2015年11月24日火曜日

生き残れるヤツ

今年は異常なほどに映画の豊作な年である。私の好きなシリーズものの続編もあればそうではないものでもおもしろいものがたくさんあった。残すはあと007とスターウォーズといったところであろうか。007は観る予定だが、スターウォーズシリーズは私は観たことがないのである。これをいうと意外だねと時々言われることがある。まあ、今までに観るきっかけがなかったとでもいった方がいいのだろうか、あまり興味を持つことができなかったのである。おそらく今回の作品も観ることがないだろう。スターウォーズファンは全世界でものすごく盛り上がっているみたいである。
 2015年は豊作といっても、中でもシリーズものが多かった。代表的なシリーズ続編映画を挙げてみよう。もちろん私が気になったものである(笑)。『96時間/レクイエム』、『ワイルド・スピード SKY MISSION』、『マッドマックス 怒りのデスロード』、『ジュラシックワールド』、『アベンチャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』、『007/スペクター』、『スターウォーズ/フォースの覚醒』、『ミッションインポッシブル ローグネイション』、などである。どれもかなりのヒットを飛ばしたみたいである。この中で以前から気になっていたのだが、観ていなかったものが『マッドマックス』である。私が尊敬している方や、前会社の後輩がおもしろいと言っていたので気になったのだ。今回のは4作目である。気になるものはさっさとつぶしてしまいたかったので、4作すべてDVDで観ることにした。もちろん購入して。私は何度も繰り返して映画を観るタイプなので、ツタヤなどで借りたりすることがない。
 このシリーズは想像していたよりもかなり奥の深い作品であった。1~3はメル・ギブソンが主演を務め、今年の作品は代わってトム・ハーディーが主演を務めた。バイオレンス、アクションがメインの作品である。シリーズを一貫して荒れ果てた荒野が舞台で、近未来のストーリー。ただ観ただけでカーアクションでイカれた奴らがどんちゃん騒ぎしているで終わってしまうが、何度も繰り返し見ているとその奥深さが見えてくる。私が最も印象として残っていることがある。しかし、明確な表現がなかったので、印象というかこれが伝えたいことなのではないかといった方が良いだろう。それは神や仏に祈りをささげることよりも、自分で進んでいかなくてはならないということ。『マッドマックス』のラストで、主人公のマックスが敵に「自分の足を切断できれば生き延びることができる」と言うのだ。敵は車と足が手錠でつながれて動けない状態。そこでマックスは敵にノコギリを渡す。しかし、マックスが作ったいわば“時限爆弾”のリミットがあったのですぐに決断しなければならない。自分の足を斬って生き延びるか、それとも爆弾で死ぬか。これはこのシリーズの一番の重要な要素となっていると考えている。つまり、自分の足を斬って生き延びるヤツはこの世界でも生きていけるということなのだ。今年の作品ではフュリオサという女性戦士が登場するのだが、彼女は片腕がないのだ。具体的描写はなかったのだがいろんな意見を見てみると、悪の王に逆らったがために腕を斬り落とされたという意見が多かった。しかし、私にはそうは思えなかった。彼女もそういった自分の腕を自ら斬り落とす過去があったのではないかと思う。だから彼女は今も生きていられるのだ。生き残ってきたのだ。戦場では祈りなど通用しない。神や仏などといるかいないかわからないものに頼ることよりも、自分を助けてくれるのは紛れもない自分だけなのだ。
 シリーズすべてにおいて、最後ではマックスは静かに去っていくのだが、今回フュリオサとマックスの友情、マックスが自分の名を名乗るシーン、目と目で通じあえるラストシーンに思わず涙してしまった。この荒野という現代世界に希望なんてあるのだろうか。マックスが言っていたように、待っているのは“MAD”だけなのだろうか。たとえそうだったとしても、頼れるのは自分だけだということは確か。自分の腕を斬り落とせるヤツはどれほど狂った世界でも生きていけるだろう。

2015年11月3日火曜日

次の“山”へ

怒涛の、前代未聞の壮絶なライブが終わった。あっという間だった。本当にあれは現実だったんだろうか、もしかしたら夢だったんじゃないかとも思えた。どうだった?と聞かれても感想なんて言えるわけがない。そんなものではない。“すごかった”、それだけ。
 さあ、ここからが本当の戦いだった(笑)。規制退場だったが、その内容をアナウンスで聞かされたとき、会場がどよめきに包まれた。新宿からバスに乗る際にリストバンドが渡されたが、私のリストバンドには「カ」と書かれていた。今その意味がわかったのである。リストバンドに書かれているアイウエオ順に退場するというものであった。ア行の人は6時30分から退場、カ行の人は9時退場、サ行の人は11時30分退場、それ以外の人は13時退場と画面に映し出された。私はまだ早い方であった。時間までご飯を食べ、会場を回ったりして時間をつぶし、「カ」の人が呼ばれると退場ゲートに向かった。ライブが終了して約3時間後に会場を出ることができたが、まだ安心できなかった。会場を出ても、バス乗り場まで2キロ歩かなければならない。しかもスムーズに進まないのだ。ディズニーランドのアトラクションに乗るまでに並ばないといけないが、それよりも遅かった。途中、眠過ぎて立ちながら気を失ってしまった(笑)。やっとの思いでバスに乗ることができ、バス乗り換え場所まで連れて行ってくれて、そこから新宿行きに乗り換え、新宿に戻ったのは14時くらいであった。気になるのは最終的に会場を脱出できた人は情報によると18時だったらしい。これはヤバい。そりゃ大変だ。でもあれほどの不便な場所で10万人規模の人を動かすになそれくらいの時間がかかるものなのかもしれない。
 無事に帰ってくることができた。開催前より、オールナイトをやるのはこれで最後、と公言していたため、様々な勝手な憶測も流れていた。しかし、あそこに集まった10万人は聴いたはずだ。長渕がステージから去るときに最後に残した言葉を。「これからもまだまだいくぞー!!ありがとう!!」。私たちは彼の言葉を信じ、それぞれの日常へ戻っていく。ライブ中、「おまえたちがいるから、今俺は生きてるよ!」と言ってくれたが、私たちもまた「長渕剛がいるから、今生きている!」のだから。来年、60歳を迎える長渕剛である。“富士”という山を登りきった彼は、もう次の“山”を目指して歩き出している。そして私たちもまた。

太陽を引きずり出す

 
一曲目はどの曲になるのだろうか。桜島では、一言掛け声があった後に“勇気の花”でスタート。さあ今回はどうだろうか。バンドメンバーも位置について、音が出るかの確認をしている。長渕がメンバーに、いけるか?と指をさしながら確認をとっている。そして、「ウォオオ!ジャパーン!!!」と多くの者が一曲目に求めていたであろう“JAPAN”が始まり、会場の拳と国旗が一気に突き上がった。私は感動して興奮して自分の中にいる感情が体から出ていきそうになり、前に倒れそうになった(笑)。会場のボルテージも一気に最高潮に。野外ということもあって音の良し悪し、反響が心配であったが、そんなものは全く心配することはなかった。ド迫力の音量、そして尚且つ繊細に聞こえる音の良さ、今までに参加したどのライブよりも一番の音を出していた。
 今回は4部構成で成り立っていた。途中休憩をはさみながら結果的には次の日の朝6時30分まで。休憩時間にはトイレに行ったり、ご飯を食べたり、睡眠をとったりした。心配だったトイレだが、予想よりも並ばずに済ませることができた。とはいっても、この休憩時間に万単位の人間が大移動するので、めちゃくちゃせわしなかったが。自分のブロックに戻ったが、自分がどこに座っていたのかが全然分からなくなってしまった。見つけても人が多いせいでなかなか自分の場所までたどり着くことができなかった。一度外に出てしまうと二度々戻ってこれなさそうな勢いだった。
 時折ほんの少しだが雨が降ってきたりと、朝日を観ることができるのだろうか心配だった。夜中は半袖では寒いくらいで長袖を着ての参加であった。第2部、第3部が終了し、第4部のスタート。会場が少しずつ明るくなってきた。時間は4時45分。最後のステージである。我々ファンも疲労困憊だったが、最後の力を振り絞って拳を上げる。そして、今日この日のために創った唄“富士の国”が始まった。そしたらさっきまで曇っていた空が風に流されてステージ後ろに富士が見えてきたではないか。そしたら長渕剛は「朝日を引きずりだすぞーみんなで!!」と会場を鼓舞する。剛が歌い始めた。
“国旗が生まれた日本の頂(てっぺん)に陽よ昇れ!
 霊峰富士の国の頂に俺たちは生まれてきたんだ。
 国旗がたなびく日本の頂に陽よ昇れ!
 霊峰富士の国の頂に俺たちは生まれてきたんだ。”

