私は新宿からバスで富士まで行くことになっていた。当日出発のバス、富士の最寄り駅からのバス、前泊ツアー、飛行機ツアー、などなど様々なプランが用意されていたが、当日出発のバスが一番安かったし、連休もなかなか取れないのでどの道それしか行く方法が私にはないのだ。おそらくほとんどの人はこの当日プランだっただろう。
新宿のコクーン前辺りで集合だった。我々とは全く関係ない人たちもたくさんいた。みんな一体どこへ行くのだろか。夏休みだからおそらく学生だろう。それを横目に私は長渕ツアーを探した。プラカードを持った人がいたので、向こうで並んでいるのでそこへ行けとのこと。早目に到着したが、すでにたくさんの人が待っていた。乗車する際にリストバンドが渡され、私のリストバンドには「カ」と書かれていた。一体何のことだろうと思ったが、その時はそれほど気にならなかった。しかし、この「カ」の文字が最後の最後に重要な文字になってくるのだった。
9時30分くらいに出発し、車内は予想とは違いかなり静かであった。オールナイトなので夜は寝ることができないのでバスの中で寝ようと思ったが、気分が高まってしまい、ほとんど寝れなかった。途中休憩でパーキングエリアに寄った。そのとき私たちのバス以外にもたくさんの長渕ツアーのバスが並んでいた。富士の会場エリアに入るとき、何台ものバスとすれ違うのだが、「博多」、「静岡」、「東京」、「広島」などなど様々な場所から来たバスがすれ違う。本当に長渕剛に会うために全国から集まったのだ。もうそれだけでも涙ものである。私たちのバスは14時に会場のふもとっぱらという場所に到着した。そこから2キロの道のりを歩いて移動する。天気は曇りで雨が降りそうな感じであった。荷物検査をして会場入りすると視界が開け、広大な敷地に圧倒される。そして壮大なセット。なにもかもが長渕剛にしかなしえることができないであろう、壮大なスケールである。「ヤバい」しか言葉が出てこない。
グッズを買って自分たちの指定ブロックへ。私たちが乗ったバスは到着が早い方で、グッズを買うのも20分くらい並んで買うことができたが、夕方にもう一度グッズ売り場に行ってみると、長蛇の列ができていて、グッズを買うのにも1時間以上はかかりそうだった。もちろんグッズ販売の点と数も半端じゃないくらい出ていて、なんかのフェスかよって思ってしまいそうになるが、あくまで長渕剛ただ一人のテントである。
グッズの一つであるパンフレットを買い、指定ブロックで場所取りしたのでそれを読んでいたのだ。パンフレットといってもほとんど写真集みたいなものだが、私はライブのたびに必ずパンフレットを買っている。楽しく読んでいたが、最後のページを見たとき、私の中で衝撃が走ったのである。剛の直筆のメッセージがそこに書かれていた。“ここまで来てくれてありがとう。そして、生きていてくれてありがとう。”、そう書かれてあった。まあ普通に考えると、「こんな遠くまで来てくれてありがとう」、という意味だったと思うのだが、そのときの私は、「今まで俺について来てくれてありがとう」という意味で解釈してしまい、そこで私はこれが長渕剛最後のライブになるかもしれないと思い、涙してしまったのである。あの日の感情は信じられないくらいにハイになっていたと思う。ライブ開始まで数時間の話である。
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