。
 T先生は新しい高校で,楽しくやっている様子で安心した。また新しい場所で,夢を追い続けてほしい。また夏休みに会いに行こう。

2011年4月6日水曜日

芦屋の先生のところへ

 昨日は帰るために必要なものを買いに行っていたりして投稿できなかった。申し訳ない。

 今日は兵庫県の芦屋というところに行っていた。そこには私が小学校,中学校の時に塾でお世話になった先生が住んでいるところである。もともと体が不自由な方で,今はヘルパーさんが来ている。今日来ていたヘルパーさんは,ペルーから来た外国の人だ。昼ご飯を作っていたが,私の分まで作ってくれ,申し訳ないことをしてしまったなと思ったが,先生は「気にせんでいいよ」と言ってくれた。そのペルーの方は,今年から娘さんが高校生になるらしい。ペルーは何語をしゃべっているか忘れてしまったが,私がアメリカに行ってきたという話をしていたら,少し英語をしゃべってくれた。ついこの間日本語学校を卒業したらしいが,まだまだ日本語は難しいらしい。そのペルーの方が毎回つけている日誌を見せてもらった。漢字,カタカナ,ひらがなを使い分けていておもっていたよりもすごい。かなりよくできている。所々に間違いはあったが,全く問題ない。とても気が利く方らしく,何でもしてくれているという。ここでも海外交流があり,大変うれしく思った。
 先生もアメリカに行ったことがあり,先生はサンフランシスコとロサンゼルスに行ったことがあり,私も西海岸か東海岸で迷ったというと,「西海岸もよかったよ」と言っていた。先生もニューヨークには行っておきたいと言い,私も行った方がいいよと,すすめておいた。
 2月の頭くらいに先生は台所でこけたらしく,起き上がることができなかったらしい。3日間身動きが取れずに助けを待っていたというのだ。もちろん何も食べられなかった。そしてこけて3日後に,新聞の集金に来た方が見つけてくれ,助けを呼んでくれたという。その時はまだヘルパーさんは来ていなかった。その話を聞いた時は驚いた。3日間動かなかったので脚が固まってしまい,歩けなくなってしまったらしい。寝たり起きたりはできているが,今リハビリ中だ。今はヘルパーさんが来てくれているので,とりあえず安心だ。
 今度は夏にまた来るよと言い,帰ることにした。私の恩人なので,いつまでも元気にいてほしい。

2011年4月4日月曜日

春の神戸

 昨日は投稿できずに,申し訳ない。
 今日は,少し寒いくらいであったが,快晴。またまた昼から出かけることにした。兄は今日東京で就活。面接があるそうだ。
 今日は神戸に行くことに。三ノ宮駅で降り,各駅停車に乗り換えて元町で降りた。プラプラ歩いていると,おもしろそうな雑貨屋さんがあったので少しのぞいてみることにした。今まで色々な雑貨屋さんに行き,様々な面白いものを見てきたが,今日行ったところでは見たことがないおもしろいものを見ることができた。リピーターになりそうである。一番斬新であったものは廃棄物を使って作られているカバンだ。再利用してできてあるので,私は気に入ってしまった。ほしいものがあったが今日は我慢した。そのかばんはタイヤを使ってできてあるモノなのだ。触ってみると確かにタイヤである。これはおもしろい。再利用と聞くとついつい興味を持ってしまう。
 そのあと中華街を歩いた。月曜日ということもあって人はそれほど多くなかった。以前に中華街を訪れたのが確か小学校低学年の時であったような気がする。ルミナリエを見たときについでに訪れた。ルミナリエというのは,阪神淡路大震災の復興のために始められた光のイルミネーションだ。その時はもう少し中華街が広く感じられたが,それほど広くはなかった。一部しか訪れていないからかもしれないが,地図を見てもそれほど広くない。横浜にある中華街のほうがかなり広いような気がする。
 その商店街を歩き,電気屋さんやかばん屋さん,靴屋さんを見て回った。あまり時間がなかったので,今日はこれくらいで帰ることにした。もう少しゆっくり来れたらよかったのにと少し残念であったが,夏休みまた来よう。
 神戸はおしゃれな店やかわいいお店が多い。それらは裏通りに多く,地図に載っていないところも多い。「こんなところにこんな店が」という感じで見つけることがある。今日行った店も適当に歩いていて見つけたところだ。もし神戸に行く機会があったら,ぜひ裏通りを歩いてほしい。とっておきの場所が見つかるかもしれない。