 私も一緒に唄い始めたが、急に涙がこみ上げてきて涙が溢れ出した。何の涙かはわからない。しかし、今唄っているものが、今目の前で起きようとしているのだ。もう涙が出るというより、ただただ泣いている私がいた。本気で。
 「太陽引きずり出すぞー!!」と剛は何度も何度も呼びかけた。我々は必死にそれに応える。冷静になって、もしくは傍から見てみれば「寝てても太陽は昇ってくるし」とついつい思ってしまう。だがしかし、そうじゃないんだ。そういうことではないのだ。一つの目的、目標に向かって10万人が一つになって応えようとしているのだ。あの日、あのとき、確かに私たちは力を合わせて太陽を引きずり出した。今まで生きてきてそんな日は一日たりともなかったが、あの日だけは確かに太陽をこの手で引きずり出したんだ。
 こんなにムキになって、本気になって、声を出して、拳を上げて、泣いて、叫んだのはいつ以来であろうか。いつからかムキになること、本気になることが恥ずかしく見られるようになった。人と人との接し方に距離が出てくるようになった。違和感を感じていてもそれが普通になってきた。そういう人たちに冷たい目線を送るようになった。そういう時代だといわれれば仕方がない。だがしかし、そんな時代の中で私たちは“本物”を探しているんだ。本物はどこにあるんだ。本物の声はどこにあるんだ。混沌としたこの異常な世の中で、私たちは確かな答えを欲しがっているんだと思う。その答えに続く、明日へ続く道の一歩を長渕剛は私たちに与えてくれたと思っている。「俺たちをしあわせにしてくれ!俺たちみんなをしあわせにしてくれ!争いのない国にしてくれ!!」、彼はそう叫び続けた。私はこの瞬間に立ち合えたことに心から感謝している。これほど感動する瞬間はもう二度とないくらいだ。本当に長渕剛はすごい人である。あいつは本当にすごいヤツだ。

この瞬間のために

 最近は暑いのから解放され涼しいと思っていたが、二日前くらいから寒いと感じるようになってきた。一緒に働いているスタッフの一人はもう暖房を付けたみたいである。もうそんな季節になったのかと時の流れを感じてしまう。とはいってももう11月である。今年も残り2カ月である。本当に一年早い。


富士の続きである。開演まで時間があったのでご飯を食べたり、ちょっと散歩したりと時間をつぶしていたが、暗くなってくるともうそろそろという感じになった。21時開演予定だったが、桜島の時は45分遅れでスタートしているので、今回はどうなるだろうといろいろ考えていた。後から来たお客さんがブロック内にどんどん入ってくるので、余裕があったスペースがどんどん窮屈になってきて、終いにブロック内に入りきれなくなるほどになってしまい、会場アナウンスで奥に詰めるよう指示が何度も出たがそれでも入りきらなかった。最終手段として通路を狭めてブロックを少しでも広げることになった。これでやっと入りきったという感じ。もうギュウギュウづめである。
 20時40分くらいだっただろうか、会場に流れていたBGMのボリュームが上がり、会場に歓声が上がったのは。そしたら花火が上がった。そういえば数年花火を観ていなかったので、目の前で花火も観ることができて最高だった。ある意味私の今年の夏は8月22日、23日の二日間だけと思っていたので。それが終わると、舞台袖から地元の方々の祭りの神輿が出てきて会場を盛り上げる。そして21時、待ちに待った瞬間が訪れた。桜島ではハレーに乗った長渕が一人で出てきたが、今年はどんな登場の仕方だろうか。そう思っていたらステージの向こうからヘリコプターが低空飛行で飛んでくるではないか。もともと数機のヘリが会場上で飛んでいたが、このヘリは違うとすぐに分かった。間違いなく長渕はこのヘリに乗っている。そう確信した全国から集まった我々長渕軍はヘリに向かってコールを送る。3周ほど会場上を回って舞台袖に着陸した。そしてついに我らが長渕剛の登場である。“カリスマ降臨”とでもいった方が良いだろうか。長渕に続いてバンドメンバーが降りてきてステージに上がってくる。彼に会うために我々は今日ここに来たのだ。この瞬間に立ち合うために。ついにこの日がやってきた。命懸けの祭典である。さあ、来やがれ!!この野郎!!!

2015年10月31日土曜日

敵役ピアース・ブロスナン

前回の投稿に続いて観た映画の感想である。もう一つ映画館で見てきたのは、『サバイバー』という映画である。ミラ・ジョヴォヴィッチとピアース・ブロスナンが出演している作品である。私は『007』シリーズが大好きで特に5代目ボンドが好きで、その5代目ボンドがピアース・ブロスナンなのである。カッコいいの一言である。今の007はダニエル・クレイグが役を演じているが、ダニエル・クレイグのシリーズからなぜか“007の掟”崩しに命をかけているみたいで、おもしろいといえばおもしろいのだが、私は今まで通り何事もクールに任務を遂行し、クールに人を殺し、クールにお酒を飲み、クールにお金を使い、クールに美女と関係を持っている007が好きなのである。やっぱり男性の私から見ても絶対カッコいいと思う。しかし、今は人間性を前面に出し、007の苦しみ?みたいなものを表現しようとしているみたいだが、私は007にそんなものは全く求めていないので、今の007は全く別物と思って観ている。
 話が脱線してしまったが、この『サバイバー』は評価としてはかなり低かった。そんなおもしろくないの?と私もいってしまえばそれほど期待せずに観に行ってみたのだが、私はおもしろかった(笑)。どんでん返しはなかったが、テンポとしてはよかったのではないか。確かにツッコミどころは山ほどあったが、映画ってそんなものである。ツッコめばきりがない。前回の投稿とかぶるが、ミラ・ジョヴォヴィッチもあまり好きではなかったが、今回の映画で少しだが好きになった(笑)。今回私の好きなピアース・ブロスナンは敵役を怪演していたが、これもまためちゃくちゃカッコよかった。暗殺者の役であったが、敵役も似合うものである。こういうすごい俳優が敵役に回るというのはなかなかインパクトがあるし、見応えがある。中身やストーリー性がなくても、そういう俳優が演じるだけで映画を観る価値はあると私は思っていて、例えばブルース・リーなんかがそうである。映画としてはそんなに良くないが、ブルース・リーのあの肉体美、筋肉だけでその映画を観る価値がある。
 またまた話が脱線してしまったが、敵がニューヨークでテロを起こすというのでそれを阻止しようとするのだが、確かに9.11以降空港などの審査が厳しくなったそうである。私は9.11以降にしかアメリカに行ったことがないのでそれ以前はどんな感じだったのかは分からないのだが、確かに入国審査など厳しいと感じた。飛行機に乗るよりも厳しい。映画の最後に文字で出ていたのだが、9.11以降にアメリカの空港で54人のテロリストを逮捕しているのだそうだ。
 それにしても今年62歳とは思えないピアース・ブロスナンである。今回の作品でもサイレンサーを使っているのだが、世界で最もサイレンサーの似合う男なのは確かではないだろうか。もっといろんな作品で出てきてほしい。韓国車KIAのCMでピアース・ブロスナンが出ているのだが、『007』風のパロディみたいなCMだったが、これはおもしろかった。まあ、007がKIAの車に乗ることはないし、そのCMにピアースが出るのもな、とも思ったがそれはそれで、なかなかいいCMだった。ピアースが007役を降りてかなりの年数が経つが、いまだに世界では007はやっぱりピアース・ブロスナンだろうという意識があるのだろう。まあ、私もその一人だが。また007に戻ってきてほしいな。

交友関係を見直してみる

 休日に2本映画を観に行っていたので、まずはその一つを紹介したい。2本ともニューヨークが出てくるということと、好きな作品との関連性、そして好きな俳優が出ていたからである。“マイインターン”という映画を観た。アン・ハサウェイとロバート・デ・ニーロが出演している作品である。“プラダを着た悪魔”の続編とも言われているようだが、私は観た感想を言えば全くそうは思わず、番外編という位置づけで観た。面白かったのだが、続編ではないだろうという感想。全くの別物ではないだろうか。
 若い女性社長と40歳年上のシニアインターンとして雇われた男性の交流を描く作品であった。主に女性向けとして宣伝されていたが、男性も見る価値がある作品である。生活、仕事、人間関係、友達などなど、いろんな問題や悩みを抱えながら、人生の先輩の助言を受けて、乗り越えていくところが一つの見どころである。私はアン・ハサウェイをあまり好きではなかったのだが、今回の作品で少し株が上がったのである(笑)。ロバート・デ・ニーロは意外にもこういう作品にも出演するのだなという驚きが大きかった。
 詳しいことはあまり書くことができないが、最初若い女性社長は40歳も年上のインターンのことをあまり好きではなかった。むしろ鬱陶しいくらいに思っていたのだが、だんだんと心を通わせるようになっていく。これは自分の生活でもいえることである。最初から好きになることもあれば、嫌いだったのにだんだん好きになっていくこともある。私はどちらかといえば直感型な方で、初対面の人と5分話をすればその人のことはだいたい理解できるという考えで今まで生きてきているので、その5分で今話をしている人との今後の接し方が決まってしまうのである。この私の考えに対して反対している人がいて、嫌いでもコミュニケーションをとってだんだんとその人の良いところが見えてくるんだよ、と説教を食らってしまうことがある。確かにその人の言うとおりである。おそらく私は面倒臭がりなんだと思う。複数人と群れることはほとんどないし、そういう誘いがあっても行こうと思わないのである。私の仲のいい友人は誰とでも話ができて、そういう話があれば何ら関係なく参加しているので、私もそういうところは見習わなければならないなといつも思うのだが、なかなか体が動かないので厄介である(笑)。まあ、私の性格でもあるのだとは思うのだが、無理する必要もないとも思ったりしてしまうのだが、またこれも言い訳になってしまう。何事もメリットデメリットが存在するが、様々な人との交流を広めた方が、自分の視野が広がるのは確かではあると思う。だがしかし、自分ひとりの時間を優先してしまう私である(笑)。

それぞれの荷物を背負って

 2回前の投稿で、私の友人のことを書いた。また会える日を楽しみにしていると書いたのだが、それが現実になった。詳しいことはここでは控えさせていただくが、とある方から連絡があり、その友人が今いる場所を教えてくれたのだ。早速私が動ける日を伝え、その友人を会う約束をしてくれたのである。会うといっても、詳しく言えば私がその友人のところに行かなければならないということである。東京都内であったが、私の家からは少し遠かった。しかし、会えることにすごく喜びを覚えていた。その友人に会うために簡単な書類を書いたり、少し待たされたり、荷物を預けたりとなかなかスムーズにはいかないのだが、やっと彼に会うことができた。何よりもうれしかったし安心したことは、今まで通りの彼がそこにいたということである。何も気を使うことなく、バカ笑いをしながら話をすることができた。それだけで満足である。彼と話ができる時間は限られていて、それはたったの15分。15分では当然足りないのだが、濃密な15分であった。今までモヤモヤしていた気持ちが晴れてスッキリした。また会いに行こうと思う。

 
人生は本当に人それぞれの生き方がある。どれが正しくて、どれが間違いだとかそんなものは誰もわかりはしない。自分が正しいと思った道を歩んでいけばいい。たとえそれがどれほど険しく、長い道のりであったとしても、自分が正しいと思えればそれでいい。周りから何と言われようとも。そして、元気に生きていてくれればそれでいい。“元気があれば何だってできる”と誰か言っていたが、本当にその通りだと思う。何だってできるというのはわからないが、元気でいれば少なくとも前進しているのではないだろうか。結果がどうなるかそんなことはわからないが、私はそれだけでいいと思う。生きていれば嬉しいこと、楽しいこともあれば悲しいこともある。苦しいこと、辛いこと、怒りたいこと、反抗したいこと、いろんなことがある。無論私にだって。どんな人もそれぞれの荷物を背負って山を登っている。決して下ろすことができない荷物もあるだろう。でも、それでも人は登っていく。今歩んでいる道が正しいのかそれはわからないが、元気がなくては歩けないだろう。疲れたら休めばいいし、歩んできた道を振り返るのもいい。そこから眺める景色を観るのもいいし、そこに咲いてる花を見るのもいい。人はみなそうやって少しずつ少しずつ前に進んでいるのではないだろうか。私はそう思っている。

2015年10月21日水曜日

いざ、ふもとっぱらへ

私は新宿からバスで富士まで行くことになっていた。当日出発のバス、富士の最寄り駅からのバス、前泊ツアー、飛行機ツアー、などなど様々なプランが用意されていたが、当日出発のバスが一番安かったし、連休もなかなか取れないのでどの道それしか行く方法が私にはないのだ。おそらくほとんどの人はこの当日プランだっただろう。
 新宿のコクーン前辺りで集合だった。我々とは全く関係ない人たちもたくさんいた。みんな一体どこへ行くのだろか。夏休みだからおそらく学生だろう。それを横目に私は長渕ツアーを探した。プラカードを持った人がいたので、向こうで並んでいるのでそこへ行けとのこと。早目に到着したが、すでにたくさんの人が待っていた。乗車する際にリストバンドが渡され、私のリストバンドには「カ」と書かれていた。一体何のことだろうと思ったが、その時はそれほど気にならなかった。しかし、この「カ」の文字が最後の最後に重要な文字になってくるのだった。
 9時30分くらいに出発し、車内は予想とは違いかなり静かであった。オールナイトなので夜は寝ることができないのでバスの中で寝ようと思ったが、気分が高まってしまい、ほとんど寝れなかった。途中休憩でパーキングエリアに寄った。そのとき私たちのバス以外にもたくさんの長渕ツアーのバスが並んでいた。富士の会場エリアに入るとき、何台ものバスとすれ違うのだが、「博多」、「静岡」、「東京」、「広島」などなど様々な場所から来たバスがすれ違う。本当に長渕剛に会うために全国から集まったのだ。もうそれだけでも涙ものである。私たちのバスは14時に会場のふもとっぱらという場所に到着した。そこから2キロの道のりを歩いて移動する。天気は曇りで雨が降りそうな感じであった。荷物検査をして会場入りすると視界が開け、広大な敷地に圧倒される。そして壮大なセット。なにもかもが長渕剛にしかなしえることができないであろう、壮大なスケールである。「ヤバい」しか言葉が出てこない。
 グッズを買って自分たちの指定ブロックへ。私たちが乗ったバスは到着が早い方で、グッズを買うのも20分くらい並んで買うことができたが、夕方にもう一度グッズ売り場に行ってみると、長蛇の列ができていて、グッズを買うのにも1時間以上はかかりそうだった。もちろんグッズ販売の点と数も半端じゃないくらい出ていて、なんかのフェスかよって思ってしまいそうになるが、あくまで長渕剛ただ一人のテントである。
 グッズの一つであるパンフレットを買い、指定ブロックで場所取りしたのでそれを読んでいたのだ。パンフレットといってもほとんど写真集みたいなものだが、私はライブのたびに必ずパンフレットを買っている。楽しく読んでいたが、最後のページを見たとき、私の中で衝撃が走ったのである。剛の直筆のメッセージがそこに書かれていた。“ここまで来てくれてありがとう。そして、生きていてくれてありがとう。”、そう書かれてあった。まあ普通に考えると、「こんな遠くまで来てくれてありがとう」、という意味だったと思うのだが、そのときの私は、「今まで俺について来てくれてありがとう」という意味で解釈してしまい、そこで私はこれが長渕剛最後のライブになるかもしれないと思い、涙してしまったのである。あの日の感情は信じられないくらいにハイになっていたと思う。ライブ開始まで数時間の話である。

2015年10月17日土曜日

伝説のライブに至るまで

 つい先日までは暑いと思っていたが、最近は寒いくらいになってきた。気が付いたら10月の中旬である。もう年末シーズンとなる。一年もあっという間に過ぎていく。一日一日を大切にしていかなけれべならないが、なかなかそれも難しいものである。とりあえず風邪をひかないように注意したい。


 
8月の話になってしまうが、とりあえず記憶に残しておきたいということで、そろそろ少しずつではあるが書きたいものがある。かなり偏った個人的な話になってしまい、申し訳ないのだが、“長渕剛 10万人オールナイトライブ2015 in 富士山麓”に行ってきたのである。昨年のオールタイムベストのツアーにて発表され、約一年待ちに待った私としては人生の最大のイベントになるライブである。とりあえず今回はそのライブに至るまでを書きたいと思う。
 2004年に鹿児島県の桜島にてオールナイトライブが行われたのである。私は当時中学3年生であった。私はその時はすでにファンになっていたが、当時の私にはそのコンサートに行ける力もなく、そして鹿児島が果てしなく遠い存在で参加することができなかった。その年に発売されたライブCDを何度も何度も聴き込み、歌は当然MCや掛け声もすべて覚えた。たかがCDではあったが、すさまじく、壮絶なライブであった。あれから11年がたった。この富士のライブでオールナイトは最後という位置づけであった。それを聞いた時はめちゃくちゃ悲しく寂しい気持ちになった。ならば死んでも今回の富士のライブに参加しなければならない。発売日に早速チケットを申し込み、チケットを手にすることができた。
 前回の桜島ライブでは決定から約2年の月日を費やしてライブ当日を迎えたのだが、今回は1年しかないということで様々な問題があったのである。そもそもチケットが高額なのと、チケットと合わせてJTBのツアーのチケットも申し込まなければならないということで、金銭的にかなり厳しいものがあった。それで参加できなかった人も多くいると思われる。桜島のライブのチケットは即日完売だったが、今回はライブ当日まで完売発表はなかった。10万人集まるのだろうかという心配があった。
 そしてもう一つの大きな問題はファン離れがあるのではないかと思われる。2003年の“Keep on Fighting”ツアー以降、拳挙げ中心のいわばロックンロールスタイルが確立されていくのである。昔ながらのファンにしてみれば、歌そのもので感動を与えていたライブが、“お祭り”なライブになってしまった、ということで離れていくファンもいるのではないか。そして歌詞の変化である。最近の剛は“普遍”の歌詞、歌を求めていて、100人いれば100人が感動する歌を求めているのである。例を上げるならば“明日へ続く道”、“しあわせになろうよ”、“TRY AGAIN”などがそうではないかと考える。しかし、昔のファンからしてみれば、生活感丸出しの唄、悔しくてみすぼらしい自分をさらけ出す歌、そんな歌こそが長渕剛の歌であって、それこそが“普遍”なのである。例を上げるならば、“流れもの”、“しょっぱい三日月の夜”、“明け方までにはケリがつく”などがそうなのではないだろうか。彼にしか書けない歌えない歌である。私は昔だろうが今だろうが長渕剛が大好きである。昔の歌に感動させられることもあれば今の歌に感動させられることも事実。私としては昔のファンが言う“普遍”があるからこそ今の“普遍”の歌が存在するので、何も言うことはない。すべてが最高である。
 今回のライブでファンをやめようという人も多かった。それはライブに参加する前の話。我々ファンの想像をはるかに上回るライブになろうとは誰も思わなかっただろう。ライブ前、ライブ後に様々なメディア、マスコミから批判があった。しかし、あそこに集結したファンにしてみれば「だからなんなの」という感じ。たった一人のため、長渕剛ただ一人に会うために、全国各地から集結した私たちは間違いなく彼に突き動かされたのである。