2011年4月2日土曜日

再び京都へ

 少し風をひいてしまったのか喉が痛く,夕方からは鼻水が出てきた。これはいけない。風邪はひき始めが肝心。早く治るようにしたい。

 今日も天気のいい日であった。はれが続いて本当に気持ちがいい。休日ということもあって,昼から出かけようと思ったが,どこに行ったらいいかわからない。昨日も京都に行ったが,今日も京都に行こうと思い,電車に乗った。今日は定番の円山公園,ねねの道,三年坂を歩いた。この春休みで3,4回行ったことになる。何度行っても楽しいからいいものだ。
 今日は青森でお世話になっている方へのお土産を買おうと思った。しょっちゅう京都でお土産を買っていて,今回は何がいいか考えた。そういえば以前に梅干を買い,それが大変おいしかったと喜んでいたのを思い出し,今回もそれにすることにした。自分に買うのには高すぎる梅干しだ。何種類もあり,いくつか試食をして決めた。2種類買ったのだが,今回も喜んでくれるだろう。
 京都でしか店を出していない手ぬぐい屋さんや,かばん屋さんなどを回った。もう桜がかなり咲いていて,観光客でいっぱいであった。まぁ,その一人が私なのだが。
 扇子がほしいと思い,扇子屋さんへ。去年買ったのだが,友達に上げてしまい,自分のがなくなってしまったので,買うことにした。去年気に入ったものが置いてあったのだが,今日は置いてなく残念。似たものを買うことにした。これも京都限定のもの,京扇子だ。まだ春なので,扇子は少し早いのかまだたくさん置いてなかった。もう少しすれば出てくるのだろうが,青森に帰ってしまうので,早めに買ってしまった。
 1週間強で青森に帰るので,それまでに行きたいところには行っておきたい。そろそろ帰る準備を始めなくてはいけない。そういえば東北地方は郵便に制限があったのではないか。今送れるか確認しなければならない。ホームタウンを出ていくときはあまり気が進まないのが正直なところだが,早く青森の友達に会いたいというのもある。この葛藤はなかなか手強い。
 今度京都に行くのはおそらく夏休み,8月になる。それまでしばらくご無沙汰になる。次は夏の京都を歩くことにしよう。

2011年4月1日金曜日

伏見稲荷

 今日から4月だ。新年度の始まりとなる。今年度は昨年度より未充実した1年にしなければならない。とにかく楽しい1年になるようにしたい。

 昨日のブログで書いたが,中学校の離任式の後,久しぶりに兄と母親との3人で,今日との伏見稲荷に行ったのだ。兄は就活や研究で忙しいのだが,今は少ない春休みの最後の日であったそうだ。春休みは5日間しかないらしく,すぐに学校へ行かなければならない。
 伏見稲荷はかなり昔に行ったのだが,ほとんど記憶にない。今回改めて行くことにした。京都と言えば円山公園や八坂神社,ねねの道や三年坂などの定番のところばかりなので,今回はあまり行かないところに行こうと思ったのだ。伏見稲荷は商売繁盛の神様が祭られているところだ。
 もうすっかり春となり,桜が咲き始めていた。もうこの季節がきたのか,と少しうれしくもあり,少し嫌な気持ちにもなる。嫌な気持ちというのは,また青森に行かなければならない。青森に行くのは何の問題もないのだが,また家族と離れるのはやはりさびしい。しかしこれも自分で選んだ道だ。そんなこと言っていられない。
 さて,伏見稲荷に到着し,平日なのかあまり人はいない。さっそく山を登り始める。赤い鳥居がトンネルのように続いている道なのだが,これが何とも神秘的。景色はずっと赤い鳥居なのだが,不思議な気持ちになる。しかしこの山が思っていたよりも長いのだ。どこまで登ればいいのか。最初は3人一緒に歩いていたが,しばらくすると母が遅れ始め,これは登りきれないなと思い,途中で引き返すことにした。あれほど坂や階段があるとは思っていなかった。
 伏見稲荷に「おもかる石」という石があるのだが,ご存じだろうか。これは願い事をし,灯篭の頭を持ち上げ,思っていたよりも軽かったら願い事がかない,思っていたよりも重かったら願い事がかなわないという石がある。それをしてみた。私は軽いと感じたので,願い事がかなうかもしれない(笑)。母は必至に持ち上げていたので,これはかなわないなと兄と二人で大笑いしていた。
 そのあと喫茶店に入り,休憩をして帰ることにした。喫茶店で兄はクリームソーダを注文したのだが,おなかを壊したらしく,電車の中は「腹いてー」と苦しそうな顔をしていた。夕方になってくると少し寒くなってきたので,それが悪かったのかもしれない。
 今度伏見稲荷に行くときは,頂上まで登れるようにしたい。