2015年9月30日水曜日

また会えるその日まで

 先月8月は実に様々なことが起こった。良いことも悪いことも。その中でも一番悪かったことは、私の友人の一人が死ぬことよりもたちの悪いことになってしまったことである。その友人はこのブログでも何度も登場しているし、私の大切な仲間の一人である。詳しくはここでは書くことができないが、私自身も相当のショックを受けたのである。事が起きてから一カ月以上が経過したが、まだまだ私自身が落ち着かない状況である。落ち着いていると言ったら落ち着いているのだが。
 日々の中でぼーっとしているときなんかに、自然とその友人の事を考えてしまう。彼としては己の正義を貫いたことだろう。たとえそれが間違っていたことだったとしても。もし私が同じ状況に立たされたら、彼と同じ行動をとったかもしれない。しかし、一時の感情というのは怖いもので、時間が経過し、見失った自分を取り戻したりしたときに初めて正しいか間違いかの判断ができるものだ。彼の行動についてもちろんそうしたいところなのだが、この世界、国の中では確実に間違った行動なのである。正義は時として悪にもなり得るし、悪も時としては正義となり得るのだろう。この国を支える法律とはいったい何のために存在するのだろうか。この人間界を法律で縛りつけ、ルールを敷くのは可能なのだろうか。海よりも深く、山よりも高く、世界の果てよりも遠いこの人間たちを、そんなモノでどうやって解決できるのだろうか。そんなことを考えても無駄なことはわかっているが、ついついそんなことを考えてしまう。だがしかし、間違いは間違い。駄目なものは駄目である。そんなことはわかっていても・・・・・。
私は常に思っていることがある。このブログの中でも書いたことがあるかもしれないが、“不正に対して不正で答えてはいけない”ということである。 これは浪人時代に倫理の先生からいただいた言葉で、私の座右の銘のひとつである。やられたらもちろんやり返したい。何かを言われたら言い返したい。やられっぱなしはごめんである。仕返しをするのは良いが、そのやり方が問題である。殴られたら殴り返すのか。子供のころはそれはまだ許されたかもしれないが、社会人になればそんなものは通用しない。“目には目を、歯には歯を”は許されないのである。力で抑えつけようとすれば、その反動はどこかで必ず出てきてしまう。ではどうしたらいいのか。我慢しなければならないのである。これは苦しい。時間もかかる。しかし、耐えなければならないのである。その中で、正しいやり方を探していくのである。一時の感情で自分を見失ってはいけないのだ。たとえそれがどんなに腹が立つことであっても。己の正義を貫いても、その影響は必ず自分の周りにも及んでくる。それによって周りの人が不幸になることさえもあるのだ。それを決して忘れてはいけない。
 これから彼の動きをみていかなければならないし、彼を支えていかなくてはいけないと思っている。彼があることを起こしたとき、私は友人をやめよう、縁を切ろうとは一切思わなかった。あいつほどいい奴はいないし、あいつほどおもしろい奴もいない、そう思っている。今すぐに彼に会うことはできないが、それが何ヶ月後になろうが、何年後になろうが、私は彼に会える日を心から楽しみにしている。

2015年7月28日火曜日

ターミネーター:新起動/ジェ二シス

 しばらく投稿できずに申し訳ない。中元の時期ということで、職場もかなり忙しい期間で、次から次へと様々な対応に追われていた。とはいっても休みはちゃんともらえていたし、いろんなところに出かけたりしていた。書くネタがなかったというわけでもないが、いざ書こうとするとなぜか思考停止ししてしまうのだ。今日は何ら問題なくここまできたのでこのまま書いていきたい。

 季節はもう夏になった。ついこの間は梅雨の時期で毎日雨が降っていたが、梅雨が明けると一気に気温が上がり猛烈な暑さである。先週の金曜日、原宿から渋谷に向かって歩いていたのだが、急に天気が悪くなり、雷がバキバキ鳴って豪雨になったのだ。これは危険だと思い、走って地下にもぐり、家に帰ったのだ。しかし、最寄駅に着いたところでも雷がバキバキ鳴り、久しぶりに雷にビビってしまったのだ。そしてヤフーニュースを見てみると渋谷が雨で浸水したというニュースが出ていた。危ないところである。そしてしばらくすると雨が上がり、天気が良くなったのである。とりあえずよかった。


今日は休みだったが、朝一で六本木へ行き、映画を観に行っていた。『ターミネーター:新起動/ジェ二シス』を観た。といっても今回で3回目なのだ(笑)。ターミネーターファンとしての私はこれは何度も観なければならないと思い、今日の3度目に至っている。シリーズとしては5作品目である。ターミネーターのシリーズは結構複雑で作品によって描かれている世界が違うのである。私の分析によると1、2で完結していて、3は番外編、4はシュワちゃんが主役として出演していないので、1度しか観ておらず、内容もほとんど覚えていないので4は私の中には入っていない。そして今回の作品である。私が見た限りでは、1、2の続きに当たるのではないかと考える。しかし、1、2とは全く世界が変わっているのだが、これは作品を見てみればわかる。3部作の第一弾という位置づけで、次の作品が今からもうワクワクしているのである。
 詳しい内容には触れないが、映画としての評価はあまりよくない。むしろ悪いのではないだろうか。しかし、そんなことは私には関係ない。アクションも最高だったし、ストーリー性もあったし、展開、テンポの良さ、そして人間と機械の共存、ドラマである。不覚にも今回の作品でもなぜか涙してしまった私である(笑)。ターミネーターは何があっても必ずサラ・コナーを守り、サラを守るためならば自らの命も落とすというもの。どれだけボロボロになってもその“任務”を遂行すべく何度でも立ち上がり、強敵に向かって行く。人を殺すために作られたターミネーターが、これほどまでに強く、たくましく、そして優しい。そこに私は心を動かされる。
 ターミネーターは映画史上に残るもっとも有名なキャラクターの一つである。そして私はそのターミネーターの役ができるのはシュワちゃんただ一人だと思っている。ジェームズ・ボンド(007)やスパイダーマン、バットマンは様々な俳優がその役を担っているが、ターミネーターはシュワちゃんだけだ。つまりターミネーターはシュワちゃんなくしてあり得ないのである。映画を好きになったきっかけは『ターミネーター2』に出ているシュワちゃんを観て。私はシュワちゃんのファンであり、そして紛れもなくシュワちゃんは私のヒーローである。12年前、『ターミネーター3』で来日した時、私は中学生だった。ターミネーターの続編ができるという情報を聞いた時はこの上なく嬉しかった。そしてシュワちゃんが来日してインタビューを受けていたところを食い入るように見ていた。映画の中でも言う名台詞。“I"ll be back.”をそのインタビューの最後に言ってくれた。そして今回12年ぶりの来日。あの時の約束を守ってくれたシュワちゃんに本当に心から感謝している。今度シュワちゃんが来日するときは私も駆けつけたい。

2015年5月31日日曜日

忙しい一日

 
昨日、私は昼からシフトインだったのだが、朝の8時30分くらいに電話が鳴り、店長だったのだが、厨房のスタッフが急に来れなくなったということで、すぐに来てほしいという電話だった。寝ぼけながらわかりましたと言い、すぐに準備して職場に向かったのだ。ギリギリ開店前に到着し、準備することができた。その日はもともといつもより一人人数が少ない日だったのだが、さらに急に一人来れなくなったということで、かなり急がしい一日だった。一週間で一番忙しい土曜日であったし、その日に限ってお店の近くに落とし物が2件もあったし、次の日の特注の商品の準備もしなければならなかったし、一日中バタバタした日であり、かなり疲れてしまった。そしてこれにとどめを刺すかのように、少し強い地震が発生し、山手線がストップしてしまい、またまた遠回りをして帰らなければならなくなってしまった。そこで急に仲のいい友人の一人から連絡が入り、私の家に泊めてほしいということだった。その友人も電車がストップしていたので、とりあえず大崎駅に向かわせ、私も家と反対方向の大崎まで迎えに行くことにした。電車だけで私の家まで来るとなると、かなりの遠回りしなければならず、大崎から五反田に歩いた方が圧倒的に近いのである。大崎と五反田間は歩いて10分もかからないということは、この前の山手線柱転倒事故で検証済みである。私は五反田の一つ手前の大崎広小路という駅から大崎に向かった。そしてそこで友人と合流し、そしてまた来た道を引き返す。友人も急に私の家に泊まりに来た理由もなかなか複雑で、私も次の日(今日)が休みということで本当にグッドタイミングであった。体力、精神ともに疲労していたんじゃないかと思う。そういうときは、私であったらひたすら寝るということをするだろう。疲れているときはやはり寝るのが一番。しかし、その友人は来年の大きな試験に向けて勉強をしなければならないということで、今日のお昼前に私の部屋を出発し、大学へ勉強しに行ったのである。その前に、泊めてくれたお礼として、調子が悪かった私のパソコンを修理してくれたのである。おかげでサクサク動くではないか。快適快適(笑)。
 人間生きていると困難なことにぶち当たってしまう。楽しいことばかりが続くことはないし、かといって苦しいことばかりが続くわけでもない。苦しいとき、悲しいとき、疲れてしまったとき、たまには立ち止まることも必要だと思う。リフレッシュして、また歩き始めたらいい。今日は晴れていたが、結局私は一日中部屋にいてぼーっとしてしまった(笑)。私も昨日は疲れたようだ(笑)。

2015年5月17日日曜日

アムトラック脱線事故

 前まで寒いと感じていたが、もう今は暑いと感じるようになってきた。季節が変わるのは早いものである。今の会社で働いてちょうど一年が経った。どちらかといえば長い一年だったような気がする。この一年もいろいろあったし、これからの一年もまたいろいろなことがある。そんなものである。一日一日大切にしていきたい。


先日、ニュースでアムトラックが脱線したというのを聞いた。私としてはかなりの重大ニュースであった。アメリカの交通機関としては、旅客鉄道はかなりマイナーであることは確かだ。貨物の鉄道輸送は意外にメジャーだが。今回事故があったのはニューヨークとワシントンD.C.のちょうど中間地点、フィラデルフィアである。このニューヨーク、DC路線は大西洋メガロポリスを結ぶメジャーなドル箱路線。日本の東海道新幹線のちょっと遅い版といっていい。これがかなりの不通になるらしい。もちろん、航空機の路線はシャトル便がガンガン飛んでいる。ニューヨークには、JFK空港、ラガーディア空港、ニューアーク空港がある。そしてDCには、ダレス空港、ナショナル空港、ボルチモア空港がある。ナショナル空港は市内にかなり近いということもあって増便されるのだろう。
 これまでの私の旅のルートはすべてニューヨークに行ってそしてDCである。その移動には必ずこのアムトラックを利用してるのである。もちろんフィラデルフィアも通る。英語のわからない私は乗るまでが勝負なのだ。到着するゲートはギリギリまでわからない。いろんな人に聞いて半信半疑で並ぶのだ。一緒に並んで一緒に乗った女性を思い出す。その女性はフィラデルフィアで降りたのだが、その際私に手を振ってくれたのだ。これも“名も無き友人”である。アムトラックで移動しているとき、いつもぼーっと外を見て過ごしている。そして気がつけば、自分の心の中に入っていて、いろんなことを考えている。話し相手はいない。でも、この時間は私にとってはこの上なく必要な時間。だからひとり旅が好きなのだ。いつも大変な“ハプニング”に見舞われてしまうが、これだけはやめられない。ニューヨークで全身をスパークさせ、DCでゆっくりと過ごすというのが私の今までの旅。また行きたくなってくる。

 実際に行かなかったらこのニュースも聞いた3分後には忘れてしまっていただろう。人間てそんなものである。語弊があるかもしれないが、ネパールで大地震が起きても、私は「そうなんだ」と少し悲しく感じるくらいで、東日本大震災が起きたときと比べて明らかに大きな感情の差がある。どうしてだろうか。東日本大震災が起きたときでも、私は大阪にいたが、それでも感情の起伏はそうでもなかった。人間、自分にとってどれだけ近いことが重要になってくるのではないか。海の向こうのことははっきり言って分からない。隣の県のことすらも遠い存在に思えてくる。人間ていうのは、明日は来るのだろうか、明日家族と会えるだろうか、友人と会えるだろうか、いつもどおり学校に行くことができるだろうか、仕事に行けるだろうか、・・・。そっちのほうが大事なんだと思う。遠いところでどれだけ悲しいことが起きていようとも、結局考えていることは日常のこと。それが人間だと思う。そう言うと、軽薄なやつだとか、冷酷なやつだとか言われるかもしれない。そう言いながらも、そう感じながらも、できるだけのことはしてきたつもりだし、考えているつもりである。偽善だったとしても、何もしないよりよっぽどマシである。アムトラックの事故のニュースを聞いて、何故かこんなことを考えてしまった次第。

2015年5月6日水曜日

友人と買い物へ

 今日はゴールデンウィーク最終日であるが、休日はすべて天気が良く、最高の連休になったのではないだろうか。今日は休みだが、連休期間私の職場はかなり混雑していた。前年よりもかなり混んでいたらしい(私は前年いないため)。夕方がから人が増えてきて、最後の一時間くらいは一気に人が減り、急に暇になった。連休の特徴なのか、この期間はそれが続いたのである。なので、夕方に備えて一気にその間に販売していた。かなり疲れてしまった。


先日久しぶりに友人と買い物に行ってきた。いま友人は部屋を改造?しているみたいで、いらないものをどんどん処分していたようで、鍋はいるかと聞かれたので、捨てるのはもったいないのでもらおうと思ったのである。そこで先日、わざわざ私の家まで持ってきてくれたのだ。就活中、彼の家に泊まり込んで就活していたが、そのときその鍋をしょっちゅう使っていたので、久しぶりにその鍋と再会したのだ(笑)。まさかその鍋をもらうことになるとは。
 私の家で少し話をしてから、外に出かけることにした。まずは彼が行きたいといった目黒のインテリ雑貨店が並ぶ通りがあるのだが、そこに行くことにした。私は同じ道を引き返すのはもったいないと思ったので、東横線の芸大前駅から山手線の目黒駅を目指すコースにした。確かにいろんなインテリ雑貨の店が並んでいたが、結構個人経営っぽい店が多く、入りづらい店が多かった。友人は、「俺が探してるんはこーいうのじゃないねんな」といいながら、最終的には「俺自分でつくるわ」という結果になった(笑)。
 その後私の買い物として、シャツが欲しかったので、原宿駅から表参道に行くことに。とあるシャツブランドがあるのだが、それは青山に本店があった。そこで一つ買い物をしたのだが、私がよく行く有楽町のメンズ館の方が品数は多いという衝撃の事実が発覚し、すぐさま地下鉄に乗って有楽町にある阪急メンズ館に行くことに。確かにこっちのほうが品数が多く、しかもカードの優待で10%引きになるということで2着も買ってしまい、ある程度の満腹感とある程度の罪悪感に苛まれてしまったのである。少し買い物をするといつもこうである。まあ、欲しいものが手に入ったのでよしとしよう。
 その後、銀座をぶらぶらして、シャネルのお店を冷やかしに行ったり、アップルストアに行って先日発売されたアップルウォッチを見たりして時間を潰し、いつものお店でご飯を食べて帰ったのである。久しぶりに充実した時間を過ごせたのである。気軽に話ができる友人がいるというのはなんとも嬉しい限りである。お金が飛んでいってしまった日であるが、納得できる日であった。

2015年4月25日土曜日

仕事の人間関係

 昨日少し運動をしようと思い、またまたいつもの散歩コースを歩いたのだ。天気は晴れで、歩くのにはもってこいの日であった。歩くと少し汗ばむくらいで、気候としては最高の日であった。何回も渋谷から東京駅のコースを歩いているが、いったい何歩くらい、または何キロくらい歩いているのか少し気になり始めたので、万歩計みたいなものが欲しくなったのである。私としてはちょうどいい距離で、それ街の雰囲気の移り変わりがよく見えて楽しみながら歩いているのである。いろんな店をのぞきながらの散歩は最高の気分転換である。

もうすぐゴールデンウィークになるが、私は世間が休みの日に働かなければならない仕事なので、その期間中はほとんど出勤である。昨年は以前働いていた会社を辞め、ちょうど有給休暇消化期間に入り、10日ほど休みがあったので、ニューヨーク・ワシントンに行っていた。あれから1年経つのかと今思った次第。そして5月中旬で今働いている仕事が1年経つということである。自分で言うのもなんなのだが、期待の新人ということでいろんな仕事を任されるようになり、最近は仕事でかなり疲れるようになっている。仕事は慣れるまでが大変だが、今はまだ慣れていない。今までは頭で覚えられていたが、頭だけでは覚えきれなくなり、手帳やメモなどで書いておかないと忘れてしまうのである。それでも忘れてしまって怒られてしまうことが多いのだが(笑)。いろんな仕事を任されるということは責任も同時にのしかかってくるものである。それが大変で、一日が無事に終わればガクンと力が抜けるのである。慣れるまでが大変だ。
 新しい人も3人入ってきて、人間関係の構図がかなり変わり、それでいろんな問題も起きているということも事実である。不満を持っているのは既存のメンバーである。私も不満があるといえばあるのだが、私はまだそれほどの影響はない。しかし、他のメンバーはかなりの不満が溜まっているようである。そのため、先日臨時の“飲み会”が既存のメンバーで行われたのである。想像はつくと思うが愚痴の言い合いである。まあ、たまにはこういうのも必要なのかと。
 私は善人でも、すべての人に好かれようとも、いい人とも言われようとは全く思っていないので、好き嫌いはあって当然だと思っている。むしろない方が怖いとも思っている。“仕事”という枠組みの中で話をするが、確かに好き嫌いはあっていいのだが、やっぱり仕事上最低限のコミュニケーションは取るべきであるし、完全に拒絶してしまうと負のスパイラルに陥り、業務に支障をきたすレベルになってしまう可能性がある。その結果、人間関係の都合により、やめてしまうことになる。それはやっぱりダメである。既存のメンバーと新しい人がもう両極端になってしまい、私はある意味仲介役的な存在で、各々の言いたいことや不満などを聞いて、どこら辺で線引きをするべきかなどを考えたりしている。つまり互が歩み寄るようにはどうもっていくのかを考えているのだ。
 世の中にはいろんな人がいる。極端な話、1回聞けばすぐに覚えられる人もいれば、何度も繰り返しやらないと覚えない人もいる。印象としては1回聞いて覚えてくれた方がいいに決まってるし、教える側も面倒はかからない。何度も同じことを聞いてくると教える方も、同じことを何回も言わせるなとなってしまう。忘れてしまうのは仕方ないところもあるが、そういう人は影の努力も必要だろう。遠くで見ていると、それでもなお一生懸命に仕事をしている姿を見ると、もっと丁寧に教えたほうがよかったのかとか、教える側にも問題があるのではないかとも思ってしまう。負のスパイラルに陥ればその人の悪いところしか見えなくなってしまう。人間誰にでも、いいところ悪いところがある。既存のメンバーは既に輪ができている。その輪の中に溶け込むにはどうしたらいいのか、人間関係の勢力図を自分の頭の中で考える必要もある。いわば人間観察も必要になってくる。新しい場所に行くということは、それだけでもかなりの神経を使うし体力も使ってしまう。最初は焦らず一つ一つ段階を踏んでいくのがいい。一度はじかれると戻るには何倍の時間と労力を費やしてしまう。互いが歩み寄るには、互いの許しと、互いの努力が必要である。これはできるだけ早いほうがいい。

2015年4月20日月曜日

小さな結婚式

少し前だが、『セックスアンドザシティ』という映画を観た。このタイトルはかなり有名で、私ももちろん知っていたのだが、なかなか見る機会がなかった。旅の本とか見ていると、この映画の舞台がニューヨークということで、私も観ることにしたのだ。タイトルを聞いてなかなか手を出すのに勇気のいる映画だが、実際に見てみるとなかなか奥が深い映画であった。
 もともとドラマとして1998年から2004年にかけて放送され、全部で6シーズンある。私はドラマはまだ見ていないのだが、ムービー編だけでも十分に楽しむことができた。ニューヨークに住む30代女性4人の生活をコミカルに描いている。その人気は社会現象にまでなり、放送終了後も世界で何度も再放送されている作品である。ニューヨークのいろいろ出てくるので、それだけでも私は満足であった。
 映画も続編があるのだが、今回は一つ目の方を書きたい。10年付き合ってようやく結婚にたどり着いた主人公のキャリーだが、結婚式当日に相手に突然キャンセルされてしまうというえらいことになるのだ。結婚式の会場としてキャリーが選んだのは、ニューヨーク市立図書館なのだが、由緒ある場所でニューヨーカーあこがれの式会場でもある。大きな会場でもちろんお金も莫大にかかってしまうのだが、それはもう壮大な結婚式になるだろう。しかし、それをキャンセルされたキャリー。最終的には結婚にたどり着くのだが、その時の結婚式は、市民会館みたいなところで、キャリー以外のカップル達も順番に式を挙げていくというとても小さな結婚式であった。もちろんキャリーとその相手の友人も同僚も家族もだれもいない。しかしキャリーはとても幸せそうだった。式が終わって、相手が「友達も呼んだ方がよかったんじゃない?」と聞くと、「あなたがいればそれでいい」とキャリーは言う。しかし、相手は「電話して呼んでおいたよ」と言ってドアをバッと開けると、そこにキャリーの親友たち3人が待ってくれていたのだ。そして仲間を集めて食事に。そのときキャリーは、壮大な結婚式もいいけど、こうやって友達だけを集めてやる結婚式もいいと。最後はキャリーと親友合わせて4人でバーで呑む。そのやりとりもすごくよかった。不覚にも少し涙した私(笑)。想像以上に良かった映画だった。
 映画を観て結婚式の概念が変わった。キャリーみたいな小さな結婚式がいいと思うようになった。ありきたりなものは嫌いな私だが、これはかなり気に入った。それか世界の交差点タイムズスクエアで式を挙げる(笑)。誰も思いつかないようなことをやってみたいものである。

2015年4月16日木曜日

母が東京へ

 
2月中旬の話だが、母が大阪から東京に遊びに来たのである。1年以上東京に来ていなかったので、母の仕事が忙しくなる4、5月になる前に行こうという感じであったし、私もたまたま連休が入っていたので、ちょうど良かったのだ。今回は何もイベントがなかったので、以前よりもゆっくりと東京を回ることができた。
 1日目は横浜を歩いた。外国人墓地などを見る予定だったが、道を間違え見逃してしまう(笑)。ここはまた次の機会にということになった。山下公園を歩き、中華街の聘珍樓本店でお昼ご飯を食べた。そしてみなとみらいを歩き、東京へ戻ることに。母が行きたいお店が代官山にあったのでそのお店に行き、その後適当に歩いていると、私の好きなメガネ屋さんがあった。このお店には何度か来ていた。母がここに来たのは私が大学受験をする時に東京へ来たのだが、その時母も一緒だったのだ。その時に依頼になる。店員さんも私と母のことを覚えていてくれて話が弾んだのである。その後銀座へ行き、ご飯を食べた。予定を入れていないと時間に急かされることがないので、次はどこ行こかとなる。ご飯を食べてもまだ時間があったので、以前から行ってみたかった三菱一号館の中に入っているレストランがあるのだが、以前母と一緒に来たのだが、1時間待ちということで諦めた。しかし、今回はすんなり入ることができた。しかし、お店の雰囲気としては良くなかった。ピンクのライトアップがお店にあっていないようにも感じた。BGMの音楽がうるさく感じたのと、それに合わせてサラリーマン、OLの方々の話し声もうるさく感じたのである。私たちとしては落ち着いたお店という先入観を持ってきてしまったので、そのお店でそれを求めるのは場違い。あと紅茶を入れているティーポットが欠けていたことである。これに母は激怒していた。確かにこれを客に出すのはどうかと思った。まあ、あまりいい印象は残らなかったお店である。
2日目は、朝からとあるホテルに入っているスパに行くことにした。というか予約を入れていたのである。私はとあるコスメブランドのボディソープや化粧水、アロマオイルなどを使っていて、そのブランドのスパである。ここも以前から行ってみたかった場所。生まれて初めてのスパだったが、体の疲れが一気になくなった感じである。あっという間の2時間。毎日でも行きたいくらいである。ホテルの雰囲気もかなり良かった。その後、原宿へ行き、表参道、六本木を歩いた。有楽町へ行き、そこで夕食を。その日もまだ時間があったので、そこから日本橋にあるマンダリンオリエンタルホテルに入っているバーへ行くことに。楽しみにしていたが、予想していたのと違うお店で、そのフロアの両端に違うお店が入っていて、その間にバーがあったのだ。ゆっくりする場所ではなかったのである。座った場所も悪かった。タバコの煙が全てこちらに飛んでくるし、カウンター席だったのだが、目の前で洗い物をしているのだ。効率的なことを考えての設計だと思うが、本来裏でする作業をわざわざ表でしなくてもいいのではと思った。通路にバーを作っているので裏も表もなく、やむを得ず見せてしまうことも分かってはいたが、そこまで求めてしまうのもいけないのかもしれない。カクテルそのものは美味しかったのがまだ救いであった。母はノンアルコールのカクテルを飲んでいたが、それも良かった。次は違うホテルを狙おう(笑)。
3日目は、朝からスカイツリーへ行ってきた。私は2回目のスカイツリーである。思ったよりも混んでいなかったし、何よりも天気がめちゃくちゃ良かったので、富士山も見ることができた。その後、東京駅へ行き、そこから歩いて日本橋三越本店、高島屋本店を回り、銀座へ向かう。バーニーズニューヨーク、銀座三越にも行き、百貨店を歩き回った。千疋屋のカフェでお茶をして、東京駅方面へ向かった。新丸ビルへ行ったりして時間を潰し、母が大阪に帰る時間となった。
 結局今回もタイトな日程となってしまったが、かなり満喫できたのではないかと思う。かなり疲れたが。毎回毎回あれやこれやと行きたいところが出てきてしまうので、次はもっとゆっくりできるような日程を組むようにしたい。

2015年4月13日月曜日

初めての遅刻

一昨日、社会人になって初めて寝坊をして遅刻をしたのだ。今まで寝ぼうは何度かあるのだが、遅刻はしたことなかったのだ。出勤時間は数通りあり、その日は9時45分までにタイムカードを切ればいい日だったのだ。私はいつも少し早目に行って9時30分ちょっと過ぎくらいに切っている。しかし、寝坊して起きた時間がそのタイムカードを切っている時間だった。なぜこんな時間になっているのか混乱したが、とにかく飛び起きて準備をして職場に連絡をし、急いで向かったのだ。結局1時間の遅刻となってしまった。目覚ましが鳴ったのかどうかもわからなかった。飛び起きてしまうと心臓がバクバク鼓動してしまうので、そうならないように朝はゆっくり起きるようにしたい。
 そして昨日、山手線に乗り換える寸前に、山手線が止まっているという情報が入ったのだ。なにやら秋葉原と神田駅の間にある柱が倒れたのだとか。以前も山手線が止まっていたことがあり、その時は地下鉄を駆使してやっとの思い出目的地にたどり着いたのだが、時間もギリギリセーフだった。しかしその前日は寝坊で遅刻していたので、たとえ遅延だったとしても印象がかなり悪くなるので、なんとしてでも時間通りに出勤したかった。iPhoneを使って早そうな行き方を調べた。五反田から恵比寿方面に向かわなければならないのだが、一旦逆方向の大崎に行くと山手線以外のJR線は動いていたのでそれにしようと思い、五反田から歩いて大崎に向かったのだ。歩いて10分もかからないくらいの距離だった。線路沿いを歩いていると山手線が走っている。私は、「なぜ動いているの?」と疑問になったし、腹が立ったし、笑けてきたりもした。大崎についてよくよくアナウンスを聞いていみると、池袋から田町駅間は往復運転をしているということだった。なんやねん、と思い、私には影響はほとんどなかったのだった。焦らずに情報を集めるということも必要だということを学んだ次第。なにはともわれ遅刻せずに出勤できたことがなによりもよかった。

 寝坊して遅刻をした際に、その日に出勤していたスタッフにかなり迷惑をかけてしまったので、今日は休みだったのだが、お詫びの品ということで最近お店の最寄駅にオープンしたシュークリーム専門店でシュークリームを買うことにした。オープンして以来このお店はいつも行列が出来ていて、30分から1時間位並ばないと買えないものだったので、休みの日にしか並ぶことができないので今日行ってきたのだ。今日出勤のスタッフは6人ということで、ちょうど6個入りセットのものがあったので迷わずそれにした。自分の分はなかったのでそれは悔しかったが、今回は仕方がないか(笑)。

2015年4月6日月曜日

講演会

先日連勤が続いたということなのか、連休をいただいていたのだ。何もなければ大阪に帰ろうと思っていたが、中日にちょっとしたイベントがあったので帰ることができなかった。知っての通り私はニューヨークが好きということでニューヨーク関連の本はかなり読みあさっている。その中で見つけた本があり、全米で唯一の日本人漫画家でニューヨークを拠点に活動している“ミサコ・ロックス”さんという方がいらっしゃるのだが、その方の半生を書いた本がある。その方の講演会が六本木で開催されるということで、応募して参加できるということで少しお邪魔させていただいたのだ。その半生を書いた本は、漫画入りでってもわかりやすく、なんといっても笑いが絶えない本なのだ。何が一番魅力的かというと、自分の経験を通して全て書いているということで説得力があるのだ。本を読んでいてもすごくパワフルな人だなと思っていたが、実際に講演会に参加してみると予想通りの方である。これぐらいパワフルでないとあの街には住めないのかと改めて思った次第。司会の方はスイスと日本のハーフの方で、この方も国際色豊かでヨーロッパと日本の違い、ヨーロッパとアメリカの違い、そしてアメリカと日本の違いをガールズトーク風に話をされていた。一番印象に残ったことは、漫画家なのだが、最初から漫画をやろうと思っていたわけではなく、様々な事情を経て漫画にたどり着いたという。それまでは漫画を一切描いたことがなく、漫画関係の学校を出たわけでもなく、誰かの下について漫画を学んだわけでもなく、ニューヨークの図書館に並んでいる漫画を借りて独学で勉強したのだという。漫画ブームということで日本の漫画がたくさんあったのだという。自分で学んでそれをどんどん売り込んでいく。アメリカ、特にニューヨークはそうだが実力社会の最高峰である。自分をガンガン売り込んでアピールしていかないと誰も振り向いてくれないのだそうだ。自分で学んで戦っていくというそのスタイルに私は感動したのだ。なんてカッコイイのだろうか。もちろんそこに至るまでに様々な苦労があった。ニューヨークの公園でホームレス生活も経験したともおっしゃっていた。いろんなことにどんどん挑戦し続けていくのが私の人生なんだと思う、と語られた。
“理由とか目的とか何だっていいじゃん!チャレンジしなくちゃ後悔もできない!” Misako Rocks

ついていけない新年度

 久しぶりの投稿となってしまった。この前の投稿で写真を掲載することができなかったのだが、そこからパソコンの調子がかなり悪くなっているのだ。調子が悪いのはとりわけインターネットである。接続が途中で切断されたり、固まって動かなくなったり、開いてもないのに勝手にページか開かれたりと、開きたいページを開くことができなかったり、スムーズに使えなくなってしまい、アナログ人間でしかも短期な私はほったらかし状態にしてしまったのだ。インターネットをすればいちいち腹が立ってしまうので最初からやらないことにしたのだ。そしたら先日大学の友人が先月私の投稿にコメントをしてくださった方がいるよと教えてくれ、すぐに微量ではあるがなんとかブログのページまでたどり着けたということである。これも明日にはどうなっているかわからないが。パソコンを立ち上げるごとに調子が悪くなって言っているような気がする。そろそろ代えどきかもしれない。大学入学時から同じものを使っているが、パソコンまでは金銭的に手が回らない状態なのも事実。しばらくはこのままいくが、なんとか蘇って欲しいものである。

 

気がつけば冬が終わり、春がやってきた。桜も満開で、今日は雨が降っていたのでもう散ってしまっているようだ。私はこの時期が一年の中で一番嫌いな時期である。気候としては過ごしやすくて何もいうことはないし最高な気分だが、この時期独特の街というか人の雰囲気が嫌なのだ。新年度ということで新しいことが始まる。学校なら新学期、あるいは入学式。社会人になる人もいるだろう。私の職場も移動があって、新しい人が3人も入ってきた。もちろん移動された方もいる。新しいことが始まるということで、すべてにおいてみんなガツガツしている雰囲気が嫌いなのだ。いろんな人と友達になりたい、コミュニティの輪をどんどん広げたい、恋人を作りたい・・・・・などなどいろんなことがあるが、それが私にはどうもついて行けないのだ。もちろん新年度として気合を入れていかなければならないのは事実だが、私はいつも出遅れてしまっているのだろう。心の中では、「奴らは前半逃げ切り型で、俺は後半追い上げ型だから」、と言ってるのだが、後半も全然追い上げてないし(笑)。出遅れて突き放されてしまっては私はただの間抜けである。まあ人によって好きな季節嫌いな季節があるが、私は季節というよりもこの時期である。まあボチボチやっていこうと思う。

2015年1月21日水曜日

セントレジス大阪

 年始に少しだけだが大阪に戻ることができた。インフルエンザが治ってそのまま大阪に戻った感じである。私が大阪に戻ってすぐに世間は連休があけ、初仕事に行くタイミングだった。私は午前中に自分の用事を済ませ、午後から母が仕事から帰ってくるので、そこから二人で出かけていた。以前から私はセントレジスホテルというところに行きたかったのだ。“セントレジス”と聞くとピンとくる人も多いかと思われるが、映画『プラダを着た悪魔』で主人公がある人から原稿をもらうシーンがああるのだが、その待ち合わせ場所がセントレジスホテルの中にあるキングコールバーというところだった。5月にニューヨークに行った際、もちろんこのセントレジスホテルに行ったのだ。そしてキングコールバーで一杯飲みたかった。がしかし、一人だったということと、超高級バーということでドレスコードありかもしれないということでキングコールバー入口でビビってしまし、引き返す結果となってしまった(笑)。このキングコールバーは、アメリカで初めて“ブラッディーメアリー”というカクテルを広めたことで有名なのだ。このバーでは“レッドスナッパー”という名で親しまれているようだ。このレッドスナッパーをキングコールバーで飲む、というのが旅のひとつのミッションだったのだが、いともやたやすくミッション失敗となってしまった(笑)。
 セントレジスホテルは日本では大阪にしかない。御堂筋沿いに建っていて、なかなかそっち方面は行かないのだが、わざわざ行ったということである。大阪のセントレジスにもバーがあるのだが、ここは“セントレジスバー”という名だった。ここでは“ショーグンマリー”というお酒が有名。“ショーグン”はもちろん“将軍”である。日本の風味を生かしたカクテルだ。しかし今回はお酒よりもお茶を飲みに行った。大阪弁で言えば、茶をしばきにいったのである(笑)。夕方からバータイムで夕方まではアフタヌーンティーということでティータイムだった。なかなかおしゃれなお店でとても気に入ったのである。母もよかったなーと言っていた。また行こうと思う。今度はバータイムに行ってみたい。

 前会社で働いていたとき、私がやめることが決まり、最終出勤日が近づいていたときに、お世話になった先輩が、プチ送別会として二人でバーに連れて行ってくれたのだ。なんと横浜ランドマークタワー最上階。ここも超高級バーだった。以前先輩がこのバーで働いていたみたいで、このバーのスタッフ数名はこの先輩の後輩で、皆さん先輩に挨拶されていた。一杯数千円のお酒を飲ませてもらった。まるで“ジェームズ・ボンド”になった気分だった。そこからより一層お酒に興味を持つようになった。もともと007映画が好きだったので、映画に登場するお酒を色々と調べたりしていた。まあ、どれも高級なお酒でなかなか飲むことができないのだが(笑)。
 ルパン三世シリーズも私は大好きである。ルパンの映画の中でも様々なお酒が登場する。子供の頃はなんとも思わなかったシーンが、今では武者震いするくらいいいシーンがある。TVシリーズの“1$マネーウォーズ”という映画があるのだが、ルパンと次元とのやりとりの1シーンである。

(バーにて)
次元  「やっこさんから振り込まれたぜ。・・・ドライマンハッタン。」
ルパン  「街が恋しくなったか?スコッチ党のお前が。」
次元  「声のせいじゃねえか。」
ルパン 「かもな。」
(省略)
ルパン  「ケリつけっか。」

しびれるくらいに渋いシーンだ。次元もカクテルを飲むのかと発見したシーンで、次元がカクテルを飲むこと自体がめちゃくちゃカッコイイ。ルパン一味は仕事でしばらくニューヨークを離れているところだった。お酒の名前になるくらいの街。ルパンや次元にとってどんな街なんだろうか。私はとても興味がある。
 前会社での先輩とのプチ送別会でメニューを見たとき、カクテルの欄で私は“ニューヨーク”というカクテルを発見した。その下に“マンハッタン”を発見。私は迷わずこのどちらかにしよう思い、“ニューヨーク”を選んだ。先輩は私に合わせてくれたのか、メニューも見ずに「じゃあ私はマンハッタン。」と言った。さすがお酒に詳しい人は違うなと思った。そのバーに連れて行ってもらったとき、私は新たな扉が開いた瞬間だった。先輩とお別れした後、ありがとうございましたのメールを送り、先輩から「カッコイイ大人になってください」という返信。私はほんの少しだが、大人への道を進んだ気がした。なかなかこれほどの高級バーに行く機会はほとんどないがたまに行ったときには、先輩との思い出、そしてルパンと次元のやりとりを思い出す。たまにはこんなお酒の飲み方もいいんじゃないかな。

2015年1月2日金曜日

腹立たしいこと

接客業というのは腹立たしいことがよく起こるものである。しかし、それに対して反抗してはいけないという当たり前でだが社会人としての、そして一百貨店スタッフとしてのルールがある。それに対しても腹が立つこともあるが、それはさて置き。私が働いているお店と、その近くに厨房があるのだが、少し移動しなければならない。その際に従業員専用通路はなく、お客様が使用する通路を使用しなければならない。ある日、店頭から厨房の作業をしに行こうと移動していると、とあるお客様いやおっさんが他店ではあるが会計中の商品を落としてしまい、歩いている私の方へ転がってきたので、私はその商品を拾って渡そうとしたのだ。私の予想としては、「ありがとう」など何かしら返答があるだろうと思っていたのだが、私の顔を見ることもなくその商品を受け取って背中を向けたのだ。もちろん私は何も言わずそのまま厨房作業に入ったのだが、もし私が客のひとりで同じようなことが起こったら間違いなくそのおっさんに文句を言っていただろう。なぜ何も言わないのか。私がスタッフのひとりだったからか。いや、そうだとしても「ありがとう」くらい言うのが筋ではないのか。「アホか」と小さく呟いた。
 次に、私がお店のいてある商品の在庫の確認をしていた時だった。「すみません」とどこからか聞こえたので顔を上げてみると、女性のお客さまが一人立っておられたので、私は「すみません、お待たせ致しました。」と小走りで接客に戻ったのだ。こういうことはよくあることで、私のお店はほぼU字型の形をしていて、そのなかに大きな柱もあって、その柱が影になって見えない時があるのだ。もちろんお客様を第一にしなければならないし、待たせてしまうことも事実なので、お詫びはいつもしている。今までお客様から怒られたことは一度もないが、今回初めて怒られた。しかし、怒られた原因が私にはよくわからなかった。続きに戻るが、私が接客に戻った時、急に「ここのお店のスタッフは悪魔みたい!」といきなり言われたのだ。私は聞き間違えたのかと思い、もう一度言ってもらうとやはり同じ回答だった。起こっている人に「なぜですか?」と言うと余計怒ってしまう可能性があったのでそれはやめておいたのだが、何に対して起こっているのかわからなかった。待たせてしまっていたのか、他のスタッフの対応が悪かったのか・・・。待たせてしまっていたとしても、言い訳になるかもしれないが気が付かないときもある。何が悪いのかわからないまま謝るのは嫌だったし、いきなりそんなことを言われて私も腹が立ち、「そうですか」と言った。私は百貨店スタッフ失格である(笑)。頼まれた商品を包んでお渡しするとひったくるように持っていった。私は心が汚れているので「なんやねんあのおばはん」と心の中で言ったのだ。うん、間違いなく接客業失格である(笑)。少ししてから厨房作業に入るため、通路を歩いて移動しているとさっきのお客さんが買い物をしていたのだが、かなり怒った顔で私を睨みつけていたのだ。私は歩きながら表情を変えることなくその顔を2秒ほど見て視線を変えた。普通ならもう一度謝罪しに行くのだろうけど、私はしなかった。そんなに腹が立つんだったら買わなきゃいいのに、と思ってしまった。もし、反抗してもいいというルールがあれば間違いなく、「なにメンチ切っとんじゃコラ」と不満の洗いざらいすべてぶつけていただろう。うん、明日にはクビだな(笑)。まあ、この件は私の側に問題があっただろう。何が原因であるにせよ、すみませんでした。
 いろんな人がいるので接客する側も大変である。それをよく理解しているので私が買い物をする側になればちょっとくらいなにかあってもいちいちそれに反応することはない。みんな楽しく仕事したいじゃないか。みんな楽しく買い物したいじゃないか。言いたいことがあるときは、“怒る”というよりも“指摘”という手段を使って。接客もなかなか難しいものである。

言葉たちを落とし込む作業

年が明けてしまったので、昨年の話になるのだが、法律を勉強している友人と会う機会があり、彼が通っている大学院内を少し案内してもらった。法科大学院ということでテレビでよく見る裁判所の室内まで整っているという予想以上の設備であった。模擬の授業ができるのである。さすが、の一言。まさに勉強する環境が整っている。
 彼が自習していた部屋で少しばかり話をしていたのだが、覚えたものをどんどん問題を解いて、その覚えたものを使えるようにしていく訓練が重要だという。私もそう思うのだ。インプットとアウトプットする脳は違う脳である。なので全く別の作業になるわけだ。ついつい私たちは覚えるだけ覚えてそのままにしておくことが多くなってしまう。例えば本を読むことも同じである。読んだらそれでおしまい。これは読んだうちには入らない。読んだ気になっているだけである。小学生や中学生の時などよく書かされた読書感想文はすこぶる重要な作業である。読むのはすぐできるが、それを書いてまとめるとなるとはっきり言って面倒な作業である。なかには、書かなくてもしっかり読み込んで自分が納得すれば大丈夫と思っている人もいる。書いてまとめている自分をイメージしている人もいる。なんとももったいないことをしている。せっかく本を読んだというのに。
 もちろん本だけではなく、自分が観た映画、自分が経験したことでもなんでもいい。疑問に思ったことでもいい。それをとりあえず文字として表現してみること。その友人が言っていたように訓練が必要である。私はこのブログを使って文字として表現することにしている。ブログを始めた頃はひとつの記事を書き上げるのにかなりの時間を費やせねばならなかったが、今ではそれほど時間はかからない。内容によってはじっくり考え、慎重に書いていくこともあるが、ほとんどはスラスラ書ける。文字にしてどうなるんだという人もいるかもしれないが、これはコミュニケーション能力にもつながってくるのではないかとも考えている。話を聞くのがインプットで、話をするのがアウトプット。しかし、日頃から文字として表現している人はそうでない人よりも、瞬時により深く、丁寧に、論理的思考ができているのではないかと思う。ただ単の感情論だけで終わりになるだけではなく、一段上の話し合いができるのではないだろうか。自分の頭の中でうごめいている言葉たちを、紙やノート、ブログといった媒体に落とし込む作業は、ひと手間かかってしまうが、よりスマートに生きていく一つの手段かもしれない。

2015年1月1日木曜日

2015年、始まる

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

幸か不幸か、インフルエンザにかかってしまったおかげでゆっくり部屋で年を越すことができた(笑)。長渕剛が紅白に出場していたのでそれも見ることができた。テレビはないのでガラケーのワンセグで(笑)。長渕剛と中島みゆきは良かったんじゃないかな。好きな歌手しか評価できないし、真剣に見ないので最初からこういう結果になってしまうのだが。感想としては、期待通り、いやそれ以上やってくれたぜ、という感じである。来年夏の10万人ライブの宣伝も兼ねて出場していると見込んでいたのだが、それに関しては一切触れなかった。その方がよかったのではないだろうか。嵐のメンバーのひとりの二宮くんが剛からのメッセージを代読し、東日本大震災から今日までの3年間を振り返った。剛本人からは歌以外何も語られることはなかった。紅白歌合戦というある意味お祭り騒ぎな場面を一瞬にして静寂な空気へと変えてしまった。力強い彼からのメッセージを私は確かに受け取ることができた。彼にしかできない素晴らしい演出だったと思う。
 長渕剛が初めて紅白に出場したのは1990年、ベルリンの壁から中継での出演だった。紅白では異例中の異例ともいえる3曲を歌い、約15分間独占したのだ。その中での発言が問題となり、“長渕剛NHK永久追放”といわれた。その紅白の後の自身のライブのMCで、「毒にも薬にもならねえ歌をタラタラ3時間流すよりも、毒か薬かいずれかになる歌を15分歌ったほうがよっぽどマシなんじゃねえのか!!」といっていた。当時の剛はかなりトゲトゲしかったが、それは最高にカッコよかったと思う。周りと同じようなことはやりたくない、誰かと一緒はイヤ、誰もやったことがないことをやりたい、彼は常にそう自分に言い聞かせながら今まで生きてきている。形は違えど、今回のパフォーマンスも彼のこだわりが詰まっていたように思える。もちろん賛否両論あるだろうけど、一視聴者としての私はそう感じた。



 今日やっと平熱に戻り、安定している。咳もマシになり、やや頭痛があるくらいだ。頭痛というよりもフワフワと酔っているような感覚だ。真っ直ぐしているときは問題ないのだが、前かがみになったりすると急にクラクラして気分が悪くなってしまうのだ。それも早く治って欲しいものである。2015年はずっと健康で元気に過ごせるようにしたいものである。健康が一番。それに尽きる。あと漏水させないように注意しなければ(笑)。
 新年早々に個人的なネタで申し訳ない(笑)。